土台

私の家のある辺りは川が山間の谷を抜けちょっと広くなった場所へ出てきたというところです。
昔は船で田植えをしたとか、ちょっと話をしていて振り向いたら耕運機が沈んで無くなっていたとか・・そういう超絶湿地帯だったようです。
昔を知る人は「もし大地震が来ればこの辺りの建物は液状化で壊滅だろう」と言います。
災害時の避難場所だと思っていた近所の小学校は、その場所自体危険であるということで避難所の指定を解かれていた。

国土地理院のサイトで古い航空写真を見ることができます。
今は直線化されている河川が昔はぐにゃぐにゃに蛇行していたことが解って面白い。
多分大雨のたびに流れを変えていて、辺り一帯は全部川の跡だと言ってもいいんだと思う。
私のうちは、背後は超絶湿地帯、前は山を崩して作った場・・
何人かの人に「お前のところは元々山だから大丈夫だよ」と聞いたけれど・・
昭和30年ごろの写真だと田んぼになっているのは間違いない。
ここが湿地帯を埋めた田んぼなのか、山を切り崩して作った田んぼなのかはわからない。
昭和20年代の写真は解像度が低くそのどちらなのか判別しがたい・・どちらかというと湿地帯にかかっているようにもみえる。

昨年、うちの前の道路から急に滾々と湧水がでたので「なんだこれ地滑りの前兆か!?」と思った・・
けど水道管が漏水してただけだった。


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またこの写真なわけですけれども・・
スピーカーが写っていないのはわざとでネットトラウマでによりますが、そのうち出せるようになると思います。

うちは築34年で音楽部屋の床はフローリングじゃありません。こういうのなんて言うんだろ?弱い床です。
絨毯のあるなしで音楽を聞いたときの音の印象は結構変わります。無しのがいいかなと思っています。
スピーカー直置きでは床が鳴って仕方がないので床下の梁に乗るように集成材(板)を敷いて。
こんなのただの板にニスを重ね塗りしただけのものですが効果は抜群。

廊下なんかは歩くとぐにゃと沈む箇所があります。根太というのが腐ってんのかな。
何度かの地震の後ひどくなったような気が・・
まあ、板でも敷いとけばいいか。


何事も土台が大事みたいな話しはよくありますが、ブラームスのピアノ協奏曲第1番。
交響曲を書いていた中年のブラームスとは別人の、若く美しい、ロマン派の心そのものなブラームスの作品です。
しかしすでにある面でのブラームスは完成していて、ピアノ協奏曲でありながら、重厚な交響曲のような深く重い内容を持った音楽となっています。
冒頭なんかマーラー見たいですよね。若く持って行き場の分からないエネルギーが爆発中・・ピアノ協奏曲の前奏なんかじゃないよね・・
その第2楽章のテーマは「祈り」だと思います。
3部構成の後半、ピアノがコラールを歌いだすと

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ホルンと低弦が深く豊かなDの伸ばしで延々支える部分に到達します。
ここは感動的で圧倒的です。
この低音はでっかい協会のオルガンのペダルなんだと思うんですよね・・・
石造りの暗い協会・・でもここはすごくすごく明るい日が差していると思う。
神が作ったこの世の大きさ、深さ暖かさ・・・みたいな。
宗教ちがうけど孫悟空がどんなに飛んだってお釈迦様の腕の中だったみたいな・・
ちゃんとチェロとホルンが高い音から下へ降りて行きながら聴き手に向かって「このDの伸ばしを聴いて感じてください!」と案内しています。だから聴いて感じなくてはなりません。
この音楽、後のドイツレクイエムの中でさらにすごいことになって帰ってきます。
どちらも二長調で・・このDには意味があるんですね・・




そういえば昔、フランツ・モアというピアノの調律師の巨匠みたいな人の書いた本を読みました。
エミール・ギレリスはソ連の人だから聖書というものを読んだことがなかった・・
聖書をプレゼントすると彼は大変喜び、そして感動していた・・みたいな話があったと思う。
この録音はその後だろうか?

