お茶とか書とか

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これは先週くらい。
駐車場に車が一台もなくいつもは出てる旗も見当たらない。
あれ臨時休業かなと思うけどopenの表示を見つけて戸を開けてみれば
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この時間に誰もいない光景を多分初めて見る。
店主が私たちを見てちょっといい笑顔でいつも来ていただいてと嬉しそうに言ってくれたことが印象的で
それが何よりうれしくもう今年の総括みたいだ。
今日は広い所が空いていますから・・・とかもこれまであったことを覚えててくれるからでしょう?
それでこの柚子かミカンの皮湯は奥の茶釜からお湯を組んで持ってきてくれた。
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炭火とは凝ってるなと思ったけど近寄ると赤く焼けた電熱線。
でもいいじゃない。
加湿器もかねてるのか・・
昔一度だけちゃんとしたお茶の場に出たことがあって、先生がたてたお茶はとてもおいしいのに素人がやったのはわかりやすくまずかった。
あのとき茶筅だったか柄杓だったか持ち方がおかしいという事で先生が目の前でやって見せてくれるけれど私はどうしてもそれをまねることが出来ず・・
先日のレッスンで先生からこんなのは幼稚園でもできることですよ!なぜあなたにはできないんですか!
久しぶりに聴くなと思いつつここまでくると傷つくとか憤慨するとかでもないのは、自分のなかでそれが是なのか説明がついているからかもしれない。
最近急に出てきたDCDとか言う概念に対して実体験を語ることで誰かの役に立てないだろうか?なんて思ったこともあった。
あったけれど本当にそうしたいのか?と問えば違うかもしれないしってくるのは理解ではなくて嘲笑なのも理解してる。
そんなのいいから楽器が吹けるようになりたい。
もうそれだけ。
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肉か魚どちらを選ぶか問われてまた肉と言っちゃいそうになりつつ魚って言えよてめーと自分が言うからブリ大根。
さすが一緒になってゴトーっとした感じじゃなくこんな感じで出てくるのね。
これがまたいろんなものがそれぞれ丁寧に役をこなす重要な主役で・・それぞれが小さなアンサンブルを組んでるのね・・
マーラーの8番とか超巨大編成と言いつついつも全部が出てきてワーワー言ってるわけじゃないでしょあれ・・とか考えながら食って

https://www.youtube.com/watch?v=NSYEOLwVfU8&t=3431s
ここからしばらく澄んだ世界キラキラ装飾つき・・みたいな場面が続く。
その幕開けを告げるピアノとハープのアルペジオは
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自筆譜にはまだないのね。
その後もキラキラ要員のピアノは書いてないみたい。
そのままなんとなく眺めていくと今見て聴いて知ってるのとはだいぶ違う。
場に魔法をかけるため、作者が何を考えどんな仕掛けを仕込んで行ったのが解って面白い。
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それでなんで人がいないんだろう?確かに曜日がいつもと違うけど・・やっぱり感染症問題で?
と思ってたら人が入ってきた。
どういう集まりか旧知の中ではないようだけどそれなりに打ち解けた人たちは声の大きさが机からはみ出さないような節度を持っており、短い時間で飲み物を飲み終わると出て行った。
ギャラリーも兼ねているこのお店はこの日から展示が変わって今度は書道だとオーナーが紹介してくれた。
余計なことを書かなくてもいいけど私は書道もダメ。
下手とかとはちょっと違う異常な・・
この件もっといろいろ書いたけどわざわざ恥を晒してどうすんだと自分が言うからやめ。
誰かにわかってほしいという気持ちがあるんだろうけど、ダメだからそういうの。
今日も楽器を練習はいいけどアンブシャ間違ってるんだからと考えちゃえばまたなんにもなくなっちゃって昨日始めて楽器を持った人みたいですよ。
たまになるけどならない時もあるみたいな・・
普通の人間の間に入れば憎悪の対象となるところだろうけれど先生と一対一の関係なので何とかこんなでもこの先続けさせてもらいたい。
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相変わらずおいしいチーズケーキと、寒いからホットコーヒー
豆から特別みたいなコーヒーがいくつかある店なのにランチについてくるのは粉のクリープなのがちょっと面白い。
楽器をちゃんと習いに行こうと決意した時、ダメなら茶道でもいいと思った。
なんで茶道が出てきたんだろう・・あの時、吉野山のお寺でお香の香りに包まれたから?
あの柄杓が握れなかった記憶から?
行けばまたやる気がないなら帰ってください!みたいなのから始まるのは自構わないけど一対一じゃなく不特定多数の中でという場だと・・そんなはなしはいいか。
習わなくていいからどっか、お抹茶出してくれるところに・・
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食べてる間に日の光の角度がかなり傾いてた。
いつも話しかけてくれるあの人はいなかった。
料理はとてもおいしく、静かでゆったりした時間をもらえてまたよかった。

