かえるのうた

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毎年、隣の田んぼに水が入ると蛙が鳴いて、夕方以降その圧倒的大音響の前では音楽鑑賞どころではなくなる・・・
はずだったのに今年はなぜか聴けてる・・
休耕田だからかぁ・・でも去年は鳴いてたけどなぁ・・卵がかえる場がないんだもんな。世代が尽きていなくなっちゃったのかな・・
昨年気付いたんですが、バロック音楽・・とりあえずバッハの音楽はバックで蛙の声が大音響が鳴り響いていても関係なく聞けるというか楽しめることが判かったんですよね。
絶えず音で埋まっているから?・・
なんでなのかを分析しようにも・・蛙いなくなっちゃた・・
よしこれからはこの時期はバッハを聴いてやる・・なんて思っていたんだけど・・

いなくなってみると寂しかったりして・・もうもどらないんだよね。
こういう事ってあるよね。

バッハについてなにか・・
ブランデンブルグ協奏曲第3番ト長調 BWV1048
小学校で給食の後、片づけを即す音楽が放送で流れていたんですがそれがこの曲の第1楽章でした。
初めて買ったCDが何もわからずに選んだカラヤン・ベルリンフィルのものだったんですが、まさにその演奏だった。
何も知らずに買ってきたCDを聴いていたら給食の音楽が鳴りだして偉くびっくりしたあの日のことを今でも覚えています。

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弦楽合奏と通奏低音によるこの曲は2つの楽章がたった1小節のAdagioを挟んでつながっています。
この小節には2つの和音が書かれていますが、チェンバロを弾きながら指揮をしたバッハがここで即興を入れたんだろうと言われているようです。
弦楽器が主役の曲だからということで、ヴァイオリンがソロをとる演奏も多いみたいだ。

最初に買ったカラヤンのは弦楽器が神秘的に奏する和音の上でチェンバロがアルペジオを弾いてトリルでしめるみたいな感じ・・
ずっとそれを聴いていたのでそういうもんだと思っていたけど、ここだけロマン派みたいになっちゃってる気もしないでもない。

適当にYouTubeを聞き流すと
やけに凝った即興演奏を長々とやって最後の最後に弦の2つの和音を伴い終止する。
二つの音を長めに伸ばしてそのうえでチェンバロが軽く歌う。
普通に二つの和音を弾くだけ・・チェンバロもただのアルペジオ。
等・・いくつかのパターンがありますね。
実際はどんな演奏をしていたんでしょうね。

即興の名手だ的に長くやるのはいいけどそれなら初耳にも訴えるキャッチーな何かを聴かせてもらいたいなぁ・・
前後のあの生き生きとした音楽の間に、地味な魚のほしたのみたいな演奏を聴くのは違和感があるんだけどなぁ・・・
お前の耳が鈍いだけだろという話かもしれませんが、私の好みなのでどう感じようが勝手でよね。
しかしさらっと和音だけってのもないだろう・・なんだよそれ・・バッハがそんな音楽を頭に浮かべたりしたかなぁ?
(私の勝手な考えです。すみません)

自分の勝手な好みは、あんまり重くて長いようなソロより、弦の和音の上に載って単旋律がさらっと走り回るみたいな・・
みんな前半の音でいろいろやるけど、最初の音符にはフェルマータついてないから後半でセンス良くいろいろ語るっていうのはどうですか・・
どうですかじゃねーよという話ですが。

隣の休耕田が今後どうなるかが気になります。
しばらくは草も伸び放題で荒れていました。
最近は時々草刈りをしに来てくれるけど、疲れちゃうと帰っちゃうみたいなので虎刈りみたいになってる・・
「水を川から入れるんじゃなくて湧水を直接引いているんだからいい田んぼだよ」と人は言う。
田んぼを借りてでもやりたいという人もいるそうだ。
でももう貸して田んぼにする気はなさそうかな・・
家が建っちゃったらもううるさいとか言われて音楽きけなくなっちゃうのかな・・
市街化調整区域とかいうのはどうにでもなっちゃうもんらしい・・
そうなるともう何を楽しみに生きてけばいいんだろうか・・
色々書かせていただいてるんですが空間的音楽情報鑑賞に萌えているのでヘッドホンで音楽は悲しいです。
聴けないよりはいいでしょうけど・・
お金をかけて防音室化するか・・そんなお金ないか・・
家族怒るかな?
バッハが一時期仕え、ブランデンブルグ協奏曲を書くきっかけになったらしいケーテン侯という人は大変な音楽通だったという。
なのに嫁さんが音楽嫌いで音楽熱が冷めたと書いてあった・・・
そんな王様みたいな人でもかーちゃんに怒られて大好きな趣味を諦めちゃたりすんのかと思ったら笑えてきて泣けてきた。
うちはクラシック好きではないけど音楽嫌いではないのでほんとによかった。
いやほんとに。
ありがとう。

