やっぱり、成長期で決まってたのか

また突然持病系体調不良が始まったけれどたまたま仕事の都合上休みが入っていて助かった。そしてピアノのレッスン日。
落ち着いてきたので時間貸しのグランドピアノを2時間弾いて気持ちの上がったところでタリーズでアサイーヨーグルトが飲みたかったんだけどなぜか臨時休業。
出がけに自分の楽器を少し弾いて弾きたい気持ちが高まった状態で出発。あっこれ行ったら暗転パターンかもなと思ったり。
で、
行ったら先生来週と勘違いされていたようだった。
そういう事もあるよなと思うし出直した方がいいかなと思ったけど見てもらえることになりレッスン室に入って待ってると、ちょっと弾いててください
これがよかった

なんの関係もなく先週食べたキャラメルパフェ
いつもどうしても弾きはじめはあれなんでこうなっちゃうの?みたいなのが来る。
そこへ先生からそれ違いますと指摘が入るとガタガタになりこんなはずじゃないのにと思ったまま1時間というのもよくある。
この日もそんな感じで始まったけれどでもその場に先生はいないので自分をつかめるまで好きにやり直し押し通す。
先生に丸聞こえなのも意識してこんな感じに練習してきましたがどうですかくらいに押す感じで
同時に昼間弾いてきたグランドピアノとの鍵盤の違いにも驚く。
昼間のが深くてふにゃとしていたのに対しこちらは浅くて硬い。生半可だとなかなか反応してくれないけれどでもこっちの方が圧倒的に安定していて弾きやすい。
ピアノもいろいろで一つ弾いたくらいでこれがピアノかなんて思ってちゃいけないんだな。しかしあのピアノやっぱり調律調整がダメだったんだな自分の弾き方が悪いのもあるけど自分が悪い事にしすぎだった
あそこ安いけどダメだなでもまたいこ・・等々考えているところに先生が入ってきながら、今聴いていましたけれどとてもよくなりましたねレガートで・・その一言で今日が決まった。
やっぱメンタルだよね。でもメンタル安定させるためにはやっぱりまず実態的基礎が安定してないとダメだよね
満たされた幸福はpで始まることに注意して
で合格
次の大事なことは

ただのffとアクセント付きの音をどう引き分けるかを具体的に手、手首の動きで教えてもらう。
左手スタッカーットっぽく

最後音量を落として言ってもアクセントはちゃんとやる
どうすればいいかを具体的に
そしてトロイメライで
何度も言われてるんだけど、アウフタクトで始まるとき空の拍子をちゃんと意識して始めないと拍子感が乱れる
歌い方というか揺れ感みたいなのをやろうとしているのはわかるけれどテクニックが伴ってないと

最初の左手FからCAへの指使いと手の動かし方で、音色をどうコントロールするかを具体的に教えてもらえて
やってみたら出せなかった音色が自分の手から出てきたので感動する。
音色なんてはるか先かと思ってたけどそうじゃなくて魔法的な感覚じゃなく具体的にこうという事をやっていけばコントロールできるのね。
当たり前だろうけど先生は教えたところをつかんだかどうかをものごく見ていて、この人間これ教えてわかるなやってくるなと思えば新しいことを教えてくれるし、この人ここまでだと思えばいいですねと笑ってくれてそこで終わっちゃう。
そうなっちゃえば何年続けて何曲やってもそこまででしかない自分がずっとあるだけ
もちろんそれでいい人もいるんだけどそうじゃない人もいる。
気を付けていないと、先生のいいですねはものすごく怖いと思う。
もう今日は終わだなと思ったから

ここどうするもんなんですかなんて聞いてみる。

昼間調子に乗って撮った写真だけど同じように押さえたら、Dは2番で
ああ、ひらくから・・
でも左手の10度?は届かない。
ちょっと喋ってくれて、
指が伸びるというのはないけれど、先生小学生の頃にはもう音大が見えていたらしく風呂の中で指を開く練習というかなんかそういうのをやってたらしい。
成長期だからやればやっただけそういう手になるのか。
やっぱり、そういうのあるんだね。
それより私はブログをやって7年くらいか、自分やその一部でも写真をここに載せたことはなかったと思う。
今もみっともないからやめろという声が聞こえるんだけど
常に聞こえるその声潰してから死にたい
変な病気から脱して楽になりたい

年末に飲んだなんだっけこれカフェショコラかなんかそういうの。不愉快な店員にイラついてたら店員の鏡みたいな店員さんが来てくれて
今心によくない波が立っているとすればその震源地は来週レッスン翌日に予定される出来事。過去の経験から、その日を起点にまたとんでもないことが起こるんじゃないかと怯えている。
そこ具体的に書けばいいのに書けないのは本人にばれると大惨事になるという強迫観念があるから。多分そんなことありえないんだけどありえないようなことを真顔でやったことがあるので
そういうの抱えると関係ないところまで悪く考えるらしく今自分は職場で孤立しており誰も・・
今日キーマンの一人に話しかけてみると穏やかにいい話が出来、もう一人は向こうから笑顔で話しかけてきてくれていろいろと・・わかってるんだけど病的妄想なのは。
仕事本筋のほんとに抱えた問題は何とか回避の方向へ向かっているし少なくてもしばらくは仕事方面でふさぎ込む必要はないんでしょう?おかしいでしょう?と自分で自分に言ってみる。
だけど同じようなことが今までも何度もあって、震源がある限りまた変なことを考えたりしちゃうんだけど
先日ピアノのレッスンが終ってから先生と話してると連弾もできるしピアノ2台あるから2台ピアノでというのもできるし・・の他、ほかに何人かいるらしい大人の生徒の話・・ちゃんと練習を続けて少なくとも1年間は基礎をしっかりつけてというのが大前提の先に何があるかという話がいろいろあった。
それはまだ先のことだしあんまり考えないようにしようなんて思っていたけれど、
ある朝起きた瞬間から世の中敵だらけだなんて考えて腹も壊れてるしなんだこれはと思ったとき、そんなに嫌なことばっかり言ってないで何年後かにあるかもしれない楽しみについて考えそこを糧にして生きてもいいんじゃないかと思った。
https://www.youtube.com/watch?v=tcD4iiyFy78&t=120s
高校に入るとまず研修的に全員3日間くらいどこかへ泊まり込みでみたいなのがあってみんな仲良く・・というところで、一人病的に孤立してる自分を発見しこれはまずいなと思った思い出があって
あの3日間ずーっと頭の中でこれを弾いてる妄想をしてた。
そんなのはいいけど私この曲やたらに好き

シューマンが足鍵盤付きのペダルピアノという楽器のために作曲したエチュードをドビュッシーが2台のピアノ用に編曲したもの。
先生から2台ピアノもできるからと聞いたときこれ!と思ったけどまだそんなこと言わない。
ビゼーが連弾用に編曲した楽譜があるのも発見したけれど曲の趣旨がカノンだから

どうしても一人がベースと伴奏、もう一人が2つの主旋律になってしまう連弾より

それぞれが旋律を受け持てる2台ピアノ版のが圧倒的に面白いはずで・・・
ドビュッシーは若いころ超絶お金持ち夫人のお抱え音楽家をやってたから夫人が合わせて楽しめるように編曲したのか?単純に音楽家としてシューマンの作品に注目したのか・・
前にも書いたけどその夫人というのはチャイコフスキーのパトロンもやって音楽史上でかなり有名な人。
ドビュッシーはその娘に手を出しちゃってクビになったんだった気がする。
後半は余計だけどこんな話をここにじゃなく、リアルに誰かと話せる日は来るでしょうか?
ほんとにピアノで合わせられる日が来たり
きたら幸せですしこの世に生きた甲斐があるような。
そういう日がもしかしたら来るかもしれないなら、いろいろあっても耐えて頑張りましょう。
ちょっと楽しくなってきた

むかし、バイエルという言葉を頻繁に耳にしてピアノ習うとなんかそういうのやるんだろうなと思った。ちょうど音楽に興味を持ち付随してピアノというものにも憧れたところ、中二病っていうけどほんとに中二だったし自分は関われなかったそれがどうにも気に入らなかったような思い出が。
そして私は48歳になってバイエルの48、49番から始まりました。
ネット検索するともう今はすたれたとかバイエルなんてやってはダメですみたいな話がやたらに出てくる。
けどそんなの知った事じゃない、この人にと思った先生からこれと言われたんだから信じて一生懸命やらなくちゃ。

