自転車と死んじゃいそうな人

連休もおしまいの頃、悶々としたものをぶつけるべく自転車で長い坂を登り続けヘロヘロになって止まっちゃったりしながらも思い出の場所へ着いた。たどり着けないだろうと思っていたし感慨深かいものがあった。
その時血の汚れだけじゃなく心に張り付いたぬめりが少し溶け出たような気がして気分が軽くなり、自転車いいなぁ・・いいなぁじゃなくてしばらく中断していた自転車通勤をいい加減再開しろってことか。
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このあたりは街全体が巨大な片勾配の上にあるので帰宅時はずっと登り勾配。
何故だか寒さのため自転車通勤を中断する前よりも足や息が軽い気がする。
良かったもう歳のせいで下り坂を落ち始めてるのかと思ってた。
きつかろうが疲れようが少しづつでも進んでれば前進む。はあはあいいながらやっとうちのそばまで来ると夕日と道端の花がきれいで。
ちょうど散歩をしていた犬が
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駆け寄ってきてしっぽを振ってくれる。
嬉しいよこっちも。

帰れば、
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ボンタンの花が今にもさく裂しそうだ。
今年はいつになくというか異常なほどたくさんの花をつけているけどなんだろうこれ?
ふと、以前別な樹が時期でないのに突然たくさんの花を咲かせたことを思い出す。
元気がなかった樹が花をつけたので一瞬喜びかけたけど違う。もう自分は生きられないと悟り実をつけ種を残そうとしているのだと思った。
なんとか助けようとしたつもりが追い込み枯らしてしまったのは私だ。
前の年、初めて一つだけ実をつけてくれたのを見てとてもうれしかった。
その実から種を取り植えてやればよかったけれどそれをしなかった。
なんでも気づいたときには遅く、もう取り返しはつかない。
このボンタンは多分この冬霜に当たらなかったのがよかったんだろう。
花がたくさん咲くのを楽しみにして。

別な日も自転車で帰ってくれば
道端、縁石に座り込み肩を落とすワイシャツのおっさん。
肩の落ちようが尋常でないため目が釘付けとなり・・
ふり返るとハンカチを鼻に当て激しく・・荒い息をしている様子はないので体調不良ではないだろう。
うれし泣きをしている可能性は考えにくく、どう見ても逆方向だろう。
体調を悪くしているのなら声をかけなきゃならないけれど、そういうのじゃないと思った。
なにがあったか知らないけれどみんな色々あるんだろう。
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夕日がきれい。

学生の頃、自転車できつい坂を登っていると道の反対側に息も絶え絶え倒れそうな顔のおっさんが目に入った。
当然すぐに駆け寄・・ることをせず私はそのまま通り過ぎ、それでいいのかと振り返れば人だかりができているのが見える。
どうなったかはわからないけれどそれより俺が見て見ぬふりをして逃げたことは間違いのない事実である。
いつか自分もその辺で倒れ虫の息になったりするかもしれない。
通りがかった人に助けを期待する瞬間が来るかはわからないけど、無視されたり指をさして笑われたりするかもしれない。
世の中や人間とはそういうものだという思いがあるけれど、その前にまず自分がそんな人間だった。
だったって過去形で書いているけど今ならちゃんとできるんだろうか?

また悪夢で目が覚めた。最近心に張り付いているぬめりみたいなものはこれだろう。
だけどもう死んじまうというような状況に比べてみればそんなもん犬のしょんべんみたいなものかもしれない。
起きるとなんでかマーラーの9番の冒頭あたりが頭の中で流れてた。
あの第1主題はベートーベンの「告別」から引用されていると昔指摘した人がいて、長年曲を理解するための重要な要素というか公然の事実みたいに言われていると思う。
けど私はぞれは全然違うと思ってる。
死、というものに強く魅かれその非情さ不条理さや恐怖を曲の中に織り込み続けてきた作曲家が、自身の死の恐怖に駆り立てられ書いた作品がこれ・・という事になっているけどそれも大きな間違いだと思っている。
彼がこの曲で言いたいのはそれじゃない。
こんなとこでそんなことを言ったってしょうがないだろうけど。

https://www.youtube.com/watch?v=mQO7XnL7oqs
この曲というか・・身をよじるような・・噛むと肉汁が染み出る様な・・・心・・・みたいなのから最も遠い気がするショルティーのマラ9を聞いてみたら意外なことにかなり良くて驚いたのももう何年も前か。
いつまでも古い盤なんか聴いてないで最新の演奏をどんどん聴きに行かないといけないと思いつつ、まだ当分いけない気もする。
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気の置けない人と何という事もなく長い時間語り合ったりすると心がスーッと軽くなる。間違いとは言え私も何度か経験させてもらった。
今は話し相手がブログの入力画面で・・
おまえ生きてて意味あるのか?
先程こんな声が聞こえ血がサーっと下がって寒気がした。
じゃあ死ねばいいんですか?
うるせーばか。

ここに書いたからショルティーのマラ9を聴いてみるとそこには素晴らしい世界と時間があった。
実際がどうかは知らないがこの指揮者もこの曲へなにがしかの思い入れがあるのではないかと思いながら・・
ありがとう。
誰とも通じなくていいから生きていきたいし死にたくない。

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いらない人には古い話も誰かの中では今も生き続け・・

この日、どこも大混雑で・・
どっか落ち着いた店はないのか・・
あそうだあそこいこう。
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店名に準喫茶とうたっているけれど古びたりはしなくてむしろ実は新しいくらいの印象で。
入った時には結構お客さんもいてにぎやかだった。
でも騒々しいとかじゃなく落ち着いていい感じ。
ここは大きな特色があって古い映画が大好きなマスターがやってるという。
こういのネタ的コンセプトでと言うもよく見かけるけれど、どうもそうじゃなく本物みたいだ。
レビューを見たら映画をよく知らない人にもマスターは色々教えてくれたりとか・・
ああいいなぁそういうの。
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手前にはジュークボックス。
奥はレコードじゃなく映画のパンフレット。
よくわかんないけどホワイトボードは何人かの人が書いた映画のランキング?

