自筆譜を見て思った

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ブラームス交響曲第3番の第2楽章
第1楽章ではすごい勢いで闘ってた人の休息の時というか・・
非常に穏やかな気持ちの・・そこへちらつく正体不明の漠然とした不安・・・
という音楽ですが、再現部に熱く歌っていたのに急に瞑想にふける・・というような部分があります。


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自筆譜を見たらティンパニのトレモロを一度は書いて削除した跡がありました。
よくある感じですよね。
ティンパニが鳴っているとここは不安を感じている感じに聴こえるかなぁ・・
この楽章は謎の「漠然とした不安」ほのめかす大事な場面を持っています。
ここはそれとは別な場面なのでここまで不安になっちゃうとあれかなぁ・・
ティンパニを削除したことによって・・瞑想をしている感じですよね。なんだか深いなぁ・・

ここで下から上がってくる十六分音符は主題からとられたものなんですが、なんかこう心の何かを表しているように感じるんですよね。
このあとこれに支えられて
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安らぎの旋律みたいなのが歌われます。

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終楽章の最後、悟りを開いてすべてを受け入れるような境地になっているところの16分音符もこれと同じものじゃないかと思うんです。

ブラームスがこの曲を書いたのは50歳くらいでしょうか・・・
私はまだ50にはなりませんが、若いころとは違う気持ちでこの曲を聴いてると最近思います。
そうかぁ‥とか思うんですよ。

チャイコフスキーがブラームスと会った時の日記だったか手紙で「才能はあるのかもしれないが嫌なやつだ」みたいなことを書いていた気がします。
グリーグだったかほかにも似たようなことを言ってる作曲家がいたと思う。
ブラームスほどの人だからチャイコフスキーの才能はすぐに理解したと思う。
でも自分と全方向性の違う才能にうまく接することができず、自分を守るような嫌味を言ってしまうんじゃないかと・・
挙句、自分で傷ついたりして・・・
何を勝手に想像しているんだという話ですが・・・

若いころ、疎外感、孤独感を感じながらふらふら歩いていた時にときにこの曲の2楽章が頭の中で勝手に流れていたのを思い出しました。
なんでそういうどうでもいいことほど覚えてるんだそう。
あの頃は曲の意味なんて考えてなかった・・ただ好きだった。
意味なんて分からなくても音楽があってよかった。



湖とオーディオとブラームス

陽気も良くて気持ちがいいし、近場でいいからどこかへ出かけようか・・
と思っているのにうちのオーディオがいまだかつてない良い音で鳴り始めて・・
空間感、定位感だけじゃなくて聴いたこともなかったような細かい音が温かみ、柔らかさ、その他いろんなニュアンスとともにそこで鳴っている・・
なんだこれ出かけられないじゃないか・・・
30年前の中学生のころになめるように聞いた盤なんかを聴いてみるともう溶けそうです。
想像するしかなかったあの場所に今降り立ち、演奏者たちと同じ時間にいる・・・みたいな
ちょっと大げさか。
何も変えてないので・・体調のせいかな?体調良くないはずなのにね。
経験的にこれずっとは続かないんですよねきっと。
のめりこんで聴いていたらひどかった肩こりが少し楽になってきました・・
音楽って素晴らしい。

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ブラームスの交響曲第2番

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第1楽章のコーダに長めのホルンソロがあります。
ブラームスはホルンが好きだったんでしょう・・いろんな曲においしいソロがあります。
ホルンが嫌いな作曲家っていうのもいないか・・
誰かがここを夕日のようだと評したそうですが、確かにそんな感じですよね。
このソロは美しい景色を前に何か強い考えが浮かんで心の中で叫んでいるようなイメージを私は感じます。