両手ともト音記号で右手は手の移動もないし指をくぐらすとかでもない。
ものすごく初歩的な世界なんだろうけど馬鹿にしてる場合じゃない。こんなの初見でと思ったけど読み間違えてプロコフィエフみたいな音が鳴っちゃったり違う指で始めてその後おかしくなったり。
力んじゃってるのでやたらに間違える。先日グランドピアノを弾かせてもらってわかったけれど電子ピアノだからいい加減でもなんかなってるように聴こえるのであってあそこへ行って弾いたらきっと・・
そう思いながらもやってると弾けてくるんだけど、ふと油断すると間違えたりある一音だけがやけにでっかい音で鳴っちゃったり・・
でも翌朝何気なく弾いてみると何にも考えないのにすっと弾けるようになっててえ?
前の楽器は、楽譜音符以前に音を安定して鳴らせるという段階を踏めないままだったので練習というものが出来たことが実はなかった。
レッスンに行けると思ったことも楽しいと思ったことも一度もないまま4年。
結構つらかったけどあなた楽器なんかやって幸せじゃない!私なんかこんなにかわいそうなのに!とか、私は吹けますよあなた馬鹿じゃないんですかみたいなコメントをもらいながら4年。
正直、ピアノなんて書いてると変なコメントが来る率はもっと上がるかなと思ってもいるけどそんな話は考えたってしょうがないから置いといて

ちゃんとし始めると周囲の別な曲も弾いてみたくなる。
初見でできたりするとあはっ・・っとか。
自分で弾いてる姿を自分で見ると小さい子みたいだし、聴いてると昔々子供の頃にどことは言わない周りからこんなのが聞こえて来ていたような気がする。
あの頃自分が音楽が好きかもわからなかったけれど、いや俺に縁があるわけがないと自分で言い聞かせていたけど本当は音楽に興味があって自分も弾いてみたいとピアノに憧れてたような気もする
屈折してぼこぼこになってつぶれて腐っている私に、いまからだから
ここからだから。

とりあえず古い電子ピアノで練習。まだそんなにガンガン弾かないのでそこそこのボリュームでやってればヘッドホンなんかしなくても近所に聞こえたりもしないと思う。
よかったこれずっと置いといて。
しばらく弾いてなかったので電子ピアノの周囲は荒れてる。
この部屋もーさんがいるときは寝床兼私がいない間日向ぼっこをしている部屋だったのでまだ部屋が生きてた。
けど最近は物置みたいになっちゃってて。
とりあえず時計の必要を感じちょうど記念品でもらった時計があったのでそばに置いた。
時間結構気になるから練習してると。
どのくらいやったかもそうだけど、嫁さんに呼ばれる時間とかも意識しとかないといろいろと・・
https://www.youtube.com/watch?v=7lihXS3GLw0
どうか今度こそ、私にこれを続けさせてください。
おねがい。

正直に言うと、また変になっちゃう可能性というのにも怯えていたりする。
一昨日だったかで出かけた先で何という事もないのにいきなり手をひねったような感覚が来て指を動かすと痛みが走るようになってしまった。
・・なんだピアノもやらせない気か?
なんなんだお前誰だよ?
と思ったけれどそれはしばらくしたら治ってくれた。
どうか、やらせて。
まだ危ない。
レッスンはまた悲惨だったけど質問したり気持ちだけでも食らいついてきた。
おかげでまた次につながる。
気持ちが楽になったような気がしてた。

レッスンの日はいつもカレー
楽器なんて言ってられるのも文句も嫌味も言わずにいてくれる嫁さんのおかげ。
これを自分で言うのはいいと思う。
以前何を勘違いしてるのか上から教えるように奥さんに良く感謝しなさいというコメントを送ってきた人がいて・・とそんなこと今ここに書く必要はない訳で、書いててまだ心がおかしいことに気づく。
この記事明るく終わるつもりだったんだけど。
大丈夫死にはしない
なんとかできるだろう。
あとは楽器やる。
https://www.youtube.com/watch?v=tcD4iiyFy78&t=120s
昨日の昼間頭の中で流れてた。
おかげでまた次につながる。
気持ちが楽になったような気がしてた。

レッスンの日はいつもカレー
楽器なんて言ってられるのも文句も嫌味も言わずにいてくれる嫁さんのおかげ。
これを自分で言うのはいいと思う。
以前何を勘違いしてるのか上から教えるように奥さんに良く感謝しなさいというコメントを送ってきた人がいて・・とそんなこと今ここに書く必要はない訳で、書いててまだ心がおかしいことに気づく。
この記事明るく終わるつもりだったんだけど。
大丈夫死にはしない
なんとかできるだろう。
あとは楽器やる。
https://www.youtube.com/watch?v=tcD4iiyFy78&t=120s
昨日の昼間頭の中で流れてた。
妻のストレスが溜まってきているかもしれない

嫁さんが病気になって一か月を超え、最近寝込む感じではなくなってきたかな。
とはいえ、聞くとまだいろいろあるらしい。
痛いとかって他人には見えないもんね。
なのに突然、週に一度通っている身体を動かす系のなんかに行くと言い出した。
やめとけみたいなのを一回言っちゃったところでいったん落ち着いて、
車で行くの?今運転できる?送っていこうか?などと言ってみるとその場は落ち着く。
当日、今日は行くの?と聞けば
うーん
行けないことは本人が一番わかっているんだと思う。
ずっと行きたいのに行けないもどかしさみたいなのに対して行くと言ってみなきゃやってられないというか
去年の今ごろは私が、退院したとはいえ腹の病気で動けなかった。

自分も今いろいろあってメンタル的に危うく、どっか行って昼を食べるというそれだけでもガス抜きになってくれている。
出かけようとすると嫁さんが自分も行くと言い出した。
いく?
うーん・・・明日行く。
多分その明日も行けないのはわかってる。
それはいいけど私が出かけようとするのを見てちょっとふさぎ込むような・・まあそうだよね。
飯食ってお茶飲んだら買い物してすぐに帰ってくるけどと思いながら出かけても、なんか自分は悪いことをしているというような罪悪感がしばらく続いたりする。
楽器は今日はロングトーンだけ。
ちゃんとした呼吸法をすてて口先で吹くインチキ奏法をもう先生は許してくれないので、
じゃないそれじゃこの先は多分ないのでまたそこからやり直し。
すぐに治るものでもなく、辛抱となんだ・・
https://www.youtube.com/watch?v=2bKWRDsC02o
最近音楽を聴こうという気持ちがなぜだか薄くなっちゃってて
10代の頃は一曲でも多くの曲を知りたく聴きたくうずうずしていて、機会があれば貪欲に耳が聞きに行きいろんな曲を知って感動したあの・・あれが懐かしいな。
そんなこと言ってないで自分で意識して奮い立たせないと今知ってる曲をちょこちょこ聞いてそれだけで一生が終わっちゃうかも。
それは、たいへんもったいなく残念なことかなとも思う。
音楽だけじゃなくて
今嫁さんがゆでたてがおいしいからと、畑のおばあちゃんにもらったスナックエンドウを持ってきてくれた。
スナックかスナップか時々迷ってたけど調べたらどっちでもいいらしい。
甘くてすごく美味いのね。
これだけでも生きてる意味はあるわけだけどね。
普通の料金だった

