ブログ止まる日
昨日のトラブルは自分に関係なく勝手に落ち着いた。
楽器練習もやったけれど最終的に感じたことは昨日と同じ。
このままずるずる行くだけかもしれない。
オーディオという言葉の意味もこの20年で大きく変わったけれどオーディオマニアとか、クラシック音楽愛好家という人がいたし今もいる。
私もその一員のつもりだけどそれぞれ何を感じなにを大事にしどう思っているかという事は人それぞれ驚くほど違い、一様ではない。
それはいいけどどちらも人種的に自分こそが正解で異なるほかは皆間違えだみたいな人間がやたらに多い世界でもあり、ほかならぬ私もその自覚があるため誰とも交われずに生きてる。
のだけど、奇跡的にというかクラシック音楽とオーディオについての感じ方考え方に共感できるブログが見つかって、私がブログやろうと思ったときなんとなくFC2にしたのはその人がFC2だったから。
稚拙で偏屈に見えたかもしれない私をちゃんと相手にしてくださり、なんどかやりとりもさせていただけで
というそのブログがもう何か月も更新されていない。
これだけ長引くと忙しいとかという理由ではないと思うけれど予感させる記述もないし、切りのいいところで止まっているように見えなくもないけど何も言わずにやめてしまうような人ではないはず・・それ以上を私が考えても意味はない。
正直に言えば私は楽器でめちゃくちゃになってそのブログもしばらく読んでいなかったので止まってしまったことにも気づいていなかった。
密かに勝手に読ませていただきたい気持ちがまた出てきた今、寂しいというか
https://www.youtube.com/watch?v=VwrpNE1K6zM
この曲というより演奏者が上の人につながる

嫁さんがずっと行きたがってた店でランチ
一度来たけど閉まってたのもかなり前か
他にお客さんはいなかった。
場所柄、休日や夜は結構埋まるのかもしれない。

トンカツ人間だったのに病気してからずっと控えてた私はついにカツレツを頼む。
量も食べ心地もこれくらいなら体も許してくれるかな。
正直ちょっと高いと思ったけど静かだったし、よく切れるナイフが出て来てそこに好感
ブログやめたくないと思うけれどこの先の展開次第ではみっともなくて続けられないかななどと思ったりもする
とはいえ、考えてみれば14か5の時にはやく成りたいと思ったみっともなくない私というのになれたことはもともと一度もないのだけど
楽器練習もやったけれど最終的に感じたことは昨日と同じ。
このままずるずる行くだけかもしれない。
オーディオという言葉の意味もこの20年で大きく変わったけれどオーディオマニアとか、クラシック音楽愛好家という人がいたし今もいる。
私もその一員のつもりだけどそれぞれ何を感じなにを大事にしどう思っているかという事は人それぞれ驚くほど違い、一様ではない。
それはいいけどどちらも人種的に自分こそが正解で異なるほかは皆間違えだみたいな人間がやたらに多い世界でもあり、ほかならぬ私もその自覚があるため誰とも交われずに生きてる。
のだけど、奇跡的にというかクラシック音楽とオーディオについての感じ方考え方に共感できるブログが見つかって、私がブログやろうと思ったときなんとなくFC2にしたのはその人がFC2だったから。
稚拙で偏屈に見えたかもしれない私をちゃんと相手にしてくださり、なんどかやりとりもさせていただけで
というそのブログがもう何か月も更新されていない。
これだけ長引くと忙しいとかという理由ではないと思うけれど予感させる記述もないし、切りのいいところで止まっているように見えなくもないけど何も言わずにやめてしまうような人ではないはず・・それ以上を私が考えても意味はない。
正直に言えば私は楽器でめちゃくちゃになってそのブログもしばらく読んでいなかったので止まってしまったことにも気づいていなかった。
密かに勝手に読ませていただきたい気持ちがまた出てきた今、寂しいというか
https://www.youtube.com/watch?v=VwrpNE1K6zM
この曲というより演奏者が上の人につながる

嫁さんがずっと行きたがってた店でランチ
一度来たけど閉まってたのもかなり前か
他にお客さんはいなかった。
場所柄、休日や夜は結構埋まるのかもしれない。

トンカツ人間だったのに病気してからずっと控えてた私はついにカツレツを頼む。
量も食べ心地もこれくらいなら体も許してくれるかな。
正直ちょっと高いと思ったけど静かだったし、よく切れるナイフが出て来てそこに好感
ブログやめたくないと思うけれどこの先の展開次第ではみっともなくて続けられないかななどと思ったりもする
とはいえ、考えてみれば14か5の時にはやく成りたいと思ったみっともなくない私というのになれたことはもともと一度もないのだけど
治ったはずだけど痛い
今日も仕事へ行った。

病気して以降昼は家から持っていく小さなロールパン。
病気としては終了したけど憩室自体は死ぬまでなくならないので痛みや違和感はいまだに。
ちょうどこのブログを始めるころ、仕事に対する考え方を変えた。
正面から正しいとは思わないけれど正しくやってたら今頃つぶれて終わってたと思う。
帰って楽器練習。
力を抜いていくことらしいんだけど
今日も時間オーバーして苦にならなかった
https://www.youtube.com/watch?v=55D1tM2x6N4
これも何の関係もなく。
ワーグナーのリアル人間描写を読むとものすごく嫌な人で大嫌いだったりする。
けどその音楽を聴いてどう感じるかは全く別問題なところが困る。
こまらないか。
見るべき世界を間違わないように
感じる自分を間違わないように
いい年したおっさんがポエムみたいなのを書いてて馬鹿だと思われてるんだろうなにも負けないように。

病気して以降昼は家から持っていく小さなロールパン。
病気としては終了したけど憩室自体は死ぬまでなくならないので痛みや違和感はいまだに。
ちょうどこのブログを始めるころ、仕事に対する考え方を変えた。
正面から正しいとは思わないけれど正しくやってたら今頃つぶれて終わってたと思う。
帰って楽器練習。
力を抜いていくことらしいんだけど
今日も時間オーバーして苦にならなかった
https://www.youtube.com/watch?v=55D1tM2x6N4
これも何の関係もなく。
ワーグナーのリアル人間描写を読むとものすごく嫌な人で大嫌いだったりする。
けどその音楽を聴いてどう感じるかは全く別問題なところが困る。
こまらないか。
見るべき世界を間違わないように
感じる自分を間違わないように
いい年したおっさんがポエムみたいなのを書いてて馬鹿だと思われてるんだろうなにも負けないように。
落ちるところまで落ちたので

自分にはこれがという何か打ち込むものがあってのカフェ巡りというならいいんだろうけど
ブログを始めて3年目かと思ってたら知らない間に6年くらいたってた。
始めたのは間違えてアマチュア楽団に入ってた時で、つらくても2年くらい耐え頑張れば楽器やってる話を書いて行けるんじゃないかと思ってた。
で、今日
音を出す前にまず楽器を指と歯で固定するという一番最初の段階があるわけだけど
それが全然できず終わった。
4年くらい前の楽器を始めた最初の日と変わらないかそれ以下。
歯並びもくそだし、もう辞めようとつぶやきつつ
今翌日。
腐っても仕方がないのでまたゼロに戻ろうとyoutubeでアンブシュアの作り方みたいなのを見て
鏡を見ながら音を出さずに・・・
全然できないよ
これができないのに楽器なんか持ってちゃいけないんだけど
4年間くらい何を持ってたんだろうか?
まいいけどこれやろう。
もうすぐレッスンだけど、
レッスンなんて行っちゃいけないのかもしれない。

私はちょっと頭がおかしくなってる関係でyoutube見れなかったんだけど
でもそんなこと言ってる場合じゃないから見て。
よくあるできる人ができる感覚で普通に教えてるようなのは私のような訳のわかんない人間にはほとんど意味がない。
ここで、口を閉じます・・
当たり前すぎるからそういうんだろうけど
口を閉じるとさっきまでの状態と変わってしまう人はもういちどやり直してください。
そうなんだけど、どうして自分は閉じるとおかしくなっちゃうのかとどうやり直せばいいかがわからないんだけど
でもyoutubeもいろんな人がいて、そこに気がついて言及してる人がいたりするのね
目からうろこで、ここまでくればああこれができないのはやっぱり私の練習が足りないからだなとか思って練習しようとする。
https://www.youtube.com/watch?v=TVvNh8YkAJs
多分私はここで楽器をあきらめるとこの先音楽やそれを連想させるものが目や耳に入ると頭が瞬時的にそれを拒絶するようになると思う。
もう何年もそうなってるから他の方面で
音楽自体を嫌いになってしまえばみんな終われて楽になるんだけど、この30年以上、頭いかれて誰もいなく何にもない時にも唯一あってすがってたのが音楽だから
簡単に要らないと思えるようにもならず
なったらなったで悲しいだろうな。
エースをねらえは何で終わっちゃったのか
楽器はやっぱり駄目で人間じゃない状態
また練習もしないでレッスンに来やがったの繰り返し。
https://www.youtube.com/watch?v=mUkvM9XsVCY
もういま頭の中は神頼みでいっぱい
ブログも壊れちゃってるけど
しかたがない
ちゃんとしてうまくいく私というものを想定したって仕方がない
ダメスイッチが入ると人の笑顔や笑い声に拒絶が走るようになる。
先ほどテレビにそういうのが映った瞬間チャンネルを変えた。
テレビが見られませんとか変態みたいなことを言ってるのはそういう人間で生きてきたからだけど、
先日まで晩飯時に昔のアニメのエースをねらえと言うのが流れてて嫁さんが見てた。
初めは苦痛だったけれどそのうち自分も見るようになっちゃってそのうちオープニングテーマが頭の中で流れるようになっちゃったり
発達性強調運動障害というのは子供の頃からスポーツも敵みたいに思って生きてくる人間だからああいうの縁がないはずだけど
だれーもーわかあーってーくれーなーいー
がさっきからずーっとループしてる。
死ぬまで歌ってようかな。
もう一つ言えば発達性運動強調障害で子供の頃から歌も歌えない。
カラオケにいけない人間というのがいるという事が理解できる人はあんまりいないとおもうけど、社会人生活において・・
そんなことよりエースをねらえはいよいよという中途半端なところで最終回になってしまった。
視聴率低迷で打ち切られたらしいけど
なんで?