最初のお店で食いそびれたパンケーキセットを注文して・・
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わー美味しそうじゃない。
バターのほか、生クリームにジャムにいろんなフルーツを細かくしたもの・・いろんな味が楽しめる。
おっさんはバターの塩気で食うのが一番好きだと思っちゃったけど、フルーツ乗っけるのもなかなかいいね。
セットのだからなんとかブレンドとか名前の付いてないシンプルなコーヒーだけどでも飲みやすくておいしかった。

BGMはずっと古い映画音楽なのかな。
モノラルで・・音の感じから50年代よりもっと前?1940年代ものとかかなぁ?
ロシアがまずくなっちゃってアメリカへ移住した作曲家がちょうど映画音楽で必要とされハリウッドへみたいな話を昔読んだことがあった気がする。
ラフマニノフみたいな音楽があるのはパクリじゃなくてそんな作風の人がいたんだみたいな・・
あいまいな聞きかじりで間違ってるかもしれない。

https://www.youtube.com/watch?v=3WsZCLlsLqI
これは1938年録音で一部の人に伝説的名盤と認知されている物。

ユダヤ人に対する排他的感情や運動みたいなものは第2次大戦時に限らずその何百年どころではないもっと前からあったんだろう。
何度も書いてあれだけど私は高校生のころ街中の行き交う人から唾を吐きかけられたり暴言やこれ見よがしの咳払い等を浴びせられつづけたことがある。
自分の頭がおかしくなったのが原因で差別とは違うのかもしれないけれど、人というものは誰ということはなくみんな恐ろしい側面を持っていると勝手に思っている。

ユダヤ人のマーラーが音楽界の頂点に君臨していられたのは単に芸術家として優れているということのほかに政治的戦略家としても優れたセンスと能力を持っていたからじゃないだろうか。
残された書簡なんかから根回しとかなんとか色々やったことが解るらしい。
差別的な障害もいろいろあっただろうけど予測し排除しねじ伏せ・・
同じくユダヤ人であった愛弟子のブルーノ・ワルターは不幸な時代を生き、第2次大戦中ナチスの迫害を受ける。
1938年ナチスによるオーストリア併合は時間の問題であり、国外へ逃れる前の最後のコンサートがこれ・・だっけ?
モノラルにはあまり手を出さなかったけれどこれは無視するわけにいかず・・学生のころEMIの正規版みたいなのを買って聴いたかな。
マスターテープっていうのではなくいろんなSP盤からを再生させて最良の状態で復刻させる試みが多々行われているようで、CDもたくさんあるようだ。
自分が買ったのは・・とかもいいか。

かなり久しぶりにちょっと聴いてみるつもりが結局引き込まれ聴き入ってしまった。
セッションとかじゃなくてライブ一発取りってやつでしょう・・この時代にこれだけのものがあったのか・・と素直に思っちゃったけどそれは当時の人たちに大変失礼なはなしですよね。
そこにあるのは情熱的で生き生きとした音楽の現場だった。
指揮者の唸りが結構聞こえ、音楽からも棒でオケをがんがん引っ張ったり伸ばしたりしているのが見えるような。
ワルターが後年この曲のリハーサルをしているところが少し録られていて聴けるんだけど、ここはどうしてもとこだわってななおしていたある箇所が
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ここでも強いものをもって響くのが聴こえ、大事なものを聴いたような気がしてちょっと感動した。
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この世から消えていくような最終音、最初の拍手がちょっと聞えるからそこでもう指揮者はもうタクトを下ろしてるんだろう。
えっ?と思うようなそのあっけなさにナチスの迫害が迫っていることへ危機感や焦燥感が・・とか言ってもいいし実際そうなのかもしれないけれど、それより私は変な伝説にまみれ浸されちゃう前のこの曲の生で無垢な姿がそこにあるような気がしたりもして。

最終音の上に書かれているersterbendは普通に考えると消えて行くようにという意味だけど、死ぬようにとも訳せるという。
同じ音型とともにこの指示がある7番ではこの後に天国的な音楽が来ること、明らかに天国を歌った4番のフィナーレの直前にも書かれている事・・などなどわかりやすく面白いヒントでもあるので解説本なんかはこぞって・・この指示がなくとも音楽を聴いていくと諦め‥受け入れる・・みたいな事ののちのここに人の死を感じられるしそれでいいんだろうけど、狭い視点でわかりやすいヒントをいつまでも振り回していると何かを見失う気もする。
この曲とこの盤は昔からいろいろ言われてきた特別なものでもあるんだけど、
誰かに都合にいいように作られた伝説とか、信じられてきた解釈とか、昔の評論家がどっかに書いた私見とか、それにつられ判で押したように同じのが並んだ古参リスナーのレビューとか
そういうのを一切排除して、ゆっくり自分で聴きたいこの曲を。

メニューにはホットケーキもあったけれどパンケーキとどう違うんだろう?
また来て食べよう。
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びしっとオールバックに決めたマスターは身のこなしも話し方もプロの接客という感じでかっこよかった。
いろんなお店に行くけどやっぱり違うと違うね。
私もいつかマスターと話ができるようになれるだろうか。

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引退できるのか?

