なんでいろいろあるのか?

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先日、プーランクの2台のピアノのための協奏曲を聴きに行ったんですが、
気になるところがありました。
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1楽章の終わりにバリ島のガムラン音楽みたいな部分・・でもガムラン音楽そのものでもない、神秘的なのに優しさを感じたりする素敵な音楽です。
ここでチェロのソロがあります。いつもうちでで聴いているのよりオクターブ高く聴こえてびっくりしました。

とりあえずYouTubeを漁ってみたら・・この曲人気なのかいっぱいありますね・・


.Allegro ma non troppo. Played by Sylviane Deferne (piano 1), Pascal Rogé (piano 2) and the Philharmonia Orchestra conducted by Charles Dutoit.
うちでいつも聞いてたのはこれです。7分くらいのところにこのチェロのソロがあります。
仮にこれを低いとすると・・・


Poulenc Concerto for Two Pianos and Orchestras with Francis Poulenc, Jacques Février and Orchestra National de la RTF conducted by Georges Prêtre.
プーランクの自作自演映像付き・・これも低いかな


- Orchestra: Orchestre de la Société des Concerts du Conservatoire
- Conductor: Pierre Dervaux
- Soloists: Francis Poulenc (piano), Jacques Février (piano)
- Year of recording: 1957
もう一つの自作自演、これは高いです。



Piano: Martha Argerich, Theodosia Ntokou
Conductor: Ricardo Castro
Orchestra: Youth Orchestra of Bahia
アルゲリッチとか・・高い


Live performance of the Concerto for two pianos in D by Francis Poulenc, played by Sara Gutiérrez and Federico Mosquera with Codarts Symphony orchestra under the baton of Hans Leenders on January 30th 2015 in the Grote Zaal of de Doelen (Rotterdam, The Netherlands).
よくわかんないけど低い・・

なんでいろいろあるんでしょうか?
作曲者が弾いてる2種の演奏も高いのと低いのがあって・・どっちが正しいの?どっちでもいいのかな?

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plaintifは悲しげ?
ハーモニクスの指示・・

私は弦楽器弾けませんし、ハーモニクスのこのなんかよくわかりません。
適当に調べるとハーモニクスってなんだか奥が深いんでしょう?
なんでも弦の半分を触っとけばオクターブ上の音・・・じゃないんですよね?
物理の勉強みたいになっちゃっててすごいですよね。
でこの楽譜はどうなんでしょうか?
この楽譜は複数の音高があり得るような解釈が可能なんですか?
低いように聞こえているのもそう聞こえてるだけ?
実は複数の版があったりして・・
何もわかりません。

どの演奏も、指板の上で指を滑らせるように移動させるから?音がつながっちゃってこうよちよち歩きみたいに聞こえるんですよね。
これがピアノと合わさって子供のころの大切な記憶・・・みたいに聴こえるんですよね・・
作者はそこまで狙っているんでしょう?

この不思議な世界が
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突然舌を出すみたいに終わっちゃうとこがいいですよね。

暗雲の正体

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マーラー交響曲第1番の第1楽章、明るく爽やかな音楽と見せかけて暗雲が立ち込めてますよの続き。
序奏が終わると明るい日差しのもと美しい野を歩いた・・みたいな音楽が提示されます。
ここだけ聴いていると本当に明るく幸せな音楽ですね。
同じ音楽が別な歌曲の中にも存在します。ほぼ同時に作曲されているそちらの歌曲も聞くとこの交響曲に描かれている世界、人間、何が起こっているのか・・が読めてくるという・・
おもしろいですがあんまりこだわりすぎてると狭く凝り固まった範囲内で曲を聴くことになってしまい危険だとも思ったりして。


この曲は交響詩として発想され、改訂を重ねながらそれを交響曲というフォーマットでまとめることを考えていったようです。
交響曲という形の中で大きな何かを表現しようという作曲家マーラーの誕生なわけです。
交響曲の第1楽章ということでソナタ形式感を明確に打ち出すべく?提示部にリピートが追加されました。
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後付けなので提示部が終わるところの繰り返しを歌いだすチェロの記述が何だかいかにも後付けです。
提示部はいくつかの要素が提示されますが、明確に第1主題、第2主題という感じではなくて連続する一つの歌みたいなイメージですよね・・
私はリピートをしないワルターのCDでこの曲の洗礼を受けたので今でもリピートに違和感を感じるようになってしまいました。

