あさがお


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もう11月になろうという頃に間違えて芽を出してしまったあさがお
本葉を出して頑張っていたけど霜も降りて、いじけてしまっているようにも見える。


昔、寒くなる頃に目が出た朝顔の芽がかわいそうに思えて、鉢に入れて部屋の中で育てたことがあります。
昼間だけ窓際の日の当たるところにおいてあげて・・・
弱々しいながらもなんとか弦を伸ばし、12月に入ったころにいくつかの花を咲かせてくれました。
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厳しい状況の中、健気に花を咲かせてくれたときはうれしかった。
5つ目くらいのつぼみはもう開く力もなく、静かに色をなくしていった。

みんなと同じような一生を送ることができないとき、その一生を間違えだと考えるのはあんまりだ。
霜に震えている朝顔を助けてあげたい気もするけれど、もうそれはしない。
奇跡が起きて花を咲かせてくれたらと思うけれどそれはないだろう。
なんで助けてくれないの?と思っているかな?
うるせー黙って見てろみたいな心意気で頑張ってるのかな?
俺も誰にも助けてもらえないとわかって絶望したことがあるよ。
その時はつぶれる寸前でその原因が静まってくれた。
今も再びその時が訪れることに怯えてしばられてるんだよ。
ここに生まれた訳をどれほど考えても何もわからないし何も変わらない。
いまここで、何ができるかだけ。
お互いできるだけ頑張ろう。

メンデルスゾーンの無言歌集、Op.67-5は「羊替えの訴え」という曲。
多分タイトルは作者によるものじゃないと思う。
如何にもという気もするけれど、羊飼いってそんなに絶望的な境遇ににいた人たちなのか・・


でも聴くと確かに羊飼いの訴えだ・・・
中間部で一瞬希望のようなものが見えかかるけどすぐに悲しいつぶやきに代わってしまう。
後半の嘆きは音量だけじゃなく音数も増えて重く悲痛な叫びとなる。

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雨だれが聞こえている気もする。
何を嘆き、祈っているんだろう?

メンデルスゾーンは裕福なユダヤ人の銀行家の家に生まれ、早熟な才能を発揮させるための環境にも恵まれ・・みたいな絵にかいたような恵まれた立場を生きたように見える。
大好きな曲もいくつかありますが、どこか他人ごと的な優等生感を感じなくもない。
でも、ユダヤ人迫害の動きというのは当時からあったみたいだ。
作品からそれを一切感じさせないのは彼なりの意地だったなんてことはないのかな?
味わった苦渋がそのまま音楽として残ている曲がひそかにあったりはしないのかな?
ブログとはいえちょっと感傷的過ぎかな?

つなぐもの


先日江ノ電沿いを散歩しました。

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この写真マニアじゃなきゃ何が言いたいかわからないと思うんですが、2つの車両がその間に置かれた一つの台車を共有しているんですね。
こういうのを連接台車といって小田急のロマンスカーとかフランスのTGVとか・・
そこそこ珍しいものなので撮った写真をぼーっと見ていて思いだした音楽がこちら・・・

マーラーの未完成に終わった交響曲第10番
完成はできませんでしたが無視できないほどの資料が残っていて、補筆されたものが演奏されることもあります。
補筆も色々で可能な限り第三者の解釈が入ってしまうことを避け、ステージにのせるために不可欠な最小限の補強を行なったクック版。
そのほか個人の主観でやりたい放題なものがいろいろあるみたいですが、クック版が好きというかこれしか聞いたことがありません。
どうせなら俺版が聴きたいけど、実現性がないだろう・・・
いろいろ不完全ではあるけれど聴けばこれが傑作になったのは間違いないと確信できるし、また聴かざるを得ない魅力を持っている。
マーラーの最終的な本意ではないなんてことは百も承知で聴くのであって・・もういいか。

嫁さんが浮気をしていることを題材にした交響曲ですが、音楽はそこから出発して普遍的な高みへ登ってしまっています。
いつまでも細かい実話的なものを意識しなくても音楽の本質を聴ける気がする最近は。

