伝わらなくてもお茶の谷

これも連休の一週間前。
連休にはこんな所行けないから。
山道を結構上がってきて
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お茶の谷。
写真撮らなかったけれどずーっと下のほうまで見下ろせる斜面にお茶畑があって、きっとここ昼夜での寒暖の差がものすごく大きいんだろうな・・そうするとうまいお茶ができたりするのかなぁなんて思ったりして。
なんか中国の山奥のどこかみたいだ。
そう思うとこれが鳴りだす。


マーラー大地の歌
第3楽章は「青春について」
また飲んでる。
酔っぱらってる。
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フルートとオーボエが重ねて始まって、ピッコロはオクターブ下げて記譜するのでフルートと同じ音を重ねる。対旋律のクラリネットは2本ユニゾン。
たったそれだけのことだけど裸のソロとは違うコーラスのかかったような不思議な音色と世界が展開する。
オーストリアの人間が作曲したわけですが、東洋人の我々が聴いても見事に中国感が出ていますよね。
どっかで聴く機会があったのかな?

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この終わり方なんていいですよね。
何気なく聞いていると気づかないけれどヴァイオリンが歌う旋律、途中2ndにリレーしてレーズを明確化しているんですね。
マーラーを聴くっていうのはこういうのも聴きとることなんだよね。
奏者は継いだとわからないように奏するけど聴きに行くと目の前に弓の動きがあるからこういうの目から入ってくる。1stがずっと歌ってたってかまわないものを作者はあえて2ndに渡してるんだからそこを聴きとりたい。
音像定位とかいって映像のないオーディオでそれをやろうとするとそれなりのことが必要になるんです。
・・・この手の話はどれだけ説明してもそう思わない人には伝わることはないと思うしそれでいいと思う。
人それぞれだし、みんな自分の世界が当然のありようだと思って生きているから。
中には違うものを見ると正すべき間違いだと感じすかさず攻撃しようとする人もいる。
意外にたくさんいる。
それが世の中というものなんだろう。


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村おこし的なお茶屋さんに入ると
何も頼んでないのにいいからお茶を飲んでよとお茶を入れえてくれた。

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ワサビアイスとお茶アイス。
いいねこのスタンド。
このあたりワサビも作っているみたいだ。
おいしんだろうな。

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このあたりのおばちゃんたちがやってるんでしょうね。
なんとか婦人部みたいなのでしょうか。
お茶の繁忙期は店を閉めますみたいな張り紙があった。
またいつか何か食いにこれるかな?
店の外にも席があって
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こんな川沿いで食べられる。
夏はいいだろうね。


今、家で飲んでいるお茶は何だか値の張るお茶。
もちろん自分で買うわけがない。
精神疾患を持った人がお礼をしなければならないと買って来た。
私が預かり間違いなく相手に手渡さなければまた何をしだすかわからない。
しかしその人物というのは妄想世界の中にだけ存在しているのであって実際に渡せるわけもない。
だったら渡したことにしてとっとと私が飲んでしまえばいいだろう。
しかし私は恐怖に怯え、お茶を絶対見つからないところへ隠した。
何故ここで恐怖という言葉が出てくるのかも、どれだけ説明しても伝わらないかもしれない。
それで構わないと思う。みんなにわかってもらえるなんてことはないしその必要もない。
じゃあなぜ書くのかもごくごく一部、たった一人でもいいから伝わればそれで私は救われるんです。

嫁さんが封を見ると3年前の賞味期限が書かれてあった。
さすが密封がいいのか飲んでみても何の不都合もない。
何だかまろやかでとてもおいしい。
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こんなお茶の谷で育った茶葉なのかなと思ってみる。

連休とコンプレックス

大型連休ですね。
うちの隣は山ですが、水道工事屋さんの土場があります。
先程から複数人の話声がする。バーベキューするんだよねいつも。
バーベキューコンプレックスとか連休鬱といってみる。

連休初日の昨日は人のいなそうなところを狙って出かけました。
行ったことのないところへ行き、きれいな景色を見て空気を吸えば鬱状の気分も飛んでちょっといい気分になると実感できた。
日の光を浴びて自然の緑と青を見たほうがいいんだね。
今日はどこも人であふれているだろう。私は逆に人の楽しそうな顔を見るとめげてくるから・・
Googleマップを見たらそこらじゅうの道路が真っ赤である。
泊りがけの旅行はできないしたくさんの人を見るところにはいきたくない。
でも折角の青空と新緑だもんな犬と野山に弁当持っていこうか・・
誰も来ないようなところにしよう。
犬は察知して目が輝き始めた・・

ここから先は先週書いてあったもの。
連休を予感しすでに鬱傾向でネガティブな内容となっています。
恥ずかしいから書きなおそうかと思ったけどまあいいや・・
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ここはうちのそばの川をさかのぼり山へ入ったところ。
35年くらい前の日曜日、小学校のクラスみんなでバーベキューをしましたここで。
クラスの担任の先生が型にはまらず生徒に慕われみたいな先生だったんだろうと思う。
授業中何度か窓際のトットちゃんをよく読んで聞かせてくれた記憶があります。
ああいうのを意識していたのかもしれない。
あとがきで作者がこの学校と先生に出会わなければ私はコンプレックスだらけの大人になっていたと思う・・と言っていたのが印象に残っています。
私にはその意味がよくわからなかった。
今、私は誰のせいでもないと思うけれどコンプレックスだらけの大人だ。
分からなくてよかったそんなのは。

あのころすでに私は浮いていた気もするけれど、その後何度かここへきているのは記憶の中でここが楽しい場所だったからかもしれません。
でも仲間を誘ってまたここで・・というのは私の人生にはない。
車を持つようになってしばらく洗車場に通う小銭を惜しんで1人ここで洗車した。
川の水というのは綺麗に見えても細かい砂塵を巻き上げて流れているらしく、その水で洗車していたらボディーが小傷でくもったりして。
こんな場所だから怪しい人が書類の山を焼いているのを見たり、こじ開けられた金庫が捨ててあるのを見たりもした。
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10年くらい前この辺りに局地的豪雨がきて大規模な土砂崩れがこの場所を直撃しました。
私の記憶にあるこの場所とは風景も岩の形も変わってしまった。
それだけじゃなくて長い年月が過ぎ、私の記憶も遠ざかって変わってしまったのかもしれませんね。

