書けば馬鹿にされるだけと思いつつ

コメントいただけてうれしいです。
ありがとうございました。
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本来私などがやるのはおかしいはずの氏子総代の代理を頼まれ朝から地域の神社へ。
回ってくるわけのない役が回ってきた訳はいい内容じゃないしここへ書いてもしょうがない。
月一の掃除のつもりで行ったらたくさんの人がいて驚く。
ちがった祭典の準備だった。
普段絶対入れないところへ入って雑巾がけをしたりというのは貴重な体験ではあったけれどそれもほどほどで終わってしまい偉くもなんともないはずの私なのに別枠みたいなところに座ってただけで終わってしまった。
氏子になるような人はみんな商売をやってきたとかでっかい農家だとか、そこそこでっかく太く生きてきた個性的な人ばかり。
話し方にも強い個性があり知らなければ怖いというかなんだこの人みたいに思うかも。
でも多分、みんなすごく優しくいい人。
昔から繰り返してきた初めての場で委縮しすぎて失敗してきた経験がフラッシュバックする中、時々優しく声と笑顔をかけてもらえた時はうれしかった。
酒もそうだけれど、普通の人が普通に乗るはずの話題が全く理解できず相変わらずの自分を知る。
それはそれとして大変ありがたい気持ちをもって挨拶をして家へ帰る。

素晴らしい天気で遠くへ出かけたいと思っていたけれどもう時間も時間。
一つ大切な用をこなし、付き合ってくれた嫁さんと昭和な喫茶店でパフェ。おっさんなのにココアパフェ。
それから晩飯までの時間つぶしに買い物か・・
そうだ待ってる間自分が時間を潰せるあそこの店にしよう。
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のんびり走るローカル私鉄の上を新幹線が轟音を立て矢のように通過してく。
結構うるさくて近所めいわ・・じゃなくて、
ひっきりなしに通過してゆくあの中には人がいっぱい。
みんながあの速度で進んで行くなら俺はこのローカル線・・いや違う、俺は地べたを這うナメクジだ。
こんなことを書いたってしょうがないけれど、楽器はまた非人間的駄目展開へ戻ってしまった。
戻ったんじゃなくて勘違いしていただけなんでしょう。
ほんとに子供が初めて持って30秒後にできるみたいなのが1年たってわからない。
まるでわからない。
傍目には人の言うことを聞かずちゃんと練習もしないくせに文句ばっかり言ってる馬鹿は辞めちまえというところでしょう。
昔からなんでもこのパターンで結果こんなになっちゃった。
そんな人生を、なんとかやり直したいんだけれど簡単にそうはさせてもらえないのね。
そうなるのを承知でナメクジみたいに・・はいいけど周りはそんなの理解できないから。
それも解っててなんだけど。
文字上だけじゃなく、実際に俺は人間じゃないんじゃないか?
誰の言葉も聞こえてこないし、誰もいない。
誰もいないんだよずっと。

他人にわかってもらおうという内容じゃないとは思うけれどもう何か話す相手がブログだけになっちゃったから、押さえてるものがあふれるとここへ流れ込んじゃうのね。
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スマホのメーラー、ゴミ箱を空にするを押す。
今時メールじゃないし荒唐無稽化していたものを消しただけだから何にも変わらないんだけれど、実際誰もいなくなりなにもなくなった。
望んでないけど経験により自分にとってベストなのは人と関わらないことだと思って生きてきた。
なのに今頃、そんな自分はみっともなくみじめだとか寂しいとかなんで出てくんの。
でもこれがなくなっちゃったら終わりかもな。
さっきからお前止めちまえよどうせまただめだみたいな声が聞こえる気がする。
辞めちゃうと2週間くらいでお前は生きてても意味がないみたいなのが出てきて延々ずーっと続くのは知ってる。
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綺麗だな。
でももう終わりみたいな気分で振り向くと暗くなってしまった空の雲間から明るく輝く月が顔を出そうとしているところだった。
大地の歌みたいだなとか思いながらもう写真を撮ろうという気もなくて。


https://www.youtube.com/watch?time_continue=2037&v=3pzIE7rx7JY
暗い夜への入り口。
やがて美しい月が昇ってくる。
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その光景がどんなに美しいものか、言葉が解らなくても音楽が教えてくれる。

おお友よ、この世では幸をつかめなかった!
と語る背後で静かに打ち鳴らされる銅鑼の音が行く先にあるのは死だと教えていると思う。
別に私が死ぬわけじゃないけど。
でもこの時俺は死ぬまでこのままなんだろうなとかなんとか考えていた。
いまはそれじゃ困るという気持ちがまた戻ってきた。
何にもわからずできない訳の分かんない私の唯一で最大の楽しみである音楽が、私からは最も遠く高い壁の向こうにあるというのは結構悲しくつらい。
この惨めな思いのまま死にたくない。

なに弱音はいてんだこれ。
そんなでいるからか風邪ひいちゃった。
負けたら終わりだ。
傍から見ればふざけてるようにしか見えないんだろうけど、また今日も練習します。

その後行ったいつものレストランはやっぱり連休なのに一組のお客さんもいなかった。
私は静かでいいなとか言ってればいいけど家族なんだろう少なくとも3人の人が働き空調や照明が動いて・・・大丈夫なのかな?
明るい光と丁寧な対応の中食べた料理はおいしかった。
ここで一人で食っても味気ないかもね。
今一人じゃないんだから。
音楽を聴こうという気もなくなちゃっていたけれど次の日犬と散歩をしていると不意に頭に浮かんだ曲があり、音楽部屋に座ると次々に聴きたい曲が浮かんだ。
音楽まで嫌いになっちゃったらおしまいだけどまだ大丈夫だと思う。




