今頃知った

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組曲ペレアスとメリザンドの2曲目は「糸を紡ぐ女」です。
一目瞭然というか一聴瞭然、女性が歌を(口じゃなくて心でかもしれない)歌いながら糸車を回す光景が目の前に浮かびます。
昔はそこら十で見られた光景だったんでしょうか、紬歌って結構あるんでしょう?
とりあえずメンデルスゾーンのやつが頭に浮かびます。
なんか回転する動きとそこにいる人の心理とか状況なんかを描写するのって面白いんでしょうね。

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バイオリンの3連符がそれを・・オーボエの素朴な歌が・・
回ってる感みたいなのはメンデルスゾーンのほうがある気もしますが、フォーレも別にそんなもんの描写に主眼を置いてるんじゃないわってとこなんでしょう。
これがそのまま行くだけじゃなくてメリザンドの死の音楽が予告されるんですよね。
また歌い出す明るい歌を遮るようにでてくるところがあれですね・・

後半、いろんな楽器が一緒に歌って喜びみたいなものを感じながら短く歌って終わっていく歌ですが、木管の優しい歌が歌う最後の結論みたいなののエコーを第2バイオリンが奏します。

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このときこれハーモニクスなんですよね。
暖かく丸い木管の歌に対して透明ですんだこの響きが・・
話の筋は置いといてこのエコーは全地上がやさしく肯定してるみたいな大事な響きに聞こえます。



こういうの、事前に知っていてそういうつもりで聴くとそう聞こえるんですが、なんとなく聞き流してると気付かなかったりするもんですよね。
見栄はったってしょうがないし正直に言いますとこの音楽ももう30年くらいなんとなく聴いてきましたが、ここにこんなに大切な何かがあると思って聴いていませんでした。
はっとしたのはこの夏休み。
オーディオの調子が変に良かったから・・
オーディオ・・なんて言ってると興味のない人から見る何言ってんだという感じかと思いますが、音楽を全部聞きたいんですよね。
私のオーディオ萌えの震源地はこういうのかなぁ。
こういう、心の中の敏感なところにやさしく息を吹きかける・・みたいなの・・
結構あると思うんですけど
気付いていないことも多いのかなと思う。
実演にいったって他に注意がいってると気付かなかったりするんだもんね。
私はです。耳のいい人もいっぱいでしょう。
いいですよね音楽って何十年聴いてても終わりがありません。

恥ずかしながら・・いまごろ原作の筋書きも読んでみました・・・
なんとなくあったイメージと違う・・
なんかこう色々謎めかせてあって、受け手の想像力というかどこかを刺激するようになっているんでしょう・・・
表面的な筋の裏で別な何かを言ってるんじゃないかという・・
なるほどいろんな作曲家が刺激されて音楽をつけようとしたのもわかるような・・

ネット上にあったいろんな人が書いた筋書きを読むと、書き手の解釈でみんな鍵みたいななところのニュアンスが違っていたりするんですよね。
面白いね。
もし先に話を読んで自分の中に世界が出来ちゃってからフォーレの音楽を聞いたら、違和感を感じたかもしれません。
この紬歌も明るすぎるんじゃ?・・
でも、だから何だでいいんでしょう。好きなように聴いとけば。

ああそうだ、昨日書いたメリザンドの歌に出てくるあの伴奏音型、ランプの光、希望の光なんて思ったけど、人を疑う、信じる・・みたいなもののテーマなのかな?なんて思ったり。
いいんですよこんなの死ぬまでいろいろ考えてれば。

作曲者も、原作者も実は書いた後自分で意味を探ってたりして。
彼ら自身がいろいろ説明したかもしれないけど、それだって真実じゃないかもしれないよ。

メリザンドの歌

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フォーレの組曲ペレアスとメリザンドは前奏曲のほか、糸を紡ぐ女、メリザンドの歌、シチリア舞曲、メリザンドの死という構成なんだと思いますが、必ずしもこの通りに演奏するわけじゃないみたいですね。
持っているCDはもう一曲劇音楽からの一曲?が演奏されています。
Youtubeなんか見てるとメリザンドの歌は省略されていたりする。スコアも見つからなかった・・
コンサートなんかだと一曲のためにソプラノを呼ぶのは・・とかあるんでしょうかね。
でもこの曲もとてもいい曲ですね。


