ムカデ

帰宅後犬と散歩に
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ああ綺麗だな。

富士山が絵に描いたようにきれいに見える場所がたくさんあったというかそんな場所の連続でなんとも思っていなかったんだけど、この数年で家がたくさん建ち、電柱が立って電線が張られ・・
絵になる場所はあんまりなくなってしまった。
まあそりゃ家くらいたつよな。
新しいうちの庭には私よりずっと若い夫婦に何人かの子供・・
田んぼにはもうすぐ赤ちゃんを連れた鴨が浮かぶ・・
ブログには子供や孫の話題・・
そりゃそうだろうみんな生きてるんだから。

日が沈めば涼しくて気持ちのいい空気。
蛙が鳴いてる。
婚活なんでしょう。
もうすぐオタマジャクシが泳ぐんだよな。
そろそろ蛍が出てくるんじゃないかと思ってみるんだけど、まだ見かけない。
あれも婚活だよな。
みんな頑張れ。


https://www.youtube.com/watch?time_continue=2040&v=JbqySviU4YQ
ラベルの子供と魔法・・第2幕の
この場面はこうもりとカエルがいっぱい出てきて楽しくはしゃいでいるところ・・らしい。

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幻想的な素晴らしいワルツ・・
でも真正面からまじめに素晴らしいというのとはまた違いますよね。
暗闇の向こう側に浮かぶ光。
楽しそうだけど近寄れない。
どこかさみしい。
ずっと伸ばしているフルートとヴァイオリンがあの世界をみている人間との縮むことのない距離を表していると思う。

こんなこと書いてたらムカデに刺された。
すげー痛てー
なんであんな形してんだよあいつはぁ・・
私も昔、街中からそういう視線を刺されて嗚咽が聞こえ、唾をかけられたことがあった。
通学の電車、住んでいる町、通う学校、その周辺、全然知らない街、
どこへ行ってもみな私のことを知っており、流された噂により私を断罪し罵る・・
さすがに今はそれはどこかおかしいと分かる。
身内と同じ精神異常を私も発症していたのかと考えたりもするけれど、事実として記憶されてしまったそれは今も変わることはなく私を支配している。
30年たって初めて人に話してみれば勘違いだとあっさり言われてしまった。
それはそうだろう。
でも結構つらいことで後悔した。
じゃあブログになんか書くなよ。
そうだね、なんで書いてんだろう?
後遺症で人の視線や笑顔、笑い声は恐怖と憎悪の対象であり続けた。
でもだいぶましになったし、何とか生きてやっとここまでこれたよ。
奇跡が起きて嫁さんと出会えたよ。
普通に会社員もやってるよ。
私には人の輪はあの蛙の輪みたいに近くにあって近寄れないもののように見える。
でもブログで何人かの人と出会えた。
これは気のせいじゃないでしょう?

ムカデには
元気付けられたんだという事にしよう。
なんか痛いけど。

錆びない体

曇っちゃっていてあれですし、
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あえて説明もつけないけれど、
その筋の人には
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わかるでしょうこの感じ。
魚市場から帰ってきて帰りの列車まで時間があるので駅の周りをふらついてみた。

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これ1960年製、日本初のステンレス車体ディーゼルカーだそうです。
湘南型というこの意匠は70年くらい前に流行した形だ。
こんなものを生で見られるなんて感慨深い。
それにしてもすごいのは
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さすがステンレス。
製造から60年、廃車になってからももう何十年もたつのにピカピカなままのこの外装・・
すけー、ステンレスってホントにステンレスなんだな。
鋼製車体の無残にさびて朽ち果てていくのをよく見るだけに・・
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このピカピカ感は驚きだ。
感動する。
アンチエイジングなんて言ううけどこれは本物だ。
60歳なのにまだピカピカ光ってるんだよこれ。
錆びない体・・
クーラーおいてあったりして今は何かに使われているんでしょうね。
足がなくなっちゃってあれだけど、
末永く生き残ってほしいなぁ。

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券売機が捨ててあった。
一般人には理解できませんが、マニアの中にはこんなものを自分の部屋の中に置いときたくて仕方のない人もいるみたい。
でも最近の若い人の中にはそんな人はもういないのかな?
ちっちゃな画面の中が世界の全てなんでしょ?

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駅の脇に何気なくあるこのレンガ倉庫も大正時代とかからあるんでしょうねここに・・
道路もトラックもない時代、鉄道貨物で何でも運んでいた。
野菜とか養蚕とかなんかそういうものを一時おいておく倉庫だったんでしょう・・
あれですよね、コンクリートは古くなってくると真っ黒くなって悲愴感みたいなものが出てきますが、
煉瓦は古くても明るい古さというか・・


https://www.youtube.com/watch?time_continue=1289&v=DVlrJG4xri8

ラヴェルの古風なメヌエット。
二十歳の意欲作。
聞いた印象は単純に古風というものでは全然ないですね。
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楽譜を見ると4分の3拍子で・・・
恥ずかしいけれど私はなんとなく聞いてると8分の6拍子みたいなものを感じていて、小節線も楽譜と違うところにあるような気がしてた・・
そんなもんですけどね私なんか。
でもこれこの若い作者はちょっとそういうのも狙ってるんでしょ?

