遠くで

昔連休になると北海道に出かけたことがありました。
4792.png
海の向こうに見える山は利尻山、太陽が沈んでいくのは礼文島。
これも5月。
初めて行った時だったかな?
この場所がとても気に入ってその後何度も行きました。
昼間の雪をかぶった利尻を見てみたかったんだけどなぜかいつ行っても雨か曇り。
美しい夕景は色々見ることができたのですが雪をかぶった昼間の美しい利尻は結局まだ一度も見ることができていません。
夏の真っ黒い利尻と夕刻の神秘的なり利尻は何度かみることができた。
誰もいないここに誰と話すでもなくずっといたりして・・
なんでそんなにここに惹かれるんだろう?
一時は死んだらここに散骨してもらおうなんて思ってた。
でも冬の厳しさを考えると嫌だな。
死んだら冬寒いも何もないのかな。
サントリーホールの地下へ納骨みたいな事業をやってくんないかな。
池袋の芸術劇場の地下だとホールの位置が高すぎて音楽は聴こえなそうだ。


https://www.youtube.com/watch?time_continue=1294&v=qGkQmTAVK04
NACHTMUSIKと題されたマーラーの交響曲第7番の第2楽章は夜の音楽。
これと第4楽章は交響曲より前に完成していてここをコアに交響曲が企画されていったらしいんです。
4777.png

冒頭ホルンの1番と3番による掛け合い。
エコーじゃないですね。
ここで叫ぶとどこか谷の向こう側で答えるみたいな・・
主と副じゃないですね。両方主。
リアルにここと遠くのどこかとかじゃなく、自分との対話のようにも聞こえるし・・心象風景的な・・
ここは舞台上のホルンに舞台裏のホルンが答える・・というイメージがあります。
実際聴いているとそう聞こえる録音がある。このショルティーのもそうですね。
でも昔行った実演では3番もふつうに舞台上にいて思い切りでかい音で答えていました・・
スコアを見ると1番に rufend(叫び?)、3番にantworten(応答?)みたいなのは書いてあります。
でも舞台裏という指定は見当たりません・・
どこかに書いてあるのかな?
書いてないのかもしれないけれど、舞台裏でやっているのを聴くとやたらに説得力がある。
マーラーならそうするだろうという思いがある。
同じ楽章で出てくるカウベルには舞台裏の指示があるので、なんとなくそこにいていいような・・
でも書いてないんだね事実は。
マーラー自身が指揮した際に舞台裏でやらせてた・・みたいな記録かなんかがあるのかな?

音楽的にはベルリーオーズの幻想交響曲の第3楽章「野の風景」でイングリッシュホルンと舞台裏のオーボエとが掛け合いをする場面が思い出されます・・
マーラーはこの曲が大好きで演奏会で特別多く取り上げたようです。

4778.png
オーボエのところのderriere la sceneは舞台裏という意味だと思う。

ベルリオーズの野の風景は服毒自殺に失敗したおっさんの夢の中なわけですが、
マーラーのこれも単にどこかの純世界感みたいなものを想定しても仕方がない。
人のいる夜の街だったり誰もいないアルプスの牧草地の夜みたいなところだったり夢の中か・・
この楽章は交響曲全体の前に完成していてもう一つのナハトムジークと合わせて交響曲が企画されていったようです。
作者はこれは売れると思っていたようですけどね。100年かかりましたね人気が出るのに。


私は飲まないので夜の街みたいな写真はありません。
どこか出かけてうまいもの食おうと思ったらそういうとこなんでしょうね。
4799.png
線路最北端。
再開発でこの景色今はもうなくなっちゃったんですよね。
そりゃどんどん変化していくよね最果ての駅だって。
いんだよそれで。

北海道なんかの旅行記を見ていると旅人宿というか昔のユースホステルみたいな宿で楽しく語り明かしたみたいな話が定番ですが
私はあれも苦手。どうしようもないねほんとに。
マーラーのこの楽章のホルンは私の感じるところでは孤独な心を表していると思う。
マーラー自身は別に孤独な人では全然なかったけれど、それは今関係ない。
中間部で鳴っているカウベルは牧草地の描写のようでもあるけど6番のどこだったかと同じ、遠くにみんなの姿が見える・・寂しさの表現・・かもしれないなと思ったりして。


私は何ができて何をしたくてどこへ行きたいのか。
何をすればいいのか。
なにをもやもやしてるのかもよくわからないんだけれど。

旅行もできないんだけれど、一日ぼーっと列車に乗ってどこかへいっちゃってみたいなぁ。
いまみんなロングシートになっちゃってあれだったりもするんだけどまぁそれは置いといて。
みたいなぁじゃなくて行っちまえばいいのか。
日帰りで誰にもバレないように帰ってこれてかつ旅情を感じる工程を組めばいんでしょ。
そんなことやって何になるのかって、何にもなるわけないよそりゃ。
実際に行けるかは問題じゃない。
そのくらい口に出して何か調べてみたりすればまた違うかなと思って。

サロマ湖

中学生のころ、机に向かって勉強するふりをしていたけれど実際勉強なんかするわけなかった。
やってる感を出すため本やノートを広げてはいたけれど実際は百科事典や地図帳を眺めていました。

