まだ生きてるから

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遠くの魚屋で買ってきた伊豆沖天然もの石垣鯛と鯵の刺身。
鰺は普通だったけど石垣鯛は歯ごたえから何からびっくりするような・・

前回かその前か楽器のレッスンで先生が
一度できるようになったものが出来なくなる人というのはいない!あなた何かおかしいはずだ楽器が壊れているんじゃないのか?
怪我でもしない限り自転車に乗れるようになった人がまた出来なくなったりはしないし、鉛筆を持って字を書けるようになった子がまた書けなくなったりはしない。
そんなありえない人間を前にすると教えてる側は怒りを抑えきれず人額を否定するような罵倒を浴びせてしまうのは仕方がない事だと・・・いまはそう考えてみたりもできるけれど、これに限らず私は幼少期からずっとその繰り返しで浴びた言葉によって形作られ今に至る。
いったんつかんだよしこれだ!これを固着させて・・と思ったものが今日全くできずどうしてできていたのかも思い出せないというのは精神的にかなりこたえる。
今日もそんな一日だった。

https://www.youtube.com/watch?v=E2GrFCB9KGk
今朝起きたら頭の中に勝手にこれが流れてた。
このCDを買ったのは高校を卒業し進学するところだったと思うからちょうど30年前。
何度も書いてるけれど私は高校の時統合失調症みたいになってて、いやちがう。
街中で有名になってしまいあだ名を付けられ指をさされ唾を吐かれていた。
進学で私のことを知っている人間は一人もいないはずのはるかかなたの街へいける。そのことで死なずに済んだ。
こんな話は書かなくていいというか人前に出しちゃいけないんだけど、なんかこう心が嘆いてるんだろうな。自分とすぎちゃった人生と
初めてその街に向かう列車の中でもこれを聴いていて、ちょうどこの3楽章のある部分で窓の外を見ると野良犬が数匹群れを成して歩いているのが目に入った。
もう30年だからあの犬はこの世にいるわけもないけれど、なぜか全然関係ない私の頭の中で今も生きている。
それだけ。

昼、出かけたついでにスーパーによる。
夜は寿司か刺身でもと思ったけれどお盆期間だからかどうもさえない感じ。気持ちも死んでるしどこかほかでもう少しいいものを・・
だけどあの魚屋は高速を使って1時間とか遠すぎる。
魚屋なんて近くにも散々あったはずなのにこの30年くらいでほとんどたたんでしまいやってるようでも宝くじを売ってるとかそんなのばっかりだろうと思って調べると2件ほどレビューのたくさんついた魚屋が見つかった。
行ってみると一件は場所柄観光客がたくさん集まる感じに嫌な予感がしたので通り過ぎ、もう一軒は
あっ駐車場もあるし
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入ってみるといらっしゃいでもない訳だけど恐る恐る話しかけてみればきちんと対応してくれる。
あたりまえか。
刺身は言えば言った内容で盛ってくれるみたいだけどよくわからないので値段だけ言ってまってみる。
ビニールじゃなく白い紙で包んでくれるのがなんだか懐かしく。
中身どんなかわからないまま晩飯までの楽しみとして持ち帰った。
楽しみを前にまた練習するけれど
もう死にたくなったところで晩飯
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7種類かな。かんぱち?美味しかった。
赤と緑のもにょもにょ海藻もいいですね。
いろいろうまくいかないけど小さな楽しみを見つけて生きていく。

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事実としてここまで生きてはきてるんだから

長らく続いた雨がやみ久しぶりの青空を見た朝。
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会社行こうと外へ出た瞬間、目に入るものがみんな輝いて見えてびっくりしたのでそんなものは写らないと知りつつ写真に撮ったりして。
昔、コンプレックスだらけで卑屈に生きていた私にも急に見るものすべてが輝いて見え始めた事がありました。世の中を間違えて感じてたんだ俺は・・でも長くは続かず急にほんとの真っ暗闇へ落ちていき・・はいいけどちょうどその手前も吹奏楽部に入ったはいいけどいつまでたってもまともに音も出さない人でなし犯罪者みたいな立場が何か月も続いていた。
あれから30年以上たって全く変わらない楽器のことはほとんどいつも考え続けてるけど触ってない。腹の調子は良くならないし少なくとも今日明日の再開は無理だと考えるに至る。来週のレッスンも休みにしていただいた。
レッスンなんて書くとまっとうみたいだけど3年やって音も出ない奇人変人。いや一般論的にはやる気もないのに口先だけのふざけた人でしょう
ずーっとそんな自分でしかいられないことにうんざりするけれど諦めてやめればそんな自分にうんざりするのでそれでも何とかしようとし続けるだけ。
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会社で年の近い同僚が私の病状を心配していろいろと話しかけてきてくれた。
そんな風に言ってくれてるのかと思うと少し驚き大変ありがたく、
うれしかった。
帰り際駐車場の車まで歩く間に彼が最近山登りを始めたという話を聞く。
アルプスとか行っちゃう感じ?
そうですね南アルプスは1度やって・・
あ本物だね。
彼は仕事以外でもなんかやってて輝いてるらしいことを少し知っているので、どこにも属せず何にもできない私は若干の嫉妬を感じながら
仲間と?
いえ、一人で。
えひとりで?
一生もんだよね。いいね。
私も昔、山登りにはまった同じ会社の先輩にお前も来いと言われいくつか連れて行ってもらったことがあった。
そうあのとき、どっかすごく高い山に登った達成感や素晴らしい景色やただのコンビニのおにぎりが10倍うまいことや・・のほかに、子供のころから何をやってもできずな自分が何かをできたような気になったことを思い出したり。
わけがあって長くは続かなかったそのことを話してみると社交辞令でもない感じのすっごい笑顔で
unagiさん元気になったらいっしょに行きましょうよ!
・・・なんでかうれしかった。
ほんとに行くかもしれないし、話だけで終わるかもしれない。
でもそんな話をしている間自分も人間になれたような気がしてうれしかった。
それだけ。

この流れでアルプス交響曲とかヴァンサン・ダンディのあの曲を貼ったりしたら間抜けだなと思いつつ

https://www.youtube.com/watch?v=E2GrFCB9KGk
大して変わらないようだけど
中間のホルンやカウベルがアルプスの牧場を思わせる部分は単純な描写ではなくて別な意味を持っていると思っているんだけど、それをこの流れで書くと馬鹿っぽくなっちゃって恥ずかしいのでやめる。

コンデジとかスマホで写真撮るようになったのはもう山とか行かなくなってからなので、それっぽい写真はないかと探してみたけどないのね。
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これは山じゃなくて谷だな。
11年前の今頃
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黒部峡谷鉄道はいけど終着駅からどっか歩いていけるのを途中でやめちゃってるのが今見るともったいなかったかな
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同じ日、親不知
ここからそんなに遠くなかったような気もするけど
道すがら名物らしい料理を書いた看板がいくつも並んでいるのでどっか入ろうと
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こんなのを食ってた。
今調べるとタラ汁?
こういう店が嫌いな嫁さんと若干揉め気味だったようなことを覚えてる。
そうまでして入って食った味の記憶は・・いいとして
あれから10年以上歳を食った今こそ食いたいなこれ。
きっとおいしいんじゃないか。

