だれ?

ここへ来てくださる方の中に、オーディオに興味のある方はあまり多くないのかなと思いますが、たまには・・

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多分昔のDeccaのオーケストラ録音シーンだと思うんです。
こんな写真を見るとワクワクしますね。
ハープやっぱりあんなとこに置くんですね。
ショルティのマラ7のハープが変だと思ってたけど、あれでいいのか・・

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プロデューサーはこんなのの前に座ってあの奥のスピーカーからの音を聞いて何か判断して指示を出すんですよね?

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こんな感じで。

一度、あそこに座ってその音を聴いてみたいなぁ。
そこには何があるんだろう?
なんとなく想像ですが、そこにあるのは私が喜んで楽しめるような音じゃないのかもなと思ってみたりします。
プロはそれを聞いて、一般人が楽しめる音を作っていくのかなと。
お客と同じに楽しんじゃったらダメなんでしょう?
ちょっと何だかよくわかんないけど。

そんな話にこれつなげるのもどうかと思いますが、自分がいつも聴いている席。
こんなに明るいと興醒めなので実際は部屋を薄暗くナツメ球みたいな明るさで聴きます。

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興味ないと何言ってんだという話かと思うんですが、オーディオも精度が出てくると音の奥行き方向を表現できるようになります。
この写真に写った空間にオーケストラが奥行きを持って浮かび上がります。
上の写真はそうなるように録音しようとしてると思うんです。

オーケストラの一番奥にいる楽器・・トランペットなんかはあのドアの手間くらいから聞こえてきたりします。
上の写真だとさらに奥に合唱がいるのかな?
そのときヴァイオリンはもっとずっと前、スピーカーの間の少し後ろくらいにいます。
ちゃんと第2ヴァイオリンは第1ヴァイオリンの奥から聞こえる。

で、奥の右半分に隣室の押入れがはみ出てきちゃってるんですね。
オーディオの精度がまだまだだと右奥にいるはずの楽器がこの精出した壁に張り付いて聴こえちゃうんですね。
実際いただろう場所より手前に固まってるみたいに・・
それは結構悲しく、この壁壊せないかなぁなんてずっと妄想したりして・・
壁とか、視覚情報が音像定位感に影響するのなら、いっそ真っ暗にしてみては・・・
とやってみましたが、あまりいい結果になりません。
なんとなく空間を視覚からも把握したいみたいだ。

いまは、この押し入れの壁が消え・・はしないけれど半透明になるというか、壁を無視してあのドアの当たりませ奥行きのあるステージが目の前に展開してくれます。

かなり極端というかむしろちょっとおかしな例かもしれないけれど、
若いロリン・マゼールがウイーンフィルを振ったチャイコフスキーの交響曲第1番

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古いDeccaの録音で、定位感を極端に強調しているようにも思われ、いいほうに行けばいいですが、悪いほうに転ぶと不自然にも聞こえたりという・・

2楽章にホルンがでかい音で朗々と歌う場面、この2本の(4本?)のホルンが押入れの中で歌ってるのが聴こえます。
今ここには出てこないけどオーボエなんかも押入れの中にいる。

実際ホールでは豊かな間接音がブレンドされた音があいまいな定位感で聴こえます。
こんな風には絶対聴こえない。
でも、これこそ失われてしまう大事な視覚情報を音に乗せて伝えようという芸術的手段だ・・とか思っているのでそこは喜んで受け取とりたい。

部屋が極小なため、再生音量も音像定位感に強く影響します。
音量が小さすぎるのはそもそもショボくなっちゃってダメなんですが、でかすぎても駄目。
正確な定位感を表現するための、部屋間接音と直接音のバランスか何かにベストな音量があるみたいだ。

再生装置の能力だけじゃなくて自分の側の訓練みたいなのもちょっとあります。
目を交差させてみると立体に見える絵がありますが、あれも最初から見える訳じゃなくて、練習というかこうやるのかとわかれば見えるようになりますでしょう?
あんな感じ。
一度聞き取ってしまえば次からは・・



これ書くと認めたことになっちゃってまずいかなと思ったりもしたんですけど。
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昼間、部屋を薄暗くして音楽を聴いているとドアの明かり窓に向こうの光が透けています。
ここを時々・・人影が横切るんですよね。
嫁さんが出かけて誰もいないときにも横切っちゃうから・・
多分勘違いです。
音像定位感も勘違いだろとか言われちゃうかな。

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出勤するために着る服を2階の廊下に置いてあるんですが、今朝それを着ようと思うと・・
その上にバッタが載ってる・・それも雌が雄を背中にのっけて・・
逃げるそぶりも見せない。
バッタは交尾のときそんなかっこをして、それはどこでも見られる光景なんだそうです。
だけどそこは家の2階の廊下で、窓はどこも開いていなかった。
何かのメッセージをもらったんだと思ってその意味をずっと考えてます。
交尾してたはいいけど、ちょうど雌のお尻のあたりに雲子が落ちてた・・
なにやってんだ。


嫁さんによると、近所のリフォーム中の家にソーラーパネルの取付工事をするからと業者があいさつに来たという。
この際お宅もどうですかみたいな話だったというんですが・・
おかしい。あの家は場所・構造的にソーラーパネルなんかつけるとは考えにくい。
〇〇さんのお宅と言ったらしいけど、その人はもう家を手放してるんだから施主じゃないはず。
ゼンリンかなんかをもって回り、足場のかかった家でも見つけると周囲に営業をかけるのかなと思った。
近所がやってるなら・・と安心して話に乗るみたいなのを狙っているんだろうか。
リフォームは終わったけど、屋根にはなにものっていない。
いずれ必ずばれる嘘を平気でつくんだから相当たちが悪く、見積もりでも取ったら最後弁護士でも雇わないと逃れられない・・みたいなのだったりして・・

