コントラバス

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最近はネットでいろんな曲のスコアが見られうるようになったので、大変面白いです。
以前は自分でスコアを買ってこなければ見られなかった。
買えればいいんだけど、そもそも見かけないという曲も多かった。
ブルックナーの交響曲第8番のハース版はあんなにそこらじゅうで演奏されているのにポケットスコアを見つけることができなかった。
ノヴァーク版のは田舎の楽器屋でもとりあえず店のたしなみみたいな感じで置いてあったのに・・
アカデミアへ行ってボーと探していると・・・あっハース版か?・・あった?・・とよく見るとさらに驚きが・・
なんかとんでもない景色が広がっている・・・第1稿じゃないかこれ・・・
そんなもん買わないわけにいかないので買ってきて眺めた。
第3楽章も全然違うなーなんて眺めているとコントラバスがやたら高い音域で書かれていたりして、こんなの書くからコテンパンにダメだしされるんだろう・・なんて思ったり・・さらに

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コントラバスがト音記号で・・・・
第3楽章、後半の大爆発の手前です。
実音はオクターブ下だという事を考えても・・ヴィオラの一部より上を行ってるんじゃないのか?
後の時代の作曲家が狙いでやってるのはわかりますが、この人は真顔で純粋にこれ書いちゃってるんでしょう?


ラヴェルくらいになると、そりゃやってるだろうなという気もします・・・でも見つければやっぱりびっくりしますよね。
子供と魔法を見ていたら

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冒頭の子供部屋。
このオーボエは子供部屋の壁紙の模様なんだったと思います。それっぽいですよね。
宿題やれとか言われてやる気もなくて腐っている子供・・
腐ってる感がなんか変な音できこえてくるなーなんて思っていたらコントラバスのソロなんですね・・
ハーモニクスなんですか・・
ト音記号なのが景色的に面白いです。



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その先のここも・・
hauteur reelleは実音?
また別途書こうと思いますが、考えてみるとコントラバスが高音で変な和音を伸ばしてるシーンって結構あるんですよね。
怪しい雰囲気作りに最適なんですかね・・・

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ここは普通の奏法っぽいですが、他はすべて沈黙している中でのソロだから大注目ですよね。
コントラバスファンの人は萌えたりするんでしょうか・・

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第2部、このブゥーンというグリッサンドはトンボが接近してきて羽音を聞かせてるところなんだって・・
ハープがmfでコントラバスはp・・

コントラバスの人も、プロになるような人は・・それで首席でソロをやるような人は「俺の演奏を聴け!」みたいな気持ちで普段からやってるんでしょうね。
こういうソロで目立てるような場のある曲だと萌えたりするのかな。

コントラバスにソロのある曲って、意外にあるんですよね。

オーディオ的にコントラバスソロがあると右手方向の空間表現力の確認が・・・
もういいかそういうのは。

かえるのうた

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毎年、隣の田んぼに水が入ると蛙が鳴いて、夕方以降その圧倒的大音響の前では音楽鑑賞どころではなくなる・・・
はずだったのに今年はなぜか聴けてる・・
休耕田だからかぁ・・でも去年は鳴いてたけどなぁ・・卵がかえる場がないんだもんな。世代が尽きていなくなっちゃったのかな・・
昨年気付いたんですが、バロック音楽・・とりあえずバッハの音楽はバックで蛙の声が大音響が鳴り響いていても関係なく聞けるというか楽しめることが判かったんですよね。
絶えず音で埋まっているから?・・
なんでなのかを分析しようにも・・蛙いなくなっちゃた・・
よしこれからはこの時期はバッハを聴いてやる・・なんて思っていたんだけど・・

いなくなってみると寂しかったりして・・もうもどらないんだよね。
こういう事ってあるよね。

バッハについてなにか・・
ブランデンブルグ協奏曲第3番ト長調 BWV1048
小学校で給食の後、片づけを即す音楽が放送で流れていたんですがそれがこの曲の第1楽章でした。
初めて買ったCDが何もわからずに選んだカラヤン・ベルリンフィルのものだったんですが、まさにその演奏だった。
何も知らずに買ってきたCDを聴いていたら給食の音楽が鳴りだして偉くびっくりしたあの日のことを今でも覚えています。