言いたいのはそれを支えている弦楽合奏で・・
基本的には伸ばしをやっているわけですが2つのバイオリンとヴィオラパートがちょっとした動きをリレーしていきます。
これ実演を2階席から聴いていた時、弓の動きがパート間で移動していくんですが波が動いていくように見えたんですよね。
ブラームスはこの曲を湖のほとりで作曲してるんですよね。
湖の向こうの山へ沈む夕日・・
そんなに思い切り風景を描写しようとしたわけではないと思いますが・・なんかこういいですよねぇここも。
家で聴いていても音が移動していくのを聴きとることができます。
作曲時は対向配置だからちょっと違う感じだったのか・・

これ、同じ音の繰り返しでもあるので再生系がチープだとただ同じ音型が3度繰り返されるだけに聞こえてしまうかも・・・
それでは悲しい・・
音楽って、音が聞こえるだけじゃないとおもうんですよね。
私がオーディオに求めたいのはなんかそういうの・・

電柱と雷とブラームス

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家のそばの電柱。近所の人になんの写真撮ってるの?と言われて返答に困りました。
ちょっと写ってるこの森にはフクロウが住んでいます。
私がそうだというわけではないですが、電柱にもマニアがいます。面白いんですよ結構。
電柱の電線て3本一組ですが・・興味ないかそんなの。
見にくいですが柱のてっぺんに細い線が一本のっかっています。これを架空地線と言います。
「かくう」じゃなくて「がくう」と読んだら電気屋ですね。
地面と同じ電位にしておいて雷に向かって「余計なとこへ行かないでここに落ちてください」と言ってるわけなんです。
配電線レベルじゃあんまり効果がないんじゃないかという事で最近の電柱にはつけないみたいですね。

こういう、みんなが信じてたけど違ったみたいなことってありますよね。
赤チンの効果とか。
20年以上前、住宅密集地に毒ガスがまかれ、多数の死者が出るという事件がありました。
報道などにより日本中が犯人に違いないと信じたその人は実は犯人ではなく一番の被害者でしかなかった。
音楽もそうじゃないかな・・この曲はこういう音楽で・・皆が信じてるのも・・のちの勝手な誤解を勝手に信じてるだけというのが結構あったりして。

雷といえば、作曲家を刺激するらしくいろんなな曲に出てきますね。
避暑地の美しさに触発されて書いたらしいブラームスの交響曲第2番
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第1主題が一段落したところのティンパニ。
美しい午後のひと時、遠くで雷が鳴っているのが聞こえる・・・
夕立が来るのかな?・・遠いからな来ないか・・みたいな
結局来ないけど・・
いいですよね・・ここ・・

この曲、ブラームスの4つある交響曲で唯一テューバが使われています。
劇的な3曲ではなくて、ブラームスの田園交響曲なんて言われるこの曲にテューバというのが面白いですね。
何かテューバって派手でうるさい曲に入ってそうでしょ?

テューバほど柔らかく包み込むような音の出せる楽器もないだろみたいな話もあるんですけどまた・・

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ここで2番を着想したそうです。

悲劇的序曲は悲劇的なのか

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マーラーの「悲劇的」について書いてたらブラームスの悲劇的序曲が頭に浮かんできちゃいまして・・
こちらは作曲者が命名したんでしたよね?
冒頭、運命の衝撃のような2つの音で始まるわけですが、・・マーラーのハンマーみたいなもんですよねこれ。
この曲、変形ソナタ形式ですがおおざっぱに言って第1主題からは悲劇的な運命・・圧倒的で迫りくるもの、第2主題にはそれと闘おうとする人間の心、勇気、希望、あたたかさ、みたいな者を感じます。
ネガティブな運命と戦っていく人間の意志とか姿が描かれて(この曲、決して標題音楽ではありませんが・・)います。
基本的にブラームスってそういうの好きね。

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第2主題は2つの旋律が寄り添い絡み合うようにできていて、一人ではないという事が勇気につながっているような気がして大変感動的です・・
交響曲第1番も過酷な運命に苦悩しながら立ち向かう姿なわけですが、あちらは必至感がすごく気を抜くと沈没みたいな感じもするのに対して、こちらのほうが大人の余裕というか、なんかそんなのが感じられる気も・・寂しいのかなと思うとこも・・