悪魔よ、俺にもっと狂気を見せろ!すべてを忘れさせろ!みたいなスケルツォの第4楽章と
いろんな苦しみと葛藤を経て、愛はすべてを超えて許し受け入れる・・みたいなフィナーレの第5楽章。


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4楽章の最後
ドイツ語なんか読めないですがちっちゃい文字は多分「完全にミュートされた大太鼓」
最後の音符に向けて書かれている。
悪魔との狂気のダンス・・悪魔の音楽が遠ざかっていくと心臓を一突きにするような重い衝撃音が・・

でっかい字の走り書きは「この意味を知っているのはお前だけだ!あぁ!あぁ!あぁ!」みたいな有名なもの。
この意味とは何をさしているのかというと曲の最後に打ち込まれるミュートしたバスドラ(大太鼓)のこと・・
お前とは・・もちろん嫁さんでしょう。
殉職した消防士の葬儀で追悼の空砲が鳴るのを2人で聴いた・・という話があるんです。
その話を公にしたのはまた嫁さんらしいけど。
でもそれはこの音色のアイディアをどこから得たかという話で今言ってるのはそのことじゃない。
私の心臓を突き刺すこの衝撃の意味をお前はわかっているだろう・・
(歳の差に悩みながらお前を愛してきた・・恐れた通り、若いのと・・)
みたいな意味でしょう。

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続くフィナーレの冒頭も同じバスドラの衝撃で始まるように書かれています。
この先この衝撃を何度も聴くことになる・・・

で問題となるのは、
楽譜の通り4楽章の最後に1発鳴らし、またすぐ5楽章初めで1発鳴らして音楽が始まっていくのか、
第4楽章の最後の一撃と第5楽章の最初の一撃は同じ一発が兼ねるのか・・
という問題。
残された資料を整理、補強してとりあえず演奏できるようにしたクック版のスコアは2つの音符があったと思う。
あの版は解釈というものを入れず書いてあるものをステージ上に提示するという資料だからそうなるのであって、クック氏が2回鳴らすべきだと考えていたかというとそれはまた別問題なんでしょう。
愛聴盤のシャイーとウイーン響のものは楽譜通り2回鳴ります。
普通に考えるとこれは共用で1発のほうが自然にも思える・・
クック版もその後の改訂で2度ではなく一度にした可能性に言及していたと思う。
共用1回という録音も沢山あると思う。

私は音楽的にここは一回の衝撃が両者を共用するのが自然だと感じます。
でも2回鳴ったからけしからん、なんていちいち思わない。
そんなんじゃないでしょうこれを聴くというのは・・

録音の中にはこのミュート大太鼓をとんでもない巨大音量で演奏している物があります。
まぁ、すべての発端となる耐え難い衝撃だからね・・積極的な解釈でいいと思う。
でも個人的には6番ででっかいハンマーを振り回して喜んでるのと同じく、過剰な演出無しでも十分な音楽なのに・・とかちょっと思ったりして。
楽譜、f ひとつだよね。そりゃffffよりも大きなfも当然あるけどね。
交響曲第1番のフィナーレで失恋砲をドカドカ打ち込んでいた若いマーラーとは違う、大人の愛の交響曲なんだからさこれ。

こういうと真っ赤になって「お前はなにもわかっていない!」みたいな親父はまだいっぱいいるんでしょうか。

ついでに、
クック版を聴いていると、この手前打楽器だけのワルツとなりティンパニが旋律を担当してとても面白い部分です。
スケッチにもPk(?)と書いてあってちゃんと作者がスケッチの段階からティンパニを想定していたことがわかる。



音源はあったけれどこの曲に関してはスマホとYoutubeじゃ聴けないとのではないかと思ったりしてます・・。

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この焼豚屋さん、道路沿いではなくて線路沿いにあります。
「今電車来るから店の中で待ってて・・」みたいな・・
今回も行こうかと思ったけど嫁がいい顔しないのでやめた。
世間の誰が何をどう考えていようがどうでもいいけれど、
嫁の意向は大事にしないと・・



夢だったのか?


