神と夫婦と

富士山の周りには富士山そのものを祭った浅間神社という神社がたくさんあります。
うちの近所にもあるけれどこれは結構遠いところにある浅間神社。
ここも20年くらい前から何度もその前を通ているのに行ったことがなかった。
始めは道沿いによくある地区を守る小さな神社くらいにしか思っていなかった。
でもびっくり
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間口は狭いようでもこの奥行き。
並の神社じゃないな・・
駐車場にバスが一台到着すると、
聴きなれない、いや聴きなれたあの言葉を話す団体がわらわらとやってくる。
来たっていいし歓迎すべきなんだろう。
日本人観光客はあんまり来ないようなマイナーなところをあえて回っている気もする。
隠れた名所をというポジティブな内容じゃなくて安く済ませつつ何かを見て回った気にさせるというのを追求しているようにも感じる。
大きなお世話か。
でも実際そっちのコースも素敵だと私も思うよ。
大人気の超名所がほんとにいいものといえるのかどうか・・
しばらく待っていれば一斉に次へ行っちゃうのでまた元の時間に戻る。


一番奥にあった巨大な檜

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夫婦桧と記された立札を見て、はじめは単純に2本が寄り添っているからそう呼ばれるんだなと思っていた。
案内板に言葉をぼかしたようなことが書いてある気がしたのでもう一度見上げてみると
あっ
もっと露骨な話なのであった。


https://www.youtube.com/watch?v=4fu3dqBKDxU&t=3076s
大規模な交響曲として完成するはずだったこの曲。
骨格を完成させ、来年の夏休みに肉付けをして完成へ近づけようと考えていた作者はしかし突然の感染症で亡くなってしまいました。
よく第1楽章のみ完成と書いてあったりするけれどそれは間違い。
一度仮に総譜に書いてみた・・みたいな途中段階がそのまま演奏できなくもないという状態なだけだ。
楽章によっては筋書きのメモみたいな段階でしかない部分も多い。
一見すると演奏不可能なそれはしかし無視できないほどの強いと魅力を放っているため、最低限の補筆を施し不完全ながら曲として演奏されることがある。
そこには妻の不貞を告発するという内容がかなり具体的に読み取れるほか、作曲時期にそうした事実があったことが伝えられてもいて・・・

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第1楽章、序奏が終わって主部歌いだし、
第1ヴァイオリンのかなり大きく上がって下がる音型に始まるとても印書的な第1主題

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すぐに第2ヴァイオリンが反行形で答える。
旋律の音高の並びが鏡のようにさかさまになったものを反行形といいます。
昔から作曲技法の基本の一つとしてあるもので珍しくもなんともないのではあるけれど、
聴き手としてはここに向き合う男女の姿を読み取るわけ・・

終曲最終場面のスケッチ。
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走り書きは
お前のために生き!
だったっけか・・

下の段は
アルムシ!
作者の嫁さんの名はアルマ。
さち子のことさっちゃんて呼ぶんだよみたいなのでしょ?
ここで重要なのは2案あるスケッチのどちらも最後のこのモチーフの上にアルムシ!と書いていること。
一時的な感情によって書かれた走り書きではなく冷静に狙って書いている。
曲中に現れるこの下降音型はお前を表しているんだよ!!
と強く訴えているわけ。
嫁さんは浮気ばっかりしていたようだけどツェムリンスキーに作曲を師事するような人で音楽的には非凡な人だ。
スコアを読む能力も一般人とは違ったと思う。
旦那はこれを嫁が読むことを念頭に置いて書いたかもしれない。
でもどうかなそれは凡人の一般的な考えだけどね、
作曲中ってそんな頭じゃないと思うんだよね。
嫁が見る見ないなんかどうでもいいの。
自分に向けてやってるはずだからこの時は。

まあしかし、音楽ってそんなにちっちゃいものじゃないと思うんだよね。
それはそれ、非常に大事だけどそこにばかりしがみついていなくていいと思う。
嫁に向けて書いたという側面は重要ではある反面、偉大な芸術家の行為のごく一部でしかないとも思う。
個人的な告白をはるかに超えるでっかい普遍的な人間の影と貫かれる愛みたいなものを聴いてもいいでしょう?


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檜のほか、でっかいすぎが何本も
これは本殿じゃなくて別な神様。

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そういえば富士山は女性の神様だという話を昔読んだ。
夫婦を見ると嫉妬して別れさせるとかなかったっけ?
うまくいってる夫婦を壊す神様がいたとしたらそれは神失格だろと思わないでもない。
私は嫁さんに逃げられたら終わりだと思う。
子供がいれば違うのかなと想像したりもするけれど、
自己否定感ばっかりの私には1人はつらくみじめだろうと思う。
この年齢になれば自動的に癌か何かを発症して最後へ加速していくかもしれない。


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これなんか3兄弟だ。
なんで俺が右端なんだよ・・とか
自分の生れついた場所に葛藤していたりするのかな?
のかな?

