大小フーガト短調

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J.S.バッハのフーガト短調BWV578。中学校の授業で出てくるので誰でも知っているわけですね。
自分はクラシック音楽にちょうど目覚めたころでこの曲とパイプオルガンにはまりました。

うちに壊れかけた古いエレクトーンがあったんですね。
買ったものじゃなくて親戚のお古をもらってきて妹に・・
ペダルは折れちゃって鳴りっぱなしなので下に物を入れて浮かせてた。
学校の音楽資料集みたいなのにはこの曲の楽譜が載っていました。
もちろん弾けるわけはないし楽譜の読み方もわからない・・
五線の一番下の線がミだという事は知っていた・・それを頼りにそこから何番目かを数えて鉛筆で音名をふった・・ソーレーシーラソシラソ・・・みたいな。
ヘ音記号もリズムもわからなかったけど、友人の家でテープにダビングしてもらったのを何度も聴いて・・無謀にもエレクトーンで弾こうとした・・
それが私の音楽活動の第1弾です・・・第2弾なんてないんだけど。
多分音楽をやっている人からすればそんなの音楽じゃないしやったとか言うなというところでしょう‥
足鍵盤は最初からあきらめていました・・毎日少しずつ少しづつすすんで後半のハ短調の主題が出てくるあたりまでは両手で弾けるようになったんですよ。
まぁ。人が聴けばそれは弾けているとは言えないというようなものでしょう‥



誰に聴かせるわけでもなく、毎日毎日弾いて喜んでいた・・

小フーガト短調があるなら大フーガト短調もあるのか?なんて思っていたら実際あって、初めて買ったCDに入っていました。

幻想曲とフーガト短調BWV542
重くて長大なフーガに圧倒されましたが初めて聴いて時にびっくりしたのは

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この小フーガト短調の終盤、最後の主題の前に第1声部が祈りの言葉みたいなのを歌っていてな好きだったんですが

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おなじ旋律が大フーガの中で主題の対旋律として何度も登場していた事でした。
別に引用とかなんとかという事ではなく、たまたま同じ旋律が書かれただけなんでしょうけど・・・



ちょっとせかせかしてると自分は感じるけど・・

バッハのオルガン音楽を色々聴いていると短調の曲でも最終和音は必ず同主調の長調和音で終わるという事に気づきます。
最後に救われて空へ登っていくかのような・・
バッハは神に向けて作曲演奏していたからじゃないかと思うんですけど・・

この曲は珍しく前半の幻想曲の最終和音がト短調のままなんですよね・・・
フーガの最終和音はト長調になります・・
次が来るからいいのか・どこかの教会のオーディションみたいなのを受けるとき弾くためにこの曲作曲したんだっけ?
その時に受けがいいようにその地域の流儀に合わせたから?

でまたいろんな楽譜を見てみると長調で終わることになっている楽譜も見つかるわけですね・・

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ト短調で終わる版。

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ト長調で終わる版


この人は長調。

この曲は自筆譜あるのかな?
どっちで書いてあるんだろう?

偽物だと知っても好きなら本物。

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バッハの・・クラシック音楽の中でもっとも有名な1曲かもしれないトッカータとフーガニ短調BWV565

これなんですが、冒頭部分ならほとんど誰でも聴いたことがあるんじゃないかと思うんですよね。
皆がバッハの代表作だと思っていて、
バッハのオルガン曲集みたいなCDを買えば必ず入っている、それもトラック1に・・
インパクトのある冒頭に聴き映えのする音楽が続く・・私も嫌いじゃないですよ・・

この曲、バッハオルガン名曲集の頭に必ず入っていたりするのでマヒしがちなんですが・・・
実は全然バッハらしくないと思うんです。
バッハのオルガン音楽が好きで自由曲を色々聴いたことがある人なら誰でも一度は考えることだと思うんですけどどうですか?
ものすごく乱暴で単純な言い方をすると、バッハにしてはあまりにも単純すぎな上に外面的な効果を狙いすぎ・・
もとはヴァイオリン独奏曲だったんじゃないのかという説もあるそうですが、バッハの全ての曲にあるいくつもの声部が複雑に絡んでいる感が感が・・全然ない・・
いつもなら各声部がそれぞれ自由に動いた結果としてその瞬間瞬間にいろんな和音が生まれる・・実際はここでこういう和音みたいなのも狙って高度に計算してるんでしょう・・なのにこの曲単純に最初から和音狙いな箇所がいっぱい・・
構成的にもフーガとそうじゃない部分が混在している感じでメリハリがない・・
というより厳格なフーガが全く書けていなくて、効果を狙ったようなもので何とかしてあるような・・・
もう一つ、ニ短調のまま終わるというのもかなりイレギュラーな感じがする。
短調の曲のほとんどが同主調の長調和音で救われるように終わるというのがバッハのオルガン音楽の特徴だと思うんだけど・・

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オクターブユニゾン・・・ずっと・・・バッハこんなのやるかな?