カワハギとしめ鯖
カワハギという魚がいることを知ったのは学生の頃で・・学生時代の記憶も黒歴史だけどそれよりカワハギ食べたのはあれから30年たって初めてだったんじゃないか
肝がついてたのでつけて食べたらおいしかった。
生きていればまだいいこともあるかもしれない。
また、あした。
また練習もしないでレッスンに来やがったの繰り返し。
https://www.youtube.com/watch?v=mUkvM9XsVCY
もういま頭の中は神頼みでいっぱい
ブログも壊れちゃってるけど
しかたがない
ちゃんとしてうまくいく私というものを想定したって仕方がない
ダメスイッチが入ると人の笑顔や笑い声に拒絶が走るようになる。
先ほどテレビにそういうのが映った瞬間チャンネルを変えた。
テレビが見られませんとか変態みたいなことを言ってるのはそういう人間で生きてきたからだけど、
先日まで晩飯時に昔のアニメのエースをねらえと言うのが流れてて嫁さんが見てた。
初めは苦痛だったけれどそのうち自分も見るようになっちゃってそのうちオープニングテーマが頭の中で流れるようになっちゃったり
発達性強調運動障害というのは子供の頃からスポーツも敵みたいに思って生きてくる人間だからああいうの縁がないはずだけど
だれーもーわかあーってーくれーなーいー
がさっきからずーっとループしてる。
死ぬまで歌ってようかな。
もう一つ言えば発達性運動強調障害で子供の頃から歌も歌えない。
カラオケにいけない人間というのがいるという事が理解できる人はあんまりいないとおもうけど、社会人生活において・・
そんなことよりエースをねらえはいよいよという中途半端なところで最終回になってしまった。
視聴率低迷で打ち切られたらしいけど
なんで?

カワハギとしめ鯖
カワハギという魚がいることを知ったのは学生の頃で・・学生時代の記憶も黒歴史だけどそれよりカワハギ食べたのはあれから30年たって初めてだったんじゃないか
肝がついてたのでつけて食べたらおいしかった。
生きていればまだいいこともあるかもしれない。
また、あした。
死ねって言うな
昼間会社員をやりに出てけば社内外とのやり取りで潰されないよう踏ん張らなければならず、客観的視点みたいなのが出て来てここにいじけたようなことを書いてる自分にもう少ししっかりしろよなんて思ったりする。
でも、
帰ってきて楽器の練習をしてみれば絶望的に全部全然ダメ。息漏れはとまらず、頬が膨らみ口の回りが痙攣し指もめちゃくちゃで曲もロングトーンも何にも全然できない。
どんなに調子が悪くてもこれ吹けばというリードでもそうだったのでもう私全体が全然だめだ
これだけ自分で自分に自分はダメでできないと思い込ませてしまったら、明日も明後日も同じかもっとひどい形で体は動くだろう。
今できない事よりもこの先レッスンでどうなるかよりも、
結局自分はこのループを延々繰り返しできないままなのかなと思うことがきつい。
楽器をではなく、お前もう死ねよと自分で自分に向かって唱えてしまう。
もちろん死にはしないけれど。
どうしていつもこうなっちゃうんだろう?
それはあなたがいわれたことをちゃんとやら・・

先日食べたタイカレーベースの薬膳米麺と薬膳茶
もともと前後にも写真があって明るく笑ったとかいう話が書いてあったんだけど自分に死ねとか言われて気分がつながらない。
後日に回そうかとも思ったけどこの先もっとひどくなっていきそうだからこれでいいか。
食べたことのない謎のエスニック感みたいなのが楽しく美味しかった。
だけどこれお米の麺を中央の重いタワーが押さえつけちゃってるから引っ張り出そうとすると引っかかって跳ねる。
カレーベースのスープが・・はねる。
ここずっと読んでる人はわかるでしょうけれど私は異常な不器用なので大変なことに
周りには女性客がいっぱいいてこれ食べてる人結構いたけどみんな跳ねないのかな
跳ねないんでしょうね。
薬膳とか一回食べたくらいじゃどうにもならないんだろうけど半年くらい毎日このお店に通ったらなんかなるんだろうか?
病的不器用が治る薬草はないですかね?
昔整骨院に行ったら治ります!心の病もみんな骨のゆがみを直せば治りますなんて言ってた。
あれも商売だしそれくらい言わなくちゃね。
そんなわけないだろと思いながら心のどこかで俺のこの変なのも治るといいななんて思っちゃうわけだけど
実際肩こりも治んなかった。
https://www.youtube.com/watch?v=8lklpz-ipBE&t=3s
中学生の頃、朝出がけにこれを聴いていくといいことがあるというジンクスがあった
みたいな話を書こうと思いながらこの数日これを聴いてるけど全然だめだな。
音楽にしてみればお前のことなんか知らないというところだろうけど。
比較的明るい記憶もあった中学生時代だけど、ジンクスなんて言ってたのは行けば晒されつるされる日もあったということだってのも思い出す。
だれか俺を治してください。
どうか
たすけて
でも、
帰ってきて楽器の練習をしてみれば絶望的に全部全然ダメ。息漏れはとまらず、頬が膨らみ口の回りが痙攣し指もめちゃくちゃで曲もロングトーンも何にも全然できない。
どんなに調子が悪くてもこれ吹けばというリードでもそうだったのでもう私全体が全然だめだ
これだけ自分で自分に自分はダメでできないと思い込ませてしまったら、明日も明後日も同じかもっとひどい形で体は動くだろう。
今できない事よりもこの先レッスンでどうなるかよりも、
結局自分はこのループを延々繰り返しできないままなのかなと思うことがきつい。
楽器をではなく、お前もう死ねよと自分で自分に向かって唱えてしまう。
もちろん死にはしないけれど。
どうしていつもこうなっちゃうんだろう?
それはあなたがいわれたことをちゃんとやら・・

先日食べたタイカレーベースの薬膳米麺と薬膳茶
もともと前後にも写真があって明るく笑ったとかいう話が書いてあったんだけど自分に死ねとか言われて気分がつながらない。
後日に回そうかとも思ったけどこの先もっとひどくなっていきそうだからこれでいいか。
食べたことのない謎のエスニック感みたいなのが楽しく美味しかった。
だけどこれお米の麺を中央の重いタワーが押さえつけちゃってるから引っ張り出そうとすると引っかかって跳ねる。
カレーベースのスープが・・はねる。
ここずっと読んでる人はわかるでしょうけれど私は異常な不器用なので大変なことに
周りには女性客がいっぱいいてこれ食べてる人結構いたけどみんな跳ねないのかな
跳ねないんでしょうね。
薬膳とか一回食べたくらいじゃどうにもならないんだろうけど半年くらい毎日このお店に通ったらなんかなるんだろうか?
病的不器用が治る薬草はないですかね?
昔整骨院に行ったら治ります!心の病もみんな骨のゆがみを直せば治りますなんて言ってた。
あれも商売だしそれくらい言わなくちゃね。
そんなわけないだろと思いながら心のどこかで俺のこの変なのも治るといいななんて思っちゃうわけだけど
実際肩こりも治んなかった。
https://www.youtube.com/watch?v=8lklpz-ipBE&t=3s
中学生の頃、朝出がけにこれを聴いていくといいことがあるというジンクスがあった
みたいな話を書こうと思いながらこの数日これを聴いてるけど全然だめだな。
音楽にしてみればお前のことなんか知らないというところだろうけど。
比較的明るい記憶もあった中学生時代だけど、ジンクスなんて言ってたのは行けば晒されつるされる日もあったということだってのも思い出す。
だれか俺を治してください。
どうか
たすけて
貧乏性で

この桜はソメイヨシノじゃなくて小さくかわいらしい花がいっぱい。
少しだけ日も差してくれてこれだけでも出てきてよかったかな
今仕事でまずいことになっているはずなのに平日休みが入る。
その辺りの事情は書けないけどありがたく気持ちの立て直しをさせてもらう。
この先の周りに人家もない高原の真ん中にある私にとってはちょっと高めで一人じゃ入りづらい店にあえて行ってみることにする。
何でもいいからいつもと違う何かがしたかった。

もう20年以上前に上司という人とあのあたりの席へ座ったのをまだ覚えてる。
けどその会社は2か月くらいで辞めてしまった。今、それで正解だったと思う。
店の印象はよかったのでその後来たかったんだけどなぜか嫁さんがかたくなに拒絶するので来れないまま20年。
私は一番乗りだったので誰もいない静かな店でだと思ったのはわずか数分、すぐにお客さんがいっぱい入ってきた。
席についてメニューを見てからだろう出て行ってしまった一家もいたり。

溶岩プレートで焼いてマスタードと醤油で食べる牛肉の溶岩焼き
ストレス解消できてるんだからもっと3倍くらいの値段のを頼んでもよかったのかと後から思った。
腹病人なのにこんなもん食っていいのかと控えめなメニューを頼んだつもりでいたけど、その前に根っからの貧乏性が出てると思う。
でもこれもおいしかったよ。
お店の人がみんないい感じで気分もよくなりこの後また走ってまわると天気は悪いけれどいろんなところで桜や桃の花が見事に咲いていた。
いったん通り過ぎたところに戻ってゆっくり眺めたりいい気分転換が出来た。
めんどくさいというか若干嫌だった用意もこなして帰宅、いい気分で楽器の練習を・・始めたはいいけれど
楽器の中に自分の息が長くまっすぐな棒と泣ているのを感じなければならない。
昨日は楽器入って3センチくらいにしかならないんだけどでも感じるものがあってその辺りで楽器が響いているような気もしてた。
今日はその息の棒が見つからない。
途中から馬鹿でっかい音が出てた。
ダメな時の特徴でまた悪い癖が帰ってきてる。
やばいな
せっかくあったあのいい気分はもうどっかへ行った。
クラシック音楽の入門みたいな組曲の中にキエフの大門という曲があるので中学生のころからなじみのあるキエフをキーウと表記することになるというニュースを見る。
でも考えてみれば実際どこにあるのかあまりピンとこないままだった。
今起こっていることが悲惨すぎてその曲を張ろうとは思わない。
https://www.youtube.com/watch?v=VwrpNE1K6zM
外は雨。地震。
関係ないようなところでも応答のような地震が起きているのを見て少し嫌な気分になってくる。
それでも多分今日も明日もまだ死なないだろう。
ふと嫁さんの見ているテレビを見ると世界地図上に多数の放物線が重なっている、すぐに核戦争のシュミレーションだとわかった。
北半球に人間はいなくなるだろう。
黒毛和牛食っとけばよかったか。
コンサートも行っとけばよかったか。
そうならないように祈ろうか。
死ぬ覚悟で
拍手コメントをくださった方、どうもありがとうございます。
朝から穏やかに青い空が広がっていた。
昔、何より大事なのは田んぼなので戦というのは稲刈りが終わってからやるもんだったと聞いた。
ちょうど今頃だろうか。