一生もの

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今は行けないんですが、ここが大好きなんです。
いまは花も咲いて一番いいころでしょう・・

いろんな人のブログを見ていると特殊領域の追求みたいなのは興味深く楽しいし、普通に晩飯のおかずが載ってるだけなのに見入ってしまったりもします。
そんな人たちが、ふと弱音をこぼしていたりすることがあります。
みんな色々抱えているんだね。

いつも風邪をひくと治った後も2か月くらい咳が残ってしまう。医者へ行って薬をもらっても治らない。
人から「検査受けて来いよ」と言われました。心配していただけてるのと、迷惑なんだよなんとかしろよという意味もあると思う。
ありがたいし申し訳ないと思いながら「そうですね肺がんかもね」なんて悪態をついたりして・・
この歳になるとほんとに癌だったら・・という思いが一瞬よぎる。

癌で死にたくないと強く思いながら死んでいった人間を見たことがあります。
一方的に迫る死の前での無念と後悔、無力感は想像を絶するものだと思います。
日ごろ死んでもいいやなんて思って生きてきたとしたらそんな自分を殴ってやりたくなると思う。

あれを思い出すと、死ぬときの後悔を少しでも減らすことができるように残りの人生を生きたいと思います。でも難しい。
いろんな縛りを解放できず・・・

そんな中年にも音楽は鳴ってくれる。
バッハのコラール前奏曲「装え、おお愛する魂よ」BWV645
ほとんど何も知らない頃にラジオで聴き、コラール前奏曲というものを教えてもらったのがこの曲でした。



Youtubeのこれはちょっとテンポが速すぎるかな。
いろいろ探したけど、気にいる演奏がなかなか見つかりませんでした。
頭の中に勝手に出来上がっている演奏があるためでただのわがままでしょうね。


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コラールの旋律の最後の音が伴奏の上で長くのばされるというのがよくあるんですが、この曲極端に長いところがあるんですよね。
初めて聴いた時、そこに萌えた・・


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コラールの歌詞は知りませんし調べる気もないのですが、この辺りでは何かすごく熱いものを訴えています・・
生きなきゃいけない気がする。


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いったん落ち着いて冒頭に戻るかのような・・二つの声部が冒頭とは逆の立場でちょっと歌ってみて・・・やっぱりという感じで冒頭の音楽に戻る・・
この音楽はただ流れているんじゃなくて、聴こうとする人の心に向かって流れているんだという気がする・・
人は一人じゃないんだ見たいな気もする。

聴けば聴くほどやさしさに満ちているこの音楽の虜となってしまい、今でもこの曲は最も好きな曲の一つです。
確かメンデルスゾーンもこの曲が大好きだと言ってたんじゃなかったっけ・・


バロック音楽を聴いているときの楽しみに装飾音があると思う。
トリルとか前打音とか、古典、ロマン派以降のものとは違う意味というか趣というか奏法というかを持っていると思う。
バッハが息子のために書いたとかいう奏法の解説みたいなのが有名ですが、古典派以降には出てこないような多様なへんてこな記号がたくさん出てきます。
その解釈というかセンスというか演奏者によってまちまちなんですよね・・同じ曲なのに全然違うものが聞こえてくる。
またバロックの場合は何にも書いていないところにも装飾を入れますよね。名人芸的な話なんでしょうけど、、そういうものにも自分なりに好みがあるんですよね。
いいなと思える演奏とそうでない演奏・・・
トン・コープマンとかいい時はいいんですが、やりすぎでうるせーよとか思っちゃうことも・・
古い録音でトリルがロマン派みたいに下の音から始まってたりすると萎えたり・・
同じトリルでもゆっくり初めて加速して・・その具合とか・・
この曲もいろんな演奏を聴いてみると、各部色々あります。

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自筆譜を見ることができた。
紙を倹約するためできるだけ詰めて書こうとしている・・なのに読みやすく温かいバッハの筆跡。
よくは知らないですが、これは作曲時ではなく後にまとめて清書したものらしい。
書いているとき、300年後の誰かに見られると思っただろうか?