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トンネルと命

家のすぐ隣から勾配が始まって遠くに見えるでっかい山へつながってゆく。
その向こうには湖があるのだけれど、遠すぎてリアリティもない。
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ここはその山の中腹、
湖から大量の水が流れてくる長い隧道が掘られたのは江戸時代、1670年。
まだバッハも生まれていない。
立派なトンネルポータルみたいなのが整備されたのは大正時代くらいか、
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水を発電用に利用することになった時だと思う。
なんか綺麗。
江戸時代、水不足にあえぐ村は山の向こうに満々と称えられる湖の水を引くことを考えた。
あの頃、江戸の守りを兼ねる国境にトンネルを掘るというのは反逆行為みたいな要素があったかもしれない。
そこを実現させたというかやろうとしたところもすごいし、
両側から掘り始められたトンネルを山中でほとんど狂いなく貫通させた高度な測量技術も驚異的に素晴らしかったりするんだと思う。
この巨大プロジェクトを成功に導いた名主と・・役人もだったか・・はその後消息を絶ったかなんかで、おそらく処刑されたのだろうということになっていたと思う。
そういう人が生きていればヒーロー的存在になってしまたっりして支配者にとって都合が悪いんでしょうか。
当人たちにはきっとそのことが予測できていたんだろう。それでも多くの人間とその子孫の命を守ろうとして・・
今、生きづらい世の中とか言ってて確かにそうなんだろうけど、
昔はそもそも生きられるかどうかもわからないし、
生きても地獄みたいだし・・


https://www.youtube.com/watch?time_continue=1&v=1VA7OLh-2ZA
酒飲みながら豪快に何度も
生は暗く死もまた暗い・・
飲めない俺は歌でも歌おうか
歌も歌えないから笛でも吹こうか。
笛もならねーな。

避けられない死というものに強く魅かれ続けた作者は、いつもそうしてきたように出来上がったこの曲を自分で初演することはできないまま亡くなってしまった。
特にこの楽章で感じるけれどこの曲のスコアはそのままやると歌手をオケがかき消してしまう感じがあると思う。
もちろん作者はそこについてかなり配慮をした設計をしているんだと思う。当時最高レベルの歌劇場の現場に毎日いた人だから、超絶パワフルな歌手の技量を前提に書いたりしたんでしょうか。
聴いていて、あオケ抑え気味でやってるなぁなんて感じちゃったら興ざめ・・とかこういうのも音楽を聴く楽しみの一つだと思う。
試演ができていればもっとスコアに手を入れていたのかもしれません。
こういうのは理想的なバランスで聴こえるように配慮調整された録音ばかり聴いていると知らないままだ。
別に知る必要もないのかもしれないけれど、これを聴いたときも音楽は現場にも行きまくるべきだと思った・・・思ったきり行けてないのだけれど・・
くだらないこだわりで自分の行動を縛ったりするのは、自分で自分の人生を絞め殺しているようなものだと思う。
しかしまた、そんなきれいごとにすぐ乗れるんならとっくにそうし・・

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水で満たされたトンネルは何だか暗くちょっと怖いイメージ。
見てると時折何かが流れてくる。
白い・・・花びらかな?
湖のほとりに花でもあるんだろうか?
明るい世界へお帰りなさい。
暗いトンネルでも、また明るい光の下に出てこられるのならいいですよね。
このすぐ下には発電所の導水管への取水口があるはず。
昔仕事で柵の内側というか一歩間違えば導水管の中に落ちていくというところへ入ったことがある。
足元は滑り落とそうとしているかのような泥、暗い闇への入り口がすぐそこに口を開けていた光景を今でも覚えている。

今、小さな光を感じるから生きていられると思う。
今度トンネルに入ったら、もう出てこれないような気がする。
そんな暗闇の穴は意外にすぐそこにあるとも思う。

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峠まで登り、稜線を走る観光道路に乗ってみる・・・
暑さでか空気が湿気ちゃて消しくは曇りがち。
遠くから来た人は残念でしょう。
子供を含む人間であふれ・・かと思ったけれど意外にも人はあんまりいなかった。
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もうちょっと行くとドライブインみたいなのがあり・・
どうでもいいけれど後ろの街灯の明かりはふもとにある私の家周辺から見える。
全然手の届かない高い山の上にある光をまじかにみるのは
何度見ても不思議な気分になる。
来ちゃいけないところに来ちゃったかのような・・・
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振り返れば芦ノ湖。
あの水がトンネルをながれ、幼いころ毎日眺めた川にも流れてゆく。
湖には観光船。
みんなソフトクリーム食ったりして、場は和やかだ。
平和って大事ですよね。

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初氷から思い出したいくつかのこと

もう数日前になるけれど、
やけに寒いなと思っていたら
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車のガラスが凍ってた。
今年初。

氷といえばラヴェルに弟子入りした人が残した本のなかに毎日夕方になると機械式製氷機のハンドルを回し続けるのが日課だった・・・というようなことが書かれてあった。
とても面白かったので大事にしまってあるその本を今読み直す気がないため詳細は忘れたままだけど、ハンドルを回すのは同情せざるを得ないようなとても長い時間だった気がする。
散々回すと、小さな氷が一つ出来上がる。それを入れたカクテルを飲むことをラヴェルはとても楽しみにしていた。
家庭に冷蔵庫なんかなかった時代、それはとても美味しかったでしょうね。
仕組み的にはコンプレッサーを手で駆動みたいな話か・考えてみると冷凍庫の基本原理は100年くらい変わってないということ?