音小さいよね?聞こえないかも。

もう30年も聴いてるんだから驚かないけど、歌詞が英語なんですよね。
フォーレだからフランス語かと思う・・かな?
イギリスで上演する目的で書かれたから?
でも不思議な空気を持った印象的な曲ですよね・・
クラシックばっかりしか聴かないのでドイツ語やフランス語・・ラテン語?・・ロシア語・・みたいなのには聴きなれているんだけど意外にびっくりするのが英語ですね・・変に聞きとれる感が気持ち悪いというか・・
ヴォーン・ウィリアムズの「海の交響曲」はそういう意味で気持ち悪かった・・

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3人の盲目の王の娘が塔の中にいる
彼女たちのランプは金色の光を

みたいなことを歌うわけですが、盲目でランプというのがいきなり矛盾していますよね。
ランプは心の希望を象徴しているとかなんとかでしょう・・

弦楽器による5つの和音が上っていきます。
暗いニ短調ベースなのですが最後のは変ロ長調和音です・・この明るさに心のランプの光を感じますよね・・
たったこれだけなのに・・これものすごい表現だと思うんですよね。

色々聴いていますと、演奏によって旋律の音高に違いがあることに気付きます。

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この音、楽譜通りCで歌ってイ短調になっているものと、Cis(C♯)で歌ってイ長調になっている物があります。
勝手にやっているんじゃなくて両方の版があるんでしょうね?


これはイ長調


イ短調

暗い歌を普通に暗く歌うメリザンドと、
怪しい笑みをうかべて歌うメリザンド。
私の個人的な好みではここだけイ長調になったほうが異様な光が音楽に深みを与えてるような気がして好きです。

これだけじゃなくてそもそも歌い始めの3つ目の音符も違いますね。
ここは長調版のが中世的な旋律に聞こえてを感じさせて好きだけどな‥私は。

なんで違う版?があるのかとか何もわかりませんが、なんかこの曲面白いですね。
検索してもシチリア舞曲の話ばっかり出てきてうんざりですけど。


来ない王が迎えに来ることへの希望が歌われてたりするんだと思うんですが、
最後に三人目の娘がもう望みはない。ランプの光は消えた・・といいうと
音楽はニ短調の闇へ沈んでいきます。
これはメリザンドが歌う歌かなんかなんでしょう?
でもメリザンドの死と同じニ短調に沈んでいくのは未来を暗示しているという事?
劇に興味がないのでよくわかりませんがなんだかいいですね。

ピアノ伴奏版も聴きましたが、ピアノでこういう単純な和音の持続音しかないなものは一歩間違えるとチープに聴こえてしまいます。
どうやるとそう聞こえない演奏ができるかなんて私にはわかりませんが、こういうの演奏はかなり難しいんじゃないかなぁ・・



「メリザンドの死」
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もとはメリザンドの死を予告する音楽だった?らしいこの曲にもランプの光が出てきます。
ただ事じゃないでしょうこれ。
曲尾でも出てくるんですが、救われていきそうな雰囲気を一瞬感じさせて・・結局ニ短調の暗闇に沈んでしまいます。
希望が断たれたて死んでいくという事?

言いたいのは原作の内容や、作曲者の考えを外れたところでも、この音楽は私を引き付けた離さないということ・・
かな・・・・?

青い

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私も行きましたよ青い池。
真冬にもいった。
今は観光地として整備されてるんでしょう?
まだそうなる前、何もないんだけどネットで有名になって夏は人がたくさん来ていたと思う。
写真てあれですよね。
こんな写真を見ると、360度幻想的な世界に包まれているんだろうなと思ってしまいますが、実際行ってみると

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こうだったりしますよね。
全然文句ありません。その切り取る感覚も表現そのものなわけですよね。
もちろん見渡す限りどこを切り取っても詩のような風景・・という場所が沢山あるのも知ってますよ。

これ自然の池じゃなくて砂防工事の過程でたまたまできたとかそういうのなのかな・・
それが観光地になっちゃうんだから・・面白いですよね。

人と知り合ったとき
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この人こういう人だな、なんて思ったりしますが、

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こっちは知らないほうがいいかもしれない。
あまり深くその人を知ろうとしない位が良かったりして・・
実際人と知り合うこともありませんし、なんだかわかりません。
ちょっとこういうの言ってみたかっただけです。


