昔の姿

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隣町の某所ですが、道路がここだけ少し広くなっています。
かなり昔、ここには路面電車が走っていたというんですね。50年以上前に廃止になったので60代以上の人しか知らないと思います。当然私も見たことはないです。
昔ちらっと聞いた話がずっと忘れられなかった。
ネットを検索すると当時のこの場所の写真が見られて感動しました。砂利道のわきに単線の線路が埋まっているんだけど、行き違いのためここだけ線路が複線になって車両が交換していた。
何だか知らないけれど乗ってみたかったなぁ・・・あれに。

普通の人は今目の前にあるそれがすべてで、無くなってしまった昔のことなんかどうでもいいはず。
でもこういうそんなこと知ってどうすんの?みたいな余計なことの中にも面白さがあるんじゃないかと思うんですよね。

ブルックナーといえばハース版とかノヴァーク版とか言っていろんな楽譜で演奏されることがあって、どれが決定稿なのか誰も決められない感じなのが有名です。
なんだよそれというのもあるけど、逆にいろいろ聴けて面白い気もする。

それとはまたちょっと違う話で他の交響曲も一発で完成したのではなく、作曲者自身が何度も大改訂繰り返した結果今があるという曲が多い。
その途中の段階の楽譜は破棄されなかったため、面白がって現代の人がそれを演奏してみたりすることがあります。
何やってんだよなんて思って聴いてみると大変興味深いもの、面白くてわらっちゃうものもある。

交響曲第4番なんかは4番と言いながら結構たった頃に大改定を施し、後期のスタイルで完成しています。
最初に完成させた第1稿みたいなものの演奏を聴くことができるんですが、今通常演奏される4番を知ってる耳で聞くと超古代文明的なびっくり世界が広がっていて面白いんですね。
比較すれば、通常演奏される版のほうが優れているのは間違いないし、癖がありすぎちゃって常時愛聴するのはちょっときついですけれど。




冒頭付近から旋律、音高だけじゃなくてメロディーが不安定な寸足らずで聞こえる。1小節足りねーよみたいな・・
最初に頭に浮かんだのはこれだったんだね・・その後、一般人にも受け入れられるようにするにはどうすべきかと色々心を砕いたんだろうなぁ。

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改訂の手を付けなかった5番と同じく、この第1稿も協会でのオルガン演奏のスタイルに強く影響されていて、場面が変わるとごとにいちいち音楽がとまって全休符を挟む・・オルガンならここでストップを変えて次に備える場面だ・・・
ロマン派の時代にそれじゃ受けないので、その後、次の場面へ滑らかに移行していくような曲を書くようになった。
3番も4番も後期のスタイルに改定しているので、今は切妻型みたいな姿を強く残している5番のほうが古風に見えます。

1、2楽章はいまある素材を使いながらもどの作曲家の初稿にもありがちな間の悪さ、余計なものの多さみたいなものが耳について・・圧倒的に改訂後のがいいよな・・と思ったりも・・

第3楽章のスケルツォは現行とは全く別な曲ですね。
現行のが魅力的だよな・・
でもブルックナーのスケルツォの様式にしっかり準拠して書かれていてどう聞いてもブルックナーのスケルツォだ。


面白すぎるのはフィナーレですね。
今と全く別な曲なようで今ある要素も多く見られます。
第2主題・・
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今はブルックナーリズムになっているところが5連符で書いてあるんですね。この後5連符に異常なまでにこだわって5だらけになってるんですよ。このすごくモダンな感じが聴いていて面白い。
その後20世紀に入ると複雑なリズムを持った音楽がいくらでも出てきますが、こののどかな田園風景の中に半導体が埋まってるみたいな変な感じがちょっと面白すぎる・・
そうかと思うと3番のどこかをふと思い出せたりもする。

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ブルックナーユニゾンで5連符・・こんなの指揮者も奏者もどうするんだって感じですよね。
1974年のウィーンでこれじゃ演奏拒否されるよね。
ヴァイオリンをI、IIと書くのはありそうだけど、ビオラをIIIと書いてるんですね。
そんなの略記でどうでもいいだろという話なのかもしれないけれど、でももしかすると弦楽器をどうとらえていたかが現れてるのかもしれないよねえ・・

このYoutubeの演奏、曲の最後の最後は5連符連呼のパートが四分音符2つ+3連符に置き換えられてるように聞こえる。
そういう版もあるんだっけ?
昔金子さんの本に詳しく出ていました。が、寒くて本棚のある部屋へ行く気もせず・・

ブルックナーの4番をよく知っている方はこれ面白いから終楽章だけでも聴いてみてください。
私は面白くて笑っちゃいます特に5連符に・・・

聴衆に理解できるかとか、(当時の)演奏者に受け入れられるかなんて全く考慮しないで、感じたものをそのまま形にしようとしている感にちょっと感動しますね。
これを聴くと、改訂後の完成形を聴いてもそこにどんな意味があるのか、何が素晴らしいのかが浮き出てきます。
こんなのを破棄しないで取っておいてくれた作者と、演奏してみようよと言いだした人と、面白がって来てくれる人たちのおかげだなぁ・・
みんな余計なことなんだけれど、余計じゃないと思うんだよなぁ。

