春は必ず来るらしい

ここはほとんど雪も降らないし、学生時代や仕事の関係で住んだところもたまたま雪に縁のないところでした。
私は雪国の本当の大変さを知らないんだと思います。
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これを見たのは山形の新庄駅だったと思います。
このランプは長時間停車する電車の集電装置に対する融雪と凍結防止を目的とするものだろうと勝手に思っています。
昔スキーに行ったけれど、死にかけたことがあった。生きていられたのはタイミング的に偶然だと思う。
冬の北海道に行こうと思い色々調べていると本州での雪道経験くらいで調子に乗ると命がないという事を教えてもらった。
でもそんな話じゃない大変さが毎日ずっと続くんでしょう。
今またいろいろな方のブログを読ませていただいて雪国の本気で命がけな苦労を知り、頭の下がる思いです。
北陸の方は今本当に大変なんだと思います。さらにその報道に隠れてしまっているけれど同じように大変な事になっている方たちがたくさんいるかもしれないと思う。
この近所で災害があったときはそうだった。報道は全部を報じるんじゃなくて絵になるもので時間や紙面が埋められると後はほっとくようなところがあるんじゃないか?
ちょっといいすぎか。

犬と散歩に出かけると、途中河津桜と梅に花の芽がついている。梅の方は爆発寸前という感じだった。
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いつものお堂。
階段を駆け上がったり駆け降りると私が喜ぶと思って・・

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また会ったね。先週だっけ・・
カワセミもいた・・みんないた・・日の光の下みんな気持ちよさそうだ。
犬と二人でへらへら歩く。
全然進まない・・
いいの、私らこれが幸せな時間だから。
そんなことやりながら1時間以上歩いて戻ってくると、
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梅の花が開きかけていた・・
あー寒いとか言っても時間はどんどん前に進んで春へ向かっているんだね。
誰がどんなになっていようと関係なく、春は来ると決めたらくるんだよ。


この曲はブルックナーの交響曲第6番イ長調 の第2楽章。
暗く寒い冬から春を待つような音楽です。

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日の光が差してきたのを感じるあたり・・
・・すばらしいよね・・
その後の第2主題は日の光の下静かな幸せに包まれています。
その先でまたいったん日陰るんだけど・・
今暗かったり、辛かったり、冷たかったりする人にもいつか光が当たりますように。

こまかいこと

先日行ったスパゲッティ屋さんの窓辺に電車が・
懐かしいなダイカストのこういうの、誰に買ってもらったのかわからないけど俺も持ってたよ。
左側のは傷だらけで、だいぶ遊んでもらったみたいだ。
老朽廃車となりここで余生を送ってるのか・・よかったね。

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ほとんどの人にとってなに訳の分かんないことを言ってるんだいう話ですが、
手前の湘南色のは屋根上のクーラーや窓、ドア配置を見るとどう見ても急行型の165系とかでしょう。
でも正面のグリーンの帯が斜めにカットされる塗り分けは近郊型の113系のものですよね。
これ、わかる人にはわかるけど間違いなんです。
楽譜で言うとヴァイオリンと指定されているパートがヘ音記号で書いてあるみたいな・・
逆にそこが面白いと言える子供がいたらすごいな。
いい歳したおっさんが玩具相手にそんなことを言ってたらアホだと思われるんでしょうね。
でもどうでもいいようなことが面白かったりしてもいいでしょう。

ブルックナーの交響曲第5番はでも巨大な2重フーガ+αな終楽章だけでなく、各楽章個性的過ぎて笑っちゃうような名曲です。
3番、4番はのちの時代に大改訂をしたのですがこの曲はそういうことをしなかったので古いオリジナルなブルックナーの感覚を聴くことができます。そこが面白いおわかれば面白いのですが、解らないととっつきにくい。
始めはなんだかわかりませんでしたが、一度その魅力に気づくとこれも死ぬまで大事に聴きたい一曲となりました。
その第1楽章の終結部分で、金管楽器がファンファーレみたいなものを吹くんですが、

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伸ばしの後に細かい音2回・・同じようなことを繰り返しているように見えますが、始めの長い音の後にあるのは16分音符、次の小節の短い伸ばしの後は32分音符。
細かい音の長さが倍違うんですね。
ここ、聴くとわかりますが雰囲気的にみんな同じでやっちゃいそうだし聴いちゃいそうですよね。
でも楽譜はかき分けてあります。
たくさん書いてある%みたいなのは前の小節と同じという意味。