話的にこの写真じゃないだろうと自分で思いながら。
この辺りにも戦国時代の小さな城跡がたくさんあってなんとなくプラプラ行ってみたりする。
城と言ってもノイシュバンシュタイン城みたいなものじゃなく小高い山や丘の上に空堀を掘ったり小屋みたいなやぐらを建てた軍事的要塞でしょう。
そのどれもがよそから来た巨大勢力の脅威にさらされ、僅かな時間であっという間にというところもあれば兵糧攻めにあいながらかなりの長期間持ちこたえたというものもあるけれどいずれも滅んでしまった。
どう考えても勝てるわけのない状況でも、逃げずに迎え撃つわけでしょう。
どんな心境であったんだろうか?
明日の夕日を見ることはできないなという晩には綺麗な月が出ていただろうし、いよいよという朝には綺麗に青い空が広がり、小さな花が咲いていたかもしれない。
静かに眺め、愛でたりしたかな?
今日、何を間違ったか庭にユリが開花してた。
別に私は今日死ぬわけじゃないけど。
https://www.youtube.com/watch?v=-nafeWFfQ1o
私の祖父は戦争で亡くなった。
有名な激戦地でどう考えても勝ち目のないことは誰の目にも明らかだったと思う。
銃を構え配置についたとき隣の人と互いに生き残った者が家族に自分の最後を伝える約束をしたという。
その約束が果たされたのは36年後だったか、祖父は夢枕に立って約束を果たしてくれと何度も言ったそうだ。
本当に命をなくす覚悟までした人に比べれば私の今のこんな・・
あるピークを迎え精神的に追い詰められる中でそんなことを考え、ここに書きなぐってた。
と過去形で書いてみたりもしたけれどやっぱり駄目だ。
希望が生まれたかと思うとすぐさまつぶされてしまう。
今、真っ暗である。
少し見えかけていた希望が経たれてしまったことについて、
俺のせいかな?
あんなこと考えてたからか・・等と考えてしまうけれどそれは無関係で間違いだ。
腹の痛みが教えてくる。
無駄に入り込んで勝手につぶれるなと。
祖父たちが交わした約束は絶望的な状況にあって唯一の最後の希望だったんじゃないか。
一人しかいなかった自分の子供もまだ2歳かそこらとかじゃなかったんだろうか。
その約束のおかげで、想像することもなかったかもしれない孫の私にまでその時のことが伝わった。
私はこんなですができるだけ長く生き延びなくちゃいけないのかもなと思う。
かもなじゃないよ。
朝から穏やかに青い空が広がっていた。
昔、何より大事なのは田んぼなので戦というのは稲刈りが終わってからやるもんだったと聞いた。
ちょうど今頃だろうか。

話的にこの写真じゃないだろうと自分で思いながら。
この辺りにも戦国時代の小さな城跡がたくさんあってなんとなくプラプラ行ってみたりする。
城と言ってもノイシュバンシュタイン城みたいなものじゃなく小高い山や丘の上に空堀を掘ったり小屋みたいなやぐらを建てた軍事的要塞でしょう。
そのどれもがよそから来た巨大勢力の脅威にさらされ、僅かな時間であっという間にというところもあれば兵糧攻めにあいながらかなりの長期間持ちこたえたというものもあるけれどいずれも滅んでしまった。
どう考えても勝てるわけのない状況でも、逃げずに迎え撃つわけでしょう。
どんな心境であったんだろうか?
明日の夕日を見ることはできないなという晩には綺麗な月が出ていただろうし、いよいよという朝には綺麗に青い空が広がり、小さな花が咲いていたかもしれない。
静かに眺め、愛でたりしたかな?
今日、何を間違ったか庭にユリが開花してた。
別に私は今日死ぬわけじゃないけど。
https://www.youtube.com/watch?v=-nafeWFfQ1o
私の祖父は戦争で亡くなった。
有名な激戦地でどう考えても勝ち目のないことは誰の目にも明らかだったと思う。
銃を構え配置についたとき隣の人と互いに生き残った者が家族に自分の最後を伝える約束をしたという。
その約束が果たされたのは36年後だったか、祖父は夢枕に立って約束を果たしてくれと何度も言ったそうだ。
本当に命をなくす覚悟までした人に比べれば私の今のこんな・・
あるピークを迎え精神的に追い詰められる中でそんなことを考え、ここに書きなぐってた。
と過去形で書いてみたりもしたけれどやっぱり駄目だ。
希望が生まれたかと思うとすぐさまつぶされてしまう。
今、真っ暗である。
少し見えかけていた希望が経たれてしまったことについて、
俺のせいかな?
あんなこと考えてたからか・・等と考えてしまうけれどそれは無関係で間違いだ。
腹の痛みが教えてくる。
無駄に入り込んで勝手につぶれるなと。
祖父たちが交わした約束は絶望的な状況にあって唯一の最後の希望だったんじゃないか。
一人しかいなかった自分の子供もまだ2歳かそこらとかじゃなかったんだろうか。
その約束のおかげで、想像することもなかったかもしれない孫の私にまでその時のことが伝わった。
私はこんなですができるだけ長く生き延びなくちゃいけないのかもなと思う。
かもなじゃないよ。
パラグアイの料理と赤い料理
車のガラスが割れたことを書きましたら思いがけず沢山の方にコメントをいただき力になりました。
ご心配をおかけいたしました。
どうもありがとうございました。
レンタカーを借りたけど会社へは自転車で通いだした。
朝の風はまだ冷たいけどでももう春ですね。
短い距離だけど帰りの連続登り勾配はそこそこ体を動かすことになるのか寝てしまい夜が一瞬で終わっちゃう。
でもこんなくらいでいいのかなとも思う。
そうなる前、

嫁さんが見つけたペルー料理の店というのにたけど事前に見たレビューを見てそう思い込んだだけでペルーじゃないことがあとで分かった。
他にメキシコ料理だとかみんなそれが正解みたいに書いてたけどまあなんでもいいかそんなの。
向こうの食材がたくさん置いてあって向こうのから来た人たち向けの店なのかなという雰囲気もありつつ、一人座ってテレビを見て居たおっさんは近所の暇なお客ではなく店主なのだった。

セットの飲み物は缶でそのまま出てきた。
でもそこがいいじゃないなんか外国みたいで。
寡黙な店主は一見不愛想だけどなんでか悪い人では全然ない気がする。
近所のほかの店の人がきてマスターって呼んでたからマスターか。

サラダは何も特別なことはなく普通だけどいい感じじゃない。
ランチのサラダって殺風景なことも多くて。
この後結構食べ進んだ頃を見計らってはじめてですよね?とマスターが話しかけてきた。
この際だからと私も話がしたい人モードに切り替える。
ペルーですよね?なんて言ったら違ってパラグアイだそうだ。
パラグアイって・・ピンとこないな名前は知ってるけど
日本の家電メーカで回路設計一筋もう定年になって10年みたいな印象のマスターは向こうで生まれ育ったそうで、親が80世帯くらいで1950年代に移住した。パラグアイへは沖縄から移住した人が多かっという。
向こうで育ったけれど家の中は日本語だったので日本語が喋れるし、週に一度くらいは日本人のための日本語の学校みたいなのがあったそうだ。
気候は極端で夏は40度くらいになり、冬でも朝晩間マイナスなのに昼間は20度を超える。
現地にもコメはあるけれど陸稲。移住した日本人が自分たちのためにわずかながら水田を作ったりもした。
パラグアイは海のない国、遊びに行くというとみんな海のあるブラジルに行ったりするけど自分は同じ海のないボリビアへ行った。
ボリビアが圧倒的に面白いというようなことを強く言ってた。
このお店は当初南米から来た人たちの店として始めたけれど今は逆転して日本人客が7割以上。
向こうからきてる人は地元料理は家で自分で作るし、外食は日本食を食べに行くから・・
なんとかというアマゾンでとれるような唐辛子が辛いだけじゃなくとてもおいしいと言って見せてくれた。
今度はこれを使った料理をぜひ食べてみてほしいと・・でも俺辛いのにがてだから・・
でも素朴なこれおいしいからぜひ食ってほしいんだよ感が伝わってきて心に響く。

わたしがたべたのはハチの巣シチュー。
ほんのわずかに癖があるところがまたいいのかもね。
日本で言えばもつ煮込みだろう、味噌がない分香辛料を効かせてこれおいしかったよ。

よめさんの鳥シチューはなんというか豆の出汁の味というか・・ああ南米っぽいねという感じ。
周りの国も含めみんなスペイン語だって言ってたしスペインの料理の影響もうけてるのか?
メニューたくさんあったしまた行きたい。
別な日

山の中の農家の納屋な店。
お客は一人近所の農家のおっさんが食べ終わって出て行くところ。
この辺りは山の上に畑つくられこんなとこ入ってけんの?という細い農道へピカピカ新車の軽トラが爆走して突っ込んでいくのをあっちでもこっちでも見かける。
このお店もそんな一軒であるのかは知らないけれど

ここのサラダはいつも歯ごたえがあって特別美味しい気がするので楽しみ。
この日もいろいろはいっておいしかった。

一番最初からあって多分看板メニューなナポリタン。
ちょうどこのころ別に意味もないけど30年前に風水の本を買って読んだことを思い出してた。
赤い色が力になるとか言ってって、それもできるだけ自分に近い方がよいので赤い下着を付けろみたいな事が書いてあったと思う。
この日この後驚きのいいことがあったのは赤いものを身に着けるどころか食べて体の中に入れたからかな。
これから勝負の日には赤いもん食おうか。
ゲン担ぎが強迫性障害に発展したりすると嫌だからもうそういうのあんまり考えないけど。
そういえば中国へ行ったとき、彼らも赤い色を大事にしているらしく街中で赤い飾りを見かけた。
取引先のまじめな事務所にも赤いひし形の中に金字で福みたいなのがでっかく下げてあってラーメン屋みたいだった。
https://www.youtube.com/watch?v=8wOw2HLfhB0
音楽に変態的に没頭できるすばらしい期間はもうすぐ終わろうとしているところ。
昼間はいろんな鳥が鳴きだし人間もいろいろ活動するようになりいろんな音が聞こえてくるようになった。
カエルが出てきて鳴くようにもなったし夜もにぎやかになると思う。
以前はそれを残念だとか思っている時期もあった。
でもいいよ春だから。
なんかこうもうちょっと活動する人になりたいかなぁ・・
リアルには感染症もあれですけどね。今もうすでに実はかなりやばい時期だったりして。

遠い国の、知らない世界をいろいろとみてみたい。
とりあえず行ける店に行ってみるくらいからでもいいか。
ご心配をおかけいたしました。
どうもありがとうございました。
レンタカーを借りたけど会社へは自転車で通いだした。
朝の風はまだ冷たいけどでももう春ですね。
短い距離だけど帰りの連続登り勾配はそこそこ体を動かすことになるのか寝てしまい夜が一瞬で終わっちゃう。
でもこんなくらいでいいのかなとも思う。
そうなる前、