最初の厳しい第1主題が終わった後、
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このテューバの一言をきっかけに空気が変わり、あの暖かい第2主題へとつながっていきます。
これ重要だと思うんですよね。
ブラームスは反ワーグナーはを装わなくてはならなかったせいかテューバをあえて避けていたようにも思えます。。
実際はそんな理由じゃないでしょうけど。
2番とか、ドイツレクイエムとか使った曲もありますし。
そのブラームスがテューバに重要な役を与えています。
私、出来損ないですが自分の楽器がテューバなのでここ大好きなんです。

再現部での該当箇所は
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私はこの付近にこんな視覚的イメージがあります。空は分厚い雲で閉ざされている・・一面の葦原・・遠くには鉛色の海・・・
バイオリンがオクターブでのばしていますが、2小節目の前2拍、ほかの楽器一切が沈黙し、このオクターブだけが浮き彫りになります。
このオクターブだけが光ったところ、厚い雲が途切れて光が差したように感じるんです・・・
そしてまたあの暖かく力強い第2主題を迎える・・・・

この曲、闘っていますが、決して負けていませんよね。
厳しいニ短調で閉じられるのですが、その最後は消して悲劇に負けてボロボロになっている姿ではありません。
”闘いは続く・・(やってやるぜいつでも来てみろ)”みたいな力強く肯定的な終わり方だと思うんですね。。
この「悲劇的序曲」もきわめてポジティブな音楽だと私は思うんですよね、で大好き。 

ブラームスのこれも、マーラーのあれも決して標題音楽ではなくて絶対音楽なんですよね。
具体的な説明書きなんかあるわけないよ見たいな。
でも聴けばかなり具体的な何かを強烈に表現していて・・ロマン派の音楽ってそういうものなのかもしれませんが、この2人の音楽って違うようで強く結ばれた同じ一本の路線の上に乗っかってると思うんですよね。。

気の持ちようで景色も変わる

気の持ちようで赤いものも青く見える・・・・・・・・
暗い気持ちが長く続いているとき、別な側面に気づくことができると意外にも今幸せなんじゃないかと思えたり・・
なかなかそんなふうにうまくやれないけど・・・・

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この若いブラームスのピアノ協奏曲第1番ニ短調、
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1楽章のオーケストラによる提示の締めというかピアノが出てくる直前に盛り上がっている部分
この直前までニ短調の厳しい音楽が続いていましたが楽譜を見ているとこの部分はニ長調で明るく響くはずなんです。
でもなぜか昔から自分にはこの部分も引き続きニ短調の暗い音楽に聞こえてしまっています。
多分、ティンパニを休みにしてみるとニ長調に聞こえるんじゃないかと思ったりしています・・
これ、私だけなのかな・・間違った聴き方になっちゃってんのかな?
大変厳しい音楽ですが、ここが明るく響くと何だかさらに深い感じになっていいかな・・と思うのに・・・なんで・・

この曲、冒頭から最高ですよね。
ニ短調とか言ってベースとティンパニがDを伸ばしてますが、すごい勢いの第1主題は変ロ長調主和音でできてますよね・・・
再現部なんかDの伸ばしの上でホ長調主和音ですよ・・・ものすごく厳しいのに笑ってぶつかってんですよ・・
なんだよこれ・・

なんだか重くてとんでもないことになっちゃってそうな交響曲が始まったような・・
シューマンとかメンデルスゾーンとは全然違う、のちのネオ古典派みたいなブラームスとも全然違うロマン派の爆発系作曲家ですよね。
この路線のままずっと行ってたらどうなってたのかな・・3管編成でティンパニも2対出てくるようなブラームスとか・・

自分が信じる方向に進んで結果的にあの素晴らしいブラームスになっていったんでしょうけど、
周りが爆発系ロマン派やって盛り上がっちゃってたから、あえて俺はとか言ってネオ古典派でつらぬこうとしたのかななんて思ってみたりもして。そんなわけないか。