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すっごいよねこの根っこ。
おみくじを引いたら何をやっても駄目なようなことが書いてあって笑った。
大丈夫、そのつもりだから。
もう何年もそういうのしか出てこない。
待ち人というところに自分の子供を見たりしたけれどいつもこねーよと書いてあった。
でもあなたはもうだめで終わりですとは書いてなかったよ。
生きてりいればいつかいい日も来るでしょう。
頑張りましょう。

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酒蔵にて

甲府盆地にいいお店はないかとGoogleマップを見ていると気になるとこを発見。
酒蔵がやってるカフェらしい。
下戸な私には酒蔵とかビール工場とか縁がないわけなんだけれど、ランチくらい食えるだろう。
車で2時間くらい、昔は近くだと思っていたあたりも今ではそこそこ遠く感じる。
カーナビに導かれて角を曲がるとなんだか古くてただものではない感じの神社を正面に見る。
なんだこれすげーなとか思いながら更に曲がるとすぐそこに。

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杉玉というんですか・・
お酒ができたよって知らせる奴だっけ?
まあこの門構え見ただけでその辺の古民家カフェなんかぶっ飛んじゃうわけだけど・・
入っていいのかな的に門をくぐると

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築100年どころじゃないでしょう
時代劇みたいな建物・・でも2階にはガラスがはめられ飯を食ってる女性が見えたりして・・
ああやっぱりここでいいんだ。
引き戸を開け、おそるおそる入ってみると

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誰もいない。
カフェは2階へとかいてあるから
古くて重厚な感じの階段を上る。
何だか本当に時代劇っぽい。
平日の10時ごろに再放送でやっていそうな・・・

2階に上がればお客さんや店員さんがいるお店な空間があった。
お好きなところにどうぞ・・

テーブルもあったけれどやっぱり板の間に直接座る感じでしょう・・窓際・・・埋まってる‥
あっ目の前に空いてる席があった。
座ってみれば目の前は

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こんな感じ。
なんだこれ、最高だな。
久しぶりないいとこ来ちゃった感で盛り上がる。

BGMはボサノバみたいなの?
遠くてあまり聞こえない感じ・・それが実にちょうどいい感じ。こんなとこで場違いな音楽がでっかく聞こえたら台無しだし。

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これは皆帰っちゃった後だけど、何組かのお客さんが楽しそうにしていた。
でも、その声は遠く最近よくあったようなうるさくて飯がまずいみたいなこともない。
それより何だかいい感じでしょう。
電気的な冷房が入っていたけれど、古いこの建物は見た目的に涼しい。

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反対側にはテーブルも、その奥にはグランドピアノが・・
どうやってここへ上げたんだろう?
ここでもやっぱり時々演奏家を呼んでコンサートをやったりしているみたいだ。
私はまだ楽器な人アレルギーが治っていないので案内が見えても目をそらす。
むこうの若い人も静かに飯を食っていた。
食い終わってしばらくすると話が盛り上がるのか大きな笑い声が耳につくようになったけれど、
でも嫌な感じはなかった。
きっと自慢や悪口のない、楽しい会話をしていたんだろう。

レビューを見ると子供走らせてる親は何考えてんだとか、店員が気に入らないとかいうのも見かけたので、この日私は運がよかったのかもしれない。
以前行ったの近くのあるお店はかなりの人気店らしかったが、正直立地や建物の面白さに甘えて中身はなんだこれ?みたいな印象だった。
しかしたまたまそういう日に当たったのかもしれず、いいと思える日もあるのかもしれない。
受け手としての私の何かも毎日変動変質していると思う。
毎日いつでも同じ曲をいいと思うわけじゃない。
タイミングって結構大きな要素なんだろうなぁ・・
とてもいい場所でとてもいい時間が過ごせているという幸せ感が強くあった。



グスタフ・マーラーの実家も造り酒屋だったと思う。


https://www.youtube.com/watch?v=ogNMLtsdlvg

歌曲集「少年の魔法の角笛」から
この世の生活。
天国を描いた「天上の生活」という曲もあって、ついになっていると思う。
天上の生活は交響曲第4番に編入されている。

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この曲の歌詞は印象的というかものすごい。
お腹がすいたと訴える子供と
必死にパンを焼こうとする母親の様子が何度か描かれる。
やっとパンが焼けた時、
子供はすでに死んでいた・・・
みたいなの。

詩自体は別人によるものだけれど、この作曲家はこういう世界に強く心を引かれ続けたようだ。
19世紀の人だしマーラーも数多くの兄弟がいたはずだけれど、無事心身ともに健康な成人になれたのは妹と・・なんだっけ・・
誤解を恐れずに言えば19世紀、それはどこにでもあるありふれたことだった。
子供のころから目の前に見てきた子供の死という悲惨が心に深く刻み込まれていたんだろうと思う。
そしてその後、彼自身も我が子を失う事となる。

