永久に手に入らないもの マーラー交響曲第10番

作曲者の突然の死によって完成されることのなかったマーラーの交響曲第10番
この曲もいろんな伝説がまとわりついてしまっていて、マーラーはあえて作曲を中断したのだ・・みたいなのをどこかで読んだ気もしまします。曲の内容的にそんな話になるのもわかる気もしますが・・
休み中にある程度書いて本業・・続きはまた来年というのはいつもの典型的なパターンだったんでしょう?
いつも通りの毎日と、自分のやりたい未来がこの先も普通にあるものだと信じていた・・・
連鎖球菌による亜急性細菌性心内膜炎・・だそうです。今だったら抗生物質の点滴で簡単に治る病気らしいけど・・病気にかからなければ9番や大地の歌をやって、その後ステージにこの曲ものっていたんじゃないのかな・・
何度か演奏されて・・改訂稿ができて・・・そのころにはもう第12番の清書も終わって・・

完成をさせることはできませんでしたが、
演出や言い回しの詳細が一部不確定でありながらも全体の筋書きと進行みたいなものが解る程度のスケッチが残されました。
一部は不完全ながらスコア化も始められていた。
それをもとに復元ではなくステージへ乗せるための最低限の補強を行った演奏会用バージョンというものがつくられています。

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よくあるような死んだ作曲者の作風に似せて勝手に作っちゃった・・・みたいなものとは根本的にちがいます。
そんな説明を私がしなくたってみんな知っているわけですが・・

補筆の目的が作品の完成ではなくて、残されたものを音で提示するみたいな内容であり第三者による創作を可能な限り避けたため、不完全な部分も多くあります。
マーラーが好きな人であれば・・別に好きじゃなくても・・マーラーならこれで完成とするなんてことはないという事がよくわかっています・・
そこに違和感や反発を感じを批判的にとらえる人も多いでしょう。
一方で、この作曲家の最高傑作となりうるような可能性を秘めた何かを感じさせてくれる部分が多くあるのも事実です。
このバージョンをあえて聴こうという人たちはいろんなことを百も承知の上でそれでもこの曲を知りたい感じたいという人間なんだと思います。
そういう人たちには前途の批判は(笑)程度でしかないしょう。

私はこの曲も大好きです。それだけに前途の不完全さは気になるとういうか残念という思いもあります。
でも聞きたくてしょうがない・・常にここはこうあるべき・・こうするつもりだったんじゃないか・・などと想像し続けるわけですが、それは自分の勝手な創作なのであって実際にあるはずだった姿を聴くことはできない・・でも聴きたい・・・あー聴きたい・・
絶対に結ばれない相手に恋をしているみたいですね・・全然違うか・・

一般的な理解でこの曲は第1楽章のみ作者によって完成されている・・というのがあると思うんです.
それを作者による正式な作品として演奏や録音をする指揮者も多い・・・
私みたいなのが偉そうに言うのもおかしいですが、それは間違いですよね?
マーラー協会だっけ全集版とか言って出版されているあの楽譜はまだ完成に至っていないがとりあえず演奏はできるという段階のスコアによるものです。
これから埋められるはずだったのに手つかずのままの空欄部分(なければないで全休符を書くとか何かあるわけだから・・)も多い。
全集版の10番アダージョにはテューバがありません。それを完成形で作者の考えだと思っている人もいるのかもしれません。
クック版がテューバを追記していることに対する批判的な意見も見ましたが・・

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自筆スコアの冒頭を見ると楽器指定としてTubaと記されていました。
時間があれば、埋めるつもりだったのでは思います。
本当にTubaを埋めたかどうかは誰にもわかりませんが、Tubaを使わない事にしたかどうかも誰にもわかりません。
どこかで見たマーラーはTubaを使っていないのに・・みたいな主張はちょっとちがうのかなぁと・・
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ヴィオラによる無調的な孤高の序章を経て、第1主題部。
冒頭から今までのとはちがうな感があふれていますが、4小節目の第1ヴァイオリンは上の方に別案みたいなのが書いてあります。
耳にするのはこちらの方ですよね。
こういう、あの大作曲家も旋律を微修正しながら詰めていったんだな・・ていうのに私は萌えるんですよね・・
ここ、目を閉じ静かに語り始める・・・急に立ち上がり眼を大きく見開いて・・みたいな「えっ!?これただ事じゃないでしょ」感を見せつけられるというか・・・この曲尋常じゃないなと印象付けられる。すばらしいですよね・・

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同じ部分の前段階、ショートスコアがあったので見てみますとまた違うことが書いてあります。
これ、実は今も生きていてこの先で再び第1主題が出てくるところで歌われる旋律じゃないですかね。。
冒頭からちょっといっちゃってたような人が今度は冷静に話し始める・・みたいな・・すばらしいよね・・・
最初はこの旋律が頭にあったんですね、その先のを見ていくと

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今度は今の冒頭のように高い音域にメロディーが上がっていて・・
つまり最初の構想はその後のスコアと順番が逆だったんですね。
はじめ冷静に話していた人がだんだん興奮していく・・的な感じだった・・
それもいいですが、逆転させたことで衝撃的な開始ができた・・
ここに書いてある※Iとか※IIみたいなのが入れ替えるみたいなメモ書きなのかな?

第3楽章の中盤以降はこういうショートスコア、もしくはさらに前段階のものが残されているだけなので・・
完成した本当の曲の姿を知るためには「こうしたかもしれないな」という創作力が必要・・でもそれじゃ自分の勝手な創作じゃないか・・
みたいなジレンマがあるわけで・・

今できることは作曲中の過程を聴くしかないわけです・・作曲者はあの世でどう思っているんだろうか?
破棄してくれと言った・・とどこかで読んだ気もしますが、言ってるのは妻のアルマさんでしょ?あの人の証言はみんな怪しいので参考にするのは危険。そもそもこの曲は妻の不貞を告発するところから始まる音楽なんだから・・
完璧主義者の芸術家ですから、創造の途中段階であり、クオリティーの低いものを人前にさらしたくはなかったかもしれない。
半面この生まれかけの子供はかわいくて仕方がなかったはず・・日の目を見せてあげられないのは無念だっただろうなー

作者はやめてほしいと願ったかもしれない、いけないことと知りつつも、こんな曲見たり聞いたりしないわけにいかないですよね・・
もう100年たってるんだし。。リアルな臭いもしそうな人間ドラマ・・というよりもう神話でも読むみたいな気持ちで・・