昔よくこの駅の前を車で通過したけれど初めて寄ってみた。
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ひなびた駅舎には・・・みたいなつもりだったけれど予想の数十倍くらいの人がひしめいてて驚いた。みんな外人さん。
小さな私鉄の終着駅だけど富士山の最寄り駅と世界に認知されているんでしょうね。
インドの人?みたいな家族の小さな男の子がでっかい声で叫んだり歌ったり・・元気でいいね。
ここへ家族旅行に来れる彼らは将来を約束されたお金持ちなんじゃないか?
無邪気な彼、末は博士か大臣か。
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引き上げ線と言ってわかる人はそれ系の人だけど、を見に行こうと駅から離れた小さな路地に入るとここにも外人がいっぱいいた。
なにやってんの?
ああ富士山を撮りたいのかな。
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どこにでもあるような普通の民家のブロックでできた門柱の写真を興味深そうに撮っている人とか・
私から見るとそのことが逆に興味深かい。
遠くの国から来た人には見たこともない外国のおもしろい街並みに見えんのかもな。
最近どこかで富士山への登山鉄道建設構想が再燃みたいな話を読んで今頃何言ってんだ?なんて思ったけど、実現性はともかくそんなネタが出そうな雰囲気がここにあるのはわかった。
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富士山特急というらしいここでスターみたいになってるあの車両は実は余生というか、別なところで何年も働き引退してここへやってきた。
高校生のころ精神的に死んでる最中も電車通学は続けたので毎日あの車両とすれ違っていたと思う。
思い出しちゃいけない記憶の他に、あれを見た記憶が一つ二つ・・
古さも感じられないし、まだまだ行けそうですね。
元気そうで何より。
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車体に描かれた富士山の絵がちょっとふざけているようでかわいく笑える。

一番好きな曲は?は愚問かなとも思うけれど、
マーラーの交響曲第9番は長年その答えの中から消えない。
歌劇場指揮者として音楽界の頂点みたいなところまで上り詰め君臨したマーラーの作曲活動は主に夏季休暇など休みの間に行われてきた。
50歳を機にということかついに常任指揮者業を引退し作曲に専念することを考えたようで、そのための住居を探し契約をしたかしないかくらいの客観的な資料も残っているようだ。
でも、突然の感染症による急逝であるはずだった未来は奪われてしまった。

しかし一般にマーラーに対してはそれとは違う伝説が語られ、特に交響曲第9番はその伝説と絡められて解釈されてきた。
それは今でも続いているし、この先も続くのかもしれない。
それと・・

https://www.youtube.com/watch?v=BqeDEkRirJQ
フィナーレのこの演奏、一般的な演奏に比べると極端に速いテンポを採っており、人によっては批判を超えて怒りだしたりするかもしれない。私はこれも好き。
それらについて思う事を長文で書いたりしていたのだけど、どうしても攻撃的な文章を書こうとしてしまうのでやめ。
それより今日も楽器やったよ。
それでいいじゃない。
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記念写真を撮る人。
どこの国から来たんだろう?
普段はどんな生活をしてるんだろう?
日本という国はどうですか?
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右に停車している車両は山手線用として開発投入された形式じゃないかと思う。埼京線が開通して・・
小学生だった私は鉄道マニアで、左右非対称な全面のデザインとかに新しい時代みたいなものを感じたりして・・あんなに新しく輝いていたのにもう引退して余生なのか・・
あの頃妙に明るかった。
つくば万博とか瀬戸大橋、青函トンネルの開通・・子供だったからかな。
そのあとバブルが来て、みんな成金趣味にも飽きたころに「本当の豊かさとは何か?」みたいなキャッチコピーが踊ってたのを覚えてる。
大事なことを言っているようで、その後の冬の時代を経て思い出すと皮肉にも聞こえる。
最近また成金趣味みたいな列車が流行りだした。
そんな言い方ないか。
ああいうのは対象となる世代のもってる感覚みたいなものを反映してるんでしょう?
しばらくするとまた地味で暗い時代に戻ると思う。

私は・・この先年金制度や退職金は前提として成り立たないと感じ貯えを得られる気もしないので、なんとなく可能な限り働き続けるのかなという漠然としたイメージがあります。
健康で自由に動けるならそうしようという覚悟みたいなものもあるけれど、だいたい自分の都合通りに事は進まないものだと思う。
でどうなるの?
明るい余生というものはなかなか想像しづらい。
その時、楽器でも何でもなにか能動的な楽しみを持っていられたらいいなと思う。
20数年後、ブログなんかもうないかな?
もし続いてたら誰か見てねー
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遠出するとその辺にあるスーパーとかホームセンターに寄って帰ってくる。
シャインマスカットの苗があって一瞬心が動いたけれど、
意外と覚めた感じで嫁さん曰く素人には無理でしょ・・
まだ園芸に萌える感じでもないかな。