この曲を初めて聴いたのはまだ13歳くらい・・
N響の演奏でピアノは多分ルプーだったと思うんですが、ピアニストが誰かなんてまだわからなかった。
ブラームスといえばハンガリー舞曲かと思っていた私を冒頭からぶっ飛ばしてくれた。
ブラームスのすごさと音楽のすばらしさを教えてもらいました。
その後電車に乗ってこの曲のCDを買いに行きました。・・誰のどれを買えばいいかなんてわからない・・ジャケットで適当に選んできたのがベームとポリーニのやつでした。
頭に焼き付いていたN響の演奏と違う・・演奏に解釈とかなんとか色々あることを知ったのもこの時だっけかな?
そのCDの解説に載っていたポリーニの写真は若かったので、ずっとポリーニは若いピアニストだと思い込んでいました。
当たり前なんだけど、気が付くとお爺さんになっていてびっくり。

これを書くにあたって曲を聴いていたら、あの日の電車の座席に当たっていた日の光を思い出しました。
中学生の頃にもこの曲が大好きだった。
もう30年だな。
あの頃にはわからなかったけど、今この曲を思うと・・・若いっていいなぁ・・と思う。

1889年

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地元のローカル線が用水路をまたいでいるんですが、その橋台。
レンガ詰みなんです。
上の方は目地もきれいで補修してあるのかなとも思うけれど、これは開通時からあるものなんじゃないかと思うんですよね。
開通は明治22年・・1889年なので130年くらい前。
ここで誰かがこれを積んだんだよな。
そしてその仕事は130年たってもなお生きて使われているんだと思うとちょっと感動した。

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反対側・・もともと複線だったんですが、第2次大戦中にレールをはがされました。
鉄道マニアはこれだけでどの路線かわかるでしょう?

最近周囲は宅地化しているけど、子供のころ一面の田んぼだった記憶があります。
このあたりが一面の桑畑だったらしい古い写真も見たことがあります。
多分、明治22年もそんな感じだったと思う。

1989年といえばパリにエッフェル塔が建った年ですね。
ブラームスがエジソンの蝋管式蓄音機に録音をしたのはこの年です。交響曲第4番はすでに数年前に完成していた。
マーラーの交響曲第1番が完成したのもこのころ。
リムスキーコルサコフのシェラザードも完成。
チャイコフスキーの交響曲5番はできたけどまだ悲愴は生まれていない。
ラヴェルは14歳でまだ歴史上にデビューしてない。
プロコフィエフなんてまだ生まれてない。プロコフィエフは1918年に来日した際列車でこの上を通過しているはす。
ショパンは生きてれば80歳くらいだけど、40年も前に亡くなっていた。

結構最近まで生きていたような気もするピアニストのアルトゥール・ルービンシュタインはこのとき2歳。
姉がピアノを練習するのを見ていた2歳の彼は、いきなり同じ曲を上手に弾いちゃったんだそうです・・天才が現れた年。

日本だと前年にYAMAHAの創業者がオルガンの製造に成功していた。

なんとなくもう少し時間的に離れているんだろうと思うようなことが同時に起こってるんですよね。


人間なんてどんなに威張ったって数十年で消えちまうのにこの煉瓦は130年たっても現役で役に立ってるんだから・・
明治22年だもん20年前までは江戸時代だったわけでしょう。
当時の最先端技術だよね。
直してるのかもしれないけど水平とかなんとかいまだに狂わずにいるんでしょう・・
こういうものは日本中にあるんだろうけど、地元の、誰も見もしないようなところにひっそりと佇んでいたのがなんだか心に残った。
これを積んだのはどんな人なのかなぁ?その人にも嫁や子がいて・・5代目くらいが今現役なのか?
子孫だってその人のことをもう知らなかったりするんだろうね。
人間なんてはかないな。
私は何かを残すような人間じゃないので自分が楽しむ事だけ考えたい。




ルービンシュタインは、ヨーゼフ・ヨアヒムにその才能を認められたらしい。
ヨアヒムといえば若いころからブラームスの親友で互いに影響しあってきたヴァイオリニストだ。
ブラームスのソナタも二人で演奏しただろう。