地図上の鉄道路線をなぞって移動し周囲に出てくる地名や地形を読んでその場を想像したり・・
今ではみんな廃止されてしまいましたが30年くらい前までは北海道のいたるところに鉄道が敷かれてそれを乗り継いでくるくる回ることができていたと思う。
稚内から南下して名寄を通って東の海に出ると湧別。まだ湧網線という路線がまだ地図に載っていた。
その路線に沿って移動し始めると・・

4632.png

サロマ湖。
確かまず名前に笑ったような。
なんでカタカナ?みたいな。
いまじゃカタカナの地名なんか結構あるのも知っているけどなんでも最初に見たときのインパクトはでかかった。
次にこの形。海と薄皮一枚で隔てられている・・なんだこれ千切れちゃわないのか?・・
よく見るとその薄皮にはちょっとだけ切れ目があって海とつながっていた・・・
何だか知らないけれど地図の中に見つけたこの世界に魅かれ、いつか絶対行ってみたいと憧れました。

その後しばらく腐ったりしていたので、
実際に行くことができたのは30過ぎてから。
レンタカーでその湖畔まで行ってみてもあまりのでかさにあのへんてこりんな形は何も実感できない。
しかしガイドブックには載っていないローカルな展望台が存在することを事前に確認してあった。
細い山道を車で登り・・あれ砂利道になっちゃったけど大丈夫か?・・・
たどり着いたサロマ湖展望台・・子狐がちょこちょこ走っていたりして・・
さらに徒歩で土の階段を上り山の上に出れば立派な展望台が・・・だれもいない・・
4106.png

すげー!
感情がないとか言われた私ですが一人でかい声で叫んでしまいました。
写真では伝わらないけどひんやりした空気も含めて私の夢に見たような世界が巨大スケールで目の前に現れたんだから・・
写真撮ろうにも広角レンズかなんかじゃないと入りきらない。
そもそもそんなカメラなんか持ってない。
あの切れ目も見えてら・・

このギャップみたいな一瞬の間が音楽の中で重要な役割をすることがあります。
マーラーの交響曲第7番第1楽章。
再現部に入り序奏の再現が終わると第1主題部に入りますが、第1主題をちょっとやると

3202.png
最後にルフトパウゼみたいなのが書いてあります。
ただ ’ があるだけではなくてなにか書いてある・・
3204.png
Cäsūr 切れ目?

3203.png
ふっというを開けろと言いたいんだと思います。その後、ばぁーっと走り出します。
水道のホースを手で一瞬停めてパッと話すと ダー!と爆発的に出たりしますがあれみたい。
こういうの名人芸的な場面だと思うんだけどなぁ・・
指揮者であったマーラーはこういうのもうまかったんじゃないかな。


ショルティ、シカゴ響・・
空白の間にせき止められたエネルギーが解放されてどっと出る感じ。
マーラーが考えてたのもこんなじゃないかなぁ・・と思わせてくれる。



ブーレーズも思いっきり空白をためていい感じです。
面白いのは指揮姿で、んっ!!とかやらずに
・・はい・・
みたいな・・と書いたのは実は半年以上前でliveの動画削除されちゃったので代わりにCDから・・


バーンスタインは空白がちょっとありますが、大袈裟にやらずに自然な感じですね。
ニューヨークフィルのもこんな感じでした。

マゼール

絶対素直じゃないんじゃないかと期待させてくれるロリン・マゼールですが、期待通り?空白なしで突っ込みます・・
わざとでしょ?


マーラーと直接話したことがあるクレンペラー。
本のインタビューでマーラーの曲では7番が最も優れていて好きだと言っていました。
この人はもう前後のテンポからしてものすごい世界に行ってしまっていてここがどうとかいうんじゃないですかね。
このテンポじゃ突然の空白も生きないし、そんなんじゃないとこに力が流れてるというか。

実はこの聴き比べみたいなのは半年以上前に書いたものなんですね。
半年たつとブログのトーンや方針も変わって来ていて自分で読んで違和感を感じたりして・・
まあいいか。
ここ面白いんですよね。
私はショルティーのダム決壊みたいなのが好き。

中学生の頃いつか列車で北海道を旅することを夢見た。
4637.png
でもそのすぐあとに北海道の赤字ローカル線はみんな廃止されなくなってしまいました。
北海道にハマってやたらに通うようになったのは夢ももう忘れてしまっていた30過ぎから・・
移動はレンタカーが中心で汽車旅はあまりできなかったけれどそれでもいくらかは乗ってもみた。
それができたのもつかの間、事情を抱えて旅行も行けなくなってしまいました。
まあそれはそういうものでしょう。
人生、やりたいことがあったらやれるうちにやっておくべきだろう。
当たり前にできたことができなくなる障害はいつやってくるかわからない。
普通の人はそんなことわかっていて若いうちにやりたい放題やってみるんでしょうね。
若かった私に言ってやりたいけれど、
考えてみるともっと年老いた私が今の私に向かって同じことを言っているかもしれない。

もうちょっとむちゃくちゃしてもいいんだろうなぁ・・
心を羽交い絞めにしている物を壊さないと。
あっという間だもんね月日が経つのは・・

伝えたい一心で

これも一部の人にだけ有名な話なんですが、
4230.png
地図上に新幹線の文字。
でもあたりに新幹線を示すものは何もありません。
上の方に見えている鉄道は在来線で全く関係ない。
この新幹線というのは地名なんですね。
今は新幹線が走る新丹那トンネルを工事する際、その作業員宿舎がここにあって新幹線と呼ばれていた。それが地名として今でも残っている。
・・という豆知識みたいなのを本で読んだのは小学生の頃でもう35年くらい前か。