音楽家はみんなレッスンというものをすることになっているらしく、ベートーヴェンもブラームスもショパンもみんな人に教えてた。
作曲家としてのレッスンというのもあるだろうけどみんなまずピアニストだからピアノを。
そんなすごい名前を出さなくても演奏家はみんなレッスンやってるんでしょうね。
食ってくためというのがまずあるんでしょうけどやっぱりできる人というのは人に教えたくなったりそこに使命感を感じたりするものなの?
プロオケ主席の人もレッスンを随時受け付けてる。
すごい人だからプロとか音大志望の人しか受け付けないのかと思うとどうもそうではなくて真剣にやりたいんだったら近所の親父だっていいらしく実際そんな人がいるようなことを書いてた。
レッスン料も明示されていて、そんなすごい人だからやっぱり‥ということは全然なく、知ってる相場そのままの金額だった。
もう一人の元プロは相場より安いような・・
といって、私はこんななのでレッスンを受けに行こうなんて微塵も考えないけれど。
いつかそんなレッスンに一度でいいから行こうとか本気で思える時が来たらすごいけど
帰って楽器練習。
今日はまた寒かった。
さすがにもう割れることもないだろうと思いながら。
昨日呼んだことを頭に
口から出た息は直径1センチくらいのまっすぐな棒になる・・
ほんとはその息の簿は長く伸びて楽器を超え床まで届く感じなんだろうけど、私のは楽器に入って3センチくらいのところで止まってるというか消息不明というか・・
でもそんなことを意識しただけで昨日とは全然違う感じ・・音も口の安定感も・・たまにアッこれじゃないという音色が聞こえたり
でもそれは偶然そうなっただけでまだ狙えてない。
とはいえ口のこのあたりの筋肉をこちら側にひくように・・とかいう説明よりずっとわかりやすいわ。
明日もまた練習しようと思いながら終われたし、この先もしかしたらという気がしないでもない。

アーモンドのケーキ
昔入っていいのか悪いのかわかんない梅園を歩いてたら農家の親父がやってきて、怒られるのかと思ったらそれはアーモンドの花だぞ
今ごろだっけ?
その後そこは観光地化して行きづらくなってしまったけど。
https://www.youtube.com/watch?v=7U9l0PUv3lQ
花のようなこの曲、昔どうしても全然好きになれなかった
あれももう30年以上前で
しみじみいいなぁこれと思うようになったのは40過ぎてからというかたった今。
真っ白い紙コップみたいになりたい
腹の病人なのでヨーグルトで検索したら野辺山の農畜産物直売所がでてきた。
昔来たことがあって牛乳かヨーグルトの工場を見学したなぁ・・飲食禁止!車の中での表示がすごいけれどもともとそのつもりで

ソフト&ヨーグルトというのを食べました。
味気ない真っ白な紙コップが逆に味で勝負してますって感じでいいかな。
渡しながら、下にヨーグルトが沈んでいますから混ぜて食べてくださいと教えてくれる。
なのに別々に食べちゃった。
あなたがうまくいかないのは、人の話をちゃんと聞いてちゃんとやらないからです。
そうですね。
でもおいしかったよ。
今度来たときは混ぜて食べてみよう。そんなにしょっちゅう来るところじゃないか。
広大な畑地の真ん中で楽器を吹いてやったくらい言えるようになりたいかな。木製の楽器は外で吹くと割れる問題があるけど樹脂のやつを持ってきて・・多分私そういうことする人じゃないけど。

雪が残ってたり
ここにかつてこのあたりを毎週通過した理由を書いたんだけど結局自虐になってしまうので消しました。
そんなのだったら内容がない方がましか。
雪か紙コップみたいに真っ白い心になりたい。なにいってんだかわかんないけど。
白いと言えば白い日じゃないか。
去年忘れて一日遅れになっちゃったから今年はちゃんと・・
https://www.youtube.com/watch?v=VELPD6FVylA
何の関係もないけど
シューマンの謝肉祭と言えばピアノ音楽の代表というか聴かないなんておかしいでしょうくらいに有名な曲で、音楽を聴き始めたころにはよく知ってたのになぜか30年くらいあんまり聴かず・・今頃聴いたりして

この曲も楽譜を見るといろいろ面白い系ですね。
聴いててあっ?いまのなに?と楽譜が見たくなる個所もあれば、楽譜を見てるとこれどうを聞かせてくれるのか聴いてみたくて仕方ない箇所があったり、スフィンクスに至っては見なけりゃ聴こえないままだったり。
自分で弾けたら一番いいと思うけどそうじゃない人にも楽しみをくれてありがとう。
突拍子もないことを言うようだけどマーラーは若いころにシューマンを結構弾いたんじゃないかなと思う箇所がたくさんあった。
上の楽譜はペダルを使って轟音の中から突然全然違う響きが現れる・・みたいなのだけど交響曲第7番のフィナーレでそれをオケでやったらどうなるかみたいな箇所があるのを思い出す。
7連符をみてたら交響曲第3番の・・
あの人シューマンの交響曲を編曲したり第1交響曲にはシューマンのライン交響曲のオマージュみたいなの出てきたりシューマンが好きだったと思う。
楽器
新しいリード10本の慣らしをしていて、鳴らないリードを少しでも吹くと異常に疲れたり口の形が崩れたりしだすことに気づいた。
気付いたってそんなの4年も前から言われてることだけど、でもいつもそれは自分がちゃんとしてないからだ何とかしようと・・
鳴らないリードを何とか鳴らそうとして吹くのはやめようと思う。
今少なくとも4本がだめっぽい。
硬いものは削ると鳴りそうだけど柔らかすぎるのはもうどうにもならないかなこれ。
もうひと箱開けたリードは今のところ10本中2本くらいしか調子のいいがないけどやっぱり俺がおかしいのかな。
いまある樹脂製のリードは楽に鳴りすぎて変になる気がするので番手の一つ大きい奴を注文した。
リードもなんだかわかんないけど違う銘柄のを注文しちゃって
それもいいけどあるやつでまじめに練習しよう。
まだ口が出来てなくてリードに合わせて変えたりしてる。
これじゃあいけないと思う。
なんというかまだ練習と言える段階に達してないのかな。
来週いや今週か、レッスン。
おちついて。
変なこと考えださないように。
昔来たことがあって牛乳かヨーグルトの工場を見学したなぁ・・飲食禁止!車の中での表示がすごいけれどもともとそのつもりで

ソフト&ヨーグルトというのを食べました。
味気ない真っ白な紙コップが逆に味で勝負してますって感じでいいかな。
渡しながら、下にヨーグルトが沈んでいますから混ぜて食べてくださいと教えてくれる。
なのに別々に食べちゃった。
あなたがうまくいかないのは、人の話をちゃんと聞いてちゃんとやらないからです。
そうですね。
でもおいしかったよ。
今度来たときは混ぜて食べてみよう。そんなにしょっちゅう来るところじゃないか。
広大な畑地の真ん中で楽器を吹いてやったくらい言えるようになりたいかな。木製の楽器は外で吹くと割れる問題があるけど樹脂のやつを持ってきて・・多分私そういうことする人じゃないけど。

雪が残ってたり
ここにかつてこのあたりを毎週通過した理由を書いたんだけど結局自虐になってしまうので消しました。
そんなのだったら内容がない方がましか。
雪か紙コップみたいに真っ白い心になりたい。なにいってんだかわかんないけど。
白いと言えば白い日じゃないか。
去年忘れて一日遅れになっちゃったから今年はちゃんと・・
https://www.youtube.com/watch?v=VELPD6FVylA
何の関係もないけど
シューマンの謝肉祭と言えばピアノ音楽の代表というか聴かないなんておかしいでしょうくらいに有名な曲で、音楽を聴き始めたころにはよく知ってたのになぜか30年くらいあんまり聴かず・・今頃聴いたりして

この曲も楽譜を見るといろいろ面白い系ですね。
聴いててあっ?いまのなに?と楽譜が見たくなる個所もあれば、楽譜を見てるとこれどうを聞かせてくれるのか聴いてみたくて仕方ない箇所があったり、スフィンクスに至っては見なけりゃ聴こえないままだったり。
自分で弾けたら一番いいと思うけどそうじゃない人にも楽しみをくれてありがとう。
突拍子もないことを言うようだけどマーラーは若いころにシューマンを結構弾いたんじゃないかなと思う箇所がたくさんあった。
上の楽譜はペダルを使って轟音の中から突然全然違う響きが現れる・・みたいなのだけど交響曲第7番のフィナーレでそれをオケでやったらどうなるかみたいな箇所があるのを思い出す。
7連符をみてたら交響曲第3番の・・
あの人シューマンの交響曲を編曲したり第1交響曲にはシューマンのライン交響曲のオマージュみたいなの出てきたりシューマンが好きだったと思う。
楽器
新しいリード10本の慣らしをしていて、鳴らないリードを少しでも吹くと異常に疲れたり口の形が崩れたりしだすことに気づいた。
気付いたってそんなの4年も前から言われてることだけど、でもいつもそれは自分がちゃんとしてないからだ何とかしようと・・
鳴らないリードを何とか鳴らそうとして吹くのはやめようと思う。
今少なくとも4本がだめっぽい。
硬いものは削ると鳴りそうだけど柔らかすぎるのはもうどうにもならないかなこれ。
もうひと箱開けたリードは今のところ10本中2本くらいしか調子のいいがないけどやっぱり俺がおかしいのかな。
いまある樹脂製のリードは楽に鳴りすぎて変になる気がするので番手の一つ大きい奴を注文した。
リードもなんだかわかんないけど違う銘柄のを注文しちゃって
それもいいけどあるやつでまじめに練習しよう。
まだ口が出来てなくてリードに合わせて変えたりしてる。
これじゃあいけないと思う。
なんというかまだ練習と言える段階に達してないのかな。
来週いや今週か、レッスン。
おちついて。
変なこと考えださないように。
そもそも努力の意味を間違えてるとどれだけやっても意味がない