あれだけやってきたバッハだから、死ぬ時は穏やかに行けたんじゃないかな?
事実と伝説は違うのかもしれませんが、彼の最高の技術が結晶化していると思われる最後の作品は
BACH(シ♭ラドシ♮)自分の名前によるフーガ主題を登場させたところで中断したまま残されました。

最後の光を見たバッハ、
あのフーガまだ終わってないんですどうか最後まで・・・
先祖か天使か知らないけどでてきて、
「もう十分やったんだから休みなさい・・」
いや、最後まで・・
「未完で残したほうが絶対うけるから・・」

あれ、何また書いてるんだこれ
くだらないことを書いてごめんなさい。

パクリとはちがいます

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また中学生の時に・・みたいなネタでごめんなさい。
記憶があいまいですが、普段の教室が音楽室の隣だった気がします。音楽室からパイプオルガンの音が聞こえてきて衝撃を受けたのを覚えています。
冒頭から和音が炸裂していた記憶があるのでフーガじゃなかったと思う。
頭の中に荘厳な・・銀色に輝くパイプが並んでいる光景が目の前に一瞬で広がった・・
それはとても冷たくて、パイプの表面は結露して水滴がついていた・・
水流れちゃってるじゃんか・・
パイプといえば水道管イメージだったのか・・

で、バッハの小フーガト短調BWV578というのに興味を持ちどうしても聞きたくなりました。
友だちの家にはクラシックの全集みたいなのがありましたのでテープにダビングしてもらいました。

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そのときおまけ的にこの協奏曲イ短調BWV593も入れてくれたんですね。

ちょっと聞いてすぐ虜になった記憶が。
この曲、バッハのオルガン作品集みたいなCDを買えば入っていますし、BWV593という整理番号ももらって立派にバッハの作品として認知されています。
でまた有名な話ですが、これはバッハのオリジナルではなく編曲作品でオリジナルは

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ヴィヴァルディの協奏曲集「調和の霊感」Op.3の第8番
という話ですね。
こちらも有名で・・というよりこの有名な曲をバッハはオルガン化して別な魅力を引き出すということに挑戦したわけでしょう。

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音色というか鍵盤の指定が結構細かく書き込まれていて面白い・・
これはのちの誰かじゃなくバッハの指定でしょう?

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このソロが歌いだしたかと思ったら突然トゥッティが・・みたいなところに萌えた記憶が・・

バッハの楽譜には原曲にない音が追加されていたりもしますね・・
単純に楽器を置き換える、楽譜を移植するという事以上の発想でやってますよね。
と言って原曲の音楽そのものは尊重していると思う。原曲は音が足りないとかそういう事じゃない。
とても目立つのは3楽章のここ
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これはこれでいいよねぇ・・・

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バッハはペダルを書き加えて、2つの手鍵盤とペダル、3つの様相が掛け合いする場を作っています。
この先も絶えずヴィヴァルディにはない16分音符の下降音型がバッハからは聞こえてきてます。
旋律が変わってるところもある・・単なる楽器移植の編曲じゃないですね・創造が行われており、バッハの作品番号がついていることに違和感がありません。。



これを入れてもらったテープをおもちゃの様なラジカセで毎日何度も何度も聞いていた記憶があります。
しまいには自分で弾いている妄想が止まらなくなった。
私は小さなころから妄想癖があり、起きている間は常に妄想をしていました。歩いている間、授業中、食事中・・
小さな子供のころは電車の運転手だったり、なぜか焼き鳥を焼いていたり、細い道路を拡幅するとか、近所の荒れ地を造成するとかちょっと土木萌えだったなそういえば・・
音楽に興味を持ってからは演奏の妄想を常にしていた。
オルガン、ピアノ、ヴァイオリン、指揮者・・

今はしない。
何時頃止んだのか、それにどういう意味があるのか・・・わからないし、かまわない。

方向感覚

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中学生の頃、なんでか忘れたけど先生が「家にビデオデッキのない奴」とか言って手を上げさせたら私ともう一人だけだった。
うちにはファミコンも、マンガを読んだことも、夜のテレビを見る事も何もなかった。
そんなもの無くても死なないし、そんな人はどこにでもいるんでしょう。
あの頃はまだ13か14歳くらいだったんだろうか・・学校に行けばみんな明るく接してくれて楽しかったし、自分にも明るい未来が自動的に来るものだと思っていた・・