ブルックナー協会の会長も務めたんでしたっけ・・どっかYoutubeの交響曲第9番なんか感動的で泣きそうでしたが、EMIに録音したブルックナーの全集はめちゃくちゃやっている印象もあります。
金管の音が汚いなーなんて前から思ってそれでも聴くんだけれど・・
意外にもここはその差をちゃんと聞かせようとしてくれてますよね・・
ちょっと感動。



縦線を合わせるとかの鬼みたいな印象のショルティーCSO。
ここ強調するかと思ったらそうでもなのね・・
一応吹き分けてるようにも聞こえる・・



なんか神格化されてるんですかチェリビダッケのブルックナー
単純に音価の差にだけ注目するとあんまりわからないというか・・

むしろ、ここは同じように聴かせる方が正しい的な考えもあるかもしれない。
色々あっていいし、いろいろ聴きたい。
狭い考えでこうだと決めつけそれ以外は全部間違いみたいに思って・・・もいいと思う。


こういうおもちゃも今じゃアジア系海外で作っていたりするんでしょうか?
精密な模型のようにとはいかないまでも子供だまし的なデフォルメをしないで一応作りこもうとしているように見えるところが感動的じゃないか。
大人になると忘れちゃうけど、まだ世の中の意味も何もわからない様な幼い子供も興味のあることに対しては恐るべき洞察力を持っていたりすると思う。着眼力、観察力はその辺の大人を超えていたりもすると思う。
この金型を作った人の心意気が、きっとどこかの子供に伝わったと思うなぁ。

落ち葉

お堂の銀杏の木がお気に入りになってきました。
今まさに、これから葉を落としますよーというところ。
次の日に行ったらもう葉も減って違う景色になっていました。

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風が吹くとカサカサと音を立てて雪に様に葉が降っていた・・
写真には写らないのね・・・


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犬も上がってきた・・気持ちいいね。
この時も葉が雪のように降り注いでるんだけど・・
写ってないな・・

ブルックナーの交響曲第3番の冒頭
この曲、ベートーベンの交響曲第9番が手本というか下敷きになっているんだけど、
そう思って聴いてみるとこの部分影響されてるというかもう同じなんじゃないかというくらい似てることに気付いたりして・・
でも2番煎じとは全然違うブルックナーの音楽ですよね。

チェリビダッケはやっぱり苦手です・・

2つの弦楽器パートが交差しながら落ちてきています。
雪のようだとも思うけど、落ち葉みたいでもあるよなぁ・・

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弦楽器が何かパターンをやっているうえで金管が旋律的に・・ってワーグナーのつくったフォーマットですよねこれ・・
でもワーグナーにはない世界のような気もする・・

ブルックナーからがスコアを見せられたワーグナーが
この冒頭のてpで歌うトランペットを特に気に入ったという話が有名です。
そのワーグナーが見ただろう初稿の演奏があった。


初稿なんて変態趣味みたいなイメージもあったけど近頃はこんな大御所指揮者もやったりするんですか・・
冒頭、トランペットのお相手するフルートがいきなり倍の音価で出てくるところで
えぇぇぇ・・・みたいな・・
その先のホルンもまた止まちゃって・・
第3稿を聴きなれた耳にはその後もいろいろ衝撃的というか・・
もごもご言ってって何が言いたいのかわかりません!
いいから要点だけ話してもらえませんか!みたいな・・
でも何度も聴いてるとこれはこれでなじんでくるもんだな。
この先にも色々面白いところがあるらしいけどまだちゃんと聞いていません。
これからの楽しみに・・

その第1稿の自筆譜があった。
作曲用のものじゃなくて演奏してもらうべくどこかへ提出する楽譜でしょう・・
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冒頭から地震の大事な作品を何とか演奏してもらいたい心が景色となって表れているようで感動する・・
まじめで頭ののいいひとだったんじゃないかなぁ・・と思ったりもする。

この稿の初演は音楽史上最大の・・くらいの失敗例としてよく話に出てきますが、それはその後の大成功があるからなわけで実は輝かしいエピソードの一部なわけだ。
昔から、クラシック音楽の世界ではブルックナーという人物にちょっとたりない人・・みたいなイメージ被せて見ているところがあるんですよね。
誤解を受けるような恰好や言動が目立ってあったんだろうと思うけれどあんまりじゃないのかな?
この楽譜を見てそんなわけないだろと思うし、演奏拒否されたにしろウィーンフィルに楽譜を届けられる位置にいた人でしょう?
細かいことは知らないけれどまだ2番も3番も世に出していない頃からワーグナーがさしで飲みに来るような立場と人物だったわけでしょう・・