日本人はビールを冷やして飲むけれど中国人は常温で飲むそうだ。
私は飲まないのでかまわないけれど何だか気持ち悪そうだ。
仕事で日本へ来た中国人とその辺へ飯を食いに行ったとき、
「なんでいちいち冷たい水が出てくるんだ?」
え?どこでもそうだよ。
「氷が入ってるじゃないか!」
と不可解な顔をしているので
もてなしの気持ちだろ?というと
「今は冬だぞ!?寒いのに冷たい水?」
おまえらあほか?みたいな顔してた。
なるほど話の筋は通っているし気持ちはわからないでもない。でもそういうのお互い様だとも思う。
みんな正しいと信じているものなんてたまたま周りがそうだったくらいなもんでしかないのかもしれない。
常識や気持ちの解釈なんて場所が変わればひっくり返っちゃうものなんでしょうね。
どんなものでも何が正しいかとか俺は正しいとかムキになったってしょうがないんだよな。

そしてなんとなく逃げてる感じだった中国出張が確定した。
それがどうしたというところでしょうけどいろいろあって。
チャンスととらえてと思うけれど同時にリスクを背負う役が登場みたいな側面もあると思う。
そんなのあたりまえか。
あったっていいよなるようになるだけ。


https://www.youtube.com/watch?time_continue=0&v=1VA7OLh-2ZA

中国と酒といえばこの曲。
1曲目は「大地の哀愁に寄せる酒の歌」

これを初めて聴いたのは高校に入った頃。
ネットもない時代CDジャーナルという雑誌が毎月の情報源で、巻末にあったはがきにCDのカタログ番号を書き入れて送ると廃盤でない限りどんな盤でもゆうパックで送られてきた。
今じゃ考えられないけれど料金は同封された振込用紙による後払いで、この盤の代金を振り込みに農協の派出所みたいなところに歩いたときの映像がなぜか焼き付いている。草も田んぼも枯れている、冬だったのか。
30年も前の録音かぁ・・なんて思ったあの時からもう30年だもんな。
農協はたたんで駐車場となり、お世話になったベルトランという通販会社はAmazonの前じゃなすすべもなかっただろう検索しても誰かの思い出話すら見つけられない。

初めて買ったCDジャーナルは偶然なんだろうけどその後も興味を持ち続けるいくつかのことが記事になっていた。
なくなってしまったその一冊がどうしても見たくて数年前国会図書館に行ってみるとあの一冊と再会することができた。宝物みたいに何度も何度も読んだためか隅の方のちっちゃな広告まで頭にコピーされていたことを知り懐かしかった。
あの頃の紙面は流行歌の他ジャズも洋楽もクラシックも演歌もまたく分け隔てなく同じように扱われているうえ、かなりまじめで踏み込んだ論調もありいろんなことを教えてもらえた。
虹色に光るあの盤がまだ未来技術の象徴みたいな印象で扱われていたころ。
雑誌自体は今でもあるようだけどいまの中高生はもうCDなんか見たこともないんじゃないのかな?

当時の私にはまだこの音楽は理解できず、かっこいいと思った冒頭の3分間くらいだけど何度も聴いてたような記憶が。
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この辺りに萌えた覚えていた・・
今はそういう聞き方はしないけれど、流して聴けばさっと通り過ぎちゃうここも譜面を見ればいちいち細かく書きこんであっても見てると萌える。

この曲が自分にとって大事なものだと思うようになるのはもう10年くらいかかった。
いつも酒が絡んでいる交響曲大地の歌のテーマは生と死、最終的には死を受け入れること。
ほんとに身に染みるのはこれからかもしれない。

その後私は頭がいかれて暗黒の地獄を一人で生きているような気分で何年か過ごし今も引きずっているけれど、何にもできない私に唯一音楽を聴くという事がいつもあってくれたおかげで何とか生きた。
ありがとう音楽。

そういえば自分が下戸だと悟ったのは中学のころ知人宅でカクテルを飲もうという話になった時だった。
何が起こったのか理解できなかったし、それが自分にとってどういう意味なすのかはまだわからなかった。

人は昔話ばかりするようになると終わりが近い気がするけどまだそんなのじゃないよ。
最近新しいことを初めて今はそれが心の支え。

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朝顔は12月に入ってもつぼみをつけてくれてうれしかった。
そのつぼみはもう開くことができなかったけれど。
ありがとう。
頑張った朝顔にお前も今からでもなんか頑張れよと言われた気がする。
ほんとだね。
なんかやるよ。
すだちは採らずにほっといたら黄色くなった。

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富士山もまた新しい雪を受けて綺麗に化粧してた。

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元気になったと思った犬は今朝またくだしてた。
でも食欲はあるってなんなんだ?
冷えるからね。
あったかくして、がんばろ。

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もも

今日も会社に行ったら朝からいろいろ背負っちゃって・・
まあいいや。頑張ろう。
よく考えればありがたい。
今何か頑張る場は仕事くらいしかないんだから。

最近、いろいろあってわさわさしていたのでちょっと出かけた。
昔だったら近くというかここから旅が始まるくらいに思っていたあたり。
訳あって遠出ができない今ではそこそこ遠い場所だと感じる。
河口湖のあたりは気温計が25℃なんて表示していてびっくりした。
でも峠のトンネルを超えるとほとんど同じ標高なんだろうけどすごく暑い。
少し下って、桃の花がきれいだったところを通るのでなんとなく寄ってみた。