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駅に戻るとまだ改札は開いてない。
古いこの駅舎もいい感じだ。
あのモニターはレンタサイクルのPRビデオが流れていて・・あれじゃないな、どこで見たんだったかこの時
ヤングマン・・63歳・・みたいな字幕を見た。
え?ヤングマンが何?・・まさか?・・くらいな感じで。
もう40年くらい前、まだ訳も分からない頃にピンポンパンだったかポンキッキだったか忘れたけれどやけに健康的な歌うお兄さんがいた記憶があります。
ある日そのお兄さんが真顔で何か説教じみたことを言いだしたのを覚えている。
単純にその雰囲気が嫌だと思ったような変な記憶だけど、その時言っていたことは多分「みんな、丈夫な体を作んなくちゃいけないぞ」みたいなことだった気がする。
あれから40年。
本当ですね、健康で丈夫な体は何より得難いものです。
もう63だったのか。
いつだったかたまたまテレビをつけるとこの人がイベントみたいなので口パクでをやっているのが映った。
あまりの痛々しさに見ていられない感じがしたけれど、本人がどうしてもこれやりたいんだと強い意志を持っているらしいことは伝わってきた。
否定的なことを言わずに、素直にそこを感じられるように・・その時はそう思わなかったけれど、
今はちょっとそんなことを思う。
健康な体と強い心が必要だ。
強い心みたいなものを見せてくれたんでしょうかね。
お兄さん。

人にはいつか終わりが来る。
当たり前だけど私にも。
できるだけ先延ばししたいと今思えることは幸せなのかも。

チャンス

今朝のボンタン
朝起きたら日が差していた。
あれ天気悪くなるんじゃなかったっけ?
あっボンタン花咲いてるだろ今のうちに写真撮ろう。
・・・まあ写真なんか後でいいやそんなのいつでも撮れるだろ。
朝食を済ませ、さぁ・・
あっ曇ってる。
空を見ればどんなに待ったってもう晴れ間の出ることもないことのない一面の雲・・天気は下り坂明日は雨。
花の寿命は意外に短い。再び明るい日差しが当たる頃、この花はもう終わっているだろう。
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小さな蜂が蜜を取っていた。
すごくいいにおいがして・・・
大袈裟だけどこの花が明るく輝いているのを見ることはもう永久にできないのである。
こういう、ついさっきまで自由に取り放題、触り放題だったチャンスが永久に戻らないと気づいてから騒ぎ出すという事の連続である気がする。
花はいいとして、いろんなこと昔から・・そして今も。
私の特徴として逃したと気づくとそのことをグダグダグダグダしばらく考え続けるというのがある。
晴れて日の当たった美しい写真を頭の中で無意味に想像しつづけている今も。
そんなことをやっている間に実は次のチャンスが来ているのだけど、いらん事でグダグダしていてそれも逃したり。
今だって実はチャンスなのかもしれない。
思い当たるものはあるのに、気づかないふりを自分にしている。
まぁ予定どおりに晴れていたらこのネタ書けなかったんだし、チャンスを逃したことがチャンスなこともあるわけで、世の中考え方ひとつだな。

ゴールデンウィーク、風邪をひく前の話。
カフェってところは連休はむしろやらないくらいなんですか?
遠出してたどり着いたそこは休み・・
あららといってみた近くの別なお店は「今日はもう終わりなんです」
あれれと言った次のところもランチタイム終わり。
最初に向かった臨時休業の店、行く順番が違えば今終わりそうなこの店に間に合ったかもしれない。
そんなことをうだうだ考えている間にも時間がどんどん立って店はどんどん閉まってゆく・・
大袈裟か。

もう帰ろうかくらい言ってたら見つかったこのお店。
すいてるし料理もよかったし・・よかったぁ・・
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いつもの癖で一番安いチキンの何とかというのに仕掛けたけれど折角だもん。
牛頬肉のワイン煮というのを食べました。
旅番組とかで食ってるやつだ。
すごく柔らかく煮えてておいしかった。
雑穀米のご飯はお替り自由・・医者から炭水化物減らせと怒られてるのにお替りしちゃった。

モーリス・ラヴェルという作曲家も弟子によれば医者から肉を控えなさいと忠告されていたそうです。
でもたぶんそんなの無視してたんだろう、牛肉のゼリー寄席というのが大好物だったという。
アメリカへの演奏旅行から帰り列車をを降りると開口一番、どこか牛肉のゼリー寄席を食べられる店はないかな?

