カオス

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多重テンポが楽譜上に現れる場合、そのことが言葉によって指示されている場合と、音符そのもので見かけ上の多重テンポを固定している場合があるんだと思います。
単純な多重テンポとはちがうのかもしれませんが、マーラーの9番にも上記の後者の様な感じで昔から気になっている部分があります。


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第4楽章は冒頭に叫ばれる旋律の中にあるターンがしつこいくらい繰り返されます。
別な曲から引用されているターンに似た音型も何度か繰り返されてとても重要なのですが、それの話はまた別にするとして・・

なんとなく音楽でターンが出てくるときは愛を示していることが多いような気がします。

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もともとはワーグナーのイゾルデの愛の死からきてるのかなと思ったりしますよね・・

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これが第3楽章のトリオで予告されるのは有名な話ですが、

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トリオに入る直前、せわしない音楽の中でさりげなく顔を出しているのが面白いですね・・


第1楽章で
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愛を叫ぶ重要場面の直前に出てくるこの5連符、第1ヴァイオリン、その前の小節で力をためていますが・・・



第4楽章、東洋風の中間部の後クライマックスに向けて音楽はもり上がっていきます。何段階かに分けてのぼて行くんですが、各パートが一見バラバラに動ぎだしてカオスのようになっていく部分があります。

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その中にターンのような音型があります。
ここではこのターンが短い時間にいろいろな速さで奏されていてあたかも多重テンポのように聞こえると思うんです。
実際にはここはホルンなんかも別なことを叫んですごいことになっていますので細かいものをそれぞれ聞き分けようと思ってもなかなか聞き取れません・・
それでいいんだと思います。
ぐしゃぐしゃの中からなんとなくいろいろ重なって聞こえてくるターン。
いろんな別口それぞれが愛を叫んでいるんだ・・
みたいなのがすごいというか大事というか・・
最後に第1ヴァイオリンが力をためて5連符を叫ぶところは第1楽章のあそこと同じですね。

この修羅場の後に 愛も、生、願いも、すべての叫びが運命によって引き裂かれるのを目撃することになります。

いるよ

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犬と散歩に出かけ、いつもの場所でいつものようにぼーっとしていると・・・
カモが一羽だけいるなぁ・・いつもつがいなのに・・
あっ!子ガモだ・・・
母さんの周りにたくさん展開している・・何羽いるんだろう・・日向ぼっこだね。
ここなら猫も蛇も来ない・・あっここで蛇が泳いでるのみたことあるよ・・気を付けて・・
悲しいことだけど日を追うごとにその数は減っていく。
食べるほうも命がかかってるし。
世の中は厳しく恐ろしいところなんだよ。
鳥のあかちゃんだって、おいしいなぁとか気持ちいいなぁとか楽しいなぁとか感じるんだろう。
せめて生きている間はめいっぱい楽しんで。
みんながんばれ、みんな無事大人になれ。


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この人は作曲家としては最高峰の勝ち組ですね。
ピアニストとしても一流であったらしい・・どんな演奏してたのかなぁ・・
ほとんど聞こえない瘻管の録音が有名です。聴こえたところで、極端にシャイだった彼はやっつけ仕事みたいに弾き飛ばして終わらせちゃったらしい・・むしろそのエピソードが興味深い。
ピアノロールは残さなかったんでしょう?

昨日トリルがどうのこうのとか書いていて・・・
トリルって面白いですよね・・トリルネタだけでいろいろありそうです。

ブラームスのピアノ協奏曲第2番の第3楽章は独奏チェロが出てきてピアノとチェロのための2重協奏曲みたいです。
ノクターンですよねこれ・・地平線まで見渡せるような美しい夜の光景・・
初夏の・・・・日本のこんなじめじめした夏じゃなくて・・
イタリアに行って着想したんでしたっけ?・・
イタリアなんか行ったことがないけど北海道の道北か道東のどこかでいつか見たあの感じ・・