Tag:マーラー交響曲第9番  Trackback:0 comment:8 

20年たった

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これじゃまるでのぞきの写真で犯罪的ですが、この時ここは空き部屋でした。
学生時代に住んでいたアパートに10年ぶりに行ってみたときのもの。
雨どいにかかっているのは有線放送のケーブルで私が契約して引いたもの。
アパートを引き払うときに撤去作業に来た業者の人に「このケーブルどうしますか?」と聞かれ、え?
あ、じゃあここ丸めて置いときますねーみたいなの。
今考えると電柱の分配器かなんかまではその業者が撤去しなきゃいけないんじゃないのかなぁ?
あれから10年たってるのにそのまま残ってるんだなーなんて思って思わず写真を撮った。
でももうそれからまた10年以上たっちゃて・・まだあるのかなあれ。
・・あのころ、マーラーの2番3番4番6番9番辺りを毎日のように聴いていました。
始めは9番が理解できず、2番のスコアを見ながら毎晩聴いていたのを思い出します。
卒業前には9番を食い入るように毎日聴いていた。
あんなアパートで・・・
時間は決めて夜は音を出さないようにしていたけど、周りは騒音で迷惑だっただろう。
夜中にギター弾いてるやつとか、お互い様というか無法地帯みたいだった。


マーラーが交響曲第9番を作曲したのはもうすぐ50歳になるというころ。
30代の初めに作曲した交響曲第2番と並べてみると同じ人間の作品でもこんなに違うんだなと驚きます。聴いても全然違うし、楽譜の景色も違う。
常に進化、深化して誰のものでもない独自の世界を切り開いていったことがわかる。
そして間違いなくどちらもマーラーだとも思う。
その間20年・・
あのアパートでマーラーを聴いていたのはまだ二十歳くらいで20年という年月がどんなものなのかは想像してみるしかなかった。
今あれから20年たって・・20年てとても長い時間であると同時にあっという間ですよね。

9番の第1楽章には若き日の交響曲第1番がはっきりと引用されていろいろなものを感じ取って聴くわけなんですが、第2楽章を聴いていると2番のスケルツォのエコーを感じることがあります。
1番の引用みたいに強い意味を持たせて・・というわけじゃないけれど・・


交響曲第9番第2楽章のtempo.IIで区分される音楽、例えばこの辺り・・

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このトロンボーンと、木管の装飾音は


2番のスケルツォ、この辺りで聞こえていました。

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私は、これはたまたま似てしまったという域を超えて意識的にやっている物だと感じています。
だからと言ってこれは若き日のを回想している・・とかいちいち言わなくていいとも思う。
今ちょっと並べただけでも、9番の後に聞くと意欲作の2番がシンプルでノーマルな感じに聴こえる。

2番を作曲中は自分の創作的才能が間違いないものだと確信していたころでしょう。
でもそれを世に出し名を遺すのには才能だけでは足りないこともよく知っていたと思う。
この人はものすごいやり手。政治的根回しみたいなことも含めて自分で成功をもぎ取り出世していった。
一般的にウィーンでのポストはおろされたみたいなネガティブイメージで語られるけれど、通常の任期よりずっと長い期間を務めており、やめた後ももう一度やってくれないかみたいな話もあったという。
よく言われている苦悩する悲劇の芸術家みたいなマーラー像はゆがめられた虚像だ。
マーラーは現役当時作曲家としては不遇だったみたいなことも言われているけれど、事実としては全然そうではなくて早い時期から作品を演奏したい的な話が具体的にあったようだ。

9番を作曲している頃はもう歌劇場指揮者、権力者としてのキャリアで頂点を極めたあとで、作曲家としての名声も得ていたと思う。
演奏家活動を引退して作曲に専念することも頭をよぎっていたと思う。
その後そのための住居を得るための契約か何かをしているらしい。

芸術家として成功しさらなる高みへ登っていこうというマーラーが若い自分の作品をここで振り返っている。
この時、どんなこと考えてたんだろう。
別に何にもないかもしれないけどね、たまたま同じようなメロディが出てきただけかもしれない。
でもいいじゃない。


クラシック聴き放題だと思って引いた有線だったけど、流れている物と自分が聴きたい音楽のイメージが一致するとは限らずあまり聴かなかった。
有名なUSENという会社とは違うローカルな会社だったけど、ネットでデータを買ったりただで音楽が聴ける時代、有線って商売になるのかな?と思い調べてみたら今もあった。
でももう一般向けのサービスはやめてしまったようで店舗へのBGM供給に特化して生き残りをかけているみたいだった。
やっぱり20年もたつと世の中すっかり変わっちゃうよね。
で私は20年でどうなったのかな・・
どうもなってねーな・・

Tag:マーラー交響曲第9番  Trackback:0 comment:4 

あの丘で

今日、ここ本当に何度も何度も書き直した。
いろいろうまくいかないけど、
いかにも俺って感じだよな。
どうしようもないと思う大っ嫌いな心だけど、大事な俺の心だよこれ。
まぁ、しょうがない。



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グスタフ・マーラーという作曲家が最後に完成させた交響曲第9番。
この曲のとらえ方として、作者は悲劇的な人生を嘆きつつ、持病による自分の死の恐怖に震えながら作曲した。その思いや嘆きが色濃く反映されているのだという考え方が根強くよくあると思うんです。
自分もそう思っていました。
どこかのレビュー欄なんかをみるとそれを感じて涙できないものは愚か者だ見たいなことを叫んでいるおやじがいたりして・・

高度に複雑で、深く、尋常でない音楽だという考えは今も変わりません。
でも最近私は、この時彼の心は絶好調で、こんな素晴らしい曲を短期間で生み出し、そのことに彼は感動し、興奮し、ワクワクし、笑いが止まらないような絶頂にあった可能性があると考えています。
こんなことを書けば馬鹿だと笑われるかもしれません。
それでいいです。