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花を咲かせていたあのころとは全然違ってなんかものすごい勢いで頑張る人みたいな印象になってるのね。
桃の実がいい感じに色づいて・・
風はあるけれど日が当たると暑い。
わかんないけどでもこれが桃を甘くする秘密の一つだったりするんでしょう?
夜は涼しくてとか。
果物あんまり食べない私だけど、桃ってわかりやすくおいしいよね。

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日が当たるといけないのか虫よけか・・何かわからないけど
一つ一つの実には丁寧に紙で傘がかけてあった。
いまいち実が見えなくて絵にならないけれど、
見せもんじゃないもんね。
そんななかに

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裸の実を見せている樹があった。
こんなこと言うと変態みたいだけど、
なんかこう、エロいんだよね。
桃の形がじゃなくてこう・・全体的なたたずまいが・・・
この写真だとエロさが伝わってないか。

桜に似たような花をつけるこの木だけれど、やっぱり桜とは違う。
当たり前か。
葉っぱもなんかこう積極的に攻めてるような感じ・・
これだけの実を維持しようと思うと奥ゆかしい感じじゃダメなんだろうね。
そういえば花もよく見ると優しいとか優雅とは違う前へ押す勢いがあったような。


https://www.youtube.com/watch?time_continue=1353&v=1VA7OLh-2ZA
マーラーの交響曲 大地の歌 
中心に置かれた第4楽章は「美について」

桃って中国から来たらしい。
この曲も桃とかエロとかそんなのを感じ・・

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中間部、乙女の前に馬に乗った王子が登場・・みたいなところ。
欄外にごちゃごちゃあるのはヴァイオリンへの指示で最後の小節の十六分音符でリアルにマンドリンを模倣すること・・だったけ?
東洋の竪琴のイメージでという事でしょうけれど、この曲実際にマンドリンも使われるのでこの時もオケの中にいるはず。
上の方ではリアルマンドリンもここだけやることに。
Stark besetztと書いてあって‥大きく占領?目立てってこと?
マーラーのスコアにはいたるところで欄外にこのような文書的な指示が見られます。
オペラの楽譜みたいですよね。そこが面白いんですけどね。
同じく歌劇場指揮者であり巨大管弦楽作品を残し成功した作曲家にリヒャルト・シュトラウスがいますが、彼の交響詩のスコアなんかを見ているとこんなごちゃごちゃ書いたような注訳はほとんど見かけない。
耳で聞く印象と異なり、意外にシンプルな楽譜の景色がかえって印象的。
作曲家としてだけでなく、演奏家としての考えや感覚の違いをここに見る気がする。
しかし彼らは互いの才能を認め合う中でもあったようだ。
マーラーは上演禁止状態なR・シュトラウスのサロメをウィーンの舞台に乗せようと奔走した。
(残念ながらかなわなかったようだ。)
マーラーの死を悟ったR・シュトラウスは君の第三交響曲を演奏する機会を設けたからぜひ指揮しに来てほしいという手紙を送っている。
(これも、かなわなかった。)

そして
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うちのこの乙女の本名はモモ。
近所の人がそう呼んでくれるから本人もそのつもりだと思う。
でも私は本名では絶対に呼ばない。
彼女もそこは承知。

この後、甲府盆地に降りてゆく。
いつ行っても思うけれど
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住宅地とこんなブドウ畑や桃畑が隣接混在している風景は
とても興味深く印象的。
いいところだなぁーと思う。
盆地で暑かったけど。

この日帰りがけに近所のいつものスーパーによったら桃が売られてた。
しおれちゃって黒くなったかわいそうなその実に衝撃を受けた。
樹になっている間は元気でニコニコ顔だったのかもしれない。
本当の私はこんなはずじゃないのに!
なんて嘆いているかな?
桃の世界にもいろいろあるのね。
がんばろう桃。


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伝わらなくてもお茶の谷

これも連休の一週間前。
連休にはこんな所行けないから。
山道を結構上がってきて
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お茶の谷。
写真撮らなかったけれどずーっと下のほうまで見下ろせる斜面にお茶畑があって、きっとここ昼夜での寒暖の差がものすごく大きいんだろうな・・そうするとうまいお茶ができたりするのかなぁなんて思ったりして。
なんか中国の山奥のどこかみたいだ。
そう思うとこれが鳴りだす。


マーラー大地の歌
第3楽章は「青春について」
また飲んでる。
酔っぱらってる。
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フルートとオーボエが重ねて始まって、ピッコロはオクターブ下げて記譜するのでフルートと同じ音を重ねる。対旋律のクラリネットは2本ユニゾン。
たったそれだけのことだけど裸のソロとは違うコーラスのかかったような不思議な音色と世界が展開する。
オーストリアの人間が作曲したわけですが、東洋人の我々が聴いても見事に中国感が出ていますよね。
どっかで聴く機会があったのかな?

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この終わり方なんていいですよね。
何気なく聞いていると気づかないけれどヴァイオリンが歌う旋律、途中2ndにリレーしてレーズを明確化しているんですね。
マーラーを聴くっていうのはこういうのも聴きとることなんだよね。
奏者は継いだとわからないように奏するけど聴きに行くと目の前に弓の動きがあるからこういうの目から入ってくる。1stがずっと歌ってたってかまわないものを作者はあえて2ndに渡してるんだからそこを聴きとりたい。
音像定位とかいって映像のないオーディオでそれをやろうとするとそれなりのことが必要になるんです。
・・・この手の話はどれだけ説明してもそう思わない人には伝わることはないと思うしそれでいいと思う。
人それぞれだし、みんな自分の世界が当然のありようだと思って生きているから。
中には違うものを見ると正すべき間違いだと感じすかさず攻撃しようとする人もいる。
意外にたくさんいる。
それが世の中というものなんだろう。


