誰に刺されたのか マーラー交響曲第6番

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マーラー交響曲第6番 終楽章のハンマーですが、体にも心にも深く突き刺されるこの衝撃を与えたのは誰なんでしょうか?

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一回目のハンマー、続く弦楽器はこの

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運命の姿そのものですね。
ハーディング盤みたいな速いテンポで聴くとここはハンマーが肉体と心に突き刺さったのを見て運命たち(たくさんいる気がする)が喜びの雄たけびを上げて飛び跳ねているように聞こえます・・
非常にグロテスクで怖いです。
操っているのは運命でしょう。。


ここから先は個人的な妄想でネタなので適当に読んでください。
柴田南雄の本に似ているものを引用だと騒ぐのは馬鹿だ・・みたいなことが書いてありました。
私もそう思います。思うのに、
調子に乗ってそんな馬鹿なことを

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ハンマーがー刺さった後トランペットの2,3,4番が悲鳴のような叫びをあげます。
1番は次に備えて休んでいますね。
手前は5,6番が担当していた。
事前に提示されていたコラールによるものですが、

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交響曲第3番の第5楽章、このチェロに似ていると思うことがあります・・
ここ、イエスが聖ペテロに「お前はなぜここにいるのだ?」とかいう場面ですか・・

ハンマーの衝撃は”裏切り”によるものだったのではないかと・・・

考えすぎでしょうね。
いい加減にしろよみたいな・・・

こういうメロディーはいくらでもあって・・似ている物を探せばいくらでも出てくる・・
歌詞や曲名がちょうど都合のいいようにつながって、引用ではないか?・・
みたいなのはいくらでもいえるんですよね・・

この時点ではマーラーは幸せまっしぐらですから、この曲みんなフィクションです。
別にマーラーの人生と重ねて考える気もありません。

似てるもんで騒ぐなと言っていた柴田南雄もマーラーの第3交響曲冒頭のホルンがブラ1のフィナーレに聞こえて仕方がない・・・と書いていたと思います。
あれは意味があってそうなっているんでしょうか?
ただ似ただけでしょうか?
私は似ているとは思いますが、ブラームスは浮かびません頭には・・・
あれフィナーレの主題から来てるんじゃないかなぁ・・

ごめんなさい。
全部個人的な楽しみのための妄想です。

こんな場面だし、何かあるんじゃなんて考えたくなってしまうんですよね。

Comment

おお、音楽妄想家 同志!
こんにちは、“スケルツォ倶楽部”発起人です。毎回 unagiさんの興味深い考察を拝読、今日もウナっております。

「似てるもんで騒ぐな 」と言っていた柴田南雄も「マーラーの第3交響曲冒頭のホルンがブラ1のフィナーレに聞こえて仕方がない 」・・・ (一部略 )私は似ているとは思いますが、ブラームスは浮かびません

≫ ここ、私も同感ですね。お考えのとおり「あれはフィナーレの主題から来てる 」はずです。マーラー第3番のフィナーレ ・・・ 静寂の弦による冒頭、それは 4度下から上昇する「いくらでもある 」素朴な旋律ですが、敢えてこれをマーラーは 第1楽章冒頭のみならず、第2楽章の可憐なオーボエでも、第3楽章スケルツォの森奥からのポストホルン・ソロの途中にも、そして第5楽章 - 鐘の音を模倣する児童合唱に続けて現れる喜びの管フレーズ - にも、そのまま使ったり 短調にしてみたり 展開させたり 逆行させたりと 繰り返し登場させてます。さらに、この第5楽章では 44小節から聖ペテロが Ich hab übertreten die zehn Gebor と、キリストのことを否認してしまった「裏切り 」を悔やむ歌詞を アルト独唱によって歌われますが、その旋律線もしっかりとフィナーレ主題に似せて作られているように聴こえてしまいます。
ついでに、このアルト歌唱部分が J.S.バッハ「マタイ受難曲 」第39番のアリア、ペテロの「憐れみたまえ 」Erbarme dich, mein Gott の 4度上昇するところにもまた 思わず「似てるもんで騒 」いでしまう(笑) 、そんな 私 発起人でした。長文失礼 (^_-)
こんにちは
発起人さん、こんにちは
いつも読んでいただいてありがとうございます!
発起人さんのいろんな記事は果てしなく広がっていて楽しいし興味深いですね。
マタイ受難曲のご指摘もさすがです。
私には実感しにくいですが、聖書を読むような人たちにはもっと身近というか心に食い込んでくるような話なんでしょうか・・
マーラーは作曲時意識したんでしょうね。
富田のマーラーというのがあったのも興味深いです。写真も若いですね・・
  • 2017/04/23 10:53
  • unagi
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