提示部が終わると再び序奏の朝霧が戻ってきます。
弦楽器の霧が一小節ずつ高い音へ登っていくんですが、各パートタイミングをずらしながら徐々に徐々に上っていくんですよね。
ぼかされているんだからぼけっと聴いとけばいいんしょうけどその変化を聞き取ろうとしてしまう癖があるんですよね。
オーディオとか言ってるとそうなっちゃうのかな。

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鳥が鳴いていたりするんですが・・
先ほどまで楽しく歌ってたあの旋律がチェロに出てきて・・・何だか不穏な空気感です・・

で13から不穏な空気そのもののテューバ登場です。
その前にヴァイオリンの霧がひそかにオクターブ下がっているんですがふと気が付くと急に暗くなってたみたいなすごい効果が出てると思います。・・・
またここでppで鳴らされるバスドラがラップ音みたいじゃないですか・・お寺の裏で鳴ったりするやつ・・・聞いたことないけど・・
欄外に”テューバ奏者がこの低い音をpppで吹けなければコントラファゴットに吹かせること”みたいなことが書いてあります。
そんなこと言われたら奏者は意地でもやりますよねきっと。それよりこの伸ばし長いんですよね。ブレスどうするんだろう?
2人いる楽器だとひそかに継いでとかできるんでしょうけど、テューバが二人というのはないですもんね。
外人だといけるのか?

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4楽章第1主題から来ているあれが早速出てきます。
今度はハープに・・・
この曲を初めて聴いたころ、ハープといえば天使みたいなひとが天上の音楽をというイメージがあったのですがここは低音で怪しく・・
結構インパクトがあった。
ここはまだ意味不明なんですが一歩進んでアウフタクト(前の小節に一つ音があります)から始まっています。

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その次、アウフタクトは無くなっちゃうんですが、三連符が8分音符2つになっている・・・これは

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4楽章、心の嵐の主題なんです。
やっと正体を現すみたいな・・

カサドシュ指揮 新日フィルに行ってきた

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オルガンのコンソールに明かりが灯ってるといいですね。

新日フィルのコンサートにいってきました。
特段このオケのファンと言うわけではないのですが最近錦糸町にはよくいってる気が。
いいタイミングでメルマガが細かく入ってくるんですよね。
とくに調べてまでコンサートへ行こうというでもないときに気になる曲名が目に入る・・
あれ?明後日なのに席空いてるのか、いくか。みたいな感じ。
メルマガ担当的な人がいて成果を問われたりしているかは知らないですが、ここにひっかっかってんのがいますよ。
行ってみたらちゃんと席は埋まってた。


プログラム
フランク:交響詩『呪われた狩人』
プーランク:2 台のピアノのための協奏曲 ニ短調
サン= サーンス:交響曲第3番 ハ短調『オルガン付き』op.78

ジャン=クロード・カサドシュ指揮
新日本フィルハーモニー交響楽団(オルガン: 長井浩美)
ピアノ・デュオ:ギュヘル&ジュヘル・ペキネル

フランス人の指揮でフランス物。
正直フランクの交響詩は初めて聴く曲でよくわかりませんでした。
魔法使いの弟子を単調にした(どうもすみません)みたいだななんて思ってた。
多分わかっていないからそう思うだけでもっといい曲かもしれないです。


プーランクの2台のピアノのための協奏曲は大好きな曲。一度生で聴いてみたかった。
この曲作者に「なぜ2台のピアノなんですか?」なんて聞いても「書きたいから書いただけだよ。意味なんて必要なのか?」とかいいそう。いわないか・・
おしゃれなところ、優しい、泣かせるところ、笑っちゃうところがいっばいでいいですね。
打楽器奏者が一人でいろいろやってんのもひそかに見せ場なんじゃないかとも思います。