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今日も行った。
風が吹くとばらばらと落ちてくる銀杏の葉・・
後ろの石碑に刻まれた名前はよく見ると何とか在衛門じゃなかった。
与吉二門、平吉二門・・寄進した額か。
皆名字があって、今でもこのあたりに残る家の名です。
裏側には文化四年八月吉日とあります。1808年。まだブルックナーなんか生まれていません。
ベートーベンが交響曲第5番、第6番を初演した年です。
こちらも曲が盛りだくさん過ぎる上に練習不足で失敗だったとよく書いてありますね。
写真だとわからないけれどこの銀杏の木はかなり太くて樹齢200年じゃきかないと思う。
200年前もこうしてあたり一面黄色の世界だったのかな・・

さんぽ

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犬とお散歩!
空は快晴、日の光も暖かくて気持ちいい・・
最高です。
右下の青い葉っぱはブロッコリー。
そんな絵になるような景色はないけれど、うちの近所を犬と散歩してると癒されます。

これ犬が小した後なんですけどね、
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誰も教えてないのに後ろ足で砂をかけるような動作はするんです。
本能なんでしょうね。
でも正しく教わっていないからかちゃんとしてなくて向きも勢いもめちゃくちゃ・・
ただ暴れてるだけじゃんか・・
趣旨もわからずにやってるんだろうなぁ・・

昨日は東京に出て渋谷をふらふら歩いてみた・・・んだけどもう何もときめかなくなっちゃった・・
何も感じないだけじゃなくて目に入るもの、耳から入ってくる会話がいちいち刺さって神経を逆なでする・・
気分転換のつもりが気分停滞・・
行くんなら池上線沿線とかにすればよかったかなぁ・・
翌朝犬と近所を歩いたら気分爽快・・・・
もう俺は田舎で静かにしているのがいいわ

ブロッコリー、まだ葉っぱばかりで知らないと謎の植物でしかない。
もうすぐあブロッコリーだ見たいなのが見えてくるんだっけ・・
毎年毎年、同じ光景を繰り返し見て・・年月を重ねて・・私は少しも成長しないけど・・

ブロッコリーってブルックナーと似てるから・・

ブルックナーの交響曲第7番は第2楽章がワーグナーの追悼だとかなんとか言ってますが、
ブルックナーの田園交響曲というイメージがあります。
第2楽章に打楽器が入る版と入らない版があるんですが・・どちらが正しいかなんて言ってないで両方聴いときゃいいんでしょう。
ないほうがちょっと好きだけど。



スケルツォのトリオがいい感じでしょう・・

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ティンパニーの優しい響きから始まりますがこれ、

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さっきまでせわしなく動きまわってた主部の動機でもあるんですよね。
田舎の景色を眺めて休みましょう・・みたいな。

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聴き慣れすぎてなんとも思わなくなっちゃってるけどこんな柔和な弦楽合奏の上に裸のトランペットが合の手というのは結構ブルックナーらしい感じかなぁ・・
ワルターコロンビアを聴いていると2度目のトランペット、1回目と同じパターンの楽譜にない音が聞こえる。
そういう版があるのかと思ったけど自筆譜を含め根拠は見つけられなかった。
気持ちはわかるけど・・

ブルーノ・ワルターは、まだ世間がブラームスvsブルックナー論争みたいなので二分されている頃を生で知っている人で自伝にそう書いていた。ワーグナーだったかもしれないけどどっちでもいいや。
「この難題は私には簡単に解決できた。両方好きになればよいのだから」・・・だったかな
そうなんだよね、いろんなものをみんな受け入れられたら幸せ感も倍増するのに。
あれから150年くらいたってるのにいまだ人間は、敵を仕立てて攻撃することで自分のバランスを取ろうとする・・
そんな人たちばかりだ。
そういう自分も今まさにこれがそうか・・・
牧歌的な風景の中で牧歌的な気分でいたい・・

昔の姿

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隣町の某所ですが、道路がここだけ少し広くなっています。
かなり昔、ここには路面電車が走っていたというんですね。50年以上前に廃止になったので60代以上の人しか知らないと思います。当然私も見たことはないです。
昔ちらっと聞いた話がずっと忘れられなかった。
ネットを検索すると当時のこの場所の写真が見られて感動しました。砂利道のわきに単線の線路が埋まっているんだけど、行き違いのためここだけ線路が複線になって車両が交換していた。
何だか知らないけれど乗ってみたかったなぁ・・・あれに。

普通の人は今目の前にあるそれがすべてで、無くなってしまった昔のことなんかどうでもいいはず。
でもこういうそんなこと知ってどうすんの?みたいな余計なことの中にも面白さがあるんじゃないかと思うんですよね。

ブルックナーといえばハース版とかノヴァーク版とか言っていろんな楽譜で演奏されることがあって、どれが決定稿なのか誰も決められない感じなのが有名です。
なんだよそれというのもあるけど、逆にいろいろ聴けて面白い気もする。