嫁さんが見つけたペルー料理の店というのにたけど事前に見たレビューを見てそう思い込んだだけでペルーじゃないことがあとで分かった。
他にメキシコ料理だとかみんなそれが正解みたいに書いてたけどまあなんでもいいかそんなの。
向こうの食材がたくさん置いてあって向こうのから来た人たち向けの店なのかなという雰囲気もありつつ、一人座ってテレビを見て居たおっさんは近所の暇なお客ではなく店主なのだった。

セットの飲み物は缶でそのまま出てきた。
でもそこがいいじゃないなんか外国みたいで。
寡黙な店主は一見不愛想だけどなんでか悪い人では全然ない気がする。
近所のほかの店の人がきてマスターって呼んでたからマスターか。

サラダは何も特別なことはなく普通だけどいい感じじゃない。
ランチのサラダって殺風景なことも多くて。
この後結構食べ進んだ頃を見計らってはじめてですよね?とマスターが話しかけてきた。
この際だからと私も話がしたい人モードに切り替える。
ペルーですよね?なんて言ったら違ってパラグアイだそうだ。
パラグアイって・・ピンとこないな名前は知ってるけど
日本の家電メーカで回路設計一筋もう定年になって10年みたいな印象のマスターは向こうで生まれ育ったそうで、親が80世帯くらいで1950年代に移住した。パラグアイへは沖縄から移住した人が多かっという。
向こうで育ったけれど家の中は日本語だったので日本語が喋れるし、週に一度くらいは日本人のための日本語の学校みたいなのがあったそうだ。
気候は極端で夏は40度くらいになり、冬でも朝晩間マイナスなのに昼間は20度を超える。
現地にもコメはあるけれど陸稲。移住した日本人が自分たちのためにわずかながら水田を作ったりもした。
パラグアイは海のない国、遊びに行くというとみんな海のあるブラジルに行ったりするけど自分は同じ海のないボリビアへ行った。
ボリビアが圧倒的に面白いというようなことを強く言ってた。
このお店は当初南米から来た人たちの店として始めたけれど今は逆転して日本人客が7割以上。
向こうからきてる人は地元料理は家で自分で作るし、外食は日本食を食べに行くから・・
なんとかというアマゾンでとれるような唐辛子が辛いだけじゃなくとてもおいしいと言って見せてくれた。
今度はこれを使った料理をぜひ食べてみてほしいと・・でも俺辛いのにがてだから・・
でも素朴なこれおいしいからぜひ食ってほしいんだよ感が伝わってきて心に響く。

わたしがたべたのはハチの巣シチュー。
ほんのわずかに癖があるところがまたいいのかもね。
日本で言えばもつ煮込みだろう、味噌がない分香辛料を効かせてこれおいしかったよ。

よめさんの鳥シチューはなんというか豆の出汁の味というか・・ああ南米っぽいねという感じ。
周りの国も含めみんなスペイン語だって言ってたしスペインの料理の影響もうけてるのか?
メニューたくさんあったしまた行きたい。
別な日

山の中の農家の納屋な店。
お客は一人近所の農家のおっさんが食べ終わって出て行くところ。
この辺りは山の上に畑つくられこんなとこ入ってけんの?という細い農道へピカピカ新車の軽トラが爆走して突っ込んでいくのをあっちでもこっちでも見かける。
このお店もそんな一軒であるのかは知らないけれど

ここのサラダはいつも歯ごたえがあって特別美味しい気がするので楽しみ。
この日もいろいろはいっておいしかった。

一番最初からあって多分看板メニューなナポリタン。
ちょうどこのころ別に意味もないけど30年前に風水の本を買って読んだことを思い出してた。
赤い色が力になるとか言ってって、それもできるだけ自分に近い方がよいので赤い下着を付けろみたいな事が書いてあったと思う。
この日この後驚きのいいことがあったのは赤いものを身に着けるどころか食べて体の中に入れたからかな。
これから勝負の日には赤いもん食おうか。
ゲン担ぎが強迫性障害に発展したりすると嫌だからもうそういうのあんまり考えないけど。
そういえば中国へ行ったとき、彼らも赤い色を大事にしているらしく街中で赤い飾りを見かけた。
取引先のまじめな事務所にも赤いひし形の中に金字で福みたいなのがでっかく下げてあってラーメン屋みたいだった。
https://www.youtube.com/watch?v=8wOw2HLfhB0
音楽に変態的に没頭できるすばらしい期間はもうすぐ終わろうとしているところ。
昼間はいろんな鳥が鳴きだし人間もいろいろ活動するようになりいろんな音が聞こえてくるようになった。
カエルが出てきて鳴くようにもなったし夜もにぎやかになると思う。
以前はそれを残念だとか思っている時期もあった。
でもいいよ春だから。
なんかこうもうちょっと活動する人になりたいかなぁ・・
リアルには感染症もあれですけどね。今もうすでに実はかなりやばい時期だったりして。

遠い国の、知らない世界をいろいろとみてみたい。
とりあえず行ける店に行ってみるくらいからでもいいか。
キンメダイと人生

紅葉はもう終わってた。
だけど日の光があたったらわーっという景色になっちゃって・・

キンメダイの粗汁というのを食べた。
ちょっと焼いてある香ばしさを含めおいしかったなこれ。
なんかこう赤い色も綺麗だし。
身はもう出汁が出ちゃってて・・と思ったけど食ってたらやっぱりおいしいじゃない。

シマアジ、キンメダイ、のどぐろ・・
みんなうまかった。
コンベアが持ってくる寿司だけど
プロの卵焼きは・・と期待したけどこれは普通だった。
学校出て就職すると寿司屋のカウンターに連れていかれたことがあった。ハッピーな話では全くなかったのはいいとして、何か頼めと言われたが寿司なんてパックに入ってるもんだと思ってたからわからない。
たままたま知ってるブリと言っ・・店主が低い声で
夏にな、ぶりなんかねーんだよ。
笑ってごまかすでもない感じで場はシラけ・・トラウマみたいなそれは多分今も大して変わらず、その後寿司屋のカウンターに座ったのは覚えてる限り2度だけ。
一度は隣の偉い人が言うままただ食ってればよかった。
2度目は探るように頼んでうまいうまいとやってたら職人さんがじゃあこれ食ってみてよと聞いたことのないネタを握ってくれて・・うれしく盛り上がるはいいけど、3人くらいの職人さんがさあこいつなんて言うかなと凝視してるわけだ。
食べる前からどうやってこれは美味いなを表現しようかかなんて考えちゃったりして味なんか分かん・・そんなの場数を踏めば慣れるという話だけどね。
その時それは実際あんまり好みじゃなかったけどおいしい!3人笑顔!・・なにこれ・・
これは違うなみたいなことをうまく表現しつつ、気に入ったものでほんとに喜んで・・とかいうやり取りができたら楽しいでしょうね。

ノイシュバンシュタイン城を作らせたルードヴィヒ二世という国王は騎士物語に狂っていたが、ワーグナーの楽劇にもはまって自分専用の劇場で自分だけのための楽劇に一人拍手を送り続けた・・みたいな話があったと思う。
最高の贅沢なようで、自分だったら大量の楽員や歌手の前で一人拍手なんて耐えられないけどな。
聴くのはいいけど残り1分くらいのところで逃げると思う。
昔、北海道の小さな水族館でアザラシのショーを見ていたら隣に沢山いた幼稚園の集団が途中で帰っちゃって嫁さんと私とショーのお姉さん3人の差しになってしまった。
若くまだ駆け出しという感じのお姉さんは照れが入ってしまい進行が止まりそうになる。
目でもうやめちゃっていいですか?みたいな。
こっちはこっちでそういうのが苦手で今すぐ逃げたい気持ちだったけれど、いやいかん踏ん張らなければと腕組みをして大丈夫だよ見てるよみたいな笑顔を返す・・内心必死で。
嫁さんとアザラシは輪投げキャッチみたいなので盛り上がってた。

あれから10年、いま水族館のサイトを見たらショーの紹介があって写っているのは紛れもなくあのお姉さんだ。
きっと素晴らしいショーが展開してるはず。
国が傾くレベルで道楽に興じたルードヴィッヒ2世は失脚させられ湖で謎の死を遂る。
https://www.youtube.com/watch?v=MCwXwpbSuvs
ローエングリンが好きだったんじゃなかったっけ?
白鳥にまたがってという話でどうしても昔のドリフを思い出してしまい・・
何かに熱中するはいいけどほどほどにしないと嫁さんから抹殺されるかもしれない。
10年くらい前のブログが盛んな頃にとある趣味関係のブログをよく見ていたけれど、この人嫁さんのフォロー大丈夫なのかなという人が何人もいた。あの人たち今無事かな?
嫁さんが切れちゃってもうなにもできないと腐ってる人がいたけどまだいい方だと思う。
こういうの他人事みたいに言ってるときは何も気づいていないだけの自分自分が一番危ない時でもあるかもしれない。
ご飯だよと呼ばれたら何をしているどんな場面でも絶対にやめてすぐ駆けつけるか駆けつけようとしてるそぶりを見せることだけは厳守してる。

次の日だったか、
社外で別団体から行われる永年勤続表彰みたいなのが感染症がらみで中止となったから社内でということだろう突然そんなのが始まった。
あいつ20年なのか・・そうかなんて他人事みたいに見てたら同じく20年の・・と自分の名前が呼ばれた。
あれ?
10年単位でなんかもらう同期の顔ぶれは締め日の設定で2種類あるからな。
何の予告もなく突然もらうでっかい賞状に何か感慨みたいなものもなく・・とかそういう事を言わないの。
私という人間を考えたとき、どこにも落ち着けず転職を繰り返すうちにみたいな話は十分考えられるというよりむしろそうなるはずだったのではないか、今のこの状況は極めて幸運な偶然を得ているのではないかと思う事がある。
嫁さんと会社は直接関係ないけれど、考えてみれば知り合うまでのきっかけは会社の中にあったわけでみんなつながってるのか。
幼少からの流れで常にお前は劣っており間違っているという声が聞こえ続けているけれど、同時に誰かによって守られ導かれているような気がしている。
虹とゆっくり登ってく
外は激しい雨で肌寒い。
楽器を練習していてふと振り向くと

しわくちゃの中からしわくちゃ顔がこっちを見てた。
写真を撮ろうとスマホを向けると必ずそっぽを向く。
長雨でネタもないからここへ昔の写真を何枚か貼ってみれば、待ってましたとばかりに自分の頭はおかしいですみたいなのがうわっと吐き出されそうに・・
休み明けの晴れた朝、膝の不調でずっと控えていた自転車通勤をしてみた。
乗ってみると自転車って膝関節に負担をかけずに力を伝えられるものなのね。明るい風がなんだか気持ちがよかった。

