蔵と人生

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蔵を改装したカフェはに行きました。
入ってみるとよくある雑誌に出そうな変に艶のあるおしゃれな感じ・・・じゃないのがいい。
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一部2階をぶち抜いて天上の高い空間に・・薪じゃないけどチップみたいなのを燃やすストーブが。
でもその近くの席には先客が。あそこに座りたかったなーとか考えながら・・
店主は背が高い白髪に髭ジーパン・・なんかかっこいいおっさんだ。
年配の先客に嬉しそうに話しかけてた。
帰り際の先客になおも新しい話題をふる店主と一刻も早く逃げ出したいおっさんの対比に笑った。
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素朴なのがいいな。

調子が良かったので自分も話しかけてみる。
この蔵は明治のころに建ったもので海鮮問屋がつかったものだ
近くで切り出した石を詰んだつくり。柱も何もなくて合わせ面に凹凸を入れて容易にずれないようにみたいな工夫があったりするという。関東大震災も持ちこたえたってことだもんね。
手に入れた時に柱や梁の一本一本を店主が水拭きで磨き上げたそうだ。
定年後好きなことをやりだしたという感じかな?
ここをとても大事に思っているみたいだ。
いい人生だなと思った。

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目に付くCDのラック、単なる店内BGM用かと思ったらCD屋さんもやってるんだそうだ。
同級生から譲り受けたという古いスピーカーはタンノイで、50年ものだそうだ。
中学に入って買ってもらったから・・・とか言ってたのが忘れられない。
あんなもん買ってもらえるって・・・
私もひねくれオーディオマニアですから簡単にいい音なんていわないけど、健気に鳴ってましたよ。
驚いたのはカセットテープ。
軽トラに乗って演歌を聴くようなお爺さんたちはCDなんか使えるわけないから今でも新譜をカセットテープで買っていくんだって。
もう20年くらい前には消えてたと思ってたカセットテープ。

演歌といえばマーラーで演歌を感じるところがあります。


交響曲第5番は1、2楽章が組になっていて1楽章で散々ネチネチグダグダになってあるので2楽章は大暴れしたり俯いたりもするんだけど意外にサバっとしてもいる・・みたいな。
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ソナタ形式の第2楽章で再現部に入って第1主題が載ってくるはずの伴奏がすごい推進力に押されて盛り上る・・さあ!っというところで乗ってくるのは第2主題!?という遊びというか実験をやっています。
ショスタコの4番にもこんなのありますね。
2組ユニゾンのヴァイオリンが低い音で朗々を歌うこれは演歌だと思うんですよね。
リヒャルト・シュトラウスのスコアを見ていると2つのヴァイオリンパートが同じものを弾くというのを結構見かけます。
でもマーラーの場合はありそうであまりないというか、あったらあっこれ特別歌いこみたい場面だなという特別感を感じます。
マーラーオケを自負しているようなとこのコンサートに行ったらここはオケ全体が演歌歌手みたいにうねって歌ってた。
チェロとコントラバスは最初の音が譜店のリズムになっててうねるようにやれと書いてある。演歌ですよね。
重ねるファゴットは普通に書いてあるのが面白い。
実際には第1主題も絡んでいてこの場面はどちらでもあると言える。
執拗に鳴り続ける運命主題と、人魂みたいな第1主題の導入というか破片。
困難な運命の中で浪花節的に頑張る人間の姿・・と言うところでしょう。
芝居がかってはいれるけれど引き込まれ自分も身をよじりながら聴きたくなるような場面。


お店のBGMはよくわかんないけど70年代の洋楽みたいなのがかかっていたと思う。
ギターとかもって歌いそうな店主はこういうのが好きなんだろう。。
子供の頃、人は若いころロックを聞いて歳をとると演歌かクラシックを聞き時代劇を見るように変わって行くんだと思っていた。
けど、違いますよね。
クラシックも演歌もこの先どうなってしまうんだろう?
それより私はこの先どうなってしまうんだろう?
マーラーがこの交響曲第5番を完成させたのが42歳で今の私と同じくらい・・・えらい違いだな。
彼は若い嫁さんをもらって仕事も私生活も絶好調だった。
この時自分の残り時間について考えたりしただろうか?
その後演奏家としてのキャリアを引退し残りの人生を全面的に作曲家活動につぎ込もうと計画した矢先、感染症によって突然命を奪われてしまいました。
無念であったろう。

私はまだ死にたくはない。
妻が睡眠時無呼吸症候群の疑いを指摘するので今日病院へ行って簡易測定器を借りてきました。
医者によると、もしその病気だった場合の対策はまず痩せることだそうだ。
それ以外のいろんな問題もみんな痩せれば解決するらしい・・
痩せろというから自転車通勤をしたりしているんだけど、かえって飯がうまくなっちゃって
こんな毎週ケーキ食ってるとか怒られるだろうなぁ・・・