2台のピアノとオケみたいな曲を聴きに行ったのは初めて。
ピアノ反響版は2台ともとっちゃうんですね・・
小さなオケ・・一見モーツァルト的なフォーマットの中にテューバがいたり打楽器いっぱいだったり・・

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1楽章の終わり、ガムラン音楽みたいなところのこのチェロソロ、いつもうちでで聴いているのよりオクターブ聴こえました。
これフラジオレットですか・・いつも聞いてるのがおかしいのかな?なんだろう?
これすごく難しいのかな?どの演奏を聴いてもよちょち歩きみたいな不安定さが・・きっとそれが狙いのそういう音楽なんだろうけど・・ここ気になるなぁ・・

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2楽章の泣かせるところもよかった。こういうの何か所かあるけどみんなよかった。
フランス音楽って感じが私はしたけどなぁ・・

アンコールでルトワルスキの二台ピアノの為のパガニーニの主題による変奏曲を弾いてくれた。
この曲好きなんですよね。生で聴けて良かった。

これは別な人たちですが、こういう曲、音だけ聞くよりやってるのを見たほうが圧倒的に面白い。
2番の人が狂ったように弾いてるのがよかった。



サンサーンスの交響曲第3番は中学生の頃テープに録音したものを本当に毎日毎日聞きました・・
この曲の演奏にはオーディオマニアが喜びそうなペダルの32フィートパイプがドォー!みたいなものと、
いや、そんなんじゃないでしょ音楽を聴いてよ的な演奏があると思います。
今回のは後者ではなかったかと思う。

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Poco adagioのクライマックスでペダルに32フィートの指定があるところ・・・この辺はもっとペダルを鳴らしてほしいなと思って聴いていましたが・・・
楽譜を見るとオルガンにもppの指定があるし、本当はあれが正しいのかも・・

Maestosoに入ってから・・
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こういう
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ど派手に前に出てくるわけじゃないオルガンがくっきり聴こえたのはよかった・・

よくわかってないですが、楽譜的にはオルガンの和音がずっと続いてオケのが乗ってくるところ、オルガンがさっと引くんだけど
音がぶちってきれちゃってるように聞こえたところが複数あったんですよね・・
自分の好みとは違いました。
でもいいとこもたくさんあったよ。


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最後のティンパニソロはすごい気合だった。

テューバよかった。テューバブラボー。
どこだか忘れちゃったけどホルンがゲシュトップで?がんばってって・・あれ?みたいに思ったところが何か所かあったような・・

今回はちゃんと最終和音の余韻まで聴きとれてよかった。


余計な話ですが、前回この曲を聴きに行ったときはすぐ後ろの席にクラシックは全然聞かないと思われる紳士がいたんですよね。多分奥さんに連れられて・・
最終和音が終わる瞬間にオー!っと大声で叫んでた。
奥さん?に向けた彼なりの「僕も楽しんだよ」アピールなんだと思う。きっとすごくいい人なんだよ。誰も文句を言っちゃいけない。
でもね。余韻も音楽の大事な要素だから・・
この曲だからすぐ拍手が来るんだけど、余韻にかぶってきこえてくる拍手とブラボーっていうのがあると思うんだよね。
おっさんの声で全部塗りつぶされちゃうのは・・
あの時はいい演奏だけに・・
この手の話題はすぐに「それくらいいいじゃないか」論になる。
どちらの立場もそう思う人はそうとしか思わないから議論的なものは進むこともない。
そういう人たちが切符を買ってくれるから成り立ってるんだろうとも思う。
まぁ、いいか。
おっさんまた奥さんに付き合ってあげて・・

突然思い付きで行ってみたコンサートですがよかったですよ。


デッカの録音なんかを聴いてるとオケに頭を突っ込んだようなくっきりはっきり系の・・
普段うちでああいうのを聴いていますと音楽ってそういうものかと思っちゃいますが、現場に来てみるとそんなわけないでしょ的な音が目の前にあるわけですよね。
第1ピアノが左から第2ピアノが右から・・・なんて聴こえるわけない・・
だからと言って録音が出鱈目だは全然思わないです。視覚を共わない分の情報を載せてくれている。
目の前でやってると二人のピアニストの動きが目に入ってきて、目でも音楽を聴いてますからね。
レコードという言葉は記録ですが、商品になってるあれは音の記録なんかじゃない、音楽鑑賞用に作られた作品なんだから。
私の場合オーディオに求めるのはそこです。
オーディマニアの経典みたいな原音再生という言葉は私の中では間違い。原音再生じゃ困ります。
あれはあれ、これはこれで両方を知って両方楽しめばいいんだと思う。