本当はマーラーみたいなのも書けたりして・・いややりたかったりして・・
本当はブルックナーの音楽も好きだったんでしょう?立場的に騒ぎになっちゃうから公言しないだけで。

どこか50年後に発見されるような引き出しにそっと内緒の作品を隠しておいてほしかった・・

妄想入りすぎですね。

ヨッフムLPOのブラ1でティンパニ

ブラームスの交響曲第1番のフィナーレ、ブラームスはあえて古典的編成にこだわっているのでティンパニはCとGしか使いません。
これより前に書いたドイツレクイエムなんかではもっとロマン派的なティンパニをやってたんですけど・・・

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その終盤、感動的なコラール、ティンパニはずっと休み。最後の2つ、ほんとはFなところにCを突っ込む・・
で、オイゲン・ヨッフムとロンドンフィルのCDだと


ここティンパニーが楽譜にない音をたたいてますよというネタ。
そんなのみんな知ってるよという話かもしれません。
ちょっと笑っちゃうのは、どうせやるんだったらガンガンやればいいのに、楽譜にない音は結構控えめなところ・・・
最後のC-GもF-Gにしてもよさそうなのにしない・・・
一応、楽譜尊重なんだ・・・

こういうの、誰がやろうっていいだすんだろ?
リハーサルでやりたい口のティンパニ奏者がやってみて・・指揮者も文句言わずに笑ってるからやっちゃったみたいな感じ?
指揮者が、ここベースに重ねられる?とかいうの?

これ、手前の盛り上がり感もいいですよね。
指揮者とかオケの乗ってる感じが見えるよう・・・
現場にいたら感動するだろうな・・ティンパニが何たたこうがもう関係ないかも。

ブラームス交響曲第1番で

ドイツ音楽の総本山みたいなブラームスの交響曲第1番ハ短調。
中学生のころから30年くらい聴き続けてきました。
この曲を好きだといえないとダメ聴衆みたいな気がして無理やり聴いていましたが、正直のちの3曲とは違う何かを感じ、特に1楽章があまり好きではなかった。
この曲に開眼したのはつい最近、40歳を過ぎてから・・あるドイツの指揮者とオケの実演を聴いたとき。
ティンパニが歌ってたのが忘れられない。この音楽の現場の人たちというか、自分たちの音楽を、この曲こういう音楽だよ!と教えてくれた気がする。

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第1楽章提示部 第1主題部の後半

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再現部の同じ箇所。
まずペザンテなんて書いてあるところがまだあの髭じゃない若いブラームスだなと感じます。
再現部では提示部とほぼ同じ内容が再現されていますが、最初の高い音で吠えるチェロとコントラバス、提示部ではffだったのに再現部ではfひとつなんですね。(その分、提示部では黙っていたホルンとコントラファゴットが加勢してきます)
同じじゃないんだという事でしょう?
これみんなちゃんと聞きわけてました?
私はずっとボーっと聞き流してました。
というか演奏者もちゃんと弾きわけてるかな?これから聞く楽しみが増えたかも。

答える第1ヴァイオリンも音は同じことをやってますが、再現部では、A線のほかに隣のEの解放弦も鳴らせという指示が追加になってますね。提示部とおんなじだと思って聴いてたら間違いだということですよね。
ボーっと聞き流さないで、意識して聴けばちゃんと解放弦の音聴こえます。ああ楽し。

その下の低弦が半音階で下がっていくところ、ベートーベンの延長なんかじゃないブラームスの世界ですよね・・この半音階感もしっかり感じ取りたい。。

おっさんになって、もう面白いこともないかと思いましたが、まだまだ・・
音楽細かく聴いてやる。。


ブラームスを初めて聴いた思い出

聞かれてないのに昔話を始めたら老人である。
興味深い話を聞かせてくれる人もいるが、大抵は、相槌を打つのもめんどくさいような・・
これも後者だろう。

クラシックに目覚めかけのころ、まだ何も知らず、何もなかった。
教育テレビで毎週土曜の夜にN響の演奏を流す番組があったので毎週楽しみにしていた。
司会が芥川也寸志でなかにし礼、木村尚三郎が何か少し話す。冗談を言っても品があり、あんな大人になりたいと思っていたが、それがどんなことか当時はわからなかった。
今でもわからない。