これは嫁さんと夫婦になって数日後くらい。北の果て。
レッスンだという日、会社から帰ってきてもうあまり時間もない。
ちょっと音出しをしてみて感じたことは封印。準備ができ、
というところで嫁さんがケーキを焼いたらしく出してきた。
この前々日がある記念日だったこととからんでるんだろう時間がないとか気持ち焦ってるとか言っちゃいけない。
ゆっくり座っていただけば、それは当然おいしかった。
はいいけどレッスンは予感通り最近練習中に生じていたレッスン中にこうなっちゃったらどうしようというのがそのまま展開。
あたりまえか。
先生から、吹いてないなの一言。
いや練習はしてるつもりなん・・そんなことを言っても仕方がないので何か言ってみるとロングトーンをしなさいという答えが返ってくる。
いつも言われるしどこにでも必ず書いてあるそれ・・
先生はあんまりなんか言うと私がまためちゃくちゃになって戻らないのを知っていて言葉を選んでいるのを感じつつ、最後に基本的にはいまのそれでいいんですよみたいなフォローをいただいて帰ってきた。
帰り道、前回、前々回のレッスンと変わってしまった理由を考えていたら吹いてないなの意味が分かる。
私はロングトーンだけやってなくちゃいけないと自分でここに書いたばかりなのに、いつの間にか練習曲を練習をしようとしてた。
昔、別な楽器の時にも練習のほとんどはロングトーンで曲なんかおしまいの5分くらいでいいと言われてたし、やたらにロングトーンをやって合奏練習に行ったらどうしたんですか別人みたいですよなんて言われたこともあった。
今年の最初にあった展開もこれで説明がつくし、初めて気づくことでは全然ないはずだと思うと・・
いいからまたロングトーンとタンギングだけ2週間やります。

皆様ご指摘の通り、おっさんは記念日というものを忘れがち。
今回自分がどうだったかは内緒。
オシドリ夫婦といえばシューマンで・・以下おんなじ事を何度も書いた気がするけれど
シューマンの嫁さんは大作曲家の妻というのにとどまらず当時世界で5本の指に入るとかいうスーパーピアニストだっただけでなく、芸術家としても演奏家の枠にとどまっているような人じゃなかったらしい。
シューマンを訪ねてきた若い作曲家が人生釘付けになっちゃうような人だったわけだし、家電も何もない時代に日々お母さんもやってたわけで
https://www.youtube.com/watch?v=7U9l0PUv3lQ
この曲はそんな嫁さんへのプレゼントなわけだけど、超絶技巧系とかそういう事じゃなくあの髭の濃そうなおっさん特有のロマンティックをさらに煮詰めてバラの香りを・・そんなことより、
歴史に残る絵にかいたようなおしどり夫婦も日々リアルな生活があったわけで破滅の危機が訪れたりしなかったんだろうか?
それも、
ねーなんでこれここに置いてあるの?
じゃまならおまえがどければいいだろ!
なにいってんの!
みたいなくだらないきっかけから関係ない不満を洗いざらいぶちまけちゃうもんだから・・みたいなの。
きっかけは違うけどこれ書いてる最中自分にもこれ罠かなというのが来てた。
でも大丈夫。しくじりませんでした。
いいことだけあったわけでは全然ないし、始まってすぐからピンチは多々訪れてれてた。多分お互いに。
落ち着いて、
本当に大事なことは何かを考えて
気持ちを切り替えて
また楽しく生きていけるように
がんばりましょう。
もっと軽くさらっとした感じになりたいなぁ
笑う門には福来るとかその逆とか、それほんとにそうだよなと実感したこともあるんだけど
忘れちゃうんですよね。
きっと笑っていた方がいいんですけど。

外は雨。
この日少し気温が下がったのとある方のブログにあった写真をみて
そうだあれ野菜だけ食べたい人にも都合がいいなと

しゃぶしゃぶ。
ご飯代わりの豆腐だけど調子に乗ってとりすぎだったかな。
足りないかなと思いつつ頼んだ最安価な肉3皿限定というのでも十分。
いろいろ用意されてるつけダレは濃い味で口が馬鹿になるのでなしで。
鍋の出汁だけで十分美味しいよ。

嫁さんが持ってきたラーメンを少しもらうと普段はあまり気にならない麺に練りこまれた大量の塩に気づいたり。
オプションの北海道昆布とホタテの豆乳だしは嫁さんに好評だった。
他にほうれん草のお浸しをたくさんと生野菜。
病気して以降食べ過ぎると腹に刺すような痛みが来るんだけれどそれがこないからいいかと思ってた。
後で腹じゃなく腰に来たりして。

どこにでも同じようなのがあるんだろうけど巨大ショッピングモールの一角。
人があんまりいないのは都合で平日休みにきたのと遅めの時間だから。
あちこち貼られた麵大盛無料とかご飯大盛無料の文字に大変なのかもなと思いつつ炭水化物低減製作中なので乗っかれないなとか。
この後嫁さんとおしゃれ雑貨屋とか座ってなんか飲みながら読んでてもいいのかもしれないおしゃれ本屋とかをゆっくり見て回る。
雑貨屋を見てるとこんなものが合うような部屋に自分も・・何十年も前からそう思ってるのに今全然そうなってない。
今これはまだ仮でなんて思ってる間に10年とかたっちゃってそのうち終わっちゃうなこれじゃ。
でもそうじゃなくて今からでもやりたいことがあるならそうすればいいんだよな。自分でリフォームしてる人とか楽しそうだし。
部屋の照明器具でも変えてみようか・・
https://www.youtube.com/watch?v=8Omr2WuWhSU
これという演奏がみつけられなかったけれど
普段聴くのはドビュッシーが2台のピアノ用に編曲したものだけど初めて聞いたのはオルガンの演奏だった。
シューマンがペダルピアノのために書いたこの曲の思い出を書いたりしていたけれどくだらないことを書かないという気持ちになったのでやめ。

感傷的な旋律は同度のカノンとなっていて、うやむやになってごまかしそうな旋律のおしまいのところや装飾的に唐突に表れように聞こえるものもよく聞けば正確に2度繰り返してるところがまたなんかすごいね。
今日も楽器練習した。
やっとここまで来れたかといういい状態が10分くらいしか続かずばててくるのと、すごく初歩的なのにやりなれない楽譜に当たると途端に絶対動いちゃいけない口元関係がめちゃくちゃになるという。
全然ダメではないけれどでも全然ダメな感じ。
練習しましょう。
だけど一回壊れたらもう訳が分からずに度と戻らないまま半年・・とかだったんだからずっと。
なんとか、少しでも進めるよう
それから断頭台に登るような気持ちでレッスンに行くのもやめにしたい。
気持ちの切り替えって難しいけど。

久しぶりに食品サンプルに見入る。
大阪のどこだっけ、こんなのを売ってたな。
何の意味も目的地もなく大阪あたりに行きたいとずっと思っているけれど
忘れちゃうんですよね。
きっと笑っていた方がいいんですけど。

外は雨。
この日少し気温が下がったのとある方のブログにあった写真をみて
そうだあれ野菜だけ食べたい人にも都合がいいなと

しゃぶしゃぶ。
ご飯代わりの豆腐だけど調子に乗ってとりすぎだったかな。
足りないかなと思いつつ頼んだ最安価な肉3皿限定というのでも十分。
いろいろ用意されてるつけダレは濃い味で口が馬鹿になるのでなしで。
鍋の出汁だけで十分美味しいよ。