さらにこの曲は未完の交響曲第10番の第3楽章にはっきりと引用されている。
この曲は妻の不貞を告発しそして・・みたいな内容を持っているといわれており、その内容をかなり具体的にはっきりと読み取ることもできる。
第3者へ向けてその内容を分かりやすく提示するための工夫も随所にみられる。
この楽章からリヒャルト・シュトラウスのサロメの動機が引用され、仮にそれが妻ではないとしてもサロメ的な女性の存在を聴き手ははっきりと意識していく・・
しかし注意しなければいけないと思うのは深読みも一歩間違えると陳腐なわかったつもりごっこに陥ってしまう恐れがあるという事だ。
音楽というのははそんなに小さなものじゃない。
いつまで単一のストーリーを当てはめて涙するのはどうかと最近思う。

頼んだのは
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酒の粕漬と豚の角煮と粕汁とみたいなセット・・
おいしかったよ。
下戸な私は粕漬けとか粕汁も体が拒否して食えないことがある。
でもこれは全くそういうこともなく食えたしおいしかった。

実際食ってる最中の雰囲気は
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こんな感じ。
目にはいる景色が涼しいんですよね。
とてもいい気分。
板の間なんか座りなれないので足が痛くなってくる・・
隣で嫁さんもなんか言ってる。
見渡すと他にも足が崩壊している人がいて笑う。

デザートはお酒のゼリーかコーヒーか水ゼリーというのが選べるという。
捨て身の酒ゼリー・・はあり得ない。
誤解も解けないだろうけれど酒が弱いというのとは違うからね下戸って。

そして
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これが水ゼリー
なんとなくサイダーみたいな味がするのかと勝手に思っていたんだけれど、
すげーのほんとに水。
黒蜜がかかっていたけどゼリー自体は水の味だけ・・
お酒は水が命みたいなこと言うよねそういえば。
水が自慢だってことなのかな?
そうなんだろうな。

いい時間をもらえました。
ありがとう。
またいつか。

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つなぐもの


先日江ノ電沿いを散歩しました。

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この写真マニアじゃなきゃ何が言いたいかわからないと思うんですが、2つの車両がその間に置かれた一つの台車を共有しているんですね。
こういうのを連接台車といって小田急のロマンスカーとかフランスのTGVとか・・
そこそこ珍しいものなので撮った写真をぼーっと見ていて思いだした音楽がこちら・・・

マーラーの未完成に終わった交響曲第10番
完成はできませんでしたが無視できないほどの資料が残っていて、補筆されたものが演奏されることもあります。
補筆も色々で可能な限り第三者の解釈が入ってしまうことを避け、ステージにのせるために不可欠な最小限の補強を行なったクック版。
そのほか個人の主観でやりたい放題なものがいろいろあるみたいですが、クック版が好きというかこれしか聞いたことがありません。
どうせなら俺版が聴きたいけど、実現性がないだろう・・・
いろいろ不完全ではあるけれど聴けばこれが傑作になったのは間違いないと確信できるし、また聴かざるを得ない魅力を持っている。
マーラーの最終的な本意ではないなんてことは百も承知で聴くのであって・・もういいか。

嫁さんが浮気をしていることを題材にした交響曲ですが、音楽はそこから出発して普遍的な高みへ登ってしまっています。
いつまでも細かい実話的なものを意識しなくても音楽の本質を聴ける気がする最近は。

悪魔よ、俺にもっと狂気を見せろ!すべてを忘れさせろ!みたいなスケルツォの第4楽章と
いろんな苦しみと葛藤を経て、愛はすべてを超えて許し受け入れる・・みたいなフィナーレの第5楽章。


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4楽章の最後
ドイツ語なんか読めないですがちっちゃい文字は多分「完全にミュートされた大太鼓」
最後の音符に向けて書かれている。
悪魔との狂気のダンス・・悪魔の音楽が遠ざかっていくと心臓を一突きにするような重い衝撃音が・・

でっかい字の走り書きは「この意味を知っているのはお前だけだ!あぁ!あぁ!あぁ!」みたいな有名なもの。
この意味とは何をさしているのかというと曲の最後に打ち込まれるミュートしたバスドラ(大太鼓)のこと・・
お前とは・・もちろん嫁さんでしょう。
殉職した消防士の葬儀で追悼の空砲が鳴るのを2人で聴いた・・という話があるんです。
その話を公にしたのはまた嫁さんらしいけど。
でもそれはこの音色のアイディアをどこから得たかという話で今言ってるのはそのことじゃない。
私の心臓を突き刺すこの衝撃の意味をお前はわかっているだろう・・
(歳の差に悩みながらお前を愛してきた・・恐れた通り、若いのと・・)
みたいな意味でしょう。

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続くフィナーレの冒頭も同じバスドラの衝撃で始まるように書かれています。
この先この衝撃を何度も聴くことになる・・・