今私は工業製品の製造会社勤務なので一寸の嘘もない正攻法で仕事をしていることになっています。ことにじゃないか・・
学校を出て最初に入社したところは「馬鹿正直にやってどこにもうけが出ると思ってるんだ・・!(暴力)・・」みたいなところだった。
?と思いながらもそのまま洗脳されてしまい、詐欺まがいというか、今思い出せば詐欺でしかないようなことを指示通り一生懸命やりました。
そのうちのいくつかはとんでもないふざけたものだと思うけれど、またいくつかはある程度理解できる気もする。
でもそれをいまの職場で口にすれば、大変なことになるかもしれない。
場面が変われば、嘘も本当になるし、正しいことも嘘になるのか。
最初の会社、その仕込まれた嘘が絶対に相手にわからないこと・・という前提はあったと思う。


詐欺でも何でも、最初はいいんだけどあれっ?となる瞬間がやってくる・・
実は気づいているんだけど認めるのが怖いので気づかないふりをしばらくたりして・・
相手を信頼していればいるほどその衝撃は大きいだろう・・だまされたのだと認めた瞬間に足元から崩れていくあの・・・

その一瞬で事態が暗転し崩れ落ちていく・・というとこに注目して巨大な交響曲を作り上げた作曲家がいて
マーラーの交響曲第6番というのがあります。
第4楽章ではその実際が描かれるのですが、最初の楽章から人生の暗転の象徴として


こういうイ長調和音→イ短調和音みたいなものが何度も鳴らされます。
3つの音でできた和音のうちのたった一音が半音下がるだけで世界がひっくり返るという面白さがあるわけですね。
ものすごく単純な手法で聴き手に超絶インパクトを・・

私の失敗は、この曲を聴くより前に本でその秘密をを読んじゃった事です。
ネタばれですね。
柴田南雄という作曲家なんですが、その衝撃に心臓をえぐられるような‥だったかは忘れたけどそれくらいのことを書いていました。
先にそれを読んじゃったので期待が膨らみすぎてしまい初めて聴いたとき、
え?
みたいな。

最初のイ長調和音まで暗く響いて聞こえちゃうんですよね。
それは今でも続いています。
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この手前のティンパニもなんだか処刑の象徴みたいな音で最初から暗く響いちゃうのもいけないんだと思う。
この曲の違う演奏を聞くたびに、今度こそここで明→暗を実感させてもらえるのでは・・と期待するんだけど、いまだにかなわず。

この人死にたくないのに死んでた・・みたいなネタが好きでそういう作品をたくさん書いたんです。
そしたら自分もバリバリのさあこれからというところで感染症にかかってぽっくり行っちゃった。
この人は演奏家として、歌劇場監督として政治的な敵や陰謀を根回しで踏み倒してとかやりながらどんどん上を目指し突き進んでいったツワモノなんです。引きずり降ろそうという勢力も蹴散らしてたんだろう。
いつも死におびえて生きていたみたいな弱々しいく悲しい伝説があるんだけどなんでそうなっちゃってんのか・・
作者の死後、嫁さん他一部の近親者が都合のいい妄想を言っちゃってみんな一番近い人のいう事だからと信じちゃったからというのも大きくあると思うんです。
でもそう思って聴けば作品もそう聞こえてくる。
そう信じて彼の曲を愛した演奏家や聴衆がいるわけです。
解ってきた新事実に興味津々!という人もいると思いますが、
あなたの信じてたものなんか間違いなんですよなんて言ったら烈火のごとく怒る人もいるでしょうね・・
ずっと大事にしてきた、自分の一部が崩れてなくなっちゃうようで・・
知らないほうがいいこと、言っちゃいけないこともあるんだと思う。
真実は最大の暴力だったみたいなの・・

バッタを2階の窓から投げ出そうとしたら、嫁さんが服ごと1階にもっていって優しく外へ案内してた。
その間、バッタは逃げるでもあばれるでもなかった。
優しい嫁さんでよかったなぁ。
今、心に引っかかることがあるんだけど、バッタの糞みたいなものだ。捨てちまえってことかもなぁ。

家系

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ここ好きで何度も行きました。
あの木には親子の木という名がついてます。

父に兄弟はありませんしたが、母方は昔の多人数兄弟であるため、大勢の従兄がいる・・はず
そういう人が一堂に会する・・という事の全くない家だったため、従兄たちのことはよく知らない。
とはいえ、法事など何かの理由でに何人かにさらっとあったことはあります。
みな同じ血筋なわけだけど、顔の特徴で大きく2系統あると思う。
最近思うのだけど、顔だけでなく性格的なものも2系統に大別できると思う。
具体的に書くと気持ち悪くなるので省略します。
性格や人間性は後天的な要素で出来上がるような気がするのだけど、数人の従兄をみていると遺伝的要素も強くあるような気がしてならない。
そう考えると、私の祖先を300年くらいさかのぼると、そのなかに私と同じようなことを感じ考えていた人もいたりするんじゃないだろうか?
その人と会って話がしてみたい・・
いきなり切りかかってきたりして・・
いや私に似てるならそんな度胸はないはず。
両方口下手だからいつまでも会話が始まらないし、始まってもすぐ途切れる・・
その代わり慣れると遠慮がなくなって喧嘩になる・・
もう一系統の人にはお前なんか知るかと一蹴されそうだ。
でも似た人は、こちらに敵意がないとわかれば親しく話してくれるはず。

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バッハの家系が音楽家系だみたいな話が有名です。
何人かの息子のうち少なくとも二人は有名な作曲家として名前が残っていると思う。
持っていないけどCDも沢山あるんじゃないか。
協会や貴族に雇われての特殊な商売は限られた家の人間が世襲で人材を供給という時代背景みたいなものがあったんじゃないかと思うけど、やっぱり才能も遺伝したんでしょう?
その後のどうなったかを調べてみたら、音楽家としては孫の代で終わっているらしい。
人間としては資料がなくてわからないという話と、大バッハの娘の血を引く家系が今も確認できるみたいな話が出てきた。
日本でテレビに出てる?芸人がバッハの子孫だみたいなのまで出てきたけど、なぜか全く興味がわかなかった。
過去300年の間には子孫を語って稼いだ偽物みたいなのもきっといたんだろうと思う。
先日違う誰か・・忘れちゃった・・について読んでいたときも直系の子孫は途絶えて・・というのが出てきた。
有名人で、子孫がとだえてる系の話は結構多いと思う。
徳川将軍家も色々やりくりして繋いでいるけど、実際1本で通ってはいないんでしょう?