帰りは全行程登り。久しぶりだから息が上がったりするかと思ったけれどそれもなく、ギアを落としてゆっくり登ってく。
家のそばで散歩に出ようという犬と遭遇。一緒に行こーっていうから犬と走って・・
そんなことやってると書いてあった公開できないような話をなんとかして人に見せられるよう書き換えられないかとか思い始める。

10年前のちょうど今頃、帯広で豚丼食ってた。
ものすごく有名で行列が出来たり観光客があったあった!と大声で騒いでるのが聴こえる店。
このとき時期と時間がよかったのか奇跡的に食べ終わるまでずっと私一人。普通の人が普通に一生懸命やっている小さく素朴な店で意外な印象。豚丼は私の好みと合わなかったけどあそこに行ったという思いでが残った。

次の日、とある山間の無人駅にいた。
小さな待合小屋に入ると目の前には電気ストーブ。
寒かったのに私はそれを自分が使ってはいけないものだと思い電源を入れずに我慢した。今思えば無駄に自分からダメな人であろうとするここに私の問題が表れてると思う。
耐え切れずスイッチを入れるとすぐ暖かくなって救われつつ知らない誰かに向かって罪悪感を感じたりして。
雨の中楽器を練習してるとき、全然できないというか意味が分からなかったことが急にできそうになりかけている感じがあってちょっと気持ちが明るかった。
気が付くと、練習曲を吹いてて半年前には難儀というか全然できなくて困ってたことがさらっとできてたりもするのね。
もう何が難しかったのかわかんなかったりして。
こういうの、素直に書けばいいのにこの一文を書くのに3日かかった。
お前が言うなみたいな声が聞こえるというか聴こえやしないんだけど勝手に自分でそう思ってるというか。
いまもここに、でも結局勘違いで全然できてないとかレッスンに行けばまたコテンパンになるのはわかってますとかそういうネガティブ下降文をどうしても書こうとしてしまう。そう思ってるからそうなるんであって。
でも、自分は微速ながらに前に進んでるんだといいきかせ、みえないどこかを目指しますよ。
果てしない坂を登ってくというか。

なんかサハリンみたいですね。行ったことないけど。
超絶ヒグマ地帯。
この線路は昭和に入ってから開通の新ルートで今は大出力の列車がゴーッとか結構なスピードで登ってゆく。
ずっと奥の方を通過していた旧ルートが開かれた明治時代はその工事自体が命懸けだっただろうしかなり悲惨な話もあっただろう。難所として知られ蒸気機関車牽引の列車がゆっくりゆっくりあえぐように登っていった・・という話と写真しか知らないけれど、乗ってみたかった。
この写真実際は坂を下ってるとこだけど。
今ここまた別な日。
楽器始めたころから先生に変なリードを吹くとどんどん下手になるからすぐに捨てろ!と言われてきた。
2年くらいたって今やっとその意味を実感的に感じ取れたかもしれない。
ダメリードでどんどん駄目になっていくことがこれからいくらかでも減らせれば・・
これもまだ勘違いかな?

列車の中から虹が見えた。
訳が分かんなくてそれどころじゃなかったものが少しずつ見えてくる。子供のころでも学生時代でも若いころでもいいから、一般人の100分の一の速度でしか進まなくてもいいからという体で何かやってこれたら人生違っていたかなぁ・・
過去形で考えると人生全否定が始まっちゃうから駄目よ。
最近読んだプロ演奏家かプロ教える人か本を書いたりしている人の指摘を読んでかなり楽になった。
それを自分で書いちゃうと逃げ口上みたいだから書かないけど、絶対あきらめず死ぬまでやればいいと今思う。
https://www.youtube.com/watch?v=YfprcvuHoG8
空気も天気ももやもやしていていけねーとか言いながらドンナーが雲をかき集め雷を落とすともやもや天気は消えてしまい、フローが虹の橋を架けると神々が渡ってゆく・・

チェロとホルンが虹のアーチをかける。
橋を架けたフローが神々に向かって
この橋は皆様を乗せるのに十分な強度を有しておりますからどうぞ安心くださいというようなことを言ってるのが今風みたいでちょっと面白い。
上演に4日間かかるこの物語は複雑でいろんな見方ができると思うけれど全体的にはどうしようもなく救いようのない暗い話でもあると思う。そしてそれは何度でも繰り返される。
とはいえ初日のラインの黄金はどこかコミカルな感じもあって・・そのラストとなるここでは神々が肩を揺らしガニマタで行進していくような超絶めでたい感じで終わる。
実際中身があってその自信に満ち溢れた人、病的に空虚な自信を振りかざす人、客観的にそれが正しいかはまた別だけど本人的には自信に満ち溢れている間は幸せなんだと思う。
反対に劣等感と自己嫌悪感だけに包まれて生きていると意外にもトラブルを避け長く生き延びられる可能性もあるのは事実なんだけど、その最後に自分自身を振り返り無駄な間違いだと思ってみじめに終わるようなことになりかねないと思う。
小さくてもいいから、具体的事実に基づく俺にはこれがあるという物を・・ひとつくらい・・
この録音の最後、壮大な感じをどうしても出したい録音プロデューサーが休憩とかなんとか言ってオケの人間に酒を一杯飲ませて録りなおしたところ巨大な音楽を録ることに成功したと本に書いてた。
聞いててそれが伝わってくるような気もする。

虹の日、これは駅ビルのコンコースにぽっとあった感じの店。もうここでいいよみたいな。
だけど私にはこれがおいしかった。
ちょっとコショウが強めなんだったかな。
おいしかったんなら、それでいいじゃない。
そうかいいのか。
それじゃよかった。
楽器を練習していてふと振り向くと

しわくちゃの中からしわくちゃ顔がこっちを見てた。
写真を撮ろうとスマホを向けると必ずそっぽを向く。
長雨でネタもないからここへ昔の写真を何枚か貼ってみれば、待ってましたとばかりに自分の頭はおかしいですみたいなのがうわっと吐き出されそうに・・
休み明けの晴れた朝、膝の不調でずっと控えていた自転車通勤をしてみた。
乗ってみると自転車って膝関節に負担をかけずに力を伝えられるものなのね。明るい風がなんだか気持ちがよかった。

帰りは全行程登り。久しぶりだから息が上がったりするかと思ったけれどそれもなく、ギアを落としてゆっくり登ってく。
家のそばで散歩に出ようという犬と遭遇。一緒に行こーっていうから犬と走って・・
そんなことやってると書いてあった公開できないような話をなんとかして人に見せられるよう書き換えられないかとか思い始める。

10年前のちょうど今頃、帯広で豚丼食ってた。
ものすごく有名で行列が出来たり観光客があったあった!と大声で騒いでるのが聴こえる店。
このとき時期と時間がよかったのか奇跡的に食べ終わるまでずっと私一人。普通の人が普通に一生懸命やっている小さく素朴な店で意外な印象。豚丼は私の好みと合わなかったけどあそこに行ったという思いでが残った。

次の日、とある山間の無人駅にいた。
小さな待合小屋に入ると目の前には電気ストーブ。
寒かったのに私はそれを自分が使ってはいけないものだと思い電源を入れずに我慢した。今思えば無駄に自分からダメな人であろうとするここに私の問題が表れてると思う。
耐え切れずスイッチを入れるとすぐ暖かくなって救われつつ知らない誰かに向かって罪悪感を感じたりして。
雨の中楽器を練習してるとき、全然できないというか意味が分からなかったことが急にできそうになりかけている感じがあってちょっと気持ちが明るかった。
気が付くと、練習曲を吹いてて半年前には難儀というか全然できなくて困ってたことがさらっとできてたりもするのね。
もう何が難しかったのかわかんなかったりして。
こういうの、素直に書けばいいのにこの一文を書くのに3日かかった。
お前が言うなみたいな声が聞こえるというか聴こえやしないんだけど勝手に自分でそう思ってるというか。
いまもここに、でも結局勘違いで全然できてないとかレッスンに行けばまたコテンパンになるのはわかってますとかそういうネガティブ下降文をどうしても書こうとしてしまう。そう思ってるからそうなるんであって。
でも、自分は微速ながらに前に進んでるんだといいきかせ、みえないどこかを目指しますよ。
果てしない坂を登ってくというか。

なんかサハリンみたいですね。行ったことないけど。
超絶ヒグマ地帯。
この線路は昭和に入ってから開通の新ルートで今は大出力の列車がゴーッとか結構なスピードで登ってゆく。
ずっと奥の方を通過していた旧ルートが開かれた明治時代はその工事自体が命懸けだっただろうしかなり悲惨な話もあっただろう。難所として知られ蒸気機関車牽引の列車がゆっくりゆっくりあえぐように登っていった・・という話と写真しか知らないけれど、乗ってみたかった。
この写真実際は坂を下ってるとこだけど。
今ここまた別な日。
楽器始めたころから先生に変なリードを吹くとどんどん下手になるからすぐに捨てろ!と言われてきた。
2年くらいたって今やっとその意味を実感的に感じ取れたかもしれない。
ダメリードでどんどん駄目になっていくことがこれからいくらかでも減らせれば・・
これもまだ勘違いかな?

列車の中から虹が見えた。
訳が分かんなくてそれどころじゃなかったものが少しずつ見えてくる。子供のころでも学生時代でも若いころでもいいから、一般人の100分の一の速度でしか進まなくてもいいからという体で何かやってこれたら人生違っていたかなぁ・・
過去形で考えると人生全否定が始まっちゃうから駄目よ。
最近読んだプロ演奏家かプロ教える人か本を書いたりしている人の指摘を読んでかなり楽になった。
それを自分で書いちゃうと逃げ口上みたいだから書かないけど、絶対あきらめず死ぬまでやればいいと今思う。
https://www.youtube.com/watch?v=YfprcvuHoG8
空気も天気ももやもやしていていけねーとか言いながらドンナーが雲をかき集め雷を落とすともやもや天気は消えてしまい、フローが虹の橋を架けると神々が渡ってゆく・・

チェロとホルンが虹のアーチをかける。
橋を架けたフローが神々に向かって
この橋は皆様を乗せるのに十分な強度を有しておりますからどうぞ安心くださいというようなことを言ってるのが今風みたいでちょっと面白い。
上演に4日間かかるこの物語は複雑でいろんな見方ができると思うけれど全体的にはどうしようもなく救いようのない暗い話でもあると思う。そしてそれは何度でも繰り返される。
とはいえ初日のラインの黄金はどこかコミカルな感じもあって・・そのラストとなるここでは神々が肩を揺らしガニマタで行進していくような超絶めでたい感じで終わる。
実際中身があってその自信に満ち溢れた人、病的に空虚な自信を振りかざす人、客観的にそれが正しいかはまた別だけど本人的には自信に満ち溢れている間は幸せなんだと思う。
反対に劣等感と自己嫌悪感だけに包まれて生きていると意外にもトラブルを避け長く生き延びられる可能性もあるのは事実なんだけど、その最後に自分自身を振り返り無駄な間違いだと思ってみじめに終わるようなことになりかねないと思う。
小さくてもいいから、具体的事実に基づく俺にはこれがあるという物を・・ひとつくらい・・
この録音の最後、壮大な感じをどうしても出したい録音プロデューサーが休憩とかなんとか言ってオケの人間に酒を一杯飲ませて録りなおしたところ巨大な音楽を録ることに成功したと本に書いてた。
聞いててそれが伝わってくるような気もする。