昔学校の先生が公演をお願いしようと冒険家の植村 直己を訪ねたときの話をしてくれたのを思い出しました。
冷蔵庫からジュースの瓶を出してきてハイっと渡された・・・
奥さんが出てきて「あなただめでしょ」的にコップ入れて氷も入れてお盆にのせて・・みたいな。
そういう、素朴な人だったそうです。
なんかあの話を思い出しました。

このブルックナーの4番の第1稿はまだコップとかなんとかがいまいち掴めていない素朴な、だけど強い想像力を持った芸術家の姿なんでしょうね。



遠足

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今遠足の時期なんですか?
小学校で遠足というとバスでどこかへ行きその先で歩くという感じでしたが、低学年のうちに何度か学校から直接歩き出したことがありました。
2年生だったかな?なぜかかなり具体的な記憶が残っている遠足があるんですよね。
公民館があって自販機があった・・自販機は故障していて窓が結露していた・・
その隣の家はに植木をを刈りこんで鶴とか亀の形にしていた・・もうちょっと行くと急に開けて盛土をして高くなったところに送電線鉄塔が・・・このあたりで誰かが「のどが渇いた」といい、先生が答える・・若く背の高い先生の後ろ姿とその声が耳元で聞こえる今でも・・・
それは、今私の勤める会社の前を通る道でした。
こんなに具体的な記憶がはっきり残っているのに、そこにあったはずの私の勤務先の記憶だけがすっぷり抜けているんですよね・・
何か見たような気がかすかにしなくもない・・・あっと思うそれは依然見た昔の会社案内の写真の記憶だし・・・
あの時、将来自分が勤めるはずの会社を見てどう感じたかが知りたいんだよなぁ・・
あの頃の自分と話がしてみたいんだよなぁ・・

別なところへ遠足か見学に行くために歩いていた時に、車が近寄ってきて中のおじさんが人の目を見て熱く語って来たことを今思い出しました。
突然すぎて何のことだか誰なのかもわからなかった。
隣にいたやつに「あれだれ?」と聞くと「知らないよお前の知り合いだろ?」・・みたいな
大丈夫だからしっかり歩いていけ!みたいなことを言っていたと思う・・
ずっと忘れていたんだけど。
あれだれだったのかなぁ?・・・俺だったのかな?そんなわけないな。

ちょっと違うけれど、同じころ母親の実家に通う道中に特徴的な外壁を持った家がありました。
屋根みたいな壁だなーなんて思いながら通るたびいつもその家を見ていた記憶があります。
20年後、知り合って結婚する娘がその家に住んでいるとは夢にも思わなかった・・・

サミュエル・バーバーと言うアメリカ人の作曲家がいます。
床屋みたいですね。
1981年に亡くなっていて、結構最近の人だ。
ロマン派みたいな和音とメロディーが聴ける。みんな無調の前衛に走んなきゃならなかったわけじゃないんですね。
弦楽のためのアダージョという曲が映画に使われて有名です。クラシックじゃない人も聞いたことがあるんじゃないかなぁ。
作曲者はそういう使われ方は気に入らなかったみたいだ・・
自分はその話が好きだけど。
他にヴァイオリン協奏曲も有名なんじゃないかと思う。
その人の作品に遠足と言うピアノ曲集があるんです。
なんかこう童謡みたいな音楽を想像するでしょう?
聴いて見てください。

これ本当に遠足なのか?
1曲目、なんかこうてんでバラバラに歓声を上げたり騒いだりしてる感じが遠足といういえば遠足のような・・
2曲目、子供の遠足じゃないのかな?こんなませてんのかみんな・・・
日本の学校みたいに帽子をかぶって2列で歩くなんて絶対にないんだろうな・・・
初演がホロヴィッツってのもちょっとびっくり・・
へー


ホロヴィッツ



プレヴィン

何だか面白い・・時々聞きたくなるような・・

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これ弾けたらいいなぁ・・弾けるわけないか。


最近決めたつもりのことがあったんだけど、どちらに進むかまたちょっと迷ったり。
人生は長い遠足みたいだ・・
どうせ列からはぐれちゃって一人だ。
何にも気づかないふりしてマイペースで好きなように歩いてもいいのかなぁ・・
あの時、大丈夫だからしっかり歩いていけ!みたいなことを言っていたなぁ。

うどんとロマンティック

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最近行ってないんですが、少し前に「吉田のうどん」というのが自分の中で流行った。
山梨県富士吉田市付近で昔から食べられている・・的なうどん。細かいところまで明確な定義みたいなのはないと思う。
やたらに腰の強いうどんが煮干しの出汁に入って馬肉がのって・・