そんな家にもある時急にビデオデッキがに登場した。
家族のいない時間になら自分も見ることができる。
テープをどうしたのか記憶がないのですが録画をしました。
最初は別なので2番目はピンカス・ズーカマンのバイオリンとマーク・ナイクルグという作曲家でピアニストのリサイタル、場所はサントリーホールだったのを今でもはっきり覚えています。
バッハのソナタホ長調BWV1016で始まり次にバルトークだったけど、当時の自分にはバルトークは難しすぎ、何か上書きしてしまってバッハしか覚えていない。
それでバッハのBWV1016を毎日毎日何度も見て聴きました。



今、YouTubeでこの曲を探すとピアノはチェンバロのために書かれたことを意識した演奏・・・
この時は現代ピアノでペダルを思い切リ踏んでガンガン鳴らして・・それのどこが何が悪いの?
みたいな感じの豪快な伴奏だったと思う。だからと言って時代物みたいに変にロマンティックになったりもしていなかった。

最初に聴いて刷り込まれたというだけかもしれないけど、あれがよかった。もうテープもないけど、また聴きたいなぁ。
CDも探したけど見つからない・・同じ二人のベートーベンは売っていたんだけど・・
今でも頭の中に焼き付いていてならせば鳴ってくれる。月日も経っているし自分のフィルタがかかってだいぶ違う方向へ偏心したものに変わってしまっているかもしれない。

3楽章のこのあたり、

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ヴァイオリンが伴奏に回って、ピアノがホ長調の美しい旋律を悲しく(ホ長調なのに!)弾く部分で、ピアニストが外人がよくやるように首を横に振りながら「こんなに切ないなんて!」みたいなしぐさで弾いていたのが忘れられない。
実際聴こえてくる音楽も悲しみが深すぎて笑顔になってしまっているような忘れられないものだった。
対位法の天才で頑固じじいみたいにも見えるバッハはとんでもないメロディーメーカーでもあると思う。
こんな音楽を作るなんて・・
この部分を耳コピして壊れたエレクトーンで弾いていた記憶が・・弾けてなんかいなかったんだろうな実際は・・




サントリーホールは多分ステージが南側にあって客席に座ってステージを見ているときは南を(実際は南東?)向いているのではないかと思います。
いつも入り口を入って、階段を上るあたりまでは南を向いているつもりでいます。
でもホールに入ってステージを見ると北を向いているような方向感覚に固定されてしまうんです。
30年前、毎日毎日見ていたあのサントリーホールのステージは部屋の北側に置いたTVの中にあった。今でも自分のサントリーホールはあの中に存在し続けてるんだと思う。
頭のおかしい人みたいですが・・

今また改装中らしい・・トイレ広げてくれるかな?・・
コンサートに行けるようにもなったんだし、明るい未来がきてんだろう。

大小フーガト短調

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J.S.バッハのフーガト短調BWV578。中学校の授業で出てくるので誰でも知っているわけですね。
自分はクラシック音楽にちょうど目覚めたころでこの曲とパイプオルガンにはまりました。

うちに壊れかけた古いエレクトーンがあったんですね。
買ったものじゃなくて親戚のお古をもらってきて妹に・・
ペダルは折れちゃって鳴りっぱなしなので下に物を入れて浮かせてた。
学校の音楽資料集みたいなのにはこの曲の楽譜が載っていました。
もちろん弾けるわけはないし楽譜の読み方もわからない・・
五線の一番下の線がミだという事は知っていた・・それを頼りにそこから何番目かを数えて鉛筆で音名をふった・・ソーレーシーラソシラソ・・・みたいな。
ヘ音記号もリズムもわからなかったけど、友人の家でテープにダビングしてもらったのを何度も聴いて・・無謀にもエレクトーンで弾こうとした・・
それが私の音楽活動の第1弾です・・・第2弾なんてないんだけど。
多分音楽をやっている人からすればそんなの音楽じゃないしやったとか言うなというところでしょう‥
足鍵盤は最初からあきらめていました・・毎日少しずつ少しづつすすんで後半のハ短調の主題が出てくるあたりまでは両手で弾けるようになったんですよ。
まぁ。人が聴けばそれは弾けているとは言えないというようなものでしょう‥