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あれれ怖かったね・・
大丈夫。実際俺よりずっと機動力あるんだから。
連休になったりするといろんなところであの匂いがしますよね。
いいなと思うしなんの文句もありません。
この日も嫁さんと犬とスーパーで買ってきたパンをかじるだけ。
でもいいじゃない何だか気持ちがいいし。

マーラーの交響曲「大地の歌」は人の生と死というもののが大きなテーマになっていると思いますが、もうひとつのテーマは酒だ。
酒無しでは進まない。。

5楽章 Der Trunkene im Frühling 春に酔える者

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弦楽器にマンドリンをリアルに模倣しろみたいな指示があったりしたと思います。
竪琴のイメージですよね。
春の酔っぱらいという漢詩の世界だから。
次の楽章で実際にマンドリンが出てきますがここで安っぽく使っちゃわない辺りがいいんですかね。
如何にも中国な音楽ですが同時に西洋のおしゃれな優雅さもすごく持っている・・・このあたりとか・・

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鳥たちが春が来たんだよ!とか歌って聞かせるこの辺り・・
ワルターのこの盤、4小節目のピッコロが前の小節にかぶって楽譜より早く出るんですね・・
これら鳥たちが一斉にワーッと鳴きだしてように聴こえて私は大好き。

上流に見える景色にあの時のみんなの様子を重ねてみたりして。
一昨年くらいに学年全体の同窓会というのがあった。
同窓会の後、時折みんな集まってるようだ。
絶対に行かないはずの私だけどいってみたりもした。
下戸でもうまく楽しくやっている人は沢山いるんだから私がうまくいかないのはそれと関係ないと思う。
思いますがLINEに「unagi運転手便利だね」とあるのを見て冷めてしまいそれきりとなった。
いいかげん書いた人間に悪気はない事くらいはわかる。これまで積み重なったいろんな思いがそこへ出たんだろう。
仮に自分が酒豪だったとしてもそういうのにはいかなくなり、結局今と同じだったかもしれない。
むしろ酒に逃げて人生無駄にするようなことがなくてよかったのかもしれない。


ゴールデンウイークにはどこが主催か知らないけれど東京で大規模なクラシックのイベントみたいなものがあります。
通常のクラシックコンサートとは違う感じ。
巨大会場で一日中演奏が行われ続けて、1曲(クラシックだから約一時間)一コマで切符を買うようなの。
複数の会場でいろんな奏者がいろいろやっているので好きなコマをはしごして一日中いれば何曲も聴ける・・・・
音楽の展示会みたいな感じかな・・・
オケもいろいろやんなくちゃなんないから次の曲舞台上でさらってんのね。
一度行ったけど会場もお客もお祭り的でざわついており変態的に音楽に浸りたい私はちょっと居心地が悪かった。
夜一番遅い枠だけ冷やかしはみんな帰っちゃっていい感じだった。
今年はちょっと行く気がしなくては内容を調べてみようとも思わないけれど、あれはあれで普段クラシックなんか聞かない、聴けない人へ向けた素晴らしい場なんだろうとは思う。

まあいいの。
私は私で好きに楽しくやるから。
皆が出ていく場所に出ていかなくたっていいんでしょう?

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この光景は35年前にもみたような気がする。
以前は来れば思い出と重ねられたもんだけれど。
もうよくわからない。

つばめ

朝から小鳥がすごい勢いで鳴いていました。鳴いてるというよりなんかこう演説でもしてるんじゃないかというような・・春ですね。
よく聞いてると同じパターンを繰り返しているからあれ何か意味があって言ってるのかもね。いいねぇ。
鳥の声、作曲家を刺激するらしくいろんな曲にいろんな形で出てきます。腕の見せ所的に萌えるんでしょうね。
虫の声をというのはあんまり出て来ません。
ラヴェルとかR・シュトラウスには出てくるので虫がいないとか興味がないわけじゃないんだろうけど、ある時代までキリスト教的観念で虫けらを芸術作品にのせるのはNGみたいな考え方があったみたい。

ここはたまに時間と場所的タイミングが合うと行くスーパー。
店舗階下の駐車場に車を停めると嫁さんがなんか指さして・・・
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つばめの夫婦。
かわいいよねー。
動くわけでも鳴くわけでもなくジーっとしてる。
なんとなく左の一歩前に出て胸を張ってる方が旦那っぽいでしょ?
彼らもこちらを見てなんか思ってるんでしょうね。
貧乏くせー夫婦だなぁとか。
ここに巣を作ろうかと思ってるのかな。もう夜だし今日はここで寝るのかな?



マーラーの大地の歌のフィナーレは夕日が山に沈む辺りから翌朝までの世界ですが途中こんな一説があります。

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     小鳥たちは静かに小枝へ休み


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     世界は眠りにつく

鳥たちが鳴いていますが、リアルな鳥描写とはまた違いますね。
絵巻物、掛け軸のなかみたいな象徴的な絵というか・・
フルートが騒めいてハープの下降グリッサンドが出てくるとこなんか魔法がかかってみんなコテッっと眠りにつくみたいですね。
子供のころによく見た藤城清治の影絵みたいなイメージが頭の中に浮かびます。
始めは5連符の頭抜けみたいだったのが最後の騒いでるフルートでは6連符になってたりして・・・、
西洋音楽の拍があってそれを整数できちっと割っていく、同じパターンを使う・・というのとは全然違うファジーというかより自然の側に沿っている感じ・・この感じが鳥の声に限らずこの先も多用されていくんですね。風の音、小川のせせらぎ・・風に揺れる草木・・
この自然のありのままをとらえて尊重しようみたいな感覚は東洋人のものですよね。
この曲見事に中国を感じさせる音楽ですが単に旋律や和声だけじゃなくてそういうところにも秘密があるんじゃないかな。
それはその後の交響曲第9番にも引き継がれていきます。