余計なことを書かせていただきますと、
この工事は新幹線よりさらに古い時代の計画で日本坂トンネルとともに戦前に着工されていました。
弾丸列車と呼ばれたその計画は下関から船で満州に連絡する・・みたいな話だったと思う。
工事は戦争で中断してしまったけれど、その後新幹線計画に組み込まれこのトンネルは生きることになった。
面白いと思うのは、まだ世間は新幹線という言葉をしらない頃からここには新幹線という言葉があったんだなという事・・

4229.png
現地に行ってみるとこんな表示を今でも見ることができます。

子供のころこの話をある子にしたらそれは地名じゃなくて線路を指してそう書いてあるんだよおまえは馬鹿かみたいな反応が返ってきたのをよく覚えてる。
まぁそうなっちゃうよなと思いつつ、伝わらないもどかしさを覚えた。
彼は今どうしているかな?
こんな住宅地に家を建てていたりするんだろうな。
俺はあの時のまんまだよ今も。



3257.png

3258.png
マーラーの7番第1楽章の第2主題に入ったところ・・
あーこれマーラーだなーという景色です。
アクセント的前打音、あえて不一致なオクターブ、微妙にずれた伴奏の細かい音型・・



たくさんついたフェルマータにN.B.とあります。
N.B.は注意事項みたいな意味でこれがあったときは欄外を見る。ドイツ語読めないけど。
「このフェルマータは止めろという意味ではない。ちょっと引き延ばすだけである。また、drängend(せかされる・・普通は書いてあると加速すると思う・・)はフレージング上の指示であり、控えめに扱われること・・」
マーラーという作曲家のスコアを見ているとこうした文字による指示がほかの作曲家に比べて極端に多い。
それも単語じゃなくてオペラのト書きみたいに文書が書いてある。
巨大オーケストラを使った複雑で魔法のようなオーケストレーションをする作曲家というのは他にもたくさんいるけれど、文字なんて全然書いてないものだ。
このあたりがこの作曲家の大きな特徴の一つだと思う。
作曲家の枠を超え譜面を通して時空を超えた未知の現場で指揮をしようとしているのだ。

楽譜というのは音楽の骨格が書いてあるだけで肉付けするのは演奏者だ。
演奏者に言わせれば肉付けなんてしてませんただ楽譜を正しく音にしただけですというんだけど、その正しくというのが人によって異なる。そこに面白みや芸術性みたいなものが生まれるわけだ。

指揮者でピアニストでもあったマーラー。
変に馬鹿丁寧にやろうとする演奏を聞いて馬鹿じゃねーのかみたいなことを言ってるのを昔どこかで読んだ気がする。
この人はその瞬間に生まれるなにかみたいなのをすごく大事にしたと思う。
同じ公演でも毎回全く違うものを聞かせたりとかしたんじゃないかと思う。
一方、作曲家としては自分の頭の中で鳴っている自作をそのように演奏してもらいたいいう思いも強くあったし、奏者次第で全然違うものになってしまうのを誰よりもよく知っていたということでしょう。
自分の頭にあるこれを何とか伝えたいと思い、楽譜を通して指揮をしようとするマーラーをここに見る気がする。
仮に、マーラーの意図がここでうまく伝わってない演奏が生まれちゃったとしてもいいの。
ここにこんな楽譜の景色が生まれているということ自体が面白い世界で私を楽しませ考えさせてくれる。


自分の発言を相手は自分の意図と違うように受け取っていることに気付き驚くことがあります。
(私からみると)明後日みたいな方向に曲解して食って掛かったような反応が来ると情けなくめんどくさい気分になったりする。
しかしそんなことが起きるのは当たり前のことだし、誤解しそうな相手に誤解しそうなことを言うのが間違いなのかもしれない。
大人というのは仮にそうなってもうまくやれる人のことなんでしょう。
私は大人じゃないみたいだけどまあいいかそんなのは。

最近いろんな人のブログを読んでいて、多分書いた人は全然そんなことは言っていないんだろうと思いながら全く別なものを読み取っていることを自覚することがあります。
私に生きるヒントをくれているんじゃないかと思うようなことも多い。
その折角のヒントを毎回全く生かせないところが私らしさでもあるんだけれど。

物事は正しく伝わるべきなんだけど、それだけでもないのかもしれない。
音楽なんか作者も気づかなかったすばらしい世界というのがあるもんね。作者が作った世界なはずなのに。
多分これだって読んだ人によっていろいろ違って見えるんでしょうね。
これはどうでもいいけどさぁ。

鼓笛隊

3392.png

私は団塊ジュニアというやつみたいで、人口増加のピークの年の生まれです。
小学校は生徒数増加に対応するため校舎を増築していましたが間に合わず、臨時で建てたプレハブを教室にしたりしていていました。近くに新設、分校する話が結構前からあったみたいですが、生徒数が減少に転じてしばらくたったころから工事が始まり出来上がったころはもう的な。
先日その小学校で運動会がありました。
鼓笛隊の音が聞こえてきたのでのぞいてみると人数が少ないので広い場に少人数がさばけて全員主役みたいだ。結構衝撃的だった。
がんばれがんばれ。
そういうの大好き!という人もたくさんいるんだと思いますが、とにかく人前に出るのが嫌だった私があんなことになったら何かトラウマになっていたかもしれません。
私のときには人数が多かったので少数の太鼓隊の後ろに大量の子供が列を作って続き、洗脳された子供が街から連れ去られる場面みたいでした。大多数の中に紛れて身を隠したかった私にはちょうど良かった。
でも、今でも譜面に起こせるくらいにあのリズムパターンが頭の中で鳴るのは興味があって好きだったからだと思う。本当は自分だってやってみたかった・・