誰に聴かせるわけでもなく、毎日毎日弾いて喜んでいた・・

小フーガト短調があるなら大フーガト短調もあるのか?なんて思っていたら実際あって、初めて買ったCDに入っていました。

幻想曲とフーガト短調BWV542
重くて長大なフーガに圧倒されましたが初めて聴いて時にびっくりしたのは

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この小フーガト短調の終盤、最後の主題の前に第1声部が祈りの言葉みたいなのを歌っていてな好きだったんですが

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おなじ旋律が大フーガの中で主題の対旋律として何度も登場していた事でした。
別に引用とかなんとかという事ではなく、たまたま同じ旋律が書かれただけなんでしょうけど・・・



ちょっとせかせかしてると自分は感じるけど・・

バッハのオルガン音楽を色々聴いていると短調の曲でも最終和音は必ず同主調の長調和音で終わるという事に気づきます。
最後に救われて空へ登っていくかのような・・
バッハは神に向けて作曲演奏していたからじゃないかと思うんですけど・・

この曲は珍しく前半の幻想曲の最終和音がト短調のままなんですよね・・・
フーガの最終和音はト長調になります・・
次が来るからいいのか・どこかの教会のオーディションみたいなのを受けるとき弾くためにこの曲作曲したんだっけ?
その時に受けがいいようにその地域の流儀に合わせたから?

でまたいろんな楽譜を見てみると長調で終わることになっている楽譜も見つかるわけですね・・

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ト短調で終わる版。

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ト長調で終わる版


この人は長調。

この曲は自筆譜あるのかな?
どっちで書いてあるんだろう?

偽物だと知っても好きなら本物。

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バッハの・・クラシック音楽の中でもっとも有名な1曲かもしれないトッカータとフーガニ短調BWV565

これなんですが、冒頭部分ならほとんど誰でも聴いたことがあるんじゃないかと思うんですよね。
皆がバッハの代表作だと思っていて、
バッハのオルガン曲集みたいなCDを買えば必ず入っている、それもトラック1に・・
インパクトのある冒頭に聴き映えのする音楽が続く・・私も嫌いじゃないですよ・・

この曲、バッハオルガン名曲集の頭に必ず入っていたりするのでマヒしがちなんですが・・・
実は全然バッハらしくないと思うんです。
バッハのオルガン音楽が好きで自由曲を色々聴いたことがある人なら誰でも一度は考えることだと思うんですけどどうですか?
ものすごく乱暴で単純な言い方をすると、バッハにしてはあまりにも単純すぎな上に外面的な効果を狙いすぎ・・
もとはヴァイオリン独奏曲だったんじゃないのかという説もあるそうですが、バッハの全ての曲にあるいくつもの声部が複雑に絡んでいる感が感が・・全然ない・・
いつもなら各声部がそれぞれ自由に動いた結果としてその瞬間瞬間にいろんな和音が生まれる・・実際はここでこういう和音みたいなのも狙って高度に計算してるんでしょう・・なのにこの曲単純に最初から和音狙いな箇所がいっぱい・・
構成的にもフーガとそうじゃない部分が混在している感じでメリハリがない・・
というより厳格なフーガが全く書けていなくて、効果を狙ったようなもので何とかしてあるような・・・
もう一つ、ニ短調のまま終わるというのもかなりイレギュラーな感じがする。
短調の曲のほとんどが同主調の長調和音で救われるように終わるというのがバッハのオルガン音楽の特徴だと思うんだけど・・

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オクターブユニゾン・・・ずっと・・・バッハこんなのやるかな?

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フーガが始まる。
主題を歌った声部が全然違う形の対旋律となって歯車みたいに別声部の主題に嚙み合わさる・・
という面白さを高度な技巧で徹底的に追及するのがJ.S.バッハなのに、この曲対旋律が主題とおんなじ動きでハモっちゃってるんですよ・・
いくつかの声部が動いていそうで、動きとしては一本しかないじゃんという場面がかなり多くあるんですよね・・・
作曲の勉強で若手がこんなの書いたら田舎へ帰れくらい言って怒られるんじゃないの?
あのバッハがこれでよしとしたかなぁ?