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弦楽合奏と通奏低音によるこの曲は2つの楽章がたった1小節のAdagioを挟んでつながっています。
この小節には2つの和音が書かれていますが、チェンバロを弾きながら指揮をしたバッハがここで即興を入れたんだろうと言われているようです。
弦楽器が主役の曲だからということで、ヴァイオリンがソロをとる演奏も多いみたいだ。

最初に買ったカラヤンのは弦楽器が神秘的に奏する和音の上でチェンバロがアルペジオを弾いてトリルでしめるみたいな感じ・・
ずっとそれを聴いていたのでそういうもんだと思っていたけど、ここだけロマン派みたいになっちゃってる気もしないでもない。

適当にYouTubeを聞き流すと
やけに凝った即興演奏を長々とやって最後の最後に弦の2つの和音を伴い終止する。
二つの音を長めに伸ばしてそのうえでチェンバロが軽く歌う。
普通に二つの和音を弾くだけ・・チェンバロもただのアルペジオ。
等・・いくつかのパターンがありますね。
実際はどんな演奏をしていたんでしょうね。

即興の名手だ的に長くやるのはいいけどそれなら初耳にも訴えるキャッチーな何かを聴かせてもらいたいなぁ・・
前後のあの生き生きとした音楽の間に、地味な魚のほしたのみたいな演奏を聴くのは違和感があるんだけどなぁ・・・
お前の耳が鈍いだけだろという話かもしれませんが、私の好みなのでどう感じようが勝手でよね。
しかしさらっと和音だけってのもないだろう・・なんだよそれ・・バッハがそんな音楽を頭に浮かべたりしたかなぁ?
(私の勝手な考えです。すみません)

自分の勝手な好みは、あんまり重くて長いようなソロより、弦の和音の上に載って単旋律がさらっと走り回るみたいな・・
みんな前半の音でいろいろやるけど、最初の音符にはフェルマータついてないから後半でセンス良くいろいろ語るっていうのはどうですか・・
どうですかじゃねーよという話ですが。

隣の休耕田が今後どうなるかが気になります。
しばらくは草も伸び放題で荒れていました。
最近は時々草刈りをしに来てくれるけど、疲れちゃうと帰っちゃうみたいなので虎刈りみたいになってる・・
「水を川から入れるんじゃなくて湧水を直接引いているんだからいい田んぼだよ」と人は言う。
田んぼを借りてでもやりたいという人もいるそうだ。
でももう貸して田んぼにする気はなさそうかな・・
家が建っちゃったらもううるさいとか言われて音楽きけなくなっちゃうのかな・・
市街化調整区域とかいうのはどうにでもなっちゃうもんらしい・・
そうなるともう何を楽しみに生きてけばいいんだろうか・・
色々書かせていただいてるんですが空間的音楽情報鑑賞に萌えているのでヘッドホンで音楽は悲しいです。
聴けないよりはいいでしょうけど・・
お金をかけて防音室化するか・・そんなお金ないか・・
家族怒るかな?
バッハが一時期仕え、ブランデンブルグ協奏曲を書くきっかけになったらしいケーテン侯という人は大変な音楽通だったという。
なのに嫁さんが音楽嫌いで音楽熱が冷めたと書いてあった・・・
そんな王様みたいな人でもかーちゃんに怒られて大好きな趣味を諦めちゃたりすんのかと思ったら笑えてきて泣けてきた。
うちはクラシック好きではないけど音楽嫌いではないのでほんとによかった。
いやほんとに。
ありがとう。

あの丘で

今日、ここ本当に何度も何度も書き直した。
いろいろうまくいかないけど、
いかにも俺って感じだよな。
どうしようもないと思う大っ嫌いな心だけど、大事な俺の心だよこれ。
まぁ、しょうがない。



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グスタフ・マーラーという作曲家が最後に完成させた交響曲第9番。
この曲のとらえ方として、作者は悲劇的な人生を嘆きつつ、持病による自分の死の恐怖に震えながら作曲した。その思いや嘆きが色濃く反映されているのだという考え方が根強くよくあると思うんです。
自分もそう思っていました。
どこかのレビュー欄なんかをみるとそれを感じて涙できないものは愚か者だ見たいなことを叫んでいるおやじがいたりして・・