https://www.youtube.com/watch?v=velvlFHOiig
そのラヴェルのヴァイオリンソナタ第2番。
第2楽章にブルースというのが出てくるのでアメリカへ行った体験が生きてるのかと思ったけれどどうもそうでもないみたいだ。
第1楽章はイギリス行きの船の中で思いついたという。
フランスの農家の庭、鶏が鳴いて・・
今聴いても2楽章のブルースはガーシュインとかのブルースじゃないと感じる。
ラヴェルはパリのナイトクラブだかでジャズの聞けるような店によくいったんだそうだ・・
にしてもこれはジャズとも違うかな・・
ジョルジュ・エネスコというルーマニアの天才ヴァイオリニストで作曲家に初演してもらおうとしたけれどこんなの弾けるかみたいな話になっちゃったらしい・・

というようなことが生き生きと描かれたマニュエル・ロザンタールの本を買ってきてゴールデンウイークに読んだのももう17年前とかかもしれない・・昨日のことのようだけど。
あっという間だよなぁ・・
この曲はその本を読んでから興味を持って聴いてみた。
残念ながら当時、よくわからない曲だと思ってあまり聴かずそれきりに・・
いま聴くと結構聴ける。
時間がたつのも悪いことじゃないかもな。

ラヴェルの写真を見ているとほとんどの写真で火のついたタバコを持っている。
本当に四六時中吸ってたんだろう。
お酒も毎日欠かさなかったみたいだ。
医者からはやめなさいと言われてたみたいだけど、まじめに従うような人は作曲家になんかなれない気もする。
そういうのをやめた生活をすればもう2年くらい正常でいられて私たちももう2曲くらい聞けたのかな?
ラヴェルは結婚しなかった。
いつもそばにいた弟子が人がそのあたりについて本の中で言及している。
もし、一生共にする相手がいたら彼はこんなに早く死ななかったかもしれない。
でもそれはもうラヴェルの人生じゃないし、現在も私たちの心を打つ彼の作品も生まれてこなかっただろう。

何が間違いで何が正解だったかなんて考えても意味がないんだ。

曇りの日

出かけるつもりが起きたら天気は曇り。
病院に行ったら血液検査の結果が悪く薬を増やされた。
ほっといて取り返しがつかなくなるよりいいか。
予想外に混んでいた病院が終わるともう結構遅い時間。
出かける気力がなくなってしまい近くのデパートでいいにさせてもらう。
嫁さんが買い物をしている間つまらないのであたりをふらついてみることにした。

この田舎の町で下町という言葉を当てるのは間違っているかもしれないけれど、50年くらい前の街並みがそのまま固定されているようなところ。

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江戸時代くらいに掘るられた用水が分岐している。
民家から薄い橋が出ていて庭みたいになっていい感じ。
子供のころこんな光景よく見たな。
変なところで懐かしいのは川底に割れた陶器がたくさん散乱していること。
子供のころ見た光景だ。どこの用水路も川底に割れた皿や茶碗が散乱していた。
昔は茶碗が割れると川に捨てたのか?


人の家なのでのせないけれど、結構なお屋敷が空き家となってツタが絡んだりしているのを見た。
なんか教養のある立派の人が住んでる的な。
皆最後はいなくなっちゃうんだよななんて考えながら
これが頭の中に流れたりして。
ふと寂しくて仕方がなくなることがあるんだよね。
寂しいたってそのほうがいいからそうなってるんだし、どうにもならないんだからそんなこと感じてる暇があったら楽しいことをすればいい・・
すればいいったってそうならない時だってあるだろう。
そういう曲じゃないけれど。

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もう少し歩いて別な川。
水辺に花が咲いていい感じの光景。奥にマンションが被って写真的には興ざめ・・
真ん中のあたりにはいい感じの家が・・・・いや、整いすぎてる。
また古民家カフェか。
すごくいい感じだけどきっと入ってみるとご予約いただいてますか?とかいって追い払われるタイプじゃないかなこれ。
謎の敵意がわいてくる。

隣には鉄道の橋。
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この古い石積みの橋台は開通時の1898年ごろからあるものだろう。
すごく古いと思う反面、ラヴェルはもう二十を超えている。
音楽的感覚で行くと結構新しい時代だったりして・・

この周囲は車で何度となく走っていて今更な感じがしていました。
でも普段はいらないような路地を歩いてみると全然知らなかった世界がそこにあるもんなんだね。
他のとこも歩いてみようかな。

買い物を済ませ家に帰り犬の散歩をしていると
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仲睦まじいカモの夫婦。
ずっと寄り添って泳ぎ回って超絶ラブラブだった・・・
なんだよいいねぇ・・
近くの牛舎の匂いがしてくる。
北海道へいってこんな匂いがすると萌えるけど近所の散歩みちでも似たような気分になれるんだな。
ぱっとしない一日だけどなんだか穏やかな気持ちになれてよかった。
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雲の向こうに月。
こんばんは

