潰されても消えないもの
最近通っているスーパーが小さく駅弁祭りみたいなのをやっていた。
昔はこういうので盛り上がったもんだけどとか思いながら覗いたちっちゃなカートには数点の駅弁。
ひもを引っ張ると熱くなる系は仕掛けの割においしくな・・その横にある小さな弁当に見覚えがあった。

もう10年くらい前になってしまったけれど冬の宗谷本線で稚内を目指したこの時食ったもの。
稚内へ行くのが目的なら特急に乗ればいい訳だけどそうじゃなくて延々ローカル列車に揺られてみたかった。
前半途中までは厳しいと言えども通学等ある程度のお客がいる感じ。
こんなマイナス何度な北海道の冬なのにホームの女子高生が膝くらいまで素足な格好で楽しそうに笑ってたのが衝撃的だった。
寒くて足真っ赤になっちゃってる子がいて・・若いってスゲーよね。
ゴマフアザラシとかキタキツネを見つけたのと同じ気持ちになったけどカメラ向けたら通報されそうだと思って撮れなかった。
上の写真はもうローカルな地帯に入ったところ、駅そばが有名まで書けばマニアじゃなくても知っているかもしません。

線路わきに見える木造の舞台みたいなのはホームでここは駅。

この駅の待合室はヨド物置。
たしか付近に民家は一件のみだったか、このとき通学に使っている子がいたんだと思う。
別な機会に何度も来たけれど物置を開けると箱をひっくり返して作った椅子の上に敷物が敷いてあり利用者の気配があった。
いまは多分・・・

途中駅で皆降りてしまいずっと運転手さんと私以外には誰もいなかった。

途中駅でそこそこ停車し特急の通過を待つ。
ポール牧がここ出身だったような気がする。
だれもいない駅前には商店街や学校など消えてしまったた街の跡を見た。
調べると定期利用者は0人という事だけどたまたま行ったときには進学で都会へ出てゆく子供を両親が駅で見送る映画みたいなシーンが展開しているのを見た。

こういう木造仮設みたいなホームの駅は実はけっこうたくさんある。

あの物置に見える小屋は駅の待合室で、別な機会に中へ入ってみたこともある。
ヨド物置より古いけれどでも立派かな。

これは国鉄末期に経営の厳しいことが予想されるJR北海道への餞別として作られた車両だったと思う。
扇風機は廃車からの流用品だろう、JNRのマークが懐かしい。

夕暮れと兜沼。
自分の好きな時間に好きなところへ立ち寄れる車の旅と違い、決まった流れに身を任せるしかない汽車旅は音楽を聴くことみたいですね。
この後見通しの悪いカーブを曲がたところで鹿と衝突。
若い運転士さんがくそー!と言いながら一人点検に降りて行った。
ブレーキ管損傷すれば止まれなくなるもんね。
結構止まっていて・・でも手伝うったって何もわからないし・・
終点も近く少し乗ってきていたお客さんは皆何もなかったように静かだった。
きっと日常茶飯事なんだろう。
鹿がどうなったかはわからなかった。

着いたのは建て替え前の稚内駅。
写真撮ったりしてると改札で待ってる駅員さんの視線を浴びちゃって・・
でもまだかよみたいな表情を見せないようにしてくれてるんだなと感じたのは覚えてる。

駅前の食堂でカニ丼を食ったようだ。
この店の名物だったと思う。
こういう旅なら普通は酒場だろう。

ちょっとほっつき歩いたみたい。
旅というのは人と出会うことかもしれないけれどほとんど誰とも話さなかった。
そんなことができれば旅なんて言ってないから。
ホテルの屋上に露天風呂があって雪の降るのを眺めながら誰かと僅かに話したような記憶があるそれだけ。

翌朝、凍えて丸くなったハトは微動だにしない。
ちょっとかわいかった。

ローカル列車に乗っていってみたいところがあって

長い宗谷本線で海が見えるのはほんの一瞬のここだけ。
晴れていれば絶景なんだけれど・・
とは言え、見たかった利尻はうっすら見えた。

バスにあるような運賃箱を積んだ列車は珍しくもないんだと思うけど、
自分もここに切符入れたのはこれが初めてで最後かも。

警報機が鳴ってるから渡らずに待っていたら運転手さんがどうぞ先にわたって・・とジェスチャアで譲ってくれた。

もう少し雪が積もってラッセル車が走り出すとこの踏板は取り外されるんだったと思う。
除雪も保線用機械みたいなのがやるようになってラッセル車というもの自体がめずらしいんじゃなかったっけ?

この駅はテレビ番組で流れたりしてその種の人には有名かも。
別な機会に行ったときテレビな人が取材をしていて撮ってもいいですかというからはいと言い、顔も出していいと聞かれたから困りますと答えた。
全国放送で流れたその番組を嫁さんが録画したものをみるとプラプラ見物してる私がちょっとだけ映ってた。

歩いて利尻の見える港まで行こうと思っていたんだけど遠いのと寒いのでやめた。
夏ならレンタカーを乗り回すんだけど、本州でスキーに行ったくらいの経験で調子に乗ってると死ぬぞというような話をネットでたくさん読んであったので。
この写真の道がブラックバーンなのかはわからないけど、向こうから来る郵便配達のあの車はものすごい低速で慎重に走ってた。
ブラックバーンも怖いけど何より地吹雪がやばいらしい。
夏の間はたたんであるあの地吹雪対策の防風柵が立ち並んでいるので仮に車に乗れても夏みたいな景色は見えないんでしょうかね。

-2度だとこの辺では余裕?