虹の日、これは駅ビルのコンコースにぽっとあった感じの店。もうここでいいよみたいな。
だけど私にはこれがおいしかった。
ちょっとコショウが強めなんだったかな。
おいしかったんなら、それでいいじゃない。
そうかいいのか。
それじゃよかった。
うまくやれない人に甘いもんと音楽
この日は時間の都合で近くのファミレス。

超絶オリジナリティなんて物はない代わりに無理のない価格で間違いないものが出てくるところがいいですよね。
時間的に空いていて静かなのもよかった。

客席間には手製の隔離ボードがはまってた。
でっかい工場のラインにみかける改善活動みたいなのを思い出すけど、今みんな何とかしようとがんばってんだろうなと思うとちょっと泣けて来る。

この店パートさんみたいな店員さんの接客姿勢が極めて上質なのが本当に気持ちいいのね。
極めて上質って、実際普通に常識的なだけだけどそうじゃないとこも多いので。
次の日出かけた隣町で用事が終わり、どっかカフェでも・・
だけどこのあたりは観光地化して首都圏からくる人も多く、すぐそばにあるのはそういう人やちょっと違うのよ系がいくんだろう森の中のウッドデッキで鳥のさえずりを的な偽軽井沢カフェみたいなの。
普段はそんなとこ行けば絶対嫌な思いするから行かねーなんて思ってる。
けど時間的にそこしかない感じなのと嫁さんが行きたそうなのと魔が差し行ってみ・・予感通りというか予感を超えて店ヘ入る前から信じられない人とその行動に遭遇する。
怒りを煮詰めた煮凝りみたいな文章をここに書いてもみっともない馬鹿見えるのは自分の方だろう。
非常に不愉快な一日になりかけるけど、これもきっと何か新しい考えを得るためのきっかけをどっかから誰かがくれたんだろうなんてことを考えながら・・しばらく走って

時間とかどうでもいい最近できたチェーン店みたいなカフェに入る。
混んでてがやがやうるさいけどほんとに新築で新しいのと親切で丁寧な接客がなんだか気持ちがいい。
なんだここでいいじゃない。

仮設の仕切り版がここにも・・
すぐ目の前でパフェができてく。
ほかにもいろんなもん作ってんのを眺めながら・・
いいねえパフェ。
誰が食うのかって

いい加減な歳のおっさんなのに俺。
抱えた嫌な気分がこんなので浄化されてゆく。
馬鹿にした顔が浮かぶとかもういちいち書かなくていいか。
雨で涼しいため帰ってからまた音楽を聴くことができた。
いくつか聞いた中にこれがあって
https://www.youtube.com/watch?v=8lklpz-ipBE
ハ長調の超絶全肯定的に始まるニュルンベルクのマイスタージンガー前奏曲、
楽譜の冒頭にはMaestoso・・と思いこみで見てみれば

ああちがうか、もうこの人どんどんドイツ語で具体的に書いちゃうんだった。
その勘違いが生まれたのは高校の吹奏楽部のあの日のあそこでだったけど・・今思うよくあそこに座ってられたな。お前の居場所じゃないといわれた音楽にやっぱりどうしても触りたいと思うまであそこから30年かかったけどまあいいか。
こういうのを初見で理解できるようになりたくて昔ドイツ語をとったけど何にもわかるようになれなかった。
使うこともないけどいまスマホのカメラをかざすだけで自動で翻訳が出てくる時代になって便利と言えば便利ね。
この曲も中学生のころから聴いてて、
なんか朝学校に行く前にこれをちょっと聴いていくとその日一日嫌な目に合わないというか、いいことがあると思ってた記憶が出てきた。
何度もやってた記憶があるのは実際そうなったような気がしたからかもしれない。あほかってなもんだろうけど。
中学校でも吹奏楽部だった。
これを言うと怒る人も多いと思うけれど・・私がやってたのは誰もやりたがらないので主張しなそうなのが来るとやらされる楽器であった。
いろんな曲を知った今はあれが主役を張ってる場面が意外にたくさんあることも知ってる。

だけどあのころそれが主役を張って歌いトリルでしめるとかいうこの場面は卑屈の中に生きる自分を救う奇跡の場面・・は言い過ぎだけど耳は当然その楽器にくぎ付けになった。
あれから35年、あれほど何度も何度も聴いてきて知っててしょうがないような曲。なのに今別な楽器をやるようになったらなんか上の方でやってるなくらいに思ってた対旋律に耳が行きあこんなメロディだったのか・・なんて。
興味のない人にはちょっと通じないだろうけどその驚き感と今更感は、
35年間親しく文通を続けてきた同い年の男、確かめる気もなかったけど聞いてみたら実は女性だったくらいの驚き感で。
最低な気分になりかけた一日だったけど一人勝手に何だか楽しく終わった。
お前の思ったり言ったりしてるそんなのは音楽なんかじゃないよというのもあるだろう。
面と向かってそんな言葉を吐かれたこともあるけれど大きなお世話である。
私が生きてこれた理由の一つに、音楽があったからというのがあると思っている。

超絶オリジナリティなんて物はない代わりに無理のない価格で間違いないものが出てくるところがいいですよね。
時間的に空いていて静かなのもよかった。

客席間には手製の隔離ボードがはまってた。
でっかい工場のラインにみかける改善活動みたいなのを思い出すけど、今みんな何とかしようとがんばってんだろうなと思うとちょっと泣けて来る。

この店パートさんみたいな店員さんの接客姿勢が極めて上質なのが本当に気持ちいいのね。
極めて上質って、実際普通に常識的なだけだけどそうじゃないとこも多いので。
次の日出かけた隣町で用事が終わり、どっかカフェでも・・
だけどこのあたりは観光地化して首都圏からくる人も多く、すぐそばにあるのはそういう人やちょっと違うのよ系がいくんだろう森の中のウッドデッキで鳥のさえずりを的な偽軽井沢カフェみたいなの。
普段はそんなとこ行けば絶対嫌な思いするから行かねーなんて思ってる。
けど時間的にそこしかない感じなのと嫁さんが行きたそうなのと魔が差し行ってみ・・予感通りというか予感を超えて店ヘ入る前から信じられない人とその行動に遭遇する。
怒りを煮詰めた煮凝りみたいな文章をここに書いてもみっともない馬鹿見えるのは自分の方だろう。
非常に不愉快な一日になりかけるけど、これもきっと何か新しい考えを得るためのきっかけをどっかから誰かがくれたんだろうなんてことを考えながら・・しばらく走って

時間とかどうでもいい最近できたチェーン店みたいなカフェに入る。
混んでてがやがやうるさいけどほんとに新築で新しいのと親切で丁寧な接客がなんだか気持ちがいい。
なんだここでいいじゃない。

仮設の仕切り版がここにも・・
すぐ目の前でパフェができてく。
ほかにもいろんなもん作ってんのを眺めながら・・
いいねえパフェ。
誰が食うのかって

いい加減な歳のおっさんなのに俺。
抱えた嫌な気分がこんなので浄化されてゆく。
馬鹿にした顔が浮かぶとかもういちいち書かなくていいか。
雨で涼しいため帰ってからまた音楽を聴くことができた。
いくつか聞いた中にこれがあって
https://www.youtube.com/watch?v=8lklpz-ipBE
ハ長調の超絶全肯定的に始まるニュルンベルクのマイスタージンガー前奏曲、
楽譜の冒頭にはMaestoso・・と思いこみで見てみれば

ああちがうか、もうこの人どんどんドイツ語で具体的に書いちゃうんだった。
その勘違いが生まれたのは高校の吹奏楽部のあの日のあそこでだったけど・・今思うよくあそこに座ってられたな。お前の居場所じゃないといわれた音楽にやっぱりどうしても触りたいと思うまであそこから30年かかったけどまあいいか。
こういうのを初見で理解できるようになりたくて昔ドイツ語をとったけど何にもわかるようになれなかった。
使うこともないけどいまスマホのカメラをかざすだけで自動で翻訳が出てくる時代になって便利と言えば便利ね。
この曲も中学生のころから聴いてて、
なんか朝学校に行く前にこれをちょっと聴いていくとその日一日嫌な目に合わないというか、いいことがあると思ってた記憶が出てきた。
何度もやってた記憶があるのは実際そうなったような気がしたからかもしれない。あほかってなもんだろうけど。
中学校でも吹奏楽部だった。
これを言うと怒る人も多いと思うけれど・・私がやってたのは誰もやりたがらないので主張しなそうなのが来るとやらされる楽器であった。
いろんな曲を知った今はあれが主役を張ってる場面が意外にたくさんあることも知ってる。

だけどあのころそれが主役を張って歌いトリルでしめるとかいうこの場面は卑屈の中に生きる自分を救う奇跡の場面・・は言い過ぎだけど耳は当然その楽器にくぎ付けになった。
あれから35年、あれほど何度も何度も聴いてきて知っててしょうがないような曲。なのに今別な楽器をやるようになったらなんか上の方でやってるなくらいに思ってた対旋律に耳が行きあこんなメロディだったのか・・なんて。
興味のない人にはちょっと通じないだろうけどその驚き感と今更感は、
35年間親しく文通を続けてきた同い年の男、確かめる気もなかったけど聞いてみたら実は女性だったくらいの驚き感で。
最低な気分になりかけた一日だったけど一人勝手に何だか楽しく終わった。
お前の思ったり言ったりしてるそんなのは音楽なんかじゃないよというのもあるだろう。
面と向かってそんな言葉を吐かれたこともあるけれど大きなお世話である。
私が生きてこれた理由の一つに、音楽があったからというのがあると思っている。
頭のおかしい人と蛍の光

湧水が流れとなって・・
蛍を守るため場を荒らさないで!みたいな看板があるとこ。
ああここならいるかもね。
だけどこんなところに夜来たら犯罪に巻き込まれそうだな。
あでもそういうときは人がいっぱいで祭り状態なのか。
なおさら来れないな。
そんなこと考えながら