そのヨアヒムに発見されたピアニストのピアノでこの曲を聴きましょう。
同じ録音をCD持っていて愛聴しているけど、あれ?これなんかピッチに違和感を感じるけど・・
まあいいか。

小さな花

足の痛いのが治らないので整骨院に行ってきました。
スポーツ選手のケアをしてるんだかなんだか・・複数の人が進めるので大丈夫だろうと・・
ちょっとよくなったのかな?まだ痛いのか・・かばう癖がついちゃってんのかな?
心もバランスを崩すと自分をかばおうとするんだよね。
それでいらんこと発して、それに気づいてまた更に・・とかでしょう?
大丈夫。自分が悪いとか思うのやめる。

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自分の気分を反映して見えてくるものが変わるとかいう絵、心理学テスト的な絵をどこかで見たことがあります。
それが本当にそうなのか知らないですけど、生活していて目に入ってくるものすべてがそうやって違って見えるものかもしれませんよね。
花も景色も人も。

庭で朝顔が一生懸命咲いてるのに、自分の調子が悪いと見逃してしまう。
こういうのいちいちキレイだなとか思ちゃって出かけられない・・くらいになれたらいいかなぁ。
今日はそんなかんじでしたよ。

ブラームスの交響曲第1番という曲があるんですが、その第4楽章の第1主題がクラシック界で変に有名です。
暗く厳しい人生みたいな音楽の後・・でも明るく豊かな気持ちで生きてるよ・・みたいな

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力強いのに優しく温かい。
威張ったりひけらかしたりなんかしない。そんな必要ない。
自分が豊かでいられたら・・もう誰の悪意も届かないから・・
刺出さなくてもいいんだよ。
弦楽合奏、ヴァイオリンがG線で歌うその歌はなんかこう、豊かに粘っていて・・うどん生地こねてるみたいなんですよね。
旨いうどん。
誰か、これがベートーベンの第9に似てるとか言ったらしくて作者は馬鹿のいう事だと怒ったみたいです。

この楽章の頭は、人生は暗く厳しい・・みたいな世界で始まります。
でもただ打ちひしがれてるんじゃなくて暗闇の中、何か模索するように動いたりはするんですよね・・
そこにまた襲い掛かる暗く厳し・・
その中に
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うどん主題が隠されているんです。
暗い音楽なんだけど、この隠された主題はBに♮がついていたりして最初の2小節なんかうどんそのものなんですよね。
これ、暗いほうにばかり気を取られていると見逃してしまう・・庭の花みたいだ。
明るく生きてるとこの主題が聴こえるんだと思う。


暗い、厳しい状況・・でも冗談じゃねーよ俺は俺だよ楽しくやっちゃうよみたいなのが心の底にある訳でしょう・・
これ、恥ずかしいけどにこの主題が隠されていることにずっと気付いていなかったんですよ・・
暗い、厳しいほうにばかり気が行って・・
全部自分の気の持ちようなんですよね。
周りとか関係ない。
笑っちゃうよねーうまいうどん食いたいなー

そういうブラームスも敵を作った話がいろいろあります。
実は本音と違うことを言っちゃう自分に傷ついたりしてなかったのかなと思う事があります。
あったこともないし知らないけど。
4番にあるあの強い主張はこの1番の力強さとは全く違うものだ。
あれはあの人の生きてきた結果の叫びだと思う。
私は、あまり他人のことを「こういう人」なんて考えないほうがいいかもしれない。
大抵、全然違うから。
でも作品から作曲家の心に思いをはせるとかはいいでしょう?


今日も色々ありました。
でもいいやそんなの。
また別な整体予約しちゃった。
週末どっか適当に出かけたいなぁ・・
台風来るのかなぁ・・
雨なら音楽聴こうかな。

朝顔、
いいななんて思って眺めてやると、ちゃんとわかってるんだと思うんですよね。
かわいいよね。


あえていわないとか

本当はすごくできるのに、あえてそれを言わずに隠すのが美徳みたいなのがありますよね。
私はできることもないので特に関係ありません・・
嘘。
自分のアピールはもともとないからいいとして人がアピールしているのをおかしいとか嫌だ感じるようになってしまい、それも人とうまくやれない原因の一つになってしまったと思うんですよね。
それは間違いだし損だとも思うし、実際困る。
教えられるといらんことほど馬鹿正直に受け止めてしまうのがいけないと思う。
必要なことはいまだに覚えないのに。