この時身内の精神病スイッチが入ってしまい、かかってくる常軌を逸した内容の電話を無視すればどこへ行って何をしだすかわからず旅行にならなかった。
そんなことまで書くつもりじゃなかったんだけど書いてるうちに調子が悪くなってきて明るく終わるのがしんどくなり
大丈夫なんだかんだとここまで生きてこれたし。
とりあえず来週末まで無事に到達することを目指す。
乗り切れば、また違う景色も見えるうだろう。

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ある雨の日

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嫁さんがあのあたりを歩きたがったけれどすごい雨で。
河津桜をいろんなところで見かけるようになりましたね。
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いいねこういうの。
奥のは炭と見せかけ電気加熱だったけどこれはほんとの炭かな?
見ればいいだけなのにすぐわきに人がいると行かないという。
でも、この日静かでよかった。
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いつものおこげと柚子?の皮が入った白湯。
わずかに香りを感じた気がする。
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かなり久しぶり。
肉か魚か選べるランチでまた肉って言っちゃった。
どの料理も一般的に感じる物より塩の量が控えめなんだなと思いながら。
健康志向もあるかもしれないけど、素直に野菜の味を感じてくださいという事かな。
私はてんぷらが好きですね。
野菜もてんぷらにすると肉に匹敵するインパクトが出てくると思う。
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外は雨。
書道サークルみたいなのの作品展が以前来た時から続いていていくつかの作品に見覚えがあった。
あの独というの前来たときにはあったかな?小さく、
一人が好き
とあった。
幼い頃祖母が妹にお兄ちゃんは孤独を愛する男だから・とか言ってるのを聞いた。
はっと思ったそこからずっと自分は孤独があってるのと思ってたけど好んだわけでも望んだわけでもなく、どこにも交われずそうなっちゃってただけだと気づいたのは最近。
それじゃいけないと思ってはいるが結果が乗・・
この時はまだ大丈夫だったけどこの日この後から私はいかれてしまい

https://www.youtube.com/watch?v=uPoporOs5T0
こんな感じのことを考えてた。
マーラーの6番は誰がつけたか初演のころから「悲劇的」という名もついていて、標題音楽ではないと言いつつかなり具体的なストーリーのようなものが読み取れる。
そのどうしてこんなにむごいのか?という悲劇性をより際立たせるため、反対方向の立ち上がって頑張るとか戦うとか温かいものを持っているとか、決定的な勝利をつかむとか、みんなに認められるとかポジティブな面についてもかなり強く書き込まれていて、よく言われる悲劇的イメージとは別な視点を持って聴いてみると人生というものについてまた別な・・
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人生上の最大の成功をつかむ瞬間(2小節目)
テューバのトリルにのってファンファーレと複数人によるシンバル。
オペラとかじゃないステージ上の真面目音楽である交響曲でシンバル複数ってのは結構イレギュラーで・・この人良くやるけど。
ここは明らかに特別な一瞬。
この後非常に深い満ち足りたような音楽が来て、凱旋行進曲につながってゆく・・
・・この時はでもそういうんじゃなくて暗い報われない側面に注目して雨空みたいな気分だったんだけど。
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紅茶が続いたのでコーヒー。
このコーヒーはこのあと一日私の空腹を押さえ続けていた。
お店を出るときに店主からいつもありがとうという声がかかった。
定型で誰にも言ってるんのとは違うと思う。
そんなところで自分の存在を確認とか言ってるとあれだけど今いいにしてよ。
雨もいいよね。
お店空いてるし。
外は冷たい雨だけど今いるここはみたいなで小さな幸せ。

今日また雨が降っててずっと暗いというか何に怯えてんだというような気分でいた。
今考え方一つでそれひっくりかえせないのかななんて考えてる。
そう思って持ち上げるとまた下げトリガが来ちゃって、この数日その繰り返し。
だけど、なんとかして潰されないようにしないとという気持ちだけはあって。


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ボンタンと後悔

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朝、富士山がきれいだったから。
あスマホ電池ないわとか思いながら写真を撮りふと見ると
マラソンしてる人が被らないよう止まって待っててくれた。
あ、ありがとう。
朝から世の中捨てたものじゃないなとか思う。
最近世の中が・・とかはいいか。
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先日行ったお店で。
これボンタンですか?
いえ、これは晩白柚と言ってこの辺りで作ってる人が・・
あー。
でっかくてきれいなこの球体はちゃんと育てようとした人が手をかけて作ったことを教えてくれている気がした。
なぜって、
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うちにもボンタンがあるから。

間引きもしないし何にもしないでほっとくだけだけど結構大きくはなる。
見た目は偶然綺麗に大きくなるものもあるけど、ほっといたせいで面白くなちゃってんのも・・
今年は結構生ったな。
好きな人は好きらしいボンタンだけど、食べるように育てたものじゃないのと私自身は食べないのでずっとしばらく飾って後は捨てるだけだった。
一昨年位からなぜか積んである大量の実がなくなるようになった。
嫁さんが食ってるのか、誰かにあげているのか、なんだかわからないけれど捨てるよりはいいことのような気がしてちょっとうれしい。
3月は剪定の時期。
もう少し経ったら、今年も少し太めの枝から切ってやろうと思ってる。
でもやりすぎたり切るところを間違えると樹が泣くんだよね。
ほんとにあっという間に樹全体の葉っぱが変な形になって訴えてくるのね。
もうああいうことしちゃいけないと思ってるんだけど。

以前これとは別な樹を時期やタイミングを誤って切ってしまい、枯らしてしまった。
場所が悪いのかいまいち元気がなく虫が入って弱ったりしたところを何とか・・
盛り返して花をつけるようになり、最初の実がなったときは嬉しかった・・
愛おしい家族みたいな気持ちで自分では世話をしているつもりだった。
助けるつもりで、結局私が殺してしまった。
悔やんでももう生き返ってはこない。
どこかで私を恨んでいるかもしれない。

人に傷つけられた・・はいいとして、自分も自分が考えているよりも遥かに多く人を傷つけていることに気付くことがある。
でももうそれに打ちひしがれて傷ついたりしてるような若木じゃないし、そんなんじゃ自分がつぶれちゃうわ。
だけど私が殺してしまったあの樹に対してのどうしようもない後悔は消えず、謝ろうにも相手はもういない。

https://www.youtube.com/watch?v=E2GrFCB9KGk
この楽章には愛する家族とか信頼できる仲間とかそういうものを強く感じる。
マーラーの交響曲第6番も表面的なわかりやすいネタに引きずられてしまいがちで・・
いいかそんなの。

祖母は遥か遠隔地に一人で住んでおり、そこへ行くという事もなかなかできなかった。
まだ幼稚園に入ってもなかった頃だろうかしばらくそこへ行った記憶がかすかに残っていて、そのなかに祖母が引っ張るリアカーに乗ってボンタン畑へ・・というものがある。
それだけ、前後の記憶はない。
龍が大事に抱える魔法の珠みたいに私をかわいがってくれた祖母には恩返しのかけらもできないまま終わった。
何をどれだけ思い出したり言ってみてもそれも変えられない。

犬の毛が抜けだした。
もう春だな。
ボンタンの実もそろそろ取ってやんないと重くて樹が疲れちゃうな。
肥料もやんなくちゃ。
今年の冬はかなり楽だったらしく葉を落とすこともなくやたらに元気な感じ。
落葉樹じゃないのに葉をみんな落としてしまったときは頼むから元気に・・と思った。
葉の新芽を見つけた時にはうれしくて・・葉が出ればすぐに花の芽が見つかるようになる。
花のいい香りに包まれるのが終われば実が大きくなってゆくのを・・
ずっと同じ家にいるから家族だもんね。
毎年そんなのを眺めて喜んでいるだけでも生きている価値があるというものだろう。
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遠く離れた街の、なんだかわからないようなところを歩いていたら。
あの樹も、何にも言わないけどいろんなことを考えてるかもしれない。