この間別なコンサート会場でも思ったんですが席の位置で聴こえる音が全然違いますよね・・
今まで好んで座ってたあたりは自分の聴きたい音の好みと違う気がしてきた・・

全然コンサート感想になってないかなこれじゃ・・
まぁいいか。

かぼすとCDの帯

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庭にかぼすの木があります。
花が咲いていました。
かぼすだと思っていますが、すだちだったらどうしよう・・

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うちは鹿児島では全然ないんですがなぜかボンタンの木もあります。
ボンタンアメのボンタンです。
こちらの花はまだつぼみ。
咲くと結構いい匂いがするんですよこれ。
30年もたつともう家族みたいですね。
一昨年枯れかかったように見えたときは頼むから回復してくれてと祈るような気持ちになりました。
幸い春が来ると息を吹き返してくれてたくさんの実もつけてくれました。
よかった。
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5月に花が咲いて・・実をとるのは3月頃だから8か月かけて実を育てるんですかね・・
すごいね。


人付き合いが苦手な私ですが、いろんなブログを見ているといろんな人に会えたようで楽しかったりして。
皆さんいろんな事考えたりやったりしてるんですね。
多分仕事なんかにはに全然関係ない方向でひそかに才能を発揮していたり・・
すごい苦労をされている方もいたり・・
一見何でもなさそうな内容がどこかの誰かを癒してたりすると思うんです。

少し前ある人からCDを貸していただいたきました。
演奏者のサインが入っているんだけど、水性ボールペンで書いたからはじいちゃって消えかけてるの。
ブックレットの裏側には帯が大事にしまってあった。
大事にしてるんだなーと感動しました。

30年くらい前にはネットなんかないので雑誌が情報源でした。
CDジャーナルという雑誌が300円くらいで買えた。ジャンルの分け隔てなくいろんな記事が読めたし、オーディオ系の記事も結構充実していたと思う。
バブルのさなかだったからオーディオ機器も湧いてくるみたいに沢山発売されていたし、クラシックCDも毎月新譜がたくさん出ていてレコード会社の広告も見開きで何ページもあった。
読んでるだけで楽しかった。

雑誌によくありがちな読者投稿コーナーみたいなものの中に毎月出てくる話で
「CDの帯が取れてしまうではないか・・メーカーは対策をしろ」というのがあった。
えっ?
しばらくすると「取れないようにしろという人がいますが、外して捨てるものだと思っていました。違うんでしょうか?」
という投稿もあった。回答的な投稿はなかったと思う。
考えてみると私も本の帯は破れないように大事に読んでそのまま本棚にしまったりしてるのにでもCDの帯はみんな外していた。

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でも、外した帯を捨てることができずに最初の100枚くらいはどこかに大事にしまっていた記憶があります。
最近は適当に捨てちゃう・・
それ以前にもうCD買わなくなっちゃた。

レコード屋へ行くと帯を保護するための透明粘着シートみたいなものが売られていました。それも何種類かあったと思う・・
そのほかにも盤のレーベル面に貼る保護シートとかいろいろあって1コーナーを作っていた記憶が・・
みんな心に余裕があったんじゃないかなあのころは・・

そういえば「本当の豊かさとは何か?」なんて言葉が流行ってた記憶が。







自筆譜を見て思った

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ブラームス交響曲第3番の第2楽章
第1楽章ではすごい勢いで闘ってた人の休息の時というか・・
非常に穏やかな気持ちの・・そこへちらつく正体不明の漠然とした不安・・・
という音楽ですが、再現部に熱く歌っていたのに急に瞑想にふける・・というような部分があります。