で問題となるのは、
楽譜の通り4楽章の最後に1発鳴らし、またすぐ5楽章初めで1発鳴らして音楽が始まっていくのか、
第4楽章の最後の一撃と第5楽章の最初の一撃は同じ一発が兼ねるのか・・
という問題。
残された資料を整理、補強してとりあえず演奏できるようにしたクック版のスコアは2つの音符があったと思う。
あの版は解釈というものを入れず書いてあるものをステージ上に提示するという資料だからそうなるのであって、クック氏が2回鳴らすべきだと考えていたかというとそれはまた別問題なんでしょう。
愛聴盤のシャイーとウイーン響のものは楽譜通り2回鳴ります。
普通に考えるとこれは共用で1発のほうが自然にも思える・・
クック版もその後の改訂で2度ではなく一度にした可能性に言及していたと思う。
共用1回という録音も沢山あると思う。

私は音楽的にここは一回の衝撃が両者を共用するのが自然だと感じます。
でも2回鳴ったからけしからん、なんていちいち思わない。
そんなんじゃないでしょうこれを聴くというのは・・

録音の中にはこのミュート大太鼓をとんでもない巨大音量で演奏している物があります。
まぁ、すべての発端となる耐え難い衝撃だからね・・積極的な解釈でいいと思う。
でも個人的には6番ででっかいハンマーを振り回して喜んでるのと同じく、過剰な演出無しでも十分な音楽なのに・・とかちょっと思ったりして。
楽譜、f ひとつだよね。そりゃffffよりも大きなfも当然あるけどね。
交響曲第1番のフィナーレで失恋砲をドカドカ打ち込んでいた若いマーラーとは違う、大人の愛の交響曲なんだからさこれ。

こういうと真っ赤になって「お前はなにもわかっていない!」みたいな親父はまだいっぱいいるんでしょうか。

ついでに、
クック版を聴いていると、この手前打楽器だけのワルツとなりティンパニが旋律を担当してとても面白い部分です。
スケッチにもPk(?)と書いてあってちゃんと作者がスケッチの段階からティンパニを想定していたことがわかる。



音源はあったけれどこの曲に関してはスマホとYoutubeじゃ聴けないとのではないかと思ったりしてます・・。

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この焼豚屋さん、道路沿いではなくて線路沿いにあります。
「今電車来るから店の中で待ってて・・」みたいな・・
今回も行こうかと思ったけど嫁がいい顔しないのでやめた。
世間の誰が何をどう考えていようがどうでもいいけれど、
嫁の意向は大事にしないと・・



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マーラーの交響曲10番は大まかに言って
孤高の自分
妻への愛
妻との愛
悪女としての妻
腐りそうな?自分
(すべてを受け入れたうえでの)妻への永遠の愛の告白。
みたいな内容なんだと思います。
リヒャルトシュトラウスの英雄の生涯や家庭交響曲のように実在した人物をリアルに意識して聴くこともできるでしょうけど・・
作者が最後に目指しただろう所は具体的な人名なんかいらない、もっと普遍的な感じで聴ける曲だと思うんだよなぁ・・・
フィナーレ第5楽章
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ミュートした大太鼓の衝撃に続いて、地の底から這い出るような旋律・・
大太鼓は13回鳴るんでしたっけ?
これが何を意味するのか知っているのはお前だけだ・・とかって書き込みがあるんでしたっけ?
ニューヨークで殉職した消防士の葬儀を見て・・とかいうエピソードもあるんですが・・
ぶっちゃけ、お前が浮気なんかするから俺は肉体にも心にも突き刺さるショックで死んじまいそうだよみたいな話でしょう?・・
えっ?ちがう?

実際、この後作者は死んでしまいます。でも感染症が原因なんであって精神的な苦悩が肉体を滅ぼしたとかじゃないんですよ・・
偉大な芸術家伝説としては前者にしといたほうがよさそうですけど・・
よく言われる伝説の心臓病でもないらしいですよ・・

作者の死後、この残された楽譜を持っていたのはその妻なんですが・・・
世界で最も立場が悪いはずのその人から調査補筆のために資料をもらって、演奏か出版の許可をもらうまで・・
ものすごい苦労・・・おだててご機嫌を取って・・よいしょの究極みたいなのでしょ・・があったんじゃないかと想像します。。
どっか不自然に切り取った形跡があったりするらしいですね・・
見られちゃまずい何かだろうと言われていますが、これだけさらけ出しておいてさらに都合が悪いって何なんでしょうね?