いまでこそ、誰でも標準的な寿命で生きられるものだ・・みたいな考えがありますが、ほんのちょっと遡ると皆いつ死んでもおかしくないという厳しい時代がずっとずっと続いていたんだと思う。
そこを生き延びてきた奇跡の結果みたいなのが私たちなんでしょう?
こんな私ですが私もそうだ。簡単につぶされてるわけにはいかないんだよ。

バッハのトリオニ短調BWV 583
息子の教育用に書いたというトリオソナタというのが有名ですが、この曲もいい曲です。



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2つの手鍵盤パート、こういうのは通常音の高い位置で歌っているほうが主として聞こえるものですが、途中でその高さが入れ替わったりしている。

マーラーの9番なんかで2つのヴァイオリンパートが寄り添うでもなく離れるでもなく高さの上下関係も入れ替わったりしながら進んでいくところに萌えたりしています。
そこを新しい音楽みたいに感じているけど、そんなもんもっとずっと古いバッハのころからとっくにあったんだ・・

これも息子のために書いたんだった気がします。
よく知らないけれどC.P.Eバッハなんかは親父とは違い、時代に合わせた作品を書いて成功したんでしょう?
きっと大バッハはセザール・フランクの親父みたいにこうあるべきみたいな世界まで強要するような人じゃなかったんだと思う。
そんなに聴かないけどフランクの曲は親父に抑圧された精神がそのまま音楽化しているように聞こえることがあります。

バッハの息子の曲は聞いたことがないけれど、大バッハの音楽はみんな花園みたいだ。
そんなに知らないけど、残された資料か何かの話で、息子たちは親父を敬愛していた様に読める気がする。
良かった。
なんかよかった。

ベートーベンコンプレックス

私の家の駐車場は狭い道に斜めに接しているため、車の方向転換ができません。
東から来てバックして停める。出るときは西へみたいな・・

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これちょっとわかりにくいですが、家へ向かう道です。東から来る方というか・・
右側の草の向こうはかなり低い位置に田んぼ・・はみ出れば落ちます。
左へカーブを描いているため、車が右側へ落っこちるような感覚が強調されます。結構怖い。
でビビって内側へ逃げると左側の石垣・・草に隠れてますが下の方の石が飛び出ている・・でガガガ!っと・・
前の車は納車後にサイドスポイラーを後付けしたんですが、つけて帰ってきたところでいきなりガガガ!
気を付ければぶつけずに通れるんですが、もう一つ困るのは向こうからくる人や自転車・・
いま、私を含めてみんな自分最優先だと思っているので・・

ここを通らざるを得なかったんですが、数年前から隣の田んぼのトラック駐車スペースて方向転換させてもらうようお願いして
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こちら側(西側)を行き来しています。
でも田んぼの持ち主が代替わりしてしまったので、何時までそうさせてもらえるのかわからない。
そこで方向転換できなくなったらまたこの変な道を走るか、西側ルートをずっとバックして入ってくるか・・

この道こんなですが、背後に団地をいくつか控えているためか近道や散歩道として結構人が通るんですよね。
毎日顔を合わせる人が何人もいます。
大きな声で挨拶してくれる人、挨拶しても無視する人、無視どころかいやそうな顔をする人・・
よく顔を合わせて話をさせてもらった人の姿をいつの間にか見なっていることに気付いた。
色々勝手に考えてしまい・・結構・・寂しい。

今日、犬と散歩をしてる時にふと・・ベートーベンの交響曲第5番が聴きたいなぁ・・と思った。
「運命」というやつだ。
今は知らないが私の子供の頃、聴かない人がクラシックといえば「運命」か「エリーゼのために」だった。
被害妄想なんだろうけど、そこにはちょっと子馬鹿にしたニュアンスがあった気もする。

クラシックを聴かない人でもちょっと詳しいと「海外では運命とは呼ばないんだよね」みたい事を話したりします。
交響曲全体をいちいち運命と呼ばなくてもいいとは思うけれど、あの動機はのちの作曲家への影響も含めて運命そのものだと思う。
運命というか宿命か・・
ベートーベンがこう言ったみたいな話は関係ない。答えは音楽の中にあるのだから聴いて感じればそれでいいと思う。

自分の音楽部屋で運命の第1楽章を聴く・・別にうちの前を歩いている人に聞かれたってどうってことはないはず。
法的にも問題ないし、倫理的にもおかしくない・・
なのになぜか・・できない・・
もう何年も聴いていないあの曲を・・
純粋に曲としてみて大変いい曲でくだらない思い込みを取っ払って聞きたいんだけど・・・
2楽章以降は平気で聴くことができる。
誰も知らないと思うからだろう・・


ブルーノ・ワルターはここでも提示部を反復しません。
さすがにこの曲はそのまま展開部に入られるとあれ?みたいなものを感じる。


同じ理由で9番も第3楽章までは聞ける・・
私は、何におびえているんだろうか?

昔見た海外映画で悪の組織の親分みたいな人がくつろぐシーンで、皮のソファーに深く座り運命を聴きながら腕を指揮者みたいに・・というシーンがあった。
その人はその直後、敵対勢力が送り込んだ刺客みたいのにめった刺しにされていた。
あれがトラウマになってるんだろうか?
運命を聴くと殺されるとか・・・

子供のころに見たテレビドラマで嫌な奴を象徴するシーンとして・・自宅でくつろぎレコードに針を落とすとクラシックが流れるというシーンがあった。
曲が運命だったかは忘れたけど、ちがうにしろ、そんなようなもんだったと思う。
こっちかな?

私は、馬鹿にされたくないとか、いやな奴だと思われたくないとか思っているんでしょうね。
クラシックなんか聞いている自分が恥ずかしいとも思っているんでしょう。
いろんなトラウマが重なって・・子供みたいだけど。
しかしそれが出てくる場所が間違ってる気がする。
いい曲が聴けないじゃないか・・
実際、仮に外を歩いている人に運命交響曲が聞こえたとして、指をさして笑われるとか家に火をつけられるとかそんなこともあるわけない。
私が馬鹿にされたり人に嫌われる事があったとしてもその理由は多分音楽とは別なところにあると思う。
こういう、至極単純な意識の整理みたいなものが、苦手なんだよな・・子供のころから・・

でっかい音で5番を聴けたらまた一つ前進だな。

しかしこの曲の存在感は圧倒的ですよね。
そう思うのは日本人の私たちだけじゃないと思う。
ブラームスという人間の曲を聴いているといろんな曲でもういい加減にしろというくらいこの運命のタタタ、タンという動機が出てきます。
昔の日本人もその圧倒的ななにかにやられたのかな?