普通の民家の玄関を上がると仏壇間みたいなところに通され、台所で作ったうどんが出てきて食べ終わるとお金を払う・・
みたいなのから始まって民家の庭先にプレハブを建ててやっているとか、そこそこのお店のなりでやってるとか・・
皆お昼に食べさせて早々にしまっちゃう夜はやらない・・そんな感じでしょう。
民家のに行ってみたかったけど、異常に混むらしいので庭先のプレハブ的なのに何軒か行きました。
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太くて腰のあるうどんが特徴だけど、その入っている出汁は田舎のその辺の家で普段の味噌汁を「あんたもくってきな」といわれて食ったみたいな・・素朴な素朴な味・・・ちゃんとしたお店でこれが出てきたら、え?っと思うかもしれない。
でもそういうつもりで来ているのでこれで大満足。なんかおいしいものを腹いっぱい食わせてもらったような気になって帰る。
素朴の勝利である。
すごく混んでる超絶有名店より、発見に苦労するようなところのが雰囲気的に面白い。

ブルックナーの交響曲第4番変ホ長調は「ロマンティック」なんていう愛称がついていてブルックナー入門みたいな雰囲気もある曲です。自分もそう思ったのか初めてCDを買って来たのはこの曲でした。高校に入ったばかりだったと思う。
ロマンティックなんていうからバラの花みたいな音楽かと思っていましたが、聞いてみると想像していたロマンティックとは全然違う・・
何だか素朴な・・・そのへんに鶏が遊んでいそうな田舎の景色・・・ちょうどこの吉田のうどんみたいな音楽だと思った。
今はもう少し違う印象も感じています。
あの頃、まだブルックナーの音楽がわからずなじめていなかったというのもあると思う。
ちなみにシューマンのピアノ協奏曲はバラの花園だと思っています。


買ったのはこれもワルター・コロンビア響でした・・シリーズになって出ていたものそろえていく感じで。
ブルーノワルターは若いころはブルックナーの音楽が理解できなかったが、ある時大病をし、その後急に目覚めた・・
みたいなことを言っていたと思う。
その目覚めたのがいつ頃なのかは知らないけれど、戦前くらいまでのブルックナーは弟子が勝手に改悪したと悪名名高い「改訂版」による演奏だったんでしょう?ブルックナーのオリジナルじゃなかった・・
ブルックナーの音楽になじめない聴衆やオーケストラ団員にブルックナーを知らしめようと、弟子たちが当時のはやりのスタイルに編曲した・・・ブルックナーは当然嫌だったはずだが・・・人柄的にダメとはいえなかった・・みたいな。
原典版が耳になじんだ私から見ると改訂版のスコアは確かに作者を無視して好き勝手に遊んでしまったようなひどいものにも見えます・・
ある段階で徹底的に否定されたのもうなずける。でもその改訂版と彼らの熱意が、ブルックナー音楽の普及に一役買ったのも一理あるんでしょう?知らないけれど。後ろの時代から単純な批判を投げつけるのもいけないか・・

指揮者の朝比奈隆が本でフルトヴェングラーがいたので挨拶をすると、「ブルックナーをやるなら原典版でやるべきだ」と言われ慌てた。という話を何度もしています。
彼もブルックナーだと思っていたものは改訂版で、当時原典も何も知らなかったんだそうだ。
彼はその後ブルックナー指揮者となっていったんでしょう?

晩年のワルターのロマンティックは改訂版ではなくて基本的にはハース版なのかなと思います。
でも序奏から
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このあたりは弦のトレモロとフルートがオクターブ上を歌っていてとても感動的‥だけど楽譜と違う。

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きっと改訂版のこのアイディアを取り入れているんですよね。
若いころにブルックナーを知ったのは改訂版でだったんでしょう。
しかしこのスコアもその手前は弦楽器の旋律は2パートの掛け合い、2番はトレモロじゃないとか・・
なれない聴衆にわかりやすく・・というのではなくて面白がってやりすぎてるようにも見える・・
これじゃ怒られちゃうよなぁ・・

この直後にトロンボーンをはじめ金管がわっと出てくるところ・・高校生の頃はにどうにもなじめず違和感を感じだ。
なんだこりゃ?田舎くせーななんて思った。
でもまさにこれがブルックナー特有のオルガン音楽の影響を強く受けたオーケストレーションなんですよね。
スウェルだっけ?柔らかい弱音系のパイプで始まった音楽がふっと止まると・・ストップを引いて鍵盤も変えてでっかい音でジャー!!みたいなの・・・
あの頃はまだオルガンといってもバッハばっかりしか知らなかったしなぁ・・
まぁ、なつかしいなぁ・・

自分から遠いと思っていたこの曲に急に近づいた気がしたことが2度ほどありました。
一度目は15年くらい前。
精神的に疲れ行き詰っていた時、ふと息抜きにこの曲のスコアを遠くの店まで買いに行ったんだった。
訳の分からない巨大な塊に見えていたものがスーッと解けてよく見えるようになったような気がした。

