神へ向けた音楽 ブルックナーの9番とブラームスとマーラー 

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ブルックナーの交響曲第9番
大改訂でロマン派のスタイルを取り入れ大成功した8番から、またブルックナー独自のスタイルに戻っていますよね。
ブルックナーの最後の本音というか。
この曲、神に捧げられているんですね。
バッハもそうだと思うんですがこの人は神に向けて作曲をしていたんだと思っています。
だからその辺の凡人に理解されなくても問題ないんですよきっと。理解された方がいいには決まってるけど。
その代り、すべてを見通す力を持った究極の聴き手があいてなんだから持てる最高のものを出し切らなければならない・・
バッハも聴いたってわからないような数字的な暗号を曲に仕込んだり・・神は全部お見通しだから・・

マーラーはリアルに人間に向けて書いていたと思う。高度に複雑なものを一般人にも聞いたその場で感じさせるということに心を砕いていた・・・仕込んだ暗号も何時か誰かに気づかれることを楽しみにしていたと思う。
ブルックナーはそれがないということはないんでしょうが・・・ずいぶん苦労したと思う。

この曲、作曲者の死によって第4楽章が未完のままとなっており、通常完成した3つの楽章のみが演奏されます。
時間はあったはずなのによそ事をやっていて間に合わなかったような話も伝えられている。
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このことについて、完成している過去の曲に破棄された別稿がいくつも存在していることに着目して、ブルックナーはこの曲にふさわしい、第4楽章の着想を待ち続けていたのではないか・・
残されたスケッチは破棄されてきた過去の稿と同じく、ブルックナーの本意ではないのではないか・・
みたいなことを言っている人がいた。
それが正しいかどうかは私はわかりませんが、その話自体に大変感動しました。
神に聴いてもらえるような4楽章のアイディアはまだ浮かんでいなかった・・
過去の曲を改訂したり、よそ事に時間をかけていたのは待っていたんだ・・霊感を・・
今でもこの曲を聴くたびに思い出します。
言っていたのはネット上でみた普通の人でした。どっかいっちゃってリンクも貼れないけど・・

残されたスケッチを基に補筆し、4楽章を演奏する試みも行われています。
マーラーの10番は補筆稿をどうしても聞き続けたいですが、ブルックナーの9番は3楽章まででいいような気が今のところしています。
一度聞いては見ましたけど・・インバルのだったっけ・・
4楽章演奏の試み自体は面白いのでどんどんやってほしいとも思います。
ただ「いつまでも3楽章のみを聴く者は何もわかっていないのだ!」・・みたいな論調はちょっと私には・・
考えはいつまた変わるかわかりません。

第1楽章は3つの主題でできています。
私は大まかに言って
序奏~第1主題は神の作ったこの世、厳しいもの人間には動かしようのないもの・・
第2主題は人間の愛
第3主題は人々の歩み
のようなものを感じています。

第3主題は行進曲となっていて、人々が苦悩しながらも歩んでいく様子のように聞こえるんです。
重く辛かったりもしますが、暖かい瞬間もある・・常に前へ進もうとしているのを感じる。
ここでブルックナーはその苦しみを嘆いたり、闘って打ち負かそうというようなことが一切ありません。すべてを受け入れ、私たちはこのように歩んでいますとただ神へ報告する・・・・
同じベートーベンに端を発する音楽ですが、ブラームスやマーラーと決定的に違うと感じるのはこの点です。
彼らの音楽はネガティブなものと闘い克服しようとするエネルギーがー曲の推進力となっていることが多い。
私はブラームスとマーラーは外観は違うけれど強く結びついた一本の線に乗っていると感じます。
ブルックナーはまた違う道を歩んだと思う。

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第3主題部、ダイナミクスによる表情付けが結構かかれています。
この突然現れるpppは、つらい道をともに歩く弱い者にやさしく手を差し伸べている瞬間のようにも聞こえるんです。
ここでとても感動します。

ブルックナー 交響曲第5番の子鬼

昨夜は少し時間があったので、ブルックナーの5番を1楽章だけ聴きました。
いい曲だなーなんて思いながら・・・
前からなんとなく思ってたことをまたふと思ったので・・あほだと思われるのかもしれないですけど。

この曲のフィナーレ、有名すぎる話ですが手前の2つの楽章が回想されます。フィナーレの第1フーガ主題がそれを否定して・・とベートーベンの第9を手本としてるんですね。
手本というかもう好きすぎて書くとこうなっちゃうんでしょうね。
1楽章の再現は序奏と主部が出てくるので2楽章と合わせて3回あるところもベートーベンと同じ。
これだけ露骨にアイディアを模倣したら非難か嘲笑の対象になりそうですけど、これはみんな何にも言わなかったんですかね?
もちろん今は誰も文句なんて言わないし私も好きですよ。

その冒頭
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1楽章の冒頭がそのまま再現され、中世のお城か協会みたいな厳かな雰囲気の音楽がいいなーと思ってるとなんかいる。
第1フーガ主題の頭ですが、低弦で始まる第1フーガを阿修羅というか鬼の親分みたいなのだとするとこの冒頭のクラリネットはちっちゃい子鬼が隠れているようで・・・
厳粛な雰囲気のなかに同居する子鬼・・・面白すぎで・・ベートーベンの丸パクリなんかでは全然ないですねやっぱり。

で、第1楽章の再現部第2主題部付近にもその子鬼が隠れてる気がするんですけど・・これどうなんでしょうか?