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富士川橋梁。
石とレンガ詰みの橋台は歴史を感じさせ近くで見ると感動します。
1889年の開通時からのオリジナルは撤去されてしまい今はもうありません。
手前のトラス橋は多分1910年くらいの複線化の時にできた物じゃないかなリベット打ちで。
その裏にある現上り線は昭和30年代くらいのだったと思う。
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美しいアーチが並ぶこのトラス橋、なんで真ん中の2連だけ形が違うのかというと、
台風で流されちゃったから。
これだけのものを2か月くらいで復旧させたんじゃなかったかな。すごいことだと思うんですよねそれは。
時代が違うからトラスの設計も全く異なるんだけど、面白いのはそれぞれの継ぎ目。

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既存のトラスには大きな変更を加えないで、後からできた方が腕を組んで抱きついているような構造に見える。
このつないでいる部分は強度など機能的に意味があってこうなっているのかな?全然違う形のものを一体感を持ってみせるという意匠的な目的で作られているのかな?

独立した曲を連続して演奏する場合に間につなぎのような部分を入れることがあります。
全然違う曲想をつなぐアダプタみたいな役目をする場合もあるでしょうし、バレエなんかの場合は踊りだから曲ごとに一度びしっと決めてから次に行きまーすみたいな移動の時間が必要なんでしょうかね。
ラヴェルのマ・メール・ロアというマザーグースもとにした子供向けのピアノ連弾組曲が有名ですが、
そのオーケストラ版を発展させてバレエ公演用に仕立てたバレエ版というものがあります。
2度ほど実演を聴きに行きましたが何曲かが独立して演奏されるオリジナルの組曲版でした。
でも私はブリッジを介して連続演奏されるバレエ版が好き。

新曲を追加して曲順も入れ替え・・まあいいか細かいことは
この音楽、バレエ、子供向けの話なのかもしれないけれど、わたしは大人の中にある子供のような心へ向けた世界というか音楽だと思いますね。


各曲間に設けられたブリッジはつなぎの役割だけではなく曲頭に追加された前奏曲と素材を共有することで強く結びついており、全体を一つ世界にまとめる役目も持っています。
明るくにぎやかな中国調の音楽から妖精の国へ移行する最後のブリッジが特に感動的で私は大好き。

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この人鳥の声の音楽化に天才的な物がありますよね。
薄暗く、深い深い森・・今ここは現実の人間世界からはずっと遠いところにあることを示している気がする。
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実際のバレエで何がどう動いているのかは知りません。
ヴァイオリンソロは手前で演奏されてた眠れる森の美女のパヴァーヌの旋律、ハープとともに包み込むように現れる木管の柔らかいファンファーレは妖精の国。
さらにこの前に演奏された美女と野獣で魔法が解けて出てきた王子様をソロヴァイオリンが演じていました。
その印象が強く残っているのでここは王子様がみんなを王女が眠る妖精の国へ連れて行ってくれるようにも聴こえるかなぁ・・

私自身はバレエと関係なく勝手に自分の世界をこの音楽にみていて心の奥ふかくの大事なところへ入っていくイメージがあります。
何にしろ綺麗な心で聴かなくちゃならない音楽を前に心を落ち着けて心の中のごみとかトゲに蓋をするところというか・・

この組曲ができたのも1910年くらいだからあの橋と同い年くらいなんですね。
音楽も時代とともに大きく変化しているから作品に対して時代感覚を持って聞くんだけれど、
ラヴェルやこの曲には非常に近代的な手法を感じてとても新しいものだと普段は思っています。
彼の弟子や教わった人がつい最近まで生きてたりしましたもんね。
でも同じ時に作られたあのレンガ積みの橋脚にはものすごく古い時代を感じたりして・・
このねじれ感がちょっと面白い。
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私が音楽に感じる時代感覚はベートーベンに比べると・・みたいな相対評価的なものなんですね。だから周りとずれている。
マーラーもかなり近代的、現代的だと思ってるけど明治時代の人だもんね。
でも日本の明治時代を連想すると彼にまつわるエピソードとの間にギャップを感じる。
この頃欧米は50年くらい先を行ってたような印象がありますかね。
私的にはショパンが鉄道を利用したことがあるというのがとても面白い。
それがまた日本はまだちょんまげでござるの時代ですよね。
ショパンてそんな古い時代の人なのかと思うと同時に彼の音楽は100年後の感覚を先取りしたような自由さを持っていたりすることに改めてうなってみたりして・・

鉄橋も芸術みたいなところがありますよね。
大阪南港の赤いでかい橋とかなんだかすごいよね。
この富士川鉄橋はまだ大型機械もない時代に国力増強のためとか言って一生懸命作った・・そこにはさらにデザイン的な要素もあって・・その作品の中に昭和50年代なものが挟まってるんですよね。
普及を急ぐとかコスト感覚とか現代の生産設部や技術に合わせなきゃとか色々あってこの形になんだろうけど、今となってはこの全然違うものが溶け込んだ感が一つの作品の顔となって面白い。