待合室には誰もいなかったけれど、列車の時間になったらおばあちゃんが出てきた。
元駅務室だったところは保線作業員の詰め所になっているらしく、多分ストーブがあるんだろう。
そして、地元の常連さんはそこへ入れてもらえるのかもしれない。
https://www.youtube.com/watch?v=niF6Y7ZNqys
デンマークには行ったこともなからその景色や人の営みが脳裏に浮かぶこともないんだけど、なんとなくその代わりにサロベツ原野のあたりの景色と空気みたいなものが浮かんでくることがあったり。
国も民族も文化も自分たちの心も大国に潰されてなくなっちゃうかもしれないという不安を感じつつ人や自然への愛と強いアイゼンティティみたいなものが書かれているこの曲はもうポピュラーなものだろうと思う。
不滅と呼ばれていたけれど最近じゃ消しがたきもの
でも30年以上前のテレビで芥川龍之介の息子で作曲家の芥川也寸志がこの曲も作者についてもほとんど知りませんと言ってたのを覚えてる。
今時4番しか聴きませんなんて言ったらそれ系の人の中には鼻で笑うような人もいるだろう。
いたっていいしずっと笑ってればいいけど。

根室の先にあるのは納沙布岬。
稚内の先にあるのはノシャップ岬。
だれもいなかった。まだ昼過ぎ位だけどもう帰らなくちゃならない。
何だか寂しかった思い出。

ただの駅そばだけど駅が稚内だと思うと萌える。

蕎麦は自体は普通というか・・
それより帰りの特急列車は先頭自由席の一番前に展望席みたいな席があり
改札が空いたら誰よりも先にそこへとそればかり考えてた。
結局同種の人間はいなかったので余裕だった。

川が凍るのは北海道では当たり前?
私には超絶びっくり景色。

利尻の写真を何枚もとっており、青空の下に白く輝く利尻が見たかったのに的な無念が感じられる。

大スキ・・
私もです。

旭川からの帰りの飛行機は驚きのがら空きでわずかなお客さんは前の方に固まってる。
1人一番後ろに席を指定していた私に飲み物はともかくいろんなものを持ってこれはいかがですかとここまでくるアテンダントさんは迷惑だったかもしれない。というかはずかしかった。
土日でも行けたはずなのに有休をとった覚えがあるのはこの頃早い時期に閑散日の便を宿込みで指定するとびっくりするような低価格で買える商品があったから。
朝3時ごろ起き朝一の飛行機で北海道へとび、ローカル線を一往復して次の日の最終の飛行機で帰ってきた。
ばっかじゃない何が面白いの?と言う人が沢山いるのもわかる。
これがという事じゃないけれど、馬鹿か虫けらみたいにしか見えない人の中にも心があって記憶があって誰にも消せないものがあるのかもしれませんよね。
昔はこういうので盛り上がったもんだけどとか思いながら覗いたちっちゃなカートには数点の駅弁。
ひもを引っ張ると熱くなる系は仕掛けの割においしくな・・その横にある小さな弁当に見覚えがあった。

もう10年くらい前になってしまったけれど冬の宗谷本線で稚内を目指したこの時食ったもの。
稚内へ行くのが目的なら特急に乗ればいい訳だけどそうじゃなくて延々ローカル列車に揺られてみたかった。
前半途中までは厳しいと言えども通学等ある程度のお客がいる感じ。
こんなマイナス何度な北海道の冬なのにホームの女子高生が膝くらいまで素足な格好で楽しそうに笑ってたのが衝撃的だった。
寒くて足真っ赤になっちゃってる子がいて・・若いってスゲーよね。
ゴマフアザラシとかキタキツネを見つけたのと同じ気持ちになったけどカメラ向けたら通報されそうだと思って撮れなかった。
上の写真はもうローカルな地帯に入ったところ、駅そばが有名まで書けばマニアじゃなくても知っているかもしません。

線路わきに見える木造の舞台みたいなのはホームでここは駅。

この駅の待合室はヨド物置。
たしか付近に民家は一件のみだったか、このとき通学に使っている子がいたんだと思う。
別な機会に何度も来たけれど物置を開けると箱をひっくり返して作った椅子の上に敷物が敷いてあり利用者の気配があった。
いまは多分・・・

途中駅で皆降りてしまいずっと運転手さんと私以外には誰もいなかった。

途中駅でそこそこ停車し特急の通過を待つ。
ポール牧がここ出身だったような気がする。
だれもいない駅前には商店街や学校など消えてしまったた街の跡を見た。
調べると定期利用者は0人という事だけどたまたま行ったときには進学で都会へ出てゆく子供を両親が駅で見送る映画みたいなシーンが展開しているのを見た。