余計なことを言ってよければ、指揮者ブルーノワルターの特徴としてよく言われることの一つに
彼の特色はベートーベンの交響曲だと偶数番号の曲でこそ生かされる・・みたいなのがある。
とがって暴れる曲より丸く優しく歌う曲のが向いてるという話だ・・
でも、私個人的には7番のフィナーレとかいろいろ聴いてると奇数曲でも他の誰よりあばれて見せてくれるのがワルターだと思っています。

クラシック音楽が好きですなんて言っているけど、ベートーベンの5番もちゃんと聴けていないんだから、まだまだ何にもわかってないのかもしれないですね。私は。
ベートーベンは超絶名曲がたくさんあるんだろうけど、恥ずかしいくらいそれらをまだ聞いたことがないと思う。
また恥ずかしいとか書いているわけです。

最初の写真、昔は田んぼの人がしょっちゅう来て右側の草地はいつもゴルフ場みたいにきれいになっていたけど今は違う。
左側の地主も訳があってもうここには来られないと思う。
夏草はものすごい勢いで伸びてみちを埋めています。
自分もこちらを通るわけではなくなったので刈ってやろうという気もないんです。
どんどん荒れてっちゃうのかな・・

先日ホイールをぶつけちゃったと営業に言ったら一言目は「お怪我はありませんでしたか?」だった。
前の車のスポイラーをぶつけたとき、担当営業は指をさして大笑いするような奴だった。
車が売れないんですとか言ってたけどそりゃそうだろうなと思った。

気の持ちようで

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車で家を出るとここを通っていくわけですが、右側のコンクリが白くなっているのは私がホイールをぶつけたところです。
2トン車でも通れるし、今まで15年以上ほぼ毎日通っているわけで狭くもなんともないのに、ぶつけてからここが結構怖い・・
またぶつけることにおびえているのである。
逆に言うと、怖いと感じるようなことは皆気の持ちようで実は何の問題もないという事かもしれない。

先日整体に行って、年中首が凝ってると言ったら首のあたりを矯正してくれた。気のせいかあれから首が凝らない。
正確にはいったん凝りかけるんだけど、いつの間に勝手に治るきがする。
正直に言うとまだ整体というものを疑っていてだまされてるんじゃないかとも思うんだけど、だまされてコリがなくなるんならそれでいいじゃないかとも思う。

気にしないと一度は吐き捨てたはずのものがもやもやするので状況・原因等を分析して違う側面から見ると、ひどい失敗に見えるそのことが実は発展的に良い方向へ進んだ一歩なのではないかと思えたりもする。
そう思えればその瞬間は心が軽く明るくなった気がする。
またすぐに戻っちゃうんだけど。

人間の心は事実と関係なく気の持ちようなんじゃないか。
今、ほっとくとばねで押したようになんでも悪い方向へシフトするのでばねの向きを変えて何でもいいほうへ考えられたらいいんだろうな。
ちょっと難しいのでとりあえずニュートラルになれるように・・

マーラーの交響曲第1番という曲があって、その第4楽章は若者の心の嵐です。
完成が28歳と作者自身も若いので死んじゃうような苦悩の正体は失恋だったりするわけですが、途中でその苦悩を踏み倒し、圧倒的な勝利の上に立つ!みたいな場面があるんです。



音楽的にはハ長調からニ長調へというすごい転調をやっているわけなんですが、
この曲を初めて聴いたとき、ここでたまげた。
宝箱みたいなもののふたが勝手に開いて中から光があふれだしているのをみた。。

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転調の瞬間にルフトパウゼ(ふっと間をあける)の指示があってこれもみそなんですが、ワルターは無視してますね・・

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マーラー自身、誰かの手紙へ天から光が(だっけ?)降ってくるような効果を出したくて、この転調を思いついたみたいなことを言っています。
ここでうまいなともうのは、この転調のすごさを聴き手に印象付けるためこのすぐ手前で
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暗示というか妄想というか
転調しないでハ長調のまま行くファンファーレを一回聞かせてるんですよね。
普通だったらこうなるでしょ・・と。
すぐに吹き飛ばされちゃうんだけど。
その後にあれを聴くとさらにものすごい事になっちゃってて余計びっくり!みたいな・

このすごいニ長調への上昇の後ずっと勝利の歌が続くかというと‥森に入って冷静になり、またハ長調の世界へ降りちゃうんですよね。
この勝利は気のせいというか強引な勘違いだったのか・・・
勘違いでも、そうだと思えばあんなところまで登れるよという事か・・

この後曲の終わりにかけてこの勝利のファンファーレがまたでてきます。
今度は最初からニ長調で、、有名なホルン奏者は立って吹きなさいという指示を含む強い音楽で強引に勝利を確定しようとして終わります。

でも、この作曲家の曲だから・・このニ長調の勝利の叫び、実はやっと苦悩に勝利したと思ったらあの世だった=死んでた
みたいなオチなんじゃないかとも思うんですよね。

ものすごくハッピーエンドな曲にも見えますが、実はものすごくブラックな悲しい曲かもしれません。
どちらで聴いてもいいんですよ。
裏まで読み取ったほうが偉いとかそういうことが言いたいんじゃなくて、気の持ちようで何でも違って見えるんだなと・・

整体師も最初の問診でちょっと見ただけで全部お見通しなんだよ的な・・
「いつも足組むとき左を上にするでしょ?」
「右だけどなぁ‥」
「そうね右だよね・・」
「花粉症ありますね!?」
「ないです」
「ないよね~」
こういうのでいちいち、インチキくせーなとか思うから人生損してるんだろうね。
良かったなー効いたなぁーとかだけ感じてられればいいんだ
何でも治るとか言ってたけど
歪んだ精神も矯正してくれないかな。
治りますよとか言いそうだなあの人。