幼稚園というものに通いましたが、あの頃はまだ人前ででっかい声で歌って踊ったりするのも楽しかった記憶があります。
太鼓をたたかせてくれたら楽しくやれたかな・・・でもまだそういうのなかったんだよね。
その後、太鼓隊みたいなものを導入したらしく妹が出演するというのそれ系のコンクールみたいなのを見に行きました。
その時小さな男の子が胸の前に音高の異なるいくつかのドラムをさげ、かっこよくソロでたたいていたのが印象に残っています。
もう幼稚園くらいから目立って特別な子というのがいるんだよね。
あの子だってもうおっさんだよな。その子供が中学生くらいかもしれない。
出世してえらくなってるかな?
音楽やってるかな?

鼓笛隊といえば、昔マーラーの交響曲第7番のフィナーレ冒頭を


初めて聞いたとき、あの時に見たあの小さな男の子のドラムを思い出しました。
記憶の底に貼りついていた映像がよみがえってくるみたいに。

1057.png

演奏にもよるし、最近はそうでもなくなってきたけれどまだここにだけ違和感というか抵抗感を感じるんですね。
もっと言えば嫌いだった。
始めのうちはこれを恥ずかしいと思ったり、「何やってんだよマーラー」みたいに思っていました。
ティンパニが裸で旋律をたたいて始まる・・なんていう場面は沢山あるし、仮にへんてこりんな音楽だとして・・そういうの大好きなはずなんだけどなぁ・・このハ長調の能天気さが嫌なのかなぁ・・
子供のころ見たあの太鼓が目に浮かぶのは何なんだろう・・・

この記事を書いたり消したりしているうちに自分はここの響きに曲と全然関係ないトラウマやコンプレックスを引っ張り出されているんじゃないかという気がしてきた。
音楽ってすごいね。
その出てきた嫌な気持ちが曲への拒否感にすり替わっているというか・・
ここを何のこだわりもなく楽しく聴けるようになったら私の心の整理も完了ということで。

ティンパニ冒頭にはmit bravou・・華麗にとか見事にみたいな感じ?
導入としてとかじゃなくて冒頭から一人ド主役ですよね。
昔見た幼稚園のソロはmit bravouでした。

テンポとしてAllegro ordinarioなんて書いてありますが、ordinarioというのは古い音楽にあるような指示で、マーラーの時代には使わなかった言葉だとどこかで読んだ気がします。
そうするとこれなんなのとかいって気になりますよね。
普通のアレグロくらいの意味しかないんですが、もっと何か違う謎をかけてるんだと思う。
この楽章ボーと聴くと能天気なお祭りみたいだけど、かなり複雑でいろんなお楽しみ仕掛けが隠されているんですよね。
さぁ、どこまで見つけられるかな?みたいな。
逆に2番を聴くように妙な筋書きを探ろうとして聴いてるとなんだかわけのわかんない駄作に聞こえちゃうと思う。

本当はいろいろ楽しいとてもいい曲なんだよね。


いわずじまい

3242.png

マーラーの交響曲第1番なんかは初めて聴いたその日から魅了されてしまいました。
でも7番は正直最初は何がおもしろいんだかさっぱりわかりませんでした。
聴く前に本で駄作扱いされている的な話を読んでしまったのもいけないかもしれません。
自分にこの作品が見えていないだけなのを作品のせいにしちゃって・・
良さに気付くのに、20年くらいかかったりました。

音楽以外にもそういうことがいろいろあるかもしれません。

本当は音楽って前に出てきたのを踏まえて後ろがあるんだから前の方から書いてかなきゃいけないんでしょうけど、いい加減に思いついたことを・・

夜がテーマーのこの曲、第1楽章の展開部は
暗いお堀のそばで柳が揺れる・・そこにはムジナ・・みたいな序奏の音楽と
猛然と走りだしてかっこいい・・と思ったらタンバリン持って陽気に歌いそうな謎の夜の神・・みたいだった第1主題
が入り乱れて騒いでいるんですが、何とかして
月明りの下、美しく光る夜の女神(第2主題)を呼び出そうとする・・そして・・

みたいな流れを感じるんですが・・


その女神の主題はヴァイオリンが旋律を歌い他の弦楽器の複雑で柔らかいベールみたいなものが・・という書法で
4番の3楽章くらいで目覚め、5番のアダージェット、6番第1楽章の第2主題などで花を咲かせてきたあの手法ですね。
オクターブのバイオリンがただ進むんじゃなくて片側すーっと消えたり出てきたり、少しずつずれていたり・・しながら美しいエロ世界みたいなのを作っているという・・

3249.png
こことか・・・なんとなく聴いちゃうとただのオクターブですが・・よく見ると下にだけ全打音があるとか、上だけトレモロやってるとか、途中から2番が上になってとか・・
なんか細かいことになってるんですよ。
これ見ちゃうと聴き取ってやろうとか思いますでしょ?
多分、全部聞きとれなくていいんでしょうね。でも素直にやってるのとは違う何かが受け取れたらいいなみたいな・・

なんども出てくる全打音付きの深いターンみたいな音型は5番のアダージェットを思い起こさせますよね。


3250.png
ちょっと手前第2バイオリンに出ないはずのFisが括弧つきで書いてあります。
そんなつもりでってことでしょうか?