こういう木造仮設みたいなホームの駅は実はけっこうたくさんある。

あの物置に見える小屋は駅の待合室で、別な機会に中へ入ってみたこともある。
ヨド物置より古いけれどでも立派かな。

これは国鉄末期に経営の厳しいことが予想されるJR北海道への餞別として作られた車両だったと思う。
扇風機は廃車からの流用品だろう、JNRのマークが懐かしい。

夕暮れと兜沼。
自分の好きな時間に好きなところへ立ち寄れる車の旅と違い、決まった流れに身を任せるしかない汽車旅は音楽を聴くことみたいですね。
この後見通しの悪いカーブを曲がたところで鹿と衝突。
若い運転士さんがくそー!と言いながら一人点検に降りて行った。
ブレーキ管損傷すれば止まれなくなるもんね。
結構止まっていて・・でも手伝うったって何もわからないし・・
終点も近く少し乗ってきていたお客さんは皆何もなかったように静かだった。
きっと日常茶飯事なんだろう。
鹿がどうなったかはわからなかった。

着いたのは建て替え前の稚内駅。
写真撮ったりしてると改札で待ってる駅員さんの視線を浴びちゃって・・
でもまだかよみたいな表情を見せないようにしてくれてるんだなと感じたのは覚えてる。

駅前の食堂でカニ丼を食ったようだ。
この店の名物だったと思う。
こういう旅なら普通は酒場だろう。

ちょっとほっつき歩いたみたい。
旅というのは人と出会うことかもしれないけれどほとんど誰とも話さなかった。
そんなことができれば旅なんて言ってないから。
ホテルの屋上に露天風呂があって雪の降るのを眺めながら誰かと僅かに話したような記憶があるそれだけ。

翌朝、凍えて丸くなったハトは微動だにしない。
ちょっとかわいかった。

ローカル列車に乗っていってみたいところがあって

長い宗谷本線で海が見えるのはほんの一瞬のここだけ。
晴れていれば絶景なんだけれど・・
とは言え、見たかった利尻はうっすら見えた。

バスにあるような運賃箱を積んだ列車は珍しくもないんだと思うけど、
自分もここに切符入れたのはこれが初めてで最後かも。

警報機が鳴ってるから渡らずに待っていたら運転手さんがどうぞ先にわたって・・とジェスチャアで譲ってくれた。

もう少し雪が積もってラッセル車が走り出すとこの踏板は取り外されるんだったと思う。
除雪も保線用機械みたいなのがやるようになってラッセル車というもの自体がめずらしいんじゃなかったっけ?

この駅はテレビ番組で流れたりしてその種の人には有名かも。
別な機会に行ったときテレビな人が取材をしていて撮ってもいいですかというからはいと言い、顔も出していいと聞かれたから困りますと答えた。
全国放送で流れたその番組を嫁さんが録画したものをみるとプラプラ見物してる私がちょっとだけ映ってた。

歩いて利尻の見える港まで行こうと思っていたんだけど遠いのと寒いのでやめた。
夏ならレンタカーを乗り回すんだけど、本州でスキーに行ったくらいの経験で調子に乗ってると死ぬぞというような話をネットでたくさん読んであったので。
この写真の道がブラックバーンなのかはわからないけど、向こうから来る郵便配達のあの車はものすごい低速で慎重に走ってた。
ブラックバーンも怖いけど何より地吹雪がやばいらしい。
夏の間はたたんであるあの地吹雪対策の防風柵が立ち並んでいるので仮に車に乗れても夏みたいな景色は見えないんでしょうかね。

-2度だとこの辺では余裕?

待合室には誰もいなかったけれど、列車の時間になったらおばあちゃんが出てきた。
元駅務室だったところは保線作業員の詰め所になっているらしく、多分ストーブがあるんだろう。
そして、地元の常連さんはそこへ入れてもらえるのかもしれない。
https://www.youtube.com/watch?v=niF6Y7ZNqys
デンマークには行ったこともなからその景色や人の営みが脳裏に浮かぶこともないんだけど、なんとなくその代わりにサロベツ原野のあたりの景色と空気みたいなものが浮かんでくることがあったり。
国も民族も文化も自分たちの心も大国に潰されてなくなっちゃうかもしれないという不安を感じつつ人や自然への愛と強いアイゼンティティみたいなものが書かれているこの曲はもうポピュラーなものだろうと思う。
不滅と呼ばれていたけれど最近じゃ消しがたきもの
でも30年以上前のテレビで芥川龍之介の息子で作曲家の芥川也寸志がこの曲も作者についてもほとんど知りませんと言ってたのを覚えてる。
今時4番しか聴きませんなんて言ったらそれ系の人の中には鼻で笑うような人もいるだろう。
いたっていいしずっと笑ってればいいけど。

根室の先にあるのは納沙布岬。
稚内の先にあるのはノシャップ岬。
だれもいなかった。まだ昼過ぎ位だけどもう帰らなくちゃならない。
何だか寂しかった思い出。

ただの駅そばだけど駅が稚内だと思うと萌える。

蕎麦は自体は普通というか・・
それより帰りの特急列車は先頭自由席の一番前に展望席みたいな席があり
改札が空いたら誰よりも先にそこへとそればかり考えてた。
結局同種の人間はいなかったので余裕だった。