別れない曲

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日の出のころが一番気温が下がるから・・
夕日だと思うと物悲しい気分になるけれど、朝日だと思えば希望が湧いてきたり・・・
よし頑張ろう。

と書くとこれ朝日みたい?でも夕日かもしれませんよね。
予備知識入ると引っ張られてそれが正しいと思っちゃいますよね的なことが言いたい。
音楽もそう、ちらついている話に引っ張られすぎるのはどうかと思うことがあります。
みんながみんなコピーみたいに同じような感想や考えを並べている曲がある。
模範解答があって、それをなぞらなきゃいけないことになってる。

それとはまた別な曲ですが、ショパンの「別れの曲」というのが超絶有名ですよね。
中学生のころにやたらに聴きました。
本当になん十年かぶりにふと聴きたくなりました。
実際には曲集聴いてると出てくるので聴いてはいたんだろうけどまあいいじゃん。



有名な話ですが「別れの曲」という愛称はずっと後の人が映画と合わせて流したとか何とかでショパンがつけたものではありません。聴けば確かにそんなイメージもあるので特に文句もありませんけどね。
でも作者自体は特に標題的なことは言ってなくて練習曲作品10の3でしかない。
この曲はテクニック的な練習曲でもあるんだろうけど、楽譜からどんなものを読み取って解釈し表現するかみたいな事の練習曲でもあるんでしょう。
ショパンが弟子にこの曲を教えているとき「わが祖国よ!」と叫んだというエピソードが有名です。
あの人ポーランドを離れて帰らなかったから・・でもそれはその時ショパンの中でそういう気持ちが爆発したというだけで、この曲を説明するすべてでは決してないと思う。
もし、君はどう考えるのか?と聞かれた弟子が「祖国を思い・・」なんていったらショパンはすごく怒るんじゃないかと思う。
それは私が言ったことで君の考えではない!
実際どうだったかは知らないし、そんな程度の人は弟子になんかなんないのかもね。

今世の中全般的になにか感じる内容まで模範解答があって外れると不合格みたいに思ってるとこがないでしょうか。
私はひねくれすぎてそう見ちゃうのかもしれないですけどね。
また模範解答通りに感じられる私はすごいし正しい!みたいなのが叫んで回ってたりとかするわけだ。HMVのレビューとか・・


名前からどうしても別れの曲だと思って聴いてしまうけれど、
この曲は別に「別れの曲」なんかじゃないので聴いた人が勝手に感じればいいと思う。
崩れ落ち荒れ狂う中間部を含めて・・確かにどう考えても順風満帆おめでたい!みたいな世界じゃないわけですが、
わかれた恋人を思ってみたいなのは今感じられない。
この微笑みつつ思い出す物悲しいものはなんだろう・・
今の私には、
ちょうどこれを聴きまくっていた13歳くらいの私、あの日から今日までの失われて二度と戻らない日々だなぁ・・
誰でもそうらしいですけど、この人生うまくいったとは少しも思えない。
考えたって仕方ないんだけどもう少しやれたんじゃないかと思ってみたり・・
実は奇跡が起こってやりなおすチャンスを得ました・・けど同じ事なぞっちゃってんのね。
神様も苦笑。
あなんだこれ、まぁいいじゃないそういうの音楽に託したって・・
楽しい思い出が全くないわけじゃないけどそれを思い出しても同じような楽しい気持ちにはもうなれないなぁ。

手持ちの音源の中にこの曲は結構いろいろあって、どのピアニストもこの曲に対しての考えを持っていてそれぞれ全然違う歌を聴かせてくれた。
歌いこむはいいけどいちいち旋律が止まって進まないようなのはあんまり好みじゃない。
別れじゃなくて、飲んでかっこつけてる感じの演奏もあった。
それはそれでへーと思う。今日は乗らないけどこれがしみる日もあるだろう。
普通は荒れ狂う中間部もあれないでそのまま沈んで行っちゃうようなちょっと怖い演奏もあった。
いろいろ面白い。今の私にしっくりくるのはどれかというのはあるけれど、どれが正解なんて言わなくていいんでしょう。
音楽、芸術はそれ単体に意味や価値があるのではなくて、それを見たり聴いたりした人間の頭の中にくる反応というか出来上がる世界みたいなものに価値があると思う。
その反応は人それぞれだし、好みもそれぞれ。
模範回答なんか気にしなくていいから自分の中に自分の世界を喜んでればいいんでしょう?