嫁さんが持ってきたラーメンを少しもらうと普段はあまり気にならない麺に練りこまれた大量の塩に気づいたり。
オプションの北海道昆布とホタテの豆乳だしは嫁さんに好評だった。
他にほうれん草のお浸しをたくさんと生野菜。
病気して以降食べ過ぎると腹に刺すような痛みが来るんだけれどそれがこないからいいかと思ってた。
後で腹じゃなく腰に来たりして。

どこにでも同じようなのがあるんだろうけど巨大ショッピングモールの一角。
人があんまりいないのは都合で平日休みにきたのと遅めの時間だから。
あちこち貼られた麵大盛無料とかご飯大盛無料の文字に大変なのかもなと思いつつ炭水化物低減製作中なので乗っかれないなとか。
この後嫁さんとおしゃれ雑貨屋とか座ってなんか飲みながら読んでてもいいのかもしれないおしゃれ本屋とかをゆっくり見て回る。
雑貨屋を見てるとこんなものが合うような部屋に自分も・・何十年も前からそう思ってるのに今全然そうなってない。
今これはまだ仮でなんて思ってる間に10年とかたっちゃってそのうち終わっちゃうなこれじゃ。
でもそうじゃなくて今からでもやりたいことがあるならそうすればいいんだよな。自分でリフォームしてる人とか楽しそうだし。
部屋の照明器具でも変えてみようか・・
https://www.youtube.com/watch?v=8Omr2WuWhSU
これという演奏がみつけられなかったけれど
普段聴くのはドビュッシーが2台のピアノ用に編曲したものだけど初めて聞いたのはオルガンの演奏だった。
シューマンがペダルピアノのために書いたこの曲の思い出を書いたりしていたけれどくだらないことを書かないという気持ちになったのでやめ。

感傷的な旋律は同度のカノンとなっていて、うやむやになってごまかしそうな旋律のおしまいのところや装飾的に唐突に表れように聞こえるものもよく聞けば正確に2度繰り返してるところがまたなんかすごいね。
今日も楽器練習した。
やっとここまで来れたかといういい状態が10分くらいしか続かずばててくるのと、すごく初歩的なのにやりなれない楽譜に当たると途端に絶対動いちゃいけない口元関係がめちゃくちゃになるという。
全然ダメではないけれどでも全然ダメな感じ。
練習しましょう。
だけど一回壊れたらもう訳が分からずに度と戻らないまま半年・・とかだったんだからずっと。
なんとか、少しでも進めるよう
それから断頭台に登るような気持ちでレッスンに行くのもやめにしたい。
気持ちの切り替えって難しいけど。

久しぶりに食品サンプルに見入る。
大阪のどこだっけ、こんなのを売ってたな。
何の意味も目的地もなく大阪あたりに行きたいとずっと思っているけれど
何か有意義なことったって・・
この時期強烈な朝日を浴びて目が覚めるけどいいことなのかもしれない。
休日は窓から差し込む強い日差しが何か有意義なことをして過ごさなくちゃならないんじゃないの?と自分をせかす気がする。
それもいいことなのかもしれないけれど変なもん抱えているときは気を付けないと病的思考がエスカレートして危ない。

奥の白い箱の中にCD千枚くらいを取り込んだものが入っていて・・昔、
夏季休暇に入り急に時間ができたところであるべきものがない自分に生きてる意味が?とかいうのが始まっちゃったことがあった。旅行にでも行けば気が晴れるのだろうけどそうもいかない状況で。
それで何も考えず無心で大量のCDをリッピングし続け・・馬鹿じゃないってなもんでしょうけどそれで危機から逃れることができた。
おかげでできたものは私にはとって宝であるのと、あんなことはもう2度とやりたくないので失うわけにはいかない。
HDDというのは勝手に壊れていくものなので2台をパラレルに動かし片方が壊れても新しいのに差し替えれば自動的に復元するようにしてあり・・

壊れて外されたHDDがたまってきたので処分はどうすんだっけ?と調べると最近は市役所がレアメタル採取のためとか言って回収箱を置いてるようだ。
病気から体も回復してきたし外も晴れたし何かしたい。
じゃあこれもってこうか。
せっかくだから車じゃなくて自転車で行ってみようよ。

自転車も何か月ぶりか
途中結構な坂があるけれど力んで腹を破ってもしょうがないので遠回りをして緩やかに登る。
心惹かれるような景色に出会うこともなく、いや目に入るものがいろいろと昔を思い出させるけど他人様の前に出せる内容は見つからずのんびり走って市役所到着。
案内の人が丁寧に教えてくれた回収ポストにありがとうとか言いながらHDDを入れてお別れ。

役所のそばを流れるこの川は江戸時代のころに掘られた用水。ちょっとした公園が整備されていて、まだ保育園でもない感じの小さな子を連れた若いお母さんみたいなのをあっちでもこっちでも見かける。若い夫婦でというのも。
もう昔のことになるのか、自分にはないのかもしれないと気づいてからもがいたけれどもう遅かった。
その後今できることをやろうなんてどっかへ出て行ってみたりした結果病的に全然なんにもできない自分を思い知らされ。
そこから再スタートしたものがまだ始まってんだか何だかわからないというところ。
それが私なのはわかるけれど、まだ何にも始められない子供みたいな精神の入れ物は極度の老眼とか終わりも視野に入り始めておりちょっと混乱中。
なんだそりゃ。
https://www.youtube.com/watch?v=tcD4iiyFy78&t=341s
これはシューマンが足鍵盤付きピアノのために書いた曲をドビュッシーが2台のピアノ用に編曲したもので・・演奏、ちょっと急ぎすぎかなとも思うけど。
曲のおしまいのあたりに明らかに楽譜上の誤記と思われるような音があるんだけどそこを常識的な音に直して弾くかあくまで譜面厳守かというのがあると思う。ちゃんと確認せず書いてて別な曲と勘違いしてるかもしれない。
久しぶりに乗った自転車の調子が悪いので見てもらおうと買った自転車屋へ行ってみるとシャッター。
あれ定休日今日じゃないはず・・と帰りに寄ってもあいてない。
ついに再開発にのまれて閉店?
それはさみしいな

田舎だけどこの路線の開通は結構早く明治22年。
あの跨線橋自体は昭和30年ごろのものらしいけれど、

構造材に転用されたレールを見ると
1925年の刻印。大正14年か日本製かな。音楽的にはラヴェルとか・・
ホームの屋根を支える古レールには1980年ぐらいイギリス製の刻印があるらしいけど昔毎日使ったあの駅も考えてみればもう10年くらい入ってないな。子供のころは鉄道マニアだったけれど田舎は電車じゃ不便で・・
自転車屋さんはその後もシャッターあかず。
嫁さんの自転車を直してもらったばっかりだけどなぁ・・もうやらないのかなぁ・・
仕方がないので自分でチェーンオイルを買ってきて

真っ赤になっちゃってたチェーンに塗った。
試運転のためちょっと走ってみれば気持ちがよく、
また遠くまで・・
日の光に当たってちょっと動くだけでだいぶ違う。
何なら玄関をほうきで掃くとかそんなんでもいいみたいだ。
何かしたことにしないと腐って終わってしまう。
調べたら自転車屋は12時開店でまだ開いてないというだけだった。
休日は窓から差し込む強い日差しが何か有意義なことをして過ごさなくちゃならないんじゃないの?と自分をせかす気がする。
それもいいことなのかもしれないけれど変なもん抱えているときは気を付けないと病的思考がエスカレートして危ない。

奥の白い箱の中にCD千枚くらいを取り込んだものが入っていて・・昔、
夏季休暇に入り急に時間ができたところであるべきものがない自分に生きてる意味が?とかいうのが始まっちゃったことがあった。旅行にでも行けば気が晴れるのだろうけどそうもいかない状況で。
それで何も考えず無心で大量のCDをリッピングし続け・・馬鹿じゃないってなもんでしょうけどそれで危機から逃れることができた。
おかげでできたものは私にはとって宝であるのと、あんなことはもう2度とやりたくないので失うわけにはいかない。
HDDというのは勝手に壊れていくものなので2台をパラレルに動かし片方が壊れても新しいのに差し替えれば自動的に復元するようにしてあり・・