彼のように神に選ばれたような芸術家とその作品は、具体的な事実が仮に作曲のきっかけになったとしてもそんなものは超越したところにあるんだと私は思うんです。

高校生のころ、授業中に柴田南雄の「グスタフ・マーラー」という本を読んでいました。
交響曲第9番の章で柴田が4楽章に亡き子をしのぶ歌の第4曲が引用されていると指摘していた。
歌詞のドイツ語を理解できる必要はあるだろうか?と書いてあるのを見た記憶があります。
この曲を聴いている自分を全否定されるのかと思った。
そのわりには結局どんな結論だったかは忘れてしまいました。

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歌曲「亡き子をしのぶ歌」第4曲の終わりのところ・・
死んでしまったわが子を思う親、
「あの子はあの丘へ散歩へ行っただけだ!
私たちが追い付けばいいんだ!」
でしたっけ?

この時代はみんな経験したこでもあると思うのですが、マーラーも実際わが子をなくしています。
そのことが作曲に少なからず影響を与えていると考えるのは自然なことでしょう。

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交響曲第9番の最後のページ
この音楽は間違いなく人が死んでいく場面です。
このバイオリンの旋律がその引用だとすれば、
上記の歌詞を思い出してみれば・・・
衝撃的ですよね。
死を悟った者・・・もうすぐ・・・やっとあの子に会える・・・

しかし、だからと言って一本調子にこの箇所をマーラー個人の人生体験とその告白みたいな解釈で聴くのは私は違うと思う。

この旋律、下降する途中でふっと休符になります・・すべての音が消え・・
この休符は大変印象的です。
この休符の後、何かが変わる。

私も人が死んでいくところを見たことがありますが、私たちには見えない何かを目を見開いてみていましたよ・・
光か何かが迎えに来るんでしょうかね・・

ここはなにか、普通と違う光に満たされている気がします。

柴田はこの旋律が楽章中に3回現れると言っていたと思う。
譜例はなかったと思う。
最初は第2ヴァイオリンに隠すように・・というのが印象に残っています。

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ここかな・・
対向配置じゃ隠れないし、
隠すようにって思い切りffじゃんか・・なんていったらいけないんでしょうね。

また脱線すると90年代になんでか忘れたけどマーラーについて書いた本が乱発されていたことがあります。
そのうちの一冊を読んでいると9番の解説で柴田の言葉が丸パクリされていた・・
しかもこの著者それがどこだかわかってないなという感じだった。
この曲を聴くわけでもなく、原稿依頼されて適当に資料を読んで適当なことを書く・・程度だったんでしょう。
あれは読んだ時に情けない気分になった。

私的にはこっちも気になります。
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伴奏音型?転回形?・・
これが、

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第3楽章の中間部や

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4楽章にも出てくる。
どちらかというと私はこちらの方が耳に残ります。
なにかを訴えていると思う。

なんかまとまってないですね。
このあたりは、気持ちが曲に向いたときにもう一度考えて何か書いてみたいなと思います。

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カオス

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多重テンポが楽譜上に現れる場合、そのことが言葉によって指示されている場合と、音符そのもので見かけ上の多重テンポを固定している場合があるんだと思います。
単純な多重テンポとはちがうのかもしれませんが、マーラーの9番にも上記の後者の様な感じで昔から気になっている部分があります。


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第4楽章は冒頭に叫ばれる旋律の中にあるターンがしつこいくらい繰り返されます。
別な曲から引用されているターンに似た音型も何度か繰り返されてとても重要なのですが、それの話はまた別にするとして・・

なんとなく音楽でターンが出てくるときは愛を示していることが多いような気がします。

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もともとはワーグナーのイゾルデの愛の死からきてるのかなと思ったりしますよね・・

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これが第3楽章のトリオで予告されるのは有名な話ですが、

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トリオに入る直前、せわしない音楽の中でさりげなく顔を出しているのが面白いですね・・


第1楽章で
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愛を叫ぶ重要場面の直前に出てくるこの5連符、第1ヴァイオリン、その前の小節で力をためていますが・・・



第4楽章、東洋風の中間部の後クライマックスに向けて音楽はもり上がっていきます。何段階かに分けてのぼて行くんですが、各パートが一見バラバラに動ぎだしてカオスのようになっていく部分があります。

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その中にターンのような音型があります。
ここではこのターンが短い時間にいろいろな速さで奏されていてあたかも多重テンポのように聞こえると思うんです。
実際にはここはホルンなんかも別なことを叫んですごいことになっていますので細かいものをそれぞれ聞き分けようと思ってもなかなか聞き取れません・・
それでいいんだと思います。
ぐしゃぐしゃの中からなんとなくいろいろ重なって聞こえてくるターン。
いろんな別口それぞれが愛を叫んでいるんだ・・
みたいなのがすごいというか大事というか・・
最後に第1ヴァイオリンが力をためて5連符を叫ぶところは第1楽章のあそこと同じですね。

この修羅場の後に 愛も、生、願いも、すべての叫びが運命によって引き裂かれるのを目撃することになります。

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秋 勝手に感じるマラ9 6

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勝手に感じるマラ9の続きを勝手に続けさせてください。
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基本的にわかりやすいソナタ形式で書かれていますので再現部でああここで第2主題が再現されるんだなていうのもわかりやすいわけですが、