ブラームスのピアノ協奏曲第1番二短調をやった回があった。
何も知らないのでブラームスというと
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この髭とハンガリー舞曲第5番くらいしか知らなかったので、田舎の詐欺師がジプシー音楽をやってるみたいな訳の分からないイメージを持っていた。

詐欺師の田舎音楽が始まると思って待っていると曲が始まったが、冒頭から唖然とした。
トリルがいっぱいで気味の悪いこの音楽はなんだ!?でも田舎音楽じゃないぞなんだこれ・・と圧倒されていると静かにピアノが入ってくる。この世で一番美しい音楽はこれじゃないのか・・とその時思った。・・びっくりしている間に50分はあっという間に過ぎてしまった。
ブラームスってすごい!
どうしてもまた聞いてみたくなり、翌日の2時ごろ再放送があったので録音することにした。
偏屈な家だったのでビデオなんてない。よそからもらったラジカセがあったが、そのラジカセにもテレビにもLINE端子なんかない・・
仕方がないのでテレビにイヤホンをつなぎ、ラジカセのマイクにセロテープで張り付けるという暴挙で対応した。
テープも持っていなかったが、従兄のお下がりの英会話教材テープをつぶして録音した。
プロテクタがかかっていたが、ツメの代わりにセロテープを貼ると録音できる事には気づいていた。
もちろん英会話なんか一度も聞いてない。
いざ録音。。曲の途中でテープが終わってしまい、オートリバースなんてあるわけなかったのであわあわ言いながらひっくり返した。2楽章の再現部に入ったところ、途中から始まるその位置が今でも耳に焼き付いている。

そのテープは何度も何度も聴いた。あらゆる場所が好きになってしまった。
この曲を書いたブラームスは
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このブラームスだろう。
のちの古典的フォーマット内で自分の音楽を表現しようとする彼ではなく、抑えられない気持ちがそのまま出ているロマン派そのものの音楽。
当時はそんなことよくわからなかったけど。

死ぬまでに解決したいことが一つある。
こんなに心に残った演奏なのに、ピアニストが誰だったかわからないのである。
見たのは多分1987年、NHKアーカイブスだったかそんなのを見てみたが範囲外な感じで分からなかった。
指揮者の名前は後半がカリーデスだったと思う。芥川がギリシャの指揮者と言っていた記憶がある。
検索するとそれらしい人がいるので多分その人だろう。
ピアニストは黒ひげを蓄えていた。。見た目的にルプーだったのかなと思っている。
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ルプーの同曲CDを聴いたが、第1楽章第3主題後半の特徴のある歌い方が記憶にある演奏と同じだ。
他にも記憶にあるあの名演と似ている部分があった。
でもこの盤は愛聴盤にはならなかった。

ルプーもその後なんだか気難しい感じになっちゃったんだっけ?

ブラームス交響曲第3番への誤解

ブラームの交響曲第3番について、聞き比べネタを書こうと思ったのですが、この曲についての考え自体が変わってしまったのでそれを書かせてください。
大変有名な曲でこの曲を愛する人もたくさんいるでしょう。私のような虫みたいなのが、なんか書いているのを見て不愉快かもしれません。虫の言う事と思って無視してください。