川が凍るのは北海道では当たり前?
私には超絶びっくり景色。

利尻の写真を何枚もとっており、青空の下に白く輝く利尻が見たかったのに的な無念が感じられる。

大スキ・・
私もです。

旭川からの帰りの飛行機は驚きのがら空きでわずかなお客さんは前の方に固まってる。
1人一番後ろに席を指定していた私に飲み物はともかくいろんなものを持ってこれはいかがですかとここまでくるアテンダントさんは迷惑だったかもしれない。というかはずかしかった。
土日でも行けたはずなのに有休をとった覚えがあるのはこの頃早い時期に閑散日の便を宿込みで指定するとびっくりするような低価格で買える商品があったから。
朝3時ごろ起き朝一の飛行機で北海道へとび、ローカル線を一往復して次の日の最終の飛行機で帰ってきた。
ばっかじゃない何が面白いの?と言う人が沢山いるのもわかる。
これがという事じゃないけれど、馬鹿か虫けらみたいにしか見えない人の中にも心があって記憶があって誰にも消せないものがあるのかもしれませんよね。
素朴な幸せと不安
また地図上によさそうなお店を発見した。
レビューもなんだか大好評っぽい。
行ってみようか。
むかし、この近くのお店で初めてシフォンケーキというものを食べました。
いまじゃ美味しいねなんて言ってるけれどそのころケーキといえばスネ夫の家で出てくるようなのだと思っていた私は飾りっ気のないそれに衝撃を受けた・・
クリームねーじゃんみたいな。
牧場の隅にちょっと建てましたみたいな雰囲気の素朴なお店だった気がする。
で今回発見したお店に行ってみようと車を走らせこの辺りかな・・
あれ?
その大好評なお店は確かに見覚えのあるあのシフォンケーキのお店だった。

前に来たのはもう10年以上前かな。
こんなに整ってなくてぽっといきなり建物があったような印象が・・
中へ入ると先に注文してお金を払てから座るみたいな流れだった。
今日は風があるから外はいかがでしょうか?・・
そうだなせっかくだし、なんて思って思い切り正面の庭にあったテーブルへ座る。

隣にはこんな・・
トイレから戻ってくると嫁さんの表情がさえない。
あぁ、そうだね。
もう夏休み。
子供のはしゃぐ声が聞こえる。
こんなこと書くとあれかもしれないけれど、子なし夫婦には暗黙の配慮みたいなのがあります。
どこの家族にもいろいろあるんだろう。
トイレは外の別棟なのでその帰りに裏にもテラスと外テーブルがあるのが見えた。
よし、そっちへ行こう。

とここに落ち着く。
涼しいねー と言いたいところだけど結構暑い。
とは言え建物の中にも冷房なんかないんだからここのがいいよ。
本当ならあの真っ白な空には富士山が見えるんだろう。
でも今日は雲に隠れてお休み。
ランチは肉か魚から選ぶという構成みたいで

今日の肉は焼き豚。
いつもの通りおっさん基準では量も少なめに見えるけれど、多分これが適量。

向こうには建物を増築中。
他のものも含めてみんな手作りみたいだ。
家とか自分で建てちゃうような人がいるけれど、すげーな。

デザートはコーヒーゼリーに牛乳のアイスが乗ってた。
これもおいしかった。
https://www.youtube.com/watch?time_continue=730&v=niF6Y7ZNqys
ニールセン交響曲第4番
第2楽章というか第2部は素朴な・・でも幸せな・・何にもないけどこれでいいじゃないみたいな世界。
デンマークに行ったことはないけれど、北海道の道北のいい感じみたいな・・あんなとこじゃないかと勝手に思っています。
そしてそこには素朴でも幸せな生活と笑顔があったわけでしょ。
この音楽はしばらくなじめなかった。
ここだけ聴けば今でもなんだこれとか思っちゃうかもしれません・・
でもこれは全体の中で非常に重要な部分だと思う。

この素朴な幸せは、突然の叫びによって切り裂かれ不安の中に消えてゆく。
この曲、最終的には私たちの大切なものは何があっても誰にも犯すことはできなのです・・みたいな事を強く訴えて終わっていきます。
リアルには、侵略戦争によって国や自分たちそのものをの取られるみたいな話がちらついているんだと思う。
平和な世の中にも、人それぞれいろいろあると思う。
今の目の前にある素朴な時間を突然奪われる不安。
書かないと決めたばかりですがこういうの。
私は、電話のベル恐怖症。
自分のじゃなくても携帯の呼び出し音が聞こえると血の気が引き、
お願いだからという祈りみたいな気持ちが来ます。
一時は本当にひどかった。
これから楽しいこと、幸せなことが始まるという瞬間にかけてくるからねほんとに。
結婚指輪を箱から出す瞬間に・・とかさ。
こちらの頭もいかれてくるからどこかで見られているのかと本気で思うようになる。
気のふれた人間の恐ろしさは体感しないとわからないと思う。
普通は避けとけばいいそんなの。
でも近親者は逃げられない。
着信拒否すればいいでしょなんてしたり顔で言う人もいるけど
ほっとけば親戚やどっかの役所から呼び出しが鳴り続けるだけだから。
落ち着いているときも再発への恐怖に縛られもう何年も呼ばれたら駆け付けられる距離から出たことがない。
ここで終わっちゃうと負けだから
そんな中にも自分の明るい何かを見つけますよと言えばいいんでしょう?
こんなこと考えてるとニールセンの「不滅」も愛おしい曲に思えてきます。