ピアノなんか弾けない私の頭の中にもこの曲こうなってほしいという私演奏が存在します。
ピアノが弾けないことが悲しいのはこういう時だ・・一生聴けないんだからそれは。

で写真はサロマ湖に沈む夕日です。
誰一人いなくて、凍った湖の上に立ちながら・・
落ちたら死ぬな。春まで見つからないんだろうなと思ってた。
死にたくないと思った。
楽器もできないし、出会ったそばから別れの曲みたいな人生だけど全然死にたくない。





4月からは自治会の役が回ってきます。その顔合わせに公民館へ。
途中月がいい感じ・・
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スマホじゃ写んないね。
もっとおとぎ話みたいな幻想的な絵がそこにあったんだけど。

月を愛でる音楽はきっとやまのようにたくさんあるんでしょうね。
マーラーの大地の歌。
終楽章は夕暮れから始まって夜中を通り夜明けまでの世界です。
始まってすぐに月が登って来るのを見て銀色の小舟とかなんとか歌っているのですが
その光景がどれほど美しいものかは歌詞を気にするまでもなく音楽がみせてくれます。

死によって実演の機会を奪われたマーラーに代わりこの曲を初演したブルーノ・ワルター。
この録音はステレオですがコロンビア響じゃなくてニューヨークフィルとの録音。

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この音楽、リアルな場面も目に浮かぶと同時に絵巻物的でもあると感じています。
クリムトの絵なんかを見てると周りを唐草模様みたいなのが埋め尽くしたりしています。世紀末の表現様式でユーゲント・シュティールですか、この楽章も木管が何パターンかの定型モチーフを執拗に繰り返すんだけどそれは唐草模様に相当するものでもあると思う。
クラリネットとチェロがハモって立体感と光が生まれて・・
弧を描いて登っていくクラリネットを追うようにハープとチェロが上昇していくのを聴くと月が夜空の海を進んでていくのが見える気がします。
そのすぐ後にくるオーボエの優しい響きは・・どこにも書いてないけどうさぎとか宝船に乗った七福神の笑顔がすすきの向こうに登っていくようなイメージが私の頭の中に浮かんでいます・・

と書いたはいいけれど、
夕暮れ時に見える三日月は必ず西の空の低い位置に見えてこれから沈んでいくんですね。
今この音楽で私の感じてるイメージとはちょっと違う。
登っていく三日月は夜明け前にでるそうなんだけど今この場面はまだ夜が始まったところだ・・

まぁ、いいじゃないそんなことは。
こういうの天体とか好きな人からすると耐え難い間違いだったりするのかもしれませんね。
でもここにあるのは幻想的ポエム世界だから。

初期や中期の作品みたいな変わった仕掛け的オーケストレーションはもうみあたらない。
ないけど、こんな驚きの絶景をみせてくれる・・
なんでも長年やって歳くってくるといらんハッタリかけなくても魅力みたいなものが普通に出てくるようになっていくんですかね。
私は歳くったけどなんにも出てこないけど。
何にもやんないからな。

写真にはちゃんと写ってないけど細い消えちゃいそうな三日月が好き。
誰だっけ、昔の中国の詩人が見た月や100年前にマーラーが見たのと同じ月を見てるのかなぁ・・
役員的な話は予想通りめんどくさい役をやらさ・・まぁやりますよ。

雑踏

昔々、道路に車なんていない時代は道端に小さな鉄道が敷かれていていました。
今じゃ信じられないけど京王だって道路の真ん中を走って新宿駅に入ってたんですよ。
そんな田舎鉄道は昭和30年代くらいにほとんどはがされてしまいましたが、江ノ電が一部道路上を走ったりしているのはその名残だと思う。

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この時、電車は停車していて警笛鳴らしまくり。
左の白い車は電車をよけているつもりなんだけど電車の車両限界内に少しはいっちゃってるんでしょうね。
電車の運転士が車に向かって何か言ってる。
そこいるとあたっちゃうから!・・かな?
ということで車は電車のわきを通って前へ進んで行った。

この車のひとは多分悪気も何にもないんだろうけど、
世の中なんで俺がよけるんだお前がよけろよみたいな人がいっぱいいるでしょう。
でも電車はレールに乗っかって走るという構造上よけるというのは絶対できないんだから、車がよけるしかないよねぇ。
文句言おうがあばれようが電車はよけることができません。
わかりやすくていいよね。


バルトークの中国の不思議な役人という舞台音楽があるんですが、全曲版が派手で面白い。
クラシック音楽だけど、田舎の自然とかそういうのとは無縁。
冒頭、都会の雑踏。
行きかう車。クラクションが鳴らされ、人を気遣う優しさとか温かさとかそんなものは一切ない世界。
金管が散々吠えてるのはクラクションでしょう。
複雑にいろんな音が重なるように書かれていて、演奏によってどこをどう浮き立たせるかがことあるためいろんな演奏を聴き比べてると楽しいです。
楽しいけど殺伐としすぎ。
バルトークて感じがしますよね。