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フーガが始まる。
主題を歌った声部が全然違う形の対旋律となって歯車みたいに別声部の主題に嚙み合わさる・・
という面白さを高度な技巧で徹底的に追及するのがJ.S.バッハなのに、この曲対旋律が主題とおんなじ動きでハモっちゃってるんですよ・・
いくつかの声部が動いていそうで、動きとしては一本しかないじゃんという場面がかなり多くあるんですよね・・・
作曲の勉強で若手がこんなの書いたら田舎へ帰れくらい言って怒られるんじゃないの?
あのバッハがこれでよしとしたかなぁ?

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このページなんか見てるともとは独奏ヴァイオリン曲だろ説もうなずけるような・・・
私はバッハよりも後の時代の別人の作品なんじゃないかと思ってみたりしています。
でも、この曲が嫌いかというそんなこともない・・これはこういう良い曲。

仮にこの曲が別人の手によるものだという決定的な証拠が発見されたらどうなるでしょうか・・
バッハの作品集からは除外されるでしょうが、「以前はバッハの作といわれていた」みたいな説明付きで演奏され続けるだろうし、オルガン名曲集のトラック1に収まり続けるんじゃないかなぁ・・・
聴き映えがしていい曲だし、聴かれ続けると思うんですよ。
そうでもないかなぁ・・・



自分もそうなったかもしれないので偉そうには言えないのですが・・・・
数年前、一部で大絶賛されたらしいオーケストラ音楽が別人の作だという事がばれたという事がありました。
よく知りませんが、その後曲は演奏されないし、それを望む声があるともきかない。
論理的には本当にその曲を聴いていいと思ったのなら、作者が誰であろうと、目が見えようが見えまいが、芝居だろうが嘘だろうがそれとは関係なくいい曲だから好きだと主張し続けてもいいはずなんでしょう?
実際できないでしょうけどね話が陳腐すぎて・・
この件一般人はテヘヘとか言ってればすむ話で何の問題もない訳ですが、絶賛した中に音楽評論家がいたらしいですね。
こういうピンチな状況で人を唸らせるようなことを言えれば逆に株を上げるチャンスでもあるけど・・どうだったのかな・・・



バッハのトッカータとフーガニ短調はもう1曲あります。
ドリア調と呼ばれたりするBWV538です。
こちらはバッハだなーと感じる。
文句なしに大好きな曲です。
この曲の楽譜は作曲者による鍵盤の指定があります。
あぁ、こんな風に弾いてたのかぁ・・と思いますね・・書いてないことのが多いので・・
いつもは指定がないのは多分そんなもん毎回その場で変えていく、そこも含めて職人芸・・だったからかな?
なんでこの曲は書いたんだろう?
宝永10年とかですよ書いた年・・
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フーガの後半、ペダルに長いトリルが出てくるんだけど8分音符でその序奏みたいなのが書いてあるんです。
バッハがどんな演奏していたかを聴いた気がするんですよねここ。

奇跡が起こってバッハの時代に行けたら・・
思うんですけどちがう世界でちがうものを見て感じて食べて育ち生きている私たちにも、彼らが良いと感じるテンポや演奏のスタイルを同じように良いと感じられるんだろうか?
意外と同じなのかな?感覚・・

すごすぎるおやじ バッハ

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どこかの自治体で誤って広報無線で「ミサイルが発射された」みたいな内容を流してしまったという事故があった。
機械の操作ミスか何かですかね。
聞いた人はびっくりしたでしょう。緊張感がないとか言って怒られっちゃうんだろうけどまぁしょうがないよね。
ブログ記事、思いつくとネタをメモ的に書きためているんですが、もともと緊張感なんかない私なので下書きのつもりのブログ記事を間違って公開してしまうことはよくあります。
またやっちゃいました。ブログでよかった・・

書きためるといえば・・
バッハ・・に限らずあの頃のああいう人って・・教会歴だっけ、宗教行事みたいなのに使うための音楽を毎週作曲していた時期があるんですよね。
作曲だけしていればいいのではなく他にもいろいろ仕事もあったでしょう・・
すごいよね。
今から振り返れば芸術家ですが、当時は協会の宗教的行事や貴族の要求する何かに対応すべく毎週、音楽を量産する職人だったんですよね・・
やっつけ仕事的な人もいたでしょうが(いないか・・)バッハみたいに300年後の人々を魅了する音楽をいくつも・・・

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有名なブランデンブルク協奏曲第3番・・
に似てるけど管楽器パートがある・・
カンタータ第174番の第1曲目ですね。


こうした転用はよく行われたようで、この曲はとくに有名なようですね。
手塩にかけて生み出した作品も、一度演奏されてそれきり・・という時代・・
忙しくて間に合わないから・・・ではなくて多分、かわいいわが子にもう一度光を当ててやりたいという愛のようなものが転用の動機だったのではないかと思います。

バッハが原曲に対して管楽器パートをどんなふうにのせているかをよく見ると、原曲をどんなふうにとらえていたかが見えたりとかなんとか面白いことがあるかな・・