絶えず何か食べ物のいいにおいがする・・
なんか暑いなぁ・・
振り向くと

厨房の換気扇からの排気を浴びて私は飯を食っていたのだ。
相変わらずのあほさだけれどまあいいじゃない。

なんか素敵なこの庭も自分たちで少しづつ作ったんでしょうね。
いいなぁ・・
無限の楽しみがあるんだろうなぁ。
いいところでした。
また涼しくなったころに来てみたい。
レビューもなんだか大好評っぽい。
行ってみようか。
むかし、この近くのお店で初めてシフォンケーキというものを食べました。
いまじゃ美味しいねなんて言ってるけれどそのころケーキといえばスネ夫の家で出てくるようなのだと思っていた私は飾りっ気のないそれに衝撃を受けた・・
クリームねーじゃんみたいな。
牧場の隅にちょっと建てましたみたいな雰囲気の素朴なお店だった気がする。
で今回発見したお店に行ってみようと車を走らせこの辺りかな・・
あれ?
その大好評なお店は確かに見覚えのあるあのシフォンケーキのお店だった。

前に来たのはもう10年以上前かな。
こんなに整ってなくてぽっといきなり建物があったような印象が・・
中へ入ると先に注文してお金を払てから座るみたいな流れだった。
今日は風があるから外はいかがでしょうか?・・
そうだなせっかくだし、なんて思って思い切り正面の庭にあったテーブルへ座る。

隣にはこんな・・
トイレから戻ってくると嫁さんの表情がさえない。
あぁ、そうだね。
もう夏休み。
子供のはしゃぐ声が聞こえる。
こんなこと書くとあれかもしれないけれど、子なし夫婦には暗黙の配慮みたいなのがあります。
どこの家族にもいろいろあるんだろう。
トイレは外の別棟なのでその帰りに裏にもテラスと外テーブルがあるのが見えた。
よし、そっちへ行こう。

とここに落ち着く。
涼しいねー と言いたいところだけど結構暑い。
とは言え建物の中にも冷房なんかないんだからここのがいいよ。
本当ならあの真っ白な空には富士山が見えるんだろう。
でも今日は雲に隠れてお休み。
ランチは肉か魚から選ぶという構成みたいで

今日の肉は焼き豚。
いつもの通りおっさん基準では量も少なめに見えるけれど、多分これが適量。

向こうには建物を増築中。
他のものも含めてみんな手作りみたいだ。
家とか自分で建てちゃうような人がいるけれど、すげーな。

デザートはコーヒーゼリーに牛乳のアイスが乗ってた。
これもおいしかった。
https://www.youtube.com/watch?time_continue=730&v=niF6Y7ZNqys
ニールセン交響曲第4番
第2楽章というか第2部は素朴な・・でも幸せな・・何にもないけどこれでいいじゃないみたいな世界。
デンマークに行ったことはないけれど、北海道の道北のいい感じみたいな・・あんなとこじゃないかと勝手に思っています。
そしてそこには素朴でも幸せな生活と笑顔があったわけでしょ。
この音楽はしばらくなじめなかった。
ここだけ聴けば今でもなんだこれとか思っちゃうかもしれません・・
でもこれは全体の中で非常に重要な部分だと思う。

この素朴な幸せは、突然の叫びによって切り裂かれ不安の中に消えてゆく。
この曲、最終的には私たちの大切なものは何があっても誰にも犯すことはできなのです・・みたいな事を強く訴えて終わっていきます。
リアルには、侵略戦争によって国や自分たちそのものをの取られるみたいな話がちらついているんだと思う。
平和な世の中にも、人それぞれいろいろあると思う。
今の目の前にある素朴な時間を突然奪われる不安。
書かないと決めたばかりですがこういうの。
私は、電話のベル恐怖症。
自分のじゃなくても携帯の呼び出し音が聞こえると血の気が引き、
お願いだからという祈りみたいな気持ちが来ます。
一時は本当にひどかった。
これから楽しいこと、幸せなことが始まるという瞬間にかけてくるからねほんとに。
結婚指輪を箱から出す瞬間に・・とかさ。
こちらの頭もいかれてくるからどこかで見られているのかと本気で思うようになる。
気のふれた人間の恐ろしさは体感しないとわからないと思う。
普通は避けとけばいいそんなの。
でも近親者は逃げられない。
着信拒否すればいいでしょなんてしたり顔で言う人もいるけど
ほっとけば親戚やどっかの役所から呼び出しが鳴り続けるだけだから。
落ち着いているときも再発への恐怖に縛られもう何年も呼ばれたら駆け付けられる距離から出たことがない。
ここで終わっちゃうと負けだから
そんな中にも自分の明るい何かを見つけますよと言えばいいんでしょう?
こんなこと考えてるとニールセンの「不滅」も愛おしい曲に思えてきます。

絶えず何か食べ物のいいにおいがする・・
なんか暑いなぁ・・
振り向くと

厨房の換気扇からの排気を浴びて私は飯を食っていたのだ。
相変わらずのあほさだけれどまあいいじゃない。

なんか素敵なこの庭も自分たちで少しづつ作ったんでしょうね。
いいなぁ・・
無限の楽しみがあるんだろうなぁ。
いいところでした。
また涼しくなったころに来てみたい。
不安
徳川家康が隠居所に選んだ静岡は前は海、背後は超絶深い山、左右も海まで迫った山とでっかい川に守られています。
海辺のレストランで気分よく飯を食った後、海岸線沿いに車を走らせると山にぶつかる。

ここはその山の一つを新幹線が貫く新日本坂トンネル入り口付近。
普通新幹線の線路は周りより一段高い盛土の上にあったりして別格感を出している事が多いと思うんだけど、ここは平地というかその辺にレールを敷いちゃっている感じ。
このあたりは新幹線よりはるか前、戦前の弾丸列車という計画に基づき昭和の初めに着工されたことの名残を見ているんじゃないかと思う。
弾丸列車自体は戦争で計画が中止となってしまいましたが、ここと新丹那トンネルは早期に着工されていました。
あそこはやばいぜ難工事になる・・とみんな思っていたという事でしょう・・
一時は在来線がこのトンネルを使ったりしていた。
そして