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自筆譜を見たらティンパニのトレモロを一度は書いて削除した跡がありました。
よくある感じですよね。
ティンパニが鳴っているとここは不安を感じている感じに聴こえるかなぁ・・
この楽章は謎の「漠然とした不安」ほのめかす大事な場面を持っています。
ここはそれとは別な場面なのでここまで不安になっちゃうとあれかなぁ・・
ティンパニを削除したことによって・・瞑想をしている感じですよね。なんだか深いなぁ・・

ここで下から上がってくる十六分音符は主題からとられたものなんですが、なんかこう心の何かを表しているように感じるんですよね。
このあとこれに支えられて
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安らぎの旋律みたいなのが歌われます。

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終楽章の最後、悟りを開いてすべてを受け入れるような境地になっているところの16分音符もこれと同じものじゃないかと思うんです。

ブラームスがこの曲を書いたのは50歳くらいでしょうか・・・
私はまだ50にはなりませんが、若いころとは違う気持ちでこの曲を聴いてると最近思います。
そうかぁ‥とか思うんですよ。

チャイコフスキーがブラームスと会った時の日記だったか手紙で「才能はあるのかもしれないが嫌なやつだ」みたいなことを書いていた気がします。
グリーグだったかほかにも似たようなことを言ってる作曲家がいたと思う。
ブラームスほどの人だからチャイコフスキーの才能はすぐに理解したと思う。
でも自分と全方向性の違う才能にうまく接することができず、自分を守るような嫌味を言ってしまうんじゃないかと・・
挙句、自分で傷ついたりして・・・
何を勝手に想像しているんだという話ですが・・・

若いころ、疎外感、孤独感を感じながらふらふら歩いていた時にときにこの曲の2楽章が頭の中で勝手に流れていたのを思い出しました。
なんでそういうどうでもいいことほど覚えてるんだそう。
あの頃は曲の意味なんて考えてなかった・・ただ好きだった。
意味なんて分からなくても音楽があってよかった。



バルトークの自演を聴いて思った

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バルトークのピアノ協奏曲第2番、自作自演があったので聴いてみた。

SPですね。そりゃそうだ1938年の録音みたいです。初演から5年後。
昭和13年ですか・・
このころの録音技術がどんなものだったのかはよく知らないのですが、音的にはピアノだけを狙っていてオケはおまけ的に聴こえればラッキーみたいな感じ。
純粋な観賞用としてはあれなんでしょうが、逆にピアノだけ浮き出て聞こえるのが面白い。
ピアノが好きな人に言わせればいろいろあるんでしょうけれど、私の素直な感想は、すげー巧い・・・
自作自演にありがちなぶっきらぼうでクールすぎみたいなのもない。
こんなもの残してくれてありがとう。

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第2主題が歌ってる。

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ここもすごい・・
なんかこう・・疑似古代ギリシャ・・みたいな感じの音楽だと思ってるんだけど、その色を強く感じる。

終楽章のコーダみたいなところ・・ものすごく速い・・
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いつもは聞き逃してしまうけどこのあたりのピアノのうねりの中に第1楽章第1主題が隠されていることがはっきりわかる・・

色々面白いね・・

もう一つ思ったのはSPの盤が終わると一回音楽が途切れてしまう・・5分くらいなのかな・・
戦前のワルターとかCDも聴いたけど、うまく編集でつなげてあるのであまり意識したことがなかった。
SPってこんな感じで盤を変えて聴いていたんですね。
ワルターとか昔の指揮者が録音で全然リピートをしないのがなんとなく納得できたような・・


全然話が飛びます・・私は音楽再生で音の立体再生みたいなものに強い興味があります。
マーラーという作曲家(に限らず多かれ少なかれみんなか)の作品は何がどの位置で鳴るかということまで音楽の重要です。それを再生して感じたい・・
ということでモノラル時代にも素晴らしい演奏があるらしいことは知っているのですが、所有している音源の大半はステレオ録音です。
どのレーベルもだいたい1957年くらいからですか・・ストコフスキーのが1954年でしたっけ?