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色々あって後半の再現部、歌うチェロをピアノがトリルで飾っていく部分があって素晴らしいんですが、その素晴らしい部分が夢のように始まっていくところでトリルの開始が音符で具体的に書かれているんですよね。
だから何だって話かもしれませんが・・・
始めてみたときに感動したんですよ。
ブラームスがどんな演奏をしていたかを知るすべはもうないわけですが、ここに関してはブラームスがトリルを弾いて聴かせてくれているみたいじゃないですか・・・
このトリル、オーボエとも絡んでいくんだよね。
なにしろ充実してるよなぁこの曲・・

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同じ楽章の最後、ちいさなカデンツァみたいになっていますが、トリルが夢のように登っていく・・
ピアノが全部持っていっちゃいそうなのを見てチェロがいや俺もいるんだよって感じで締めにくる・・でもやっぱり最後に語るのはピアノ・・
最終和音は夢から覚めてまた地平線まで見えるような夜景・・を感じます。
いい曲ですよね。
聞こえている間、どんな嫌なことも忘れる。

一生もの

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今は行けないんですが、ここが大好きなんです。
いまは花も咲いて一番いいころでしょう・・

いろんな人のブログを見ていると特殊領域の追求みたいなのは興味深く楽しいし、普通に晩飯のおかずが載ってるだけなのに見入ってしまったりもします。
そんな人たちが、ふと弱音をこぼしていたりすることがあります。
みんな色々抱えているんだね。

いつも風邪をひくと治った後も2か月くらい咳が残ってしまう。医者へ行って薬をもらっても治らない。
人から「検査受けて来いよ」と言われました。心配していただけてるのと、迷惑なんだよなんとかしろよという意味もあると思う。
ありがたいし申し訳ないと思いながら「そうですね肺がんかもね」なんて悪態をついたりして・・
この歳になるとほんとに癌だったら・・という思いが一瞬よぎる。

癌で死にたくないと強く思いながら死んでいった人間を見たことがあります。
一方的に迫る死の前での無念と後悔、無力感は想像を絶するものだと思います。
日ごろ死んでもいいやなんて思って生きてきたとしたらそんな自分を殴ってやりたくなると思う。

あれを思い出すと、死ぬときの後悔を少しでも減らすことができるように残りの人生を生きたいと思います。でも難しい。
いろんな縛りを解放できず・・・

そんな中年にも音楽は鳴ってくれる。
バッハのコラール前奏曲「装え、おお愛する魂よ」BWV645
ほとんど何も知らない頃にラジオで聴き、コラール前奏曲というものを教えてもらったのがこの曲でした。



Youtubeのこれはちょっとテンポが速すぎるかな。
いろいろ探したけど、気にいる演奏がなかなか見つかりませんでした。
頭の中に勝手に出来上がっている演奏があるためでただのわがままでしょうね。


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コラールの旋律の最後の音が伴奏の上で長くのばされるというのがよくあるんですが、この曲極端に長いところがあるんですよね。
初めて聴いた時、そこに萌えた・・


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コラールの歌詞は知りませんし調べる気もないのですが、この辺りでは何かすごく熱いものを訴えています・・
生きなきゃいけない気がする。


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いったん落ち着いて冒頭に戻るかのような・・二つの声部が冒頭とは逆の立場でちょっと歌ってみて・・・やっぱりという感じで冒頭の音楽に戻る・・
この音楽はただ流れているんじゃなくて、聴こうとする人の心に向かって流れているんだという気がする・・
人は一人じゃないんだ見たいな気もする。

聴けば聴くほどやさしさに満ちているこの音楽の虜となってしまい、今でもこの曲は最も好きな曲の一つです。
確かメンデルスゾーンもこの曲が大好きだと言ってたんじゃなかったっけ・・


バロック音楽を聴いているときの楽しみに装飾音があると思う。
トリルとか前打音とか、古典、ロマン派以降のものとは違う意味というか趣というか奏法というかを持っていると思う。
バッハが息子のために書いたとかいう奏法の解説みたいなのが有名ですが、古典派以降には出てこないような多様なへんてこな記号がたくさん出てきます。
その解釈というかセンスというか演奏者によってまちまちなんですよね・・同じ曲なのに全然違うものが聞こえてくる。
またバロックの場合は何にも書いていないところにも装飾を入れますよね。名人芸的な話なんでしょうけど、、そういうものにも自分なりに好みがあるんですよね。
いいなと思える演奏とそうでない演奏・・・
トン・コープマンとかいい時はいいんですが、やりすぎでうるせーよとか思っちゃうことも・・
古い録音でトリルがロマン派みたいに下の音から始まってたりすると萎えたり・・
同じトリルでもゆっくり初めて加速して・・その具合とか・・
この曲もいろんな演奏を聴いてみると、各部色々あります。