どっかいった

いろんな警報が出ていますね。
警報って聞きたくないですよね。
嬉しい警報ってのはないですもんね。

昔旅行で、十勝だったと思います。
豚丼食った人間向けかコンビニでやけにたくさん売ってたサラダを食べ・・関係ないか・・
ホテルで寝入りばなに火災警報が鳴りました・・
が、私はどうせ何かの間違いだろうと高をくくり余裕でいた・・廊下からも誰か出て来るような音は聞こえてこない。
しばらくすると誤報を詫びる放送が入った。
でもこれ自分で言うのも恥ずかしいですが、全くおかしいですよね。
勝手に誤報と判断したけどどこにも根拠はない・・もし本当の火事ならそんなことやってる間に煙は広がり避難路を絶たれて私は死んだ可能性があると思う。
いらんことにばかり不安を感じて肝心なところで全く危機感がまったくない。
逆転させられれば効率よく生きられそうだけど、どうやるのかな。
この時の旅行も一人で、無人地帯ばかり選んですごしたけどしたけれど、よかった・・
また行きたいけれどしばらくは無理だろう。

気分転換をどうしてもしたくて、どこかいきたかった。
いつもと全然違う時間がすごせればそれで気が済むんだろうと・・
車で自分には全然縁のないベットタウンみたいなところまで行き
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一生のる必要もない路線に乗る・・

渋谷についても街自体には興味がない。興味を持ったのは
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こんなの。
クラム。
すごい深さから土をつかんでくるんだけどこういうの見てて飽きない・・
見えないところをつかむのにカメラとか付いてんのかなぁ・・
怒りもしないで笑ってみてる嫁さんには感謝の気持ちしかない。

帰りも、自分には全く縁のないような駅で降りて
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プラプラする。
鉄道マニアだった子供の頃、駅名がプラーザってなんだよと思っていたその駅へ35年後くらいに降りてみる。
街歩きでもしようかと思ったけど、駅自体がショッピングモール化していたのでその辺をふらつく。
普段なら絶対近寄らないアロマなんとかみたいなお店に入って店員さんにつかまる・・いつもならすぐ逃げるけど・・・ずっといろいろ話して教えてもらった。なんか買わなきゃまずいのかなと思ったけど、どっかいっちゃったので何も買わずに出てきた。
嫁さんの気が済むまでいろんな店を見て、地元にないような店で晩飯を食って・・

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駅を通る沢山の人とか、遠くの家だか団地の明かりを見ていると・・
いろんな人がいろんな人生実行中なんだなぁ‥と思う。
昔、親父は私の顔を見る度「お前は出来損ないで人より劣っている」と罵った。
他人を見ると自分より幸せで優れている、自分は恥ずかしいと感じる癖を抜きたい。
現在矯正中です。
すぐ戻りそうになります。
整体みたいです。
「長年ほっといたからね~」みたいな・・


michaelさんがリピート書いてないんだよと教えてくださった、
モーツアルトのハフナー交響曲でも聴きましょう。
この曲も「君の人生に乾杯」みたいだなと思って・・
私の人生に乾杯。

名曲喫茶ライオン

一般人が簡単にオーディオセットなんて持てない時代、クラシックのレコードがかかっているのを聴きに行く名曲喫茶というものがあったそうですね。
今でもあるのは知っていたけど、自分は行っても楽しめない気がしていったこともなかった。

でもどこか出かけたいが行き先も思いつかないので、死ぬまでにに一度くらい言ってみようと渋谷の名曲喫茶ライオンというところに行ってみました。

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そこはスマホが案内してくれるからたどり着けたけど・・・みたいなとこでした。
入り口のドアに「店内撮影禁止」とあったので店内写真はありません。
撮ってるお客さんもいたけどね。

入ってみると薄暗い店内には白いカバーのかかった椅子が見える・・勝手に座れ的な雰囲気を感じ、二人で向かい合って座ろうかと思うとテーブルの向こうに椅子がない。え?
ステージというかオーディオに向け方向性をもった配置となっているらしいことはすぐに理解できた。あせって部屋のすみの対面で椅子のある席にとりあえず座ってしまう。

お、音楽は‥あぁかかってる。
ソプラノが歌い・・男声合唱が答える・・知らない曲だなぁ・・歌唱法?が古い気がする・・誰の曲かわからないぁ・・
モノラル・・・
ここでのオーディオ、音楽は2chステレオではないらしい・・
水とメニューのほかにプログラムというの二人分持ってきてくれた。
当たり前なんだろうけどケーキとかパフェなんかあるわけがない。
整体師に「冷たいものは飲むな」といわれたばかりなのにアイスコーヒーを注文。
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プログラム。
昔使ってた版で刷ったような・・
立体再生装置とか立体名曲というのが誇らしげに書かれているけど、2chステレオのことではない。
巨大なモノラルスピーカーが2回の神殿みたいなところに作り付けてある。
ごちゃごちゃ書いてある小さな文字は、昔風の文体で

 アメリカの雑誌オーディオに当店の演奏装置が写真入りで掲載になりましたので渋谷のライオンは世界的のライオンになりましたことを光栄に存じております。-昭和三十四年-

とある。
この文体・・もう80になるのかなというかつての上司も、何か書くとこういう感じの文章を書いた。
技術文書なので恥ずかしいと思っていたけど、そういう時代もあったのかなぁ・・
この鞄は入社した昭和33年に買ったものだとか言ってたな・・


1959年といえばステレオ黎明期の名録音が次々録られていたころだ・・とはいえ一般でステレオはまだ次世代のものだったはず・・
このお店はそれ以前のモノラル絶頂時代のポリシーがそのまま固定されて今まで来ているんだなと思った。
毎日3時と7時からはコンサートとして店の設定したプログラムを聴かせてもらえることになっている。
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むかしはこれを目当てにみんな聞きに来たんでしょう・・あぁ今でもそういう人もいるのか・・
今日はシューベルトの4番とシューマンの4番ヨッフム指揮のコンセルトヘボウ・・だけどうんと若いころの昔のヨッフムなんだろうな・・
こちら側にも
真のHIFI 立体音響
全館ステレオ音響完備 (帝都随一を誇る)
とある・・