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ここ、あー第2主題がまた出てきたなー、なんかまたネガティブがすごい勢で押し寄せてくるなーと思わせておいて

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突然さっと引いて、少数のアンサンブルみたいな世界に転じるわけですよね。
ここもマーラーによくある急激な場面転換です。
鳥が鳴いたりもしてる・・
寂しいようで騒めいているようで・・
そんなに悲劇に苦悩して押しつぶされたり、闘おうと強い意思を見せたりとかもうそういう感じじゃないんですよね。
そしてこのアンサンブル地帯ですけれど、音楽自体はちゃんと第2主題でできています。分解されあちこちにちりばめられ・・
ありそうでなかったユニークな展開ですが、第2主題は心そのものだと思っているのでここは・・

なんとなく秋を感じるんですよね・・風景的な秋というより・・人生の秋というか
実りの秋というより木の葉も落ちてしまい・・みたいな・・
彼がこれを書いたのは40代も終わる頃でしょうか?
先輩がたの前で40代前半の私が言うのもアレですが・・
バリバリ生きてきて、これからも生きていく。
でもふと立ち止まって、この先終焉までどんな人生を描くのかなんてことがふとよぎる頃でしょうか・・

ここは、そんなことを考えている場面のようにも思えるんです。


途中からはフルート、ホルン、低弦の三重奏ですね・・
曲の冒頭からそうなんですが、絡んでいるようで突き放しているようで気にしているようでお互い勝手を言っているような・・
突然叫んだりする低弦なんか、f うーん!だけど!! ppぶつぶつぶつぶつぶつ(小言)見たいですよね・・

この後変に明るく叫んだあと、悟りを開いたようなコーダへと続いていく・・

私自身ももう十年くらい歳をとるとここがまた違って聞こえたりするんでしょうかね・・

すみません、書いたには書いてみたんですが今気持ちがこの曲とずれしまっていてチューニングがあってないみたいな感じなんですよね。
こう、いつでもどんな曲でも聴きたいというわけじゃなくて曲と自分の心の相性というか心の色というか・・・変動しますよね・・
そうでないときに無理に聴いても全然入ってこなかったり、その曲について考えてみても何も思わなくなってしまったり・・
でもまたいつか戻ってきたりもしますからほっとけばいいんです。
またじわっと来たら書きます。

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ワルターのリハーサルとミス未修正の謎

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マーラーとワルターでしょう?これからどこ行くのかな?

高校生のころワルターがニューヨークフィルとCBSに録音した録音がまとまって再発売されました。90年くらいだっけ・・
有名なモツレク他を買ったんですが、帯にリハーサル風景CDのプレゼント応募券みたいなのがついていました。
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年賀はがきの余りに応募券を貼って出したところで応募したところ、送られてきたのがこのCDです。

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この非売品みたいな表記に萌えてなんかやたらにうれしかった覚えがあります・・
今思うと・・そんなに応募数もなくてみんな当たってたのかもしれないな・・


モーツァルトの交響曲を作っていく過程が収録されていて興味深いです。

ワルターの声を初めて聴いたときびっくりした。
やっぱり Sing!ですよね。
ここ解放弦でやる?みたいな問いかけに ダメダメ!みたいな・・
そういえば芥川が昔本に書いてたのこれかな?
NYP、バーンスタインが積極的に解放弦で弾かせてたからなんとか・・

ちゃんと休符を感じろみたいな意外に普通の指示も・・
指揮者の仕事の大半はリハーサルだとよく言いますが、歴史的大指揮者のリハーサルなんてものすごく興味があるじゃないですか・・
禁断の扉を開けて覗いてしまった・・・・でもやっていることは意外に普通・・・・あたりまえなのか・・
色々印象に残っているんですが最近これは聞いていないので、

これと別なコロンビア響とのステレオ録音時の練習風景の話から・・
ワルターのリハーサル風景はいろいろあるみたいですが、あるボックスの中にジークフリート牧歌とマーラーの9番のリハーサルシーンが入っています。
どうしても聞いてみたくて、分売でほとんど持っている内容のボックスセットを買ってしまいました。。

ジークフリート牧歌のリハーサルはモノラルだったと思いますが、熱い思いが音楽を作っていくのを聴いた後、ステレオの本番を聴くとワルターが何をどう表現したかったのが伝わってきてとても感動します。

マラ9、この曲大好きなのでリハーサルが聴けるなんて・・・短い時間ですけどね・
こちらはステレオなんですが、本番とは違うマイクというか編集というかで聞こえ方がちがう・・
これもいいと言えばいいんだよね・・
ワルターがなんか喋りながら左の方から歩いてくる様子がやけにリアルだったりして・・

第1楽章の展開部のこのあたり・・
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トロンボーンに歌いかたというか叫び方を指示・・何度もやり直して・・・
なかなか伝わんないんですよね・・

というのと第2楽章の頭かな・・
多分みんなこの曲初めてなんだろう・・入りが1小節ずれてる人がいたり・・・
ここから、あの演奏作ってるんだな・・

で、その時のワルター・コロンビア響のマーラー交響曲第9番の録音なんですが、

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第2楽章のTempoIIに入ったところ、ティンパニが数を数え間違ってトロンボーンより1小節早く終わってしまっています。
こういう版なのか・・さすがにそれはないでしょう。
明らかな間違いなのですが、音楽に深く精通したプロデューサーと、作曲者の弟子であり親友でありこの曲の初演者である指揮者がチェックしたはずなのに・・
なんでこれそのままなんでしょうか?・・