壊れて外されたHDDがたまってきたので処分はどうすんだっけ?と調べると最近は市役所がレアメタル採取のためとか言って回収箱を置いてるようだ。
病気から体も回復してきたし外も晴れたし何かしたい。
じゃあこれもってこうか。
せっかくだから車じゃなくて自転車で行ってみようよ。

自転車も何か月ぶりか
途中結構な坂があるけれど力んで腹を破ってもしょうがないので遠回りをして緩やかに登る。
心惹かれるような景色に出会うこともなく、いや目に入るものがいろいろと昔を思い出させるけど他人様の前に出せる内容は見つからずのんびり走って市役所到着。
案内の人が丁寧に教えてくれた回収ポストにありがとうとか言いながらHDDを入れてお別れ。

役所のそばを流れるこの川は江戸時代のころに掘られた用水。ちょっとした公園が整備されていて、まだ保育園でもない感じの小さな子を連れた若いお母さんみたいなのをあっちでもこっちでも見かける。若い夫婦でというのも。
もう昔のことになるのか、自分にはないのかもしれないと気づいてからもがいたけれどもう遅かった。
その後今できることをやろうなんてどっかへ出て行ってみたりした結果病的に全然なんにもできない自分を思い知らされ。
そこから再スタートしたものがまだ始まってんだか何だかわからないというところ。
それが私なのはわかるけれど、まだ何にも始められない子供みたいな精神の入れ物は極度の老眼とか終わりも視野に入り始めておりちょっと混乱中。
なんだそりゃ。
https://www.youtube.com/watch?v=tcD4iiyFy78&t=341s
これはシューマンが足鍵盤付きピアノのために書いた曲をドビュッシーが2台のピアノ用に編曲したもので・・演奏、ちょっと急ぎすぎかなとも思うけど。
曲のおしまいのあたりに明らかに楽譜上の誤記と思われるような音があるんだけどそこを常識的な音に直して弾くかあくまで譜面厳守かというのがあると思う。ちゃんと確認せず書いてて別な曲と勘違いしてるかもしれない。
久しぶりに乗った自転車の調子が悪いので見てもらおうと買った自転車屋へ行ってみるとシャッター。
あれ定休日今日じゃないはず・・と帰りに寄ってもあいてない。
ついに再開発にのまれて閉店?
それはさみしいな

田舎だけどこの路線の開通は結構早く明治22年。
あの跨線橋自体は昭和30年ごろのものらしいけれど、

構造材に転用されたレールを見ると
1925年の刻印。大正14年か日本製かな。音楽的にはラヴェルとか・・
ホームの屋根を支える古レールには1980年ぐらいイギリス製の刻印があるらしいけど昔毎日使ったあの駅も考えてみればもう10年くらい入ってないな。子供のころは鉄道マニアだったけれど田舎は電車じゃ不便で・・
自転車屋さんはその後もシャッターあかず。
嫁さんの自転車を直してもらったばっかりだけどなぁ・・もうやらないのかなぁ・・
仕方がないので自分でチェーンオイルを買ってきて

真っ赤になっちゃってたチェーンに塗った。
試運転のためちょっと走ってみれば気持ちがよく、
また遠くまで・・
日の光に当たってちょっと動くだけでだいぶ違う。
何なら玄関をほうきで掃くとかそんなんでもいいみたいだ。
何かしたことにしないと腐って終わってしまう。
調べたら自転車屋は12時開店でまだ開いてないというだけだった。
突然びっくりするほど明るくなる。

長雨の後、見慣れた景色がやけにきれいに見えた日。
ある人からもらって捨てられずにいた本を捨てた。
捨てれば何かが変わるかと言えばなんにも変わりは・・
というような話を書いてる途中で楽器のレッスンに行ってきた。
どんな内容であろうとこの次かその次でレッスンの話は書こうと思ってたけど頭の中がレッスンであったことでいっぱいになっちゃったのでここに
音出しと見せかけ練習して得たものを見てもらうべく吹いてみると
うん、いいですよから始まって最終的には
かなり練習したでしょう?今回は
そろそろ本格的なエチュードをやっても・・次回持ってきましょうか。
超絶微速で進めばいいやスタンスでやってるところ急にワープしたみたいな話で何だこりゃ的に沸き立つ。
そうなったのはなんとなくの偶然じゃなく実際ほんとに練習していろいろつかめてきたこと、リードのいい悪いが急に分かるようになりダメリードで自分を壊すことをやめられたこと、削って調整していたら偶然生まれた超絶高性能リードで勝負に出たこと・・
もうひとつ、前回先生にマウスピースが一ついかれちゃったんですがと言ってみたところ、いろんなマウスピースをもってきてくれて合うものがあるか吹いてみてくださいという事でやってみる。
ほんのちょっとの差なんだろうけど感覚的にはものすごく吹きやすく・・勘違いでもなんでもよしいける!と思えればほんとに行けちゃうから・・いやこれ勘違いじゃないだろう。
すごく楽に息が入ると今まで苦しかったり難儀してたりとかそんなの嘘みたいに消えて音楽のことを考えながら吹けるのね。
いい音が鳴ってますよという先生が嬉しそうなのが自分も嬉しい。
どうやってもどうにもならず自分のどこがおかしいのかわからなかった音程が高くなっちゃう件についても、
音程も完璧です。
どうしちゃったのこれ?
仕掛けでこんなに変わるのならもっと早く知りたかったは考えるの禁止。
https://www.youtube.com/watch?v=y1hiChMn5e0
幸せいっぱい という曲。
シューマンの子供の情景は何曲かが変奏曲ではないけどそれ的に連なることで一つの作品をなしていて、これだけ抜き出して聴くもんじゃないんだけど。
じっくり吹いて自分に合ったものを選んでくださいとマウスピースをいくつか貸していただけた。
大事さに急に気づいて注文してあったリードと養生用のケースも届いた。
この先の夢なんかもうどっかいっちゃってて今やめずにがんばれるかどうかが勝負みたいな世界だったけどまたこの先やりたいことなりたい自分がちょっと頭によぎったりして。
あんまり調子に乗るとまた落っこちるけどね。
今日くらいはいいじゃない。

あの見えてる景色の中に中学高校のころ見たりいたりしたいろんな場所が・・
楽しく明るく思い出せるものは一つもない。
はちょっと言い過ぎか。
真っ黒く塗りつぶされ異臭を放つ記憶・・もういいか。
それよりいまも読めばすぐわかるようものなのに楽器名じゃなく楽器のレッスンなんてかいたりしてるでしょ?
素直に楽器の名前を書くというそれだけのことが出来ないという病気みたいな頭が素直な頭になるところを目指す。
そんなに遠くないんじゃないかと思えると少し気分が明るい。
この気持ちをどうしても記録しときたいと思って書きかけの記事に乱入。
一晩明けるとまたいろんなことを考えるようになる。
だけどさっき借りたマウスピースと複数のリードを吹いてみた結果、
押さえる所を押さえれば急に来たこの行けるかも感は幻に終わらないはずだと思えた。

この日強い日差しがすごくあたると暑かった。
あの木陰、

嫁さんが来ないと思ったらずっとあそこにいたようだ。
風が吹き抜けるてとても気持ちがいいのねここ。
向こうに見える

あの景色を・・眺めて・・
風が富士山にあたって雲を作り
出来たくもが海の上まで流れて・・
ものすごくゆっくりだから止まってるように見えるけど。
ここに家を建てて、でっかい窓から一日ぼーっと眺めていられたら・・
家はなんでか外の景色を眺めるような窓がない。
そんな窓があって、外の景色を毎日眺めていたら違う人生があったかななんて訳の分かんないことを思うことがある。

家に帰って、嫁さんがスーパーで買ってきた大福を食った。
食いながら窓を開けてみると、壮大な景色は見えないけど山の稜線と青空くらいは見えた。
最初の写真に写っているあの山は物心ついたころから毎日見ており、小さな自分の知っている世界の西の端に立ちはだかる大きな壁だった。
10代後半で廃人みたいになりかけつつなんとか学校は出て、入った会社では洗脳状態のようになって夜逃げをし・・のあとここへ戻ってきた時あの山にどうしても登ってみたくなりいろんなルートから何度か登ってみた。
山の向こうに寝てると思ってた星はいなかったし、人生観を変えるような発見も体験もなかったのはさみしいけど当たり前か、あんな低い山だけど鎖場や薄皮一枚のような絶壁の上を歩く場所を見たのは衝撃的であった。
毎年死人が出ていたようだし今そこは立ち入り禁止とされたらしい。
考えは気分に支配されているけれどそれも諸刃の上を歩くというか何もないのにどちらかへ大きく傾き落ちてしまったりする。
あんなに寒かった日の翌日がこの明るく晴れて暑かった日なのだけど、ここを書いている今また外は冷たい雨でとても寒い。
明るいときにその勢いで書き留めたものを忘れても消えないようここにそのまま残しておこうと思う。
遠い国で