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弦楽器がやっていたうねりみたいなものが木管に受け渡されるところなんかもう街がひっくり返って何かとんでもないものが吹き荒れちゃってる見たいでしょう・・どうなちゃってんのみたいな・・・
さらにその先

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ここでオルガンのペダルが乱入。
ここは演奏によっていオルガンのがそもそもないものとか出てもさっと引いちゃうものとかいろいろだけど、デュトワMSO盤はオルガンを思い切り強調しています。
もう巨大武装電車みたいなのがみんななぎ倒してるみたいな・・
舞台の内容からするとちょっとおかしいけどね。

しかしこのパントマイム中国の不思議な役人はめちゃくちゃというかものすごい内容を持っています。
売春とか強盗、殺人、めった刺しとかそういうのですよ。
挙句に殺されてるのになかなか死なず青白く光りだすとか・・
作者はこの筋書きを大変気に入っていたらしく、バルトークって不幸な人だったのかななんて思っていた。

でも息子の一人が書いた本を読んでいたら普通の勤勉でやさしいお父さんの姿が描かれてあった。
そうかぁ・・
よかった。

リンゴのタルト

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大井川の河口、その向こうに伊豆半島の南端。
川がでかすぎちゃって何のことだかわかんないですよね。
風がものすごくて寒かった・・
遠くの河と海の境付近にでっかい波が逆巻いていて、あそこに行ったら死ぬんだろうなぁと思った。
あそこにいなくていいんだから俺は幸せだ。寒いけど。
いい感じのこのバカでかい公園は、普段は人がたくさんいたりするのかもしれない。
でも風が強すぎてもの好きな人が数人いただけだった。
風がなければもう少しゆっくりしたかったここで。

ちょっといったところでカフェにでもと調べると
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本当にすぐそばにこんなお店があった。
ドアを開けるとあれケーキ屋さん?まちがえた?・・
でも奥へどうぞと案内された廊下の奥には落ち着いた客室があった。
さらに元テラスだったところに壁と屋根を建て増ししたようなスペースがあってそこが妙に良い雰囲気だったので座る。

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窓の外には小さく夕日に染まった富士山
結構遠いけどこんなに見えるんだね富士山て。
反対側の窓には夕日が沈んでいく・・        

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ケーキがリンゴのタルトしかないとかいうので笑顔でじゃあそれで・・
俺はタルトって何なのかも知らないけど。
持ってきながら今日はこの2個でちょうど終わりでしたぁ・・・
わぁーよかったぁ!なんてまぁそういう茶番も気分がいいと気持ちよくできるというか。
ちっちゃいけれど価格が妙に良心的でおいしい。コーヒーもおいしい。

最近いろんなカフェに行くしブログだからすごくよかったみたいに書いたりするけれど、
落ち着かないどころかかえって気分が落ちて帰るような店が結構あるんだよね。
でもここは心が休めた。よかった。こういうのなかなかないんだよ。
飾りなんか何にもないそし、お店の人と話すとかなんかも何もないんだけど、
大拙なのはきっとそんなとこじゃないんだよね。

プーランクの2台のピアノのための協奏曲 ニ短調

の第2楽章がいいなぁ・・
モーツアルトがエスプリな感じで出てくる最初の主題もとてもいいけれど、

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突然出てくるこれ何だよ・・・
心の奥底の、触ったらひりひり痛いような部分をさらけ出しちゃってんだよいきなり・・
これ多分作者はそんなに悩んだりしないでフィーリングでさって書いちゃったと思うな。
鍵盤の上に手を転がすとこういうのがいつでも湧き出てくる・・そういう人なんだよ。
この後中間部はおしゃれなおてんば娘みたいだ。
こんな音楽があるんよね。

他にお客はいないと思っていたけどおばちゃんがやってきた。
いつもこのパターンだな・・喫茶店てそういうところだから当たり前なのか。
しかしおばちゃんのLINEのピンポンみたいなのがやたらに鳴るのは耳についてしかたない。
ああいうのはこういうとこじゃ鳴なんないようにしとくもんじゃないのか?
違うのかもな。
そういう俺はもうピンポンも一生ならないかもしれない変態だけどね。
一時いろんな人から誘ってもらったけどみんな終わちゃった。
そんなこと考えながら食べるリンゴのタルトがおいしかった。

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店から出たらこんな景色。
いいとこだった。

つけナポリタンと音楽

ちょっと離れた町の商店街にいきました。
日本中どこでもみるような灰色のシャッター街。
駅から伸びたそれはなかなかの規模を持っていてきっとかつては人でにぎわったんだと思う。
行こうと思ったお店はclauseの札・・あれれまただ。
その3件くらい隣に10年以上前に入ったことのある古い喫茶店があったのでそこでいいか。
あの頃は古い喫茶店でしかなかったけれど
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ご当地グルメみたいなのでしょう、つけナポリタン。
昔給食でこんなのあったよな・・
その発祥の店とか言ってるけど前来たときそんなのあったかな?
まあなんだか楽しそうだからいいじゃない。