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謎の危機感

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そんなつもりじゃなく行った場所で思いがけず桜。
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まだ咲き始めたところかな・・
桜があるとは思っていなかったので結構衝撃的。
天気悪いけれど、何も光に照らされているのばかりが良い景色じゃないよね。

この日の夜、なんでか知らないけど嫁さんの元気がなかった。
次の日、そういうの伝染するのか私も憂鬱になり二人とも下がる。
嫁さんに飯でも食いに行く?と聞いてもいい返事が来ない。
そうですか・・
犬の散歩に入ってやらなくちゃと外へ出ると
超絶いい天気だ。
犬まで伝染して散歩いやーはやくかえるー
なんて言ってるのを無理やり引っ張って・・

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いつもの場所のいつもの景色だけど

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なんかこの絵が気に入っちゃって・・
犬にそこでいい感じになってといっても
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はぁ?


https://www.youtube.com/watch?time_continue=2890&v=oep5Rude4mQ
マーラー6番のAndante
不意に頭の中でこれが鳴ったりして。
初めて聞いたのはもう27年前の今頃、バーンスタインがウィーンフィルを振ったこれは出たばっかりだったような・・この盤不評も多いが大きなお世話である。
お告げがあったので大学に進学することにし、そのアパートを探しに行くとか言ってる頃だった。
新幹線はまだなくと在来線の特急の車窓を眺めながらカセットテープにダビングしたこれを聴いていた。
雨の降りそうな曇り空の下、ふと見ると田んぼを数匹の犬が歩いている。
リーダー格が一匹、その後ろを何匹かがお供のように・・・
ちょうどそのとき流れていたのが
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この辺り。
それがどうしたという話だけれど、ふっと焼き付いたものがずっと残たりするんですね。
その時はまさか30年後に思い出すとは思わない。

幸せな気分の中からふっと我に返るところ。
この後悲痛なまでの叫びとともにカウベルが鳴る。
この手前のカウベルはアルプスのホルンや弦楽器による草原の風や小さな花、牧場の描写ととってもいいと思う。
でもこの先のカウベルは意味が全然違う。
他楽章では舞台裏から暗示的に聴こえてくるカウベルが、ここではオーケストラの中の見える位置でで鳴らされるのには意味がある。
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私の感じるところではこれは、愛すべき家族、信頼できる仲間・・その存在をすぐそばに感じながら自分は強く未来を切り開いて進んでいく・・というようなことを言っていると思う。
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ギザギザ線みたいなのがついてるのがカウベル鳴らせ・・
弓を返しながら直線的に伸びるヴァイオリンのFisは、強い決意と力強い意志なんだと思うんですよね。
実演に行ったときにはそんなつもりじゃないのにこの場面で涙が出てしまいびっくりした。
音楽の力を思い知らされた。

私は人間世界で失敗気味なため信頼できる仲間なんてないけれど、犬と嫁さんがい・・・
とこの記事書いてあったのだけど、その後意表を突いたタイミングで嫁さんが本音をぶつけてきた。
別に別れたいとかそんなんじゃないけれど、いろいろ考えさせられる。
わたしにも言い分はあるけれど、ずっと先を見通すとやっぱり嫁さんは大事にしなくちゃいけないよね。
いなかったらどうなってたかは、いなかったこともあるのでわかる気がする。

いま、もしかすると何かを考え直さなくちゃいけない時期なのかなぁ。
逆に何も変えないように努めろという事なのかなぁ。
頭の中でなんだかわさわさガタガタしている。
一見安泰なようでちょっと踏み外せば・・みたいな謎の危機感を感じる。


日の光ってすごいな。
湿った気分を干してくれることがあるみたいだ。
嫁さんに飯食い行く?というと行くみたい。
嫁指定のお店でいい気分で食事をしていると後から来た客がたばこを吸い始め・・あれ禁煙じゃなかったの?
まあいいやもう終わりだし早くどっかいこう。

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先始めた桜と滝。

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ちょうど富士山にかかる位置にマンションが建っちゃてんのね。
いいけど。
滝壺のあたりへも降りられるようになっていて行こうかと思っていた。
そこへ若い男女の集団。
駐車場に彼らのものらしいレンタカーが2台あった。
まだ免許もとったばかりの学生とかなんかだろう・・まだ子供みたいだ。
男女別々に群れて・・川に石を投げたりして暴れている男の子の頭の中は女の子の気を引くことでいっぱいだったりするんでしょう。
いいねえ。俺にはああいうのはみじんもなかったわ。
それだけに嫁さんと知り合ったのは奇跡みたいな話のようで、単なる偶然じゃないことを自分は知ってる。
ここに滝があることは何十年も前から知っていたし、すぐわきの道路を何度も何度も走ってきた。
なのにこの滝を見たのは今日が初めて。
こういう、すぐそこにあって知らないことがまだあるなら、まだまだ生きてたほうがいいですね。
生きていくために何が必要でどうするべきかを忘れたら終わり。

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旧線トンネル


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列車を見送った補助機関車は引き上げ線で休む。
運転士さんは駅舎に併設の詰め所みたいなところに入っていった。
ちっちゃい詰め所みたいなのがかわいくて面白い。

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向こうに見えるトンネルは現在も現役でレールは右手へカーブしていく。
あそこが新旧線の切り替えポイントで元々はここへ向かってまっすぐレールが敷かれ歩いてきたこのトンネルを通過していたわけでしょう。
旧線跡はこの先ダムの中腹へ飲み込まれて消える。

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旧川根市代駅の駅名標が現存。
保存というか無造作に・・こんな話興味があるのは読んでくれる方の5%くらいでしょうかね。

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雨上がりみたいな森とダム湖に挟まれかなりの湿気と暑さ・・
ところがトンネル付近に近づくとものすごい冷気を感じる。
あまりの温度差でトンネル内は霧で満たされ真っ白だ。
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振り返ればこんな感じ・・
足元には
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レールが残っていた。
これを見て面白いと思う人も入れば、なんとも思わない人もいるだろうし、じゃまだ危ないと怒りだす人もいるでしょう。

人の考えや感じ方は驚くほど大きく違う。
子供のころからそのあたりにうろたえてそのたびに内側へ引っ込んだ記憶が・・
いまも、そこがうまくやれない。
いいかそんなの。

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懐中電灯があるからいいけれど、結構不気味。
一人だとなかなかな感じかも。
なんかパタパタしてると思ったらコウモリだった。
ケケケ・・とかなかなか鳴き声かわいいのね。
真上から聞こえるから見ると、
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沢山ぶら下がってる。
結構かわいいよ。

夏休みを控えてかキャンプ場へ来る子供のためにだろう
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肝試し的な仕掛けが作ってあった。
バケツとかなんとか廃品利用みたいな手作り感がいいよね。
家庭用のセンサーライトのセンサー部分を流用しているようで人が近づくとまず光る。
先ほど嫁さんとキャンプ場のおじさんはここで盛り上がってた。