ずっと嫌いだった第2楽章が急に好きになったのは5年くらい前。
我慢ばかりの俺の人生は何なんだとか思ってオーディオに少しお金をかけたとき。
チェロとビオラがずっと暗い歌を歌っていてなんだこれなんて思っていたけれど、暗いんじゃなくて味わい深いいい音楽だと思うようになった。誰にもこびないおっさんの心の歌というか・・
あともう一度くらい何か波が来ればこの曲も本当に大好きになれると思うんです。

聴いてすぐに気に入る音楽もあるけど、30年とか40年かけてその魅力に気付いていく曲があってもいいと思う。
俺の人生にも意味があったみたいじゃないか。

落ち葉

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紅葉ってなんで人を魅了するんでしょうね。
紅葉に限らず、秋もいい季節ですよね。
一方、音楽だと人生の終焉を悟ったような・・・そんなところに秋を感じることがあります・・

マーラーの交響曲「大地の歌」
第2楽章 秋に寂しき者



またしてもワルターですが、一連のステレオ録音の中で何曲かはコロンビア響じゃなくてニューヨークフィルなんですよね。
この曲もそうです。彼らでコンサートをやった後に録ったんだっけ?
・・・別なソリストとカーネギーホールでコンサートを行っているのとほぼ同時に録ったみたいです・・レコード会社のとの契約など録音のために別なソリストを探していたみたいです・・・
余計な話ですが、最初にチェロが出てくる直前に走り去っていく自動車のエンジン音が入っています。
Youtubeとかだと聴こえないかもしれません。1958年・・この車の主は自分の運転する車の音が永久にとらえられていることを知っていたのかな?知るわけないか。
このチェロ、とても重要だと思うんです。

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初めて聴いたとき、内容も何も知らないけれど秋の音楽だと思った。
このヴァイオリンは木の葉が舞い落ちるさまに聞こえてしょうがないですよね・・

でも、歌詞は「湖水も草木も霧に覆われ・・」という日の光のささない冷たく静まった光景を歌い、赤い木の葉が落ちる世界はそこにはありません。
ではこれは何なのか・・

歌は目の前にある景色を語った後、
私の心はもう疲れた
私の灯も消えてしまう
安らぐ場所へ行かせてほしい
私には癒しが必要なのです
私は一人で泣いている
愛の太陽はもう私の心を癒してくれないの?

みたいなことを歌います。実際はもうちょと言葉があります。
そのまま受け取ってもいいですが・・マーラーの曲ですもん、これは人とのかかわりの中で傷つき疲れ果て希望を失ったものが死に安らぎを求めている・・ということなんじゃないかと思うんです。
この交響曲全体を貫くテーマも色々あるけどみんな死んでいくし、私も死ぬんだ・・みたいなものを感じるんですね。

突然「私の心はもう疲れた・・」とか言いだすところ
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チェロのピッチカートが湖面に落ち、ビオラ→チェロと波紋が広がってゆく・・・
これは次の交響曲第9番でも悟りを開いて後光が差したような場面に出てきます。
これは、目の前にある情景ではなく、心の中に広がる波だと思うんです。

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交響曲第9番第1楽章のコーダ
私はここを自分の人生を受け入れた場面だと思っています。
余計な話だし何回も言ってしつこいけどマーラーの9番を馬鹿の一つ覚え的に死におびえる音楽だとか葬送だとかいう解釈には賛成できません。
大方の解説にいまもそんなことが書いてあったり、どこのどんな偉い人がそう言おうとそれに私の考えを同調させる必要はないと思う。。
まぁいいかそれは。

「おお愛の太陽よ」叫ぶと音楽も美しく情熱的に叫びます。
癒しの音型が鳴り響きますが・・

もう私の涙を乾かしてはくれないの?みたいなところ
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疲れた・・と同じ。
心の中に、不安・絶望の波が立っている・・・

それであのたくさんの木の葉が舞い落ちる情景が見えているのは何かと考えると、それは目の前に見える景色じゃなくてこの人の命の葉がどんどん落ちて行っているところ・・・最後の1枚がなくなったとき・・みたいな・・
というものじゃないかなぁ・・・

そう思うと曲尾の

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この枯葉のおとがフッ・・と無くなり、止まってしまうところ・・何も知らなくてもはっとする部分だけど・・
ここが強く訴えてくる。

誰もそう思わないかもしれないし、
考えすぎなのかもしれませんが、こんなこと考えてると楽しいです。

雨だれ


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雨が続いていますね。寒いです。
この雨に打たれて何かをするのはつらいですが、雨音を聞きながら部屋の中で好きに過ごす時間というのは逆に幸せというか・・
外がすごくいい天気なのに部屋にこもって音楽を聴いていたりするとそれはそれでふとブラックな気持ちになったり・・
雨音もあんまりでかすぎると音楽をかき消すし、鉄板を貼ったひさしの上に雨だれが落ちるとお経みたいな感じになって・・
今日の雨はちょうど音楽を邪魔せず、家にこもってなんかしろよと言ってくれているみたいでした。