ブラームスの英雄交響曲と呼ばれることのあるこの曲、表題のない絶対音楽でありながら全曲を通して大きな何かが描かれていることは間違いありません。
マーラーが演奏会で指揮した曲のリストを見たことがありますが、その回数から彼もこの曲を気に入っていたんだと思います。ちなみに、4番は内容がないと嫌い、一度も指揮しなかったみたいです。(もちろん内容がないわけないですが)
私はこの曲を高校生くらいで初めて聞き、以来好んで聴いてきました。
本当につい最近、昨日まで、この音楽はある人間が闇との戦いに打ち勝ち、平穏な心境で終わっていくという曲だと思っていました。
でも今、そうではないと思うのです。
この英雄は若く、勢いのある・・という人物ではありません。人生の真昼を過ぎ、自分の死までが視野に入った・・厄年を超えたような。。。
ブラームスは生涯一人でした。でも彼だって、家庭を望んだし、当然自分にもそれができると思っていたと思うんです。ある時までは。

曲知らない人のためにざっと・・説明のために細かいストーリのようなものを書いていますが、本来あまり細かく描写的にとらえて聴く曲ではありません。念のため
第1楽章はこの人間(英雄という言葉はちがうと思う)の姿。強い意志を持ち、ダンディで・・

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第1楽章冒頭
ここ知らないと後半の話が分からなくなるので音もつけましょう。

最初の3つの音はモットーとか言われていて、自由にしかし豊かに・・だったっけ・・何度も出てくる重要なものです。
続くヴァイオリンの力強い主題がこの人間の意志というかこの人自身。


極めて重要な第2楽章。68.png
ブラームスらしい木管中心の音楽で始まります。休息の時というか・・すばらしい・・そこへ

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練習記号Cから・・なぞのネガティブな音楽が・・・漠然とした不安・・しかしその正体はみえない・・
(本当はわかってるんじゃないのか・・)
3部形式なのでまた冒頭の音楽が変奏され曲を閉じますが、終わりにまた一瞬不安がよぎります。。



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寂しさが花になって咲いたような第3楽章を経て


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暗く怪しい世界。また不安主題が現れ、その後の緊張が何に対してであるかを暗示します。・・厳しい態度で突き進む・・素晴らしい音楽。

そして、、
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クライマックス。第2楽章でほのめかされた漠然とした不安がついに実体化し、この人間はそれと向かい合います。
トランペット他の3連符+2分音符は不安主題の変形であると同時に間違いなく(ベートーベン交響曲第5番の)運命主題でなのあり、漠然とした不安とは避けられない運命(私の今の考えでは一生孤独だということ)であったことがはっきりと示される。

ここで、私は思い違いをしていました。この戦いの場面で英雄は運命に打ち勝つのだと思っていたのです。
でも違うと思う。この場を押し切るように突き進みますが、すぐ突入する再現部ではさらに厳しい戦いの音楽が続く。
勝利の叫びや安堵の表情は一切聞こえ無いんです。

コーダに入ると急に力を落とし弦楽器のさざ波のような音型にのって一見平穏な音楽となる。
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ここで運命主題が鳴っている・・これを私は、回想というか粉砕された不安主題の残像だと思っていました。
でも、残像にしてはしっかりはっきりと存在している。よく見ると光も当たっている気がする。夕日のような・・
温度もある気がする・・・・

思うのです。運命に打ち勝ったのではなく、
受け入れたのだと・・

運命を自分のものとして自分の中に取り入れた。

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第一楽章第1主題が回想されますが、あの力強さはなく、しかも花びらが散るようにその姿は消えていきます。
戦おうとする自分はもういないのです。。これでいいんだ・・・

と、一人でナルシスト的に盛り上がっていますが、私自身が厄年をを超え、この心境がわかる気がするのです。(私は結婚できましたが)
かつてどこかで読んだ、ブラームスのシンフォニーは40歳を超えないと本当のことがわからない・・
みたいなこと・・なんだよそれなんて思っていましたが、いま、そうだなーと。
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で、最後の第1主題が回想される部分、弦楽器で演奏されますが、ピアノ音楽的な分散和音でできています。
もうその姿ははっきりしていないんです。
すばらしい・・・ただ、ここ、そういいながらも聴き手に主題をはっきりと認知させることが難しいらしく、昔から弦の何本かが主題をそのまま弾くみたいなカンニング的工夫がされてきたそうです。
ということで手持ちの音源から・・
あえて演奏者は伏せます。