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先日ワルターコロ響のブラ3が編集ミスだ・・なんて思いながら該当箇所の楽譜を見ていたんですが、
そこにティンパニのCをB(B♭)に変えろという指示を見つけました・・

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これがチャイコフスキーのスコアにあったってなにも驚かないんですけどね。
ペダルやそのほかの仕組みで音程を素早く変えられるティンパニがもうこの頃には普及していて何も珍しくなかったでしょう。
楽器自体も3つとか4つとか置いといてみたいな・・

ただこのブラームスというおっさんは、40歳過ぎて交響曲を書くようになってからティンパニを2つしか使わないという昔の古典派みたいなフォーマットをあえて採用して自作を縛った。
(4番の3楽章で3つ使うけど)
昔に戻ってるんじゃなくてこれも積極的な表現なんでしょうね。

それだけにここは新鮮というか何か一言いいたい・・
ここ、相当悩んだんじゃないかなぁ・・・
ティンパニ、使う音は2つのみというこだわりと、音楽的にどうしてもここでBがほしいという欲求と・・
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自筆譜にはまだ書いてないんですよ・・


昔からの製法でやってますとか言ってるんだけど、実はここだけ電気炉使ってんだよ・・
えっ炭火じゃないんですか?
仕上がりを考えたら絶対奏すべきなんだ・・
大事なのはやり方じゃなくて出来たもの物の方だからね・・・・
えっ?炭火だけでやってるって・・
みたいな
全然違うかなんだこれ・・

知らない、使えなかったんじゃなくてあえてやってるわけですよね、ドとソしか使いません見たいなの。
コンサートにブラームスを聴きに行くと、後期ロマン派の重厚な音楽なのにティンパニが2つだけ・・トランペットも二人だけ・・みたいなのは視覚的にインパクトを感じます。

そうすると・・
4番のフィナーレ後半のここ、ティンパニが歯抜けなのが有名で(?)

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昔は書いてなくてもここで叩かせたりもしたみたいですが、ここはわかっててあえて空白なんだから、この空白感を聴いて楽しめばいいんだろうなぁ・・
というよりこの空白自体が実は積極的な表現なんだったりして・・



19世紀、ブラームスと同時代を生きたこともあるブルーノ・ワルターとコロンビア響の演奏はここ叩かせないんですよね。
でも他のところで楽譜にない音を追加させたりもしていて単純な原典主義じゃないんでしょう。
シューベルトのグレートで楽譜に全然ない音をたたかせたりもするし・・
師匠のマーラーは・・・4番が嫌いで一度も降らなかったみたいだ。


ブラームスも交響曲を書く前、

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ドイツレクイエムなんかを見るとロマン派的な歌うティンパニをやっているんですよね・・

この頑なに渋い方向に進もうとしたところがブラームスの音楽そのものですよね・・・
作品だけでなく普段の言動から派手を嫌い質素を好むみたいなのをやっていたようだ。
でも、それ本心だったのかな?
この人も自分で自分の殻を作ってそこに収まろうと勝手にやってた人なんじゃないかなぁ・・
積極的なアピールを見るといいなと思っていても逃げちゃうようなとこがあったんじゃないかなぁ・・
敵も多く作ったらしいし、チャンスなんていくらでもあったはずなのに結婚しなかった。
派手路線のワーグナー派がいたからその対極路線をいったけど、もし誰もいなければ自分がその路線も担ってやったりしたんじゃないかなぁ・・
本当は4管編成とかやってみたかったんじゃないのか・・
そんなこと考えても仕方ないんだけど。。

そういう人生を生きてきてどうでしたか?
という問いに答えてる・・訳じゃないだろうけど、でもそういう曲がこの人の交響曲第4番でしょう?