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カフェじゃない。
喫茶店。

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味は多分この見た目から想像されるそれがそのまま。
これはまじめに美味さを求めてどうこう言うよりも、ネタとして楽しめるかどうかだよね。
つけ麺みたいに煮卵とか鶏肉とかお楽しみみたいな具がたくさん入ってた。
チーズもたくさん・・途中からレモンをかけて・・
ただ食い物だととらえるとちょっと値段が高い正直。
でもお楽しみ体験だと思えば面白かった。
いろんな掲示物やレビューを見るとこのネタでこのあたりの飲食店はそこそこ人を呼んでいるみたいだ。
いいんじゃない。
ナポリタンと言えば

音楽の解説などを読んでいるとナポリ6度なんていうのが出てくることがあります。
ハ短調の音楽に変ニ長調主和音みたいなのが見えたらそれっぽい・・
和音について言っているわけですが、解説を読むとどうでもいいようなことをグダグダ書いてあります。
それ単体に注目してもほとんど意味はなくて、あるわけないような和音が出てくるまでの過程とそれによって何が起こったのか、それでどうなるのかという動きがとても重要。
安定していた世界を急に棚上げされたというか、妙に興奮した緊張状態のように聴こえることが多いんじゃないか・・


ヴァルヒャの演奏。ちょっと速いというかすたすた行きすぎ?・・

バッハの超絶有名傑作曲
パッサカリアとフーガハ短調BWV582のおしまいの方にナポリ6度が出てきます。

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重く充実した曲を聴いてきてその結末の前に訪れるこの中断は痺れますよね。
寡黙に仕事を続けてきたものが感極まって思いつめたように叫ぶ・・祈りのような・・
その後は、納得したようなポジティブな境地になって明るく広い光の中に終わっていく。
純粋な器楽による音楽にとんでもないドラマが発生しているわけですよ。
最後にAdagioなんて書いてあるところがまた泣けるけど、これ作者が書いたのか写譜した人が書いたのか・・
写譜した兄貴が書いたにしてもそういう演奏をバッハがやってるのを聞いたんでしょうね。
そう思いながら聴くとペダルも両足使っていつものバッハより音数も多いこの終結は泣けてくるよねえ。

調べたらつけナポリタンはなんだかテレビ番組の企画みたいなので生まれたみたいです。
何だろうとやったもん勝ち、多分やっている人たちは頑張ってるんだろう。
私が初めてCDを買ったのもここではないけれどこんな商店街の小さな楽器屋でした。
まだ生きていた商店街の末期くらいだったと思う。
みんなが車を持ったところに無料の巨大駐車場を持ったショッピングモールができたらそっちへ行くよねそりゃ。
あんなに存在感のあったCDだってもう若い人は見たことがなかったりするんじゃないのか。
時代の流れから外れたものはどんどん消えていく。

聴き手のためのクラシック音楽というのはなくなってしまうんじゃないかと思う事があります。
クラシックは楽器奏者のテクニック披露の道具として残って行く気がする。
どうなろうが知ったことじゃないけど私は音楽の中身そのものが大好きなので寂しい気もする。
もっと言えば情けない。
でもシャッター街と同じ、大きな流れでそうなっていくのはだれも止められない。

まあいいか。
私は私でおいしいもの食っていい音楽を聴きましょう。
それがいい。





サンチョ・パンサ

本文ほとんどを削除したのでほとんど意味不明なまま公開。
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セルバンテスのドン・キホーテという小説が超絶有名ですよね。

リヒャルト・シュトラウスがこれを音楽化した交響詩「ドン・キホーテ」という曲があります。
光景が目のまえに見えるようなびっくりオーケストレーションが目白押し・・
ものすごく写実的な交響詩でありながらチェロ協奏曲としての要素も持っている。
しかも全体を変奏曲に仕立てやがった・・
聴いてもそうですがスコアなんか眺めているとものすごい書き込みようで天才作曲家の絶好調感も伝わってくる作品です。
初めて聞いたときは面白い曲だなぁ!と盛り上がりました。

でも今何故かこの曲あんまり好きになれないんですね。
凝りすぎてて流れないからかなぁ・・

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この曲、小説と同じく独奏チェロのドン・キホーテが主役でヴィオラソロのサンチョ・パンサを従えています。

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サンチョ・パンサ、あなたこそが真の偉大な英雄です。
その点でこの曲は私にとって間違ったものだ。
サンチョ・パンサ、お疲れさまでした。