Tag:マーラー交響曲第8番  Trackback:0 comment:6 

行ってみたかった

晩飯を食ってる最中に嫁さんが、
ブログにどんなこと書いてるの?
書いてないよ。
・・・・・・・・
あなたのことは多分私よりブログを見てる人の方が良く知っているはず。私には何にも喋ってくれてないんだよ
みたいなことを言った。あなたなんて言わないけど。
言っていることはよくわかる。
だけど、じゃあと口を開いてみれば何かがペラペラ出てくるとかいうもんでもない。
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家のそばから山へ向かって伸びる道があり、幼いころからあの道はどこへ続いているんだろう?とずっと思っていた。
昔から国を守る擁壁ととらえられ歌に歌われるようなでっかい山だ。峠を越えるとそこには・・
何度か歩いてもみたけれど30年くらい前にできた基幹林道に到達するその先がずっと見つけられず謎が深まり私の中で知りたくてしょうがないことの一つとなっていた。
犬と歩いたときは楽しかったけれど犬が高齢化してしまいもう無理かな・・
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ここはたまたま日が差しているけれど、日本中のいろんな山と同じくこの山も杉と桧が植林されたのち放棄された悲惨な感じの森におおわれてしまい森に保水力がないせいか大雨が降ると道が河になるらしくえぐられて道と呼べる状態じゃない区間も多い。
生きていれば100歳どころじゃない近所の大おばあちゃんから聴いた、
旦那さんが朝三時起きで馬を連れてこの道を登り柴刈りに行ったという話は忘れられない。
道は峠を越え芦ノ湖のほとりにまで通じていたという話が特に。
何度も何度も頭の中でその様子を想像して・・
最近ふと気づいた。
その想像は私が見たのと同じうっそうとした杉の森に囲まれた真っ暗で湿ったイメージであったのだけど、国策で?杉が植林されたのは昭和30年代後半くらいなわけで昔はなかったはず。先月発見した地誌をまとめた本によると山はかなり高い位置まで開墾されており柴刈り場もたくさんあって野焼きをしたり・・実際は、明るく開けた道がずっと続いていたのではないだろうか?
そう思って昔の航空写真を見てみると
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昭和37年、ああ確かに開けてるし開墾された畑のようなものも見える。
杉の植林はすでに行われているけれどまだどれもかなり背が低く明るい日差しが地面に届いている様子も見て取れる。
二本見える道のうち左側が家のそばから続く道。
道に沿って等間隔に木が植えられ並木道みたいになっているようにも見える。
山の尾根を走っているから並木越しに遠くの景色が見える素晴らしい場所だったのではないだろうか?
ここへ行ってみたい。
今じゃなくこの時の・・・それは絶対かなわないことなのだけど。
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同じあたりの現在状況。
畑なんかあるわけもなく、同じ樹ばかり単色のうっそうとした森で覆われ道は見えない。
左の尾根に行きたかった道があるはずではある。
縦に走る黒い筋は大雨により山が崩れ土石流が起きた跡。この山水を受け止める力がないので15年前くらいからいたるところにこんな跡がみられるようになった。
中央下部には流木をせき止めるダム。
私が馬鹿みたいに楽器を吹き散らして山の神の顰蹙を買った場所。