とどかない


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新宿湘南ラインに乗ってボーっと外を眺める。
新宿を出てちょっとすると西武新宿駅が見える。
皆が入ってる新宿駅には入れず、仲間外れになったようになところに・・
もともとレールはさらに前進して新宿駅に到達するはずだった。
それまでの仮駅のはずであったが、新宿駅へ入ることをあきらめ本設としたらしいことを何かで読んだ。
駅が入る予定のビルの構造的問題とかなんとか書いてあったけど、そんなことより政治的陰謀みたいなものがあったんじゃないだろうか?


重い交響曲よりも重いんじゃないかと思えるブラームスのピアノ協奏曲第1番ニ短調。
知らないけどピアニストにとっては内容的にも体力的にも重く大きな曲なんじゃないだろうか?
そんな曲なのに、曲の終結部は最終和音を目前にして

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ピアノは終わってしまいます。

西武新宿線である。

ベートーベンの皇帝とかピアノは手前で弾ききってオーケストラが締める曲は他にもありますね。
でもこの大曲を弾いてきたら最終和音を豪快に鳴らしたいんじゃないかなぁ・・なんて
昔、N響アワーでアルフレッド・ブレンデルがこの曲を弾いていたのを見ました。彼はピアノで最終和音を弾いてた。

ピアノのおしまいの部分、オーケストラと対等にその歌を歌い継ぐという豪快な場面でもあるんですが、聞きようによっては主役が大見得を切って終わるというより、コーラスみたいなのが
きょーうもいい天気(^o^)
とか歌ってるみたいにも聞こえて・・・妙に軽いようにも・・
若者の、どこへぶつけていいかわからない巨大なエネルギーが炸裂している音楽・・
第1楽章の冒頭なんかマーラーもびっくりの重戦車爆走的音楽(演奏にもよるけど)なのに・・
でも、それこそがまさに狙いだったりするのかな・・

この直前でピアノがカデンツァを弾き、トリルで締める部分がある。
あそこが高田馬場だろう。
バカなことばっかり書いてごめんなさい。


この曲を書いていたころのブラームスは
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こんなブラームスなんじゃないか。
こんなのが超絶才能をちらつかせて登場したわけである。
クララ・シューマンだってそりゃ特別目をかけてやりたくなるだろう。
こんなに好条件がそろっているのにこの男はそっち方面は煮え切らない感じで終わってしまった。
ワーグナーみたいに人の嫁さんでも何でもバンバン手をだして・・とはやらなかった・・
みたいな話になっているわけですが・・
実際はどうだたんですかね。
歴史的にはなかったことになっているけど、実は・・とかないのかな。

技術的にはさらに難しいらしいピアノ協奏曲第2番の最後はピアノが華麗に上昇した後分厚い和音をたたいて終わる。
あの曲は技術的難易度もラフマニノフみたいなすごいところにあるらしいのですが、リストみたいに技巧をひけらかす系の曲ではなく、むしろ隠すような曲だ。
妥協のない、これ以上ないというものを用意はするが、解るものにだけ解ればいい。みたいな。
聴き手はある程度能動的に探るように聴きに行かなくてはならない。
女性にも、能動的に来てくれる事を求めちゃったタイプじゃないかなぁ。

西武新宿線には用もないのでほとんど乗ったことがない。
所沢のホールにオルガンを聴きに行くときに乗った。
航空公園という駅だったと思う。
いいホールで選曲も演奏もよくてあの時は楽しめた・・
だから西武新宿線には少しいい印象がある。
あの時は新宿からじゃなくて中央線のどこかから支線を乗り継いて行った。
いろんな私鉄を買収していった結果からか、あの辺りは路線が綾取りみたいに絡まっていて面白いといえば面白い。


ちょっとだけ調べると、西武の新宿駅乗り入れ計画についてはいろんな説や噂があって、想像の域を出ていないもの、検証すればすぐに違うとわかるものなども含みどれが真実というわけでもないらしい。
書籍やネットに真顔で言うような書き方で書いてあるとすぐになんでも真実だと思ってしまう。
でも、みんなあやしいのか。
クラシック音楽の伝説的解釈みたいだな。
オーディオマニアの格言とか・・