高度に複雑で、深く、尋常でない音楽だという考えは今も変わりません。
でも最近私は、この時彼の心は絶好調で、こんな素晴らしい曲を短期間で生み出し、そのことに彼は感動し、興奮し、ワクワクし、笑いが止まらないような絶頂にあった可能性があると考えています。
こんなことを書けば馬鹿だと笑われるかもしれません。
それでいいです。


彼のように神に選ばれたような芸術家とその作品は、具体的な事実が仮に作曲のきっかけになったとしてもそんなものは超越したところにあるんだと私は思うんです。

高校生のころ、授業中に柴田南雄の「グスタフ・マーラー」という本を読んでいました。
交響曲第9番の章で柴田が4楽章に亡き子をしのぶ歌の第4曲が引用されていると指摘していた。
歌詞のドイツ語を理解できる必要はあるだろうか?と書いてあるのを見た記憶があります。
この曲を聴いている自分を全否定されるのかと思った。
そのわりには結局どんな結論だったかは忘れてしまいました。

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歌曲「亡き子をしのぶ歌」第4曲の終わりのところ・・
死んでしまったわが子を思う親、
「あの子はあの丘へ散歩へ行っただけだ!
私たちが追い付けばいいんだ!」
でしたっけ?

この時代はみんな経験したこでもあると思うのですが、マーラーも実際わが子をなくしています。
そのことが作曲に少なからず影響を与えていると考えるのは自然なことでしょう。

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交響曲第9番の最後のページ
この音楽は間違いなく人が死んでいく場面です。
このバイオリンの旋律がその引用だとすれば、
上記の歌詞を思い出してみれば・・・
衝撃的ですよね。
死を悟った者・・・もうすぐ・・・やっとあの子に会える・・・

しかし、だからと言って一本調子にこの箇所をマーラー個人の人生体験とその告白みたいな解釈で聴くのは私は違うと思う。

この旋律、下降する途中でふっと休符になります・・すべての音が消え・・
この休符は大変印象的です。
この休符の後、何かが変わる。

私も人が死んでいくところを見たことがありますが、私たちには見えない何かを目を見開いてみていましたよ・・
光か何かが迎えに来るんでしょうかね・・

ここはなにか、普通と違う光に満たされている気がします。

柴田はこの旋律が楽章中に3回現れると言っていたと思う。
譜例はなかったと思う。
最初は第2ヴァイオリンに隠すように・・というのが印象に残っています。

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ここかな・・
対向配置じゃ隠れないし、
隠すようにって思い切りffじゃんか・・なんていったらいけないんでしょうね。

また脱線すると90年代になんでか忘れたけどマーラーについて書いた本が乱発されていたことがあります。
そのうちの一冊を読んでいると9番の解説で柴田の言葉が丸パクリされていた・・
しかもこの著者それがどこだかわかってないなという感じだった。
この曲を聴くわけでもなく、原稿依頼されて適当に資料を読んで適当なことを書く・・程度だったんでしょう。
あれは読んだ時に情けない気分になった。

私的にはこっちも気になります。
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伴奏音型?転回形?・・
これが、

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第3楽章の中間部や

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4楽章にも出てくる。
どちらかというと私はこちらの方が耳に残ります。
なにかを訴えていると思う。

なんかまとまってないですね。
このあたりは、気持ちが曲に向いたときにもう一度考えて何か書いてみたいなと思います。

時計

通勤のため車で少し走るとジョギング中の人がすごい笑顔で手を振ってくれた。
もう5、6年前にほんの少し話をしたことがあるだけなのに・・・
なんか、こんなことでも生きてて意味があるんじゃないかと思う。
少なくともその瞬間は自分がそこに存在したということなんだから。
別に今死にたいわけじゃないですけどね。
ブログになんか書くと読んでいただけるのもものすごくありがたいです。
ありがとうございます。

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写真のこれじゃないけど、うちには振り子時計があります。ボンボン時計です。
30分には一回、0分には時間の数だけ鐘が鳴ります。
音楽部屋とは別場部屋にあるのですが結構な大音量で音楽部屋にも聞こえてくる。
音楽がpppで大事なところに差し掛かっているとき、ボンボン鳴られると・・11時とかだと鳴ってる時間も結構長い・・
音楽を一時停止し、少し前から聴きなおしたりする。
そんなことなら止めてしまえばいいのですが、時計だって鳴ってるの聞いてもらってなんぼだろう。
目覚まし時計が不具合で鳴らなかったとき、6回鳴るはずの鐘の音が7回聞えてこえて飛び起きる・・みたいなこともあったと思う。
ありがとう、時計。
こんな事を書いているのを上から見下ろしている。
止めませんからずっと元気で動いててください。