それとはまたちょっと違う話で他の交響曲も一発で完成したのではなく、作曲者自身が何度も大改訂繰り返した結果今があるという曲が多い。
その途中の段階の楽譜は破棄されなかったため、面白がって現代の人がそれを演奏してみたりすることがあります。
何やってんだよなんて思って聴いてみると大変興味深いもの、面白くてわらっちゃうものもある。

交響曲第4番なんかは4番と言いながら結構たった頃に大改定を施し、後期のスタイルで完成しています。
最初に完成させた第1稿みたいなものの演奏を聴くことができるんですが、今通常演奏される4番を知ってる耳で聞くと超古代文明的なびっくり世界が広がっていて面白いんですね。
比較すれば、通常演奏される版のほうが優れているのは間違いないし、癖がありすぎちゃって常時愛聴するのはちょっときついですけれど。




冒頭付近から旋律、音高だけじゃなくてメロディーが不安定な寸足らずで聞こえる。1小節足りねーよみたいな・・
最初に頭に浮かんだのはこれだったんだね・・その後、一般人にも受け入れられるようにするにはどうすべきかと色々心を砕いたんだろうなぁ。

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改訂の手を付けなかった5番と同じく、この第1稿も協会でのオルガン演奏のスタイルに強く影響されていて、場面が変わるとごとにいちいち音楽がとまって全休符を挟む・・オルガンならここでストップを変えて次に備える場面だ・・・
ロマン派の時代にそれじゃ受けないので、その後、次の場面へ滑らかに移行していくような曲を書くようになった。
3番も4番も後期のスタイルに改訂しているので、今は切妻型みたいな姿を強く残している5番のほうが古風に見えます。

1、2楽章はいまある素材を使いながらもどの作曲家の初稿にもありがちな間の悪さ、余計なものの多さみたいなものが耳について・・圧倒的に改訂後のがいいよな・・と思ったりも・・

第3楽章のスケルツォは現行とは全く別な曲ですね。
現行のが魅力的だよな・・
でもブルックナーのスケルツォの様式にしっかり準拠して書かれていてどう聞いてもブルックナーのスケルツォだ。


面白すぎるのはフィナーレですね。
今と全く別な曲なようで今ある要素も多く見られます。
第2主題・・
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今はブルックナーリズムになっているところが5連符で書いてあるんですね。この後5連符に異常なまでにこだわって5だらけになってるんですよ。このすごくモダンな感じが聴いていて面白い。
その後20世紀に入ると複雑なリズムを持った音楽がいくらでも出てきますが、こののどかな田園風景の中に半導体が埋まってるみたいな変な感じがちょっと面白すぎる・・
そうかと思うと3番のどこかをふと思い出せたりもする。

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ブルックナーユニゾンで5連符・・こんなの指揮者も奏者もどうするんだって感じですよね。
1874年のウィーンでこれじゃ演奏拒否されるよね。
ヴァイオリンをI、IIと書くのはありそうだけど、ビオラをIIIと書いてるんですね。
そんなの略記でどうでもいいだろという話なのかもしれないけれど、でももしかすると弦楽器をどうとらえていたかが現れてるのかもしれないよねえ・・

このYoutubeの演奏、曲の最後の最後は5連符連呼のパートが四分音符2つ+3連符に置き換えられてるように聞こえる。
そういう版もあるんだっけ?
昔金子さんの本に詳しく出ていました。が、寒くて本棚のある部屋へ行く気もせず・・

ブルックナーの4番をよく知っている方はこれ面白いから終楽章だけでも聴いてみてください。
私は面白くて笑っちゃいます特に5連符に・・・

聴衆に理解できるかとか、(当時の)演奏者に受け入れられるかなんて全く考慮しないで、感じたものをそのまま形にしようとしている感にちょっと感動しますね。
これを聴くと、改訂後の完成形を聴いてもそこにどんな意味があるのか、何が素晴らしいのかが浮き出てきます。
こんなのを破棄しないで取っておいてくれた作者と、演奏してみようよと言いだした人と、面白がって聴いてくれる人たちのおかげだなぁ・・
みんな余計なことなんだけれど、余計じゃないと思うんだよなぁ。

昔学校の先生が講演をお願いしようと冒険家の植村直己を訪ねたときの話をしてくれたのを思い出しました。
冷蔵庫からジュースの瓶を出してきてハイっと渡された・・・
奥さんが出てきて「あなただめでしょ」的にコップ入れて氷も入れてお盆にのせて・・みたいな。
そういう、素朴な人だったそうです。
なんかあの話を思い出しました。