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このショパンの「雨だれの前奏曲」というのが有名ですね。クラシックを聴かない方でも聴いたことがあるんじゃないでしょうか・・
私は変ニ長調という調にパステルカラーとかメルヘンとか天国とかそんなイメージがあります。
曲も・・冒頭はイチゴとチョコ・・・みたいなイメージが・・・ずっと雨だれが聞こえるでしょう・・同じ雨だれを聴きながら中間部は不安の闇に押しつぶされそうになったりしています・・
高校生の頃これを一人で弾いて喜んでいました。
例によってそんなの他人が聴けばそれは弾いたといわない・・でももうほっといて・・弾いたと思わせといて。

この曲をホロヴィッツが演奏したというのがYoutubeにありました。

もっとすごいことになってるのかと思ったら、意外に普通というか・・・でも流れる装飾音みたいなところを丁寧に弾いてるところであっっと思い、ちょっとした謡回しとかペダルなしで始まる中間部なんかに・・やっぱり個性的な演奏なのかと思ったり。



同じ24の前奏曲の第6番ロ短調
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こっちも雨だれの前奏曲と言われているんですよね。
上の奴がイチゴにチョコレートだとすると、こちらは魚介にオリーブオイル・・ちょっと何言ってるんだかわからないけど・・

ホロヴィッツの演奏。
左手が・・ものすごくきざな誰かがいる・・
この曲を初めて聴いたのがこの演奏で・・いまだにこの演奏から離れられなくなってしまいました・・
暗い、夜の雨でしょう・・3段目の後ろで光が差すんですよね。
でも明るい日の光じゃない・・・すぐに消えていってしまうし・・



同じ24の前奏曲の第4番。
ショパンの葬儀で演奏されたそうですが・・
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私にはこの曲も雨だれに聞こえます。
雨の中、一人でいるんでしょう・・何か言っていますが途中で熱く叫んでいますよね・・

Youtube色々聞いたけど意外にも自分はポリーニのが一番好きだった。
ポリーニもいまではおじいさんですが、私の中ではいつまでもこんな若い容姿のままで固定です。

ピアノの音色は雨の音と相性がいいんでしょうね。
オーケストラ音楽で雨が蕭蕭とというのが・・あるんでしょうけど今思いつかなかった。
嵐!みたいなのはやたらにあるけれど・・

これから寒くなると、音楽を聴くのにいい季節です。
ブログ、読んでいただけたり拍手をいただけるととてもうれしいです。
いくつかのブログ記事を適当に書き始めて見たら、そのうちの一つで深みにはまって楽しくなってきた。
この曲のここはこういう事を言ってると思う・・みたいなことを書いたり楽譜を調べたりしていると、今まで漠然と聞き流していたところに隠された何かに気づいたりしてっ自分自身が楽しくて仕方がないんです。
音楽があってよかった。

機械と音楽

最近、カーナビが今日は何の日です・・と朝から教えてくれるんですね。
今日は鉄道の日だそうです。
子供の頃、鉄道ファンでした。
音楽に興味を持った時に鉄道は卒業だなんて思ったけれど、いまでもどこか出かけるとついでに鉄道的名所を見にいきたいと思ったりします。
最近出かけるもできなくなっちゃったけれど・・

路面電車とかじゃなくて、江ノ電みたいに普通の電車が道路上を走っちゃう・・みたいな場所がまだ全国に何か所かあるんですが、

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こんな長いのが平然と走ってくると笑いますよね・・・
あっ興味ないと引きますか。

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それも結構な頻度でにょきにょき走ってくるんですよ。

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こんな、道路の信号に合わせてのんびり止まったり進んだりとアナログ的にやっているのに、この先地下に潜って京都市内じゃホームドア付きの近代的な地下鉄としてデジタルな感じで走ってるんですよね。
そこが面白いと思うんだけど・・

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ここも66.7‰なんじゃなかったっけ?
急カーブで車輪が軋むとうるさいのでレールに水をかけてるの・・

あっもういいですか・・・


先日、名曲喫茶でレコード盤を交換するとき、アンプのボリュームを絞る・・すべてが終わると再びボリュームを開いて音楽が聞こえてくる・・・というのを見ました。
多分昔オーディオをやっていた人、今でもアナログをやっている人には当たり前の光景なんでしょうね。
自分もはるか昔何かで読んだことがあります。

私は、実はレコード盤に針を落とすというのを生れてから一度もやったことがありません。
30年前、音楽にとりつかれたとき家にレコードプレイヤーはなくてラジオをカセットテープに録音して聴きました。はじめてCDを買った翌年、アナログ盤は生産販売中止となったと思う。
CD時代には、何をやってもノイズも出ないので電源をどちらから切るかなんてことは考えなかった。