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ちょっといったここにも。

小学生のころ、担任の先生の親戚一同が共同所有するという別荘にみんなで泊まりに行った。
肝試しと称して近くのお寺のお墓を歩いた記憶があります。
水子供養という言葉をそこで覚えた。
もうすでに一人浮いてるというかはぐれかけてたけど、数少ない楽しい思い出として35年くらいたった今でも忘れない。
今でも別荘があった町の名を聞けば耳が行くし、近くを通るとその別荘があったあたりに視線がいく。

この手作りな光も、50年後とかに誰かの記憶の中で光り続けたりするのかもね。


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この辺りは素掘り。
スマホで撮るとゴッホの絵みたいだな。

歩いてると、結構後ろの方で人の足音が聴こえたりするんだよね。
!っと振り向いても真っ暗闇。
誰もいない。
自分の足音がこだまして帰ってくるんだろうけど、
こういうのなんでもクールに受け止めちゃったら音楽なんか聴いてもつまんないんじゃないかなぁ・・
ちがうか人それどれか。

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トンネルを出たところには子供むけにかこんなチャイムみたいなものが作ってあり、
いい歳をした夫婦が叩いて遊ぶ。


https://www.youtube.com/watch?time_continue=3600&v=E7y0_Z3uXts
マーラーの交響曲第6番のフィナーレにこういうのが出てきます。
パソコンとYoutubeとかだちゃんと聞きとれないかもしれません。
楽章冒頭の楽器名のところに注意書きへの誘導があり、
きちんと調律されていない複数の音程の鐘。不規則に打ち鳴らされあるときは・・
みたいな指示があったと思う。
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ギザギザみたいなのが続いていますが最初のギザギザは舞台裏のカウベル
遠くで(舞台裏で)という指示があり、その次一つ上の段がこの鐘。
なんというかこれが鳴っている間異様な虚無感というか、
実時間と直交する虚数方向へ時間が進んでいるような・・
そんな世界となる。

マーラーの交響曲第6番は、何度も大きな悲劇に襲われもう虫の息のとなっている人間に運命は止めの一撃を刺してその死を見届ける。
という超絶ネガティブ音楽だ。
かけや(餅つきで使うみたいなでっかい木のハンマー)が演奏中に振り下ろされる所が有名で、そんな話ばかりが馬鹿の一つ覚え的に繰り返されがちなところが作曲後100年くらいたってくるとかえってじゃまな気もするんだけれど・・
目の前にあったはずの明るい光が一瞬で暗黒の悲劇に代わる・・と言うのがコンセプトなのではあるけれど、
別な視点で見ればこの交響曲の中には何度も悲劇に立ち向かって打ち勝ち、死の直前圧倒的な勝利を収める人間の姿も描かれているのである。
何かできるのは生きている間だけ。
俺だってまだ人生終わったわけじゃないし、なんか知らないけど頑張るかもしれませんよ。

キャンプ場には一人バイクで来た人がテントを張っていた。
馬鹿みたいにならされるチャイムにうるせーなとか思っていたかもしれない。
ごめんね。

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その後ろをさっきの機関車が単機で登ってゆく。
最終列車を迎えに。

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出勤するために着る服を2階の廊下に置いてあるんですが、今朝それを着ようと思うと・・
その上にバッタが載ってる・・それも雌が雄を背中にのっけて・・
逃げるそぶりも見せない。
バッタは交尾のときそんなかっこをして、それはどこでも見られる光景なんだそうです。
だけどそこは家の2階の廊下で、窓はどこも開いていなかった。
何かのメッセージをもらったんだと思ってその意味をずっと考えてます。
交尾してたはいいけど、ちょうど雌のお尻のあたりに雲子が落ちてた・・
なにやってんだ。


嫁さんによると、近所のリフォーム中の家にソーラーパネルの取付工事をするからと業者があいさつに来たという。
この際お宅もどうですかみたいな話だったというんですが・・
おかしい。あの家は場所・構造的にソーラーパネルなんかつけるとは考えにくい。
〇〇さんのお宅と言ったらしいけど、その人はもう家を手放してるんだから施主じゃないはず。
ゼンリンかなんかをもって回り、足場のかかった家でも見つけると周囲に営業をかけるのかなと思った。
近所がやってるなら・・と安心して話に乗るみたいなのを狙っているんだろうか。
リフォームは終わったけど、屋根にはなにものっていない。
いずれ必ずばれる嘘を平気でつくんだから相当たちが悪く、見積もりでも取ったら最後弁護士でも雇わないと逃れられない・・みたいなのだったりして・・

今私は工業製品の製造会社勤務なので一寸の嘘もない正攻法で仕事をしていることになっています。ことにじゃないか・・
学校を出て最初に入社したところは「馬鹿正直にやってどこにもうけが出ると思ってるんだ・・!(暴力)・・」みたいなところだった。
?と思いながらもそのまま洗脳されてしまい、詐欺まがいというか、今思い出せば詐欺でしかないようなことを指示通り一生懸命やりました。
そのうちのいくつかはとんでもないふざけたものだと思うけれど、またいくつかはある程度理解できる気もする。
でもそれをいまの職場で口にすれば、大変なことになるかもしれない。
場面が変われば、嘘も本当になるし、正しいことも嘘になるのか。
最初の会社、その仕込まれた嘘が絶対に相手にわからないこと・・という前提はあったと思う。


詐欺でも何でも、最初はいいんだけどあれっ?となる瞬間がやってくる・・
実は気づいているんだけど認めるのが怖いので気づかないふりをしばらくたりして・・
相手を信頼していればいるほどその衝撃は大きいだろう・・だまされたのだと認めた瞬間に足元から崩れていくあの・・・

その一瞬で事態が暗転し崩れ落ちていく・・というとこに注目して巨大な交響曲を作り上げた作曲家がいて
マーラーの交響曲第6番というのがあります。
第4楽章ではその実際が描かれるのですが、最初の楽章から人生の暗転の象徴として


こういうイ長調和音→イ短調和音みたいなものが何度も鳴らされます。
3つの音でできた和音のうちのたった一音が半音下がるだけで世界がひっくり返るという面白さがあるわけですね。
ものすごく単純な手法で聴き手に超絶インパクトを・・

私の失敗は、この曲を聴くより前に本でその秘密をを読んじゃった事です。
ネタばれですね。
柴田南雄という作曲家なんですが、その衝撃に心臓をえぐられるような‥だったかは忘れたけどそれくらいのことを書いていました。
先にそれを読んじゃったので期待が膨らみすぎてしまい初めて聴いたとき、
え?
みたいな。

最初のイ長調和音まで暗く響いて聞こえちゃうんですよね。
それは今でも続いています。
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この手前のティンパニもなんだか処刑の象徴みたいな音で最初から暗く響いちゃうのもいけないんだと思う。
この曲の違う演奏を聞くたびに、今度こそここで明→暗を実感させてもらえるのでは・・と期待するんだけど、いまだにかなわず。