調べてみたら電気的なステレオ再生の技術についてはについては19世紀には発見されていたみたいですね。録音よりずっと前から電話みたいなのはあったんですよね・・
1881年電気博覧会の会場でオペラを中継する企画があり偶然に?そこでバイノーラルの原理が構成されていて聞いた人々を脅かせたなんて言う記述が見つかりました。
すごいよねーかなりびっくりしました。
ただ、それを記録し再生させる技術と商業化みたいなのには半世紀以上かかってしまったのか・・

モノラルでも、
歴史に名を遺す大作曲家の自作自演がいろいろ残っていて興味深いですよね。
自作自演っていうのは意外によくないもんだという話があります。
ラフマニノフが自分の曲だとどうしても控えめな演奏になる(ちょっと違うかも)みたいなことを言ったというのをどこかで読んだ気もします。
でもとりあえず面白いですよね。プロコフィエフとか動く映像も残ってて・・
蝋管によるブラームスの肉声とピアノ演奏っていうのも有名ですが、実際ほとんど聞こえないんですよね・・聴いてみたかった・・
一番聞いてみたいのはマーラー。
円盤式レコードの発明が1887年で蓄音機製造販売会社「グラモフォン」の設立が1895年だそうですから、時期的にはマーラーも間に合ったのかなぁ‥
まだ電気録音ではなくてラッパ録音だしまだオーケストラの録音なんて言うのは無理だったんだろうなぁ・・
ピアノロールも聞いたけどどやっぱりオケだよなぁ・・
きっと聴けないで憧れているからいいんでしょうね。



改訂が面白い。

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マーラーの交響曲第5番
外面的にはベートーベンの5番みたいな苦悩から勝利へという形になっています。
よくそんな解説を読みます。妻のアルマさんの話もやたらに出てきます。
そういう方向で聴いてもどこまでも掘り下げられるんだと思うんですが、自分はこの曲そういうものの露骨なパロディーじゃないかと思ったりするんですよね。
その設定を利用しつつ「卓越した作曲技法による超絶技巧オーケストラ音楽を高機能オーケストラとすごい指揮者の演奏でお楽しみください。」
みたいな側面を強く持った曲だと感じています。
これをさらに進めてユニークで実験的な作曲を推し進めてるのが7番だと思うんですよね。
あれも変に苦悩や涙論で聴こうとするから訳が分からなく聴こえて駄作だとか言っちゃう人がいたということじゃないのかなぁ・・
もう100年たってるんだし・・まぁいいか・・


この曲は楽譜に新旧版があって・というのが比較的認知されているみたいでよく書いてありますね。
この盤は旧版、この盤は新版みたいなのとか・・
ネットに量版ともあったから思いつくところで1楽章のなんか衝撃的に騒ぎだしたあたりをとりあえず・・

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旧版


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新版 追加の注意書きはヴァイオリンにできる限り厳しく・・

マーラーの改訂の特徴は音楽というか言いたい伝えたいこと自体は変わっていなくて、それが聴き手にはっきりと伝わるかというところに主眼が置かれていというる事だと思うんですよね。
作曲自体には迷いがない。
これも演奏してみた結果のフォローでしょう?
厚すぎる中低音を減らして、刺さるようなフレーズを強化・・より劇的に・・
細かいダイナミクスの指示変更なんかは練習中に指揮者がいうことみたいじゃないですか?
こうやって音楽つくて行くんでしょう・・
プロだともう指揮者の手とか顔の表情なんかで一発で変わっていったりするんでしょう?
しらないけど。

こういうのがいろんなページに沢山あるんでしょうね。
昔本の中で朝比奈隆がこういうのは演奏家側に任せてくれりゃいいのに・・みたいな事をいってた。
演奏家的にはあんまりごちゃごちゃ指定されると自分たちが信用されていないのかと思うんだそうで・・

でも全部指定して細かいところまで自分の思いどおりにしたかったのかというとそうでもない、テンポかなんか細かく書いたらその通りにしようとした指揮者がいてうざりしてたってのもありますよね。

誰が言ったんだっけ、マーラーを慕う若手指揮者たちが自演の練習を聴きに来ていた。
「そこは2本で・・そこは○○を重ねて・・」とやっていたマーラーが振り返って「もし私の曲を演奏して少しでも響かないところがあったら、同じように手を入れてくれ。君たちにはその権利があるだけではなく、義務がある」と言ったそうです。
伝承はみんな話半分で読んどかないと怪しいと思いますがこの話はマーラーの考え方がよくわかってとても面白いと思います。