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冬の池は凍ったうえに雪が積もってただの枯れた森にしか見えなかった。
当たり前か。
そこを若い女の子が1人でずっと眺めていたました。
いくら待っても何かが起こることもなさそうなのに。
あれ思い出に支配されてる人か何かかな?
こういう想像を勝手にして盛り上がるんだけど、真相は全然違ったりするんだろう。


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川は凍らないから・・
冬にここへ行った写真を見ると誰もいない雪の上で嫁さんと馬鹿みたいにふざけてる写真がいっぱいあった。楽しい思い出もあるよ。
(もちろん、入っちゃいけないとことか、人の絵を壊すような場所場面じゃないですよ)

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宝石みたいな川だよね。

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なんで真夏に雪の写真なんか出してんだ。
でも奇麗でしょう?
雪印のマークみたいなのがそのまま降ってくるのをみて感激したなそういや。


美瑛には何度か行ったけどいつも天気に恵まれました。
でも大好きな稚内とか道東は行くたびに雨かくもり・・
いった年には全然来なくて見れなかった流氷がいけなくなってから怒涛のように押し寄せたらしい。

きっといいもの見ると満足しちゃうから、お預けになってるんだろう。
いつかきっと見たかった景色を見に行けるんだと信じたい。


全然話がつながらないけど、
中学生の頃日曜の朝ラジオで聴いた曲。
録音していたのでしばらく聴いた。
あの頃覚えた曲は何年たっても頭の中に焼き付いて消えません。

BWV678
この曲、コラール旋律みたいなのが2声あってカノンになってるんですよね。
私の好みではトン・コープマンの即興装飾音は旋律のいいところを壊していたりしてちょっとどうかと思うことがある。
でも全体的にはいいなと思ったりすることもあるからめんどくさい。

朝の情景

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4月の終わりに芽を出していた朝顔、今年は声掛けしてやろうなんて言ったのに・・
全然してやらなくてごめんね。
いつもなら棒を立てて誘導し、もっと高いとこまで登っていけ!とかやるのに、今年はほったらかしでごめん。
でも勝手に這いずり回って好きなところを登ってゆき花を咲かせて見せてくれる。
見たと思ったらあっという間にしぼんじゃうところは去年と同じ。
見ないともったいない気がしてもう十分見たのにずっと見続けてるのも去年と同じ。

この休みはずっと雨模様でしたが、8月にもかかわらず気温があまり上がらないため音楽を聴くことができました。
私にとってはありがたいことですが、これじゃ困るんだという人もたくさんいるんでしょうね。
なんでか知らないがオーディオから出てくる音の具合も絶好調だ。
昔から聴いてきた演奏が全然違って見える聴こえる。
写真で見ていた現場に実際に行ったみたいだ。
いいかそんな話は。

なぜか急にフォーレの組曲ペレアスとメリザンドを聴いてみたくなりました。
シチリア舞曲だけが飛びぬけて有名ですが、今聴きたいのはそれじゃない。
どうしても聞きたいのは前奏曲。



フォーレのレクイエムが聴きたくて買ったCDの後半に入っていました。
聴きたいのはレクイエムで・・CDをかけ替えるのも面倒だからそのまま聴き続けるというか。
別に嫌いではないんだけど、好きという事もなく・・
それがこの2,3日で急にこの前奏曲の魅力に魅了され、叫びたくなるほどいい曲じゃないかと思うようになった。
魅力に気付くのに30年・・
あと30年生きられたら今は理解できない何かも好きになれるかもしれない。
ヨーロッパの朝の田園風景みたいなのが頭に浮かぶ。
朝の、まだあまり動かない空気も感じる・・

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これは美瑛で、ちょっと真昼間過ぎて違う感じだけど・・
メーテルリンクだっけ?もとは劇伴音楽らしいけどそちらの筋書きには全く興味がわかない・・

今はいけないけど何年か前、北海道に行くのが楽しみでした。
ヨーロッパに行ったことはないけど写真で見たそれに似ている景色があるんだよな・・
でも地元の農家の人は観光客をよく思っていないんじゃないかな。
写真をよく見るとトラクターに乗っている人が鬼の形相でこちらをにらみつけていたりする。
走って追いかけてきた人もいた・・・・もちろん逃げた。
よくある車で畑に勝手に入ったとか、フイルムのごみをその辺に捨てたとか、三脚を畑に立てたとかそういう愚行はしてないつもりだったけど・・人の仕事を偉そうに見物・・ってのはいけないよな。