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これは昔通った中学校への階段。この時点で結構登ってきていて息切れなしには登れません。
あのころはこんなにきつくなかったと思う。思い出して浮かんでくる光景は昨日のようです。
中学校はなんとなく楽しかった。

高校1年生の後半くらいから卒業まで私の記憶は、どこまで書いていいのか・・
強迫性障害を発症して、みたいなのから始まるんですが真っ暗闇です。
自分に何が起きているかわからず、誰にも相談できなかった。
なんとか学校へは通い続け、進学で誰も知る人のいない遠隔地へ移住したことをきっかけに最悪な状況からは脱することができました。

あの時、自然に今の自分は仮の自分で本当の自分じゃないという意識が出来上がっていたと思う。
そのせいか自分の人生はそこで中断していて、空洞のままだというような意識がどこかにずっとある。
最近、あることでその空洞を少しだけうめられたような気がしました。
見たかったその先は少しもいいものではなかったし結局途切れてしまった。
でも考えてみればいかにも自分らしいし、これが本当だなと妙に納得している。
あの時何があったのか、ほんの少しだけ知ることができた気もする。
本当は少しだけいいこともあった。

メンデルスゾーンの「夏の世の夢」という音楽があります。
結構行進曲が超絶有名で最初の部分を聴いたことのない人はいないかもしれません。



この音楽、序曲は作者が17歳の時に完成しています。
姉と弾いて楽しむために書いたものをオーケストレーションしたとか・・
天才っていうんでしょうこういうの。
その後に続く劇音楽みたいなのは40歳になって書いたものなんですね。
17歳の続きを40になって・・それでちゃんとつながっちゃうんだからまた天才ですね。

序曲の第1主題は弱音で動きまわるヴァイオリンは飛び回る妖精の姿だ・・
すごく速い動きが連続しているところに
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ポンと月明りが入る。
楽譜の景色が妖精と上空の月明りに照らされた雲・・みたいに見えたりして・・
クリアな光を得るため、オーボエは休んでいるところが・・
音楽的にもここでいったん連続したいたパターンに変化が入ることが何だかものすごく印象的で効果的です。
それが、曲の最後の方でまた出てきた・・
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と思うと月明りが固定したまま妖精はもう出てこない・・
ここはいつも急に時間を止められたようなすごい感覚になります・・
こういうの他にもあるといえばあるけど、
へーと思って聴いたのは私が17歳くらいの頃だった。
あのころ、音楽だけが支えで楽しみでした。聴くだけですけどね。
40過ぎた今も同じ。

変なこと書いてもいけないんでもう笑って終わります。

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こんな感じの気分で。

うちから少し歩いたところかにお堂があって、一本の大きな銀杏の樹があるんです。
廃仏毀釈の前は寺だったんだっけ?わすれちゃった・・
お堂は少なくとも江戸時代からあるみたいだ。
犬と散歩に出かけたら
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葉が黄色くなりかけていました。
大きすぎて写真でとらえきれません。

この近所に住んでいる人から聞いた話。
子供の頃、弟が高熱を出したが何日か経っても一向に熱が下がる気配がない・・
どうしたことかとなったとき弟が
あの銀杏の樹で昼寝をしようと幹に板をに五寸釘で打ち付けた・・という。
皆で見に行くとその通りになっていたのですぐに釘を抜いて樹に謝った。
すると熱は下がり・・
昔話とかじゃなくてまだ生きているおっさんの話です。
人に熱を出させる霊力みたいなものがあるかはさておき、木だって生きているんだから魂を持っていると思う。
人と同じく魂も年月とともに成長すると思うので何百年も生きた樹は深い心を持っているのではないかと思うんです。
人の言葉でべらべらしゃべってたりはしないだろうけど、歌ぐらい歌ってるかもしれない。