このどろっとした這い上がってくるものは楽器指定まで書かれていないのでクック版ではテューバで演奏されます。
6番見たいですかね・・他の楽器の可能性もあったんでしょう・・

無人の・・誰もいない荒野のような場所でホルンが同じ言葉を何度も繰り返していると・・フルートが同じ言葉で歌いだす・・
ここ、ぞくっとするんですよね演奏にもよりますけど・・・すごい場面だ・・・
このフルートソロは大注目の妻のアルマを歌っていると言われています。
妻を描いているんじゃなくて、妻を語っているかのような・・
ここまで悪女としての妻を告発することもずっとやってきているんですが、このフルートはおっさんの純粋な告白でしょう。
ホルンからフルートへの流れは鉛のようになってしまった心の中から柔らかくて濡れている純粋な愛の本音が見えた瞬間みたいじゃないですか?
いや・・もっというとそんなアルマだとかいうのを超えて・・これはすべての音楽の中で一番美しい音楽なんじゃないかくらいまで気持ちが行っちゃいますけどね聴いてる間は・・


オーケストレーションに手を付けてないのに何でフルートソロとか言ってんだという話ですが、
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簡易稿にHrとかFlと記述があります。鳥居みたいに見えるのFlでしょ?
ここは楽器のイメージと一体で作曲されているんですね。
この部分には特別な思いがあるわけですね。

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クックは弦の静かな伸ばしでフルートを支えます。
途中ハープがアルペジオいれたりします。マーラーはこんな感じで略記・・・ハープで間違いないと思いますし、聴いていてあの単音のアルペジオで間違いないような気もするんですが・・・
この書き方を見てると重音を考えていた可能性はないのかなぁなんて・・

その先の付点のリズムで下降する音型はアルマを示していると言われています。
昔本になっていたのでパクリみたいですが、曲の最終部分はこの音型を叫ぶようにして終わっていきます。

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そこにアルムシ!(アルマたん)と悲痛な感じで書き込みがあるんですね。
妻の名を強く叫んで静かに終わっていくんです。
これがただの思い付きや一時的な感情の高まりによる走り書きではない証拠として・・

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クック版に採用されることのなかった終結部の別プラン
調性が違いますが音楽は同じみたいですね。
ここにでも同じようにアルムシ!
思い付きの走り書きではなく、故意に記述していることは明らかです。
妻へ向けたメッセージなんでしょう。
お前のために生き!ってのもあるんでしたっけ・・

とはいえ、もしマーラーが急死せず、次の年の夏休みにこの仕事にとりかかたとき、清書スコアにはこれは書きこまなかったでしょう・・
この段階に書いてあるドロドロを、完成し独り歩きし始めた作品にまでに塗りたくる必要がるかどうか・・は、聴く人の勝手かぁ・・
この音楽のすごいところは、そういう具体的な何かを考えなくても十分感動できるものをこの段階で既に持っていることだと思いますね。
何度も言って大変申し訳ありませんが、創作の最初のきっかけとモチベーションは完成された作品と切り離しうる可能性も考えたい。
ちょっと何言ってるかわかんないっぽいけどこの曲、浮気騒動そのものである反面、そんなちんけな話じゃない人間と愛と何かそういう巨大テーマを表現する人類の記念碑的作品になりうる可能性を感じますでしょう?
えっ?
なんだかまた適当に書きなぐったみたいな話になってしまいましたが、このフルートソロが感動的過ぎて大好きですというお話でした。

別に期限も何もないので続けられる限り細かいところに注目して何か感じたら書いてみたいと思います。

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叫び?

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トーンクラスターといえば・・
マーラーの交響曲第10番の修羅場で・・
説明端折りすぎなのもあれですが、この曲、妻の浮気が作曲のきっかけだと言われています。
実際には浮気がばれる前から作曲し始めていたらしいですが、
別な音楽をあるテーマにいかにもそれらしく充てらるなんて言うことはよくあることです。
なんでお前が分かったようなこと言ってんだと言われちゃいますが・・

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第1楽章

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第5楽章

複雑で悲痛な不協和音の叫び・・・・その中からトランペットのAだけが突進する。
Aは妻のAlmaを指しているというのは誰も異論はないでしょう。
名場面なんていう言葉を当てていいかわからないですね。

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書いてみるとこんな感じでしょうか・・・ちょっとちがったりして・・
前衛でよく見る上から下まで真っ黒というのとは違うんですよね。
12音中何音だこれ・・なんだかすごい不協和音ではあるんですが、広い音域の中で
隣り合う音域では派手にぶつからないようになっているのかな・・
プロコフィエフなんかに出てくるあの攻撃的な不協和音とも違うんですよね。

この前の9番の第4楽章のクライマックスでもいくつかの和音が複合されて強烈な不協和音となっていました。
オーケストラで演奏されると暖かい協和音と激しい不協和音とその両方がこえるという・・・
すごいことになっていた・・
あれもそこをCesが切り裂いていた。

10番のこれも唐突にすごいものが出てきたのではなくてこれまでやってきたことのその先にあるという感じがしますよね。

しかしこの場面すごいですよね‥音楽としては・・
第1楽章では直後にヴァイオリンが叫びますが、もはや奇声ですよね・・

悲痛な思いが爆発している・・または
いやというほどいる多くの人間の中からお前だけを!・・みたいにも取れますが、
そんな単純なもんじゃないかな・・

これを境に音楽は柔らかく温かいものへ変化していくことも重要だと思います。
重要な覚悟も込められている的な・・

食い入るように聴いて、もう全身で聴いて感じて圧倒されて・・
で、なんですけど・・もう100年もたってるんだから・・・妙に具体的なアルマとグロウ何とかが浮気してたとかそれはこの曲を理解するうえで大変大事ではありますが、いつまでもそれ並べて分かったような顔してなくていいんじゃないかと思うんですよね。
それが事実で起源だったとしても、この音楽もそんなもん超越したところに行っちゃってると思うんですよね。