このブルックナーの4番の第1稿はまだコップとかなんとかがいまいち掴めていない素朴な、だけど強い創造力を持った芸術家の姿なんでしょうね。



うどんとロマンティック

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最近行ってないんですが、少し前に「吉田のうどん」というのが自分の中で流行った。
山梨県富士吉田市付近で昔から食べられている・・的なうどん。細かいところまで明確な定義みたいなのはないと思う。
やたらに腰の強いうどんが煮干しの出汁に入って馬肉がのって・・

普通の民家の玄関を上がると仏壇間みたいなところに通され、台所で作ったうどんが出てきて食べ終わるとお金を払う・・
みたいなのから始まって民家の庭先にプレハブを建ててやっているとか、そこそこのお店のなりでやってるとか・・
皆お昼に食べさせて早々にしまっちゃう夜はやらない・・そんな感じでしょう。
民家のに行ってみたかったけど、異常に混むらしいので庭先のプレハブ的なのに何軒か行きました。
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太くて腰のあるうどんが特徴だけど、その入っている出汁は田舎のその辺の家で普段の味噌汁を「あんたもくってきな」といわれて食ったみたいな・・素朴な素朴な味・・・ちゃんとしたお店でこれが出てきたら、え?っと思うかもしれない。
でもそういうつもりで来ているのでこれで大満足。なんかおいしいものを腹いっぱい食わせてもらったような気になって帰る。
素朴の勝利である。
すごく混んでる超絶有名店より、発見に苦労するようなところのが雰囲気的に面白い。

ブルックナーの交響曲第4番変ホ長調は「ロマンティック」なんていう愛称がついていてブルックナー入門みたいな雰囲気もある曲です。自分もそう思ったのか初めてCDを買って来たのはこの曲でした。高校に入ったばかりだったと思う。
ロマンティックなんていうからバラの花みたいな音楽かと思っていましたが、聞いてみると想像していたロマンティックとは全然違う・・
何だか素朴な・・・そのへんに鶏が遊んでいそうな田舎の景色・・・ちょうどこの吉田のうどんみたいな音楽だと思った。
今はもう少し違う印象も感じています。
あの頃、まだブルックナーの音楽がわからずなじめていなかったというのもあると思う。
ちなみにシューマンのピアノ協奏曲はバラの花園だと思っています。


買ったのはこれもワルター・コロンビア響でした・・シリーズになって出ていたものそろえていく感じで。
ブルーノワルターは若いころはブルックナーの音楽が理解できなかったが、ある時大病をし、その後急に目覚めた・・
みたいなことを言っていたと思う。
その目覚めたのがいつ頃なのかは知らないけれど、戦前くらいまでのブルックナーは弟子が勝手に改悪したと悪名名高い「改訂版」による演奏だったんでしょう?ブルックナーのオリジナルじゃなかった・・
ブルックナーの音楽になじめない聴衆やオーケストラ団員にブルックナーを知らしめようと、弟子たちが当時のはやりのスタイルに編曲した・・・ブルックナーは当然嫌だったはずだが・・・人柄的にダメとはいえなかった・・みたいな。
原典版が耳になじんだ私から見ると改訂版のスコアは確かに作者を無視して好き勝手に遊んでしまったようなひどいものにも見えます・・
ある段階で徹底的に否定されたのもうなずける。でもその改訂版と彼らの熱意が、ブルックナー音楽の普及に一役買ったのも一理あるんでしょう?知らないけれど。後ろの時代から単純な批判を投げつけるのもいけないか・・

指揮者の朝比奈隆が本でフルトヴェングラーがいたので挨拶をすると、「ブルックナーをやるなら原典版でやるべきだ」と言われ慌てた。という話を何度もしています。
彼もブルックナーだと思っていたものは改訂版で、当時原典も何も知らなかったんだそうだ。
彼はその後ブルックナー指揮者となっていったんでしょう?

晩年のワルターのロマンティックは改訂版ではなくて基本的にはハース版なのかなと思います。
でも序奏から
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このあたりは弦のトレモロとフルートがオクターブ上を歌っていてとても感動的‥だけど楽譜と違う。

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きっと改訂版のこのアイディアを取り入れているんですよね。
若いころにブルックナーを知ったのは改訂版でだったんでしょう。
しかしこのスコアもその手前は弦楽器の旋律は2パートの掛け合い、2番はトレモロじゃないとか・・
なれない聴衆にわかりやすく・・というのではなくて面白がってやりすぎてるようにも見える・・
これじゃ怒られちゃうよなぁ・・