カニさん登場。
逃げずにこっちをずーっと見つめてたりして。
幼い頃、近所の夏祭りの明かりや音に誘われ行きたいと訴えると両親はそろって
そんなものに行きたいというお前の頭はおかしいと激しった。
無言でいきなり殴られることもあったりして子供心にその背景を察しつつ私の親は頭がおかしいのだろうと思った。
それはいいとして気が付けばなりたくなかったあんな人に、
自分もなっちまったのかな。
通りすぎると後ろでなんか騒いでる声がする。

カニと・・

遊ぶ人。
この人海でもやってたカニと。

Dances with カニ

ただ威嚇してるだけだろとか言っちゃえばそれまでね。
少し遊んでくれたように私には見えるけど、そんなことを言ってる人間は馬鹿にしか見えない人もたくさんいるでしょう。
昔、カニをとったりザリガニとかクワガタ捕りというのもしない自分を自分で頭がおかしいのではないかと思ったけれど唯一学校の先生がくれた熱帯魚を飼うことは熱中した。
ある日帰宅すると平日なのに親父がいて水槽は空になり片付けられていた。
父親は私が何か楽しみを見つけると徹底的に奪いやめさせようとしたけれど、どこにでもあるような話で戦後の食うものもないような時代に父親なしで育った結果がそこにあったかもしれない。
さすがに生きた魚を捨てはしないとは思うから何かで魚が死んだ瞬間をとらえてだったか・・詳細はもう覚えていない。
何も考えないようにしたことを覚えてる。
私がこんなになっちゃったのと今だにいろいろとおかしいところから脱せない原因は私の体の内部にあると思っており、親へ恨み節をここにぶつけようとかじゃなくて。
話の流れ上そんなことがあったというだけ。

家のすぐ裏に蛍がいると気づいたのは深夜道を歩いていたら一匹の蛍がふらふらっと飛んできたからだった。
その蛍に、お前こっち来てみてみろよと誘われて・・
仕事のストレスをぶつけてしまうと自分で言ったこともあったが、私を見るたびにお前はみっともない失敗だというようなことを吐き捨てる父親に対しいつしか私も同じ考えをもっていたと思う。
もちろん親から育てられた恩は表面にある些細な事とは別次元にあり忘れるものではないけど。
何年も親子というより人間としてのやり取りも成立しない間柄となっていた父親はその時絶望的な病床にあった。
蛍がいると言ってみると何だ知らなかったのかと言いつつ、もう一度見たかったというようなことを言った。
みればいいじゃないかと返せば、そうだなというようなことも言ったがもう力はなかった。
自分はいくらでも何度でも見ることができると思っていた蛍の数はその後減ってしまい、昨年は一度も一匹も見られなかった。
もう自分も蛍を見ることはできないのかと・・
https://www.youtube.com/watch?v=23mLlK_aK6k
こんなに暗くならなくてもいいんだろうけど、最近聴いて心に残ったから。
いろんな作曲家が効果的に使っているけれどヴァイオリンの解放のGがユニゾンでヌォーンっと鳴ると人の心が凍り付いてるみたいで聴いてる此方の心も引っ張られますね。
これを聴いた日、なぜかお前どうするの?お前もうだめだよどうするの?といわれているような気分だった。
ほんとは何故かじゃなくて原因ははっきりわかっているけど今書くことじゃないと思うので。それより、
夜、犬と外に出たら

いたんだよ。
蛍が。

それもいつもの川を離れ家の敷地の中に入ってきて物置やフェンスにとまってずっと光って見せてくれた。
誰かが何かを伝えようとしてるのかなんてまた考えても見たけれど、なにという事も思い浮かばなかった。
いいよそんなの。
蛍いてくれたから。
これを自分の家で、嫁さんと二人で眺めたというところに
自分を糞みたいに思う癖のある私にとっての意味があると思う。
何言ってんだこの馬鹿と思ってるでしょ?
いいのよそれで。

嫁さんが差したこの光る星に、
近所の猫がおしっこをひっかけたらしく嫁さんがすごく怒ってた。
梅雨の時期だったか家の庭にはカニもよく歩いているんだよね。
カニもずっとそんなもんいるわけがないと思ってた。
いると思えば見えてくるのね。
こんな内容書くと反感を食らうなと思いながら・・
それより、書いてみると当時わからなかった色んな事が見えても来た。
すべては蛍を見たから発想した話で蛍のおかげ。
蛍がお前よく考えろと言ってる気がする。
何をかはまだよくわからない。
もし私に子がいたら、どう接しただろうか?
森とサーモン

またすき家。
日曜日だし森林公園みたいなところなので人間に遭遇する可能性があるけれど、いつも行くところは木陰がなくもう暑くて飯どころじゃないから。
藤棚の下にテーブル2組というのもあったけど先客が盛り上がってたのでやめ。
椅子しかないけどいいよここで。

オニオンサーモン丼だったっけ?
なんか自分でのせるのね。
生ものだからあったかいご飯の載せてだと法令上まずいとかあるのかな?
違うか味や歯ごたえがまずくなっちゃうのか。
手順書がついてたりして・・特盛はサーモン2人前だから大しょうゆも2つついてきたけど一個で十分。いや半分くらいでもいいかも。
もう一つなんか濃厚なソースもついてきた。

森とサーモン。
回転寿司でみるヘロヘロサーモンを覚悟していたけれど、一口目からおいしくて意表を突かれる。
余計なことを書くもんじゃないけど、味を占めて後日同じものを家で食ったときには全く違う感想を得た。
ロットがちがうから?
買ってから食うまでの時間?
2度目で慣れちゃったから?
体調の問題?
きっとこの周りを囲むケヤキの緑と空気が作用したんだろう・・

食ってる最中目の前はこんな感じ。
直下に遊歩道があり幸せ家族みたいなのが通り過ぎてゆく。
子供と親と・・
15年じゃきかないくらい前になるか会社の人間でこのあたりに来てバーベキューをしたことがあり、小さな女の子を肩車してこの遊歩道を登ってきた事を思い出した。
心身ともに不健全に生きてきた私は子供をかわいいと思うような回路は破損しており、子供にもわかるような拒否臭が出ていたんじゃないかと思う。でもそんなもん少しも意に介さない明るく元気な子だった。
おとうさんみたーいという声を耳元で聴きちいさな衝撃を受けたのはちょうど目の前のここだったよな。
いつか自分も自分の子と・・その時思ったかはもう思い出せない。
あの子とあの人、どうしているかな。
私の記憶にバーベキュー的なものはその後一度もないけれどそんな話は今ここに書きたくない。
食ってるうちにやたらに暑くなってきた。

日が少しづつ動いておりあの微妙な日陰を作る模様からずれてっちゃうのね。
我慢して食おうかと思ったけど暑いと味もへったくれもなくなっちゃうから

味噌汁置くとこがないけどあちらの切り株的な椅子へ移動すれば
目の前の景色は

こんな感じ。
かわんない?
ワーグナーの楽劇ジークフリートというのに森のささやきと呼ばれる音楽があって単独で演奏されたりもするんだけどそんなに好きでもなくて。
同じジークフリートと共通の素材で書かれたジークフリート牧歌という曲が超絶有名。
上演に4日かかる作品の3日目の終わりでやっと主役の男女が出会いいい感じになる辺り・・だっけ?観ることはほとんどないので・・
https://www.youtube.com/watch?v=mZmOCh-7cKk
そしてこの曲は作曲者の妻の誕生日へのプレゼントとして内緒で準備されその朝寝室の前で披露されたことが超絶有名。
数人の楽員が配置されたのは寝室前の階段、曲がり階段で指揮者から見えない団員が・・映画や舞台でよく見るお城みたいなとこに住んでたのね。
嫁さんが大変喜んだという話も有名だけど、
ぼさぼさの髪と化粧してないしかめっ面で
こっちは寝てんのに朝からるせーんだよ!
バタン!!
・・・・・
になっちゃう可能性というのはなかったんだろうか?
育ちの根本から違・・ほんとはそうだったんじゃないの?
非常にくだらないけど言いたいことはそれだけ。
この歴史的美談に出ててくるコジマという電気屋みたいな名前の嫁さんはあのリストの娘だ。
もともと弟子の嫁さんだったのに・・はいいとして
ワーグナーとの間に最初に生まれた女の子はイゾルデで、多分待望の息子ジークフリートは音楽家として期待され特別な教育も受けたようだけど才能は別な方向に現れたようだ。
2代将軍みたいなもんで本人は色々大変だったんじゃないか。
ワーグナーが自身の特別な作品を理想的に上演すべく作った専用の劇場はコジマ以来芸術監督が世襲で引き継がれ今曾孫の・・
要するに世の中うまく行っていようが破滅していようが男がいて女がいて親がいて子がいてそれがすべてなんだろう結局。
今、ながら聞きとかではなく音楽しかない部屋で音楽にだけ気持ちを向けてこの曲を聴いてきた。
澄んだ空気と光、懐かしいような気がするのは昔何度も聴いたからというだけではないと思う。
こんな私にも素晴らしい時間をくれてありがとう。
いつもなら食い終わったら少し歩いていたりするんだけど、
下の方からの聞こえる多数の歓声に、今日はやめておこうと思った。

同じ緑でも、杉やヒノキの林を見てもあんまり来ないというか。
いいよねこういう緑。
ちょっと腐り気味の心も浄化してくれたような気がした。
たねと顕微鏡

愛すべきこの田舎は田植えの準備が始まるところ。
犬が暑がって散歩に行かないので自分ひとりでふらふら来た。
天気は急速に下り坂。

川の浚渫が始まってた。
浚渫やったばかりだけれど台風でまた埋まっちゃったところに災害普及の予算が付いたとかでしょう。
連休前から重機が運び込まれたりしていてその予感はあった。
今全然関係ない仕事をしているし乗る機会は全くないけれど、なぜかブルドーザーとかバックホーに乗れる車両系という免許を持ってます。
免許取るときに一度乗ったことがあるだけだけど。
ああいうのにも天才的に巧い人ってういうのがいるんですよね。