多重テンポとかいうのを考えていたらラヴェルのスペインの時を思い出しました。

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三つのメトロノームが楽器として登場します・・
3種の速度とダイナミクスが設定されていて・・聴いてみると寝静まった時計屋の店内を驚くほどリアルに再現していると思う。
ダイナミクスはどうやって設定するんだろう?
楽譜上部にもメトロノーム記号みたいなのがあって別な数値が設定されている・・4つのテンポ・・でも同期しているので多重テンポじゃないか・・
音楽自体は大したことがないと言ったら怒られるだろうけど・・いろんな時計のベルが鳴ったり、何か動いたり・・

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このからくり時計のオルゴールみたいなのが鳴りだすところが特に好きですが、はっきり終わるのではなくてカメラが別なほうへパンしていく感じで音楽も変化していくところがさすが・・


正直に言いますがこのオペラ、時計屋の女房と男たち?全然興味が持てない。
全曲通して聴いたのはCDを買って1回のみ・・いつもこの冒頭1分くらいしか聴かない・・・
いつか聞くようになるんだろうと思っていましたが、この歳になっても苦手なんだから一生苦手かもしれません。

メトロノームといえばベートーベンの交響曲第8番ですね。
あちらは好きで全曲を聴きます。
交響曲7番は舞踏の神聖化とか言われていますが、
8番はユーモアの神聖化だと思う。
いつかか何か書きたいけどベートーベンは変なことを書くと信者みたいな人に怒られそうなので・・

そういえばラヴェルも結婚しませんでしたよね。
色々求婚はしたらしい。
ラヴェルは魂が綺麗すぎて実際の人間はそれに答えられなかったんじゃじゃないかなぁ・・
でも、作品を通して時代を超えて人の心の中に存在し続けることができるんだから、人類の中で最高の勝ち組でしょう。

カオス

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多重テンポが楽譜上に現れる場合、そのことが言葉によって指示されている場合と、音符そのもので見かけ上の多重テンポを固定している場合があるんだと思います。
単純な多重テンポとはちがうのかもしれませんが、マーラーの9番にも上記の後者の様な感じで昔から気になっている部分があります。


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第4楽章は冒頭に叫ばれる旋律の中にあるターンがしつこいくらい繰り返されます。
別な曲から引用されているターンに似た音型も何度か繰り返されてとても重要なのですが、それの話はまた別にするとして・・

なんとなく音楽でターンが出てくるときは愛を示していることが多いような気がします。

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もともとはワーグナーのイゾルデの愛の死からきてるのかなと思ったりしますよね・・

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これが第3楽章のトリオで予告されるのは有名な話ですが、

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トリオに入る直前、せわしない音楽の中でさりげなく顔を出しているのが面白いですね・・


第1楽章で
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愛を叫ぶ重要場面の直前に出てくるこの5連符、第1ヴァイオリン、その前の小節で力をためていますが・・・



第4楽章、東洋風の中間部の後クライマックスに向けて音楽はもり上がっていきます。何段階かに分けてのぼて行くんですが、各パートが一見バラバラに動ぎだしてカオスのようになっていく部分があります。

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その中にターンのような音型があります。
ここではこのターンが短い時間にいろいろな速さで奏されていてあたかも多重テンポのように聞こえると思うんです。
実際にはここはホルンなんかも別なことを叫んですごいことになっていますので細かいものをそれぞれ聞き分けようと思ってもなかなか聞き取れません・・
それでいいんだと思います。
ぐしゃぐしゃの中からなんとなくいろいろ重なって聞こえてくるターン。
いろんな別口それぞれが愛を叫んでいるんだ・・
みたいなのがすごいというか大事というか・・
最後に第1ヴァイオリンが力をためて5連符を叫ぶところは第1楽章のあそこと同じですね。