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このページなんか見てるともとは独奏ヴァイオリン曲だろ説もうなずけるような・・・
私はバッハよりも後の時代の別人の作品なんじゃないかと思ってみたりしています。
でも、この曲が嫌いかというそんなこともない・・これはこういう良い曲。

仮にこの曲が別人の手によるものだという決定的な証拠が発見されたらどうなるでしょうか・・
バッハの作品集からは除外されるでしょうが、「以前はバッハの作といわれていた」みたいな説明付きで演奏され続けるだろうし、オルガン名曲集のトラック1に収まり続けるんじゃないかなぁ・・・
聴き映えがしていい曲だし、聴かれ続けると思うんですよ。
そうでもないかなぁ・・・



自分もそうなったかもしれないので偉そうには言えないのですが・・・・
数年前、一部で大絶賛されたらしいオーケストラ音楽が別人の作だという事がばれたという事がありました。
よく知りませんが、その後曲は演奏されないし、それを望む声があるともきかない。
論理的には本当にその曲を聴いていいと思ったのなら、作者が誰であろうと、目が見えようが見えまいが、芝居だろうが嘘だろうがそれとは関係なくいい曲だから好きだと主張し続けてもいいはずなんでしょう?
実際できないでしょうけどね話が陳腐すぎて・・
この件一般人はテヘヘとか言ってればすむ話で何の問題もない訳ですが、絶賛した中に音楽評論家がいたらしいですね。
こういうピンチな状況で人を唸らせるようなことを言えれば逆に株を上げるチャンスでもあるけど・・どうだったのかな・・・



バッハのトッカータとフーガニ短調はもう1曲あります。
ドリア調と呼ばれたりするBWV538です。
こちらはバッハだなーと感じる。
文句なしに大好きな曲です。
この曲の楽譜は作曲者による鍵盤の指定があります。
あぁ、こんな風に弾いてたのかぁ・・と思いますね・・書いてないことのが多いので・・
いつもは指定がないのは多分そんなもん毎回その場で変えていく、そこも含めて職人芸・・だったからかな?
なんでこの曲は書いたんだろう?
宝永10年とかですよ書いた年・・
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フーガの後半、ペダルに長いトリルが出てくるんだけど8分音符でその序奏みたいなのが書いてあるんです。
バッハがどんな演奏していたかを聴いた気がするんですよねここ。

奇跡が起こってバッハの時代に行けたら・・
思うんですけどちがう世界でちがうものを見て感じて食べて育ち生きている私たちにも、彼らが良いと感じるテンポや演奏のスタイルを同じように良いと感じられるんだろうか?
意外と同じなのかな?感覚・・

すごすぎるおやじ バッハ

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どこかの自治体で誤って広報無線で「ミサイルが発射された」みたいな内容を流してしまったという事故があった。
機械の操作ミスか何かですかね。
聞いた人はびっくりしたでしょう。緊張感がないとか言って怒られっちゃうんだろうけどまぁしょうがないよね。
ブログ記事、思いつくとネタをメモ的に書きためているんですが、もともと緊張感なんかない私なので下書きのつもりのブログ記事を間違って公開してしまうことはよくあります。
またやっちゃいました。ブログでよかった・・

書きためるといえば・・
バッハ・・に限らずあの頃のああいう人って・・教会歴だっけ、宗教行事みたいなのに使うための音楽を毎週作曲していた時期があるんですよね。
作曲だけしていればいいのではなく他にもいろいろ仕事もあったでしょう・・
すごいよね。
今から振り返れば芸術家ですが、当時は協会の宗教的行事や貴族の要求する何かに対応すべく毎週、音楽を量産する職人だったんですよね・・
やっつけ仕事的な人もいたでしょうが(いないか・・)バッハみたいに300年後の人々を魅了する音楽をいくつも・・・

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有名なブランデンブルク協奏曲第3番・・
に似てるけど管楽器パートがある・・
カンタータ第174番の第1曲目ですね。


こうした転用はよく行われたようで、この曲はとくに有名なようですね。
手塩にかけて生み出した作品も、一度演奏されてそれきり・・という時代・・
忙しくて間に合わないから・・・ではなくて多分、かわいいわが子にもう一度光を当ててやりたいという愛のようなものが転用の動機だったのではないかと思います。

バッハが原曲に対して管楽器パートをどんなふうにのせているかをよく見ると、原曲をどんなふうにとらえていたかが見えたりとかなんとか面白いことがあるかな・・