この直後にトロンボーンをはじめ金管がわっと出てくるところ・・高校生の頃はにどうにもなじめず違和感を感じだ。
なんだこりゃ?田舎くせーななんて思った。
でもまさにこれがブルックナー特有のオルガン音楽の影響を強く受けたオーケストレーションなんですよね。
スウェルだっけ?柔らかい弱音系のパイプで始まった音楽がふっと止まると・・ストップを引いて鍵盤も変えてでっかい音でジャー!!みたいなの・・・
あの頃はまだオルガンといってもバッハばっかりしか知らなかったしなぁ・・
まぁ、なつかしいなぁ・・

自分から遠いと思っていたこの曲に急に近づいた気がしたことが2度ほどありました。
一度目は15年くらい前。
精神的に疲れ行き詰っていた時、ふと息抜きにこの曲のスコアを遠くの店まで買いに行ったんだった。
訳の分からない巨大な塊に見えていたものがスーッと解けてよく見えるようになったような気がした。

ずっと嫌いだった第2楽章が急に好きになったのは5年くらい前。
我慢ばかりの俺の人生は何なんだとか思ってオーディオに少しお金をかけたとき。
チェロとビオラがずっと暗い歌を歌っていてなんだこれなんて思っていたけれど、暗いんじゃなくて味わい深いいい音楽だと思うようになった。誰にもこびないおっさんの心の歌というか・・
あともう一度くらい何か波が来ればこの曲も本当に大好きになれると思うんです。

聴いてすぐに気に入る音楽もあるけど、30年とか40年かけてその魅力に気付いていく曲があってもいいと思う。
俺の人生にも意味があったみたいじゃないか。

臨死体験

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ブルックナーの最後の交響曲、9番。
その第3楽章は冒頭から尋常でない雰囲気につつまれています・・
ベートーベンの音楽に感動し、オーストリアの自然や信仰を音楽化した作曲家という枠を遙かに越えたところへこの人はいってしまったんだという気がします・・



新しい表現をねらってとかじゃなくて・・
この人自体がいっちゃったんだどっかそういうところへ・・


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始まってすぐに音楽は盛り上がっていくと弦のトレモロに乗ってトランペットとホルンが叫ぶ部分がやってきます。

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異様な光に包まれているこの場所はもう地上の光ではなくて神々の世界の光を見ているんじゃないかと思う。
臨死体験みたいだ。

時間は結構残されていたらしいのに、その死によって完成されることがなかったフィナーレ。
残された資料から補筆演奏される試みが行われています。
私は、
ブルックナーは本当のあるべき4楽章の霊感を受けるまで待っていたのだ・・
書いていたものは4楽章となるべきものではなく、元々破棄される運命にあった時間つぶしののようなものなのだ・・
という誰かの唱えていた説が感動的で大好きです。

3楽章で臨死体験が来ちゃってるんだとしたらフィナーレは天国の音楽以外にないんじゃないか・・・
でもまだ天国にいってみたことのないブルックナーにはそれがかけなかったのではないか・・・
やっとその天国へいくことができて・・・

あの世ではもう満足して続きを書いたりはしていないでしょう。
ベートーベンが交響曲第279番を作曲していたり、バッハの最新作がBWV32768だったり・・
めんどくさい世界があるんだろうか?

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この絵時々見ますよね。

作者のブルックナーへの愛情が感じられますが、
個性と主張の強い作曲家たちがこんなに一堂に会しちゃったら、喧嘩になるんじゃないだろうか?

人が死ぬときに迎えが来ると言いますよね。
私の近親者も何かやってましたよ空中と・・

マーラーの最後の言葉がモーツアルトル!だったというのは有名な話ですね。
普通に考えると大好きな作曲家の名前を叫んだだけ・・ということでしょうけど、
迎えに来たんじゃないかな?

恐山

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結構前になると思うんですが青森の恐山に行きました。
夏休みだったと思う。
恐山というと薄暗いウズリ湖のほとりで風車がカラカラ回っているような・・霊界との境みたいなイメージだったんですが・・
実際は真夏の猛烈な暑さでそんなイメージとはほど遠かった・・ただただ暑かった・・
あの雰囲気をみたかったら雪の降る直前くらいにいった方がいいのかもしれない。

ブルックナーの交響曲第9番を聴いていると第3主題が終わったところに不思議な場面があります。
第3主題は、すべての人々が悲しみ、苦しみを抱えながらも前に向かって歩んでいる姿・・だと思っているんですが、その音楽の結論としていったん明るく柔らかい日差しのある平穏の場にでる・・