しつこいけどここでいうステレオはいわゆる2chステレオのことじゃない。
部屋中に広がる音・・みたいな意味だと思う。
1950年代なんて誰もが家でオーディオを持ったりできる時代じゃなかったんだろう・・
きっとその頃にこれは驚きの超絶音響空間だったんだろうなぁ・・

しかし帝都って・・
今東京メトロだっけ、私が鉄道少年だった子供の頃は「帝都高速度交通営団」だった。

出てきたアイスコーヒーをちょっと飲んで落ち着くと店内の状況も見えてくる・・
座ったここは音的にあんまりよくないかもしれない・・後で席変わってみよう。
隣の人は、ここが何か知らずに待ち合わせに使ったみたいで「ここ喋っちゃいけないんだって」・・は?みたいなことを言っていました。
ネットで見るとみんなここの私語はご遠慮ねがいますみたいなのを「特殊な」特徴として上げている。
そんなの言われなくたって当たり前でしょう?とかいうと変態扱いなんだろうな。
クラシックを聴かない人と話すとき気を付けていないと認識のずれで嫌な思いをする。
私が変態なだけなのかもしれない。どちらにしろ嫌な思いをしたくないので人音楽の話はしないようにして生きてきました。
最近油断して失敗した。


巨大スピーカーの前にはベートーベンの胸像・・
再生装置は多分オーディオマニア的な超絶高価なもの・・ではないな・・
音質・・をどうこう言う場じゃないんだよな。

バイトかなとも思う若い店員さんがマイクで「モンテベルディーの・・・でした」
えっあれモンテベルディだったの・・時代だな・・全然そういう風に聴こえなかったけど・・
これからコンサートだと言ってシューベルトの4番がかかる。
シューベルトの4番は今では有名曲なのかもしれないけど実は全然聞いたこともなかった。
ベートーベンの先にシューベルトがいるんだなぁ‥なんかいい曲じゃないかなぁ・・
知らないいい曲を教えてもらえたという・・俺も名曲喫茶の客になれたのかなぁ・・
楽章が終わると何人かのお客さんがお金を払って出て行った・・
「ありがとうございます」なんていわない。
移動は楽章間とかちゃんとしてる気もする。
多分楽章じゃなくて曲が終わったと思ってんだろう・・
あさってみたいなところから人が出てたので、2階席があることに気付く・・
この際だから行ってみるとスピーカーの前の部分は吹き抜けになっていて、2階最前列はスピーカーの真正面だ・・

音質とかについては・・
オーディオマニアみたいな人向けにはやってませんと言うことなんでしょう。

周りを見ると・・白いカバーがついた椅子が並んでいる様子は昔本で見た客車時代の特急「燕」の一等車みたいだ・・・二等車かな・・
昔はきっとすごい空間だったんでしょうねこれ・・完全冷房完備・・・
そこに座ってるあの人は・・寝てら・・
指でリズムとってるあの人は聴いてるんだろうな・・
ノートパソコンなあの人はどうなのかな・・
腕置くんで目を閉じてるこのひとは・・
一番ちゃんと聞いてないのは俺だな。
ドアを開けて入ってはきたものの・・えっ何ここ?・・という感じで出て行った人もいた。

シューマンの交響曲第4番・・
そう、この曲が似合うよなぁここは・・・
この曲、カビの生えそうな陰気さと明るく開放的な躍動感が同居しているいい曲なんだけど、その開放感がばぁーっと炸裂するような演奏が好き・・ちょっとそういうのここには合わないかなぁとも思ったりして・・

嫁さんが退屈だろうし店を出ることにしました。

今聴きたいだけならスマホとイヤホンでどこででも聞ける。
貴重な歴史的録音もYoutubeに転がってたりする。
でもそういうんじゃない人が来るんでしょう。
ネットで検索するといっぱい出てくる記事はみな、ちょっと変わった珍しいものがあるから見てきた・・みたいなスタンスだ。多分普段クラシックもオーディオも興味ない人たちじゃないかなぁ・・
そういう人もいっぱいくるんでしょう。

私は田舎からへらへら出てきたからあれだけど、都会でわさわさ生活してるとたまにこんなところに来てみると心が満たされるのかもなぁ。
俺は恵まれていて家で好きなように音楽を聞かせてもらえるけど、マンションで子供優先、仕事も忙しい・・嫁もなぜかずっと怒ってる・・とかだったらここに入り浸るかもなぁ・・
人と話すと嫌な思いに至るような私は、人と話しちゃいけないのが基本のこういうところが・・そういうのじゃないか・・
今はそういう気分じゃないけど一人ここで1日沈みたい日も来るかもしれない。誰にも邪魔されず音楽だけがある・・

いろんな人がいていろんな考えがあるんだろうけど、私が何をどう感じようと関係なくこのお店は今後も存在し続けるんでしょうね。

音に感動しましたとか、本物を知りましたとか思ってないことを言うのは逆に失礼だと思う。
とはいえ、誇りをもって続けられている何かみたいなものを感じてそこには感動しました。
一度行ってみることができてよかったなと思います。


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手前の駐車場に車を止めてタワレコによくいった。
駐車場解体してた。タワレコに行く気も全然なくなった。
もともと都会の刺激とか時代の最先端とかいうのとは縁のないところで生きているけど・・
なんというか・・もう渋谷に行くこともないのかもなぁ・・

忘れる

先週、整体なんか行かないと書いたのに結局行ってきた。
ゴギッとかやって・・腰が伸びたような気がしなくもない・・
足を押さえつけながら「上げようとしてみて・・」みたいなので
施術後に「同じ要領でやってみてください・・すごーい!こんなに力が強くなった!」
え?いま全然押さえつけてなかっただろ・・
効果を実感させたい一心なのかもしれないけどそういうのやるなら中途半端はダメだ。
絶対にわからないようにやるべき。
他のいろんなこともみんな嘘に見えてくる。
一度きた客をなんとか逃がさないようにという工夫や仕組みも透けて見える・・
まぁ商売だからな・・
今まではこういうので嫌な気分になったり、腹を立てたりしたけど、微笑ましいなくらい言えるおっさんになりたいなぁ・・
だまされてんのかもしれないけど腰のあたりが伸びて妙に爽快な気もする。
もう2,3度くらい行ってみようと思う。
そんなことより、たくさんの方からコメントをいただけて嬉しい1日(昨日です)になりました。
ありがとうございました。