この鉄橋もう100年以上働いてるんですよね。
すごいね。

名前

昼飯を好きに食べられるチャンスがやってきたので
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鰻を食ってやった。
昔からあるような鰻屋さんは高くて行けなくなってしまいましたが、ここは低価格路線で勝負している店。数年前からの価格高騰以前は確か600円台でうな丼が食えていた気がします。    
安くてもちゃんと炭火で焼いていたりして牛丼チェーンが時々やるようなのとは一線を画している。
鰻の値段が急上昇してしまった時、コンセプト的に継続難しいかなと思いましたが値上げをしてもお客さんちゃんとついてきたみたいだ。 
中国製なんだろうけどとりあえずおいしい。俺にそんな高尚なのはいらないし。
いつもなら大盛にするところだけど医者に怒られるので普通にすると行く前から固く決心して挑む。
その分切り干し大根がついてきた。
その医者のいる病院で、肝臓だったか食べるとリスクのある食材リストみたいなポスターの筆頭に鰻があったことは今は忘れたことにして・・・

そして私の名前はunagi・・・はどうでもいいか。
私の父親は遠隔地の出身で苗字はこのあたりではほぼ100%全く違う別な読み方をされます。
子供のころからいちいち正さずその名に返事をすることに慣れている。
そういえば10月頃になってもまだ間違った読みで呼ぶ担任の先生がいた。
私が目立たなく覚えにくいにしてもさすがにひどいと思ったけれど、文句を言うこともできず無視をして怒られた。

子供の頃、親に自分の名前の由来を聞いたところその答えは「お寺さんでもらった」だった。
今ならその寺っていうのが何なのかも察しがつくけれどそれはいいとして、
子供なりに親の思いみたいなものを聞きたかったのに何回聞いても「もらってきた・・・」
親のせいだなんていう気はありませんが今でも自分の名前にリアリティがない。
便宜上書いたり答えたりはするけどそれが自分だという意識がかなり希薄で他人事みたいだ。

私の自己肯定力が異常に足りないのは名前のせいだなんて思わないけれど、名前にリアリティがないなんて言ってるのは自己肯定力が足りないあかしだとは思う。
ブログを始めるときブログ名を考えると馬鹿のたわ事とか犬の糞みたいな否定形の名前ばかりが出てくることに気付いた。
これはまずいと思いせめてブログ名だけでも自分を肯定しましょうと思いつけたのがそれでいいの。

unagiの由来は25年くらい前のパソコン通信にまで遡るんですが20年くらい前のインターネット黎明期にもunagiの名前で出ていました。
楽しかったのはいいけれどリアル私よりもネット上のunagiさんの方が勝ってしまった。
私はunagiに嫉妬し始める・・結構危ないと思う。
幸いその時はある出来事でunagiがいなくなりました。
今また私の中にunagiさんが独立し始めてる・・好意的なコメントをいただくとほめられたのは私じゃなくてunagiさんだと思いながら傍から眺める感じ・・
だから最近変な事ばっかり書いてるのかなぁ・・もう若くないのに気持ち悪いなぁ・・・




ラヴェルのハイドンの名によるメヌエット
音楽雑誌がハイドンの没後100周年号の企画として複数の作曲家に作曲の依頼したというもの。
HAYDNのアルファベットを音名に置き換えて・・。
バッハとかショスタコーヴィッチがやったのと違いちょっとこじつけ的なルールに基づいているので聞いても特に何も感じない。
それよりいい曲だねとか思ってればいいんだよこんなの。

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あえて設定した制約に縛られて創作・・と言うところが面白い訳ですけどね。
恥ずかしいけれど構わず書くと私の感じている拍子は楽譜とずれている。

雑誌社の呼びかけに何人かが答えているけれどサンサーンスはルールが理解できないからと言ってやらなかったとWikipediaにあった。
超絶インテリなサンサーンスにあんなものが理解できないはずはない。
プライドも高いおっさんだから他の作曲家と比べられるのが嫌だったのかなと思ってみたり。
それより驚くのはサンサーンスがラヴェルと同時代人だという事実。わかってはいるんだけど・・彼の作風は時代と50年ずれて聞こえる。

昔読んだマニュエル・ロザンタールの本にこんな話がありました。
ラヴェルは弟子の作品が演奏されるイベントを見に行ったが警備員に止められた・・
おっさんここから先は招待者だけだよ・・みたいなのかな?
なにを言ってるんだ!俺はモーリス・ラヴェルだぞ!!とか言って叫んでいたけど
ダメだと言って入れてもらえなかったらしい。
世界をぶっ飛ばすようなスーパー名前も、そこに価値を感じない人の前では何の意味もないんだよね。


名前にはリアリティが感じられないけれど、私の中にリアルな私がいるのも間違いない。
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同じ日、別な場所。
ペンキ塗りたて?とか思いながらドアの取っ手じゃないところを手で押してベチャ・・・
これが私。
まさに私。
どこ行ってもうまくいかず逃げちゃってる糞みたいなやつも私。
愛おしい私。