いるよ

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犬と散歩に出かけ、いつもの場所でいつものようにぼーっとしていると・・・
カモが一羽だけいるなぁ・・いつもつがいなのに・・
あっ!子ガモだ・・・
母さんの周りにたくさん展開している・・何羽いるんだろう・・日向ぼっこだね。
ここなら猫も蛇も来ない・・あっここで蛇が泳いでるのみたことあるよ・・気を付けて・・
悲しいことだけど日を追うごとにその数は減っていく。
食べるほうも命がかかってるし。
世の中は厳しく恐ろしいところなんだよ。
鳥のあかちゃんだって、おいしいなぁとか気持ちいいなぁとか楽しいなぁとか感じるんだろう。
せめて生きている間はめいっぱい楽しんで。
みんながんばれ、みんな無事大人になれ。


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この人は作曲家としては最高峰の勝ち組ですね。
ピアニストとしても一流であったらしい・・どんな演奏してたのかなぁ・・
ほとんど聞こえない瘻管の録音が有名です。聴こえたところで、極端にシャイだった彼はやっつけ仕事みたいに弾き飛ばして終わらせちゃったらしい・・むしろそのエピソードが興味深い。
ピアノロールは残さなかったんでしょう?

昨日トリルがどうのこうのとか書いていて・・・
トリルって面白いですよね・・トリルネタだけでいろいろありそうです。

ブラームスのピアノ協奏曲第2番の第3楽章は独奏チェロが出てきてピアノとチェロのための2重協奏曲みたいです。
ノクターンですよねこれ・・地平線まで見渡せるような美しい夜の光景・・
初夏の・・・・日本のこんなじめじめした夏じゃなくて・・
イタリアに行って着想したんでしたっけ?・・
イタリアなんか行ったことがないけど北海道の道北か道東のどこかでいつか見たあの感じ・・

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色々あって後半の再現部、歌うチェロをピアノがトリルで飾っていく部分があって素晴らしいんですが、その素晴らしい部分が夢のように始まっていくところでトリルの開始が音符で具体的に書かれているんですよね。
だから何だって話かもしれませんが・・・
始めてみたときに感動したんですよ。
ブラームスがどんな演奏をしていたかを知るすべはもうないわけですが、ここに関してはブラームスがトリルを弾いて聴かせてくれているみたいじゃないですか・・・
このトリル、オーボエとも絡んでいくんだよね。
なにしろ充実してるよなぁこの曲・・

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同じ楽章の最後、ちいさなカデンツァみたいになっていますが、トリルが夢のように登っていく・・
ピアノが全部持っていっちゃいそうなのを見てチェロがいや俺もいるんだよって感じで締めにくる・・でもやっぱり最後に語るのはピアノ・・
最終和音は夢から覚めてまた地平線まで見えるような夜景・・を感じます。
いい曲ですよね。
聞こえている間、どんな嫌なことも忘れる。

誰がじゃなくて

「立場的な壁を外して考えろ!」みたいな話がよくあるわけです・・
そうはいっても実際は構造的に立場とか上下関係みたいなものが出てきてことを進める弊害になっていたりします。
それを取り除いて改善、前進するのだ!みたいな取り組みに行ったわけなんですが、その冒頭からある立場の人間が「我々はあなた方から何かを得られて当然なのだ」みたいなあいさつを始めていたりする。
それじゃあなんて思って腹を割って問えば今まで通りの定型文みたいな返事。結局何の覚悟もできてないな・・みたいな。
これじゃなんのことかわからないですよね。
とはいえ、これはチャンスだ頑張ってみようという気にはなった。

仕事じゃない方面でもちょっとした状況があった。
でもそちらは面白くないので適当に逃げることにした。
こんな人間で申し訳ないです。

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ブラームスのピアノ協奏曲は初演時ピアノのオブリガード付き交響曲なんて揶揄されたという話が有名でよく書いてあります。
でも彼が目指していたのはまさにそれだったわけでしょう。
ピアノの名人芸を見て聴いて喜んでねみたいなのじゃなくて、重い聴き方にも耐えられる音楽作品だったわけで、芸披露曲を期待して人たちには受けなくても未来のそういうのを待ってた人には掛け外のないものを残してくれた。
オケがピアノの伴奏とかそんなこと言ってないで両者が対等でひとつの音楽を作る・・
基本的に他の曲でもそういう考え方が貫かれてるよな気がすることがあります。