銀杏じゃないですが、
マーラーの「さすらう若者の歌」という連作歌曲集の終曲に菩提樹が出てきます。
失恋に苦しむ若者の歌ですが最後の部分
自分に残されたのかなわぬ愛と苦しみだけだと、あてのない旅に出ます。
街道沿いの菩提樹の下で寝ていると



すべての苦しみは幻だ、もう忘れた、もうどうでもいい・・
私の上には花弁が舞い落ち・・
みたいな安らぎを得る。
ハープと3本のヴァイオリンが、心地よい木陰を見せてくれているでしょう・・

でも、
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音楽がこの安らぎでは永遠ではないこと、この先にある黒いものを暗示して曲は終わってしまいます。
希望や慰めを見せておいて、絶望的な現実を突きつける・・みたいなの好きなんですよねこの作者。

ほぼ同時に作曲されていたらしい交響曲第1番の第3楽章にも全く同じ音楽がでてきます。
この手前は死の世界へ導いているようなグロテスクな葬送行進曲。



音楽は全く同じだけど調が違うんですね。
ここで起こっていることはどちらの曲も同じものだと思う。

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シンフォニーの安らぎの時間も歌曲と同じように中断しますが、こちらには続きがある。
若者のその後を我々は知ることになる。

というこのあたりの話は、マーラーに入門すると解説かなんかで読んで両曲を聴きへーと思う話なんですね。
この相互引用は有名で作者自身も狙ってやっているのは間違いないんですが、考えてみればどちらか片方しか知らなくてもその内容は十分伝わってきますよね。
とはいえ、かなわない愛と苦しみをもって・・みたいなのを思うと交響曲のフィナーレがとても分かりやすく聴くけたりもする。
作者もシンフォニーを聴く聴衆が歌の詩ににとらわれすぎてしまう事に気付き、まずいと思ったらしい形跡があるようなことをどこかで読んだ。
まあいいかそんなの。

お釈迦様が悟りを開いたのも菩提樹でしょう・・菩提樹って何か特別な力を持っているんでしょうか・・
私も菩提樹の下へ行ったら何か悟ることができるのかな?

私は、お堂の銀杏の樹でいいです。
よく言うパワースポット的なパワーをくれるなんていうのはないですが、
行くとなんというかホッとする。
見ていてくれているんじゃないかなと思うんです。
静かに
「おう、きたか・・・」
みたいな・・



海と第9

カフェに行ってよかったみたいな話をたくさん書いていますが、それは最近仕事の都合で平日に行けるから。
混んでいたらいかないと思う。
クラシック音楽もみんなに大流行でみんな大好きだったら多分聴いていないかも。


海。
昔行き詰ったときに海へ行ったらっ頃がスーッとしたことがあったのを思い出していってみました。
そんなに都合よく気分が良くなったりはしなかったけど、悪い気もしなかった。
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こんな神様でも降りてきそうな光景を見て思い浮かんだのは
ベートーベンの交響曲第9番の第3楽章。

ベートーベンの交響曲第9番ニ短調に興味も何もない人でも「だいく」は知っていそうですね。
合唱が歌ってるところが第9で手前のオケの部分はイントロだと思ってる人、テレビでよくながれるあの1分間くらいが第9だと思っている人・・
人の持ってる世界は色々で全くの別ものなんだからだしそれで当たり前だし、いいんだと思います。

そういう私も、ちゃんと全曲を聴いているかというとちょっとしおかしいんです。
私は逆で最初の3楽章は大好きでよく聞くけれど4楽章はめったに聴かない。
それは4楽章が嫌いなのではないと思う。周りに聞こえると恥ずかしいというのもあるけれど、
なんとなく混んでるカフェに行きたくないのと似ているかな・・
今抱えている頭の中の膿みたいなものが整理できたらまた頻繁に聴けるようになるのかもしれません。



第3楽章、いいですね。
後の作曲家たちに大きな影響を残していると思います。
中でもブルックナーとマーラーのAdagioはこの曲を底本としているんじゃないかと思う。思うじゃなくてそうでしょう。
ロンド形式とも少し違う、2つの主題というか部分を持った2重変奏曲みたいな形ですが、その2つの音楽は
調性も拍子もテンポも色も表情もみんな全然違う。