強弱切り替え

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こたつ入れて~

こたつのおかげでしもやけも治ったし、しあわせに生きていられます。
新しいこたつヒーターはケーブルの途中に多段階の強弱切り替えがついていますが、効率がかなり良くなったみたいでものすごく温まりダイアルを一番弱くしても熱い・・で止めると寒い。
結局、手動でオン/オフを繰り返しているわけで・・ダイアルに数字がいっぱいあっても実は意味がない。いんだけどね。

楽譜上の強弱記号としてfとかpとかいうのがあります。
普通の作曲家の普通の譜面ではだいたいそれぞれ三つ、fffが最大値ですね。
これは単純に音量の絶対値を示す記号じゃなくて、そういう響き!そういう音楽!みたいな指示だから同じ曲の中にffより大きな音量のfがあっても少しもおかしくないと思う。

チャイコフスキーの悲愴交響曲にpppppというのが出てくるのが有名ですが、f方向もffffというのを好んでいろんな曲に使っていることが演奏する人や楽譜を眺める人の間では有名なんじゃないでしょうか。
その後の作曲家はもっとfffffとかやってますが調子に乗ってる感じでちょっとシラケないでもない。
昨日のプーランクのオルガンコンチェルトにもffffがありました。
最初に4つとか5つとかやりだしたのってチャイコフスキーじゃないかなぁ・・
単純にfffffffよりでかい音と考えちゃうとだせる最大音量をそこに割り振って以下刻んでいくだけなので結局fffと同じことになってしまい意味がない。コントローラーの刻みが増えただけみたいな話になってしまいます。
最大音量はfffということでいいんだと思う。ffffはそのうえでもっと吠えて!もっと輝いて!もっと嘆いて!これ以上ない力で!・・みたいな話なんでしょうね。

交響曲第5番は全曲中に顔を出す冷たく重苦しい主題で始まりますが、いろいろあってフィナーレの最後はその主題が勝利と喜びの行進曲となって終わっていきます。
あーよかったねーとかいって終わんのかと思うと突然第1楽章の寒い雪中を行くみたいなテーマが今度は輝かしく鳴り響く!
ハッピーなエンディングだと思っていたらほんとの大トリは別にいた!

西部警察で大門だっけ渡哲也がアップになっていったん締まるんだけどそのあと石原裕次郎が出てきてひとコーナーあったじゃないですか・・・いやあれじゃないな。
ご飯食べた後サービスでゼリーが出てくるお店があるんだけど、良かったねなんて言ってるとその後からアイス持ってきたりしちゃうんだよね。それもちがうか。

初演当時、もしかすると今も?チャイコフスキーのこういうチョコに生クリームをかけた上からはちみつと粉砂糖みたいな演出を、はったり的と感じて敬遠する向きもあたみたいだ。
でもね・・私はわかっちゃいるけど毎回ここで泣きそうになる。
あんな冷たいところを一人でトボトボと・・でも実はおまえこそが英雄なんだよ!みたいなのって泣けるんだよね・・

そのファンファーレを奏するオーボエとトランペットには
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ffffの指示。
手前からみんなfffで吠えて場を作ってますもんね。
これはでかい音出せということよりお前ら主役だぞ頼むぞ!という意味ですよね。
燦然と輝いちゃって!みたいな・・
同じ主題をいったん受け継ぐホルンにはffffがない。
で実際はどうなの?・・とか思いながら聴くんですけどね・・

結構意外なのは第2楽章後半の山場
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そのピークにffff
これもでかい音という意味じゃなくて、演歌で拳を握るようなサビの山場だよということでしょう・・



マーラーを聴きに行ったらクライマックスのfffでホールそのものが楽器となって響いてた・・というのもあったけれど・・

ちょっと思い出のある指揮者が数年前にドイツのオーケストラとやってきたので聴きに行きました。
ブラームスの交響曲第1番、彼らにしてみれば地元の自分たちの音楽だ。ブラームスだからfffなんていうのも書かなくてffがあったら特別な最強音。
シンプルな2管編成でマーラーみたいにステージ上に人があふれていたりもしない。
爆発したくて仕方ないオーケストラを指揮者が抑えて押さえて・・ここ!というツボで指揮者に力が入るのを見たオケが爆発した。
それはただ音がでかいとかホールが鳴ってますとかいうのとは違う、音楽の意志の爆発というか・・
物理的なものだけじゃなくて心の中にまで衝撃波が入ってくるような・・
俺だけじゃなくて周りのお客全員に・・
あれは忘れられないなぁ。
日本のオケとは違う底力みたいな物を感じました。
体力的なものもあるけれど、音楽に対する感覚の差だと思うんだよね。
音の大きさはついてくる結果で気持ち記号みたいなもんじゃないかと思うんだよね。
f ってそういうのだと思う。