何年か前にある人から聞いた祖父は自分で鉛を溶かして鉄砲玉を作るような旧式の銃を持って山中を駆け回り、シシをとっては温泉宿に売って・・のはなしも、あの明るい山ならイメージがしやすい。
数日前に犬と散歩をしていると道端て休んでいるお爺ちゃんの声が聞こえ
車じゃいけねーけどバイクでなら・・おれはバイクで芦ノ湖までいってやった・・
多分こんな道の話をしておりもっと詳しく聴かせてくれなんて言いたかったけどできなかった。
あのお爺さんが若い鉄砲玉みたいだった60年前とかの話だろう。
途中まで車が入れるような道幅となっているのは昔馬力と呼ばれる多分耕運機でリアカーを引っ張るようなので燃木とよばれる柴をとって街で売りさばく商売が盛んにおこなわれたかららしい。昭和40年代に入りプロパンガスが普及すると商売はすたれガソリンスタンドとかガス屋や土建屋を始めたという。該当するようなうちが近くに何軒かある。
昔の、人の生活場であり収入源であったという山が見てみたかったなぁ
基幹林道と交差したその先が見つけられないと思っていたのは間違いで、その基幹林道が探している道をなぞっているだけなことにも気づいた。

・・・・・と、こんなのを嫁さんに話したら聴いてくれんのかな?
訳が分かんなくても聴こうとしてくれるけどねうちの嫁さんは。
この記事の反応も悪いと思う。
私は書いてて楽しいからいいの。
時間をさかのぼっていってみたいといえば歴史的作曲家の演奏を生で聴くことがあるだろう。
一般に自作自演はあまりよくないもんだよなんて言えばよく知った通の顔ができることになっている。
とはいえ名を遺す作曲家にはまず演奏家とし一線で活躍してたという人間が多く、ブラームスとかショパンのピアノ演奏も聴いてみたかった。
指揮者として誰もが文句なしに絶賛し、指揮者へレッスンをつけているようなスコアを残したマーラーの自演が聴いてみたかった。
その彼のミュンヘン万博でだったか8番の初演なんかその場で聞いてみたかったなぁ・・

https://www.youtube.com/watch?v=NSYEOLwVfU8&t=5s

バーンスタインの演奏は見てても聴いてても自身がマーラーその人なのだと思って演奏しているのが伝わってくる気がする。
けど多分マーラー自身は俺なら絶対にあんな風にしないとか言いそうな気がしてもいる。
一部の人には大変不評かもしれないこの大爆発演奏が私は結構好きだ。

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何を写しているのか誰にも通じないだろうけどここから左手へ降りて行く道が分岐している。
でももう森に埋もれてしまった。
バブルの終わりごろに森を切り開き大規模に造成されたのだけど北斜面だからか全然売れずそのまま森に帰っていった。
数年前までは荒れているとはいえまだ歩けていぬとも散歩したんだけど。
もう道自体が崩壊して通れないと思う。
山ってほっとくとすぐ森に帰るのね。
この日家のすぐそばでカッコウの声が聞こえた。
カッコウが家の近くにいるとは思わなかったので感動した。
嫁さんと犬とでカッコウの鳴き声を聞き・・
それでいいじゃない。
周りが敵だらけのような気がしても
まだ大丈夫。

Tag:マーラー交響曲第8番  Trackback:0 comment:2 

天の声

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なんでもそうですが、仕事で扱う図面や文書など作成者と承認者の署名が入って初めて有効となります。この内容について私が責任を持ちます見たいな話でしょう。
署名のないものはどんなに内容が重要でも有用でも単なるメモ扱いとなり書類としては扱われません。
だいぶ前からペーパーレス化で活字のサイン入れちゃったりするんですよね。あれだと誰でも同じものが書けるわけだけど。
電子承認とかいうのもあるみたいだけど、小さな会社だとサインや印鑑をスキャンした画像を適当に貼り付けたりしていてそれも軽いよね。まあ考えてみれば手書きのサインだって偽造可能か・・