この後月明りに照らされた美しい世界で一人竪琴を弾きながら・・みたいな素晴らしい場面がまっています。
とてもとても美しいその世界に浸っていると、寝たはずの鳥の声が遠くに聴こえたのをきっかけに長大なエレジーに入っていく。
その先は死の香りも漂う世界だ。
どうも後半に出てくるこの鳥は単なる風景描写じゃなくて、寂しさの象徴みたいな感じがするなぁ・・
それはおまえがそんなだからからそう聞こえるんだろう・・もちろんそうですよ。
音楽は自分の心に映ったものを感じるんだから。

このスーパーは閉店時間が早い代わりに夕刻になると弁当そのほかに半額のシールが貼られるんです。
だからその時間近くにいたときだけ行く。
結構大量の弁当が半額になるんだけど見てるとみんなその時間を狙ってくるのでどんどんはけてくのね。
得した気分で喜んでるけど本当は半額で適正価格なのかな?
厳しい時代だし、みんな必死でいろいろ考えて商売してるんですよねきっと。
得した気で調子に乗ってもう惣菜一品買っちゃたりするから実際食いすぎかも。
でもまぁたまにはいいじゃないなんか楽しくて。

店から出たらつばめの夫婦の姿はありませんでした。
ここよそうよ落ち着かないしとかいう話になったのかな。
つばめも生まれたときからいきなり競争で、天敵を交わし長距離を飛び日本で子育てしにくるようなのは選ばれたアスリートみたいなスーパー夫婦なんだよね。
ほんわか幸せみたいな穏やかな世界じゃないのかもしれない。
でも右側の嫁さんぽいほうがちょっと寄り添うように斜めになってる感じなんかいいよねぇ・・
いいなぁ・・がんばれがんばれ。

気持ちといのち

なんとなくいい天気である。
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遠くの山は白く霞んでる・・え?霞んでる?
黄砂のようにえるあの白いもの、よく見ると山の中から煙のように立ち上がっている。
杉の花粉だろあれ・・
車の表面にも恐るべき膜厚で堆積する杉花粉。
ブログには書かないけれど私は身体的欠陥とコンプレックスがあります。
でも花粉症じゃないことは唯一の私のよかったことで誰かに感謝したい。

睡眠時無呼吸症を疑い先月いろいろ測定した結果を聞きに病院へ行きました。
グラフみたいなものをもらったのでのせようかと思ったけど見苦しい気もするのでやめる。
結論的には確かに一晩に数回ほど無呼吸の状態が出ている。ただし回数も少なく軽症なので治療の必要はないとのこと。
最長1分間くらい息をしてないんだって。そりゃ嫁さんも何だこりゃと思うよな。

昔この病院で命を助けてもらった。具体的な治療はもっと大きな病院でだったけれど。
それでここを信頼して通っているんだけど予防も含めて診るというコンセプトだったと思う。
しきりに、ほかに気になることはないか?と聞いてくれる。
ありませんとか言いつつ、精神がずっと憂鬱状態なんですと思ったり。
多分言ってみればかなり真剣な顔で聞いてくれるとは思う。
でも運動したり、趣味のサークルなんか入ってみたらどうですか・・みたいな感じですねきっと。
それやるとおかしくなるんですとか言って困らせても行けないので笑顔で帰る。
ブログに自分が好きですなんて書いてるけどふと、生きていても意味がないんじゃないかという気持ちが差すことがある。ねじ伏せるけれど。
もう癌も冗談じゃすまない年齢に入った。
生きたいという気持ちが低下すると病気というのはあっという間に取りついて自分を滅ぼすと思う。
同い年でそうなった人がもういる。久しぶりに再会したとき、私の名前を読み間違った彼。その後うまくいっていないのを何度か見かけていた。

私がいなくなっても誰も困らないのかもしれないし、私自身何の達成感も満足感えられていないどころか敗北感みたいなのが堆積していく感じだけれどそれだけにまだ死にたくない。
それだとあまりにもみじめな気がする。

マーラーの大地の歌フィナーレの大詰め・・
この楽章実時間も30分程度かかる長大なものですが、美しく月に照らされた夜であると同時に暗黒の夜でもあったこの世界。
色々あった末、小川のせせらぎを聞きながら

私の孤独な魂は安住の場を探している。
心静かにその時をまとう。

そうつぶやくと

光が走ります。
光があたりを埋め尽くすと
優しさに包まれ美しく輝く世界の中で

愛しき大地には花が咲乱れるだろう・・永遠に・・

みたいなことを繰り返し消えていく。
この光は夜明けの光であると同時に、心の闇を照らす光でもあるわけでしょうね。
どこにも死という言葉は出てきませんが
これも人が死を受け入れた瞬間だろう。

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フルートの明るい旋律がいろんな楽器に受け継がれつつ弦楽器の光を導いていく。
ここ単純な伸ばしのようでかなり凝ったことになっています。
分奏したヴァイオリンほかいろんなものが絶妙なタイミングで重なっていく。
音もそうだけど、聴きに行くとステージ上の弦楽器の弓の動きからもそれを感じます。
音楽は芽でも聴くものなんですね。
オーディオに気のふれたようなお金と時間を割くのはそれを耳でも聴きとれるようにするためなんだけどそんなの今はどうでもいいか。

とても素晴らしく感動的なこの場面ですが心の底から共感したりしたらまずいだろう。
作者は弟子にこの曲を演奏すると自殺者が出るのではないか?と言ったという。
それは作り話じゃないと思う。
でも私はまだ死にたくないし、死んだ後に花が咲こうが何があろうがそんなの知らない。
まだ死んでいいとは全然思えない。