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村おこし的なお茶屋さんに入ると
何も頼んでないのにいいからお茶を飲んでよとお茶を入れえてくれた。

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ワサビアイスとお茶アイス。
いいねこのスタンド。
このあたりワサビも作っているみたいだ。
おいしんだろうな。

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このあたりのおばちゃんたちがやってるんでしょうね。
なんとか婦人部みたいなのでしょうか。
お茶の繁忙期は店を閉めますみたいな張り紙があった。
またいつか何か食いにこれるかな?
店の外にも席があって
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こんな川沿いで食べられる。
夏はいいだろうね。


今、家で飲んでいるお茶は何だか値の張るお茶。
もちろん自分で買うわけがない。
精神疾患を持った人がお礼をしなければならないと買って来た。
私が預かり間違いなく相手に手渡さなければまた何をしだすかわからない。
しかしその人物というのは妄想世界の中にだけ存在しているのであって実際に渡せるわけもない。
だったら渡したことにしてとっとと私が飲んでしまえばいいだろう。
しかし私は恐怖に怯え、お茶を絶対見つからないところへ隠した。
何故ここで恐怖という言葉が出てくるのかも、どれだけ説明しても伝わらないかもしれない。
それで構わないと思う。みんなにわかってもらえるなんてことはないしその必要もない。
じゃあなぜ書くのかもごくごく一部、たった一人でもいいから伝わればそれで私は救われるんです。

嫁さんが封を見ると3年前の賞味期限が書かれてあった。
さすが密封がいいのか飲んでみても何の不都合もない。
何だかまろやかでとてもおいしい。
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こんなお茶の谷で育った茶葉なのかなと思ってみる。

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連休とコンプレックス

大型連休ですね。
うちの隣は山ですが、水道工事屋さんの土場があります。
先程から複数人の話声がする。バーベキューするんだよねいつも。
バーベキューコンプレックスとか連休鬱といってみる。

連休初日の昨日は人のいなそうなところを狙って出かけました。
行ったことのないところへ行き、きれいな景色を見て空気を吸えば鬱状の気分も飛んでちょっといい気分になると実感できた。
日の光を浴びて自然の緑と青を見たほうがいいんだね。
今日はどこも人であふれているだろう。私は逆に人の楽しそうな顔を見るとめげてくるから・・
Googleマップを見たらそこらじゅうの道路が真っ赤である。
泊りがけの旅行はできないしたくさんの人を見るところにはいきたくない。
でも折角の青空と新緑だもんな犬と野山に弁当持っていこうか・・
誰も来ないようなところにしよう。
犬は察知して目が輝き始めた・・

ここから先は先週書いてあったもの。
連休を予感しすでに鬱傾向でネガティブな内容となっています。
恥ずかしいから書きなおそうかと思ったけどまあいいや・・
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ここはうちのそばの川をさかのぼり山へ入ったところ。
35年くらい前の日曜日、小学校のクラスみんなでバーベキューをしましたここで。
クラスの担任の先生が型にはまらず生徒に慕われみたいな先生だったんだろうと思う。
授業中何度か窓際のトットちゃんをよく読んで聞かせてくれた記憶があります。
ああいうのを意識していたのかもしれない。
あとがきで作者がこの学校と先生に出会わなければ私はコンプレックスだらけの大人になっていたと思う・・と言っていたのが印象に残っています。
私にはその意味がよくわからなかった。
今、私は誰のせいでもないと思うけれどコンプレックスだらけの大人だ。
分からなくてよかったそんなのは。

あのころすでに私は浮いていた気もするけれど、その後何度かここへきているのは記憶の中でここが楽しい場所だったからかもしれません。
でも仲間を誘ってまたここで・・というのは私の人生にはない。
車を持つようになってしばらく洗車場に通う小銭を惜しんで1人ここで洗車した。
川の水というのは綺麗に見えても細かい砂塵を巻き上げて流れているらしく、その水で洗車していたらボディーが小傷でくもったりして。
こんな場所だから怪しい人が書類の山を焼いているのを見たり、こじ開けられた金庫が捨ててあるのを見たりもした。
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10年くらい前この辺りに局地的豪雨がきて大規模な土砂崩れがこの場所を直撃しました。
私の記憶にあるこの場所とは風景も岩の形も変わってしまった。
それだけじゃなくて長い年月が過ぎ、私の記憶も遠ざかって変わってしまったのかもしれませんね。

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あれれ怖かったね・・
大丈夫。実際俺よりずっと機動力あるんだから。
連休になったりするといろんなところであの匂いがしますよね。
いいなと思うしなんの文句もありません。
この日も嫁さんと犬とスーパーで買ってきたパンをかじるだけ。
でもいいじゃない何だか気持ちがいいし。

マーラーの交響曲「大地の歌」は人の生と死というもののが大きなテーマになっていると思いますが、もうひとつのテーマは酒だ。
酒無しでは進まない。。

5楽章 Der Trunkene im Frühling 春に酔える者

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弦楽器にマンドリンをリアルに模倣しろみたいな指示があったりしたと思います。
竪琴のイメージですよね。
春の酔っぱらいという漢詩の世界だから。
次の楽章で実際にマンドリンが出てきますがここで安っぽく使っちゃわない辺りがいいんですかね。
如何にも中国な音楽ですが同時に西洋のおしゃれな優雅さもすごく持っている・・・このあたりとか・・

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鳥たちが春が来たんだよ!とか歌って聞かせるこの辺り・・
ワルターのこの盤、4小節目のピッコロが前の小節にかぶって楽譜より早く出るんですね・・
これら鳥たちが一斉にワーッと鳴きだしてように聴こえて私は大好き。