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その変化点の部分。
変ロ長調からにニ長調へ・・・場所も空気も全然違う・・流れてる時間も違う・・なのに自然につながって、同時に同じ世界にあっていいことになっている・・
このことが、すごく大事だと思うんですよね。
フィナーレで何だかごちゃごちゃ言ってるのもこういう事でしょう?
俺こここすげーと思うんだよなぁ・・

最初の音楽は自然というか、人間なんかに左右されないでっかいものの姿のような気がします。
ニ長調に転調したこの第2主題・・第1ヴァイオリンはあえて黙って第2とヴィオラが歌ったり・・マーラーの楽譜の景色みたいだけど
これはどちらかというと少し内に向いているというか、人・・を感じる。
フィナーレの人間主題というべきあのテーマはニ長調だ。あっちは思い切り外へ向かっているけれど。

この楽章も、何も言わないようですごく大きな意味を持っているんじゃないか。ただ否定されるべき存在としてここにいる訳じゃないと思う。
第9というのはそういう音楽なんじゃないか。

ベートーベンがどう思っていたかは知らない。
私がそう感じるという事が大事で
それだけ。

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日が暮れてもきれいでした。

せんろ

1本の電話でいくつか持っている不安要素の一つに火が入る感がした。
ずっと縛られて身動き取れないんだよ。
みんなそうなんだろうけど。

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窓の外がすぐ線路なカフェ。
ここに来たかったわけではないけど、外から見て今日の山場はここだなと思った。
ありそうでなかなかないでしょうこんな景色の窓。
電車が来ると揺れます。
面白がっている間は嫌なことも忘れる。
また一つ思い出ができた。

先日山奥に住んじゃってカフェをしている人は、「先のことを考えるという事は不安を抱えるという事でしょう?だから今したいことしか考えないように・・」みたいなことを言ってた。
そうだなぁ俺トリガかかかると不要な不安まで抱える癖があって・・
そうなったのには訳があるので、単純に俺はおかしいなんて思わないけどね。

こういう小さな楽しみを重ねていきましょう。
ここでさらに面白いはこの線路を時々人が平然と歩いていることですね・・
電車も結構な頻度で行き来するのに・・
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左の明るい窓がここ・・・この奥に家が何軒かあるんですがこの線路をあるく以外に到達するすべがありません。よく見ると線路に向けて門があって玄関もある。ここ線路であると同時に路地でもあり続けてるんでしょうね。
一般人が車なんか持てない時代、国鉄の駅から田舎の端まで走っていた簡易鉄道みたいなものは既存の道端だとか路地裏に適当に線路を敷いちゃったようなものだった・・車なんて来ないんだからそれでよかった。
でもみんな自家用車を持てるようになるとそんな鉄道は不要なうえに邪魔となって次々とはがされてしまいました。もう地元の人もそんなものがあったことを知らないと思う。
ここは色々バランスして奇跡的にそれが残ったんでしょう。
電車自体が面白いんじゃなくてそういうところに萌えるんだよね江ノ電。
そんな話はどうでもいいんだと思いますが、私はこういうところへきてちょっと嬉しかった・・
店主さんは絵にかいたようなイケメンで少し話したけれど、先週とは違いいつもの人が苦手な私が復活してた。

お店でかかっていた音楽は何か忘れちゃったけど今風なおしゃれなのだったかと思う。
心地よくていいと思う。
何か食ってるときにクラシックなんか聞きたくないかな俺も。
クラシック大好きだけど。
そういえば先日話をして楽しかったお店は音楽なんてかかってなかったんじゃなかったっけかな。


この悲愴の2楽章、初めて聴いたのはテレビのCMでした。英語の歌詞がついてなんかかっこいい感じの歌として流れていました。
だからこれは洋楽でそういう曲なんだと思っていました。
ベートーベンが作曲したピアノの曲だと知った時は驚いた。
月光が聴きたくてCDを買った時だったかなぁ・・もっと前だったか・・