頭のおかしい30年

小田急の複々線化工事最後の区間が完成していました。
なにわざわざ見に行ってんだという・・
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高校生の頃、小田急に乗って東京へCDを買いに行った覚えがあります。
クラシックも色々聴きだすと田舎のレコード屋じゃ追いつかなかった。
タワレコなんてまだなくて、秋葉原の石丸電気3号館だったと思う。
帰りの電車から線路際の空き地に輸送力増強!という複々線化用地の看板と小田急考え直せみたいな反対の旗を見て完成時の様子を想像し、完成したら見に行こうなんて思った。
あれから30年・・・30年かかったんだねえ・・
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見に行こうと思っていたから見に行った。
30年なんていえば人の一生分の仕事みたいですよね。
ずっと携わた人は感慨深いんじゃないかな。
この路線で通勤していた人の中には若い頃に工事が始まって完成前に定年になっちゃったりした人もいるわけでしょう?
これを見ながら自分も人生の大きな時間が終わってしまったのを感じたりして。

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翌日うちの近所のとんかつ屋に行きました。
ほんとにすぐそばにあって毎日見るのに一度しか行ったことがなかった。
その一度も30年前。
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あの頃、私は強迫性障害を発症し一日に何度も頭をシャンプーで洗ったりしました。髪の油が抜けて死体みたいな恰好で歩いていたと思う。その先は書いてもあれなので端折って・・
世の中のすべての人間は私をさげすみ攻撃する敵だと感じる悪夢のような日々の中で音楽を聴くことだけが救いでした。
そのせいか私の中で音楽は人間というか演奏者からも切り離された奇跡の神秘世界のような位置づけになってしまっているかもしれません。
ずっとそれが当たり前だったので何とも思いませんでした。
本当は音楽とは人間が作る事に意味がある人間のものなんだと思う。

人生がそこで中断してしまっているという意識を正そうと思い、あの頃投げ出した吹奏楽を思って一昨年演奏団体みたいなところへと入ってみました。
私は運動神経みたいなところにも異常があって普通の人が見様見真似でできることを3年かかって覚えたりするところがあります。
高校の時と同じ、まともな音が出るようになるまで3年くらい1人でやってから人のいる場に出るべきなんだと思う。

楽器演奏って実はものすごくスポーツ的なんですね。運動神経とか瞬発力とかそういうの。
私の頭にあるメルヘン世界じゃないの。
芸術性だの心なんて言うのはその先におまけのようにあるか、そもそもそんなものは無いのかもしれない。
そうなのかもしれないけれど、笑顔でそういわれた時には私自身を全否定された気がした。
その同じ人がプロと知り合いだという話を繰り返したため、そのプロというのにも嫌悪感を懐くようになりその人たちがステージ上にいるコンサートというものにも行けなくなってしまった。

どこかのブログで何とか障害みたいな記事を読んでいたら芸術への過度な賛美、傾倒、妄想・・みたいな話が出てきた。
全体的には他人と理解しあうとか協調とかすることができず傲慢で我儘などうしようもない人という事だったと思う。
俺あれなのかな?

ごちゃごちゃ言ってないでまた楽器を練習すればいいんだと思うけど、まだ触る気がしない。
この間練習を再開する夢を見て辞めたほうがいいみたいな話になってた。夢の中で楽器はさびていた。

あのころ、これも聞いた覚えがあります。

マ・メール・ロワの終曲だけれど歌う弦楽器を引きずるように止めてまた動かすこの演奏に強く惹かれた。

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魔法じゃないのかと思ったけれど、楽譜を見てもこんな普通の景色があるだけだった。

あれから30年たった今、その同じ演奏を聴いて泣きそうだ。
この曲はもともと子供がピアノで連弾するために書かれたものだったと思うけれど、持っている内容は子供向けをはるかに超えてしまっていると思う。

時々この人生は失敗かと思ったりもするけれど、私は私としてここまで生きてきましたよ。
この曲の最後はお前良かったねと言ってくれているように聴こえます。
演奏者はそんなこと考えていないし、私のことなんか大嫌いかもしれない。作者もそうかも。
でも音になって出てきたものはもう誰にも関係ない。私の中に入れば私のものだから。
そこは誰にも邪魔されない。

何も知らず無邪気に行こうよという妻に嫌がる理由もないので行ってみると、あの時座った席はそのままそこにあった。
当たり前だけどそこに俺は座ってないし何も起こらなかった。
あれから30年か。
ランチだからちっちゃいとんかつだけど、意外に良かったよ。

ドジョウとどこ行こう?