この展開部に現れた第二主題が支配する世界・・異様に明るい月明りのもと、美しく歌い盛り上がっていく・・・
ちゃんと周りで第1主題とか序奏の旋律がまわりでいろいろ絡んで展開部してる・・
主役で歌ってるのは女神だけど・・すぐそばには夜の神が・・

3237.png

一度頂点に達した後、再びゆっくりゆっくり登っていく・・・ついに本音を告白するのか・・・・聴いてる方ももう拳に力が入って!!・・
というところで突然、


3238.png
暗い序奏の音楽が出てきて再現部に突入しちゃうんですよね。

世界最高の美しく幸せな雰囲気の中、女神が夜の神に向かって「私はあなたを・・」・・ボツ!・・むじなでございますぅ・
なんだおい!きえちまうのか!?最後まで言ってけよてめー!
みたいでしょう。

その後の胡散臭いムジナの音楽が
コントラバスがズズーズズーとか言ってるのがちょっと笑っちゃうでしょう・・これとトロンボーンが掛け合いをして・・
そこへまTテナーテューバが「いや、主役俺だから」とか言って出てきて歌いだす・・・
関係ねーよとまた主役取っちゃうトロンボーン・・・

3239.png
みたいなことをやってると黙ってたホルンが「ほんとの主役は俺だけどね・・」とか言ってかっこよくみんな持っていっちゃうんですよ・・
その先、ホルンが作ってくれたすごい勢いに押されたティンパニや弦のトレモロに乗ってオクターブのバイオリンが再び絶唱する・・

やった!女神また出てきてさっきの続きを歌てくれるんでしょ!?
っと超期待感で盛り上がった次の瞬間
女神の顔は化け猫に代わっており・・・
また暗い闇の中でムジナな世界へ・・

マーラーが何を考えていたかは知らないですが、ここ最高に面白いと思うんですね。いまは。
これ曲を聴きなれないときはせっかく出てきた第2主題を十分に歌い切らないまま訳の分かんない序奏の中に停滞しちゃって・
なにがいいたいんだかわかんねーよなんだこりゃぁ・・なんて思っていました。
この女神復活がフェイントなのも許せなかった・・


3252.png
聴き手としてはなんかこう言う・・ああよかったなーみたいな幸せ感に浸るというのをのを期待するわけで・・
こういう中断みたいな手法はその辺にもたくさんあるんだと思いますが、このどうしてくれる感が・・
それがまた再現部突入のところにきているのも・・


ソナタ形式で展開部が終わって再現部に突入していくところというのは作曲家の腕の見せ所なんですよ。
いろんなやり方があるんですけど、その二つの結合力がどれだけ強いかみたいなの・・
こんなパターンもあんのねというこの曲。

文句めいてもいるけどこの女神、再現部でまた現れてくれます。
そこではもうちょっと本音を歌ってくれてると思う・・
手前でこれだけじらされてるから、あそこにあんなに浸れるのかもな・・
そこもまた・・最後はじゃまたねっ!みたいにどっかいっちゃうんだけど。

3253.png

じゃまたねっ!な付近
景色的に6番の残像みたいなものも感じます。
この最初のターラッターというフレーズはマーラーの曲のあらゆる場面で見かけます。
彼の口癖みたいなもんですよね。

訳の分からないと思った音楽も20年後に大好きになったりしますので、今好きでない曲もいつか・・みたいな適当な期待感があります。適当に楽しいですよ。

みがまえる

1206.png

この絵面白いですよね。
マーラーがどんな指揮をしていたか、どんな演奏をしていたかを想像させてくれる。
でもこれ、インパクトのある場面ばかりを集めているから全体的にどうだったかをここから感じちゃうのは違うのかもなぁ・・
バーンスタインの指揮なんかこんな感じですかね。あんな飛び跳ねたりとかはしなかったんだろう。ここに描いてないし。



楽譜を見てるだけでで楽しくなっちゃう作曲家マーラーの交響曲7番で1楽章の再現部で第2主題部へ入っていくところ、

1145.png
最上段にNB.↓ というのが書いてあります。
NB.というのはマーラーのスコアにはよく出てくるんですが、「注意」ですか・・欄外をみるとごちゃごちゃ書いてあるワクワクポイントですよ。
ドイツ語読めませんが、「↓ ここで全員身構える」だったと思います。
これは見た目的な指示じゃなくて、そういう音で・・という意味がまず来ると思うんですけど、見た目的な格好も演奏の一部ですもんね。
よくジャケ写で指揮者やピアニストが会心の一撃みたいなのを降り抜いてるところ・・のけぞるというか・・あんなのでしょう・・

音的には全員がそろって尋常でないないアクセントみたいなのがかかった音・・
無理矢理止められてたエネルギーが一気に放出される!みたいな感じでしょう・・

どちらかというと作曲家じゃなくて指揮者が練習で言うような内容じゃないかなぁこれ・・

ついてる強弱記号が全部ffなんじゃなくてsfと描き分けてるところがマーラーですよね。
その前の小節もいろんなパートへのダイナミクスの指示がみんな違ってたりするでしょう・・
こういうの見てると、ただ情熱的に動き回るだけの指揮者じゃなかったと思うんだよな・・
無駄にパフォーマンスみたいな動きをする指揮なんかくだらないとか言ってたような気がする。