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楽譜もあったし弾きましたよこれは・・高校生の頃。
懐かしいね。

帰り道、また何度も通っているジャンクションで進路を間違えた。
ふと気が付くと理解不能な光景が目の前に・・
俺、若年性痴呆か?とか本気で思ったり・・
有料道路に入り次で降りるともう明後日みたいなところにでてしまう。
戻るのもつまらないので大回りをして別ルートから帰る。
正しく進んでいたら事故に巻き込まれていたのを助けてもらったんだろう・・
とか
見慣れない街を走るチャンスをもらったんだ・・
等と思い込んでみようとしたり。
違うだろ間抜けだから間違えて損したんだろという声が聞こえ続けたり
人生もそんな感じで

どこへいこうか?

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小学校のころ、教室の後ろに置いてあった本の中にトンネル掘削技術の歴史みたいな本があって読んで引き込まれました。
丹奈トンネルの度重なる大量の出水と空気に触れると膨張する温泉余土は日本で初めて成功したシールド工法(その前にした例がある)によって克服された・・みたいなの
山でもその辺の地下でも地質というのは均一ではなくて局所的に大きく異なるものらしい。
トンネルなんだから直線でがんがん進めばいいのに、結構くねくね曲がっていたりするのは点在する掘削困難な地質を避けて掘りやすいところを進んでいくからなんだと思う。

これからという若者に対して君の前には真っ白なキャンバスが広がっている。どう描くかは君の自由だ。みたいなのがあります。
でも実際は真っ白じゃなくて山の地質みたいにいろんな状況が場所ごとにあるだろう・・
固い地盤にシールド工法は使えない、軟弱地盤に削岩機を立ててもしょうがない・・
先がどうなっていようが好きなように驀進できるパワフルな人もいるでしょうが、そうじゃないのもいる。
人間はみな同じではない。
目の前の状況と自分の特性を知り、突破困難なものは避け、進めるところを進んでいくしかない人間もいるはず。
手探りで進める方に進むだけ。


今ここに長文を書いてみたんだけれど消しました。ブログとはいえ書いていいことと悪いことがあると思う。
でも書くと整理されますね。

賛美歌をオルガン独奏曲に編曲したものをコラール前奏曲と言います。
バッハのシューブラーコラールという6曲からなる曲集の第一曲目「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」という曲なんか大変有名で聴いたことがある人も多いでしょう。
同じ曲集の2曲目の名前は「どこへゆくのか」です。どこへ逃げようか?かな・・



わたしはバッハと一部作曲家のオルガン音楽が好きでこの曲も好きですが、そうでもない人にはどう聞こえるんでしょうか・・
へんてこりんな音楽に聞こえるのかな?

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オルガンのペダルって低い音というイメージがあるけど、そうとは限らないんだよね。

2つの手鍵盤パートがカノンみたいになっているところが逃亡者と追手みたいだとどこかに書いてありました。
それじゃバロック音楽なんてみんな追手と逃亡者みたいじゃない?
これそんなにちゃんとカノンじゃないような気も・・・

バッハの作品は死後かなりたってから第三者によって整理出版され、BWVではじまる通し番号がつけられています。
オルガンのコラール前奏曲は600番台。
この曲の番号はBWV646です。

昔は自分の好きな曲は曲名だけでなくこの番号でも覚えていました・・・
鉄道マニアが車両の形式番号を病的に覚えているのと同じ・・かな?
けどもうみんな忘れちゃった・・

安政五戊午年

家から見える遠くの山、杉やヒノキが植林されているので全体的には深緑色なのですが一部色の違う一帯があって子供のころから気になって仕方なかった。
その後、近所の100年前からのメッセンジャーみたいなお婆さんにあれは〇〇村の柴刈り場だよと教えてもらえた。
村って・・その名前130年前になくなっているはず。
村の名前は今も地区名として残っています。村の守り神だったんだろう神社にあった常夜灯。