チャイコフスキーも含めいろんな人の作品を演奏しスコアを熟知しているマーラー、そのマーラーの楽譜を見ているとppppというのはときどき出てくるけどffffというのは基本的に見ない。あったっけ?
*7番に特殊な指示としてfffffというのがありますが今は別ななはしで・・

あれですよねむしろ大事で難しいのは弱音方向なんだよね。

こたつのコントローラはもっと低出力方向のレンジを拡大してほしい。
安く作んなきゃなんないしきっと難しいんだろうね。
オーディオやる人としては変な制御で電源にノイズ出されるのも困る。
まあいいか自分でオン/オフすれば。
早く春になんないかなぁ。

思ったのと違った

シフォンケーキ専門店というのに行きました。
嫁さんと初めて会った日に行った思い出の店、昔は小さなレストランでした。
俺のこと覚えていたらすごいななんて思いながら行ってみると、
そんなわけもなく薄暗い店内で寒いやり取りがあっただけだった。
シフォンケーキだけどデコレーションケーキみたいにクリームを飾り付けるのが売りなんだって。
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チョコチップみたいなのがたくさん乗せてあって見た目は普通のチョコケーキ。
そのつもりで食べようとするとフォークを入れても全然切れない上に妙な反発力でチップがみんな飛んでバサッと落っこちちゃってんの。
この形だとうまく切れないから結局ドサッっとか横倒しにして食べちゃって・・
作った人には申し訳ない食べ方だけど、逆に作るほうも食べ手への配慮なんてないんでしょこれ?
俺だけがそんななのかもしれないけどなんでもいいよそんなの。おいしく食べました。
ありがとう。

プーランクというフランスの作曲家がいます。ピアニストでもありました。
音楽界がもう訳のわかんない前衛にいっちゃった20世紀前半に素敵なメロディをもつ音楽を書いた人。
私がエスプリなんて言葉を使うのはおかしいけどそんなことを言いたくなる・・だけじゃなくて
この人の音楽は天使が歌っているような純真無垢な心と酒場の酔っ払いみたいな音楽が同じ曲の中に違和感なく同居してるんだよね。

この人の作品に「オルガン、弦楽とティンパニのための協奏曲 ト短調」という曲があります。

この動画、あの有名なレクイエムの作者でこの曲の初演でも弾いたデュリフレがオルガン担当。

初めて聴いたのはもう25年前くらいか・・
なんとなくサンサーンスの交響曲第3番のオルガンの出番が増えたやつ・・みたいな予想を勝手にして期待が膨らんでいた。
サンサーンスの第3交響曲は老舗の正統派的なケーキみたいな音楽だ。
本当は革新的なものも仕込んではあるんだけれど、基本的な材料や作り方は伝統的な基本をしっかり守っていて誰にも文句を言わせない・・みたいなの・・
そのつもりで聴いたプーランクのオルガンコンチェルト。

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冒頭からオルガン登場・・いいねーと思った2小節目、いきなり舌を出しながら変な顔をしてるみたいな不協和音。
えーっ!?なんだこりゃ・・・と思ったのを覚えています。
君が思ってるようなこぎれいな音楽なんかやらないんだよ・・べぇー!みたいな。


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4段譜で強烈な不協和音・・ガー!みたいな。

上品でおしゃれなケーキみたいなものを期待していたら雀の焼き鳥だった。
わざとえぐい味出してますみたいな・・
吉田類みたいな・・ちょっと違うか

よく見るといろいろ面白い。
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両手でやるところ、それぞれパイプというか鍵盤を変える指示があって音に印影というか立体感が付きます。
そう思って聴くと面白い。
作者もオルガンを熟知しているのかな。

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この辺で、あぁこの曲こういうのなのか、これはこれで面白そう・・・と盛り上がり始める。
ペダルの伸ばしが2オクターブ以上離れて書いてあるように見えておもしろい。
足鍵盤のピッチってどのくらいだっけ?すごい格好になったりして・・
今度聴く機会があったら奏者に注目すべき。
この辺りでまだ曲が始まったばかりなのだけど・・長々書いても仕方ないので・・

最初は何だこれ嫌だと思った音楽をだんだん好きになっていくことは多い・・そっちのが多いかも。
だんだんというか突然ぽっと何かが見えるとあとはパーッと見渡せるようになるんだよないつも。
30年後に急に好きになったというのもあります。
だから何がいいのかわからないきらいな曲も楽しみに取っておけばいいと思う。

世の中は自分が思っているのとは全然違うものかもしれない。
いやどうも違うみたいだ。
もっと悪かったってのは見ないようにして、実はよかったという方だけ発見していきたいね・・