この後、昼食を取りにとあるカフェレストランみたいなのに行きました。
観光道路沿いにあり好意的なレビュー多数・・経験的にそういうところは・・
行ってみて外れかななんて思ったんだけど、今これを書きながら思うに
心がネガティブでいっぱいになってるからなんでもそう感じるんだろう。
ウキウキしてればあそこもよかったのかもね。
つぎに行った場所は天気も悪いしいろいろあってまたダメ
その次・・
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ここは天気もいまいちで結構人もたくさんいたのに
なぜか大丈夫だった。
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花のおかげかな?
場所のおかげかな?
天気のいい日にまた来たいと思った。
また行きたいところがあればそれだって生きてる理由になるから。

今朝、うぐいすの声を聴きました。
もう春ですよ。
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「・・・・・・」
また弁当買って花見行こうよ。

4月からは自治会の役が回ってきます。その顔合わせに公民館へ。
途中月がいい感じ・・
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スマホじゃ写んないね。
もっとおとぎ話みたいな幻想的な絵がそこにあったんだけど。

月を愛でる音楽はきっとやまのようにたくさんあるんでしょうね。
マーラーの大地の歌。
終楽章は夕暮れから始まって夜中を通り夜明けまでの世界です。
始まってすぐに月が登って来るのを見て銀色の小舟とかなんとか歌っているのですが
その光景がどれほど美しいものかは歌詞を気にするまでもなく音楽がみせてくれます。

死によって実演の機会を奪われたマーラーに代わりこの曲を初演したブルーノ・ワルター。
この録音はステレオですがコロンビア響じゃなくてニューヨークフィルとの録音。

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この音楽、リアルな場面も目に浮かぶと同時に絵巻物的でもあると感じています。
クリムトの絵なんかを見てると周りを唐草模様みたいなのが埋め尽くしたりしています。世紀末の表現様式でユーゲント・シュティールですか、この楽章も木管が何パターンかの定型モチーフを執拗に繰り返すんだけどそれは唐草模様に相当するものでもあると思う。
クラリネットとチェロがハモって立体感と光が生まれて・・
弧を描いて登っていくクラリネットを追うようにハープとチェロが上昇していくのを聴くと月が夜空の海を進んでていくのが見える気がします。
そのすぐ後にくるオーボエの優しい響きは・・どこにも書いてないけどうさぎとか宝船に乗った七福神の笑顔がすすきの向こうに登っていくようなイメージが私の頭の中に浮かんでいます・・

と書いたはいいけれど、
夕暮れ時に見える三日月は必ず西の空の低い位置に見えてこれから沈んでいくんですね。
今この音楽で私の感じてるイメージとはちょっと違う。
登っていく三日月は夜明け前にでるそうなんだけど今この場面はまだ夜が始まったところだ・・

まぁ、いいじゃないそんなことは。
こういうの天体とか好きな人からすると耐え難い間違いだったりするのかもしれませんね。
でもここにあるのは幻想的ポエム世界だから。

初期や中期の作品みたいな変わった仕掛け的オーケストレーションはもうみあたらない。
ないけど、こんな驚きの絶景をみせてくれる・・
なんでも長年やって歳くってくるといらんハッタリかけなくても魅力みたいなものが普通に出てくるようになっていくんですかね。
私は歳くったけどなんにも出てこないけど。
何にもやんないからな。

写真にはちゃんと写ってないけど細い消えちゃいそうな三日月が好き。
誰だっけ、昔の中国の詩人が見た月や100年前にマーラーが見たのと同じ月を見てるのかなぁ・・
役員的な話は予想通りめんどくさい役をやらさ・・まぁやりますよ。

どこへいくのか

昔、死にたくないと強く願いながら死から逃れられなかった人を見ました。
教えられることがあるとしたら、今この時間と生きられるという事をにしろということだと思う。
時々忘れていますが、何より大切なことだと思う。

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マーラーの交響曲「大地の歌」という曲の第6楽章は
演奏時間だけでなく、内容的にもこの曲の革新みたいなところだと思います。
舞台は夕暮れから始まって夜。
ある人物が自然を愛でたり、哲学的なことを考えながら誰かを待っている。
別れを告げるため・・
間奏を挟んだ後半、待ちに待った相手は現れるのだけど、

これからどこへ行くのか?
「ああ友よ、この世では幸せを掴めなかった・・・」

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言葉としてはそこまでしか言わない。
でもここで、運命というか超自然を象徴するようなオーボエとともに銅鑼がppで鳴るんですよね。
この銅鑼を聴いて、あぁこの人これから死にに行くんだな・・・と感じる・・



この言葉を語る旋律は明るい長調なんですね。
この暗い内容を笑顔で答えている・・もう心は決まっているんだろう。

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そう考えるとこの直前、
「友は馬から降りて別れの盃を差し出した・・」
とか言っている後ろでずっとこの銅鑼が鳴っている・・
死にとりつかれた人間の姿が描かれていた。

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そもそもこの曲は銅鑼の音で開始する。
冒頭から逃れることのできない死の定めが予告されているんだろう・・

運命というか定めを象徴するみたいなオーボエのこの動機は基本的に指すような32分音符なのに、
このこの世に幸せはなかった・・のところは少し優しく16音符なんですよね。
あんまりGほちゃごちゃ核と屁理屈野郎みたいだけど、もう死を受け入れたものに対して運命は少し優しいみたいでしょ。


最近この待ち人は第三者なんじゃなくて実は自分自身の心なんじゃないかと思ってみたりもします。
そんなんじゃないかもしれない。
どちらにしろ、本人もこの後自らの死を受けいれていくんだと思う。死という言葉は一言も出ないけれど・・・

作曲者は弟子のワルターに「この曲を演奏したら自殺者が出るのではないか?」というようなことを言ったという。
自殺以前に、作者自身が感染症により突然あるはずだった人生を奪われてしまい、この曲を初演することも聴くこともできないままとなってしまった。

生きていると生きているのが当たり前だと思っていますが、生きられる時間はとてもはかなく微かなものなのかもしれません。
当たり前ではないのかもしれません。
貴重なこの時間とチャンスを無駄にしてはいけないと思う。
思うんだけれどじゃあ何をというのもうまくいかない。
とりあえず私はまだ全然死にたくないですけどね。
なんにも得られてないけど音楽聴ければそれでいいやもう。