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自筆譜を見ることができた。
紙を倹約するためできるだけ詰めて書こうとしている・・なのに読みやすく温かいバッハの筆跡。
よくは知らないですが、これは作曲時ではなく後にまとめて清書したものらしい。
書いているとき、300年後の誰かに見られると思っただろうか?

あれだけやってきたバッハだから、死ぬ時は穏やかに行けたんじゃないかな?
事実と伝説は違うのかもしれませんが、彼の最高の技術が結晶化していると思われる最後の作品は
BACH(シ♭ラドシ♮)自分の名前によるフーガ主題を登場させたところで中断したまま残されました。

最後の光を見たバッハ、
あのフーガまだ終わってないんですどうか最後まで・・・
先祖か天使か知らないけどでてきて、
「もう十分やったんだから休みなさい・・」
いや、最後まで・・
「未完で残したほうが絶対うけるから・・」

あれ、何また書いてるんだこれ
くだらないことを書いてごめんなさい。

2重テンポ マラ7

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局所的2重テンポがマ-ラ-の交響曲第7番にも出てきます。
第3楽章スケルツォ。
この楽章は夜のスケルツォですね。夜ですが、ノクターンみたいな静かで美しい夜ではなくて暗闇の怪しさというか・・
闇が語りだし、影が踊りだす・・みたいな音楽でまた各所にネタ満載です。
でもみんなここに書いちゃうとネタが終わっちゃうのでそれはまたということで・・
マーラーのスケルツォはみんな個性的で魅力的ですが、私はこのスケルツォも大好きなんですよね。
その終わり近くに

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木管に極端に加速しろという指示(次の小節にa tempo)。
ヴァイオリンとヴィオラにあるTempo weiterは同じテンポで続ける?・・・
ワルツのテンポは維持しながら木管に出てくる音型は怪しく走り去るというか・・
面白いですよねこれ。

1小節の一言で短いため、聴いていて意外に気付きにくいとも思う。
フルートとピッコロがただ早い音符でなんか言っただけに聞こえる演奏も多い・・
普通に始まってんのに先に終わっちゃうとか、なんかこう異常な指示があったら異常なことがわかりやすいように聞かせてくれると嬉しいなぁ・・

ここで思うのは、やりたければこうやって細かく指示を書くんだなということで・・・
第3交響曲のスケルツォで鳥の声がメインテンポに追従しない・・みたいなのは面白いんですが、指示は書いてななぁ・・と
書いてないことはやらなくていいというかやっちゃいけないのか、そんなの書いて無くたって感じた通りにやればいいんだよということなのか・・

私なんかは両方聴いてどっちも好きですとか言ってればいいだけなんですけどね。



この曲フルート4本のうち一人がピッコロ持ち替えなんじゃなくてピッコロ要員もいて5人なんですね。でっかい編成・・と思わせてホルンは4だしトランペットもトロンボーンも3かぁ・・
最初に出来上がった第2、4楽章がNachtmusikでそ子から始めた曲だからか、間に挟まるこのスケルツォも夜のスケルツォですね。
第1楽章も月明りの下でいろんな音を聴いたり大騒ぎしたりしているような音楽だと思う。
とはいえ、この交響曲全体を「夜の歌」と考えるのは間違えだし訳が分からなくなるもとだと思う。
ハ長調の5楽章は確かに真昼の音楽みたいだけどそこに注目して夜→昼なんてとらえたりするとえらく陳腐な曲に見えてしまいます。巨人や復活みたいに聴く曲じゃない。
5番と同じ系統だと思う。
マーラーのある面での代表作だと思います。
最新の革新的で挑戦的な発想と技法をユニークな音楽にのせて高性能オーケストラとすごい指揮者でお届けします。
お楽しみください。みたいな・・
毎回同じようなこと書いてるかな年取ってきたのかな。
あの頃の自分に向けていってるのかな。
この曲を聴いたのは10曲の交響曲中最後でした。
事前に本などから入っていたこの曲への悪評に影響されていたと思う。