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へ長調この場でフルートとピッチカートの第2バイオリンが何かいっている・・
鳥?・・その音がHなのだ・・へ長調とぶつかって尋常でない雰囲気となっている。でも攻撃してくるような何かいやなものではない・・
暖かいといえば暖かい・・
でも人知を越えた何かのような感じもする。
人間のか弱さを示しているような気もする。
元々この曲は人間が神へ向けて捧げている音楽だと思うんです。だから、ここは人間界だと思うんですが、オーストリアののどかな田園風景とかそういうのではなく・・・
なにかこう恐山的な・・あの世との境みたいなそんな場にまで行ってしまっているような印象を受けるんです。



音量小さいと聴こえないかも・・
この演奏は、とても感動的だ。
ブルックナーの権威みたいな人なのに暗譜じゃなくてちゃんとスコアめくっていくでしょ。
これはこの音楽に対する一つの態度表明みたいなものだよね。


優良クラシックファンはワルター・コロンビア響のブル9なんて言うと「あんなのアンサンブルも稚拙でダメだ」とか言って笑うんでしょう?
でも私は大好きです。
誰が何言ってようが関係ないです。
ワルターはブルックナーが理解できるようになったのは40歳過ぎてからだった・・みたいなことを言ってたと思う。
この人の愛と歌にあふれた演奏はブルックナー演奏の本筋からは少し外れるのかもしれないけど、私にブルックナーを教えてくれたのはこの人でした。

恐山といえばイタコ。
ブルックナーやマーラーを呼んであの曲の続きはどうするつもりだったんですか?
ここは?
シンバルは入れるの?
とか聞いてみたい。

でもきっとイタコの呼んでくれたマーラーは
「皆と仲良くしろ」
「秋ごろに腰を悪くするから気をつけろ」
とかしか言ってくれないと思う。

エコー

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ブルックナーって
いがぐり頭で全然おしゃれじゃない服装でやってきて、田舎の方言丸出しで、いつもへりくだった態度で・・・みたいなイメージがあって・・
カリカチュアだっけ?ああいうのも実際より背を低く腰を丸くしてそこを誇張したような感じに描いているでしょう?
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素朴な人だったとは思いますが、ウィーン国立音楽院の教授になるようなひとなんだから・・
ワルキューレを見て「あの女はなぜ焼かれたのだ?」といったとかいう話が有名ですが本当かなぁ?

ブルックナーの交響曲第2番、第3番をワーグナーに見せたところ好感を持ってもらえた。
ワーグナーは特に3番の主題をトランペットがpで歌いだす個所を気に入った・・みたいな話が有名です。
だけどオーケストラに演奏不能とか言われて・・やっと初演したらお客みんな帰っちゃってて・・・残ったわずかな支持者の中にマーラーがいたとか・・だっけ?
その後何度も改訂して・・
普通に聴くのは第3稿と言われるやつですか・・
フィナーレをカットしすぎで軽くなりすぎじゃねーのとかスケルツォの終わりは違う稿のやつも面白いぞとか思ったりもしますが、この曲も結構好きです。
・・この稿書いた後に聴いてみたけどやっぱりかなり好きです。
フィナーレはソナタ形式だけど再演部が展開部を内包してる・・みたいなかたちなんですよね。
9番の1楽章もこの形ですが序奏の再現+展開みたいなのが長く来くあってから第1主題が出てくるので曲の重心もいいところにきて安定しているように聞こえるんだよな・・
これはボーっと聞いてると第1主題が省略された再現部に聴こえちゃう・・

怪鳥に王子が乗って飛んできそうな第1主題と、村の祭りの踊りみたいな素敵な第2主題が・・・いいですね・・
の後に突然出てくる第3主題・・

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木管と弦楽器のユニゾンをタイミングを遅らせた金管が追いかける・・
エコーなんだろうけど、旋律が動いていくといろいろ重なってぐしゃぐしゃになって聞こえるんですよね・・
今は慣れてしまったけど、初めて聴いたころは驚いた・・
なんだこれ!?
こういうので演奏不能とか言われちゃうんじゃないかと思うけど、反面新しすぎ、面白すぎ、個性的過ぎ・・

昔、朝比奈隆と金子 建志の本の中で彼らが、これは大聖堂でオルガンを弾いているときに聞こえるエコーをオーケストレーションしたものじゃないかと指摘していた。あれちがたっけ?