ずっとそれでよかったのですが最近、MPDだと言い出すようになると、
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このあたりの電源を先に落とすと、スピーカーからボッ!!という巨大ノイズがでます。
スピーカーにそんなダメージをくらわせていちゃいけませんので必ずアンプから先に電源を切ります。
たまに忘れたり間違えて悲しくなる・・
私はこれを単に面倒だ・・としか思っていないんですが、アナログをやっている方たちのブログを読むと一連の儀式にも味わいみたいなものを感じられているのが伝わってきます。
私にはわからないけれど、でも何だかいいなーと思う。

そういえば、欧州も中国も遠からずエンジン式の自動車は全面禁止にして電気自動車化すると言っています。
車好きのおっさんたちはみな寂しいという。
なんとなくでも仕組みが理解でき、自分でもいじれそうだったものが、なんだかわからないけどスーっと動くようになるのはつまらないし寂しいんだろうなぁ。
アナログオーディオにこだわる人たちも、そんなことを感じていたりするのかな?と少し思いました。

電気自動車化推進の背景には環境問題もあるけれど、そのほうが技術的難易度が圧倒的に低いからというのもあると思う。
家電関係なんか日本製とうたってあるものもその実はみな中国をはじめ東南アジア他海外製なのが現実だ。
国内電機メーカーの製造工場は空っぽだったりします。
この先車関係もそんな風になっちゃったりしないのかな?
この国は将来大丈夫なんだろうか?
企業はもちろん生き残る道を探って突き進むんだけど、国も世界の中でこの国は何ができて何をするのかを強く考えていかなくていいのかな?
今、国はなにをやってるんだっけ?なんかいろいろ大事なことをやってるんだと思うけど。

なんとなくプロコフィエフのトッカータ
産業、工業化、大量生産・・みたいなものの音楽への影響というか・・

この曲は楽譜を見るか演奏者の手の動きを見て聴くのが面白いと思います。
そういう曲でしょう?
あんまりうますぎる人が余裕でやってるのはかえって面白くないかも・・

胃の痛み

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何だか胃が締め付けられるように痛くって・・
ストレスから?・・そんなに真面目に生きていないはずなのだけど。
いろいろ気にしたってしょうがないと表層では思っているけど。
まんまとやられているのか・・

胃が痛いといえばこの曲


アルゲリッチ・・太田胃散の宣伝のイメージからするとこれは結構軽やかな踊るような演奏ですね。
胃腸の薬だからイ長調の曲・・という事だとどこかで聞きました。
CMだと最後のための部分がアルペジオになっていて、そこできめのセリフみたいな感じじゃなかったっけ・・
よくできてた思うなぁ・・
でもうちにあったのはパンシロンだった。
胃薬飲む感じでもないなぁ・・

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新緑が風に揺れる庭で・・・みたいな感じですか・・風景描写じゃなくてそこにいる人が今何か考えたこと・・みたいな感じも。
こんな気分でいられたらいいですね。

この曲の山場というか見せ場というか3段目の意表を突いた転調をするところ・・
フェルマータでも書いてあるのかと思ったらないんですね。いったん立ち止まるんじゃないんだ・・
こういうのよくあるといえばあるけれど、ここがあるからこの曲こんなに素朴で小さいのに単独で聴いても満足できるくらいの存在感を持ってるんでしょうね。
ここが普通にすんじゃったら、曲というより素材というか断片みたいな印象になっちゃうだろうなぁ・・
ずっと同じパターンを繰り返しているように聞こえるけど、ペダルの指示は何だか同じ繰り返しじゃないのかな?
最近こういうこと考えると、「弾けもしないやつは黙ってろ」みたいな声が聞こえるようになちゃて・・そんなのうるせーと思っとけばいいんだけど・・だから胃が痛いのかな・・


ルービンシュタインのも
Youtubeにはほかにも色々あったので聴いてると、もっとゆっくりしっとりした演奏もあった。
色々あって面白いね。

寿司とか会席料理みたいなので、前に食べたものの余韻と今口に入れたものが重なるように、全体的な流れも考えた順番で・・・みたいな話があるんですか?
このショパンの24の前奏曲も魅力的な曲が並んでいて単独で聞いてもいいんだけど、全曲を通しで聴くことで一つの世界が見える・・みたいな曲集でもありますよね。
この手前のロ短調の曲も次に続くラフマニノフみたいな曲も・・・どちらも単独で存在してお互い関係ないようで、次に来るべきところにぴったりはまっているようにも感じる。
書いたはいいけれどそんな高尚なすし屋に入ったことも行くこともないです。

普段は連続で聴くけれど今日は胃痛に絡めてこの曲だけ聴いた後、ドビュッシーの沈める寺を聴いて、またショパンのスケルツォの2番を聴いて・・別なピアニストで前奏曲を何曲か・・
たまには思いつくいろんな小曲を聴くというのもいいですよね。
ディスク再生だと56秒だけ聞いて盤を入れ替え・・なんてやってられないので結局その盤にあるほかの曲を聴いてしまい、こういう聞き方はできなかった。
音源をNASにいれて手元で呼び出せるようになって・・・