この修羅場の後に 愛も、生、願いも、すべての叫びが運命によって引き裂かれるのを目撃することになります。

いるよ

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犬と散歩に出かけ、いつもの場所でいつものようにぼーっとしていると・・・
カモが一羽だけいるなぁ・・いつもつがいなのに・・
あっ!子ガモだ・・・
母さんの周りにたくさん展開している・・何羽いるんだろう・・日向ぼっこだね。
ここなら猫も蛇も来ない・・あっここで蛇が泳いでるのみたことあるよ・・気を付けて・・
悲しいことだけど日を追うごとにその数は減っていく。
食べるほうも命がかかってるし。
世の中は厳しく恐ろしいところなんだよ。
鳥のあかちゃんだって、おいしいなぁとか気持ちいいなぁとか楽しいなぁとか感じるんだろう。
せめて生きている間はめいっぱい楽しんで。
みんながんばれ、みんな無事大人になれ。


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この人は作曲家としては最高峰の勝ち組ですね。
ピアニストとしても一流であったらしい・・どんな演奏してたのかなぁ・・
ほとんど聞こえない瘻管の録音が有名です。聴こえたところで、極端にシャイだった彼はやっつけ仕事みたいに弾き飛ばして終わらせちゃったらしい・・むしろそのエピソードが興味深い。
ピアノロールは残さなかったんでしょう?

昨日トリルがどうのこうのとか書いていて・・・
トリルって面白いですよね・・トリルネタだけでいろいろありそうです。

ブラームスのピアノ協奏曲第2番の第3楽章は独奏チェロが出てきてピアノとチェロのための2重協奏曲みたいです。
ノクターンですよねこれ・・地平線まで見渡せるような美しい夜の光景・・
初夏の・・・・日本のこんなじめじめした夏じゃなくて・・
イタリアに行って着想したんでしたっけ?・・
イタリアなんか行ったことがないけど北海道の道北か道東のどこかでいつか見たあの感じ・・

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色々あって後半の再現部、歌うチェロをピアノがトリルで飾っていく部分があって素晴らしいんですが、その素晴らしい部分が夢のように始まっていくところでトリルの開始が音符で具体的に書かれているんですよね。
だから何だって話かもしれませんが・・・
始めてみたときに感動したんですよ。
ブラームスがどんな演奏をしていたかを知るすべはもうないわけですが、ここに関してはブラームスがトリルを弾いて聴かせてくれているみたいじゃないですか・・・
このトリル、オーボエとも絡んでいくんだよね。
なにしろ充実してるよなぁこの曲・・

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同じ楽章の最後、ちいさなカデンツァみたいになっていますが、トリルが夢のように登っていく・・
ピアノが全部持っていっちゃいそうなのを見てチェロがいや俺もいるんだよって感じで締めにくる・・でもやっぱり最後に語るのはピアノ・・
最終和音は夢から覚めてまた地平線まで見えるような夜景・・を感じます。
いい曲ですよね。
聞こえている間、どんな嫌なことも忘れる。

一生もの

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今は行けないんですが、ここが大好きなんです。
いまは花も咲いて一番いいころでしょう・・

いろんな人のブログを見ていると特殊領域の追求みたいなのは興味深く楽しいし、普通に晩飯のおかずが載ってるだけなのに見入ってしまったりもします。
そんな人たちが、ふと弱音をこぼしていたりすることがあります。
みんな色々抱えているんだね。

いつも風邪をひくと治った後も2か月くらい咳が残ってしまう。医者へ行って薬をもらっても治らない。
人から「検査受けて来いよ」と言われました。心配していただけてるのと、迷惑なんだよなんとかしろよという意味もあると思う。
ありがたいし申し訳ないと思いながら「そうですね肺がんかもね」なんて悪態をついたりして・・
この歳になるとほんとに癌だったら・・という思いが一瞬よぎる。

癌で死にたくないと強く思いながら死んでいった人間を見たことがあります。
一方的に迫る死の前での無念と後悔、無力感は想像を絶するものだと思います。
日ごろ死んでもいいやなんて思って生きてきたとしたらそんな自分を殴ってやりたくなると思う。

あれを思い出すと、死ぬときの後悔を少しでも減らすことができるように残りの人生を生きたいと思います。でも難しい。
いろんな縛りを解放できず・・・

そんな中年にも音楽は鳴ってくれる。
バッハのコラール前奏曲「装え、おお愛する魂よ」BWV645
ほとんど何も知らない頃にラジオで聴き、コラール前奏曲というものを教えてもらったのがこの曲でした。



Youtubeのこれはちょっとテンポが速すぎるかな。
いろいろ探したけど、気にいる演奏がなかなか見つかりませんでした。
頭の中に勝手に出来上がっている演奏があるためでただのわがままでしょうね。