ブラームスのドイツレクイエムで
第1曲
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練習記号Aから・・・合唱がSelig sindと歌うと木管と弦がそれに答えます。

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再現される部分では先に木管がSelig sindと歌い、合唱が答える・・
そんなのどこにでもあるよと言われそうですが、私にはこれが合唱が主、オケは伴奏というのではなく、両者でひとつの音楽を作っているんだ・・というのの象徴のように聞こえるんです。

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第1曲のこの部分 
涙とともに種をまく人は
喜びとともに刈入れるだろう

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このチェロとコントラバスは伴奏じゃなくてwerden mit Freuden ernten.と歌っている気がするんですよね。
実際歌詞がはまるかとかは知らないんだけど・・
合唱が歌い手でオケが伴奏なんじゃなくて、どのパートも歌うし、音楽の重要な柱みたいな・・

私はあたまも悪くドイツ語なんか全く理解できないのですが、この曲も自分の気持ちが欲していているときに聴くと本当に心に響いてくます。
言葉の重要性というのはあるんだと思うんですが、音楽ってそういうのも超越したなんかすごいものがあるんじゃないかと思う。
私があほだろうが、人から批判されていようが馬鹿にされていようがそんなことは関係なく求めれば音楽は響いてくれる。
音楽っていいよなぁ。音楽があってよかったなぁ。

自筆譜を見て思った

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ブラームス交響曲第3番の第2楽章
第1楽章ではすごい勢いで闘ってた人の休息の時というか・・
非常に穏やかな気持ちの・・そこへちらつく正体不明の漠然とした不安・・・
という音楽ですが、再現部に熱く歌っていたのに急に瞑想にふける・・というような部分があります。


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自筆譜を見たらティンパニのトレモロを一度は書いて削除した跡がありました。
よくある感じですよね。
ティンパニが鳴っているとここは不安を感じている感じに聴こえるかなぁ・・
この楽章は謎の「漠然とした不安」ほのめかす大事な場面を持っています。
ここはそれとは別な場面なのでここまで不安になっちゃうとあれかなぁ・・
ティンパニを削除したことによって・・瞑想をしている感じですよね。なんだか深いなぁ・・

ここで下から上がってくる十六分音符は主題からとられたものなんですが、なんかこう心の何かを表しているように感じるんですよね。
このあとこれに支えられて
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安らぎの旋律みたいなのが歌われます。

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終楽章の最後、悟りを開いてすべてを受け入れるような境地になっているところの16分音符もこれと同じものじゃないかと思うんです。

ブラームスがこの曲を書いたのは50歳くらいでしょうか・・・
私はまだ50にはなりませんが、若いころとは違う気持ちでこの曲を聴いてると最近思います。
そうかぁ‥とか思うんですよ。

チャイコフスキーがブラームスと会った時の日記だったか手紙で「才能はあるのかもしれないが嫌なやつだ」みたいなことを書いていた気がします。
グリーグだったかほかにも似たようなことを言ってる作曲家がいたと思う。
ブラームスほどの人だからチャイコフスキーの才能はすぐに理解したと思う。
でも自分と全方向性の違う才能にうまく接することができず、自分を守るような嫌味を言ってしまうんじゃないかと・・
挙句、自分で傷ついたりして・・・
何を勝手に想像しているんだという話ですが・・・

若いころ、疎外感、孤独感を感じながらふらふら歩いていた時にときにこの曲の2楽章が頭の中で勝手に流れていたのを思い出しました。
なんでそういうどうでもいいことほど覚えてるんだそう。
あの頃は曲の意味なんて考えてなかった・・ただ好きだった。
意味なんて分からなくても音楽があってよかった。