オーケストラ音楽で指定された楽器がステージ以外の場所で演奏するというのがよくあります。元々オペラの演出なんかでやっていたことがコンサート用音楽にも持ち込まれたんでしょう。
曲によっていろんな理由や意味があるわけですが、あるわけないような場所から音の聞えてくる場面は特異なワクワクポイントです。
中には面白い効果というのを超えてそれ自体に感動することも。
ここぞと言うところでとんでもないところから音がしたりするとしびれるでしょうね・・


千人の交響曲という愛称でちょっと誤解されている気がしないでもないマーラーの交響曲第8番。
30分ほどの第1部と約1時間ほどの第2部、ともに終結直前に金管のバンダがでてきます。
どちらの楽章もかなり重く大きく濃い内容を受け止めてくるんですがその結論だというところ、ずっとキーワードのように鳴り響いていた旋律が全然違うところから聴こえてくると泣けてきます。
天国か宇宙から聴こえてくるラッパみたいなんですよね。
人間が一生懸命演奏したその音楽を神とか宇宙の真理みたいなのが受け取って、
よし分かった・・と承認してくれた承認印みたいです。
その天からのアンサーが鳴り響いたのを聴くことによって宇宙の真理みたいな音楽がここに完成したことになるわけだ。
ここは泣ける・・ほんとに。

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第二部の最後、合唱が歌いきると同時に天の声みたいな金管のバンダが登場・・・
地表を表す低音の伸ばし以外はみんな遠慮して黙っている。
スコアの景色的にもバンダは出番の時点から記されていて視覚的にも特別感を感じます。
自筆譜見たことないけどこの書き方作者の指示じゃないかな?
オルガンの手鍵盤がバンダと同じことをやっているんですが本設オケの金管が対旋律を吹き出すタイミングで切妻的に弾くのをやめるんですよね。このスイッチングみたいな切り替え感がマーラーだなと思ったり・・
音楽的にどうかだけじゃなくて音響的に聴き手の耳にどう響くか何をどう聞かせたいかというところをいろいろ計算してんだろうななんて感じたりして・・この人ずっと現場にいた人だし。
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地上側にいるオケの金管が早口でごちゃごちゃ言っているのに対して遠くのバンダは倍の音価で長く大きく鳴り響く。
この全然違う対比がまたバンダの側に普遍的な天の声みたいなものを感じさせますよね。

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最後のこれはもう宇宙の法則の響き・・みたいに聴こえます。
大げさだと思うでしょ?オッサンはここで本当に泣きそうになるんですよ。
もちろんここだけ聴いてもダメ。
全曲に感動しながら受け止めてきた後にこれが聞こえるから泣くの。

6小節目の最後、伸ばしの前の ’ が生きると感動的なんだよなぁこれ・・
チャイコフスキーみたいなfffから始まってffffみたいなことは全然書いてないところにも注目すべきだと思う。

聴きに行った実演ではステージ奥のバルコニーみたいなところでやっていました。
*1番トランペットは複数で・・の指示も無視した最小限のおまけみたいな感じだったと思う・・
本設オケに負け気味と感じちょっと残念だとその時は感じました。
でも今思うと指揮者はあえてそうしていたのかも。
そんなハッタリ演出はいらない純音楽なんだよみたいな主張だったのかも。
それもまた説得力がありますけどね。


バーンスタイン・ウイーンフィルのやつ・・これあのDVDでしょう?CDになってるのとは別の日?
他の作曲家の曲でもマーラーみたいになっちゃうバーンスタインのマーラー。
後年の粘り倒したような演奏はちょっと苦手だけどこれは好き。

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あれオルガンどこだろ?まいいか、 こんな会場でやっていますが、

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いますね3階席最前部に。
よく見ると副指揮者もいて振ってる。
トランペット6人いるのかな・・
トロンボーンは楽譜通り3人。

音速って意外と遅くて複数の演奏者がいる場合聴き手からの距離が違うと同じタイミングで音を出してもずれて聴こえるんですよね。
バンダが本設オケより後ろにいるのなら、オケより早く出ればいいんでしょう?
だけど客席の後ろにいたりする場合はどこにあわせるんだろう?
私は楽器奏者じゃないからそんなのどうでもいいんだけどね。
オルガンなんか弾いてる場所とパイプの位置もオケの位置も遠いから相当大変なんじゃないかな・・空弾きすると音が後からついてくる感じでしょう?それをまたオケに合わせるんでしょ・・すごいね。
考えてみると録音でも楽器近くのマイクと遠くのマイクじゃタイミングずれるでしょう?
あれミキシングのときどうすんのかな?