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コラールの旋律の最後の音が伴奏の上で長くのばされるというのがよくあるんですが、この曲極端に長いところがあるんですよね。
初めて聴いた時、そこに萌えた・・


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コラールの歌詞は知りませんし調べる気もないのですが、この辺りでは何かすごく熱いものを訴えています・・
生きなきゃいけない気がする。


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いったん落ち着いて冒頭に戻るかのような・・二つの声部が冒頭とは逆の立場でちょっと歌ってみて・・・やっぱりという感じで冒頭の音楽に戻る・・
この音楽はただ流れているんじゃなくて、聴こうとする人の心に向かって流れているんだという気がする・・
人は一人じゃないんだ見たいな気もする。

聴けば聴くほどやさしさに満ちているこの音楽の虜となってしまい、今でもこの曲は最も好きな曲の一つです。
確かメンデルスゾーンもこの曲が大好きだと言ってたんじゃなかったっけ・・


バロック音楽を聴いているときの楽しみに装飾音があると思う。
トリルとか前打音とか、古典、ロマン派以降のものとは違う意味というか趣というか奏法というかを持っていると思う。
バッハが息子のために書いたとかいう奏法の解説みたいなのが有名ですが、古典派以降には出てこないような多様なへんてこな記号がたくさん出てきます。
その解釈というかセンスというか演奏者によってまちまちなんですよね・・同じ曲なのに全然違うものが聞こえてくる。
またバロックの場合は何にも書いていないところにも装飾を入れますよね。名人芸的な話なんでしょうけど、、そういうものにも自分なりに好みがあるんですよね。
いいなと思える演奏とそうでない演奏・・・
トン・コープマンとかいい時はいいんですが、やりすぎでうるせーよとか思っちゃうことも・・
古い録音でトリルがロマン派みたいに下の音から始まってたりすると萎えたり・・
同じトリルでもゆっくり初めて加速して・・その具合とか・・
この曲もいろんな演奏を聴いてみると、各部色々あります。

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自筆譜を見ることができた。
紙を倹約するためできるだけ詰めて書こうとしている・・なのに読みやすく温かいバッハの筆跡。
よくは知らないですが、これは作曲時ではなく後にまとめて清書したものらしい。
書いているとき、300年後の誰かに見られると思っただろうか?

あれだけやってきたバッハだから、死ぬ時は穏やかに行けたんじゃないかな?
事実と伝説は違うのかもしれませんが、彼の最高の技術が結晶化していると思われる最後の作品は
BACH(シ♭ラドシ♮)自分の名前によるフーガ主題を登場させたところで中断したまま残されました。

最後の光を見たバッハ、
あのフーガまだ終わってないんですどうか最後まで・・・
先祖か天使か知らないけどでてきて、
「もう十分やったんだから休みなさい・・」
いや、最後まで・・
「未完で残したほうが絶対うけるから・・」

あれ、何また書いてるんだこれ
くだらないことを書いてごめんなさい。

2重テンポ マラ7

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局所的2重テンポがマ-ラ-の交響曲第7番にも出てきます。
第3楽章スケルツォ。
この楽章は夜のスケルツォですね。夜ですが、ノクターンみたいな静かで美しい夜ではなくて暗闇の怪しさというか・・
闇が語りだし、影が踊りだす・・みたいな音楽でまた各所にネタ満載です。
でもみんなここに書いちゃうとネタが終わっちゃうのでそれはまたということで・・
マーラーのスケルツォはみんな個性的で魅力的ですが、私はこのスケルツォも大好きなんですよね。
その終わり近くに

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木管に極端に加速しろという指示(次の小節にa tempo)。
ヴァイオリンとヴィオラにあるTempo weiterは同じテンポで続ける?・・・
ワルツのテンポは維持しながら木管に出てくる音型は怪しく走り去るというか・・
面白いですよねこれ。

1小節の一言で短いため、聴いていて意外に気付きにくいとも思う。
フルートとピッコロがただ早い音符でなんか言っただけに聞こえる演奏も多い・・
普通に始まってんのに先に終わっちゃうとか、なんかこう異常な指示があったら異常なことがわかりやすいように聞かせてくれると嬉しいなぁ・・