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色々文字が刻んであって・・
全安内村?
そんな村あったっけ?
じゃない
村内安全か・・
安政五戊午年と彫られてあります。1858年だ。

ブラームスがピアノ協奏曲第1番を完成させ、ワーグナーがトリスタンとイゾルデを作曲していたころ・・
ちょうどこのころ黒船が来たんだっけ・・
きっとこの文字を彫った人たちは100年たとうが200年たとうがずっと自分たちと変わらない生活が続くと思っていたんじゃないかなぁ・・

そのブラームスのピアノ協奏曲第1番ニ短調
非常に若い時の作品で、その後の保守派的な仮面をかぶったブラームスとは別人のもののような面を持っています。

第1楽章の再現部に入っていくところ・・

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またしてもやってますね。この3連音も例によってベートーベンの運命主題を意識しない訳に行かないでしょう。
運命をたたきつけられた後どうなるかというと



第1主題を再現すべく低音はニ短調の主音Dの伸ばして場を作る・・
だけどその上にピアノはあろうことかホ長調主和音で乱入してくるんですよ・・・
すごいよねこれ・・

ニ短調の・・運命になんか全然支配されていなかった・・長調和音からピンチ状態なのに不敵な笑みを浮かべている・・みたいなとんでもない状況を感じる・・

もうなんかマーラーみたいでしょ・・この年はまだマーラーなんか生まれてもいないんですよね。
ブラームスってこういう人なんだよ。

後年のピアノ協奏曲第2番をはじめとする傑作群に比べれば、構成や管弦楽法など見劣りするのかもしれない。
でもこの若気の至りというか若いロマン派作曲家の情熱がが爆発してる感じがいいですよね・・
私はこの曲が大好きなんですよ。
日本が黒船で騒いでいるころ、ドイツでは若い天才があふれる感性を爆発させていました。
この曲を初めて聴いたのは中学2年生・・この部分、えー!?とかなんとか思って萌えた。

ブラームスはそこまで考えなかっただろうけど、彼の作ったものは130年後遠い島国のさえない少年にまで届き、その後の人生に大きな楽しみと喜びをくれました。

どこへいくのか

昔、死にたくないと強く願いながら死から逃れられなかった人を見ました。
教えられることがあるとしたら、今この時間と生きられるという事をにしろということだと思う。
時々忘れていますが、何より大切なことだと思う。

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マーラーの交響曲「大地の歌」という曲の第6楽章は
演奏時間だけでなく、内容的にもこの曲の革新みたいなところだと思います。
舞台は夕暮れから始まって夜。
ある人物が自然を愛でたり、哲学的なことを考えながら誰かを待っている。
別れを告げるため・・
間奏を挟んだ後半、待ちに待った相手は現れるのだけど、

これからどこへ行くのか?
「ああ友よ、この世では幸せを掴めなかった・・・」

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言葉としてはそこまでしか言わない。
でもここで、運命というか超自然を象徴するようなオーボエとともに銅鑼がppで鳴るんですよね。
この銅鑼を聴いて、あぁこの人これから死にに行くんだな・・・と感じる・・



この言葉を語る旋律は明るい長調なんですね。
この暗い内容を笑顔で答えている・・もう心は決まっているんだろう。

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そう考えるとこの直前、
「友は馬から降りて別れの盃を差し出した・・」
とか言っている後ろでずっとこの銅鑼が鳴っている・・
死にとりつかれた人間の姿が描かれていた。

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そもそもこの曲は銅鑼の音で開始する。
冒頭から逃れることのできない死の定めが予告されているんだろう・・

運命というか定めを象徴するみたいなオーボエのこの動機は基本的に指すような32分音符なのに、
このこの世に幸せはなかった・・のところは少し優しく16音符なんですよね。
あんまりGほちゃごちゃ核と屁理屈野郎みたいだけど、もう死を受け入れたものに対して運命は少し優しいみたいでしょ。