そういう自分も職場に関係ないような客が来ると何だてめー光線を出したくなるし。

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Quasi Adagioって時々見ますね。
アダージョみたいに・・でもそこそこのテンポで書いてあってAdagioとは違うわけでしょう・・
最初のフレーズが消えた後の休符が・・この休符が!・・みたいな話ですよねこれ。
音楽ト長調っぽいのにティンパニはHとFis・・この言い方気に入んねーんだよな・・BとF♯なんだなとか・・

いい曲だよなー

この数日、過ぎ去った些細なやり取りを思い出し頭の中で強く反論する・・みたいなのを繰り返していました。
そんなのほっときゃいいだけなのに・・
いつまでたっても稚拙なままである。
犬にはそれが分かるらしく、飛んできて私の上に乗っかってくれる。
音楽を聴いてる最中にそれが来ると悲しい。
犬には悪いが音楽部屋には立ち入り禁止。毛だらけになっちゃうといろいろ困るので‥

この前奏曲みたいに静かで豊かな心境でいたいです。
急にこの音楽を欲したのは偶然じゃないのかもしれません。

うけいれる

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とある理由で精神的に拘束されており自由が利かないため、長い休みがあると精神的に下降していきます。
そんなのみんなそうだよ、甘えんな・・ですね。
数年前の夏休みは何も考えたくないので毎日ひたすらCDをリッピングしていました。
リッピングもソフトによって音が変わる!とかいったら普通の人はどう思うんでしょうか・・
でもそういう世界。
休み中に全部は終わらなかったけどそれでも700枚くらいできたのかな・・普通だったら文句を言うところだろうけど笑顔でほっといてくれた嫁さんありがとう。
飯でも食わせに行こうか・混んでるけどなぁ・・

音楽でも聴くかと思ったところで隣の休耕田で草刈りを始めた。
エンジン音で音楽は聴けないけど、一生懸命働いてる人に文句を言ったらいけないですね。
広い田んぼを毎日少しずつ刈っていくので全部終わったころには最初の地点が刈り頃に。
平日毎日来れるのは定年になったからか、健康維持のためとかでやりたくてやってるのかもね・・
そう、隣なのに一度も話したことがない。
大規模に田んぼをやりたい人はいるみたいだから貸すか何かすれば・・と思うけど大きなお世話ですね。
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その田んぼにはこんなイチゴがいるんだよ。これが野イチゴ?

久しぶりにピアノでも弾こうか。
既存の曲なんか弾けない。自分で作った曲。
自分が弾けるように作ったから絶対に弾けるという・・

あっ草刈り止まった?・・音楽聴くか・・
今シューマンのライン交響曲が聴きたいんだよな。
マーラーの編曲をかなり生かしているらしい盤・・
止まってなかった。


この時期、なぜかは知らないけど家の中にコオロギがうろうろしていることがよくあります。

子供の頃、一匹のコオロギを飼ったことがありました。
小さな虫かごの中でそこにメスが現れることは絶対ないのに、とてつもなく美しい声で毎晩鳴いた。
死んでかたくなってしまったそのコオロギを埋めるとき、子供心にも悪いことをしたと思った・・
という事を思い出すまでもなく、嫁さんが大騒ぎをして何とか捕まえて外に出してやろうとする。
無事、それが終わるとあぁ良かったなと思う。

一方似たような褐色の虫がこの時期よく家の中をうろうろしていることもある。
しかしこちらは助けるどころか問答無用で成敗しようとする。
新聞紙を丸め、日ごろの鬱憤、生い立ち上の恨みなどをそこにぶつけるため、遺骸は無残な姿となることが多い。
そこに悪いことをした・・みたいな気持ちは一切ない。
笑ったりするかもしれない。
同じ虫であるのに・・
もし、この虫も美しい声で鳴いたりしたらどうなるんだろうか?・・・
家の中で鳴き声が・・・
キャーないてる!
えっ!殺虫剤どこだ!・・
多分余計ひどいことになると思う。
そもそも筋違いなのである。