落ち葉

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紅葉ってなんで人を魅了するんでしょうね。
紅葉に限らず、秋もいい季節ですよね。
一方、音楽だと人生の終焉を悟ったような・・・そんなところに秋を感じることがあります・・

マーラーの交響曲「大地の歌」
第2楽章 秋に寂しき者



またしてもワルターですが、一連のステレオ録音の中で何曲かはコロンビア響じゃなくてニューヨークフィルなんですよね。
この曲もそうです。彼らでコンサートをやった後に録ったんだっけ?
・・・別なソリストとカーネギーホールでコンサートを行っているのとほぼ同時に録ったみたいです・・レコード会社のとの契約など録音のために別なソリストを探していたみたいです・・・
余計な話ですが、最初にチェロが出てくる直前に走り去っていく自動車のエンジン音が入っています。
Youtubeとかだと聴こえないかもしれません。1958年・・この車の主は自分の運転する車の音が永久にとらえられていることを知っていたのかな?知るわけないか。
このチェロ、とても重要だと思うんです。

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初めて聴いたとき、内容も何も知らないけれど秋の音楽だと思った。
このヴァイオリンは木の葉が舞い落ちるさまに聞こえてしょうがないですよね・・

でも、歌詞は「湖水も草木も霧に覆われ・・」という日の光のささない冷たく静まった光景を歌い、赤い木の葉が落ちる世界はそこにはありません。
ではこれは何なのか・・

歌は目の前にある景色を語った後、
私の心はもう疲れた
私の灯も消えてしまう
安らぐ場所へ行かせてほしい
私には癒しが必要なのです
私は一人で泣いている
愛の太陽はもう私の心を癒してくれないの?

みたいなことを歌います。実際はもうちょと言葉があります。
そのまま受け取ってもいいですが・・マーラーの曲ですもん、これは人とのかかわりの中で傷つき疲れ果て希望を失ったものが死に安らぎを求めている・・ということなんじゃないかと思うんです。
この交響曲全体を貫くテーマも色々あるけどみんな死んでいくし、私も死ぬんだ・・みたいなものを感じるんですね。

突然「私の心はもう疲れた・・」とか言いだすところ
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チェロのピッチカートが湖面に落ち、ビオラ→チェロと波紋が広がってゆく・・・
これは次の交響曲第9番でも悟りを開いて後光が差したような場面に出てきます。
これは、目の前にある情景ではなく、心の中に広がる波だと思うんです。

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交響曲第9番第1楽章のコーダ
私はここを自分の人生を受け入れた場面だと思っています。
余計な話だし何回も言ってしつこいけどマーラーの9番を馬鹿の一つ覚え的に死におびえる音楽だとか葬送だとかいう解釈には賛成できません。
大方の解説にいまもそんなことが書いてあったり、どこのどんな偉い人がそう言おうとそれに私の考えを同調させる必要はないと思う。。
まぁいいかそれは。

「おお愛の太陽よ」叫ぶと音楽も美しく情熱的に叫びます。
癒しの音型が鳴り響きますが・・

もう私の涙を乾かしてはくれないの?みたいなところ
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疲れた・・と同じ。
心の中に、不安・絶望の波が立っている・・・

それであのたくさんの木の葉が舞い落ちる情景が見えているのは何かと考えると、それは目の前に見える景色じゃなくてこの人の命の葉がどんどん落ちて行っているところ・・・最後の1枚がなくなったとき・・みたいな・・
というものじゃないかなぁ・・・

そう思うと曲尾の

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この枯葉のおとがフッ・・と無くなり、止まってしまうところ・・何も知らなくてもはっとする部分だけど・・
ここが強く訴えてくる。

誰もそう思わないかもしれないし、
考えすぎなのかもしれませんが、こんなこと考えてると楽しいです。

座禅しようかな インバル都響の葬礼と大地の歌

芸劇のエントランスホールみたいなところはガラス張りの巨大空間で、あれを空調で完全に冷やすのはもったいないと判断しているのか結構暑かった・・でもそれで全然問題ないと思いますよ。あの長いスカレーターに乗ってる間だけの辛抱だし。
最近テレビも見ないけどむかし、人のうちをリフォームする様子を見せる番組があった。
最初はああいいななんて思っていたけど、そのうちネタ化が始まって壁一面でっかいガラスとか、天上がガラス張りとかやりだしてた。
あんなの暑くて住めないだろと思うけど実際どうなんだろう?

マーラー:交響詩《葬礼》
マーラー:大地の歌 *
指揮/エリアフ・インバル
コントラルト/アンナ・ラーション *
テノール/ダニエル・キルヒ *
東京芸術劇場コンサートホール
2日目


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今日の席は昨日よりさらにステージに近いこんな席。
あれ写真だと同じに見えちゃうのね・・全然違うんだよ近さ感が・・
楽器間での音の位置的移動が視覚的にだけでなく、実際の音でも感じられるというとてもすてきな席だった。
それだけじゃない、音のブレンド感、裸の楽器音の音色・・絶対に昨日よりもこの場所方が音楽的に好ましく聞こえる。
席で全然違うんだね聞こえる音って・・
いろんな席のいろんな音があるはずで・・オーディオの言う原音なんてもんはないんじゃないかと思うんですよね。
どうでもいいかそんな話は。

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たとえば、この大地の歌第1楽章の終結音。
昨日はホルンとかトロンボーンが別々に雑な音でブォ!とかいってる感じだった。
えー?みたいな。
今日はちゃんとブレンドされた音楽としてのひとかたまりを聴かせてくれた。
場所だけでなく、演奏自体も昨日よりよくなってると思う。

コントラファゴットの低いゴー!と言う音も昨日は唐突なノイズみたいだったけど、今日は音楽の中の必要な音として聞こえてきた。
マンドリンも昨日は浮いて聞こえたのに今日は溶け込んで聞こえたなぁ・・
マンドリンの人は新日の8番で見た人と同じ人かなぁ・・あの世界で有名な人だったりするのかなぁ・・
今日はちょっとい顔してたよなぁ・・