連休中に見た重機の前のこのたんぽぽも

どこからかタネが飛んできたのか流れ着いたのか河原の菜の花も
みんな刈られ踏みつぶされる前にタネを飛ばしきって次につなげたかな?
あの菜の花は風に揺られて楽しく歌い踊ってるみたいだった。
場所や条件は自分で選べない運命みたいなものがあるかもしれないけど、とにかく世の中やったもん勝ち生き延びたもん勝ちだよね。
昔、病院で自分の種の検査をしてもらった。
先生が顕微鏡を覗いて、まあ・・
そんなことここへ書いてちゃいけないか。
それよりこんなこと書いてたら、どうも犬がそわそわして様子がおかしい。
と思っていたら翌朝いつもしないところにおしっこが
あ、血?
心配しつつ出社し仕事を終えるころどうも良くならないようだと嫁さんからのLINEをみる。
会社から病院へ電話をし、診てもらえるというので急いで帰る。
大雨の中犬を車に乗せ頭をなでながら病院へ急ぐ最中、
昔祖母から聞いた祖父が具合の悪くなった幼い父を抱いて列車で遠い町の医者へ連れて行き・・という話を思い出した。
赤紙がきて硫黄島で亡くなった祖父が我が子といられた時間はわずかしかなかったと思う。
病院でおしっことれますか?と言われ外へ出てみると、もう解放されたのかと思ってわー!とかはしゃぎだす犬。
かわいいあなた、どうか無事で。
割りと素直にやってくれたそれには確かに血が混ざっていた。
先生がそれを顕微鏡で覗いているのが見える。
もう一つスペクトルかなんかで分析する装置は調子が悪かったみたいだけど、細菌は見当たらないし膿とかよくない炎症を示すものは何もないとのことだった。
あー、
よかった。
https://www.youtube.com/watch?v=VwrpNE1K6zM
久しぶりにちゃんと聴いたこれ。
いろんな面で人に衝撃を与えたことで有名なこの曲、旋律が明確な終止形をとらず次へ次へ引き継がれていく様について無限旋律と呼ばれることがある。
命というのもいくつもの体を乗り継ぎ長く引き継がれてゆく一本の旋律みたいなもんだ。
長く続く者もあるだろうけど、枝分かれした先で止まってしまうものも少なくない。
俺も犬も次はなく自分で終結。
おれたちトニカだな。
鳴っていられる間が花だから。
今日も嫌なことがあり、出来るだけ考えないように努めたけれどこれを書いている今まだ引きずって気分が悪い。
でもいいよ犬が元気でいてくれれば。
途中から書いてる内容が変わっちゃったけどいいよ。
犬が元気でいてくれれば。
翌朝、犬はワーワー言いながら飯を食ってた。
大丈夫そうね。
良かった犬が元気で。
静かにちょっと幸せとかでいいか
この日昼飯を食いに行こうと嫁さんにどこの店に行こうか?と聞くと
好きなとこでいいよ・・
あ・・なんかまずかったか。
聞くと、いろいろなお店の名前を出してるのに空返事ばかりで少しも楽しそうじゃないじゃない・・だそうだ。
そうか、自分の心配事ばかり考えてるところに気乗りしない店の名を聞いてちゃんと答えていなかったかも。
こういう自分しか見えなくなってみたいなのをそのままにしておくとあとで取り返しがつかなくなったりしそうだ。
この日別なことも考えていて、意見が対立というか一致しなかったとき自分が折れた側なんて思ったとしたらそれは傲慢な大間違い。相手はその3倍くらい折れたつもりでいる。
と思った。
じゃあどうするかってのが本当の問題だし、そんなにうまくやれないだろうけど。
結局自分が地図上に見つけていいなと思っていた店。
だめじゃんか。

発見してもしばらく来なかったのはレビューにあった近所のマダム、土日は予約必須の文字を見て何となく敬遠していたから。
子育てそのほか色々すごく大変だし孤独だったりとかするんでしょうね。こういうところでの息抜きは大切だよね。大騒ぎの女子会もママ友会も少しも文句はないしやるべきだと思う。
それとはまったく別に、私個人が飯を食ってるそばでギャーギャー叫ばれるのが変態的に苦手。
かつて飯を食いながら何があったかを思い出してみると・・・とかはいいから。
もう一つ、どうしても聞こえてしまう小さな子供についての話題や小さな子供の声や姿が・・もいいから。
地元の畑で撮れた野菜にこだわったみたいなお店はよくあるけれどコンセプト頼りで味も接客も・・・
こういう文句ばっかり言って何にもしないのはいかにもダメな時間と人生を無駄にしている人間みたいか。
客観的に一言でいえば、いじけた馬鹿というところでしょう。
ご飯屋さんくらい素直に行けるようになりましょうとそこへ行ってみた。
駐車場はいっぱいだけれど、女子会は一人一台で集まってくるので入ってみると思ったより席が埋まっていないことが多い・・とか思いつつ入るとちょうど何人もが出ていくところ。
それどころかすごくすいてる・・よかった遅い時間に来てみて。
素朴だけど丁寧にメニューの説明なんかをしてもらって気持ちもほぐれる。
メインが肉、鳥、魚と4種から選べる定食とあと一品何か限定のセットがあった。

昔はとにかく肉くってりゃいいやだった私は最近美味しい魚というのを食ってみたいと思うようになってきた。
でヒラメのソテー。
カレイじゃなくてヒラメかぁみたいな。
ベターっと塗りつぶしちゃわないしょうゆベースの味付けがとてもおいしいかった。
ちょっと足りないかな?の寸前くらいなのがいいんでしょうね・・
丁寧に説明してくれたいろんな野菜もおいしいし、雑穀米もおいしい。
予想通り回ってきた嫁さんのトウモロコシご飯と豚の焼いたのもおいしい。
料理おいしい。
お客さんは背後に二人、あっちに4人。
結構な音量で話しているのに全然気にならないのは、自慢や人を攻撃する内容じゃないからか・・・なぜか自分もそういうのに過剰に反応する神経が停止していたかもしれない。
いろいろ心配したことはみんなはずれ・・
とてもいい時間で来てよかった。
こんなこともあるのね。
https://www.youtube.com/watch?v=QhvMzXRLgGY
この日は頭の中でトリスタンとイゾルデがループしていた。

G線で絞るような声のヴァイオリンが高い音で叫ぶヴィオラの下へ入り、はいつくばって絞り出す声のような・・
マーラーが自分のスコアによく取り入れているけれど元ネタはこういうとこなのね。
この暗く苦しい叫びの直後に歌いだす木管には明るい日の光が当たる。
神が降臨するようすごい光じゃなくて、庭先に一時的に差した日の光みたいな・・洗濯物でもいいし・・でも長く続かない。
人生ってこういう感じですよね。
暗闇を這うような苦しい毎日でもわずかな光を頼りに生きてゆく・・
ずっと電球みたいに自分が発光してるような人もいるけど。
外れに当たると、人生ずっと外れなような気になるけどそんなことないのね。
時々いいこともあるんだから。

ちょっとだけ青空。
窓の外はマンションが建っていたりしてよく見るような・・勤務先の周囲にそっくりな景色で・・
あんまり見ちゃうと心が休まらないというか・・

嫁さんの機嫌も素直によかったと思う。
よかった。
ありがとう。
ごちそうさまでした。
好きなとこでいいよ・・
あ・・なんかまずかったか。
聞くと、いろいろなお店の名前を出してるのに空返事ばかりで少しも楽しそうじゃないじゃない・・だそうだ。
そうか、自分の心配事ばかり考えてるところに気乗りしない店の名を聞いてちゃんと答えていなかったかも。
こういう自分しか見えなくなってみたいなのをそのままにしておくとあとで取り返しがつかなくなったりしそうだ。
この日別なことも考えていて、意見が対立というか一致しなかったとき自分が折れた側なんて思ったとしたらそれは傲慢な大間違い。相手はその3倍くらい折れたつもりでいる。
と思った。
じゃあどうするかってのが本当の問題だし、そんなにうまくやれないだろうけど。
結局自分が地図上に見つけていいなと思っていた店。
だめじゃんか。

発見してもしばらく来なかったのはレビューにあった近所のマダム、土日は予約必須の文字を見て何となく敬遠していたから。
子育てそのほか色々すごく大変だし孤独だったりとかするんでしょうね。こういうところでの息抜きは大切だよね。大騒ぎの女子会もママ友会も少しも文句はないしやるべきだと思う。
それとはまったく別に、私個人が飯を食ってるそばでギャーギャー叫ばれるのが変態的に苦手。
かつて飯を食いながら何があったかを思い出してみると・・・とかはいいから。
もう一つ、どうしても聞こえてしまう小さな子供についての話題や小さな子供の声や姿が・・もいいから。
地元の畑で撮れた野菜にこだわったみたいなお店はよくあるけれどコンセプト頼りで味も接客も・・・
こういう文句ばっかり言って何にもしないのはいかにもダメな時間と人生を無駄にしている人間みたいか。
客観的に一言でいえば、いじけた馬鹿というところでしょう。
ご飯屋さんくらい素直に行けるようになりましょうとそこへ行ってみた。
駐車場はいっぱいだけれど、女子会は一人一台で集まってくるので入ってみると思ったより席が埋まっていないことが多い・・とか思いつつ入るとちょうど何人もが出ていくところ。
それどころかすごくすいてる・・よかった遅い時間に来てみて。
素朴だけど丁寧にメニューの説明なんかをしてもらって気持ちもほぐれる。
メインが肉、鳥、魚と4種から選べる定食とあと一品何か限定のセットがあった。

昔はとにかく肉くってりゃいいやだった私は最近美味しい魚というのを食ってみたいと思うようになってきた。
でヒラメのソテー。
カレイじゃなくてヒラメかぁみたいな。
ベターっと塗りつぶしちゃわないしょうゆベースの味付けがとてもおいしいかった。
ちょっと足りないかな?の寸前くらいなのがいいんでしょうね・・
丁寧に説明してくれたいろんな野菜もおいしいし、雑穀米もおいしい。
予想通り回ってきた嫁さんのトウモロコシご飯と豚の焼いたのもおいしい。
料理おいしい。
お客さんは背後に二人、あっちに4人。
結構な音量で話しているのに全然気にならないのは、自慢や人を攻撃する内容じゃないからか・・・なぜか自分もそういうのに過剰に反応する神経が停止していたかもしれない。
いろいろ心配したことはみんなはずれ・・
とてもいい時間で来てよかった。
こんなこともあるのね。
https://www.youtube.com/watch?v=QhvMzXRLgGY
この日は頭の中でトリスタンとイゾルデがループしていた。

G線で絞るような声のヴァイオリンが高い音で叫ぶヴィオラの下へ入り、はいつくばって絞り出す声のような・・
マーラーが自分のスコアによく取り入れているけれど元ネタはこういうとこなのね。
この暗く苦しい叫びの直後に歌いだす木管には明るい日の光が当たる。
神が降臨するようすごい光じゃなくて、庭先に一時的に差した日の光みたいな・・洗濯物でもいいし・・でも長く続かない。
人生ってこういう感じですよね。
暗闇を這うような苦しい毎日でもわずかな光を頼りに生きてゆく・・
ずっと電球みたいに自分が発光してるような人もいるけど。
外れに当たると、人生ずっと外れなような気になるけどそんなことないのね。
時々いいこともあるんだから。

ちょっとだけ青空。
窓の外はマンションが建っていたりしてよく見るような・・勤務先の周囲にそっくりな景色で・・
あんまり見ちゃうと心が休まらないというか・・

嫁さんの機嫌も素直によかったと思う。
よかった。
ありがとう。
ごちそうさまでした。