全然違うところに住んでいましたがなぜか町田へ電車で行き、商店街の中にあったレコード店で買った記憶があります。
東急ハンズというのに行ってみたかったんだと思う。
あの頃はどんな知らない街に行っても商店街を歩いて見るとレコード屋があって、クラシックのCDがそこそこ買えた。
商店街ではいろんな店が賑やかに人を呼んでいたような記憶が・・
最近ここだったのかなというところを歩いてみたけどもうレコード屋はなかった・・にぎやかさもなく、記憶と違いすぎるのでいろいろ調べてしまったけどやっぱりあの道だったんだと思う。
25年位前になるのか・・

買ってきて聴いてみたものの・・
冒頭から変な響きのわけわからない音楽に萎えた・・
テノールホルンの変な音色に萎えた。
ギターが出てくるというから過剰に期待していたところ単音がポンポン言ってるのを聴いて萎えた。
フィナーレ冒頭のティンパニソロを聴いて幼稚園の鼓笛隊みたいだと思い萎えた。

今思うとそう感じたのは曲のせいだけでなく、演奏の問題もあったと思う。
何度も聴いているといろいろ見えてきて部分的には気に入ったけど、
からっと全曲入っててきたのはショルティー・シカゴ響の録音を聴いたときでした。。
どうにも好きになれず聞く気もしないが好きになってみたいという曲はショルティのぶっきらぼうすぎるような演奏を聴いてみると良い結果につながった・・というのが何度かあります。

このスケルツォだけは最初から気に入ってよく聞いていた記憶があります。

この曲も無償に聴きたくて仕方がなくなる時期と、全く聞いても入ってこない時期が極端に交代します。
今はあまり聴いてない時期・・

謎のまま

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問題作 ショスタコーヴィッチの交響曲第4番。
作者自身が「若書きでまとまりがない、何度も手を入れたがどうにもダメだ。でもこの曲が大好きなのだ」みたいなことを言っていたような気がします。
若い作曲家のアイディアと意欲といろんなものが暴発的に吹き出してしまっている・・すごく悪い言い方をすると創作アイディア集みたいにも見える・・それだけにネタだらけですよねこの曲。
時世的にこれの初演を行うと自分の命が危ない(反体制だとか言ってシベリア送りとかもっと極端なこととか・・)と悟って初演を撤回したという話が有名です。
彼の総括みたいな最後の交響曲第15番の最終部分、あの印象的で感動的なお別れの場面は、この交響曲第4番のある部分をもとに書かれています。
彼の中で忘れられない大事な作品だったのではないかと思います。

その交響曲第4番の最後の部分
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突然暴発したように出てくるファンファーレ音楽みたいなのが静まると、弦楽器のハ短調の伸ばしに低音がワルツのリズム・・

これだけなら
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チャイコフスキーの悲愴の最後みたいなんですが、

チェレスタが4拍子的に乗っかってくるわけですよね・・・マーラーを感じないでもない・大地の歌とか・・・
13番かなんかでもこんなのあるんでしたっけ?・・
何度も繰り返されたその最後、チェレスタはハ短調の弦の上にDの音を置いて謎を解決させないまま永遠のかなたに消えていく・・
みたいな絵にかいたような作品なわけです。

昔、阿部公房の小説を読みました。私自身はあほなのでほとんど小説なんて読みません。
同級生のアパートを訪ねたら本棚にこれがあった。
何かこう、自分は置いていかれてるような気がしたんだよなぁ・・
同じ本を読んで自分も面白いと思えるか試したかったのかなぁ・・
中身のない人間だったんだよなぁ・・今もかわらないなぁ・・
この歳になって振り返ると私の精神年齢は普通の人に比べて10年くらい遅れている気がする。
人と話が合うわけもない。
あれからもう20年か・・彼の子供が高校生だっていうもんな・・