この人死にたくないのに死んでた・・みたいなネタが好きでそういう作品をたくさん書いたんです。
そしたら自分もバリバリのさあこれからというところで感染症にかかってぽっくり行っちゃった。
この人は演奏家として、歌劇場監督として政治的な敵や陰謀を根回しで踏み倒してとかやりながらどんどん上を目指し突き進んでいったツワモノなんです。引きずり降ろそうという勢力も蹴散らしてたんだろう。
いつも死におびえて生きていたみたいな弱々しいく悲しい伝説があるんだけどなんでそうなっちゃってんのか・・
作者の死後、嫁さん他一部の近親者が都合のいい妄想を言っちゃってみんな一番近い人のいう事だからと信じちゃったからというのも大きくあると思うんです。
でもそう思って聴けば作品もそう聞こえてくる。
そう信じて彼の曲を愛した演奏家や聴衆がいるわけです。
解ってきた新事実に興味津々!という人もいると思いますが、
あなたの信じてたものなんか間違いなんですよなんて言ったら烈火のごとく怒る人もいるでしょうね・・
ずっと大事にしてきた、自分の一部が崩れてなくなっちゃうようで・・
知らないほうがいいこと、言っちゃいけないこともあるんだと思う。
真実は最大の暴力だったみたいなの・・

バッタを2階の窓から投げ出そうとしたら、嫁さんが服ごと1階にもっていって優しく外へ案内してた。
その間、バッタは逃げるでもあばれるでもなかった。
優しい嫁さんでよかったなぁ。
今、心に引っかかることがあるんだけど、バッタの糞みたいなものだ。捨てちまえってことかもなぁ。

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誰に刺されたのか マーラー交響曲第6番

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マーラー交響曲第6番 終楽章のハンマーですが、体にも心にも深く突き刺されるこの衝撃を与えたのは誰なんでしょうか?

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一回目のハンマー、続く弦楽器はこの

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運命の姿そのものですね。
ハーディング盤みたいな速いテンポで聴くとここはハンマーが肉体と心に突き刺さったのを見て運命たち(たくさんいる気がする)が喜びの雄たけびを上げて飛び跳ねているように聞こえます・・
非常にグロテスクで怖いです。
操っているのは運命でしょう。。


ここから先は個人的な妄想でネタなので適当に読んでください。
柴田南雄の本に似ているものを引用だと騒ぐのは馬鹿だ・・みたいなことが書いてありました。
私もそう思います。思うのに、
調子に乗ってそんな馬鹿なことを

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ハンマーがー刺さった後トランペットの2,3,4番が悲鳴のような叫びをあげます。
1番は次に備えて休んでいますね。
手前は5,6番が担当していた。
事前に提示されていたコラールによるものですが、

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交響曲第3番の第5楽章、このチェロに似ていると思うことがあります・・
ここ、イエスが聖ペテロに「お前はなぜここにいるのだ?」とかいう場面ですか・・

ハンマーの衝撃は”裏切り”によるものだったのではないかと・・・

考えすぎでしょうね。
いい加減にしろよみたいな・・・

こういうメロディーはいくらでもあって・・似ている物を探せばいくらでも出てくる・・
歌詞や曲名がちょうど都合のいいようにつながって、引用ではないか?・・
みたいなのはいくらでもいえるんですよね・・

この時点ではマーラーは幸せまっしぐらですから、この曲みんなフィクションです。
別にマーラーの人生と重ねて考える気もありません。

似てるもんで騒ぐなと言っていた柴田南雄もマーラーの第3交響曲冒頭のホルンがブラ1のフィナーレに聞こえて仕方がない・・・と書いていたと思います。
あれは意味があってそうなっているんでしょうか?
ただ似ただけでしょうか?
私は似ているとは思いますが、ブラームスは浮かびません頭には・・・
あれフィナーレの主題から来てるんじゃないかなぁ・・

ごめんなさい。
全部個人的な楽しみのための妄想です。

こんな場面だし、何かあるんじゃなんて考えたくなってしまうんですよね。

Tag:マーラー交響曲第6番  comment:2 

マーラー交響曲第6番 終楽章のに凱旋行進がある件

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マーラーの交響曲第6番 第4楽章
まだ、続きます。

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襲い来る運命的な困難との闘いぬいて、再現部の最後は勝利をつかみ凱旋行進をしています。
高らかに歌うホルンとチェロは第2主題ですし、歓声を上げているようなヴァイオリンの下降音型も第2主題で非常にポジティブです。
素晴らしい場面ですね!・・
・・・でもみんなが乗っかっているこの低音は実はあの運命主題なんですよね・・
ここまで来ておきながら、この後運命によって葬り去られていくわけです・・すべては運命が支配している。


初稿を見たら
348.png

歌うのはホルンとチェロでなくトロンボーンでした。
ティンパニは5度を二人で、小太鼓、シンバル、トライアングル派手になっています。
今聴いている物よりももっと軍楽調だった・・
これ、闘う男の姿だった第1楽章を強烈に思い起こさせ、統一感みたいなものもでるのかな・・
でもやめていますね。
ここだけ見ると、初稿のほうが面白い気もします。
でもここで派手な印象を聴き手に与えてしまうと、この後にくる本当の悲劇の印象が薄れてしまうのではないでしょうか?

ただ単に鳴りや部分的な効果だけを考えているのではなく、全体のドラマの流れみたいなものを考慮しつつ改訂が行われているのではないかと思います。

これでこのまま終われれば”英雄の完成”だったのにね・・
この先あんなことに・・3回目のハンマー跡地付近、もう衝撃!わー!なんてやらなくても力なく倒れていっちゃうんですね・・


このティンパニの運命のリズム主題、何度も何度も出てきますが、前打音みたいな音にいろいろ種類があります・・

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テンポとか前後の状況とか、単にそう感じたから・・こうなっているんでしょうか。
これも意味があったりするのかな・・



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マーラー交響曲第6番 改訂による打楽器の削除

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マーラー交響曲第6番ネタ、もういいよという方もいらっしゃるかもしれませんが・・
第4楽章の初稿を見ていると聴いて知っている第2稿にはない極端に分厚い打楽器に驚かされます・・
特に後半ですね、思い切ってばっさりカットしています。

マーラーの交響曲でティンパニが一番やりたい放題やっているのは2番かなという気がしています。
以降、ティンパニやりたい放題はやめて深くなっていくような印象があるんですけど、初稿を聴いたらまた印象が変わるかな・・
380.png
再現部の第1主題に入ってすぐですが、2稿にはないティンパニがあります。
あるだけじゃありません、二人の奏者が重音をやっていてこれかなりくどいでしょう?
2番でこんな感じよく出てきていましたけど・・


381.png
ここも二人だったんですね・・今は一人に・・


思ったんですけど、単にこれらこの場所を薄くしたというだけでなくこのことによって、二人が重ねて叩く運命の主題・・
356.png

がより一層特別な印象を聴き手に与えるようになるんじゃないでしょうか・・・
第2ティンパニ、ああいうとこしかやんないよな・・・なんて思ってましたけど、まさにそれが狙いだったんじゃないかと・・・



382.png
ここもすごい。勝利をつかみ取りに走り出すような場面。
今はティンパニはなくて倍の長さに伸ばされた低音の運命主題が最初に聞こえ、トランペットが答え、、その中で弦楽器が歌い・・

この弦楽器の主題は第1主題部の後半で出てきますが、上下正反対になった反行形が組み合わさったりしてますね。
これ夫婦に見えますよね・・交響曲第10番の第1楽章で第1主題でまた聴くことになるあれと関係あるかなと思ったり・・

で初稿はティンパニが派手にたたいてます。
面白いですけど、音楽をティンパニが主導するような感じになって印象がだいぶ違うでしょうね・・低音の主題もマスキングされちゃうのかな・・
マーラーの改訂は楽器配置が変わっても音楽は変わらないという印象があるのですが、ここはこのリズム自体がなくなって、音楽も変わっているような気がします。
なんというか楽器の配置も声部の多さもやればやるほどいいのではなくて、ある域を超えると逆効果・・というところまでついに到達してしまった・・ということなんでしょうか・・

383.png

勝利をつかみ取って多数のシンバル・・の場面、ティンパニとトライアングルも鳴っていました・・
これはこれでありな気もするけど、今のを知ってると今のがいいか・・

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まだ見ぬマーラー交響曲第6番(2010年出版新校訂版)?