生まれ変わり

とある場所。
公開されているわけでもなく・・
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疲れはてた電車・・関西の人には懐かしいでしょう。
もう自分で走ることはありません。
ここに来たものはみな消えていきます。

隣に黒いのが見えますが
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蒸気機関車C11の悲しい姿。
何年か前まではちゃんと現役で走っていました。ネットで現役の写真を見たらちょっと泣けた。
今は生きているほかの仲間のため部品を供給しつつ朽ちて行っています。
自分のボイラーは今現役の別機に差し出したため、これは自分のじゃないそうです。
固定するボルトも数を減らした仮止めだった。
夏は葛が被っちゃってほとんど見えないんだろうなぁ・・
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真っ赤な姿が痛々しい。
でもまじまじと見ると動輪をはじめ動力の伝達機構みたいなのとか大事な部分は腐らずにしっかり残っているんですね。
さすがだと思ったこんな雨ざらしなのに・・
ほとんど走るボイラーなんだという事がよくわかりますよね。

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ぐるぐる回って細かいところの写真を撮ったりして・・
連休だけど辺り一帯に人の気配は全くなく、車両と私だけ。
この写真を撮ったとき、C11が笑ってくれた気がしました。
よくきたね・・
こんなこと書くと馬鹿のポエムみたいでしょう・・
でもねそんなポエム脳だと音楽なんか聞いてもいちいち楽しくていいですよ。
電車も機関車もほとんど鉄でできていますからバーナーと重機でバラバラにされて鉄くずになっちゃうんですね・・
再生されて構造材とかに生まれ変わるんだろうけど・・
それは輪廻転生とは違うよなぁ・・

人は生前の行いを吟味され死後の行く先が決まるみたいな話は各宗教に共通してあるものじゃないかと思うんです。
クラシック音楽はキリスト教と濃く関連している物なので死者への鎮魂歌レクイエムなんていうのを聞いていると最後のラッパとかいう場面が出てきます。
最後の審判でラッパが鳴ると姿を別なものに変えられるんでしたっけ?
音楽的にも劇的な山場なのでいろんな作曲家がこのラッパというのを凝った仕掛けで演出しているわけです。
派手なのはベルリーズとヴェルディーの奴でしょう・・ヴェルディーのなんかテレビが馬鹿みたいに垂れ流すので誰でも聴いたことがあるはず。


ブラームスのドイツ・レクイエムは死者じゃなくて生きていて辛い人への慰めの音楽なのでディエスイレというのはない訳ですが、ちゃんとそれ相当の曲があってラッパが鳴ると姿を変えられます・・、みたいなことを言う部分が出てきます。

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バリトン独唱がそのことを歌うと合唱が復唱し・・ラッパが聞こえると修羅場みたいな音楽へ突入していく・・
非常に劇的な場面です。
ですがハッタリは嫌いみたいなブラームスの音楽なので凝ったトラペットソロというのは出てきません。
来ませんがこのffで響くトランペットのGはあきらかに鳴り響く最後のラッパだ。
単純な伸ばしでしかないっからこそ、心に響いてくるものがある。

もっとTp聴こえてほしい・・


聴こえりゃ満足かというとそんなわけでもないけど・・聞こえないとなぁ・・

私は勝手な思い込みがあるからここで不満な演奏が結構あるんですよね・・
このラッパは合唱の補強で終わってもらっちゃ困る。意味を持ってちゃんと響いてほしい・・

もしかしたら作者本人はここはそんなつもりで書いてないとかいうかもしれない。
でもそんなこともう関係ないんだよ、俺がどう聞くのかが大事なんだから。

私はしょっちゅう首が凝っているので前世で首をはねられたのかと・・でもそういうの興味がない。
記憶が全く継承されない以上、前世とか生まれ変わりとか言われも何の意味もないじゃないか。
仮に前世の記憶なんてものがあったら次の人生は自分を生きられなくて邪魔でしょうないかもな。
死後のことなんか知らないけれど、いきなりなくなってしまうというのは寂しいなぁ・・
ぼんやり残ってだんだんに消えてなくなっていくのかな・・

このC11 312は東北地方で活躍し引退後はドライブインで長く展示されていたんだそうです。
そこから奇跡の本線復活・・・ほんとに奇跡だ。
オーナーは癌で自分の死が近づいた時、この機関車には生きてもらいたいと願った・・
みたいな話が検索すると出てきました。
普通は、そんなに輝かしい経歴を踏めばその後永遠の安泰が保証されるもののような気もする。
なのに、今ここでこんな形に・・
何か人の人生を見ている気もする。
ここでボロボロになっていたのに展示用に復活した者もいるみたいだけど・・
せめて最後の時間、もの好きが見に来て眺めるのをとがめないで許してあげてほしい。