自分が聞くのはCDの方で、多分同じ人たちの違う日の公演で場所も違うのかな?
残念ながら2チャンネルオーディオで聴いていてバンダが後方に定位したりはしません。
本設オケとは全然違う高い位置で鳴っているのはわかります。
これ現場で聴いたら本当に感動するだろうなぁ・・聴いてみたかったなぁ・・

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第1部のバンダも楽譜的にもバンダが突然登場する演出となっています。
トランペットとトロンボーンがカノンみたいになって凝っているんですが、この録音トロンボーンが周りにかき消されちゃっていまいち聞えないのが難点か・・

でも第2部のバンダはなんだか炸裂していてきわめて感動的だ。
最終和音のトランペットも誰だか知らないけど楽譜からすると間違いだろってくらいに炸裂してる・・でもそれでいいよこの曲なら・・

こんな大曲はめったに演奏されない・・と思っていたら意外とやってるんですよね。
コンサートしばらく遠ざかっているけれど機会があればまた体験したい。
現地でしか得られない体験というのがあるから。

巨大編成にこだわらず少人数のうまい合唱とやるお祭り騒ぎじゃないマラ8というのが演奏されてもいいんじゃないかと思うんですよね。でも一本づつでいいからバンダは後ろでやってほしいなぁ・・

Tag:マーラー交響曲第8番  Trackback:0 comment:4 

歌とISO

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製造業な会社員をやっていますが、ISO9001の維持審査というのがまじかにに迫っています。
製品を開発して販売するにあたり、その品質を確保維持するために必要なことをすべて明確にし、決めたことを決まったように実行する。それらは記録として残され、いつ、どんな人間が見ても何がどのように行われたのかを確認することができる・・
非常に正しいというか当たり前のことなのでありますが・・・
これを正しくやっているという事を認証機関が認めるとそのお墨付きを看板に出せるようになるんですね。
出せば終わりじゃなくて定期的な審査があり、不備があれば指摘を受ける・・最悪は資格はく奪みたいな・・
ちゃんとやっていれば監査だろうが何だろうがいつ来たってかまわないはず・・・

審査員という人も色々ですが、前職で得たのか高いプライドをそのまま持ってきちゃってちょっと楽しいことになっている人が結構います。
この人これが生きがいなんだろうなぁという人も。
「先生!」なんていわれて・・
あまり書くとやばそうなのでやめましょう。



マーラーの交響曲第8番 
第2部に入るとしばらくはオケによる音楽が続き、神秘の合唱となります。
暗く重く抑えつけられていたような世界に急にに強い光が射したかと思うと・・
あたりは青い空、緑の大地、さわやかな風・・・その中で
法悦の教父が歌い始める・・・



とても感動的で大好きな部分です。
弦楽器が歌を縁取りするんですが、聴いていると歌は伴奏の弦から微妙に遅れて動いたりします。
よく素人のカラオケみたいなので自称すごくうまいみたいな人がリズムを崩して歌いたがりますよね・・
やりすぎて変になっちゃってるのも・・・
でこれ歌手が勝手に楽譜からずれて歌っているのかというとそうではなくて

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楽譜自体がそうなっているんですね。
マーラーは歌劇場の指揮者としていろんな国のいろんなオペラを振ってきてます。
そこで得たいろんな経験を自作にも投入してるんでしょうね。
なんであれ、歌手は決められたとおりにやってるんです。
ISO的にも問題ないですね?