ここで思うのは、やりたければこうやって細かく指示を書くんだなということで・・・
第3交響曲のスケルツォで鳥の声がメインテンポに追従しない・・みたいなのは面白いんですが、指示は書いてななぁ・・と
書いてないことはやらなくていいというかやっちゃいけないのか、そんなの書いて無くたって感じた通りにやればいいんだよということなのか・・

私なんかは両方聴いてどっちも好きですとか言ってればいいだけなんですけどね。



この曲フルート4本のうち一人がピッコロ持ち替えなんじゃなくてピッコロ要員もいて5人なんですね。でっかい編成・・と思わせてホルンは4だしトランペットもトロンボーンも3かぁ・・
最初に出来上がった第2、4楽章がNachtmusikでそ子から始めた曲だからか、間に挟まるこのスケルツォも夜のスケルツォですね。
第1楽章も月明りの下でいろんな音を聴いたり大騒ぎしたりしているような音楽だと思う。
とはいえ、この交響曲全体を「夜の歌」と考えるのは間違えだし訳が分からなくなるもとだと思う。
ハ長調の5楽章は確かに真昼の音楽みたいだけどそこに注目して夜→昼なんてとらえたりするとえらく陳腐な曲に見えてしまいます。巨人や復活みたいに聴く曲じゃない。
5番と同じ系統だと思う。
マーラーのある面での代表作だと思います。
最新の革新的で挑戦的な発想と技法をユニークな音楽にのせて高性能オーケストラとすごい指揮者でお届けします。
お楽しみください。みたいな・・
毎回同じようなこと書いてるかな年取ってきたのかな。
あの頃の自分に向けていってるのかな。
この曲を聴いたのは10曲の交響曲中最後でした。
事前に本などから入っていたこの曲への悪評に影響されていたと思う。

全然違うところに住んでいましたがなぜか町田へ電車で行き、商店街の中にあったレコード店で買った記憶があります。
東急ハンズというのに行ってみたかったんだと思う。
あの頃はどんな知らない街に行っても商店街を歩いて見るとレコード屋があって、クラシックのCDがそこそこ買えた。
商店街ではいろんな店が賑やかに人を呼んでいたような記憶が・・
最近ここだったのかなというところを歩いてみたけどもうレコード屋はなかった・・にぎやかさもなく、記憶と違いすぎるのでいろいろ調べてしまったけどやっぱりあの道だったんだと思う。
25年位前になるのか・・

買ってきて聴いてみたものの・・
冒頭から変な響きのわけわからない音楽に萎えた・・
テノールホルンの変な音色に萎えた。
ギターが出てくるというから過剰に期待していたところ単音がポンポン言ってるのを聴いて萎えた。
フィナーレ冒頭のティンパニソロを聴いて幼稚園の鼓笛隊みたいだと思い萎えた。

今思うとそう感じたのは曲のせいだけでなく、演奏の問題もあったと思う。
何度も聴いているといろいろ見えてきて部分的には気に入ったけど、
からっと全曲入っててきたのはショルティー・シカゴ響の録音を聴いたときでした。。
どうにも好きになれず聞く気もしないが好きになってみたいという曲はショルティのぶっきらぼうすぎるような演奏を聴いてみると良い結果につながった・・というのが何度かあります。

このスケルツォだけは最初から気に入ってよく聞いていた記憶があります。

この曲も無償に聴きたくて仕方がなくなる時期と、全く聞いても入ってこない時期が極端に交代します。
今はあまり聴いてない時期・・

謎のまま

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問題作 ショスタコーヴィッチの交響曲第4番。
作者自身が「若書きでまとまりがない、何度も手を入れたがどうにもダメだ。でもこの曲が大好きなのだ」みたいなことを言っていたような気がします。
若い作曲家のアイディアと意欲といろんなものが暴発的に吹き出してしまっている・・すごく悪い言い方をすると創作アイディア集みたいにも見える・・それだけにネタだらけですよねこの曲。
時世的にこれの初演を行うと自分の命が危ない(反体制だとか言ってシベリア送りとかもっと極端なこととか・・)と悟って初演を撤回したという話が有名です。
彼の総括みたいな最後の交響曲第15番の最終部分、あの印象的で感動的なお別れの場面は、この交響曲第4番のある部分をもとに書かれています。
彼の中で忘れられない大事な作品だったのではないかと思います。