この悲痛な悲鳴のような騒ぎが終わったところ・・・
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昨年、アラン・ギルバート指揮、都響のこの曲を聴きに行ったのですが、
全楽器の音が消えるこの休符をかなり強調、というか長めにとっていました。
打ちのめされてもうボロボロに壊れちゃった・・バラバラに砕けちゃってます・・・みたいな
聴きながらへー面白いななんて思った・面白がる音楽じゃないんですが・・
実演っていいですよね目の前で何が出てくるかわからないという・・

劇的な改訂で国際化してた

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いい顔してますね。

チャイコフスキーの幻想序曲ロメオとジュリエット
この曲、気のりしない感じで書き始めたんでしたっけ・・かなりの難産だったみたいですね。
作曲を提案し、相談にも乗った人がいて調性や一部メロディーを提案して・・
でもそんなことされたら余計やりにくいんじゃないかと思っちゃったり・・・そんなことないのか。

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最後はなんでしたっけロメオとジュリエットは二人とも死んじゃうんですよね。
曲のおしまいに葬送行進曲があります。
情熱的に愛を歌っていた旋律がここにいるというのがね・・・・
ここでテューバがずっと裸で伸ばしをやっているんですよね・・・結構長いなーと思って
ブレス持つのかな?なんて言うときっと怒られるんでしょうね楽器やってる人には。
ホルンとかバスクラじゃなくてテューバ・・

2度の改訂を経て現在演奏されているのは第3稿になりますが、この葬送行進曲は第2稿で書き加えられたみたいです。
第1稿のこれに相当する部分は
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こんな感じ・・やっぱりテューバ伸ばしてる・・・

この先の終結部も現行とは違います。
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決定稿、第3稿
愛は永遠に!みたいなのが歌われる部分とチャイコフスキーの真骨頂みたいなリズム終止。

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第1稿、
これしか知らなければいいと思えるんでしょうが、現行を知った耳には物足りない。


第1稿(1869)
序奏が決定稿と全く違う長調系の音楽となっています。
主部は変わらないのかな・・
展開部も全然違いますね。決定稿は序奏の音楽を効果的に使って劇的な展開を見せます。
第1稿も序奏の音楽が展開されるんですがのどかで明るい感じが悲劇性と逆行してるんですかね・・
でも聴いてみると悪い曲ではないんですよね。素朴なロシアの作曲家の名曲という感じ。
交響曲第1番を聞いたときのあのチャイコフスキーだなーという。
決定稿はロシアの作曲家・・という殻を出て世界に、歴史に通用する作曲家の作品となっている気がします。
この改訂、鳴りをよくするとか、効果を狙うとかそういうんじゃないですよね。
チャイコフスキー自身がこの曲の持つ意味というかあるべき姿のイメージを変えていった気がする。
どんなものが求められているのか、歴史に残る作品のあるべき姿というか・・
自分の目指すべき音楽方向もここで見えてきたんじゃないかなぁ。
なんでお前がそんなに偉そうなこと言ってんだと言われちゃいそうですが。
また、細かいことを別途書いてみたいと思います。


第3稿
なんにも書いてないけどこれショルティ、シカゴ響だと思うんです。

朝日と嫌な予感

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マーラーの交響曲第1番の冒頭の音楽についての続きです。
以前、序奏の舞台裏トランペットは1・2番と3番で居場所が違うんじゃないかというようなことを書いたんですが・・なんとなく続き

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クラリネットのファンファーレが終わるとオーボエが合いの手というか何か言います。
指揮者の岩城の本だったかな、ブルーノ・ワルターがウィーンフィルとの練習でこれを
「春になり冬の眠りから目覚めた花の芽がでたところなのだ」・・飛び出るようにだったかな・・と言っていたいうのを読んだ気がします。へー
ここは朝のシーンだろとかそういうことじゃなくてニュアンスを伝えるためにそういうイメージを語っていたということでしょう?
ハンブルク稿はただ弦楽器が伸ばし続けるだけでしたが・・ヴィオラがやめると第1ヴァイオリンがオクターブで・・