上流に見える景色にあの時のみんなの様子を重ねてみたりして。
一昨年くらいに学年全体の同窓会というのがあった。
同窓会の後、時折みんな集まってるようだ。
絶対に行かないはずの私だけどいってみたりもした。
下戸でもうまく楽しくやっている人は沢山いるんだから私がうまくいかないのはそれと関係ないと思う。
思いますがLINEに「unagi運転手便利だね」とあるのを見て冷めてしまいそれきりとなった。
いいかげん書いた人間に悪気はない事くらいはわかる。これまで積み重なったいろんな思いがそこへ出たんだろう。
仮に自分が酒豪だったとしてもそういうのにはいかなくなり、結局今と同じだったかもしれない。
むしろ酒に逃げて人生無駄にするようなことがなくてよかったのかもしれない。


ゴールデンウイークにはどこが主催か知らないけれど東京で大規模なクラシックのイベントみたいなものがあります。
通常のクラシックコンサートとは違う感じ。
巨大会場で一日中演奏が行われ続けて、1曲(クラシックだから約一時間)一コマで切符を買うようなの。
複数の会場でいろんな奏者がいろいろやっているので好きなコマをはしごして一日中いれば何曲も聴ける・・・・
音楽の展示会みたいな感じかな・・・
オケもいろいろやんなくちゃなんないから次の曲舞台上でさらってんのね。
一度行ったけど会場もお客もお祭り的でざわついており変態的に音楽に浸りたい私はちょっと居心地が悪かった。
夜一番遅い枠だけ冷やかしはみんな帰っちゃっていい感じだった。
今年はちょっと行く気がしなくては内容を調べてみようとも思わないけれど、あれはあれで普段クラシックなんか聞かない、聴けない人へ向けた素晴らしい場なんだろうとは思う。

まあいいの。
私は私で好きに楽しくやるから。
皆が出ていく場所に出ていかなくたっていいんでしょう?

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この光景は35年前にもみたような気がする。
以前は来れば思い出と重ねられたもんだけれど。
もうよくわからない。

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つばめ

朝から小鳥がすごい勢いで鳴いていました。鳴いてるというよりなんかこう演説でもしてるんじゃないかというような・・春ですね。
よく聞いてると同じパターンを繰り返しているからあれ何か意味があって言ってるのかもね。いいねぇ。
鳥の声、作曲家を刺激するらしくいろんな曲にいろんな形で出てきます。腕の見せ所的に萌えるんでしょうね。
虫の声をというのはあんまり出て来ません。
ラヴェルとかR・シュトラウスには出てくるので虫がいないとか興味がないわけじゃないんだろうけど、ある時代までキリスト教的観念で虫けらを芸術作品にのせるのはNGみたいな考え方があったみたい。

ここはたまに時間と場所的タイミングが合うと行くスーパー。
店舗階下の駐車場に車を停めると嫁さんがなんか指さして・・・
4341.png
つばめの夫婦。
かわいいよねー。
動くわけでも鳴くわけでもなくジーっとしてる。
なんとなく左の一歩前に出て胸を張ってる方が旦那っぽいでしょ?
彼らもこちらを見てなんか思ってるんでしょうね。
貧乏くせー夫婦だなぁとか。
ここに巣を作ろうかと思ってるのかな。もう夜だし今日はここで寝るのかな?



マーラーの大地の歌のフィナーレは夕日が山に沈む辺りから翌朝までの世界ですが途中こんな一説があります。

4348.png
     小鳥たちは静かに小枝へ休み


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     世界は眠りにつく

鳥たちが鳴いていますが、リアルな鳥描写とはまた違いますね。
絵巻物、掛け軸のなかみたいな象徴的な絵というか・・
フルートが騒めいてハープの下降グリッサンドが出てくるとこなんか魔法がかかってみんなコテッっと眠りにつくみたいですね。
子供のころによく見た藤城清治の影絵みたいなイメージが頭の中に浮かびます。
始めは5連符の頭抜けみたいだったのが最後の騒いでるフルートでは6連符になってたりして・・・、
西洋音楽の拍があってそれを整数できちっと割っていく、同じパターンを使う・・というのとは全然違うファジーというかより自然の側に沿っている感じ・・この感じが鳥の声に限らずこの先も多用されていくんですね。風の音、小川のせせらぎ・・風に揺れる草木・・
この自然のありのままをとらえて尊重しようみたいな感覚は東洋人のものですよね。
この曲見事に中国を感じさせる音楽ですが単に旋律や和声だけじゃなくてそういうところにも秘密があるんじゃないかな。
それはその後の交響曲第9番にも引き継がれていきます。

この後月明りに照らされた美しい世界で一人竪琴を弾きながら・・みたいな素晴らしい場面がまっています。
とてもとても美しいその世界に浸っていると、寝たはずの鳥の声が遠くに聴こえたのをきっかけに長大なエレジーに入っていく。
その先は死の香りも漂う世界だ。
どうも後半に出てくるこの鳥は単なる風景描写じゃなくて、寂しさの象徴みたいな感じがするなぁ・・
それはおまえがそんなだからからそう聞こえるんだろう・・もちろんそうですよ。
音楽は自分の心に映ったものを感じるんだから。