昔、若いころに女の子を取られちゃったかなんかで「俺は泣きながら畳をかきむしったことがある」とか嬉しそうに話しているおっさんがいましたが・・・
かなり年下の最愛の妻の不貞を知って・・これもそういう・・いやもっとギリシャ神話的にすごいことにでもしとけばいいんでしょうか?
でもさー、
こんなことを言ったらほんとにあほ見たいですが、
マーラーくらいの人だもん、
実は自分も各所にいい人いたとかだったら笑いますよね。
それとこれとは別だっていうんでしょ?
・・・まぁいいか、そういう話は別として、

この曲や前作では作者はものすごい悲劇の渦中にある人みたいになちゃってるけど・・
フロイトの診断を受けたとかもあるけど・・・
こんなすごい曲が出来ちゃってるけど・・・
自筆譜には悲痛な走り書きがされているとか・・
顔面蒼白で涙を流しながら差曲したようなイメージもあるんでしょうけど、
このアイディアを思いついたとき・・うれしくて笑いが止まらなかったはずだと私は思いますね。
素晴らしい作品を生み出すことができる・・

強い感情の動きが創作の原動力となり・・みたいな話は感動的なんですが、
一方でそれを題材としてそれとは独立した冷静な芸術家が新たな作品をものにしていくみたいな側面もあると思うんですよ。
そこを置いといて目先の知ってるネタばっかりを気にして聴くのはどうかと最近(私個人は)思うんですよね。


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にわとりのスケルツォ

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未完に終わってしまった交響曲第10番。その第2楽章はスケルツォですが、小節毎に拍子が変わるような結構複雑な音楽なんですね。
春祭も聞いたことあったんだっけ・・1913年だから間に合わなかたのか・・
こっちのが先ですね。
ドビュッシーの映像とかは指揮してたんですよね。
もう少しだけ生きられたら「春の祭典」指揮したかなぁ‥したんじゃないかなぁ・・・

複雑な変拍子で不安感をあおるとかなんとかって感じはしないかな・・
マーラーは交響曲第2番くらいから結構な変拍子を取り入れていますけど、彼の変拍子は聴いていてかえって心地よさにつながっていたりするみたいな印象があります。
変拍子って聞いてる分にはそういうものなんでしょうかね。演奏する方があれなだけで。
春祭も慣れてくると気持ちいいもんね。

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拍子、冒頭で指定できる音楽じゃありませんということで  /4とか書いてあって・・
上の方にあるのは3/4は3つに振って4/4は二つ振りみたいなことだそうで・・

冒頭のホルンに始まるこの主部の主要主題ですけど頭で鳴らすと鶏がモチーフなんじゃないかと思ったり。
そんなわけないんでしょうけどどね。
またあの装飾音符が鶏に聞こえてしょうがないんだよな・・

コケェーー!コッコッコッコッ コケェ!コッコッ コケー!コッコッコ・・・・

鳥とか虫とか、すごい音楽を歌ってることがありますよね・・
ツクツクボウシなんて・・序章というかアイドリングみたいなのから始まって・・主部。
ゆっくり初めてアッチェルランドしていく・・・ピークに達すると転換点みたいな動機を1回挟んで
その動機を頭に持った旋律を4回繰り返して伸ばし・・・・いい曲だよね?あれ誰が作曲したんだ?
うちの近所にいるやつは代々あの転換点の動機みたいなのを省略して歌うんだよね・・
持ってる楽譜の版が違うのね。

話は終結部分に飛んで・・・

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トランペットが繰り返す主要主題にホルンがトリオの旋律をのっけてきて・・・
トランペットがさっと消えると残ったホルンが・・・みたいな
うまいなぁ・・マーラーだな・・みたいな部分ですね。
略記でほとんど何も書いてない用にも見えますが、ちゃんと骨は書いてあるんでしょう・・
トロンボーンのやってるあれは書いてないのか・・

話題になるのは最後の締めの前、ホルンの伸ばしの上でシンバルが鳴るかならないか問題ですよね。
楽譜には書いてない。
でも、普通に考えてマーラーがここで何もしないとは思えない。
でも意表をついて、シンプルな音楽を模索していた可能性を否定しちゃいけないだろ
いやそんなわけないだろ
なんでそんなわけないと言えるんだ・・
答えなんかねーよまだ考えてないんだから・・
それじゃ話進まないだろ・・
なんで進めちゃうんだよ・・
知りたいんだよ・・
答えなんかねーよまだ考えてないんだから・・