オルガンって、あんな建物みたいな楽器だから、自分と発音原に距離があるため自分の弾いた感覚よりずっと遅れて音が聞こえる、音を聴きながら弾くことはできない・・というのを読んだことがあります。
これはそれとまた違いますが、石造りの大聖堂だと先の音が向こうの壁に当たって大音量なまま帰ってきたりするんでしょうかね・・
普通の人はそれを音楽とは分けてとらえ、もっと言えば邪魔のものとして切り離して考えるんでしょうけど、ブルックナーはそれらが合わさった独特の音のカオスみたいなものを音楽としてとらえていたのかもしれません。
それをそのまま作品化しようとするところでちょっと凡人とは違うわけですようね。

こんなのマーラーにもストラヴィンスキーにもないような・・
調べりゃいっぱい出てきたりするのかもしれないけど・・


この曲、周りが文句ばかり言うから何度も改訂してそのたびにカットをして・・
ちょっとバランスが・・とか思っちゃいますけどね。でも、最後に怪鳥のテーマの上でワーグナーがほめてくれた第1楽章の第1主題が高らかに歌われるのを聴くと、全世界を抑えて勝利したなーって気持ちになりますよね。
私が勝利したわけじゃないけど・・教授!やりましたね!とか言ってあげたいあの人に。



神へ向けた音楽 ブルックナーの9番とブラームスとマーラー 

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ブルックナーの交響曲第9番
大改訂でロマン派のスタイルを取り入れ大成功した8番から、またブルックナー独自のスタイルに戻っていますよね。
ブルックナーの最後の本音というか。
この曲、神に捧げられているんですね。
バッハもそうだと思うんですがこの人は神に向けて作曲をしていたんだと思っています。
だからその辺の凡人に理解されなくても問題ないんですよきっと。理解された方がいいには決まってるけど。
その代り、すべてを見通す力を持った究極の聴き手があいてなんだから持てる最高のものを出し切らなければならない・・
バッハも聴いたってわからないような数字的な暗号を曲に仕込んだり・・神は全部お見通しだから・・

マーラーはリアルに人間に向けて書いていたと思う。高度に複雑なものを一般人にも聞いたその場で感じさせるということに心を砕いていた・・・仕込んだ暗号も何時か誰かに気づかれることを楽しみにしていたと思う。
ブルックナーはそれがないということはないんでしょうが・・・ずいぶん苦労したと思う。

この曲、作曲者の死によって第4楽章が未完のままとなっており、通常完成した3つの楽章のみが演奏されます。
時間はあったはずなのによそ事をやっていて間に合わなかったような話も伝えられている。
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このことについて、完成している過去の曲に破棄された別稿がいくつも存在していることに着目して、ブルックナーはこの曲にふさわしい、第4楽章の着想を待ち続けていたのではないか・・
残されたスケッチは破棄されてきた過去の稿と同じく、ブルックナーの本意ではないのではないか・・
みたいなことを言っている人がいた。
それが正しいかどうかは私はわかりませんが、その話自体に大変感動しました。
神に聴いてもらえるような4楽章のアイディアはまだ浮かんでいなかった・・
過去の曲を改訂したり、よそ事に時間をかけていたのは待っていたんだ・・霊感を・・
今でもこの曲を聴くたびに思い出します。
言っていたのはネット上でみた普通の人でした。どっかいっちゃってリンクも貼れないけど・・

残されたスケッチを基に補筆し、4楽章を演奏する試みも行われています。
マーラーの10番は補筆稿をどうしても聞き続けたいですが、ブルックナーの9番は3楽章まででいいような気が今のところしています。
一度聞いては見ましたけど・・インバルのだったっけ・・
4楽章演奏の試み自体は面白いのでどんどんやってほしいとも思います。
ただ「いつまでも3楽章のみを聴く者は何もわかっていないのだ!」・・みたいな論調はちょっと私には・・
考えはいつまた変わるかわかりません。

第1楽章は3つの主題でできています。
私は大まかに言って
序奏~第1主題は神の作ったこの世、厳しいもの人間には動かしようのないもの・・
第2主題は人間の愛
第3主題は人々の歩み
のようなものを感じています。

第3主題は行進曲となっていて、人々が苦悩しながらも歩んでいく様子のように聞こえるんです。
重く辛かったりもしますが、暖かい瞬間もある・・常に前へ進もうとしているのを感じる。
ここでブルックナーはその苦しみを嘆いたり、闘って打ち負かそうというようなことが一切ありません。すべてを受け入れ、私たちはこのように歩んでいますとただ神へ報告する・・・・
同じベートーベンに端を発する音楽ですが、ブラームスやマーラーと決定的に違うと感じるのはこの点です。
彼らの音楽はネガティブなものと闘い克服しようとするエネルギーがー曲の推進力となっていることが多い。
私はブラームスとマーラーは外観は違うけれど強く結びついた一本の線に乗っていると感じます。
ブルックナーはまた違う道を歩んだと思う。

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第3主題部、ダイナミクスによる表情付けが結構かかれています。
この突然現れるpppは、つらい道をともに歩く弱い者にやさしく手を差し伸べている瞬間のようにも聞こえるんです。
ここでとても感動します。