マラ2は二人のティンパニ奏者が派手に暴れているのをみて笑う・・笑うじゃなかった楽しむ曲ですが、葬礼はティンパニ一人なんですよね。ハープもか。
歌劇場指揮者をやって2対のティンパニを使いまくれることを知る前のマーラーが書いたということなのかな。
ティンパニ、マラ2で鳴るところで鳴らなかったり、鳴らないところで鳴ったりという驚きはありましたが、不思議と一人じゃ物足りない感は感じないんですよね。
演奏がいいからだよいうのももちろんあるんでしょう。
やっぱりマラ2の1楽章で二人いるのは音よりも視覚効果が大きいんじゃないかなぁ・・・

関係ないけどティンパニっていろんな鉢をたたくために事務所の課長の椅子みたいなのに座ってぐるぐる回ってるんですよね。
あれって楽器メーカー製なのかな?コクヨの事務機器だったりするのかな?
ぐるぐる回る性能が特別に強化されたすごい椅子なのかな?

テューバはほとんどC管(多分)で吹いていましたが、コーダの最後の方だけF管で吹いていました。かなり高い音域だった。
現行のマラ2ではその部分テューバは削除されていると思う・・

1日目は最も面白いと思われる展開部の頭で第1主題が出てくるところ・・
いつもは音があるのに音がない!・・・という驚きの場所で狙ったようにくしゃみ・・
まぁ、ああいうのはしょうがないけど。
2日目はよかった・・・1日目の人はかわいそう・・

展開部の衝撃的なルフトパウゼはやってなかったからまだ書いてないんだろうな・・

交響詩として書かれた葬礼からマラ2への改訂は楽器の扱いのほかに、音楽が停滞してしまう部分をカット、変更し、全体を一定の推進力が貫いている交響曲の第1楽章・・へと変えていってんじゃないかなぁ。と感じた。

現行版のが圧倒的にいいと思う反面、カットされちゃった中にもアイディアとして面白い部分があるんだよね。
これからも交響詩「葬礼」はたまに演奏されるんじゃないかな。

インバルの演奏は昔よくやってたゲテモノ感を強調して・・みたいな演奏ではなくて、交響曲との相違部分に驚き楽しみながらも違和感なく聞かせてくれるいい演奏だったと思う。

交響詩「葬礼」は出版されたのが結構最近なんだっけ?だからネット上に見放題の楽譜なんて存在しないみたいだ・・
でもYoutubeに音源はあるからそれでここ面白すぎ・・とかまた書いてみたいです。えっ?いらない?



大地の歌・・1曲目の印象はやっぱり重心高め、あっさり進んでいく、ばさっというアーティキレーション・・と言う感じ。
テノールはやっぱり声でていない。
テノールがもっと声でればオケも重く歌わせたのかなぁ?
指揮もオケもその辺はもう何も言わなくても自動的に合わせちゃうくらいの訓練というか技術というか仕事というか・・を持ってるんでしょう?

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この第2バイオリンの上昇するグリッサンドを長くしつこく歌わせてたのが面白かった。


この曲、弦楽器と木管がいかに自然を美しく紡ぎだしてくれるかみたいなところがあると思うんだけど、よかったですよーよかった。
いろんなところがいろいろ美しかった。
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2楽章、ファゴットもよかった他のもよかった・・
終結のホルンは2日目のがよかったなぁ・・


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6楽章・・これもよかったよね・・
歌が終わるとカデンツァみたいになってて指揮者はフルートにどうぞって渡して自分は腕を下ろして待つんだよね・・

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もちろんこれも・・




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終曲で長い間奏の後、後半への幕開けを告げるこのアタックみたいなの・・ルフトパウゼを生かしていた。
最初に聴いた時はハッとしました。


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ここ、私ここ大好きなんですよね。
木管が明るく歌った言葉の最後が・・いろんな楽器に受け継がれこのEの伸ばしが明るい別世界を呼ぶ・・・
弦楽器がただくクレッシェンドするんじゃなくて分奏してかなり凝ったことをやっています。
ここは実際どう聞こえるの?・・・!!
見てて弓の動きは面白かったけど音はよくわかんなかった・・
一回の一番前で聴けば何か感じるのかな?


私はこの曲、古いタイプの重い演奏を愛聴盤として聴きまくっているので、この演奏は若干あっさり進んでいくように感じる部分があった。でもこれが今のマーラーで、こういうのもこれから聞いていけたらまたいろんな発見があって面白いんだろうなと思わせてくれました。

演奏はやっぱり昨日よりよかったと思う。
客の反応も違うし、拍手の中の指揮者を見てて、自分でそう思ってる気がする。
前にだれだっけ・・アラン・ギルバートだっけ・・との5番を聴いたときにも思ったけど、ポルタメントをかけながらうなったりよじれたりさらっとだったりマーラー節で歌って踊れる都響はマーラーオケなんだろうなと思いました。
今日はよじれずにさらっと行く対応だったけどね。
あーいいな今の弦楽器の歌・・ていうのが何度もあった。

アルトの人も一生懸命何か伝えようとしてくれてたと思う。

昨日よりも若い人がたくさんいた気もする。
みんな二日目をねらうんだろうか?






いやな目にあったりすると、同種のことに過剰に反応してかんしゃくを起こしたりするようになる人がいますよね。
今もしかして自分もそうなっちゃってるのかなぁ?