規定に対して正しく歌われたことが確認できる記録はありますか?なんて言いそうですね・・審査員のひと。
記録には正しく歌われたとありますがその判定基準は?
判定者は誰によってどのようにきめられていますか?
判定者としての能力の有効性は評価されていますか?評価判定基準は?その記録は?
歌が正しく歌われたことの判定を行うか行わないかの判断は誰がするのですか?
その判断基準は?
記録は?
正しく歌われなかった場合の処置についての規定はありますか?その事例も含めて提示してください・・
こんなことを書いていると怒られますかね。

まだまだ至らないところがあるにしろ、それでもだんだん進歩をしてきました。
時代も変わって、審査員、審査機関も訳のわかんないことを言って威張っているようなところは淘汰されるようになってきた。

ISOに限らず安全規格なんかでも、規格に対して解釈なんてものが発生するところがまた問題を生むんだよね。
文句を言おうと思えば延々言ってられるもんね。

音楽なんかは解釈というものがあるから面白いわけですよね。
永遠に飽きない。





Tag:マーラー交響曲第8番  Trackback:0 comment:4 

音楽と工学

もう一月くらいたつけど車を買う契約をしました。まだ納車の日程が未定でまだあと2か月くらいかかるんじゃないかということで・・
営業がすみませんすみませんと言ってくるんだけど・・減るわけでもないし別に気にならない。歳くったのかなぁ・・

また連絡があって、つける予定のオプションがMCでつかなくなっちゃったことが判明しました的な話だった。
担当の勘違いじゃなくて、メーカーでそれが判明したらしい・・
上位のオプションは問題なくつくのでそれに変更してもらった。
当然差額が上乗せになるんだけど、そこはあれで・・
ありがとう。

あんな会社でもこんなことがあるんだな・・
MCだとテストとかやらないのかな?
文句を言おうとも思わない。
人のことで鬼の首をを取ったようなことを言ってると、すぐに自分の担当したもので不具合が発生したという話を聞くことになる・・
本当にそうなんですよ・・実績でだいたいいつも4時間以内ですね・・
こわいよー。

部品メーカーの開発担当は今頃大変だろう。
知らないけど実は大変じゃなくて普通に対応していてたりするのかもしれない。

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向こうの島はあんなに遠くにあって・・・こんなとこに橋を架けようと思うんだもんな・・



急激な場面転換でふっという空白を入れて効果を倍増させるマーラーの指揮者的演出・・
マーラーの交響曲第8番にもあります。


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第1部
Mit plötzlichem aufschwungとかいてあって突然に躍進するですか?
場面転換的な間奏の後ここから再現部の頭までかなり長い間走ります。
それは突然始まるんですが、一瞬の間をおいて爆発したように突き進む・・
声楽は歌詞があるのでアッとか言って止まるところがいいですよね・・

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第一部の最後。
これはブレスですが、ここはっきり切ってもらいたいですね。
すごく効果的。

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終楽章の最終場面は巨大建築みたいですよね。
ここでパッと間をあけるとすごいことになります。
シャイーのCDだったか音を切った瞬間余韻がゴー!とか言ってるの
次の瞬間にどらやシンバルを含む巨大和音が打ち鳴らされる衝撃はすごすぎます。

この曲、大変感動的ですが、構造的に最も効果的な内容を検討して設計されているということを強く感じます。
建築工学的なというか・・・

瀬戸大橋って大きいだけじゃなくて見た目も芸術的に美しいですよね。
でもあれはただ美しさだけを考えて作られているんじゃなくて、いろんな工学的な要素を検討検証された結果生まれた形なんだと思うんです。

ただアウトラインとか色とかがあるんじゃなくて
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いろんな理由から生まれる細かいものが組み合わさってでっかいものとなり、最終的に美しさをもって・・

こんなでっかいけど、小さなボルトの一本まで何故そこに使われるか、なぜそれでいいのかの根拠があるはずでその積み重ねで全体があるはず・・

音楽って工学だろと前から思っているんですが、マーラーはとくに近代的な巨大構造物を設計しているという感じがとてもするんです。
マラ8の最後の部分はあの橋のでっかいアンカーのあたりみたいな感じもしたりして・・
バンダの出てくるタイミングとか・・・抒情的な感性でとかいうのもあるけど、聴き手に感動させようと思ったらどうするのが最も効果的かという計算があると思うんです。
ムラヴィンスキーだったか、そういうところが嫌だと告白している人もいました。
でも私は何かそこにまんまと萌えちゃうんですよね。