自分は何なのかを認めて、そこからどうするかしかない。

昔、自分が二人いたことがあったんですよ。あいつならどう思うかとかあいつが好きそうだから買っとこうとか、今のこの受け入れられない自分とは別に汚れていないあるはずの自分がいた。
遠からず出会えると思っていて、それが希望だった。
15年ほど前のあるきっかけで今の自分を認めることができたようで、気が付けば2重状況は解消されていました。

この2年ほど気分が晴れずにいるんですが、また出てきているんだろうか?
今の自分を受け入れろとか言われてもっともだとも思う半面、
悲しい気もする。


ラシーヌ賛歌でも聴きましょうか。



この手の曲はボーイソプラノが最高!みたいな話になるけれど、いろいろ聞いてみてやっぱり大人の巧い合唱団の深みのある演奏のほうが圧倒的に好きです。
確かフォーレが学生の頃に書いたんでしたっけ。
この人浮気ばっかしてたんでしょ?関係ないけど。
どんな歌詞で何を言ってるかは知りませんが、いいですねこれも。

天国の音楽

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マーラーの交響曲第4番、その終楽章は天国の様子を歌って聞かせてくれる歌です。
その後半にこんな場面があります。

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”私たちの音楽に比べられるものが
この地上にあるでしょうか。
チェチーリアとその一族は、
とても素晴らしい宮廷楽師”

歌い終わる最後の旋律をヴィオラが模倣し、ハープが答える・・・
ここで聞こえてくる音楽は天国の楽師たちが奏でる音楽に違いありません。
私たちにも天国の音楽が聴こえるのです。


この音楽でソプラノにハイパワーなオペラみたいな声で歌われると萎える。
そういう音楽じゃないと思う。

マーラーは天国へ行ったでしょう。
そこには聴いたこともないような美しい音楽が・・・
マーラーは駆け寄り、指揮をはじめます。
「だめだ、アーティキュレーションがそろっていない・・」
「そこは2本でなく1本で・・」
めんどくさい練習が始まってしまい、天使たちは困惑する・・・

こんなのが見られるなら、天国へ行ってみてもいいかもしれない。
でもきっと天国でもそういうのは有力者が席を買い占めていて・・
年中やってるから待ってれば聴けるのかもな。
でもまだ当分行きたくない。

天国とか地獄とか言うけれど、死んだらどうなるんだろう。
死んだら終わりだ。何もない。
そういうに人は本当に何もないんだと思う。
私は何もないなんて嫌だから何かがあると信じたい。
真面目と間抜けを勘違いして生きた挙句に行きつく先も地獄だったらいやだな。
プロジェクターみたいなので今までの行いを見せられて論理的におまえがダメだろろう?とか思い知らされたりして。
あんな雲の上に蓮の花が咲いているような世界はないと思う。
あの世でも人付き合いは苦手なままだろう。
墓を作ったところで誰も来ることはない。
今横でグーッ!とか言って寝てるこの犬が迎えに来てくれると信じている。

祖父

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私の父方の祖父は硫黄島で戦死しました。
硫黄島といえば激戦地なんですよね。

戦後30年以上たってから一人暮らす祖母の家へある人が訪ねてきました。
硫黄島で祖父とともに戦った人だという。

祖父たちは死を覚悟した時、
「もしどちらかが生き残ったら、相手の妻にこの最後の時の様子を伝えよう」
と約束したんだそうです。
絶望的な状況での最後の希望、救い、願い・・であったと思う。

その人は約束を果たさ(せ?)ずにいたのですが、枕元に祖父がなんども現れて約束を果たしてくれと言いにに来たんだそうです。
どうやって祖母の家までこれたのか・・約束をしたときに聴いたメモのようなものをずっと持っていたのか・・わかりませんが・・

戦時中には
祖母と姑が大きな音を立てて飛んできた光の玉みたいなものが家の中の仏壇へ入るのを見聞きしたそうです。
まっすぐ家へ帰ってきたんだろう。
誰のところだったか忘れましたが枕元へ立って祖母と父を頼むといったそうだ。