このスーパーは閉店時間が早い代わりに夕刻になると弁当そのほかに半額のシールが貼られるんです。
だからその時間近くにいたときだけ行く。
結構大量の弁当が半額になるんだけど見てるとみんなその時間を狙ってくるのでどんどんはけてくのね。
得した気分で喜んでるけど本当は半額で適正価格なのかな?
厳しい時代だし、みんな必死でいろいろ考えて商売してるんですよねきっと。
得した気で調子に乗ってもう惣菜一品買っちゃたりするから実際食いすぎかも。
でもまぁたまにはいいじゃないなんか楽しくて。

店から出たらつばめの夫婦の姿はありませんでした。
ここよそうよ落ち着かないしとかいう話になったのかな。
つばめも生まれたときからいきなり競争で、天敵を交わし長距離を飛び日本で子育てしにくるようなのは選ばれたアスリートみたいなスーパー夫婦なんだよね。
ほんわか幸せみたいな穏やかな世界じゃないのかもしれない。
でも右側の嫁さんぽいほうがちょっと寄り添うように斜めになってる感じなんかいいよねぇ・・
いいなぁ・・がんばれがんばれ。

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気持ちといのち

なんとなくいい天気である。
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遠くの山は白く霞んでる・・え?霞んでる?
黄砂のようにえるあの白いもの、よく見ると山の中から煙のように立ち上がっている。
杉の花粉だろあれ・・
車の表面にも恐るべき膜厚で堆積する杉花粉。
ブログには書かないけれど私は身体的欠陥とコンプレックスがあります。
でも花粉症じゃないことは唯一の私のよかったことで誰かに感謝したい。

睡眠時無呼吸症を疑い先月いろいろ測定した結果を聞きに病院へ行きました。
グラフみたいなものをもらったのでのせようかと思ったけど見苦しい気もするのでやめる。
結論的には確かに一晩に数回ほど無呼吸の状態が出ている。ただし回数も少なく軽症なので治療の必要はないとのこと。
最長1分間くらい息をしてないんだって。そりゃ嫁さんも何だこりゃと思うよな。

昔この病院で命を助けてもらった。具体的な治療はもっと大きな病院でだったけれど。
それでここを信頼して通っているんだけど予防も含めて診るというコンセプトだったと思う。
しきりに、ほかに気になることはないか?と聞いてくれる。
ありませんとか言いつつ、精神がずっと憂鬱状態なんですと思ったり。
多分言ってみればかなり真剣な顔で聞いてくれるとは思う。
でも運動したり、趣味のサークルなんか入ってみたらどうですか・・みたいな感じですねきっと。
それやるとおかしくなるんですとか言って困らせても行けないので笑顔で帰る。
ブログに自分が好きですなんて書いてるけどふと、生きていても意味がないんじゃないかという気持ちが差すことがある。ねじ伏せるけれど。
もう癌も冗談じゃすまない年齢に入った。
生きたいという気持ちが低下すると病気というのはあっという間に取りついて自分を滅ぼすと思う。
同い年でそうなった人がもういる。久しぶりに再会したとき、私の名前を読み間違った彼。その後うまくいっていないのを何度か見かけていた。

私がいなくなっても誰も困らないのかもしれないし、私自身何の達成感も満足感えられていないどころか敗北感みたいなのが堆積していく感じだけれどそれだけにまだ死にたくない。
それだとあまりにもみじめな気がする。

マーラーの大地の歌フィナーレの大詰め・・
この楽章実時間も30分程度かかる長大なものですが、美しく月に照らされた夜であると同時に暗黒の夜でもあったこの世界。
色々あった末、小川のせせらぎを聞きながら

私の孤独な魂は安住の場を探している。
心静かにその時をまとう。

そうつぶやくと

光が走ります。
光があたりを埋め尽くすと
優しさに包まれ美しく輝く世界の中で

愛しき大地には花が咲乱れるだろう・・永遠に・・

みたいなことを繰り返し消えていく。
この光は夜明けの光であると同時に、心の闇を照らす光でもあるわけでしょうね。
どこにも死という言葉は出てきませんが
これも人が死を受け入れた瞬間だろう。

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フルートの明るい旋律がいろんな楽器に受け継がれつつ弦楽器の光を導いていく。
ここ単純な伸ばしのようでかなり凝ったことになっています。
分奏したヴァイオリンほかいろんなものが絶妙なタイミングで重なっていく。
音もそうだけど、聴きに行くとステージ上の弦楽器の弓の動きからもそれを感じます。
音楽は芽でも聴くものなんですね。
オーディオに気のふれたようなお金と時間を割くのはそれを耳でも聴きとれるようにするためなんだけどそんなの今はどうでもいいか。

とても素晴らしく感動的なこの場面ですが心の底から共感したりしたらまずいだろう。
作者は弟子にこの曲を演奏すると自殺者が出るのではないか?と言ったという。
それは作り話じゃないと思う。
でも私はまだ死にたくないし、死んだ後に花が咲こうが何があろうがそんなの知らない。
まだ死んでいいとは全然思えない。

この後、昼食を取りにとあるカフェレストランみたいなのに行きました。
観光道路沿いにあり好意的なレビュー多数・・経験的にそういうところは・・
行ってみて外れかななんて思ったんだけど、今これを書きながら思うに
心がネガティブでいっぱいになってるからなんでもそう感じるんだろう。
ウキウキしてればあそこもよかったのかもね。
つぎに行った場所は天気も悪いしいろいろあってまたダメ
その次・・
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ここは天気もいまいちで結構人もたくさんいたのに
なぜか大丈夫だった。
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花のおかげかな?
場所のおかげかな?
天気のいい日にまた来たいと思った。
また行きたいところがあればそれだって生きてる理由になるから。

今朝、うぐいすの声を聴きました。
もう春ですよ。
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「・・・・・・」
また弁当買って花見行こうよ。