小説自体は読むには読んだが前衛ぽくって特に引き込まれるとかいうこともなかった。
終盤、ものすごい速さで大騒ぎ的に展開していたかと思うと急にこちらを置き去りにしたまま永遠の彼方へ行っちゃっうかのようにおわっちゃった・・
読んでいるとき何か音楽が聞こえるような気がしていたんだけど・・・
あの馬鹿騒ぎから深淵の闇へみたいな世界が、この曲の最後にとても似ている気がする。

ものすごく深い哲学的な何かが隠されているようで・・それを一生懸命考えなければいけないような気もするんだけど・・・
実は形から入ってて裏なんか何もないんじゃないのかと思ったり・・・

相変わらずあほですね私は・・
人間的には成長していませんが、歳をとって図々しくなってきたおかけでもうこれでいいんじゃないかと思うようにはなったかなぁ・・


その後、文学にはまったりはしなかった。
音楽だけ、気に入ったものをずっと聞き続けてきた。
もう本当にそれだけ。
でも音楽があったからよかった。

多重テンポ 

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ショスタコーヴィッチの最後の交響曲となった交響曲第15番
この曲も好きです。
書かれたのは1971年らしいので世間はもう無調とか訳の分かんない前衛にももう飽きてきちゃってたような頃でしょうか・・
このひとつ前の第14番は無調音楽っぽいんでしたっけ?
この15番は再びにちゃんとイ長調という調性があって素人にもわかるようなメロディーと構成・・
ウイリアムテル序曲やワーグナーの指輪からの引用が耳に残ります。自作をはじめ他にもいろんな引用が隠されているらしいですね。
曲の最後の部分も大変印象的でこの曲が好きな人はみんなあそこが好きでしょう?
作者自身がこの世にお別れを告げているようにも聞こえるし、ハイドンから伝わってきた交響曲というジャンルがここで終わるんだよと言っているようにも(私が勝手にそう思うだけですが)聞こえます。
よく聞けばそんな中で無調他いろいろやっています。
西洋音楽の大原則としてすべてのパートが時間的には同期しているというかテンポは共通の一つしかない。
というタブーを破る・・この曲の第1楽章にもそれががあります。

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第1バイオリンが主要主題によるこの旋律をを8分音符で奏します。


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フーガのように遅れて入ってくる第2バイオリンとヴィオラ、このように6連符で同じ旋律を・・
実際のテンポは第1ヴァイオリンと同じなのですが見かけ上、第1ヴァイオリンに対して6/8のテンポで聞こえるという事になります。


さらに遅れて入ってくるチェロとコントラバスは
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このような5連符なので見かけ上のテンポは第1バイオリンの5/8、ヴィオラの5/6ので聞こえるはずです。


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それらの同時進行

前衛音楽みたいに聴いてもうんざりという感じではなくて、かなりわかりやすく面白い。

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後半、倍の速さで木管楽器もやります。



この楽章は作者の子供のころをを・・みたいな話でしたっけ・・・
この曲全体が作者自身の回想とこの世へのお別れのような何かを言っているなという感じが伝わってきます。

やっぱりやってた 2重テンポ マラ3

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一つの曲の中で2つのテンポの音楽が同時進行してしまう2重テンポ状況。
いろいろあると思うんですが、この人もやっています。・・

マーラーの交響曲第3番にははっきりとそれとわかる2重テンポ状況が発生しています。
展開部の最後は嵐になっていますが、

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嵐がフェードアウトする前から舞台裏の小太鼓が乱入

ごちゃごちゃと文字が書いてあり、小太鼓には「チェロとコントラバスに構わず冒頭のマーチテンポで入れ」
チェロとコントラバスには「マーチのテンポで入ってくる小太鼓にかまわず、嵐のテンポを維持しろ」みたいなことが書いてあります。(多分)
実演を聴きに行ったとき、指揮者はチェロとコントラバスに向かって指揮をしていました。
舞台裏の小太鼓にはノータッチで、チェロとかが終わっちゃうともう何もしない・・・次のホルンに向けて・・・
明らかに異常な状況が目の前に展開します。