訳があって時間ができたので一人で浅草へ行きました。
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浅草でどぜう鍋というのがやってみたかった。
嫁さんはドジョウというと猛烈に拒否するの行くなら今だ。
人が並んでたりしたら嫌だなと思ったけど誰もいなかった。
座敷も空いてたけど一人だし食いにくそうだからテーブルでいいです。

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入れ放題ねぎは最初から用意してあった。
昼のみの定食が3種類。
バイトみたいな店員に何が違うのか説明を求めるとどう見ても値段と矛盾する変な説明・・
腹も立たない。若いっていいね。
本当は調べてあって知ってる。鍋定食でいいよ。
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ネットでこんな写真を見ると大きな鍋に巨大ドジョウが満載に見えてたけど・・
そんなわけないよねそりゃ。
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ネギをたくさんのせて・・
炭火がいいですね結構な火力。
割りしたを入れるんだけどしくじってあふれさせてしまい炭に触って水蒸気爆発起こしてんの。
炭が花吹雪みたいに舞っちゃって・・昔からなにやってもまぬけで恥ずかしい。
味はおいしいというか素朴な味。
正直ネギの印象のが強いというか・・まだ食い方が下手なんだろうね。
途中で山椒の投入をしくじり山椒の刺激しかわからなくなる。
なにやっても本当に・・
定食だと田楽とドジョウ汁がついてきてこれはおいしかった。
1人でも入りやすいけれどこれはやっぱり二人でつついたほうがいいかなぁ。
ずっと食べてみたかったものを食べられて満足。

とここまで書いてドジョウ鍋的音楽を用意して・・でもなんかちがう。

違うからつづき
他に行くところもなくいきなり来たのでまだ時間がすごく早い。
折角東京へ来たんだしどこかへ・・といくら考えても行きたところが思いつかない。
元々タワレコでCDを漁るかアカデミアで珍しいスコアを発見するみたいなオタク発想しかなかったけどそれすら行きたくない。
CDはなんだか全然買わなくなっちゃったし通販のが品ぞろえ無限・・
あんなに楽しみだったスコア探しもネットでただ見し放題になってしまったらむなしく・・
大したことないようだけど一歩間違えると生きていてもしょうがない・・に意外に近いとも思う。
まずいなと思いながらちょっと歩けば隅田川。
遊歩道みたいになっていたので歩こうか・・
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昼休みだからみんな集って弁当食ったりしてる。
潮のせいか流れはすごい勢いで逆流してる。
こんなこと言ったら怒られると思うけれど、川の水くっせー。
みんな笑顔で飯食ったりして強いな。まぁいい感じだもんな。
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あいにく雲が空を覆ってしまってあんまり絵にはならない。
だけど俺はインスタ映えじゃないんだから関係ねーよ。
なにか建設的な考えが浮かぶわけでもなくボーっと歩けば血も回って気持ちよくなってくる。
悪くない。今日はこれを目的にしてずっと歩こうか・・勝鬨橋まで行けんのかな?
なんて楽しく盛り上がっていると
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こんなのが出てきて行き止まり。
あっ・・
よく見ればいつの間にか周りに誰もいなかった。
もどってよくみれば
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こんな案内板
これで僕の人生にも案内板をなんて書いたらいかにも安っぽいすね。
迂回して続きを歩こうとも思ったけれど、暗い天気と人がたくさん歩いてるのを見たら気が沈んでしまい帰るための駅へ向かう・・
あーあみたいないつものパターンだったけどこの後のちょとした出来事で神様が「お前、見てるぞ」というメッセージをくれたと思った。
でも助けてくれたり不思議な力をくれたりはしないと思う。結局自分。
こんなことを書くと弱気になって変な宗教に走った人みたいだけど、そうじゃなくて自分で勝手に納得する自分教。
まだ生られる以上、生きていきましょう。
出来れば楽しく。


何のつながりもないけどこういうときはこういう曲。
ラヴェルは作曲家としては超絶成功者で、友人もたくさんいたみたいだ。
でも傷ついたり寂しかったこともあっただろう。
結婚しなかったけど女性が嫌いだったわけじゃないようだ。
彼の作品に宗教音楽は見当たらない。
彼の心のうちは彼以外の誰にも分らないんだけれど、この楽章は彼の心情告白なんだろうとも思う。
知らないしどうでもいいけどね。
大事なのは俺がどう感じるか。

海原の小舟


この日は港にいってみた。
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観光船みたいなのと釣り船が出たり入ったりしていました。
鷹かなんかがいっぱいいてパンなんか食ってるともってかれちゃうんですよね。
すーって降りてきてなんか持ってないか見に来る・・
結構でっかくて猫みたいなのがこっちを見ながら飛んでる感じ。
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綺麗でした。

ラヴェルの「鏡」という組曲に海原の小舟という曲があります。
すげー曲だから聞いてみて。

光が・・波が・・
こんなのちゃんと弾けたら楽しいだろうなぁ・・

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こんなピアノのアルペジオの塊みたいな音楽をオーケストレーションなんかしても詰まんないだろうな・・と思ってしまいそうなのに
なんと作者はこの曲のオーケストレーションに挑戦していた。