ショルティ、シカゴ響・・これですよこれ!
ちゃんとここで音が爆発的に解放されてます・・
っわぁー!!!って・・
しびれますねぇ‥


YouTubeで映像的に身構えてるのを見ようと思ったんだけど・・なんかみんな以外と普通なんだよね・・
まぁ見た目はいいとして音もふつうにサラット流れちゃってんの・・
なんだよこれ、それじゃマーラーの音楽じゃないじゃんか・・


演奏でスコアの細かいところに気付かせくれるブーレーズ。
でもこういうのは嫌いなのかも・・
この音はむしろ若干抜いてる感じ・・これわざとでしょ?
ここはこうだけど、ちょっと聞いた印象ではこれもいい演奏ですねこれも・・
管楽器旨いし・・

いかにもやりそうなこの人

指揮者はやってますね・・この人書いてなくてもいつもこんなだけど・・
肝心の音はどうでしょう・・ホルンは答えているけど・・もっとバァーって・・・きてもいいんじゃないかなぁ・・
録音の関係でそう聞こえるだけかもな。


この先、弦を主体に第2主題の変形を歌いますが私はここが大好きです。
いろいろカッコつけた演出や芝居を見せてくれてきたんだけど、ここへきてこの作曲家やっと本音を歌い出しやがったな・・みたいな・・
それも演奏によるか・・
ここは歌ってほしいなぁ・・
いい曲だなぁこれ・・


手抜き?解釈?

1150.png
マーラーの交響曲の第7番にはグロッケンがオクターブでトリルをやるところが何カ所かでてきます。
一人がバチでオクターブのトリルをたたくというのがどうしても想像できない・・たぶん不可能でしょう。
どこかにできる人もいるんだろうけど、そんな曲芸をみて喜ぶとかいう場面じゃないし・・
ラヴェルででてくるあのチェレスタみたいな鍵盤付きグロッケンなら・・でも実演にいったときあんなのあったっけ?

1148.png
と言うことでフィナーレの該当個所をみると・・いかにも二人でやってねと言う楽譜・・mit beiden handenは二人でと言う意味?

しかし映像作品みたいなもがたくさんでてくるけど、何でここ大事でしょってところが映っていないんだろう?
指揮者の表情が重要な部分ってのもあるけど、ここそれじゃないでしょってとこでもおやじが映っていて・・・
でブーレーズが指揮している映像をみると二人どころかグロッケンを2台置いてやっているのがしっかり映っています・・


へーこれ面白いよね!

もう一つハイティンクの古い映像ががあったんだけど・・・
記事上げる前に削除されちゃってみられなくなってしまいました。
一人でやっているところが映っていたんですよね。
たぶんトリルはやってなくてオクターブのトレモロで・・聴いていて違和感は感じなかった・・
楽譜通りではない訳ですが・・・これは手抜きと言うでしょうか?こういう解釈といえるでしょうか・・
よく、そういう風に聞こえればいいんだよ!と演奏者はいいます。
でもマーラーは目で聴く作曲家ですもんね。

1楽章にもあります。
1149.png
ここは二人でと言う楽譜になっておらず、ふつうに書いてあります。
ちがうか、5線は一段だけど縦の棒でつながってないところが二人でやってよという意味なのかな・・よく見ると休符も2パート分書いてあるのか・・
それじゃ一人でやってる演奏は楽譜通りじゃないってことなんじゃ?

ハイティンクのはやっぱり一人・・・って消えちゃってみれません。
ブーレーズのは映ってなくて解らない・・

マーラーが鍵盤付きグロッケンを知ったらやっぱりそれ相当の何かを書いたかな?
考えたってしょうがないか。

この曲、マーラーが自分で振ることのできた最後の曲ですね。
調べないで適当な記憶で書きますが、コンセルトヘボウだったっけ?
同じシリーズで何夜か降ってそれで終わりだったと思う。

この曲相当な自信作だったらしいし、突然の感染症による死がなければ何度も取り上げたでしょう。
このグロッケンみたいなところに対する具体的な解決策もスコア上に明確化されたと思う。
さらに、作者の期待とは裏腹に長年駄作扱いされてしまったこの曲の未来も違ったんじゃないかという気もします。
考えたって仕方がないことではありますが、
マーラーが好きだと思うとそんなこと言ってみたくなりますよね・・











継ぎ目

聞き流せばいいことなのに、たまたま知ってると調子に乗って間違いを指摘したくて仕方なくなるようなことがあります。
そういう時はたいていみっともない結果を招くだけなので、黙ってた方がいいと思うんです。
でも書いちゃうそういうの・・

よく、テレビやネット上で電気柵を指して「高圧電流が流れる」みたいな表現を見ます。
先ほどもあるニュースの見出しでそれを見た。
電流は回路が形成された時に印加電圧と回路のインピーダンスに応じて流れるものなので、この場合「電流が流れる」は間違いだ。
そもそも高圧電流という言葉自体がおかしい。漫画の世界みたいだ。
書くなら柵と大地(だいちじゃなくてたいち・・アースでいいか・・)の間に高電圧が印加されている・・くらいでいいと思う。
一般の人が間違ったって何も問題ないし微笑ましいくらいなわけですが、新聞に書いてあるとするとこれはかなり違和感を感じる。