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3週間くらいになるのか、ホイールをガリった車・・
ずっとそのことが心にのしかかっていたんだけど、早くもまぁいいや感が出てきた・・
もちろんただどうでもいいわけではなくて、いまはちょっと走って虫でも付くとすぐに洗う・・雨が降れば洗う・・と毎日のようにやっていて周りがぴかぴかテカテカになっている・・その姿を見てられれば満足みたいだ・・


中学生の頃、極度の人見知りだったはずなのになぜか女の子に告白をしたことがあって当然のように振られました。
よせばいいのにそのショックのさなか音楽を聴いてしまいました。
ワーグナーのある曲ですが、それを聴くとそのことを思い出すようになってしまい、しばらくその曲を聞けなくなってしまいました。
とはいえ4,5年でまた聴いていたよな。
その後、病的におかしくなりそれに絡んだ理由で聴けなくなってしまったある交響曲があります。
その第4楽章を聴けるようになったのは本当につい最近のことです。
25年間くらい聞けなかった。
今は大丈夫。
もう思い出そうとしなければ何が問題だったのかを思い出すこともない。
そんなもんだよ。

昔、瀬戸内寂聴がつらい事から逃れるために仏門に入るというのはやめろ。そんなもん時間が解決してくれるから。
というようなことを言っていた。
そう、どんなことでも時間が解決してくれるんだろうきっと。
死んだほうがましだと思うことでも。
原因が持続しちゃってるとダメだけど・・



ドボルザークの交響曲第8番、4楽章はブラームスの4番の4楽章を研究した成果だとかいわれてます。
聴いてると変奏曲とソナタ形式を融合したような印象になってて、ここでわー!っと・・・という構造感みたいなのが結構似てると感じる。
でも、ブラ4みたいに白装束で五輪の書でも書いてそうな厳しさじゃなく、お楽しみくださーいみたいな音楽ですよね。
第3楽章はそれ自体素晴らしい舞曲
第2楽章はステキな日曜日の午後・・お茶でも飲みながら楽しいひと時・・
魅力的なメロディーがあふれてはみ出そうな第1楽章・・
お楽しみ交響曲・・・なんかこういい感じのお店でチキンソテーとアイスクリームとか食ったみたいな・・

何が言いたいかというと、こんなドボ8みたいな気持ちで生きてきたいです。

今あるなんだか嫌な気分も、時間がたてば忘れちゃうようなどうでもいいものなんだろう。
犬の糞みたいなもんだわ・・ざまあみろ。
心の他のところをよくして、それで満足できればいいんでしょう。

でももしこの先、とてもつらい事があったときは音楽を聴かないようにしようと思う。
残り時間も限られてくるのに、聴くことができない・・なんてやってる場合じゃないんだから。
そんなことがあるのもそもそも困る。

こんどまた、大事なことまで忘れちゃうとそれはそれでまずいけどね。
人生同じ失敗の繰り返しだ。
その失敗を忘れちゃうからまたやるんだけど、またやっちゃったと暗くなっちゃうそこは忘れよう・・
なにいってんだ。


ブログ書いていますが、こういう心がどうのとか言っていじけたようなことを書いているときは
思うことを公開した文章の3倍くらい書いていたりします。
勢いに任せてダーッと書いてしまい、これはまずいだろうと消したりしています。
心の膿みたいなものをこの入力画面上に掃き出し、それが反映されたプレビューをみるとちょっとすっきりするらしい・・
その後それをここから削除すれば忘れてしまえ・・るかはわからない。



適当に楽しく生きてくからもう。

小さな花

足の痛いのが治らないので整骨院に行ってきました。
スポーツ選手のケアをしてるんだかなんだか・・複数の人が進めるので大丈夫だろうと・・
ちょっとよくなったのかな?まだ痛いのか・・かばう癖がついちゃってんのかな?
心もバランスを崩すと自分をかばおうとするんだよね。
それでいらんこと発して、それに気づいてまた更に・・とかでしょう?
大丈夫。自分が悪いとか思うのやめる。

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自分の気分を反映して見えてくるものが変わるとかいう絵、心理学テスト的な絵をどこかで見たことがあります。
それが本当にそうなのか知らないですけど、生活していて目に入ってくるものすべてがそうやって違って見えるものかもしれませんよね。
花も景色も人も。

庭で朝顔が一生懸命咲いてるのに、自分の調子が悪いと見逃してしまう。
こういうのいちいちキレイだなとか思ちゃって出かけられない・・くらいになれたらいいかなぁ。
今日はそんなかんじでしたよ。

ブラームスの交響曲第1番という曲があるんですが、その第4楽章の第1主題がクラシック界で変に有名です。
暗く厳しい人生みたいな音楽の後・・でも明るく豊かな気持ちで生きてるよ・・みたいな

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力強いのに優しく温かい。
威張ったりひけらかしたりなんかしない。そんな必要ない。
自分が豊かでいられたら・・もう誰の悪意も届かないから・・
刺出さなくてもいいんだよ。
弦楽合奏、ヴァイオリンがG線で歌うその歌はなんかこう、豊かに粘っていて・・うどん生地こねてるみたいなんですよね。
旨いうどん。
誰か、これがベートーベンの第9に似てるとか言ったらしくて作者は馬鹿のいう事だと怒ったみたいです。

この楽章の頭は、人生は暗く厳しい・・みたいな世界で始まります。
でもただ打ちひしがれてるんじゃなくて暗闇の中、何か模索するように動いたりはするんですよね・・
そこにまた襲い掛かる暗く厳し・・
その中に
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うどん主題が隠されているんです。
暗い音楽なんだけど、この隠された主題はBに♮がついていたりして最初の2小節なんかうどんそのものなんですよね。
これ、暗いほうにばかり気を取られていると見逃してしまう・・庭の花みたいだ。
明るく生きてるとこの主題が聴こえるんだと思う。


暗い、厳しい状況・・でも冗談じゃねーよ俺は俺だよ楽しくやっちゃうよみたいなのが心の底にある訳でしょう・・
これ、恥ずかしいけどにこの主題が隠されていることにずっと気付いていなかったんですよ・・
暗い、厳しいほうにばかり気が行って・・
全部自分の気の持ちようなんですよね。
周りとか関係ない。
笑っちゃうよねーうまいうどん食いたいなー

そういうブラームスも敵を作った話がいろいろあります。
実は本音と違うことを言っちゃう自分に傷ついたりしてなかったのかなと思う事があります。
あったこともないし知らないけど。
4番にあるあの強い主張はこの1番の力強さとは全く違うものだ。
あれはあの人の生きてきた結果の叫びだと思う。
私は、あまり他人のことを「こういう人」なんて考えないほうがいいかもしれない。
大抵、全然違うから。
でも作品から作曲家の心に思いをはせるとかはいいでしょう?