あの岸辺に転がった赤いものは明治に開通し大正時代に改築されたレンガ積みトンネルの残骸。
あの奥には海岸線に沿って複線の線路が敷かれていたはず。
けどもう擁壁の残骸が波に洗われているのみである。
この海岸の名前は大崩海岸。
そのままじゃないか。
トンネルを掘っても海が攻めてきて山ごと削っちまうんだから・・・
この山を越える国道は今長大なトンネルを通過している。
旧道はまだ生きていて面白い。
この部分、

道は山に取りつくことをあきらめて海に逃げている。
時々見ますけどねこういうの。

橋の下から見るとさらにわかりやすい。
山にへばりついた旧道は廃道となっているだけでなくその覆道はあの向こうで山に押しつぶされがれきの下に消えている。
人の命も巻き込む大規模な崩壊のあと、放棄されたようだ。
ネット上には廃道マニアみたいな人がたくさんいてここは結構有名。
なんて考えながらふらふら歩きまわっていると・・
!?・・・
背後で音がする。
石の転がる音・・
一度じゃない・・・・なんどもなんども・・・

みると小石が止まることなく山の上から落ちてくる・・・
土砂崩れの前には前兆現象がある・・みたいな話が頭をよぎる・・
先日大きな地震があったばかりだ・・・
いや、ここは年中こんなかんじなんだろう・・・と頭の中で考えながらも
不安な気持ちが広がってゆく・・
https://www.youtube.com/watch?time_continue=269&v=niF6Y7ZNqys
ニールセンというデンマークの作曲家による交響曲第4番
この30年くらいで有名曲になっちゃったんじゃないでしょうか。
日本人には理解しにくいですが地続きのヨーロッパ、小国は常に大国にのっとられて自分たちの文化やアイゼンティや家族の命・・築きあげてきたすべてのものが失われるかもしれないという危機感を持っていたんじゃないかと思います。作曲当時ソ連かどこか知らないけどリアルやばい時期だったと思う。
曲は冒頭から何だかバカ騒ぎみたいで聴き始めた当初理解できませんでしたが、
活気のある街、行きかう人々、生き生きとした人の暮らし・・なんかそんなものじゃないかと思う。
その後落ち着いてクラリネットで歌われる第2主題こそがこの曲のコアで、彼らのアイゼンティティを表しているんだと思う。
それがその後金管で輝かしく、力強く歌われるのは彼らの誇り万歳!・・永遠に!・・みたいな話でしょう。
その輝かしい光が落ち着くと
フルートとホルンあたりがなんだか余計なことを言い出す・・
ヴィオラに吹き込む不穏な風・・・

不安はどんどんエスカレートして、何かを切り裂く狂気のようになってゆく・・・
ちょっとホラー音楽的なこのあたりが実にい印象的だ。
不滅というとティンパニ2台というのにばかり注目しがちだけど、ベートーベンの第九で合唱しか聴かないのと同じくそれはちょっとどうかと思う。(私がですよ。他の人がどう聞くかは勝手で文句も何もありません)
この不安の動機みたいなものと、祖国愛みたいな旋律はフィナーレのクライマックスみたいな場面で再び出てきて象徴的にならされる。
山が崩壊しやがったらもう助からないななんて大げさに考えたけどそんなことなかった。
みんなに迷惑をかけているんだから辞めなくちゃいけないんだ・・
なんて思ってつぶされそうになり・・つぶれたこともあった。
あれも勝手な勘違いらしいことはわかってる・・・
いや、やっぱり勘違いじゃないだろう。
まあつぶれたというか自分が弱くて逃げたんだけど。
現代社会は生きづらい・・
じゃあ昔は生きやすかったのか・・
昔は村社会で周りになじめず孤立すればすぐ死に直面していたはず。
上司や部下とうまくいかず・・とかいうけど武士の世界でそんなこと言ってたら命もなかったりしたんじゃないのかな・・
隣の国がいつ攻めてきて何もかも踏みにじられる可能性を常に感じながら・・
昔は生きづらいどころか生きていられるかもわかんないような超絶ストレス社会だったんじゃないかなぁ・・
でもまあ、だから何だという話で。
もっとつらい人がいるんだからあなたは幸せでしょう?みたいな話は意味がない。
時にはそれは野蛮な暴力だと思うこともある。
今自分で書きそうになったけど。

海っていいですよね。
何がってこともないけれど。
海辺のレストランで気分よく飯を食った後、海岸線沿いに車を走らせると山にぶつかる。

ここはその山の一つを新幹線が貫く新日本坂トンネル入り口付近。
普通新幹線の線路は周りより一段高い盛土の上にあったりして別格感を出している事が多いと思うんだけど、ここは平地というかその辺にレールを敷いちゃっている感じ。
このあたりは新幹線よりはるか前、戦前の弾丸列車という計画に基づき昭和の初めに着工されたことの名残を見ているんじゃないかと思う。
弾丸列車自体は戦争で計画が中止となってしまいましたが、ここと新丹那トンネルは早期に着工されていました。
あそこはやばいぜ難工事になる・・とみんな思っていたという事でしょう・・
一時は在来線がこのトンネルを使ったりしていた。
そして