今日、同じ会社ながら別な場所の勤務で長年余り相性の良くない人と話をしました。
今までは話せば険悪な雰囲気に・・・
それがなんとなく話しているとお互い同じ趣味嗜好(音楽じゃなく・・卑猥な話でもないですよ)を持っていることが判明。
専門的な言葉で適当に話を合わせているだけでないことはすぐわかる。
人にはこんなこと言わないけどね・・みたいな。
ちょっと和んだ。
生きていれば小さく癒しもあるわ。

こんな胃痛を治すのはやっぱり、しょうもないことは全部忘れて晴れ晴れした気分になることですよね。
どっかいきたいなぁ・・

鼓笛隊

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私は団塊ジュニアというやつみたいで、人口増加のピークの年の生まれです。
小学校は生徒数増加に対応するため校舎を増築していましたが間に合わず、臨時で建てたプレハブを教室にしたりしていていました。近くに新設、分校する話が結構前からあったみたいですが、生徒数が減少に転じてしばらくたったころから工事が始まり出来上がったころはもう的な。
先日その小学校で運動会がありました。
鼓笛隊の音が聞こえてきたのでのぞいてみると人数が少ないので広い場に少人数がさばけて全員主役みたいだ。結構衝撃的だった。
がんばれがんばれ。
そういうの大好き!という人もたくさんいるんだと思いますが、とにかく人前に出るのが嫌だった私があんなことになったら何かトラウマになっていたかもしれません。
私のときには人数が多かったので少数の太鼓隊の後ろに大量の子供が列を作って続き、洗脳された子供が街から連れ去られる場面みたいでした。大多数の中に紛れて身を隠したかった私にはちょうど良かった。
でも、今でも譜面に起こせるくらいにあのリズムパターンが頭の中で鳴るのは興味があって好きだったからだと思う。本当は自分だってやってみたかった・・

幼稚園というものに通いましたが、あの頃はまだ人前ででっかい声で歌って踊ったりするのも楽しかった記憶があります。
太鼓をたたかせてくれたら楽しくやれたかな・・・でもまだそういうのなかったんだよね。
その後、太鼓隊みたいなものを導入したらしく妹が出演するというのそれ系のコンクールみたいなのを見に行きました。
その時小さな男の子が胸の前に音高の異なるいくつかのドラムをさげ、かっこよくソロでたたいていたのが印象に残っています。
もう幼稚園くらいから目立って特別な子というのがいるんだよね。
あの子だってもうおっさんだよな。その子供が中学生くらいかもしれない。
出世してえらくなってるかな?
音楽やってるかな?

鼓笛隊といえば、昔マーラーの交響曲第7番のフィナーレ冒頭を


初めて聞いたとき、あの時に見たあの小さな男の子のドラムを思い出しました。
記憶の底に貼りついていた映像がよみがえってくるみたいに。

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演奏にもよるし、最近はそうでもなくなってきたけれどまだここにだけ違和感というか抵抗感を感じるんですね。
もっと言えば嫌いだった。
始めのうちはこれを恥ずかしいと思ったり、「何やってんだよマーラー」みたいに思っていました。
ティンパニが裸で旋律をたたいて始まる・・なんていう場面は沢山あるし、仮にへんてこりんな音楽だとして・・そういうの大好きなはずなんだけどなぁ・・このハ長調の能天気さが嫌なのかなぁ・・
子供のころ見たあの太鼓が目に浮かぶのは何なんだろう・・・

この記事を書いたり消したりしているうちに自分はここの響きに曲と全然関係ないトラウマやコンプレックスを引っ張り出されているんじゃないかという気がしてきた。
音楽ってすごいね。
その出てきた嫌な気持ちが曲への拒否感にすり替わっているというか・・
ここを何のこだわりもなく楽しく聴けるようになったら私の心の整理も完了ということで。

ティンパニ冒頭にはmit bravou・・華麗にとか見事にみたいな感じ?
導入としてとかじゃなくて冒頭から一人ド主役ですよね。
昔見た幼稚園のソロはmit bravouでした。

テンポとしてAllegro ordinarioなんて書いてありますが、ordinarioというのは古い音楽にあるような指示で、マーラーの時代には使わなかった言葉だとどこかで読んだ気がします。
そうするとこれなんなのとかいって気になりますよね。
普通のアレグロくらいの意味しかないんですが、もっと何か違う謎をかけてるんだと思う。
この楽章ボーと聴くと能天気なお祭りみたいだけど、かなり複雑でいろんなお楽しみ仕掛けが隠されているんですよね。
さぁ、どこまで見つけられるかな?みたいな。
逆に2番を聴くように妙な筋書きを探ろうとして聴いてるとなんだかわけのわかんない駄作に聞こえちゃうと思う。