これは先週、涼しくなったなんて思ったけど歩いてみればまだ暑いじゃない。
ずっと風邪をひいてないけどひきそうだという感じが続いているので今週は長袖を着て出勤した。
昼間は暑く職場の全員がまだ半袖。
子供の頃みんなの中で自分一人だけ違うという状況にさらされることにおびえ、そうならないよう祈るような気持もむなしく・・みたいなのが私の人格形成の一端だと思うけれど生き延びて歳を食うとずうずうしくなって何だ文句があるかみたいになれるのね。
馬鹿にするでもいぶかしがるでもなく暑くないですか?と聞いてきた人がいて、素直に風邪気味でと答えればいいのに間違えたと思ってるよと返事をしたことについて自虐癖がでちゃったってことか?なんて考えてる。
いや、いま風邪気味だなんて言うと起こりうるある事を踏まえ頭が瞬時に判断した結果だから自虐だとか言わなくていいよ。
そしてこれ書いてる今すごく寒い。
以前は毎日のように来ていたここに来たのはかなり久しぶり。
犬が老け込んじゃってあんまり歩かなくなっちゃったから。
あそこきれいだなぁなんて思って近づいてみれば

なんで曇っちゃってんのこれ。
犬がとか言ってるけど多分自分も変形性膝関節症というやつじゃないか。
ほんとに何でもない段差と呼べないような段差に足を引っかけて転びそうになった・・こんな話をつい最近も聴いたけれど70過ぎたような人が自分の異変に気づいて口にするような話じゃないのか・・
いままだ46です。
子供がとかないと自分の年齢の経過というか今自分がどのあたりにいるのか感じる目盛みたいなものがないのかもしれない。
楽器、投げ出しちゃったりせず長く付き合いたいと思う。
遅くても曲がっててもいいから自分の中に積み重なっていくものを一つ持ってれば・・とここに書いたときはできなかったことが出来る兆候があって明るかった。
次の日やってるうちに崩れてスランプ傾向が見えたところで時間切れになりこの一文を消そうとしたりして・・なにやってんだ。おちついて。

でも犬がニコニコ歩いてくれたから。
昼飯でも・・
近年やたらに見かけるつぶれた店跡に入居するインド人のカレー屋、あれもバックに巨大あっせん組織がいたりするのかな?
正確にはインド人じゃなく別な国の人かもしれない。
どうも嫁さんがああいうのが好きみたいで何軒か行ってみたけどみんな同じななようで各店で微妙にメニューとかシステムが違うのね。
とてもいい印象だった近所の店は日本人のおばちゃんが接客するようになったあたりから人も料理も著しくクオリティーダウンしてしまい同時に他所で素敵なお店をたくさんし知っちゃうと・・

初めて行ってみたここでチーズナンセットというのを頼んでみた。
選べるカレーは日替わりというのを選択してこの日はエビなんとかマサラだっけ
これチーズたっぷりのナンがすごくおいしかった。
カレーを目立たない脇役に追いやっちゃってて‥はちょっと失礼か。
量もものすごくてナンとご飯はお替りし放題ってそんなに食えませんよこれ。

なんどもおかわりどうですか?と聞きに来てくれる。
嫁さんの食べきれないナンを持って帰りたいと言ったら厨房で丁寧に包んでくれた。
インドの人?分らないけどこんな遠くの国に来てたどたどしいけど日本語で複雑な会話も十分こなして・・
がんばってるなぁ・・と思ったりして。
仕事でインドに行った人にカーストってどうなのと聞くといろいろ教えてはくれたけどそもそも聞いちゃいけなかったのかもしれない。
取引先のでっかい会社に行くと昼休みなんかにインド人がたくさん目に入るけれど彼らはソフトウエア系に優れた能力を発揮しとかなんとか・・インド人でくくってるけど彼らは階級的にかなり恵まれた人達なんじゃないかと思う。

小学校に入って国語の教科書の一番最初のページは確か文字のない見開きの絵で気を引き付けておいてページをめくると文字のある世界へ導入・・
そこは海、砂浜。
カニが出てきて
あのふねはあめりかにいくんだよ・・
アメリカだったっけ
それがどうしたってなもんだけど。
海の向こうには、知らない国があるのね。
仕事で一度数日行ってみただけ。
全然知らない遠い国に実際住んで生活してみれば人生変わるだろう・・当たり前か。
誰とも付き合えませんとか言ってるのはどこ行っても一緒かな?
殺されちゃうかな。
https://www.youtube.com/watch?v=InA4womSarQ
見知らぬ国と人々について
ちょっと速いかなと思ったけど後に続くものがあると思えばこれでいいのかな
なんでこんなにやさしいんだろう?
仕事で中国人の通訳と話す機会があるけれどよくもめる。
いったん止めて、ベースにあるものが違うからどうしてもかみ合わないけどお互い真剣に正しい方向をめざしてはいるんだよななんて言ってみると自分もそう感じているとそこだけ意見を共有できた。私が中国語を喋れず日本語で合わせてもらっている時点で負けかもしれない。勝ち負けじゃないか、いや勝ち負けか。
自分と違うものを間違いだと批判し愚弄して悦に入る人は多・・どうでもいいやそれは。
自分と違うものに驚き興味を持ち楽しめるような人になれたら世界は果てしなく楽しく見えるのかもな。
いろんな国へいってそこにいる人と他愛のない話をしてみたかった。
なんでもう終わってるんだってなもんだけどこの人間性でこの先劇的な展開があるとは考えにくいだろう。
その前に同じ国の人とも話ができないけどな。
今外は雨。
鹿が鳴いてる。
仮に勘違いでも自信があったほうがよかったのか
また、夢を見た。
夢が自分は深層で何を欲しているのかを教えてくれる。
あ、そっちか。
一歩進んだりしてたよ、夢の中では。

お寺の藤がきれい。後ろではちょうど正午の鐘が突かれてた。
真昼間だし花にも勢いがあって諸行無常感はあんまりない。
犬と散歩しているとお母さんが小さな女の子と川遊びをしてい・・あれなんだあの子か。
あのお母さん、幼いころ昼間は向かいの家に預けられていて幼馴染みたいなもんだ。ちょうど今連れてるあの小さな女の子にそっくりだった。
女の子だし年齢差があるためか成長したその後の彼女については全く記憶もないしみんな忘れてた。
数年前まちがえて突入した社会人吹奏楽団には中核メンバーとして場を仕切り存在感を出している女性がいて、そのちょっとかわった名前に聞き覚えがあるような気がしてた。
それがあの子と同一人物なんじゃないかと考えるまで、それから実際に確かめようと話しかけてみるまでには結構な時間がかかった。
どんな楽器を選ぶかは性格を表してもいると思うけれど記憶にあるあのおとなしい女の子と勝気な楽器と人間性全然結びつかなくて・・・いいその後があったのね。
彼女のお腹が大きくなり始めているのに気づいたとき、自分たちはちょうど不妊治療を諦めた頃。
それでじゃないけどその吹奏楽団は非常にみっともない形で逃げたのでもう誰にも顔を合わせたくないし、合わせられないと思っている。
彼女も私に気付いたがそのままやりすごそうとするそぶりを確認、そのまま素通りすればよかったのだけどなぜか
大きくなったね。
お母さんにそっくりじゃない
なんて話しかけてみる。
笑顔で常識的な応答が返ってきたけれど知らない人と話しているかのような印象がないでもない。
覚えてる?なんて問えば笑顔で家の方角を指さすのだけどこのやり取りはちょっとおかしい。あの時久しぶりだねってな会話はしているんだから・・何十年ぶりにあったわけじゃない。
笑顔の向こうに終わりにしたい気持ちが透けた気がしてそこで終了。
他人の反応を勝手に悪い方へ読み替える病的なフィルタを持っているので、感じたこれらは真実とは違うかもしれない。
そう信じて事を起こせは逆にもっとひどい方だったこともあるけど。
別に何を感じたというわけでもない。
何となく心に残ったからこんなところに書いている。