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4月からは自治会の役が回ってきます。その顔合わせに公民館へ。
途中月がいい感じ・・
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スマホじゃ写んないね。
もっとおとぎ話みたいな幻想的な絵がそこにあったんだけど。

月を愛でる音楽はきっとやまのようにたくさんあるんでしょうね。
マーラーの大地の歌。
終楽章は夕暮れから始まって夜中を通り夜明けまでの世界です。
始まってすぐに月が登って来るのを見て銀色の小舟とかなんとか歌っているのですが
その光景がどれほど美しいものかは歌詞を気にするまでもなく音楽がみせてくれます。

死によって実演の機会を奪われたマーラーに代わりこの曲を初演したブルーノ・ワルター。
この録音はステレオですがコロンビア響じゃなくてニューヨークフィルとの録音。

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この音楽、リアルな場面も目に浮かぶと同時に絵巻物的でもあると感じています。
クリムトの絵なんかを見てると周りを唐草模様みたいなのが埋め尽くしたりしています。世紀末の表現様式でユーゲント・シュティールですか、この楽章も木管が何パターンかの定型モチーフを執拗に繰り返すんだけどそれは唐草模様に相当するものでもあると思う。
クラリネットとチェロがハモって立体感と光が生まれて・・
弧を描いて登っていくクラリネットを追うようにハープとチェロが上昇していくのを聴くと月が夜空の海を進んでていくのが見える気がします。
そのすぐ後にくるオーボエの優しい響きは・・どこにも書いてないけどうさぎとか宝船に乗った七福神の笑顔がすすきの向こうに登っていくようなイメージが私の頭の中に浮かんでいます・・

と書いたはいいけれど、
夕暮れ時に見える三日月は必ず西の空の低い位置に見えてこれから沈んでいくんですね。
今この音楽で私の感じてるイメージとはちょっと違う。
登っていく三日月は夜明け前にでるそうなんだけど今この場面はまだ夜が始まったところだ・・

まぁ、いいじゃないそんなことは。
こういうの天体とか好きな人からすると耐え難い間違いだったりするのかもしれませんね。
でもここにあるのは幻想的ポエム世界だから。

初期や中期の作品みたいな変わった仕掛け的オーケストレーションはもうみあたらない。
ないけど、こんな驚きの絶景をみせてくれる・・
なんでも長年やって歳くってくるといらんハッタリかけなくても魅力みたいなものが普通に出てくるようになっていくんですかね。
私は歳くったけどなんにも出てこないけど。
何にもやんないからな。

写真にはちゃんと写ってないけど細い消えちゃいそうな三日月が好き。
誰だっけ、昔の中国の詩人が見た月や100年前にマーラーが見たのと同じ月を見てるのかなぁ・・
役員的な話は予想通りめんどくさい役をやらさ・・まぁやりますよ。

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どこへいくのか

昔、死にたくないと強く願いながら死から逃れられなかった人を見ました。
教えられることがあるとしたら、今この時間と生きられるという事をにしろということだと思う。
時々忘れていますが、何より大切なことだと思う。

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マーラーの交響曲「大地の歌」という曲の第6楽章は
演奏時間だけでなく、内容的にもこの曲の革新みたいなところだと思います。
舞台は夕暮れから始まって夜。
ある人物が自然を愛でたり、哲学的なことを考えながら誰かを待っている。
別れを告げるため・・
間奏を挟んだ後半、待ちに待った相手は現れるのだけど、

これからどこへ行くのか?
「ああ友よ、この世では幸せを掴めなかった・・・」

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言葉としてはそこまでしか言わない。
でもここで、運命というか超自然を象徴するようなオーボエとともに銅鑼がppで鳴るんですよね。
この銅鑼を聴いて、あぁこの人これから死にに行くんだな・・・と感じる・・



この言葉を語る旋律は明るい長調なんですね。
この暗い内容を笑顔で答えている・・もう心は決まっているんだろう。

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そう考えるとこの直前、
「友は馬から降りて別れの盃を差し出した・・」
とか言っている後ろでずっとこの銅鑼が鳴っている・・
死にとりつかれた人間の姿が描かれていた。

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そもそもこの曲は銅鑼の音で開始する。
冒頭から逃れることのできない死の定めが予告されているんだろう・・

運命というか定めを象徴するみたいなオーボエのこの動機は基本的に指すような32分音符なのに、
このこの世に幸せはなかった・・のところは少し優しく16音符なんですよね。
あんまりGほちゃごちゃ核と屁理屈野郎みたいだけど、もう死を受け入れたものに対して運命は少し優しいみたいでしょ。


最近この待ち人は第三者なんじゃなくて実は自分自身の心なんじゃないかと思ってみたりもします。
そんなんじゃないかもしれない。
どちらにしろ、本人もこの後自らの死を受けいれていくんだと思う。死という言葉は一言も出ないけれど・・・

作曲者は弟子のワルターに「この曲を演奏したら自殺者が出るのではないか?」というようなことを言ったという。
自殺以前に、作者自身が感染症により突然あるはずだった人生を奪われてしまい、この曲を初演することも聴くこともできないままとなってしまった。

生きていると生きているのが当たり前だと思っていますが、生きられる時間はとてもはかなく微かなものなのかもしれません。
当たり前ではないのかもしれません。
貴重なこの時間とチャンスを無駄にしてはいけないと思う。
思うんだけれどじゃあ何をというのもうまくいかない。
とりあえず私はまだ全然死にたくないですけどね。
なんにも得られてないけど音楽聴ければそれでいいやもう。

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結構さみしいけど結構楽しいよ。
クラシック音楽が好きです。

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