あの岸辺に転がった赤いものは明治に開通し大正時代に改築されたレンガ積みトンネルの残骸。
あの奥には海岸線に沿って複線の線路が敷かれていたはず。
けどもう擁壁の残骸が波に洗われているのみである。
この海岸の名前は大崩海岸。
そのままじゃないか。
トンネルを掘っても海が攻めてきて山ごと削っちまうんだから・・・
この山を越える国道は今長大なトンネルを通過している。
旧道はまだ生きていて面白い。
この部分、

道は山に取りつくことをあきらめて海に逃げている。
時々見ますけどねこういうの。

橋の下から見るとさらにわかりやすい。
山にへばりついた旧道は廃道となっているだけでなくその覆道はあの向こうで山に押しつぶされがれきの下に消えている。
人の命も巻き込む大規模な崩壊のあと、放棄されたようだ。
ネット上には廃道マニアみたいな人がたくさんいてここは結構有名。
なんて考えながらふらふら歩きまわっていると・・
!?・・・
背後で音がする。
石の転がる音・・
一度じゃない・・・・なんどもなんども・・・

みると小石が止まることなく山の上から落ちてくる・・・
土砂崩れの前には前兆現象がある・・みたいな話が頭をよぎる・・
先日大きな地震があったばかりだ・・・
いや、ここは年中こんなかんじなんだろう・・・と頭の中で考えながらも
不安な気持ちが広がってゆく・・
https://www.youtube.com/watch?time_continue=269&v=niF6Y7ZNqys
ニールセンというデンマークの作曲家による交響曲第4番
この30年くらいで有名曲になっちゃったんじゃないでしょうか。
日本人には理解しにくいですが地続きのヨーロッパ、小国は常に大国にのっとられて自分たちの文化やアイゼンティや家族の命・・築きあげてきたすべてのものが失われるかもしれないという危機感を持っていたんじゃないかと思います。作曲当時ソ連かどこか知らないけどリアルやばい時期だったと思う。
曲は冒頭から何だかバカ騒ぎみたいで聴き始めた当初理解できませんでしたが、
活気のある街、行きかう人々、生き生きとした人の暮らし・・なんかそんなものじゃないかと思う。
その後落ち着いてクラリネットで歌われる第2主題こそがこの曲のコアで、彼らのアイゼンティティを表しているんだと思う。
それがその後金管で輝かしく、力強く歌われるのは彼らの誇り万歳!・・永遠に!・・みたいな話でしょう。
その輝かしい光が落ち着くと
フルートとホルンあたりがなんだか余計なことを言い出す・・
ヴィオラに吹き込む不穏な風・・・

不安はどんどんエスカレートして、何かを切り裂く狂気のようになってゆく・・・
ちょっとホラー音楽的なこのあたりが実にい印象的だ。
不滅というとティンパニ2台というのにばかり注目しがちだけど、ベートーベンの第九で合唱しか聴かないのと同じくそれはちょっとどうかと思う。(私がですよ。他の人がどう聞くかは勝手で文句も何もありません)
この不安の動機みたいなものと、祖国愛みたいな旋律はフィナーレのクライマックスみたいな場面で再び出てきて象徴的にならされる。
山が崩壊しやがったらもう助からないななんて大げさに考えたけどそんなことなかった。
みんなに迷惑をかけているんだから辞めなくちゃいけないんだ・・
なんて思ってつぶされそうになり・・つぶれたこともあった。
あれも勝手な勘違いらしいことはわかってる・・・
いや、やっぱり勘違いじゃないだろう。
まあつぶれたというか自分が弱くて逃げたんだけど。
現代社会は生きづらい・・
じゃあ昔は生きやすかったのか・・
昔は村社会で周りになじめず孤立すればすぐ死に直面していたはず。
上司や部下とうまくいかず・・とかいうけど武士の世界でそんなこと言ってたら命もなかったりしたんじゃないのかな・・
隣の国がいつ攻めてきて何もかも踏みにじられる可能性を常に感じながら・・
昔は生きづらいどころか生きていられるかもわかんないような超絶ストレス社会だったんじゃないかなぁ・・
でもまあ、だから何だという話で。
もっとつらい人がいるんだからあなたは幸せでしょう?みたいな話は意味がない。
時にはそれは野蛮な暴力だと思うこともある。
今自分で書きそうになったけど。

海っていいですよね。
何がってこともないけれど。
親父と家族

むかし日フィルがニールセンの交響曲第4番をやるのを聴きに行きました。
プレトークで指揮者の山田和樹氏がニールセンの生家がある町へ行ってみたという話をしていました。
バスを降りると一面の芦原だったとか言って見せてくれた写真がこんなだったと思う。これは全然関係ない場所の写真だけど。
この曲、侵略戦争の予感なども感じながら、自分たちの国、人間、家族・・不滅というタイトルはその辺のことでしょう?
第2楽章というか第2部分は素朴な人の営みみたいな音楽だけど、突然切り裂くような叫びから今度は不安の音楽みたいな第3部分に入る。音を色々変えまくるペダルティンパニとピッチカートのユニゾンみたいな面白い音楽だけど言ってることは冷たい鉛色の不安だ。
そこに現れる