最近この待ち人は第三者なんじゃなくて実は自分自身の心なんじゃないかと思ってみたりもします。
そんなんじゃないかもしれない。
どちらにしろ、本人もこの後自らの死を受けいれていくんだと思う。死という言葉は一言も出ないけれど・・・

作曲者は弟子のワルターに「この曲を演奏したら自殺者が出るのではないか?」というようなことを言ったという。
自殺以前に、作者自身が感染症により突然あるはずだった人生を奪われてしまい、この曲を初演することも聴くこともできないままとなってしまった。

生きていると生きているのが当たり前だと思っていますが、生きられる時間はとてもはかなく微かなものなのかもしれません。
当たり前ではないのかもしれません。
貴重なこの時間とチャンスを無駄にしてはいけないと思う。
思うんだけれどじゃあ何をというのもうまくいかない。
とりあえず私はまだ全然死にたくないですけどね。
なんにも得られてないけど音楽聴ければそれでいいやもう。

よかった

なんとなく行こうと思っていた山奥の駅がBSのローカル線途中下車みたいな番組ででてた。
駅のそばにあるお店のお母さんに助けられる的な話となっていて・・

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最近よく秘境駅とかいうけれど車で行けるようなところは秘境駅ではないと思う。
ここも。
でもなんか、これ日本ですか?みたいな感じでしょう?

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行ったらあのお母さんがいた。
テレビで見るああいうのは事前に打合せしてあったりするのかと思っていたけど、
お母さんの話だと何も知らないところにほんとに突然来てその後もそれっきりだったみたい。
「BS映らないから見てないの」というお母さんは彼らのその後を本気で心配していた。
テレビはもうどうでもよくて、話好きのお母さんをはじめ地元の人も来たりして色々話ができて楽しかった。
人と話すなんて普通のことだけど、コミュニケーション障害みたいな私はいちいち心が大騒ぎですよ。


ここへ来るまで頭の中でショパンの舟歌が流れていました。
流れるというか頭の中で自分が歌うというか弾くというか・・
そういうのあんまり萌えすぎると んっ!とか声が出ちゃって恥ずかしい。
山中で舟歌というのもあれだけど、元々これも舟歌は舞台というか設定であって舟歌を描きたい曲じゃないでしょう。


最初から最後までおいしいところだらけというか。


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むかしこの2重トリルに萌えました・・
なんかこう、虹色の水みたいなものがあふれ出てくるようなイメージで・・

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中間部のこの辺りも萌えた・・今でも萌える。
聴いて想像するのと実際の譜面の景色が違う気がする・・
そう聞こえるように弾くのって難しいんじゃないのかなぁ・・

この音楽はベネツィアのゴンドラ遊びなんかじゃなくてのってる川は人生でその喜びを歌ってるように感じたりもします。
後半のffのあたりとか・・

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この辺り、喜びの歌みたい・・
いったん中断した旋律を最後にトリルが締めるところがあって、この曲トリルも主役というか・・なんかそんなようなことを昔考えていたのを思い出しました。

ベートーベンの交響曲第9番、シューベルトの交響曲第9番、ブルックナーの交響曲第9番、マーラーの交響曲第9番・・
他の曲でもいいと思うんですけど、作曲家の最晩年には何か特別な深みを感じる曲があったりするんですよね。
ショパンの舟歌もなんかそんな気がします。

ショパンはドイツの作曲家みたいに音楽を通して人生とか宇宙の真理を表現する・・などということは考えないというか、そういうの大嫌いだったんじゃないかと思います。しらないけど。
でもなんかこう、でてきちゃうものみたいなのがあると思うんだよね。

彼自身、肉体とかリアルな生活の面では結構つらい人生だったかもしれないですねぇ・・
有名人の伝記というのは詳細で怪しいものがあると思うけれど、死に際しての彼の言葉の一つ一つが何だかもういじけたたましいみたいでかわいそうだ。
でもこんな音楽を発想して残せたんだもん芸術家としてというか人類史上有数の勝ち組でしょう。