スケッチがあったので該当箇所を探した
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ここそうかな・・
トロンボーンの旋律も、打楽器も・・書いてないな・・
三つの旋律が重なって・・みたいなコンセプトだけ確定していたんだな・・
終わった後にごちゃごちゃ何か書いてあるんだけど何だろう・・

クック版も最初は採用していなかったシンバルを第3稿で採用したんでしたっけ?
採用したというか判断は演奏者に任せてあって、可能性を提案してるということですよね・・
録音だとシンバルのあるもの、ないものがあります。
ないと物足りないですが、ないからけしからんという感じでもない。
むしろシンバルが鳴ると・・それはいいんだけどマーラーだったらもう少し何かしたんじゃない感が出てきますね私なんか・・・

昔のインバルの盤だったか伸ばしてるホルンがそこでアクセントをつけるというのがあった・・
あれはあんまりいいと思わない。

1番のスケルツォや5番のスケルツォの終わりが頭に浮かんだりもします。
でも絶えず変化進化していた作曲家の過去の作品をどうこう言うのも違う気がする・・
結局、永久にあれやこれや想像する楽しみを残してもらえた・・ということでしょうか。

あほなことを書きますが・・恐山に行ったことがあります。
恐山といえばイタコ・・・身内を呼んでもらいました。
いろいろ話してくれたけど、おばあちゃんの方言がきつすぎてほとんどなにを言っているのか理解できませんでした・・
わかったか?みたいに聞いてくるので適当に「あっはい」とかいっちゃって・・
「再来月、胃の調子が悪くなるから気を付けろ」みたいなことは言ってたような気がする。
マーラーを呼んで、あそこどうしあげたらいいでしょうか?と聴いても多分「風邪ひかないように、みんなと仲良くしなさい」とかしか言わないんだろうな。

あの世でマーラーは、創作途中のこの曲が演奏されていることをどう思っているんだろうか?
喜びも、やめてくれと怒ったりもしないで、ただ眼を閉じて聴いている気がする。


ラトルの演奏がありました。
第1スケルツォは25分ごろからです。
マーラーはYouTubeに入りきる音楽じゃない気もしますが、あるんだから聴いときましょうか。
昔はラジカセにイヤホンで聞いてたんだからなぁ・・

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2楽章のスケッチを見ていたらこんなのが出てきました。
焼けちゃってる・・何か焼けた金属製のものを乗せた?・・上の方の2本線みたいに焼けてるのはその物体の形状を写し取ってるんでしょう?
ポット?ランプ?
誰も知らないわけですが、100年前どこかでリアルな生活というか人の営みが確実にあったんですよね。
どんな生活してたのかな・・
明治40年くらいかな・・日本の田舎の明治40年を想像したってしょうがないんでしょうね・・

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同じページ、上から紙をあてがって復旧してありました。
右上のほうの ’ とか 文字の書き方とか、何気なく走り書きに見えるのも同じように書き直してるのを見ると、結構固まってるんだなと(当たり前か)思ったり・・
焼けた辺りは2回目のトリオ・・手前の音楽は今聴いてるのと違う・・


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スコアは鶏が鳴いてる向こうでホルン音型が(トランペットで)鳴って・・・トリオ突入・・

969.png
あったあった対応するスケッチ・・
これに変わってるんだ‥

Tag:マーラー交響曲第10番  Trackback:0 comment:2 

永久に手に入らないもの マーラー交響曲第10番

作曲者の突然の死によって完成されることのなかったマーラーの交響曲第10番
この曲もいろんな伝説がまとわりついてしまっていて、マーラーはあえて作曲を中断したのだ・・みたいなのをどこかで読んだ気もしまします。曲の内容的にそんな話になるのもわかる気もしますが・・
休み中にある程度書いて本業・・続きはまた来年というのはいつもの典型的なパターンだったんでしょう?
いつも通りの毎日と、自分のやりたい未来がこの先も普通にあるものだと信じていた・・・
連鎖球菌による亜急性細菌性心内膜炎・・だそうです。今だったら抗生物質の点滴で簡単に治る病気らしいけど・・病気にかからなければ9番や大地の歌をやって、その後ステージにこの曲ものっていたんじゃないのかな・・
何度か演奏されて・・改訂稿ができて・・・そのころにはもう第12番の清書も終わって・・

完成をさせることはできませんでしたが、
演出や言い回しの詳細が一部不確定でありながらも全体の筋書きと進行みたいなものが解る程度のスケッチが残されました。
一部は不完全ながらスコア化も始められていた。
それをもとに復元ではなくステージへ乗せるための最低限の補強を行った演奏会用バージョンというものがつくられています。