楽譜的には小節線が縦に通っていて全パートが同一時間軸に乗っているように見えるけど、実際は演奏が進むと時間的な位置もずれていくわけで楽譜的には理屈が崩壊しているわけですね・・

多重テンポの音楽というと後の時代で挑戦的にやっているようなイメージもありますがやっぱりこの人やってますよね。
街に出たとき、あちこちからいろんな音楽や音が聞こえてきて交じりあり、耐えられないような騒音状態となているのを聴いてマーラーは「これこそポリフォニーだ!」とか言って喜んだそうです。
そういう人が、伝統から外れたことをやると酷評されてつぶされる音楽界に切り込んでいこうという・・

聴いていると短い間ですが、マーラーの喜んだ不思議な感覚が味わえます。
やる方はやりにくくないのかな・・

小太鼓が舞台裏なのもミソなんですかね・・遠くから夏の行進がやってくる的な・・


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第3楽章スケルツォでトリオに入っていくところ。
音楽はテンポを落としていくんですが、ここで鳥が鳴いています。
普通のルールでいけば鳥の鳴きようも音楽に合わせてゆっくり鳴くようにになっていく・・
ここで鳥の鳴き声はいつも同じはずでしょ的に主部と同じ鳴き方で・・という演奏があります。
これも部分的に2重テンポと言えるんじゃないでしょうか・・ちょっと違うけど・・聞いたときのインパクトは結構あります。
楽譜にそうしろという指示は見つけられないのですが、マーラーだとそういうことをやっても説得力が出てきますよね。
実際どうしてたんでしょうね・・どっちかに決めちゃわないでその時々いろいろやったんじゃないかと勝手に想像しています。

遠い自演に思いをはせる

マーラー同時代の良きライバルだったリヒャルトシュトラウスは長生きできたからか沢山の録音を残してくれたみたいですね。
いくつかCDをかって聴いてみましたが、意外と普通というか、今風のどこにも違和感のない演奏だったような印象があります。
ブラームスや、いろんな人間にすごい指揮者がいるといわせたマーラーの演奏を聴いてみたかったと誰もが思うでしょう。
でもないんだから仕方がないですね。
ピアノロールを残したというのは有名ですが、これもいろいろ考えさせられます。


5番の1楽章・・
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いろいろ調べてみると、まずピアノロールというものが
そもそもどれだけ正確に記録できたのか?
どれだけの再現性があるのか?
という問題があるみたいですが、それどころか
ロールの穴を加工、編集して、実際以上に音数を増やしたり、間違いを修正したり、実際引いたテンポよりずっと早く再生されるように加工して販売する・・という事が普通に行われていたんだそうです。
今から見ると不正、インチキという考え方をしてしまいそうですが、時代や状況が変わるとそういうもののとらえ方も変わりますので批判しても仕方がないでしょう。
マーラー自身はなんだっけリスト直系の・・ヴィルトーゾ系ピアニストでもあったらしいですね。
それを前面に打ち出したような曲を残していないところがかえって面白いですか・・
指揮活動を縮小して作曲に専念しようと考えていたらしいですが・・・実現していれば何か聴けたのかな・・不毛だけど
結構有名になってからのコンサートで何曲かピアノを弾いてた記録も見たような・・
ショパンのスケルツォ第2番があったと思う。
言いたいことは、テクニックごまかさなきゃならなかった系の話はここに持ってこなくてもいいんだと思います。
ただ再現性がパーフェクトだって、誰も保証できないんですよね?