その交響曲第4番の最後の部分
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突然暴発したように出てくるファンファーレ音楽みたいなのが静まると、弦楽器のハ短調の伸ばしに低音がワルツのリズム・・

これだけなら
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チャイコフスキーの悲愴の最後みたいなんですが、

チェレスタが4拍子的に乗っかってくるわけですよね・・・マーラーを感じないでもない・大地の歌とか・・・
13番かなんかでもこんなのあるんでしたっけ?・・
何度も繰り返されたその最後、チェレスタはハ短調の弦の上にDの音を置いて謎を解決させないまま永遠のかなたに消えていく・・
みたいな絵にかいたような作品なわけです。

昔、阿部公房の小説を読みました。私自身はあほなのでほとんど小説なんて読みません。
同級生のアパートを訪ねたら本棚にこれがあった。
何かこう、自分は置いていかれてるような気がしたんだよなぁ・・
同じ本を読んで自分も面白いと思えるか試したかったのかなぁ・・
中身のない人間だったんだよなぁ・・今もかわらないなぁ・・
この歳になって振り返ると私の精神年齢は普通の人に比べて10年くらい遅れている気がする。
人と話が合うわけもない。
あれからもう20年か・・彼の子供が高校生だっていうもんな・・

小説自体は読むには読んだが前衛ぽくって特に引き込まれるとかいうこともなかった。
終盤、ものすごい速さで大騒ぎ的に展開していたかと思うと急にこちらを置き去りにしたまま永遠の彼方へ行っちゃっうかのようにおわっちゃった・・
読んでいるとき何か音楽が聞こえるような気がしていたんだけど・・・
あの馬鹿騒ぎから深淵の闇へみたいな世界が、この曲の最後にとても似ている気がする。

ものすごく深い哲学的な何かが隠されているようで・・それを一生懸命考えなければいけないような気もするんだけど・・・
実は形から入ってて裏なんか何もないんじゃないのかと思ったり・・・

相変わらずあほですね私は・・
人間的には成長していませんが、歳をとって図々しくなってきたおかけでもうこれでいいんじゃないかと思うようにはなったかなぁ・・


その後、文学にはまったりはしなかった。
音楽だけ、気に入ったものをずっと聞き続けてきた。
もう本当にそれだけ。
でも音楽があったからよかった。

多重テンポ 

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ショスタコーヴィッチの最後の交響曲となった交響曲第15番
この曲も好きです。
書かれたのは1971年らしいので世間はもう無調とか訳の分かんない前衛にももう飽きてきちゃってたような頃でしょうか・・
このひとつ前の第14番は無調音楽っぽいんでしたっけ?
この15番は再びにちゃんとイ長調という調性があって素人にもわかるようなメロディーと構成・・
ウイリアムテル序曲やワーグナーの指輪からの引用が耳に残ります。自作をはじめ他にもいろんな引用が隠されているらしいですね。
曲の最後の部分も大変印象的でこの曲が好きな人はみんなあそこが好きでしょう?
作者自身がこの世にお別れを告げているようにも聞こえるし、ハイドンから伝わってきた交響曲というジャンルがここで終わるんだよと言っているようにも(私が勝手にそう思うだけですが)聞こえます。
よく聞けばそんな中で無調他いろいろやっています。
西洋音楽の大原則としてすべてのパートが時間的には同期しているというかテンポは共通の一つしかない。
というタブーを破る・・この曲の第1楽章にもそれががあります。

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第1バイオリンが主要主題によるこの旋律をを8分音符で奏します。


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フーガのように遅れて入ってくる第2バイオリンとヴィオラ、このように6連符で同じ旋律を・・
実際のテンポは第1ヴァイオリンと同じなのですが見かけ上、第1ヴァイオリンに対して6/8のテンポで聞こえるという事になります。


さらに遅れて入ってくるチェロとコントラバスは
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このような5連符なので見かけ上のテンポは第1バイオリンの5/8、ヴィオラの5/6ので聞こえるはずです。


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それらの同時進行

前衛音楽みたいに聴いてもうんざりという感じではなくて、かなりわかりやすく面白い。

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後半、倍の速さで木管楽器もやります。



この楽章は作者の子供のころをを・・みたいな話でしたっけ・・・
この曲全体が作者自身の回想とこの世へのお別れのような何かを言っているなという感じが伝わってきます。