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こことか


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これとか
トランペットが目立って聞こえるけど木管も結構やってますよね。。

多分、そんなの考えすぎで・・
この手前でホルンが第1ヴァイオリンに対してオクターブの合いの手みたいなのをやっていて・・もっと遡ると第1主題の最後でフルートがオクターブ下降に拡大してて・・とか
そっから派生したもんなんでしょうね・・・フーガなんて関係ないよってことでしょ。

でも気になるんだよなー最後のトランペットは他に何もないところでまたf念押しされてて・・・
聞こえるとドキッとするんですよね。

ありがちですがマーラーなんかでたまたま似てるだけのものを引用だ!とか騒いで意味を探っちゃってたりしたら間抜けだな・・なんて思ったりしていて

訳の分かんないこと言ってちゃいけないんでしょうね。
フィナーレの後半で第1楽章の第1主題が急に出てくるところは大変感動的ですが、
最初の楽章のこんなところでさりげなくフィナーレのを予告しているんだとしたら大変面白いです。

昔はブルックナーが好きな人というと狂信的なファンって感じで「そんなことも知らずに聴いてるのか!」なんて怒りだしそうなイメージがありましたけど、これ読んだ人もやっぱりそう言って怒るのかな?

fffの位置 ブルックナー  交響曲第5番

ブルックナーの交響曲第5番 
しばらくとっつきにくい曲だと思っていましたが、いつごろだったかな急に景色が開けるように何か見えてきて、後は大好き。

嫌いな人としてはあれですかね・・・まず冒頭はみんななんとなく好きでしょ? でも急にでっかい音で全然ちがうことを言い出したかと思ったらやめちゃったり、やめたと思たらまだやってたり、なんだよこれ?みたいな感じでしょ? うんざりしたところでなんか違う音楽が始まってるし・・やたら全休止を挟んで音楽が変わるし・・・何が言いたいんだかわからないし、全然流れないじゃんか・・自分はそうでした。
協会で聴くオルガン音楽ってあんな感じなんだよね・・いろんなストップの組み合わせで、極端な変化を見せ場とするというか・・・
音楽をパッと止めて、鳴り響く余韻の中、ストップを変えて次に備える。でジャー!みたいな。
(自分はホールばっかで教会のオルガン生で聞いたことないんだけど)

オルガン音楽をオーケストレーションしようとしたんじゃなくて、これを書いたとき、この人の中で音楽とはこういうものだったんでしょうね。
この後、流れる曲を書くように変わっていきますけど、これはこれでいいですよね。
あぁこういう曲かって見えてくると各部結構ユニークな音楽で・・・もっと見えてくると全体的にもちゃんと流れがあって動いているんだよね。
第2楽章なんてミミズの引きこもりみたいな音楽じゃねーかと思って嫌いでしたが、まさにそこが魅力なわけで・・・その伴奏がそのまま第3楽章の冒頭で走り出したり楽しすぎなんでしょこの曲。

どの楽章もユニークですが、フィナーレで堂々たる2重フーガとソナタ形式の融合を見て感動していると第1楽章のテーマが颯爽と出てきて対位法的同時進行・・わー!なんて思ってもう感動しているのにあのコラール・・感動の大満足にならざるい終えないようなな・・・
多分この曲も意識したマーラーの5番のフィナーレなんかは作曲の超絶技巧を見せつけられてる感がすごいのですが、こっちは腕のある職人がひけらかすでもなく一生懸命仕事をした結果、すごいものができちゃってる的なイメージがあります。(どちらも好き)

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スコアのコラール付近を見ているとfffの指示が何度も出てきます。
オルガンだと全部のストップ全開な状態で最後まで・・ということでしょう。
このページ、最後の小節にもfffがあるんだけど、旋律の途中でちょっと不自然(えっそうでもない?)

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自筆譜があったので見ていると、この小節はページの頭であったことが判明。
ページめくってもfffな音楽が維持されていなきゃという一心で書いたfff。(えっちがう?)
作曲者自身は一度も実演を聴くことができなかったこの曲。
でも彼の頭の中ではこの音楽がずっと鳴り響いてたんだろうな・・・と思うと感動しますね。