時々電車(のパンタグラフ)が架線の継ぎ目であるエアセクション上に停車して架線やパンタグラフを溶断させるという事故が起きます。
昔見たある新聞の見出しに「熱に弱い新幹線」みたいなのがあった・・・
確かに溶断の原因はアークの熱ですが・・でもそれは事故の過程のごくごく一部なのであって、事故の発生原因はもっと別なところから考えなければならない。
問題点は熱に弱いところだ・・とも読めるこの見出しにはかなり違和感がある。
訳の分からない人間が説明を理解もできないまま、とりあえず受けた印象をスケッチのように書いてしまったような・・・
新聞の見出しとしてはかなり稚拙な表現であると思った。
一般人がブログに書いているのならそれでいいと思う。
新聞はブログレベルなのか?
記者自体はいちいちいろいろなことの専門知識をつけてなんていられないだろう。
だったら専門家に文書をチェックしてもらうくらいすべきで・・多分やっていないんだろうそんなこと。
上司みたいなこの記事を承認した人間もこれでいいと思ったんだろうか?

新聞などは何かあるとすぐに鬼の首を取ったように「ずさんな管理・・」と書き立てますよね。
でも自分のところの記事管理も相当ずさんなのではないか?

偉そうに書いたけど私の人生管理のほうが相当ずさんです。
ごめんなさい。
マラ7の唐突な音楽的継ぎ目の話でも・・・

マーラーの交響曲第7番

1059.png
これでこの曲作曲したんじゃないかと・・違うかも

マラ7を初めて聴いたのが大学に入って最初の夏休みだった。
アルバイトをしていて帰ってくると聞いた。
遊ぶ金がほしかったんじゃなくて電子ピアノを買おうとしていたんだった。
今若い子がそんなことをしているのをみたら「そんなこと湿ってようなことをやってないで今しかできないことをやれよ」なんていうかも・・・

最初にいい意味で衝撃を受けたのはここ。

798.png
ロンド形式でAからBに移行する部分ですが、ど派手な玄関で立ち話をしていたんだけど、まあ上がってと言われて中へ入るような場面のようで・・
いやちがうな、主人が目で合図をすると一瞬で全然違う部屋の中にいるんだよ魔法みたいに

ここでハ長調の派手な伸ばしから変イ長調の柔らかい響きへ、ブリッジもへったくれもなく唐突に切り替わる・・
Cの音だけは繋がっているけど、えっ!?なに?・・みたいな驚きが来ます。あっ魔法だこれと思った。
こんなのはこの曲より前にはなかったんじゃないか・・
たくさんあったりして・・
よく見ると2つの和音は八分音符一つ被っていて、異常なほど唐突な切り替えを狙っています。
急に別世界に連れていかれる・・・
かなり挑戦的にやってますよねこれ・・・
こういうアイディアは誰でも思いつくことだけど、作品にもって世間に問うというかステージにのせちゃえるのはこの人だからという感じですよね。

この場面は重要というか名場面というか、作者も気に入っていたのか、曲の最終場面で再現されます。
799.png
ハ長調の音楽が最終和音に飛び込むかというところで金管がにまさかの変イ長調主和音が出てきてフェードアウト・・
えっ?てとこにハ長調主和音がおしまい!という感じでたたむ。

いいよねーこれー

ここを、あそこの再現だと気付かずに聴いていると、なんか変な終結だな・・ということになってしまうと思う。
昔ネット上でそんな感じのことを叫んでいる人がいた。

バーンスタインのCDはこの金管の音が消えたところからクレッシェンドしてきてハ長調和音につないでいる。
昔は同じユダヤ人でマーラーになりきってる・・みたいに絶賛されていたあの人だけど・・
あれは自分の好みなのかな?曲に不慣れな聴衆に受け入れやすいようにしてあげようという工夫なのかな?
なんであれ、あの人のかなり積極的な演奏解釈にはたまに拒否感を感じてしまうことがあります。
でもいいよねそれで、いろいろあって色々楽しめた方がいいんだよきっと。





闇の仕掛け

週開けてみたら、急に仕事が忙しくなっていました。ありがたいことです。
体調は薬を飲んでいるんですが、どうも悪化傾向で・・
また病院行かなくちゃならないかな・・

ヒグラシが鳴いていました。
もうすぐ夏ですね。
セミってヨーロッパにもいるのかな。
鳥はあんなに出てくるのに、セミは音楽に出てこないですよね。

1024.png

マラ7のスケルツォが影のダンスみたいで面白いわけですが、随所にその仕掛けがあります。
一度に書ききれないので思い付きで・・

1046.png
とりあえず始まってすぐのこのクラリネットの異常な下降指示なんかはお化け屋敷かって感じですね。
これは意識していればよく聞こえます。
ここせっかくですからコントラバスのピッチカートもちゃんと聞きたいですよね。


とりあえずとくに有名なこれから・・
802.png
オーボエにffffとか出てきちゃってるその先は
803.png
バシッ!