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橋の中身・・
周期的な変化を伴うパータンの連続・・って音楽そのものじゃない?
レールのジョイント音も音楽だ・・
音楽と工学は私の中でものすごく親和性があって・・

Tag:マーラー交響曲第8番  Trackback:0 comment:2 

天上から聴こえる歌 マーラー交響曲第8番

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多分作曲者自身による交響曲第8番リハーサル中の写真

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マーラー交響曲第8番 第2部 栄光の聖母の部分
天国から「おいで!」と歌うわけなので第3ソプラノがステージとは違う高いところから歌います。
楽譜のどこかに指示があったはず。
音楽的にも流れを変える場面転換的なところで、イレギュラーな場所から歌が聞こえてくるのはものすごく効果的ですよね。
作曲者指揮の初演時はどこで歌ったんだろう?
この写真ではわからないですね。
天上から聴こえるんならほんとに天井の足場見たいなところで歌うといいかと思いますが、そういうんじゃ無いんでしょうねこれは。怒られちゃうか・・
ダニエル・ハーディング指揮の新日本フィルの演奏ではオルガンのバルコニーで歌っているのを聴きました。
バンダはどこでやったのかな?・・写ってるのかな?・・なんだかわからないな・・明治43年の写真だもんなぁ・・
オケの両サイドにも合唱がいるんですね・・
ハープは4台くらいいるのかな?その後ろにアップライトピアノみたいなのがいるように見えるけど・・これがピアノ?
ソリストはオケの後ろ?
いきたいなぁ・・・ここに・・

この建物自体は今もあって交通博物館か何かになってるみたいですね。
もと鉄道マニアなんだけど写真見ても萌えなかった。。
日本の交通博物館も萌えない・・生きてる現場に萌える・・関係ないか・・

このあたり、チェレスタがトレモロやっていてきれいですね・・
正直マーラーだったらもう一工夫しそうな気がしないですか?でも単純に裸のトレモロ・・・
6番でもチェレスタのトレモロがありましたが・・じゃいいのか・・
文句を言いたいんじゃなくてなんとなくこういう場面が多いのが、この第2部の一つの特徴のような・・

高いところの話ですが、愛聴盤のこの部分も他のソリストたちとは明らかに違う後方のすこし高い位置で歌っているのを聞き取ることができます・・・
最近変に冷静になってきてて・・他のソリストはオケの前、栄光の聖母はオケの後ろ・・これははっきりしていて間違いない・・
高さ的にはちょうどオルガンのバルコニーみたいなイメージで聴こえる・・でもね、
オーディオの音像定位感、特に高さ方向なんて言うのはかなり危うくて、こうと思い込めばそう聞こえてしまうというところがあると思います・・・
よくある「激変!!よくなった!!」ていうのも半分くらいそういうのでしょう?
しばらくたつとやっぱり無くてもよかった・・みたいなことを言ってたりして。
いえ、そういうことも含めて楽しんでいく趣味でしょうからそれでいいんだと思いますよ。
思い込みや勘違いも含めてゆっくり検証しようかな・・
この録音時のの写真が見られるといいんだけどな-
調べてみようかな-
幸せな勘違いなのでそのままでもいいかなぁ・・

Tag:マーラー交響曲第8番  comment:0 

千人に対して偉そうに言ってみる。 マーラー 交響曲第8番

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8人のソリストと2つの合唱団と少年合唱とオルガン、バンダ付きの大オーケストラにはピアノにハルモニウムにマンドリンに・・この巨大編成は結果であって目的じゃないと思うんです。
私はこの曲も大好きです。
この曲、なんとなくいつものマーラーの交響曲にある何かがない気がします・・
その分、この曲にしかない何かもあるような・・・
これじゃ何言ってんだって言われちゃうか。
いつかそこをちゃんと書ければと思います。