本当はいろいろ楽しいとてもいい曲なんだよね。


歌とISO

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製造業な会社員をやっていますが、ISO9001の維持審査というのがまじかにに迫っています。
製品を開発して販売するにあたり、その品質を確保維持するために必要なことをすべて明確にし、決めたことを決まったように実行する。それらは記録として残され、いつ、どんな人間が見ても何がどのように行われたのかを確認することができる・・
非常に正しいというか当たり前のことなのでありますが・・・
これを正しくやっているという事を認証機関が認めるとそのお墨付きを看板に出せるようになるんですね。
出せば終わりじゃなくて定期的な審査があり、不備があれば指摘を受ける・・最悪は資格はく奪みたいな・・
ちゃんとやっていれば監査だろうが何だろうがいつ来たってかまわないはず・・・

審査員という人も色々ですが、前職で得たのか高いプライドをそのまま持ってきちゃってちょっと楽しいことになっている人が結構います。
この人これが生きがいなんだろうなぁという人も。
「先生!」なんていわれて・・
あまり書くとやばそうなのでやめましょう。



マーラーの交響曲第8番 
第2部に入るとしばらくはオケによる音楽が続き、神秘の合唱となります。
暗く重く抑えつけられていたような世界に急にに強い光が射したかと思うと・・
あたりは青い空、緑の大地、さわやかな風・・・その中で
法悦の教父が歌い始める・・・



とても感動的で大好きな部分です。
弦楽器が歌を縁取りするんですが、聴いていると歌は伴奏の弦から微妙に遅れて動いたりします。
よく素人のカラオケみたいなので自称すごくうまいみたいな人がリズムを崩して歌いたがりますよね・・
やりすぎて変になっちゃってるのも・・・
でこれ歌手が勝手に楽譜からずれて歌っているのかというとそうではなくて

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楽譜自体がそうなっているんですね。
マーラーは歌劇場の指揮者としていろんな国のいろんなオペラを振ってきてます。
そこで得たいろんな経験を自作にも投入してるんでしょうね。
なんであれ、歌手は決められたとおりにやってるんです。
ISO的にも問題ないですね?

規定に対して正しく歌われたことが確認できる記録はありますか?なんて言いそうですね・・審査員のひと。
記録には正しく歌われたとありますがその判定基準は?
判定者は誰によってどのようにきめられていますか?
判定者としての能力の有効性は評価されていますか?評価判定基準は?その記録は?
歌が正しく歌われたことの判定を行うか行わないかの判断は誰がするのですか?
その判断基準は?
記録は?
正しく歌われなかった場合の処置についての規定はありますか?その事例も含めて提示してください・・
こんなことを書いていると怒られますかね。

まだまだ至らないところがあるにしろ、それでもだんだん進歩をしてきました。
時代も変わって、審査員、審査機関も訳のわかんないことを言って威張っているようなところは淘汰されるようになってきた。

ISOに限らず安全規格なんかでも、規格に対して解釈なんてものが発生するところがまた問題を生むんだよね。
文句を言おうと思えば延々言ってられるもんね。

音楽なんかは解釈というものがあるから面白いわけですよね。
永遠に飽きない。





やさしい気持ち

部屋の中の空中を何かでっかいものが水平移動している・・
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あっ・・
めんどくさいから放っておこうかと思ったけど、嫁さんが腕を差し出すと素直にその上に乗り嫁の案内で外へ帰っていった。
君ら友達なのか?

ずっとうちにいると腐りそうなので当てもなく出かける。
天気悪かったから写真は全然だけど・・
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樹齢1000年越えの杉・・こういうのが何本もある。
人齢43年程度じゃ・・・いろんなものを見てきたんだろうなとか、1000年前にちっちゃな芽がここに出たのかなぁ・・・いや誰かが苗をここに植えたのか?どんな人だろう?とか考えていると自分の気持ちが静まっていく。

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しばらく行ったところにあるこの木、数年前に見つけて一目ぼれ。
曇ってる上に日が暮れちゃってあれだけど、この樹晴れた日に見るとすごくきれいなんですよ。
なんの木だろう?わからない。
木に性格があるかは知らないけれど、あるとしたらこの木は優しい心を持ってるんじゃないかなぁ。

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根本付近に立つと不思議と心が解放されるかのような・・刺の抜けたような気分になります。
勘違い・・でもいいでしょう勘違いできる場があってうれしい。
しばらくここにいたい気分です。
実はこの前に、オーガニックカフェみたいなところにいました。
でもここのほうが気持ちはゆっくりできるなぁ・・

電話線が貫通してるんだよな・・仕方ないのか・・
樹齢何年くらいなんだろう?
畑の人が植えたのかな?木陰を得ようとしてとか・・
人を休ませるのが目的で植えられた気だから、近寄る人を休ませてくれるんじゃないか。

優しい心の音楽といえばシューマン。
シューマンは発狂して死んでいきました。
若いころにもらった梅毒が原因らしいけれど

心がきれいすぎたっていうのもあるんじゃないのかなぁ・・
いろいろあったんだろう・・
全然知らないし、なんのことだかわからないけど。