804.png
これですよ。
バルトーク以降の作曲家のスコアで弦楽器に地図記号の果樹園みたいなマークがあったらバルトークピッチカートと言って絃を異常に引っ張って指板にぶつける奏法の指示です。
バルトークの名前を持っていて彼が考案したみたいですが、その前からやってる人がいるんですね・・ここに。

下のほうにある注意書きはそれを書いてあるんでしょう。
fffffてのが楽譜の風景的に衝撃的で笑えます。
音量を示しているんじゃなくて異常な奏法を要求しているという事ですよね。

前出の類似個所は

801.png
ティンパニのfffです。
ここもティンパニが尋常でない音でたたいてくれます。
この楽章はティンパニが怪しく語る場面がたくさんあるんですよね・・
その手前、テューバの下降ポルタメントも面白い・・結構難しいらしいですよ・・
私はもちろんできませんよ。
その先、低域のフルート4本重ねとか、ファゴットが3オクターブでffとか闇夜の演出が面白すぎです。
素晴らしいのはその先の弦の下降するピッチカートですね。

1045.png

複数の影たちが何か言ってるんですよ。
影が語りだしてるんです・・
もうすぐ踊りだすでしょう。

2重テンポ マラ7

1004.png


局所的2重テンポがマ-ラ-の交響曲第7番にも出てきます。
第3楽章スケルツォ。
この楽章は夜のスケルツォですね。夜ですが、ノクターンみたいな静かで美しい夜ではなくて暗闇の怪しさというか・・
闇が語りだし、影が踊りだす・・みたいな音楽でまた各所にネタ満載です。
でもみんなここに書いちゃうとネタが終わっちゃうのでそれはまたということで・・
マーラーのスケルツォはみんな個性的で魅力的ですが、私はこのスケルツォも大好きなんですよね。
その終わり近くに

805.png
木管に極端に加速しろという指示(次の小節にa tempo)。
ヴァイオリンとヴィオラにあるTempo weiterは同じテンポで続ける?・・・
ワルツのテンポは維持しながら木管に出てくる音型は怪しく走り去るというか・・
面白いですよねこれ。

1小節の一言で短いため、聴いていて意外に気付きにくいとも思う。
フルートとピッコロがただ早い音符でなんか言っただけに聞こえる演奏も多い・・
普通に始まってんのに先に終わっちゃうとか、なんかこう異常な指示があったら異常なことがわかりやすいように聞かせてくれると嬉しいなぁ・・

ここで思うのは、やりたければこうやって細かく指示を書くんだなということで・・・
第3交響曲のスケルツォで鳥の声がメインテンポに追従しない・・みたいなのは面白いんですが、指示は書いてななぁ・・と
書いてないことはやらなくていいというかやっちゃいけないのか、そんなの書いて無くたって感じた通りにやればいいんだよということなのか・・

私なんかは両方聴いてどっちも好きですとか言ってればいいだけなんですけどね。



この曲フルート4本のうち一人がピッコロ持ち替えなんじゃなくてピッコロ要員もいて5人なんですね。でっかい編成・・と思わせてホルンは4だしトランペットもトロンボーンも3かぁ・・
最初に出来上がった第2、4楽章がNachtmusikでそ子から始めた曲だからか、間に挟まるこのスケルツォも夜のスケルツォですね。
第1楽章も月明りの下でいろんな音を聴いたり大騒ぎしたりしているような音楽だと思う。
とはいえ、この交響曲全体を「夜の歌」と考えるのは間違えだし訳が分からなくなるもとだと思う。
ハ長調の5楽章は確かに真昼の音楽みたいだけどそこに注目して夜→昼なんてとらえたりするとえらく陳腐な曲に見えてしまいます。巨人や復活みたいに聴く曲じゃない。
5番と同じ系統だと思う。
マーラーのある面での代表作だと思います。
最新の革新的で挑戦的な発想と技法をユニークな音楽にのせて高性能オーケストラとすごい指揮者でお届けします。
お楽しみください。みたいな・・
毎回同じようなこと書いてるかな年取ってきたのかな。
あの頃の自分に向けていってるのかな。
この曲を聴いたのは10曲の交響曲中最後でした。
事前に本などから入っていたこの曲への悪評に影響されていたと思う。

全然違うところに住んでいましたがなぜか町田へ電車で行き、商店街の中にあったレコード店で買った記憶があります。
東急ハンズというのに行ってみたかったんだと思う。
あの頃はどんな知らない街に行っても商店街を歩いて見るとレコード屋があって、クラシックのCDがそこそこ買えた。
商店街ではいろんな店が賑やかに人を呼んでいたような記憶が・・
最近ここだったのかなというところを歩いてみたけどもうレコード屋はなかった・・にぎやかさもなく、記憶と違いすぎるのでいろいろ調べてしまったけどやっぱりあの道だったんだと思う。
25年位前になるのか・・

買ってきて聴いてみたものの・・
冒頭から変な響きのわけわからない音楽に萎えた・・
テノールホルンの変な音色に萎えた。
ギターが出てくるというから過剰に期待していたところ単音がポンポン言ってるのを聴いて萎えた。
フィナーレ冒頭のティンパニソロを聴いて幼稚園の鼓笛隊みたいだと思い萎えた。

今思うとそう感じたのは曲のせいだけでなく、演奏の問題もあったと思う。
何度も聴いているといろいろ見えてきて部分的には気に入ったけど、
からっと全曲入っててきたのはショルティー・シカゴ響の録音を聴いたときでした。。
どうにも好きになれず聞く気もしないが好きになってみたいという曲はショルティのぶっきらぼうすぎるような演奏を聴いてみると良い結果につながった・・というのが何度かあります。

このスケルツォだけは最初から気に入ってよく聞いていた記憶があります。

この曲も無償に聴きたくて仕方がなくなる時期と、全く聞いても入ってこない時期が極端に交代します。
今はあまり聴いてない時期・・