今日は両脇にお客さんが・・
でも変なことも起きずに音楽に没頭できたので大満足で終われそう・・・
大地の歌の「告別」に入ると、隣の真面目そうな若い人が飽きちゃったのかプログラムを無駄にがさがさやりだし・・ある程度がんがん行く曲なら気にならないんでしょうけどね・・
あの曲想で・・月の下に静かに輝く世界を見ている横で・・・ガサ・・・ガサガサ・・
初めて聴く人もいるだろうし、歌詞や解説を読むことおかしいことではないと思うんですけど・・・ページをめくるでもないのに音を立て続けるのは別問題だよな・・・・
ごめんなさい。文句言ってる私が病的な神経質になってしまっていて異常かも知れないですね。
精神が弱すぎか、禅寺でも行けばいいんでしょうか・・行きませんけどねそんなの。

まぁ、こうやってちょっと引いてみせたりするとそこに待ってましたとばかりに多数で攻撃してくるのも今の世の中ですよね。



思うんだけど、プログラムもチラシも鞄も持ち物いっさい持ち込み禁止、包み紙に包まれた飴も持ち込み禁止・・
みたいな演奏会を設定してください。
価格250%くらいまでなら私行きます・・
同一公演の初日じゃなくて2日目か3か目で設定して・・・

あのビニールにビラがいっぱい入ったやつ、自分もアマチュア団体に所属しているので誰かにとって大事なものなのはわかります。
でも公演中に落としたりガサガサやったりするから終演時に渡すにはならないのかな・・・ならないか・・

またあした  インバル都響 大地の歌

これも予約で書いたのは昨日です。
話が1日遅れです。

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都響スペシャル
場所:東京芸術劇場コンサートホールホール
出演者
指揮/エリアフ・インバル
コントラルト/アンナ・ラーション *
テノール/ダニエル・キルヒ *
曲目
マーラー:交響詩《葬礼》
マーラー:大地の歌 *

9番と10番聴いてきたしこれもいかなくちゃ・・
大地の歌はもちろん聞きたいけど、交響曲第2番の元ネタである《葬礼》をやるっていうのが笑っちゃうでしょう・・
絶対行かなきゃと思って発売開始日にチケットを買った。

と、事前にここまで書いておき、はりきって行ってきたわけですが・・・
よせばいいのにいらん心配ごとを書いたりするから・・

隣にバブル期には調子に乗ってましたみたいなおばさんが襲来。その向こうは通ぶって何だか言ってる旦那さん?
※バブルで~自体は悪いことだと思いません。
足を高く組んでこちらへ投げ出し、指揮者が入場して拍手も収まっているのにまだ喋る・・
ぁーダメかと思った通り、ずーっとノイズ出しっぱなし・・
この年代のそのタイプは一番どうにもならないのでほっとくべきと別件で聞いた。
自覚ないだろうし2次災害必須。
ずっと、気にしないように・・・聞こえない聴こえない・・とやっていましたが、
大地の歌の頭くらいで自分の何かが切れてしまい・・・撃沈・・・
早く終わんないかなと思いながら聴いたのは初めてです。
作品と演奏者に対して失礼だよな俺とか思いながら・・
負けてるような私が悪いんです・・
博打と一緒だもん、こういう日もあるよね。

また明日も同じ公演に行きます。音楽的な感想やハッとしたことなど明日かそれ以降に書かせてください。
今日は適当な感じで・・

チケットをとったのが3月頃だったか、もうどんな席を取ったかも忘れていたんですが行ってみると
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こんな感じ・
あっ俺好みじゃんか・・と喜ぶ。
オルガン使わないと天上の反響版も高さを下げるんですね・・
という事は下手にオルガンを伴う曲をやるとオケもお客さんも音響的に損しているかもという事?

葬礼は面白かったですよ。これをベースにして改良されたものが現在の交響曲第2番の第1楽章なわけですが・・展開部のあたりなんか聞いてて非常に面白い・・
この曲も面白いけど、どこをどう工夫した結果今があるのかがわかることで今の版はどうしたかったのかとうことを考えさせられる。

スコアのホルンとかトランペットなんかはin Fとか楽譜に書いてありますよね?
あれは解放で吹くとFの音が鳴るF管という楽器を使えと作曲家が指定しているんですね。
でもテューバパートというのは作曲家はin Cで記譜します。どんな管を使うかの判断は奏者にゆだねられているんです。
葬礼のテューバはC管?とF管を持ち替えていました。
こんなの興味ないとあれですか?楽器をやってる人は何管ってなことばっかり言ってるんですよ。正直私もあんまり興味ない。
でっかい楽器を2つ置いてたら目立つけどみんなどう思うのかなぁ?

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大地の歌はテューバの出番が全曲中で数小節しかないんですよね。
というより、あえてテューバを排した(マーラーとしては特殊な)オーケストレーションを貫いているんですが(声楽とのバランスを考慮した?)、ここだけはどうしてもトロンボーンとテューバのユニゾンじゃなきゃダメだったんでしょうね。
もちろんそこはチューバがん見ですよ。

大地の歌は交響曲か?連作歌曲か?みたいな話があるわけです。
そういう時は深刻な顔で「どちらの要素も併せ持っているね」とか言っとけば通ぶれると思うんです・・じゃなかった本当に両者の中間的な曲だと思ってます。
インバルは少なくとも番号付きの重い交響曲とは違うスタンスでこの曲を受け止めてるのかな・・と今日は感じました。

演奏の感想みたいなのはまたにしますが一つだけ、テノールは今日調子どうだったのかな?
声は歌手にまとわりついてそこから離れていない感じ。
接触不良とかでスピーカーの中高音ユニットが鳴ってないみたいな・・
席のせいか?とも思ったけど、アルトはちゃんと声も届いたし、声がホールを満たしているのも感じた。
素人の楽器練習で音が全然でてないよ!腹から息いれてないだろ!と怒られる状態みたいでしたよ。

オケも開始早々初歩的な数え間違えとか音外すとかあった。あったっていいんだろうけど・・いつもあんな印象ないけどなぁ。
こういうこと言うと、楽器やってたとか音大出たみたいな人は怒るんですよね?
お前ごときが言うなって。
ごめんなさーい