こんなことをここに書いていいのかわかりませんが、私が死んだら世の中から消えてしまう話ですし、祖父も怒らないんじゃないかと思って。

父はまだ2歳くらいだったと思う。
祖母も大事にしてやりたかったと思う。
無念だったろうな。

祖父が亡くなった年齢を私はとっくに超えている。
いろいろうまくいかないですが、妻を大事にしてやりつつ、生きられるだけ生きたいと思う。
生きられるという事がどんなに大事なことかよく考えないと。

今の世の中は、いつ戦争になってもおかしくない気がする。
スマホに振り回されてわかったような顔なんかしてると危ないよ。
若い人だけじゃない。


祖父の行った世界はこんな洋風の楽園じゃなくてもっと和式な感じかもしれない。
楽園になんか行っていなくて、誰かが思い出したらそこにいるというだけかもしれない。

祖父のさらに前、さかのぼっていけば代々の先祖がいるんだと思うと不思議な気持ちになる。
皆どこいっちゃったのかな?俺の事なんか知らないんだろうな。

臨死体験

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ブルックナーの最後の交響曲、9番。
その第3楽章は冒頭から尋常でない雰囲気につつまれています・・
ベートーベンの音楽に感動し、オーストリアの自然や信仰を音楽化した作曲家という枠を遙かに越えたところへこの人はいってしまったんだという気がします・・



新しい表現をねらってとかじゃなくて・・
この人自体がいっちゃったんだどっかそういうところへ・・


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始まってすぐに音楽は盛り上がっていくと弦のトレモロに乗ってトランペットとホルンが叫ぶ部分がやってきます。

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異様な光に包まれているこの場所はもう地上の光ではなくて神々の世界の光を見ているんじゃないかと思う。
臨死体験みたいだ。

時間は結構残されていたらしいのに、その死によって完成されることがなかったフィナーレ。
残された資料から補筆演奏される試みが行われています。
私は、
ブルックナーは本当のあるべき4楽章の霊感を受けるまで待っていたのだ・・
書いていたものは4楽章となるべきものではなく、元々破棄される運命にあった時間つぶしののようなものなのだ・・
という誰かの唱えていた説が感動的で大好きです。

3楽章で臨死体験が来ちゃってるんだとしたらフィナーレは天国の音楽以外にないんじゃないか・・・
でもまだ天国にいってみたことのないブルックナーにはそれがかけなかったのではないか・・・
やっとその天国へいくことができて・・・

あの世ではもう満足して続きを書いたりはしていないでしょう。
ベートーベンが交響曲第279番を作曲していたり、バッハの最新作がBWV32768だったり・・
めんどくさい世界があるんだろうか?

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この絵時々見ますよね。

作者のブルックナーへの愛情が感じられますが、
個性と主張の強い作曲家たちがこんなに一堂に会しちゃったら、喧嘩になるんじゃないだろうか?

人が死ぬときに迎えが来ると言いますよね。
私の近親者も何かやってましたよ空中と・・

マーラーの最後の言葉がモーツアルトル!だったというのは有名な話ですね。
普通に考えると大好きな作曲家の名前を叫んだだけ・・ということでしょうけど、
迎えに来たんじゃないかな?

恐山

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結構前になると思うんですが青森の恐山に行きました。
夏休みだったと思う。
恐山というと薄暗いウズリ湖のほとりで風車がカラカラ回っているような・・霊界との境みたいなイメージだったんですが・・
実際は真夏の猛烈な暑さでそんなイメージとはほど遠かった・・ただただ暑かった・・
あの雰囲気をみたかったら雪の降る直前くらいにいった方がいいのかもしれない。

ブルックナーの交響曲第9番を聴いていると第3主題が終わったところに不思議な場面があります。
第3主題は、すべての人々が悲しみ、苦しみを抱えながらも前に向かって歩んでいる姿・・だと思っているんですが、その音楽の結論としていったん明るく柔らかい日差しのある平穏の場にでる・・

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へ長調この場でフルートとピッチカートの第2バイオリンが何かいっている・・
鳥?・・その音がHなのだ・・へ長調とぶつかって尋常でない雰囲気となっている。でも攻撃してくるような何かいやなものではない・・
暖かいといえば暖かい・・
でも人知を越えた何かのような感じもする。
人間のか弱さを示しているような気もする。
元々この曲は人間が神へ向けて捧げている音楽だと思うんです。だから、ここは人間界だと思うんですが、オーストリアののどかな田園風景とかそういうのではなく・・・
なにかこう恐山的な・・あの世との境みたいなそんな場にまで行ってしまっているような印象を受けるんです。