先日の上岡 敏之指揮 新日本フィルハーモニーのマーラー交響曲第6番の演奏会で見たことのない最新版のスコアの存在を感じているわけですが、続きです。

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検索すると 国際グスタフ・マーラー協会版  交響曲第6番(2010年出版新校訂版)  
というのが出てくるのでこれを買えばみられるんでしょうか・・
高いなぁ・・

国際グスタフ・マーラー協会版 Totenfeier (交響詩《葬礼》) なんて買えるんだな・・見てみたいなぁ‥
急に聴きたくなってパーヴォ・ヤルヴィ指揮の葬礼のCDを買おうと思ったらもう売ってないんですね・・
迷ったら買っとかないとダメなんだな・・

398.png

第4楽章再現部、勝利をつかんで複数のシンバルが鳴り、喜びの歌が歌われる部分。
このバスドラがかなり効果的に響くと思ってきたのですが、この日の演奏会ではバスドラが聞こえないのではなくてこのトレモロをやっていないことをはっきり目で確認しました。

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で今日、ダニエル・ハーディング&バイエルン放送交響楽団 マーラー交響曲第6番のCDを聴いていたらバスドラが聞こえませんね。スコア見てみたいなー

YouTubeのラトルLSOはやってないようでかすかに聞こえるようでもあるような・・
それよりあの多数のシンバルを映さないで指揮者なんか映しているのははがゆいな・・
私の好みに合わせてくれるものじゃないのは解るけど・・
でもあそこはあの視覚的インパクトも音楽表現の大事な要素だと思うんだよなぁ・・
この曲の一つの要みたいな瞬間なのに・・・
指揮者なんて見てる場合じゃないと思うんだけど・・あんまりマーラー好きじゃないのかな・・編集した人・・

思い出すと中学生のころから教育テレビでオーケストラ演奏を見てきました。主にN響アワーと芸術劇場か・・NHKのカメラワークばかり見ていたからあれが標準になってしまっているような気はします。
結構スコアを読み込んで大事なところを映すような感じだったと思うけど・・
時折入る字幕の解説もわかりやすくてよかったような・・最近見ないな・・
変に芸術的な絵に仕上がっちゃってるものよりスコアが見えるような映像のがいいな・・
もう2回最前列中央くらいからの定点撮影でもいいな・・

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最後、ハーディング盤でトランペットの余韻を聴く前にバスドラがつぶしていることに文句を言ってしまいましたが、上岡も間をおかずにピッチカートを打っているように見えました・・打てというより全部を止める・・みたいな仕草だったと思う・・楽譜のルフトパウゼみたいなのがなくなってたら衝撃的だけどなー
ラトルの指揮は間を取っているように見えます。
なんで色々あるんだろう?

目立つとこだけ騒いでますけど、もっといろいろあるんでしょうね・・

ハーディング盤は何度か聴いてるうちに気に入ってきて瞬く聴きそうな感じです。
新しい演奏を色々聴きたいな・・

スコアは高くて買えないですが、先日書きました柴田南雄の 
グスタフ・マーラー 現代音楽への道 (岩波現代文庫) 
をどうしてもまた読みたくなってきたので注文しました。

マーラー関係のコンサートのチケットもとりました。
それに付随して色々考えたい書きたいことが出てきて頭が沸いています。
楽しくていいや。

Tag:マーラー交響曲第6番  comment:1 

マラ6 グリッサンド

グリッサンドっていうのは鍵盤楽器で、弦楽器管楽器はポルタメントじゃないの?と知ったようなことを言ってみたくなりますが、楽譜にgliss.と書いてありますね。指を滑らせてるからいいのか・・
そういえば遥か昔に見たラプソディインブルーの冒頭のクラリネットにもgliss.て書いてあったような記憶が・・
じゃあグリッサンドで・・・・

ガーシュイン、どこで見たっけ・・と考えると中学生用の音楽資料集みたいなのじゃなかったかなぁ・・30年前かぁ・・
あれにグリーグのピアノ協奏曲のオケパートをピアノにしたやつ(提示部だけ・・)とバッハの小フーガト短調BWV572全曲の楽譜が載っていたんだよな・・
前者で楽譜を見ながら音楽を聴く喜びを、後者で弾けるわけないのに弾いてみようとする喜びを知った気がする。

上岡敏之指揮のマーラー6番で、変なグリッサンドが面白かった。
あれが正しいとは全然思わないけど、また聞かせてもらいに行きたい気がする。
指揮者も大変ですよね。みんなスター指揮者ばっかり聴きに行こうとするし、録音とかYouTubeとか散々聴いて知った気になってるから普通にいい演奏しても目立てないし・・
受け狙いで変なグリッサンドしてるなんて言う気はないし、仮に受け狙いだったとして私受けちゃったから聴きに行くけど・・

第4楽章展開部で暗い序奏部が終わって光が差してくるところ
の初稿
384.png385.png
2稿は第2バイオリンのグリッサンドが一番高い音のみに改められていますが、もとはこうでした。
同じ音をフルートとクラリネットも伸ばしているので、第1バイオリンの動きと関係なく小節の後ろの方で次に向けて落ちる・・ようにもみえますし、
トレモロの第1ヴァイオリンと普通にグリッサンドの第2バイオリンは同じ音が同じように動くということのようにも見えます・・
そう思うとこのグリッサンドはこういう真ん中あたりまで直線的に伸びてそこから落ちる形を考えていたということですか?。逆にみるとこの八分音符も杓子定規な八分音符じゃなくてだんだん加速していくようなイメージなんでしょうか・・

これを見てマーラーが長いグリッサンドをどう考えていたのかわかるかなとも思ったんですが、そんなの場所によって変わりますもんね・・

あれそうじゃなくてこれ第2主題なのかな・・上がってく16分音符は第1主題から来たやつですよね・・自分?・・
屁理屈言い過ぎ?

最後の小節、次に備えてトレモロが第2ヴァイオリンに入れ替わっていますが、2稿は3連符は倍の長さ、となり第2バイオリンもやるように、トレモロの入れ替えなしなっています。
凝りすぎた結果大事なところがはっきり聴こえないので・・ということでしょうか・・

Tag:マーラー交響曲第6番  comment:0 

カウベルはどこ?

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今日は内容に私個人の思い込みの可能性があり怪しいです。適当に読んでください。
あっいつもか・・
先日の上岡・新日のマラ6は面白かった。
適当なことを言ってますが、見たことのない最新の楽譜があるとして、その内容はどうなってるんだろう?
見たいなー。

・・・でも調べても何も引っかからないし、そんなもんないのかなという気もしてきた・・
ただ再現部のティンパニとヴァイオリンソロがよくわからない・・

とりあえずハーディング・バイエルン放送SOのCDをまた聴いてみた。時間がないのでアンダンテまで・・

373.png
ここ、やっぱりトランペットのff>はf>に書き換わってるんじゃないかなぁ?位の印象・・
ティンパニも抑えてる感じがするなぁ・・

370.png
再現部のここ。
新日で聴いたの同じ、知ってる楽譜と違う。
最初の2小節を二人同時にffででたたいて提示部と明確な差・・・
続く2小節はdim.する。多分見たのと同じ第2ティンパニはで重音をたたいていると思う・・はっきりわからないけど・・

371.png
続く第2主題の最後、
この2小節はソロになって・・・・はいませんでした・・・あれ、なんでちがうんだろう?