仮に、マーラーのこれらにはそういった問題が全くなかったとして・・・
そもそも同じ曲、音楽であったとしても大オーケーストラが大ホールで演奏するのと、ピアノを小部屋で演奏するのではベストなテンポ、その他が待ったく違うと思うんです。(もちろん一致することもあるでしょう)
マーラーはピアノで演奏せる際はピアノで聴いてよく聞こえるように弾いたはずです。
なにでこれを聴いてマーラーの指揮のテンポを論ずるのは危険というか的外れになってしまう可能性もあると思います・・

これじゃ文句ばっかりでじゃあ聞くなよみたいですね。
そりゃぁ、聴くにきまってるじゃないですかこんな面白いもの。

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1楽章の中間で大荒れになる部分がありますが、一本のトランペットのファンファーレをかき消すように始まります。
これ聴いてると左手で低いDesも弾いてるんですよね。
これ面白いですよね・・

オケ曲をピアノで弾くとき、オケの音楽をそのままピアノで鳴らそうというのと、ピアノで聴いていい音楽に聞こえるように弾こうという2種類のやり方があると思う・・
マーラーはどちらでしょうか・・・
トレモロ多用は前者の典型ですが、後者的な感覚もあると思う・・
あそこで低いDesを鳴らしているからといって、オケでも鳴らすかというとそんなことなないんでしょう。
今弾いてるここで鳴った方がいいから・・・

自分の曲だし、オペラの監督だからオケ音楽をピアノで弾くのは日常茶飯事なんでしょう・・
これやるために楽譜作ったりしたのかなぁ・・
その楽譜みられるのかなぁ・・
オケのスコアが頭に入ってるとピアノで弾けたりするのかなぁ・・
1905年だから最新作かな・・
元々ピアノで弾いて作曲したんだもんなぁ・・


その先の・・
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木管とヴィオラなんかが歌う旋律はもう捨てていて、荒れ狂うヴァイオリンをやりだすんですが、ここ2つのヴァイオリンパートは同じ音なんですね。ピアノオクターブですごいスピードで暴れだしています・・
ここだけテンポアップしているんだけど、これ生のテンポなのかな・・
これ何気なく聞いちゃうけど結構すごいんじゃないのかなぁ・・

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違う人の2手編曲・・はもっとシンプル。
この編曲者はピアノロール聴いたのかな?マーラーはこの楽譜よりもっと音を拾って弾いているようにも聞こえます。

話が中途半端で終わっちゃいそうですが、いろいろ興味深いですね・・
後半の木管が歌いだすところでハッとさせられるんですが、それが実際の演奏によるものなのか、ピアノロールというものの特性でそう聞こえてしまってるだけなのか・・

マーラー以外の曲でもいいのでもう少し何か残してほしかった気もします。
これを録ったのが1905年なら時間は何年かあったはず。
面白いと思たらもう少し何か残そうとしてくれたのでは・・

ただ、これを作ったその場にはマーラーがいてピアノを弾いたことは嘘じゃないんだから・・ちょっとだけマーラーに会えたような気がして感慨深いです。


2重テンポ シェヘラザード

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最近はネット上でスコアが見放題になっちゃって大変ありがたいことです。
昔は買わなきゃ見られなかった・・というより見たくてしょうがないような曲のスコアは田舎では手に入らなかった・・
学生の頃はお金があるのならCDを買って聴いたことのない曲を聴いてみたかったので楽譜は二の次だった。
頭の中スコアは自分には手の届かない未知の存在となっていった・・
大袈裟になっちゃいましたが。聴きながらここスコアはどう書いてあるんだろう?と思っていたところがいろいろあります。


オーケストラ音楽の魅力を知りたかったらとりあえず聞いてみたほうががいいですよ的な音楽のひとつ、リムスキーコルサコフのシェヘラザード。
第2曲に蛇つかいの笛みたいな場面が出てきます。
蛇の踊りなのでテンポは怪しく極端に変化する・・・
一方このシーンを支えている弦楽器のピッチカートは連続音を一定のテンポで繰り返していて対比を見せている・・・
西洋音楽の楽譜は、水平方向、時間軸は各パートすべてに共通で一つしかないという前提に基づいて書かれていいます。
2つの異なるテンポが同時に進行するこの場面をどう記譜しているのかすごく興味があった・・
この曲はポケットスコアがで田舎にも売ってたかもしれない。
で見てみると

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あっ・・・まぁ・・・そうかぁ・・みたいな。
そんなびっくりするような何かはなくてとても合理的な感じだ。