この室内楽的な音楽は家族のだんらんみたいなものを感じますよね。
素朴だけあたたかい・・・
で、ここでルートやクラリネットがやっている16分音符で降りるあの音型・・手前の不安音楽の最後辺りから現れ始めるんだけど・・
この後そこらじゅうで鳴っていて単なる飾りじゃないことは間違いないんですよね。
明確な標題音楽でもないんだからこれは何か?なんてそんなに言わなくてもいいんだろうけど、
なんとなくこれ、親父が家族の名前を呼んでるところみたいなイメージがあるんですよね。
いましたよね、昔
○○子!とかいって奥さんの名前を意味もなく叫んでるおっさん。。
もう鳥の鳴き声みたいなもんでだれも気にしてないの・・
あんな感じ・・・
叫ばなくてもいいんだけど、その辺に子供の姿が見えるとか、頭の中に妻の名前が浮かぶとかそういう感じかな・・

団らんの音楽へ突然突然刺すような不安が木管楽器に出てきてまた不安音楽が戻ってきます。
不安音楽も盛り上がっていくとこ家族団らんのテーマとの不安のテーマが重なり合うようになり、いろいろこの不安のファンファーレみたいなのが金管の掛け合いとっててピークを迎えます。不安最高潮だ・・
その時まわりをみると、

頭の中は家族のことでいっぱいだ!

ティンパニに現れるこの三連符を含む動機は曲の終結付近でもティンパニによって歌われる旋律で、「大丈夫、大丈夫だから」と言っているように私には聞こえます。
大丈夫が出てくると音楽は落ち着き、家族の姿を経て次の第4部に向けて走り出す。
ニールセンという人がどんな人だったのか、ほとんど知りません。
オケの団員もやっていて自作の演奏にも加わっていたらしいのは知ってる・・
家族も大事にする親父だったのかなぁ・・
何が大事って、やっぱり家族なんでしょう?
作者はそんなこと考えてなかったかもしれませんけれど、いいじゃない。
作品も世に出ちゃったら独立して生き始めるというか・・作者の思いというのも大事だけど、
それが正解じゃなくてもいいと思うんですよね。
私がどう感じるかが大事。
この曲を初めて聴いたのは中学生の頃でした。
細かいことなんて一切わからないのに、聴き終えた時にとても感動したことを今でも忘れません。
音楽には理屈を超えた不思議な力があると思っています。
リアルでは絶対に口に出しませんけどこんなこと。
ニールセン 不滅のティンパニ

ニールセンの交響曲第4番「不滅」
戦争、侵略の予感、愛する祖国の自然と自分たちのアイゼンティティ・・みたいな感じ?
初めて聴いたのは中学生のとき、N響アワーで指揮はヘルベルト・ブロムシュテットでした。
視界の芥川が「この作曲家についてはほとんど知らないんです・・」と言ってたのを覚えています。
30年前ですが、そんなにマイナーだったんですか?
聴いてみて、意味なんて解らないけど何かが伝わってきて感動して聴き終えた覚えがあります。
第4楽章相当の第4部分で2組のティンパニが荒れ狂い協奏曲みたいになっていたりして、それが目玉といえば目玉でしょうか・・
曲の冒頭からティンパニがものを言ってる感じで始まりますが、

第3部、ティンパニが半音階的に動いて弦楽を支えるんですね。
ティンパニーが旋律的に動いているのが異常に好きなんですけど、半音階で動いたりしていると変態的に興奮します。
実演を聴きに行った際は当然ティンパニーをずっと見ているわけですが、見た目同じ楽器を連続して叩いているのに、ペダルで音が変わる・・・ペダル操作は見えないので・・普通のことなのかもしれませんが、自分には衝撃的で面白い光景でした。
ここは弦楽器が旋律以外ピッチカートで、ティンパニーがとてもよくクリアに聞こえます。
ティンパニーの名所だと思います。

第4部、この2組のティンパニの激しい掛け合い・・
ではどうぞーって感じではなくて、荒れ狂う音楽に突然乱入な感じがいいですよね・・
ここは有名すぎるのでおいておいて

途中の静かなところで2台のティンパニが交互にロールをして音楽を支えてるんですけど、他の低音楽器は黙っています。ティンパニが私らだけでどんな音でも出せますよー的に進んでく・・
ここ地味だけど結構インパクトあると思う。

またティンパニの激しい掛け合いが出てくるところですが、弦と木管同じようだけどdimと書いてある位置が若干違うし、その後の>の大きさも違う。
弦のほうが若干早めに減衰するカーブを描き、重なって聞こえる音色も変化していくということ・・・調子に乗って考えすぎ?

掛け合い最後のグリッサンド。
ティンパニのグリッサンドはバルトークの曲でもういいよってくらい出てきますが、
ここは2台がハモりながらなので何とかその様子を聞き取りたい・・
でもなんかゴォーーワ!みたいに聞こえちゃって音程感まで聞き取れないんですよね・・・
いろんな盤を聴いてみようかな。

曲の最後で不滅のテーマみたいなものが高らかに歌われるわけですが・・・そのあと終結部
第2ティンパニが最後の言葉を語って終わります。
2回目、ちょっと引くところが泣かせる。強く、優しく、大きく、「大丈夫・・・」といっているように感じます。
ティンパニが語る曲はいっぱいありますが、ここは本当に感動的な名場面でしょう。
1番じゃなくて2番奏者にその役が割り当てられているのがなんか気になりますね。