知っている楽譜だと”遠くで”みたいな指示のあるカウベル、上岡・新日はオルガン横のバルコニー、よく見える位置でやっていました。指揮者の解釈なのか、新たな指示があるのか不明・・・そんな指示ないような気もしてきた・・

ネット上にあったハーディングBRSOのこの演奏会かなと思う写真・・カウベルは見当たらない・・
聞いた印象だと、
第1楽章のカウベルはやけにクリアで舞台裏じゃなくて左奥のステージ上で鳴っているようにも聞こえる・・
先日のは固定されたものを撥でたたく式だったけど、バイエルンのは鈴のでかいのというか喫茶店というかリアルカウベルな感じの音・・
沢山はいなくて少数な感じ・・一人でやってる?

アンダンテのカウベルは1楽章とは違い右側で鳴っている・・舞台裏じゃなく、ステージ上で1楽章よりはたくさんの数のように聞こえる・・

CDのブックレットに演奏風景の写真があるかと思って見てみたけどなかった。
でもハンマー振り下ろす瞬間のアップみたいな写真があって笑った。
ドイツ人にとってもハンマーが面白い交響曲なのね・・・

なんだかわからなくて悔しいのでYouTubeを見てみるとラトル・LSOというのが新しそうなので見てみた。
最初のTimpとTpは知ってる楽譜の印象。
1楽章中間部のカウベルは舞台裏
再現部のTimpは2人でたたいていそうにも聞こえるけど映らないのでわからない・・映してほしかった・
その後の第2主題の2小節はソロだった・・
ということで、結局よくわかりません。。

なんだか知らないけど面白くなってきちゃったな・・
ただ、私が勝手に思い違いをして騒いでいるだけで、そんな楽譜なんていうものはないのかもしれない・・
えーじゃあのソロは何なの?・・


昔作曲家の柴田南雄が自著のグスタフ・マーラーという本の中でこんなことを書いていたのを思い出した。。
巨人くらいしか知らなかった私にマーラーの世界を教えてくれた本です。
読んだのが30年近く前なので記憶もあれですが、、
カラヤンがベルリンフィルと来日たとき、マーラーの6番を演奏した。
カウベルがどのように聴こえるのかと期待して聴いていたところ・・
天井スピーカーから平面的なテープ録音のカウベルが・・・
がっかりした・・・いや何かもっと文句めいたことを言ってたようなイメージもある。

そりゃそうだ、なぜそれがそこで鳴るのか・・に重要な意味があるのに・
そんなこと何も知らなくたって・・・シラケるだろうなそんなの・・

まだ日本人がマーラーなんて聞きなれない時代・・えっもうみんな聞いてた?・・関係ないよねそんなこと・・
海外遠征で余計なものはもってこれない?現地調達もできない?そうかなぁ?
さすがに楽器庫に”カウベル”なんてなかっただろうけど、「こういうの」っていうと面白がっていろいろ代品持ってくるような人がいるんでしょ?
なんて考えていると、結局なめられてたのかな日本人は・・・なんて思ったりして。
(そんなことはないかもしれません)

私のくだらない興味はそのテープのスタートボタンを誰が押したのか・・・
団員?ホールの音響係みたいな人?
後者だったら笑うよね・・・

あの本、今思い出すとそれは違うのではと思う内容もあったと思う・・
でもそれは散々いろんな知識が入った30年後からみた後出しみたいなもので、そこを批判するのは違うと思う。。
あの人がマーラーの音楽が大好きなことは強く伝わってきた。
いろんな曲を聴く前にあの本を散々読んで知った気になっていたので、初めて聴いたときの衝撃・・というのがなくなってしまった・・・
6番の最初の明→暗を知らずに聴いてびっくりしたかった・・なんて思った思い出。

マーラーの自作間での相互引用の重要性を指摘したうえで、しかしたまたま似ているだけのものまで持ち出して引用だと騒ぐのはバカだろみたいなことを言っていたのは今でも頭に残っている。
このブログでいろいろ書いているとき、私の中で言われるの・・それはあなたの都合のいいようにこじつけているだけじゃないですか・・・と。
はい、そうですとか言ってそのまま書いちゃうけど。

あの本でマーラーを知った人も多いんじゃないでしょうか・・
売ってるみたいだし買ってまた読んでみようかな・・

Tag:マーラー交響曲第6番  comment:0 

悲劇的交響曲は本当に悲劇的なのか

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マーラーの交響曲第6番は「悲劇的」の愛称で呼ばれています。
如何にもという愛称で文句もないのですが、作曲者本人がそう呼んだわけではないようですね。
考えてみると彼の11曲の交響曲の中で明確に短調のまま終わるのはこの曲だけです。

第4楽章は運命の打撃を受けながら、立ち向かい切り開いていこうという姿が見えるわけですが、再現部は結構健闘していると思うんです。

再現部は第2主題部が先にくるんですよね・・
提示部と展開部の第2主題とそれにまつわる音楽は生きる喜び、この世の美しさ、太陽の光、愛・・みたいなものが絡んで渦巻いて・・という音楽だと思います・・9番で再現されますよね・・いつか書こ・・
オーボエの飄々とした感じで再現部の第2主題部始まりますが、やるぞ-!みたいな明るい雄叫びを挙げて突っ走ってそのまま第1主題部=運命と自分の闘い・・その間第2主題が何度も出てきて加勢してます・・結構ポジティブにやってるんですよね・・

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その後のここ、いろいろ戦ってきたんだけど何か突破して勝利をつかんだー!みたいなところだと思います。
あちこちでたくさん鳴っている下降音型はあのポジティブな第2主題の一部ですよね。
そう思うとこれ、みんなちゃんと聞こえないといけないんですよね。なんか目立つもんだけが目立ってあとあんまり聞こえない演奏がありますよね。

やった!という瞬間のシンバルには複数でみたいな指示があります。
実演だと3人とか4人の打楽器奏者がみんなでシンバルをたたくというか広げるというか・・は視覚的インパクトがものすごく大きいです。
うちのオーディオで聴いてても、音の広がり、音色、大きさなどで普通と違う感は十分伝わりますが、あの視覚的衝撃は・・・
初稿ではここでティンパニやトライアングルも派手に鳴っていました。
トランペットなんかをマスキングしちゃうから外したのかな・・

4小節目のトランペットの3・4番がB管で吹く第2主題音型、バーンスタイン・VPO(88)のは8分音符がバッサリカットされていて聴こえません・・
なんでだろう?