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舞台裏のトランペット1・2番はすごく遠く、遅れる3番はただ遠くとも読める・・・


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ハンブルク稿はトランペットは2本しかないのでホルンが答えてたんですよね・・
だからTrp3番は別の場所、という事にはならないかもしれないけど・・

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その後のカッコウはいまオーボエ→フルートですがもとは普通にフルート→オーボエだったんですね。
バスクラもないから最後はファゴット。

この後出てくるホルンは遠くの山に朝日が当たってるんですかねいいですよね。

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その美しい光景の中、ティンパニの衝撃とともにチェロとコントラバスに現れるこの旋律は第4楽章第1主題によるものです。
あの嵐をすでに暗示しているわけですよね・・
でもここではまだちょっと意味不明な感じですね・・この後
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もにょもにょ言いながら立ち上っていきます・・・

この曲最初の2楽章は明るくすがすがしいような印象もありますが、いえいえ冒頭から暗雲が顔を出しているんですよ・・
ここ、ただの美しい朝の情景では全然ないんですよね。

これなぜか、
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第3交響曲にも出てくるんですよね・・
多分関係ないんでしょうけど・・

大小フーガト短調

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J.S.バッハのフーガト短調BWV578。中学校の授業で出てくるので誰でも知っているわけですね。
自分はクラシック音楽にちょうど目覚めたころでこの曲とパイプオルガンにはまりました。

うちに壊れかけた古いエレクトーンがあったんですね。
買ったものじゃなくて親戚のお古をもらってきて妹に・・
ペダルは折れちゃって鳴りっぱなしなので下に物を入れて浮かせてた。
学校の音楽資料集みたいなのにはこの曲の楽譜が載っていました。
もちろん弾けるわけはないし楽譜の読み方もわからない・・
五線の一番下の線がミだという事は知っていた・・それを頼りにそこから何番目かを数えて鉛筆で音名をふった・・ソーレーシーラソシラソ・・・みたいな。
ヘ音記号もリズムもわからなかったけど、友人の家でテープにダビングしてもらったのを何度も聴いて・・無謀にもエレクトーンで弾こうとした・・
それが私の音楽活動の第1弾です・・・第2弾なんてないんだけど。
多分音楽をやっている人からすればそんなの音楽じゃないしやったとか言うなというところでしょう‥
足鍵盤は最初からあきらめていました・・毎日少しずつ少しづつすすんで後半のハ短調の主題が出てくるあたりまでは両手で弾けるようになったんですよ。
まぁ。人が聴けばそれは弾けているとは言えないというようなものでしょう‥



誰に聴かせるわけでもなく、毎日毎日弾いて喜んでいた・・

小フーガト短調があるなら大フーガト短調もあるのか?なんて思っていたら実際あって、初めて買ったCDに入っていました。

幻想曲とフーガト短調BWV542
重くて長大なフーガに圧倒されましたが初めて聴いて時にびっくりしたのは

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この小フーガト短調の終盤、最後の主題の前に第1声部が祈りの言葉みたいなのを歌っていてな好きだったんですが

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おなじ旋律が大フーガの中で主題の対旋律として何度も登場していた事でした。
別に引用とかなんとかという事ではなく、たまたま同じ旋律が書かれただけなんでしょうけど・・・



ちょっとせかせかしてると自分は感じるけど・・

バッハのオルガン音楽を色々聴いていると短調の曲でも最終和音は必ず同主調の長調和音で終わるという事に気づきます。
最後に救われて空へ登っていくかのような・・
バッハは神に向けて作曲演奏していたからじゃないかと思うんですけど・・

この曲は珍しく前半の幻想曲の最終和音がト短調のままなんですよね・・・
フーガの最終和音はト長調になります・・
次が来るからいいのか・どこかの教会のオーディションみたいなのを受けるとき弾くためにこの曲作曲したんだっけ?
その時に受けがいいようにその地域の流儀に合わせたから?

でまたいろんな楽譜を見てみると長調で終わることになっている楽譜も見つかるわけですね・・

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ト短調で終わる版。

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ト長調で終わる版


この人は長調。

この曲は自筆譜あるのかな?
どっちで書いてあるんだろう?