Aは多分楽譜通り。いいですね。泣きそうです。
Bは多くのヴァイオリンが旋律をそのまま弾いておりわかりやすいですが、作曲者の考えたコンセプトは台無しです。
屁理屈言ったって聞こえなきゃしょうがないだろ的な現場主義でしょうか。
この盤、ファンも多そうで文句言うと怒られるかな。
その後のティンパニをどうたたくかってのもあるんですが、これはトレモロでなく楽譜の通り数刻んでますね。。
Cは昔から一部で不評らしいですが、私は好きです。。フルートが加勢してますね。全然違う楽器なので弦のやってることはよく聞こえます。ただ、演奏の工夫を超えて勝手な編曲だと批判されても仕方ないのかもしれません。
ティンパニはトレモロだ。。

マーラーはここ、どう演奏したんだろう・・意外にも楽譜通りだったりして・・

今もうひとつ気になっているのは
運命を受け入れたところでずっと鳴っている弦のさざ波は2楽章の安らぎの音楽を支えていた
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この波(メロディから派生したもの)と関係あるのかということ。
そんなマーラーみたいに屁理屈いって聴くのはまちがいだ!といわれるかもしれません。
虫の言うことだと思って・・


この後に書かれた交響曲第4番は色気もなくなり、枯れたような悟ったような出家したような音楽ですね。
もうすぐ、4番の心境がよく解ると思う日も来るんでしょう。

ブラームスとスーパーウーハー

マラ4ネタを続けて書きたくてしょうがないですが、マーラーばっかりでもつまらないと思うので。
住宅事情的にスーパーウーハーなんて置けないと以前書きまして、じゃあもう書かなきゃいいじゃんという話ですが。
スーパーウーハーなんて言うとリヒャルト・シュトラウスとかいうイメージでブラームスなんか一番遠い感じですかね。。
もう一昨年になっちゃいましたか東京芸術劇場にドイツ・レクエムを聴きに行ったんですが、あそこだからオプションのオルガンも鳴らしてくれた。
たぶん32フィート管も鳴らしてた。
でいきなりですけど全曲中の山場といえる6曲目の嵐が終わってハ長調のフーガに入ったところ。
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主題が出そろってこの間奏みたいなところへ入った時、オルガンのペダルによるCが、ホール全体、地の底がなっているように響き渡った。全地上、全世界という感じで。その上にオケと合唱が作る神の巨大な神殿が出現するのを見た!・・気がした。
感動は後からついてきて、その時は驚いて釘付けになっていたと思う。
こんな人間でも、あんな体験ができて幸せです。
あの世界は、自宅では再現できません。
でも、これはもうしょうがない。

バッハでよく数字の話が出てきて3は神、4が人間をあらわす・・みたいなのありますよね。
ここもスコアを見てみると一番下のコントラバスが4(8)=人は地上に、その上、チェロとヴァイオリンが3連符=天空に神というように見えるけどこれそうなのかな?
ここの素晴らしいところは、そんなことを知らなくても、歌詞の内容を理解できなくても、この3連符は神の光に見える(聴こえる)こと。
この曲を初めて聞いたのは中学生のころ。
サヴァリッシュ、N響、フィッシャーディースカウとユリア・ヴァラディ-・・でした。
訳が分からないなりに光をみました。
ティンパニのロールもなんか空からふってくるみたいな・・
すげーって・・
家族から「おめーなんか第九でもきいてろ!」なんて馬鹿にされながら・・・
これ第九じゃねーよとか思いながら・・・

この曲を聴くと、本当に頑張って生きようと思いますよね。
フォーレのレクエムは逆に死んでもいいかもなと思っちゃいますけど。。

音源貼ろうと思ったけど、あの感動が伝わらなそうなので断念。