「千人の交響曲」と呼ばれるのを作曲者は嫌がったそうですがわかる気がします。
生まれ出てくるものに自分でも驚きながら作曲を進めたというようなことを言っていますが、内容以前の「千人の!」なんていうところで喜ばれちゃったんじゃ・・
ベルリオーズなんかは喜びそうかな?
今でもこの曲についてまず人数から語ってる人も多いですね。

作曲者がメンゲルベルクへの手紙で「宇宙が鳴動する」みたいなことを書いているというのが有名ですよね。
でもそれはでっかいぞーみたいな意味じゃないと思うんです。
別な話だけど先日第1交響曲の「巨人」を大男のことだと思っているような解説をネットで見かけました。その先を読んでないから私の誤解かもしれないけど、素人じゃなくてちゃんとした営業用の解説らしかった・・
Mahler 8で検索すると客席をつぶして異常なまでに合唱を詰め込んだような演奏会の写真がいっぱい出てきますよね。
作曲者による初演は博覧会?の会場でそれ自体が出しものみたいな巨大空間だったからああしたけど、会場と釣り合わない人数にまで膨らませた巨大合唱は必ずしも必須じゃないんじゃないでしょうか?
超巨大合唱の祝典的演奏会もやってもらえるなら行きたいですが、、ふつうのステージに収まる人数の合唱がきちっと合わせて頑張っているような演奏もやってほしいような・・やってんのかもな・・いくから・・
皆が正解だと信じてきたものが唯一の正解ではないでしょう?

もうひとつ「交響曲を名乗るが実際はカンタータである」みたいな事がよく書いてありますよね。
カンタータみたいなもの・・はいいとして交響曲ではない・・は余計かなと思ったり・・
私はこういう交響曲だと思うけどなー
その理由をいつかまとめられないかなぁ・・

訳も分からないのに偉そうなことを書いてごめんなさい。


千人の・・なんていうから超巨大編成がいつも吠えているようなイメージもありますが、弱音勝負みたいな場所がたくさんありますよね・・


137.png
第2部の終盤

一通り終わって、エンディング祭りへ向けて浄化というかリセットしていこうというとこ。
ヴァイオリンの旋律がとぎれとぎれに第1→第2→ソロのフラジオレットと変化していきます。
ここ、聞き所ですよねー。
どうしてもチェレスタとピアノに耳が行っちゃうし、実演だと聴いてて疲れちゃって最後の盛り上がりの前にボーとしがちな場所ですが。

オルガンのペダルにmorendoとありますね。オルガンてどこまで弱音にできるのかな?
スゥエルとかいってシャッター閉めていくんでしょう?
締め切った時のその音量が最低でもうそれ以上は小さくできない。
風量で音量コントロールしそうなイメージがあるけど一定の風量がないとちゃんと鳴らないんでしょうね。

あっ、楽器でいつも言われてることだ・・

この曲、オルガンの扱い方もうまいですよね・・ここぞというところで鳴って・・
この人の2番もそうですが、オルガンは飾りで音楽的にはなしでも行けちゃうようなオケ曲も多いです。
もしかするとオルガンの有無で演奏機会が限定されてしまわないようにという配慮なのかもしれません。
この曲には多分そんな配慮なんか一切なくてのオルガンもなくてはならない存在です。
そのへんもまたなんか書こ・・

Tag:マーラー交響曲第8番  comment:0 

ベルアップ!

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マーラー交響曲第8 番第1 部開始付近
ドイツ語解らないけどベルアップしろって言ってるんでしょこれ。木簡やホルンにそこらじゅうで見かけます。
これは実演だとほんとに効果的。
視覚的に、「今色々やってますがここで聴いてほしいのはこの楽器ですよー!!」ってマーラーが言ってるのが見える。
音量も音色も変化ししなくても目立ち感が10 倍くらいになります。
でもこれだけは録音だとわからないですよね。。
この部分、実演で聴いたとき木管が「これからこの曲、このメンツでやってくからよろしく!」と言っているような気がした。
そんなこと言ってないんだろうけど。

Tag:マーラー交響曲第8番  comment:0 

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