そんなにこのテイクがよかったとかなんでしょうか・・

この盤、宇野功芳が自分の期待と違うから駄目だみたいに言っていました。
いつまでたっても何十年も前に自分が感動した盤を進め続けてるのを見てこの仕事でそれでいいのか?なんて思ったりしましたが
最近の自分も十代のころに感激した盤から離れられてませんね・・
私はこの盤好きです。
もっとがんがんアッチェルランドしてほしいところでいまいち乗ってこないとかありますが、今でも聞きます。
もちろんほかの演奏も聴きます。

YouTubeでワルターのリハーサルがいろいろ聴けるんですよね。
やっぱり指揮者だから動く映像がある方が圧倒的に興味深い。

https://www.youtube.com/watch?v=aztB7E1Wjbs
ブラ2
面白いんだけど別サイトに貼ってはいけません・・だそうだ。
ずっとsing!って言ってる・・
指揮しながら腕時計をちらっと見るところがリアルにリハーサルだな・・と思った。
体育館のパイプ椅子みたいなのってこのころからあるんだな・・


マラ4

ワルターはマーラーの弟子で親友だけど、演奏はワルター=マーラーではないと思う。
マーラーのリハーサルが見たいなー。
マーラーの伝記で練習が厳しすぎて団員の反感をくらい・・というのがやたらにあるけれど・・
そんなの普通じゃないのかな?
ある団員に「真剣さが足りない」みたいなことを言ったら次の日その団員は葬式の格好できてずっと深刻な顔をしてた・・とかなかったっけ・・

Tag:マーラー交響曲第9番  comment:2 

運命主題  自分で感じるマラ9 5

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マラ9の序章・・
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6小節ですが、いくつかの需要な要素が提示されます・・
ハープのResonanztischは響かせる・・
ヴィオラの6連符・・この後ハープの音型が弦楽器の6連符によって絶えず奏されていきますが・・
笹の葉が揺れるようにサラサラサラ・・という乾いた感じの演奏と、液状の何かが揺れているような濡れたような演奏があると思います。
自分の好みは圧倒的に後者。
何かこう、神秘的な液体が支えてくれているような気がしてるんですよね・・
第1主題は第2ヴァイオリンから歌いだすのですが、冒頭のホルンも1,3番じゃなくて2,4番なんですよね。

ここは穏やかですね・・

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展開部に入ると序奏が再現されますが、暗転しています。
2重線のところから序奏のテンポに落ちそうなイメージですが、テンポ指示があるのはその2小節後ですね・・・
手前のAllegroが生きていて、あの象徴的なリズム主題が鳴ると急に序奏の世界に・・みたいな感じなんですよねこれ・・・
2重線で序奏のテンポになってる演奏もあったような・・・

同時にテューバをはじめ低音楽器とバスドラの伸ばしが不気味な何かを予告しますが・・・これ
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交響曲第1番第1楽章の提示部冒頭で再び序奏・・そこに現れるこのテューバとバスドラを思い起こさせます。
似てるものを見つけて喜んでいる・・という話じゃないと思うんですよね・・
1番のここは生き生きと気持ちよく元気に生きていた青年にこれから起こる不穏な何かを予告していたわけですね・・・

9番のここも同じじゃないでしょうか・・このあと鬱みたいになったりしていきます・・



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再現部冒頭のここ、展開部の最後は生きる喜びや愛などがピークにまで高まっていました・・それを打ち砕くかのようにここ・・
トロンボーンとテューバの(mit höchster Gewalt)はこれ以上ない程、威圧的に・・・
マーラーでタムタムが出てくるときは死を表現している・・・死に限定しなくいい気もしてきたけど・・
まぁいいかとにかく死んじゃうようなとんでもない衝撃を食らい、直前の幸せは打ち砕かれる・・

ここでホルンがベルアップして(ファゴットも加勢して)第1主題を叫びます。
後で書こうと思っていたんですけど第1主題は本人の姿だと感じているんですよね・・・
幸せを奪われ、死んじゃいそうな衝撃を食らっても・・
俺は死なないぞ!!・・・・・書いてあるGehaltenは落ち着いてという意味だそうです。
衝撃食らってもうろたえない・・・

実演ではここで感動しました。
ベルアップの強烈な視覚的効果が本当に強く強くホルンのメッセージを伝えてきたんです。
第1主題は告別の歌なんかではないと思うんですよ。

この後また立ち上がって歩き始めます。
そこにはWie ein schwerer Kondukt(葬列のように重々しく)・・
その指示を読んで曲全体が葬式みたいに考えるんでしょう?・・
一人くらいそう思わない人間がいてもいいですよね・・この間からアホみたいにずっとこんなこと言っててすみません・・・
葬式派の解釈だとここから再びなり始める軍隊ラッパは葬送のラッパなんでしょうね。
自分には再び立ち上がってすすめ!と励ますラッパに聞こえます・・

ここを死の最終宣告みたいに考える演奏も多いでしょう・・指揮者は目を剥いてみたいな・・
それでいいと思いますが、注目したいのは
2回鳴らされるリズム主題の2回目はダイナミクスが一段落ちています・・
全体的にdim.傾向なんですね・・
この通りやっていない演奏も多いと思う・・・ずっと最後の審判みたいな音を強奏し続ける・・
気持ちは痛いほどわかりますが、楽譜的には間違いといってもいいのではないでしょうか・・・
こういうこと言うとすかさず「楽譜通りが正しいとは限らない!!」みたいなのがでてくるんでしょ・・