546.png

よくあるような死んだ作曲者の作風に似せて勝手に作っちゃった・・・みたいなものとは根本的にちがいます。
そんな説明を私がしなくたってみんな知っているわけですが・・

補筆の目的が作品の完成ではなくて、残されたものを音で提示するみたいな内容であり第三者による創作を可能な限り避けたため、不完全な部分も多くあります。
マーラーが好きな人であれば・・別に好きじゃなくても・・マーラーならこれで完成とするなんてことはないという事がよくわかっています・・
そこに違和感や反発を感じを批判的にとらえる人も多いでしょう。
一方で、この作曲家の最高傑作となりうるような可能性を秘めた何かを感じさせてくれる部分が多くあるのも事実です。
このバージョンをあえて聴こうという人たちはいろんなことを百も承知の上でそれでもこの曲を知りたい感じたいという人間なんだと思います。
そういう人たちには前途の批判は(笑)程度でしかないしょう。

私はこの曲も大好きです。それだけに前途の不完全さは気になるとういうか残念という思いもあります。
でも聞きたくてしょうがない・・常にここはこうあるべき・・こうするつもりだったんじゃないか・・などと想像し続けるわけですが、それは自分の勝手な創作なのであって実際にあるはずだった姿を聴くことはできない・・でも聴きたい・・・あー聴きたい・・
絶対に結ばれない相手に恋をしているみたいですね・・全然違うか・・

一般的な理解でこの曲は第1楽章のみ作者によって完成されている・・というのがあると思うんです.
それを作者による正式な作品として演奏や録音をする指揮者も多い・・・
私みたいなのが偉そうに言うのもおかしいですが、それは間違いですよね?
マーラー協会だっけ全集版とか言って出版されているあの楽譜はまだ完成に至っていないがとりあえず演奏はできるという段階のスコアによるものです。
これから埋められるはずだったのに手つかずのままの空欄部分(なければないで全休符を書くとか何かあるわけだから・・)も多い。
全集版の10番アダージョにはテューバがありません。それを完成形で作者の考えだと思っている人もいるのかもしれません。
クック版がテューバを追記していることに対する批判的な意見も見ましたが・・

537.png

自筆スコアの冒頭を見ると楽器指定としてTubaと記されていました。
時間があれば、埋めるつもりだったのでは思います。
本当にTubaを埋めたかどうかは誰にもわかりませんが、Tubaを使わない事にしたかどうかも誰にもわかりません。
どこかで見たマーラーはTubaを使っていないのに・・みたいな主張はちょっとちがうのかなぁと・・
538.png

ヴィオラによる無調的な孤高の序章を経て、第1主題部。
冒頭から今までのとはちがうな感があふれていますが、4小節目の第1ヴァイオリンは上の方に別案みたいなのが書いてあります。
耳にするのはこちらの方ですよね。
こういう、あの大作曲家も旋律を微修正しながら詰めていったんだな・・ていうのに私は萌えるんですよね・・
ここ、目を閉じ静かに語り始める・・・急に立ち上がり眼を大きく見開いて・・みたいな「えっ!?これただ事じゃないでしょ」感を見せつけられるというか・・・この曲尋常じゃないなと印象付けられる。すばらしいですよね・・

539.png
同じ部分の前段階、ショートスコアがあったので見てみますとまた違うことが書いてあります。
これ、実は今も生きていてこの先で再び第1主題が出てくるところで歌われる旋律じゃないですかね。。
冒頭からちょっといっちゃってたような人が今度は冷静に話し始める・・みたいな・・すばらしいよね・・・
最初はこの旋律が頭にあったんですね、その先のを見ていくと

545.png

今度は今の冒頭のように高い音域にメロディーが上がっていて・・
つまり最初の構想はその後のスコアと順番が逆だったんですね。
はじめ冷静に話していた人がだんだん興奮していく・・的な感じだった・・
それもいいですが、逆転させたことで衝撃的な開始ができた・・
ここに書いてある※Iとか※IIみたいなのが入れ替えるみたいなメモ書きなのかな?

第3楽章の中盤以降はこういうショートスコア、もしくはさらに前段階のものが残されているだけなので・・
完成した本当の曲の姿を知るためには「こうしたかもしれないな」という創作力が必要・・でもそれじゃ自分の勝手な創作じゃないか・・
みたいなジレンマがあるわけで・・

今できることは作曲中の過程を聴くしかないわけです・・作曲者はあの世でどう思っているんだろうか?
破棄してくれと言った・・とどこかで読んだ気もしますが、言ってるのは妻のアルマさんでしょ?あの人の証言はみんな怪しいので参考にするのは危険。そもそもこの曲は妻の不貞を告発するところから始まる音楽なんだから・・
完璧主義者の芸術家ですから、創造の途中段階であり、クオリティーの低いものを人前にさらしたくはなかったかもしれない。
半面この生まれかけの子供はかわいくて仕方がなかったはず・・日の目を見せてあげられないのは無念だっただろうなー

作者はやめてほしいと願ったかもしれない、いけないことと知りつつも、こんな曲見たり聞いたりしないわけにいかないですよね・・
もう100年たってるんだし。。リアルな臭いもしそうな人間ドラマ・・というよりもう神話でも読むみたいな気持ちで・・

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