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ついでだから・・その先のハープもアドリブ・・

音楽に限らず、こういういつものルールに当てはまらない何かを記述しようとするときはできるだけシンプルにやったほうがいいと思う。
こういう時に張り切って訳の分からない指示を書いちゃった結果、かえって誤認や指示を読むことを放棄してしまうという事を招いている場合がある。
わざわざ難解な説明文を書きだすのは書いた本人が内容を理解できていないことを示している場合も多いと思う。
今まさに私が訳の分からないことを突然書き出している訳ですが・・
自分が一番危ないかもしれない気を付けよう。

この曲を初めて聴いたのはデュトワ、MSOのCDでした。
学校の帰り、どこの田舎にもあったような駅前の4階建てくらいの小さなデパート。
体格のいいいい店員が仁王立ちしていたのを覚えています。万引きの被害額が相当大きかったんだろう。
そのデパートはほどなくつぶれてしまったようだ。
たぶん今も空き地のままなんじゃないか・・

パクリとはちがいます

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また中学生の時に・・みたいなネタでごめんなさい。
記憶があいまいですが、普段の教室が音楽室の隣だった気がします。音楽室からパイプオルガンの音が聞こえてきて衝撃を受けたのを覚えています。
冒頭から和音が炸裂していた記憶があるのでフーガじゃなかったと思う。
頭の中に荘厳な・・銀色に輝くパイプが並んでいる光景が目の前に一瞬で広がった・・
それはとても冷たくて、パイプの表面は結露して水滴がついていた・・
水流れちゃってるじゃんか・・
パイプといえば水道管イメージだったのか・・

で、バッハの小フーガト短調BWV578というのに興味を持ちどうしても聞きたくなりました。
友だちの家にはクラシックの全集みたいなのがありましたのでテープにダビングしてもらいました。

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そのときおまけ的にこの協奏曲イ短調BWV593も入れてくれたんですね。

ちょっと聞いてすぐ虜になった記憶が。
この曲、バッハのオルガン作品集みたいなCDを買えば入っていますし、BWV593という整理番号ももらって立派にバッハの作品として認知されています。
でまた有名な話ですが、これはバッハのオリジナルではなく編曲作品でオリジナルは

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ヴィヴァルディの協奏曲集「調和の霊感」Op.3の第8番
という話ですね。
こちらも有名で・・というよりこの有名な曲をバッハはオルガン化して別な魅力を引き出すということに挑戦したわけでしょう。

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音色というか鍵盤の指定が結構細かく書き込まれていて面白い・・
これはのちの誰かじゃなくバッハの指定でしょう?

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このソロが歌いだしたかと思ったら突然トゥッティが・・みたいなところに萌えた記憶が・・

バッハの楽譜には原曲にない音が追加されていたりもしますね・・
単純に楽器を置き換える、楽譜を移植するという事以上の発想でやってますよね。
と言って原曲の音楽そのものは尊重していると思う。原曲は音が足りないとかそういう事じゃない。
とても目立つのは3楽章のここ
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これはこれでいいよねぇ・・・

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バッハはペダルを書き加えて、2つの手鍵盤とペダル、3つの様相が掛け合いする場を作っています。
この先も絶えずヴィヴァルディにはない16分音符の下降音型がバッハからは聞こえてきてます。
旋律が変わってるところもある・・単なる楽器移植の編曲じゃないですね・創造が行われており、バッハの作品番号がついていることに違和感がありません。。



これを入れてもらったテープをおもちゃの様なラジカセで毎日何度も何度も聞いていた記憶があります。
しまいには自分で弾いている妄想が止まらなくなった。
私は小さなころから妄想癖があり、起きている間は常に妄想をしていました。歩いている間、授業中、食事中・・
小さな子供のころは電車の運転手だったり、なぜか焼き鳥を焼いていたり、細い道路を拡幅するとか、近所の荒れ地を造成するとかちょっと土木萌えだったなそういえば・・
音楽に興味を持ってからは演奏の妄想を常にしていた。
オルガン、ピアノ、ヴァイオリン、指揮者・・

今はしない。
何時頃止んだのか、それにどういう意味があるのか・・・わからないし、かまわない。