今日も色々ありました。
でもいいやそんなの。
また別な整体予約しちゃった。
週末どっか適当に出かけたいなぁ・・
台風来るのかなぁ・・
雨なら音楽聴こうかな。

朝顔、
いいななんて思って眺めてやると、ちゃんとわかってるんだと思うんですよね。
かわいいよね。


リピート

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夕食時テレビでBSを見ていたら通販でモーツアルト全集CD170枚・・というのをやりだした。
いつも健康食品ばかりなのでちょっと新鮮だ。
ぼーっと見てるとHMVなんかの宣伝文句とは全く違う手法のナレーションに笑った。
1曲あたり43円!とかいって低コストをアピール。
大曲、小品、重く荘厳な作品、軽い冗談音楽・・等一切考慮せず単純に曲数で割ってみる・・
よくある茶番資料、インパクトのある数字が並んでればいいやみたいな。
そのうち「仮に聞かなくても持って飾っておくだけで豊かな気持ちになれます・・」・みたいなことまで言い出した。
もうタブーみたいなのまで売り文句にする・・いいからまず買いなよみたいな・・
ありがちなバッタもんかと思ったら、HMVとかでも売ってって内容はちゃんとしたものみたいだった。
宣伝だってお金がかかるんだし、やる以上は売らなきゃなんないんじゃないか・・
クラシックなんか聞かない層をターゲットにしていると思われ・・売り切る自信もあるのかな?ちょっと面白いな。
買った人で、全部聴いてみる人ってどれくらいいるのかな・・・
むしろクラシックが好きな人ほど全部は聞かないんじゃないかなぁ?
CDも安くなっちゃったからクラシックのリスナーでも買うと満足して聞かないという状況はそこらじゅうで多発してるんですよね。
もう多発というほどひといないのかな?

なんかあれですね、音楽とか作品とか芸術とか心とか言ってるけど実際データですもんね。
データを扱う経費みたいなものが値段になっているけど、音楽の重さとか心で泣いたとかそんなのはお金じゃないってなことか。
まあ何でもいいか。

ブログで色々なCDの感想を聞かせてくれる人たちがいますが、本の付録みたいなCDの正体不明な演奏を、いつもの名盤と同じスタンスで聴いた感想を乗せてくれているのを見かけたことがあります。
ちょっと感動した。
音楽は音楽なんですよね。


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中学生のころから、ブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団のCDを聴いていろんな曲を覚えてきました。
ワルターの録音の特徴として、交響曲のリピートを徹底的に省略しているというのがあると思うんです。
ベートーベン、シューベルト、ドボルザーク、ブラームス、マーラー・・・・グレートのスケルツォはやってたかな・・ほかにもあるのか・
後は徹底的にしない。
短い曲だと本当に短くなっちゃってて・・
実演ではリピートしてたのかな?
繰り返し再生される録音芸術に対する彼の考えなのかな?
SP時代は5分で盤を変えるんだからリピートなんて無意味だったろうけどもうLPの時代だからそれはいいんでしょう?
レコード会社がそうしてくれといったのかな?
80歳過ぎて体力的な限界とかあったのかな?

マーラーのコンサートの演目なんかを見ると曲が盛りだくさんすぎてもしかするとリピートなんかしないどころかカットしまくりだったんじゃ?と思ったこともあります。
そういうマーラーも自作の1番や6番にリピートを書いてる。
コンサートの中でその曲をどう聞かせたいかで、リピーしたりしなかったりするのかな。


今日なぜかモーツアルトの40番がのフィナーレが聴きたくなってワルターコロンビア響を聴いたんですね・・
ボーっと聴いててあぁ曲が終わるなと思うと減速しない・・
あれ?リピートしてる・・・
あれリピートするんすね・・・
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モーツアルトが大好きだったらしいワルター。
彼のその特別な愛がここに出ているんだろうか?
よっぽどこの楽章に特別なものがあるのかな?
晩年、オカルト的な何かに心酔してモーツアルトの霊と会話してたみたいなことを何かで読んだ気がする。
その出てきたモーツアルトが言ったのかな?
「このシンフォニーはちゃんと繰り返しやってよね」

そんなに騒ぐ話じゃないのかもしれないけど・・30年前から時々聞いてる演奏なのに今更驚いたので書きたくなったので書いてみました。
評論家の宇野 功芳がむかし、モーツアルトにはまらないクラシックファンなんてこの世にいるのか?みたいなことを書いていました。何故かここにいるわけなんですが、ワルターの録音した後期の6曲と序曲とかだっけ・・は聞きます。
何故かあんまりモーツアルトにはまったりはしないままおっさんになっちゃった。



今、ワルターのモーツアルトなんていってると古いもんいつまで聴いてんだとか言われちゃうのかな?
誰が何言ってたって関係ないんですけどね。
僕はこれ好きですよ。



ゴールドベルク変奏曲なんか、グレン・グールドの演奏に洗脳されちゃっているので、全部のリピートをきちっと繰り返す演奏を聴くとちょっと重くなってくる・・
同じ曲でもリピートされると重くもたれるときと、きっちりリピートしてでかさを感じさせてくれと思うときがある。
通販の宣伝みたいなコストパフォーマンスみたいなので見ると、リピートなしの演奏は割高なんじゃないか・・そんなこと言う人はいないか。