ブーレーズ、クリーブランド管弦楽団の録音はここでそのことを強調しています。
強調しすぎで2回目がf一つみたいになっちゃっていますが、わざとでしょ。
こうなってるじゃんかよく見てみなよ!て事なんでしょあれ・・


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冒頭のこのリズム主題は終楽章の山場で強い叫びを断ち切るかのように出てきます。
本人の願いを断ち切るように人生へ影響を及ぼしてくる・・こういうのを運命とか宿命とかいうんでしょうか・・
このリズム主題はそういうものですよね。

このリズム主題を不整脈といったのはバーンスタインなんですか?もっと前の人?
今はそう思いませんが、その話を聞いたときには感動しました。

みんな知ってるようなことばかりじゃないかぁ・・と言われそうですが
でも書いてみたいじゃないですか・・

Tag:マーラー交響曲第9番  Trackback:0 comment:0 

病は気から 自分で感じるマラ9 4

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マラ9についての続きです。

強い意思をもって突き進んできた2Aでしたが、突然ゆっくり・という指示の後
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ここで2Bを叫びながらまた停滞します・・
頑張ってみても思い道理にはならないのか・・
2Aによるガスみたいなものが相変わらず立ち上って暗黒空間ですね・・
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この暗黒粘着空間みたいな中でミュートをつけたトロンボーンとテューバ・・かなり印象的な響きで2Bを鳴らします。
死の国からやってきた何かみたいです・・
応答するホルンの第1主題も凍り付いていく・・
ノーマルのホルンとゲシュトプのホルンがリレーしていて・・
暖かいものが奪われてなくなってしまった・・

その後再び葬送行進曲みたいな鬱状態へ入ってゆきます・・
今この場の2Bはとてつもなくネガティブなのは誰の耳にも明らかです。

しかし、この曲内での2Bを死を起因とするネガティブの象徴・と決めつけてしまうのは安易すぎですよね・・・
この際2Bがどういうところでに鳴っているかを見てみましょうか・・この曲の結論みたいなコーダはとりあえずおいておいて・

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展開部に入ると再び序奏が・・でも暗転しており、辺りはネガティブ一色の暗黒空間です。
バスクラが暗黒の粘体みたいなのをやっていますね・・
ホルンがゲシュトップフトでなんか言ってるのは2Bです。
なんかはっきり言わずにうだうだ・・・という感じですね・・
ここもネガティブです・・その後鬱になっちゃうんだから。

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鬱を経てよみがえり、生きる喜びいっぱい!みたいなところ・・
同じくホルンが叫んでいるのも2Bです。
その手前から低弦も2Bを叫んでる。
こういうところも死の恐怖が乱舞しているなんて感じる人もいるんでしょうね。
私にはその対極に感じられ、この2Bはポジティブな叫びに聞こえます。

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展開部のおしまいにも生の喜び、人の愛、この世の美しさ、太陽の光!・・みたいな部分があります。
それが極みみたいに達して愛を叫んだ直後にハンマー級の衝撃が襲うわけですね。。

この部分、6番フィナーレの
展開部に入って暗黒地帯を抜け出し・・生の喜び、人の愛、この世の美しさ、太陽の光!・・1回目のハンマー
の部分を思い起こさせます・・

異様なほど明るいこの部分でも2Bが叫ばれています。
愛を叫ぶでもいいし・・歓喜の歌でもいいし・・なんだろ・・いいねーここ・・
この叫びは極めてポジティブです・・


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そもそも2Bが紹介される提示部第2主題の最後・・力を増してゆき・・・圧倒的な力をもって第1主題の再提示に突入していきますが
この部分も極めてポジティブですよね・・・

よくみるといつも上昇音型みたいなのが周りにいますね・・これも第2主題2Aです・・

同じ要素が死を呼んできそうな氷の悪魔みたいになったり、人生の絶頂で暖かい愛を叫んでいたり・・
これは何なんでしょうか?
思うんですが2Bは・・いえ2Aも含めて第2主題は主人公の心そのもの・・なのではないかと思うんです。

死にはしないまでも思わず「死にたい」と口に出してしまったことのある人もいるでしょう。
その1次的な原因は外部にあるはずですが、その後ネガティブな何かを変形増大させていたのは自分自身の心だった・・ということに気付いたことのある方もいるのではないでしょうか・・

喜ぶのも、自分を殺してしまうのも・・自分の心なんです・・
暗黒空間みたいなところでずっと草が茂るように第2主題の冒頭から派生したようなものが生えていたのも納得できます・・闇も自分の心の中にあるものなので・・
この曲は喜びも、苦しみも、困難も抱えながら進んで行く人生を描いている音楽だと思うんです・・・
伝説を聞きかじってすぐにに死が・・死が・・・とかいってこの曲を分かったようなことを言っちゃいがちですが、そんなのにマスキングされてちゃんと感じられていない部分が多くあると思うんです(私がですよ)・・

終曲の曲尾に死ぬように・・という指示があるのは間違いありません・・
あそこ、人が死んでいくのは明らかです・・
でも曲の冒頭から告別だ(解説に必ず書いてあるベートーベンの告別の引用だというあれ・・)
もう死ぬんだ・・みたいなのはちょっと違うんじゃないかと思うんですよね私は・・・
もちろん、そういう感じ方があったっていいのは当然なんですけど・・

なんか結論めいていますが、まだ全然終わりません。
いろんなところに注目したいと思います。

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