本人はかなりいいと思ったらしいんだけど評判が悪くて封印してしまったんだそうだ。
みんなピアノ版を知っていてそれが頭にあったんじゃないかな。


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こんなことを言ったらいけないけど、ピアノ版のが圧倒的に好きだなぁ・・
というかピアノ版オケ版というより全く別な曲ととらえた方がわかりやすいかなぁ・・
誰か指揮者が、ラヴェルの曲は誰が演奏しても曲になるように書いてあると評していたけれど、この曲に関してはある程度表現を作りこんで行かないと何やってんだかわからないような演奏になっちゃうんじゃないかなぁ・・

これを聴いているとしかし、ピアノの曲もラベルの頭の中にあったのはただキラキラしてるような世界じゃなかったんだなと思ったりして。

構成

ラヴェルの夜のガスパール、第3曲はスカルボという曲です。
Scarboで画像検索すると何だかかわいいようで怖いようで憎たらしいようなのが出てきます。
あれは元ネタの詩を書いたベルトランによるもの?

これは先日行った山の中のカフェのさらに先にあった砂防ダム。
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これスカルボみたいでしょ?



この曲みんな大好きみたいで検索をすると
超絶難曲として知られている、スカルボは飛び回っていたずらをする悪魔・・・みたいな話が沢山出てきます。

夜のガスパールをソナタ形式-緩徐楽章- ロンド形式で構成されていると書いている人がいました。
いたっていいんですよね。
そしてそれを引用したブログもいくつか・・
ソナタ形式-緩徐楽章- ロンド形式で書かれた昔のソナタを意識している・・とか、古典的なソナタを思わせる・・
というならわかるんですけど・・私はこれを聴いてロンド楽章だとは感じないです。
ついでにオンディーヌがソナタ形式だと書いてあるのも読んだけれど、私はあれを聴いていてソナタ形式を感じたりもしないです。
私は時々Wikipediaと意見が合わない。
合わなくてもいいのか。
お前は馬鹿だからそんな風にしか感じないんだろうと思う人もいるんだろうけど、そりゃそれで仕方ない。

厳密には違うのかもしれないけれど、私にはこのスカルボはとても分かりやすい序奏付きのソナタ形式のように感じられます。
各主題の調整関係が・・とか、そんなのいいや。

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ここは序奏。典型的な・・

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これは第1主題じゃなくて導入主題的な・・スカルボ登場!みたいな・・
序奏冒頭に怪しく登場してるのもこれの断片ですよね。

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このひょうひょうとした・・スカルボの姿ですよねこれを第1主題ととらえると

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この飛び跳ねるような動きを持った和音的なテーマは第2主題。

第2主題が終わると展開部は第1主題で始まります。すぐに砕けていろんなことしだすのがいかにも展開部でしょう・・・
そこへだんだん第2主題が絡んできます。

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このあたりは導入主題も出てきて3つの主題が絡み合ってものすごいことになっています。
音楽的にも技術的にも山場ですよね?
素晴らしい・・・これソナタ形式の展開部そのものでしょう?
第2主題で盛り上がり導入主題みたいなのが出たところで展開部が終了。
再び序奏が現れます・・

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序奏の後、再現される第1主題は音価が倍に膨れ上がっている・・・
スカルボは膨れて巨大化し・・・と詩の中にあるのと対応してる。
その後何かさらに巨大化していくようなシーンの後突然第2主題の再現になだれ込むところも面白い。
最後は3つの主題が遠くに見えるように回想され、すっと消える。

序奏付きのソナタ形式なんてラヴェルから一番遠いところにありそうな気がするし、実際これはそんなものじゃないのかもしれない。
でもそれがここにあるような気がするのが私の中で面白い。


こういう曲ですからスポーツ観戦というかすごく難しそうなのをガンガン弾いているところを見て聴いて喜ぶというか・・悪く言えばサーカス的な聴き方もします。

難しいものを難しそうに弾いて見せてくれるのもいいけれど、手が鍵盤に吸い付くような・・とかなんかものすごく簡単なものを簡単に弾いてるように見えるのも萌えます。この動画がそうだとか言う事じゃなくて。
とはいえテクニックばっかりに注目したような聴き方だけで終わるような曲じゃないと思う。
ラヴェルをベートーベンみたいに聴いたらおかしいとは思う。
でも絶対音楽的に聴いても楽しめる内容を持ってるとも思うんです。

ラヴェルもピアノを弾いたみたいでピアノロールだったか録音だったか残っていたりするけれど、リストやブラームスみたいに自身が超絶技巧ピアニストなわけじゃなかったみたいだ。
ピアノコンチェルトを自分で初演すると言い出した時にはみんながなんとか辞めさせたいと考えたという。
作曲家が技術的限界にせまって作曲するときって何をどう考えて進めんのかな?
ストラヴィンスキーがペトルーシュカから三章を書いたときは、書いたそばからアルトゥール・ルービンシュタインが弾いてみたとかいうのを読んだことがあります。
きっと誰か心を許したすごい弾き手とやり取しながら書いたんだろななんて想像したりして。




これも例の人がオルガンで弾いていました。
面白さというかあぁいいなーという感じではオンディーヌのほうがよかったような。