でその後豊かな気持ちと凱旋の行進をへて、
337.png
やっと本当の光が見えてくるわけですよね・・
低音の大きく構えているのは第1主題の一部で、つまり自分ですよね。
平和な日々を手に入れられる・・・・・・・
と思ったら結局死んじゃって悲劇的・・・みたいな内容で、作曲者もそんなことを考えているんだと思いますし「悲劇的」の愛称で何の問題もないんだと思います。普通に考えると。

弦楽器のこういうアルペジオはよく見ますが、沢山の弦楽器の弓の動きがまた視覚から入ってきて何か伝わってくるんですよね。
オーディオじゃ見えません。
これがよく聞こえる録音と、よくわかんない録音があります。なんとなく聞こえたほうが嬉しいけどなー

嫁さんがこの曲が現実になると困るといって泣いたみたいな伝説が大嫌いなのですが・・

マーラーは指揮者、歌劇場の監督みたいなのが本業で、夏休みに作曲みたいな形で生きてきましたが、いよいよ職業演奏家を引退して、作曲業に専念することを考えていたようです。
そのための住居を購入する契約くらいまでしてたんだっけ・・
しかし突然の死によってその道は閉ざされる・・
結局、この曲マーラーそのものなんですね・・・

この曲にマーラーを当てはめると、突然の死によってあるはずだった作品を聴くことができなくなってしまったのは我々にとっても悲劇のように思います。
でも多分、神様は寿命に応じて才能やチャンスを割り振ってると思うんです。
あと10年生きたとしても、最終作品の完成があと10年遅れていただけ・・生涯に作曲される作品の数は同じ・・だと思う・
全然話が脱線してるけど・・

最近自分は、マーラーはこれに限らず結構冷静に客観的な立場で曲を書いていて、言われているほど自分を重ねてはいないんじゃないのか・なんて考えてみたりしているんです。

でもこの曲結果的にマーラーそのものみたになっちゃっいましたね・・

この曲のこの人、悲劇的なんでしょうか・・
普通に考えると一生懸命やってんのに何度も災難に襲われ、やっとというところで命を絶たれてしまうんだからとてもかわいそう・・
悲劇的ということで文句ありません・・
でもね、アンダンテを聴くと幸せな家庭があり、理解、支持してくれる仲間がいます。非常に幸せそうです。
第1楽章の第2主題が妻だとするとものすごく美人で活発で頭がよくて・・そんな人が妻ですよ・・
第1楽章行進曲調の音楽を運命の行進ととらえると怖いですが、困難と闘いバリバリ前進してゆく人の姿だと思うとかなりポジティブですよこの音楽。第2主題部の中に取り込まれてますよね行進曲が・・あれ旦那である本人なんでしょう・・
終楽章では度重なる衝撃をを受けつつも意外にポジティブに進みつつ大きな功績をあげています。
一回目のハンマーなんて悲鳴のような叫びをあげはしますが、すぐ後に花園みたいな音楽が来たり・・意外についてる面や助けてくれる仲間?も持ってたりして・・
最後死んじゃいますが、もともと人間はいつか死ぬんだと思います。
そう考えると、この主人公はかなり充実した人生を送ることができた勝ち組なんじゃないでしょうか?

マーラーのこと悲劇的な運命をたどった人と思わないし。

こんなこと書いてるとおまえ馬鹿かって言われそうですけどね。
いろんな見方があってもいいでしょう?


Tag:マーラー交響曲第6番  comment:0 

波形で見るマーラー交響曲第6番第4楽章

スコアじゃないですけど・・
これは波形編集ソフトにマーラーの交響曲第6番第4楽章の演奏(3種類)を読み込んで表示させたところです。
何か見えてくるかのと思って・・

345.png
2つづつありますが、左右2chを表示しています。
一番上の2つはハーディング・バイエルン放送響、
次はブーレーズ・ウイーンフィル、
一番下はバーンスタイン・ウイーンフィル(88)

横軸が時間です。横に長いほど演奏時間も長いという事になります・・
縦軸は振幅ですから音量・ダイナミクス・・
旋律とか音色をここから読み取ることはできませんが、
曲の構造、(比べることで)演奏のテンポ、ダイナミクスの変化などを視覚的捕えることができます。

それぞれの部に序奏をもったソナタ形式なのがはっきり見て取れますね・・・
長い序奏の後に始まる提示部が結構あっさりしていることとか・・
バーンスタインの圧倒的に重い演奏も形になってわかるわけですが、意外にも3つの演奏の提示部が終わる時間的位置は同じようなところなんですね・・

バーンスタインのは最後の中低音金管アンサンブルみたいなのが異常に遅く、宇宙が語るみたいになっちゃってますが、それも見えます・・この人の演奏だと3回目のハンマーで自分が死んじゃって、あそこはレクイエムなんでしょう・・これはこれでものすごい説得力があるよな・・・

そもそもあそこは・・何を意味しているんでしょうか・・

349.png
このテューバで提示される付点のモチーフ、運命そのものが姿を見せているんじゃないのかな・・・
序奏やいろいろなところでちらっと姿を見せていましたが、

350.png
(これもそうでしょう?・・・いっぱい出てきて盛り上がると戦いの場面に突入・・・)



351.png
最後のこの場面・・位置的にもテューバで始まることからも同じ運命の姿でしょう・・とよく見ると倒れる前に歌っていた勝利の喜びの歌と同じ旋律なんですよね・・というか曲の一番最初に出てくる明暗不確定のモチーフだったり、苦しいところも出てきてたり・・結局みんな運命だったってこと?・・ここ、もう他には誰もいない・・これがすべてを支配している・・

      352.png
この最後のコントラバスとチェロも運命の姿そのものです。
静かに腕を振り上げ・・(pp)

止めを刺す(ff)・・

でTpが消えて( ’ )死を見届ける。

都合のいいようにこじつけただけだろとか言われそうですね。
マーラーの音楽はこんな事をごちゃごちゃと考えだしたらどこまでも何時まででも付き合ってくれそうなんですよね。。
作曲者は音楽にいろんな意味を埋め込んでいるはず。
でもきっと説明を求めても教えてくれなでしょう。
はじめのうちは自作のト書きみたいなのを書いたりしてたみたいだけど、途中でやめてますよね。
自分がこうだと言うとみんなが単純にその通りに聴こうとしてしまうのを嫌ったと思う。
聴き手が自分で感じて謎を解いていくことがマーラーの曲を聴くということなんじゃないでしょうか・・
いや知らないけど・・

マーラーの伝説で自作が理解されず酷評され・・みたいなのがあります。
でも実際は生きている時から他所から演奏したいみたいな話とか相談を受けたりということがあったようです。
もし自作の演奏を自分と全然違う解釈で聴いたときマーラーはなんて言ったかな・・
きっといいと思えば褒めただろうな。
逆に馬鹿正直にやろうとした指揮者にうんざりしたみたいな話はありますね・・

トスカニーニが指揮するボレロを聴いたラヴェルは怒ったんだっけ?・・
テンポが倍速いみたいな作曲者の文句を聞いたトスカニーニはそんな葬式みたいな音楽はおかしいだろみたいなことを言ったんだっけ・・

必ずしも作曲家の考えがBestというわけじゃないとは思うんですよね。
だからといってやりたい放題やっていいというのも違うと思う。
これが決定版、後はダメみたいな考えは一番よくないと思います。
CDのレビュー欄にもいますよね。超一流リスナー自認な人。オーディオ界にも・・
いたっていいのか・・

波形の話で終わるつもりが話がよそへいってしまいました。楽しいねー
いろんな曲や演奏の波形を眺めてると何か色々発見できるんじゃないかと思ったりして・・

これのどこが面白いの?という人もいるでしょう・・
くだらないとか言って怒る人もいるのかな?いそうですね。
こういうのを見て何か読み取れるんじゃないかとくぎ付けになったり、もう何か気づいちゃったようなあなたはマーラーみたいな音楽が大好きでしょう?

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