湖とオーディオとブラームス

陽気も良くて気持ちがいいし、近場でいいからどこかへ出かけようか・・
と思っているのにうちのオーディオがいまだかつてない良い音で鳴り始めて・・
空間感、定位感だけじゃなくて聴いたこともなかったような細かい音が温かみ、柔らかさ、その他いろんなニュアンスとともにそこで鳴っている・・
なんだこれ出かけられないじゃないか・・・
30年前の中学生のころになめるように聞いた盤なんかを聴いてみるともう溶けそうです。
想像するしかなかったあの場所に今降り立ち、演奏者たちと同じ時間にいる・・・みたいな
ちょっと大げさか。
何も変えてないので・・体調のせいかな?体調良くないはずなのにね。
経験的にこれずっとは続かないんですよねきっと。
のめりこんで聴いていたらひどかった肩こりが少し楽になってきました・・
音楽って素晴らしい。

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ブラームスの交響曲第2番

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第1楽章のコーダに長めのホルンソロがあります。
ブラームスはホルンが好きだったんでしょう・・いろんな曲においしいソロがあります。
ホルンが嫌いな作曲家っていうのもいないか・・
誰かがここを夕日のようだと評したそうですが、確かにそんな感じですよね。
このソロは美しい景色を前に何か強い考えが浮かんで心の中で叫んでいるようなイメージを私は感じます。

言いたいのはそれを支えている弦楽合奏で・・
基本的には伸ばしをやっているわけですが2つのバイオリンとヴィオラパートがちょっとした動きをリレーしていきます。
これ実演を2階席から聴いていた時、弓の動きがパート間で移動していくんですが波が動いていくように見えたんですよね。
ブラームスはこの曲を湖のほとりで作曲してるんですよね。
湖の向こうの山へ沈む夕日・・
そんなに思い切り風景を描写しようとしたわけではないと思いますが・・なんかこういいですよねぇここも。
家で聴いていても音が移動していくのを聴きとることができます。
作曲時は対向配置だからちょっと違う感じだったのか・・

これ、同じ音の繰り返しでもあるので再生系がチープだとただ同じ音型が3度繰り返されるだけに聞こえてしまうかも・・・
それでは悲しい・・
音楽って、音が聞こえるだけじゃないとおもうんですよね。
私がオーディオに求めたいのはなんかそういうの・・

電柱と雷とブラームス

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家のそばの電柱。近所の人になんの写真撮ってるの?と言われて返答に困りました。
ちょっと写ってるこの森にはフクロウが住んでいます。
私がそうだというわけではないですが、電柱にもマニアがいます。面白いんですよ結構。
電柱の電線て3本一組ですが・・興味ないかそんなの。
見にくいですが柱のてっぺんに細い線が一本のっかっています。これを架空地線と言います。
「かくう」じゃなくて「がくう」と読んだら電気屋ですね。
地面と同じ電位にしておいて雷に向かって「余計なとこへ行かないでここに落ちてください」と言ってるわけなんです。
配電線レベルじゃあんまり効果がないんじゃないかという事で最近の電柱にはつけないみたいですね。

こういう、みんなが信じてたけど違ったみたいなことってありますよね。
赤チンの効果とか。
20年以上前、住宅密集地に毒ガスがまかれ、多数の死者が出るという事件がありました。
報道などにより日本中が犯人に違いないと信じたその人は実は犯人ではなく一番の被害者でしかなかった。
音楽もそうじゃないかな・・この曲はこういう音楽で・・皆が信じてるのも・・のちの勝手な誤解を勝手に信じてるだけというのが結構あったりして。

雷といえば、作曲家を刺激するらしくいろんなな曲に出てきますね。
避暑地の美しさに触発されて書いたらしいブラームスの交響曲第2番
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第1主題が一段落したところのティンパニ。
美しい午後のひと時、遠くで雷が鳴っているのが聞こえる・・・
夕立が来るのかな?・・遠いからな来ないか・・みたいな
結局来ないけど・・
いいですよね・・ここ・・

この曲、ブラームスの4つある交響曲で唯一テューバが使われています。
劇的な3曲ではなくて、ブラームスの田園交響曲なんて言われるこの曲にテューバというのが面白いですね。
何かテューバって派手でうるさい曲に入ってそうでしょ?

テューバほど柔らかく包み込むような音の出せる楽器もないだろみたいな話もあるんですけどまた・・

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ここで2番を着想したそうです。