オーディオ的に考えさせられるものもありました。

大地の歌を聴いていて思ったんだけど、大オーケストラが分厚くドーンなんてやっちゃうと声楽一人じゃかき消されちゃって聞こえなくなちゃうんじゃないかな・・
だからそこを考慮した音作りで演奏をする。(と私は今日感じたんです)
ところが録音なんか聴いていると分厚く重いオーケストラが嵐のように渦巻いているその上で声楽がものすごい存在感で朗々と歌っていたりするわけですよね・・
録音編集技術に助けられていて、ある面ではスコアの理想的な姿を実体化させてくれて楽しませてくれているんだと思う。
ありがとう。
一方であれしか知らずに、あれが当たり前だと思いこんでいるのはおかしいというか危険というか・・

やっぱり時々はコンサートに来て現場の音を知る必要があるんだと思ったんですよね今日は。
仮に隣に変なのが来て台無しにされるリスクがあったとしても・・


よく、「大迫力のオーケストラサウンド!!」みたいなのが書いてあったことが昔ありましたよね。
狭い部屋にでっかいスピーカーを置いてみたいなのはそういうのを目指しているのかな?
でもさ、現地に行って実際聴くとそこにあるのはそういう「迫力の!!」ってな音じゃないんですよね・・・
地を這うような低音!!なんてない。
たまにはあるけどさそういう曲も・・

昔、スーパーウーハーを薄く重ねたら弱音のグランカッサが鳥肌が立つような実体感を持って部屋を埋めて・・感動したということがあったんですけど、実際現場いくとあんなのないんだよね・・
美しく実体的な音楽は間違いなく目の前にあるんだけどさ・・

オーディオをやっているとつい理想の虚像を求め出して暴走する・・と言うのがあると思うんです。
もしこの先機器買い換え病にはまったときはコンサートに行きまくろう・・

ということで、演奏会自体はネガティブな印象で終わりましたが、きっと行ってよかったのかな・・
マエストロインバルが、長く深々と頭を下げていたのが印象に残っています。
またなんかやってほしい。
俺行くから。
とりあえず明日また行くけど。
この記事が公開される頃にはそれももう終わっているのか・・

それにしても・・・やっぱり60歳以上の方の割合が圧倒的に多いですよね。
もちろんいてくださっていいんですが、若い人がいないと・・・
この先クラシックコンサートって維持されるんだろうかなんて心配になってくる。
私が心配したってしょうがないんだけど。

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芸劇の前の噴水で鳩が水浴びしてた。
びしょ濡れになってんの・・かわいいね。

今日、車内放送聞いてなくて・・平塚どまりで後続に乗り換えるなら茅ケ崎で・・
平塚ってグリーン車から階段スゲー遠いんだね・・
明日は小田急にしようかなぁ。
でも暑いし乗り換えめんどくさいなぁ

変なわがままじじいだなぁ私。


この曲なんなのか・・・ただ大好きな曲でいいんじゃないか・・

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マーラーの交響曲「大地の歌」について書かせてください。
先に言っちゃうと私はこの曲も大好きです。
第9のジンクスの話は本人と離れたところで勝手におもしろがってるだけのような気がするんですよね・・
この曲、仮に9番目じゃなくて7番目くらいにできてたとして番号ふったかな?

交響曲第8番で「交響曲ではなくカンタータである」と言わなければ気が済まない人がいるのと同様にこの曲も「交響曲ではなく連作歌曲である」とか書かなきゃ気が済まない人がいるんじゃないでしょうか・・えっいない?
じゃ私も・・

もう30年くらい前になるのかマーラーの手によるこの曲のピアノ伴奏版が発見されたとかでその世界初演が何故か日本で行われました。サヴァリッシュのピアノと・・なんだっけ・・
高校生くらいだったかなその初演をNHK教育テレビの芸術劇場でやるというから見ましたよ・・ものすごく楽しみにしていて・・
でもその時はオケの印象が強すぎるところによくわからないままのピアノだったので感動とかいうよりは、思ってたのと違うなぁ・・みたいな感想だったような。
なんでそんな大事なものの世界初演が日本で行われたんでしょうか?
そういえばあの頃はバブルだったんだよな・・雑誌でCDの新譜情報を見てるとマーラーだらけだったような・・マーラーをやる演奏会もそこらじゅうでやってたんでしょう?
いいなぁ・・・でなんでだろ・・

たしかピアノ版とオケ版はわずかながら音楽的に異なる部分があったんだったと思います。
単純に同じ音楽の管弦楽版=ピアノ版ということではなくてピアノ版にはピアノ版の、オケ版にはオケ版のあるべき世界があって同じじゃないんじゃないかと思うんですよね。
作者は両方の世界を意識しそれぞれの可能性を追求しようとした・・んじゃないのかな。
「ピアノ版が存在することから(オケ版まで)連作歌曲であるといえる」という話じゃないよな・・
大オーケストラと声楽による単なる歌曲以上の何かを表現しようとしていた・・みたいな
といって、これは交響曲だ!なんて叫ぶ気もありません・・やっぱり若干叫びたいかな・・
全曲を見通す構成、配置、そのことによる一つの大きな表現には交響曲という言葉をあてがっていいのではないかと思ったりもします。
声が大オーケストラに抱かれ絡み合ったり、オケの1パートとして動いているような部分にはオーケストラ伴奏歌曲以上のものを感じる。
半面、歌曲という印象を強く感じることもある。
交響曲と歌曲、両方の要素を合わせ持った音楽・・でいいんじゃないかと・・

実際そんなもの何が正解かなんて皆それぞれがで好き勝手に感じてればいいんですよね・・
作者本人はなんていうのかな・・それで君はどう感じたんだね?君の感じたそれが正解だよ・・・   
ちがうかな?こいつバカだなとか思われちゃうのかな・・

ピアノ版の楽譜が見たいけど新しすぎてPublic Domainになってないんでしょうかね。
オケ版との相違点に注目するといろいろ見えてきたりすんのかな・・
自筆譜も見てみたいなぁ・・・売ってんのかなぁ・・

この曲のオーケストレーションも細かくてハッとさせられるところもたくさんあっていいですよねー
単なる伴奏ってなもんじゃないよね・・

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こんな弦楽器パートが交錯するみたいなのもたくさんあるんですよね。

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なぜか私こういうのが大好きなんです・・