音量小さいと聴こえないかも・・
この演奏は、とても感動的だ。
ブルックナーの権威みたいな人なのに暗譜じゃなくてちゃんとスコアめくっていくでしょ。
これはこの音楽に対する一つの態度表明みたいなものだよね。


優良クラシックファンはワルター・コロンビア響のブル9なんて言うと「あんなのアンサンブルも稚拙でダメだ」とか言って笑うんでしょう?
でも私は大好きです。
誰が何言ってようが関係ないです。
ワルターはブルックナーが理解できるようになったのは40歳過ぎてからだった・・みたいなことを言ってたと思う。
この人の愛と歌にあふれた演奏はブルックナー演奏の本筋からは少し外れるのかもしれないけど、私にブルックナーを教えてくれたのはこの人でした。

恐山といえばイタコ。
ブルックナーやマーラーを呼んであの曲の続きはどうするつもりだったんですか?
ここは?
シンバルは入れるの?
とか聞いてみたい。

でもきっとイタコの呼んでくれたマーラーは
「皆と仲良くしろ」
「秋ごろに腰を悪くするから気をつけろ」
とかしか言ってくれないと思う。

ご先祖様?

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昔、よその土地の一部を借りて自分の車を置いていました。
田舎のさらに端なため、そこから出た道路にはめったに車は通らない。
通る通らないは関係ないのだけど、そのことに慣れて甘えた感覚でいたと思う。

いつも通り車に乗り、そこから出ようとバックギアに入れる。
?あれ???全然うごかないじゃんか?
アクセルを踏んでも空ぶかし状態になるだけ・・
え?Rに入った警告音がはっきり聞こえる・・オートマでギアが抜ける?

その時、バックミラーにお年寄りを満載し老人ホームへ向かうワゴン車が通り過ぎるのが映った・・・

あのタイミングで、いつも通りバックしていればワゴン車は止まり切れずに飛び出す私の車に突っ込んだはず。
窓からいくつもの顔が見えたのを覚えている。何人もの人を私は殺したかもしれない・・・

その時私は、誰かが助けてくれたのだと感じました。
具体的に誰かはわからない。
でも、何か温かいものを感じた。

それから時々自分が世の中から見捨てられた失敗作だと感じることがあると、この時のことを思い出します。
見守ってくれていたということは、お前はもう少し生きろということじゃないのか。

守られているなんて思って調子に乗ればあっという間に突き落とされてしまうかもしれない。
ブログなんかに書いていいか迷った。
ブログは調子に乗って始めたものですが、私にとって大事なものになってきたので大事なことを書いてもいいでしょう?


これを初めて聴いたのは中学生の頃でしたが意味も解らないまま一発で魅了されました。
今だって意味なんかわかりませんが魅了されっぱなしです。
もうしばらくこの音楽の意味なんか分からないままのがいい気がします。

音楽を聴くという楽しみは中学の生頃に出会ったわけですが、ほぼ同時期に誰かがテープを持ってきたとか、録音してたらたまたま入ってたとか、どこかから聞こえてきたとか複数のルートから勝手にやってきたという記憶があります。
何か、誰かはわからないけど私にそれを進めてくれたのか?思う事があります。
自分から何かを探すことは知らなかった。
あんまりこんなことばかり書いてるとアホみたいですね。

でもお盆だし。
お盆の時期って地区によっていろいろですよね。
この近隣でもいろいろ、狭い範囲の地域ごとにそれぞれ異なります。
シフト表みたいに近くは重ならないように配慮されているような気がする。
昔から理由があってそうしていたんでしょう?
農業関係的な理由?
霊界の混雑緩和をねらっているのか?

今日も気温が低かったため音楽を聴くことができました。
感動もできた。
いつもは聞かない、CDの余白をうめていた曲もそのまま聞いてみた。
25年ぶりとかだと思う。
もしかすると次に聞くのも25年後かもしれない。
25年前は25年後なんてあって当たり前だと思ってた。
死んだらどこ行くのかなぁ?
サントリーホールの地下に納骨堂を作ってほしいと思ったこともあったけど、好きな曲ばかりやってる訳じゃないんだよな・・