人のいないここでまた。
短い時間でも日の光に当たり風に吹かれ緑が目に入ると違うよね。
考えようによってはこんなとこで飯なんて最高の贅沢みたいだ。
普段から人と喋んないようなのはせめて日の光に当たるとかしないと鬱病かなんかになっちまうのではないか?
そんなのはいいとして久しぶりなマックの脂に体がやられてしまいこれ以降2日くらい調子が悪かった。

交通量はあってほとんど物流。
厳しいところ支えてくれてありがとう。
夜中に訳の分からないところに激痛が走り目が覚める。
なにこれ?胃が痛いってこうだっけ?
寝てると痛いので起きてみるとやっぱり痛い・・いろんな格好でいてーとやってると犬が起きだしてくる。
以前同じことがあったのを思い出す。かかりつけの医者に問うとそれは筋肉痛だと言われた。
やぶ医者だろ・・・あそこ・・
とか考えつつ犬に見守られているうちにスッと痛みが消えて睡魔に引き込まれていくのを感じた。
痛かったあたりが楽になることに幸せを得たような気持ちで・・・・
多分幸運にもふとんの上で死ねる場合、最後はこんな感じだと思う。
あれほど痛みにのたうち回っていた人がもう大丈夫だよなんて言ったりする。
2日くらい前から誰もいない部屋の隅に向かって手を振ったりしていた。
私の時にはこの犬が来てくれると思ってる。
まだ死にたくないし別に死んだわけではなかったので朝になると目が覚めた。
生きていられるなら音楽聴かないと。
https://www.youtube.com/watch?v=M3kmE250i2A
シューマンの交響曲第4番は4番目に書かれたんじゃなく出版が3番より後になったから・・出版社も刷って売れるかどうか命がけで判断していたわけでしょう、売れそうなものから世に出てくから。
ロマン派もいろいろだけどシューマンは超絶ロマンティック作曲家だ。
私はこの曲に一人の青年の姿を感じるのね。
主調がニ短調で、いかにも文学的な暗く重い人生とは運命とは・・みたいな序奏で始まり、なんか一生懸命闘ってますみたいな主部に入る。
だけど展開部に入ると急に明るい日が差してきて悟りを開いたというか

神の啓示でも受けたかのような大騒ぎポジティブが下りて爆発すんのね。
それから明るく軽やかに走り出して頑張りますの再現部は省略されたまま俺はやれるぜ!っと調子よく終わる。
のに、次の楽章は冒頭から

へし折れちゃって腐ってて笑う。
私にはどうしてもこのチェロとオーボエのユニゾンがかび臭い四畳半のちゃぶ台の上に伏せてるように聴こえちゃって。
すかさず冒頭の運命とは人生とはの序奏が出てきてこの男うまくいかなくて腐ってんだなと教えてくれる。
すると今度はせせらぎの音、柔らかな風が小さな花を揺らし明るくやわらかな日差しに包まれるトリオがきて・・

腐ってた人はここでまた息を吹き返す。
でまた頑張るか!ってなスケルツォが始まるとまたあの小川とお花たちが・・でも今度はフルートなんかが濃く乗っかってなんだか花の香りがするのね・・濃い花の香・・この野郎、女ができやがったな。
もちろんシューマンはそんなこと言ってないけれど、音楽を聴くって色々だからね。
スケルツォもH名の香りに包まれて終わるとフィナーレへのブリッジは日本の夜明けぜよみたいな壮大な何かがやってきそうな音楽で・・でもやってくるのは冒頭から調子よく明るく騒いでる感じ。
そのまま走って最後は浮かれて踊っちゃって…そのまま圧倒的な勝利で終結。
この曲、素直に聴けば苦悩を乗り越え明るい勝利へ・・なんだけど、先日聴きながら思ったのは
この男はなんか英雄的な人間というより、ちょっとおちょうし者の勘違い馬鹿というかドンキホーテ的な人じゃないの?
みたいなこと。
若いときにはそういうのが必要なのかもね。
嘘でも間違いでもいいから・・最初から、始まる前からお前には無理だからどいてろを真に受けちゃって何にもしないまま・・毎回そんなこと書かなくていいか。
たださ、年齢とともに己を知るという事も必要でそ・・
いいから。
この記事もともとは全然違う話で他人への攻撃を書き殴る所から始まったものだった。
でもいろいろ書き足してくうちにそんなくだらないものをここに置いときたくなくなり消した。
嫌なものはうまくかわして、できるだけ頑張ってみるしかないだろう。
また来年ここへきてあーいいなーとか思っていられるように。
夢が自分は深層で何を欲しているのかを教えてくれる。
あ、そっちか。
一歩進んだりしてたよ、夢の中では。

お寺の藤がきれい。後ろではちょうど正午の鐘が突かれてた。
真昼間だし花にも勢いがあって諸行無常感はあんまりない。
犬と散歩しているとお母さんが小さな女の子と川遊びをしてい・・あれなんだあの子か。
あのお母さん、幼いころ昼間は向かいの家に預けられていて幼馴染みたいなもんだ。ちょうど今連れてるあの小さな女の子にそっくりだった。
女の子だし年齢差があるためか成長したその後の彼女については全く記憶もないしみんな忘れてた。
数年前まちがえて突入した社会人吹奏楽団には中核メンバーとして場を仕切り存在感を出している女性がいて、そのちょっとかわった名前に聞き覚えがあるような気がしてた。
それがあの子と同一人物なんじゃないかと考えるまで、それから実際に確かめようと話しかけてみるまでには結構な時間がかかった。
どんな楽器を選ぶかは性格を表してもいると思うけれど記憶にあるあのおとなしい女の子と勝気な楽器と人間性全然結びつかなくて・・・いいその後があったのね。
彼女のお腹が大きくなり始めているのに気づいたとき、自分たちはちょうど不妊治療を諦めた頃。
それでじゃないけどその吹奏楽団は非常にみっともない形で逃げたのでもう誰にも顔を合わせたくないし、合わせられないと思っている。
彼女も私に気付いたがそのままやりすごそうとするそぶりを確認、そのまま素通りすればよかったのだけどなぜか
大きくなったね。
お母さんにそっくりじゃない
なんて話しかけてみる。
笑顔で常識的な応答が返ってきたけれど知らない人と話しているかのような印象がないでもない。
覚えてる?なんて問えば笑顔で家の方角を指さすのだけどこのやり取りはちょっとおかしい。あの時久しぶりだねってな会話はしているんだから・・何十年ぶりにあったわけじゃない。
笑顔の向こうに終わりにしたい気持ちが透けた気がしてそこで終了。
他人の反応を勝手に悪い方へ読み替える病的なフィルタを持っているので、感じたこれらは真実とは違うかもしれない。
そう信じて事を起こせは逆にもっとひどい方だったこともあるけど。
別に何を感じたというわけでもない。
何となく心に残ったからこんなところに書いている。

人のいないここでまた。
短い時間でも日の光に当たり風に吹かれ緑が目に入ると違うよね。
考えようによってはこんなとこで飯なんて最高の贅沢みたいだ。
普段から人と喋んないようなのはせめて日の光に当たるとかしないと鬱病かなんかになっちまうのではないか?
そんなのはいいとして久しぶりなマックの脂に体がやられてしまいこれ以降2日くらい調子が悪かった。

交通量はあってほとんど物流。
厳しいところ支えてくれてありがとう。
夜中に訳の分からないところに激痛が走り目が覚める。
なにこれ?胃が痛いってこうだっけ?
寝てると痛いので起きてみるとやっぱり痛い・・いろんな格好でいてーとやってると犬が起きだしてくる。
以前同じことがあったのを思い出す。かかりつけの医者に問うとそれは筋肉痛だと言われた。
やぶ医者だろ・・・あそこ・・
とか考えつつ犬に見守られているうちにスッと痛みが消えて睡魔に引き込まれていくのを感じた。
痛かったあたりが楽になることに幸せを得たような気持ちで・・・・
多分幸運にもふとんの上で死ねる場合、最後はこんな感じだと思う。
あれほど痛みにのたうち回っていた人がもう大丈夫だよなんて言ったりする。
2日くらい前から誰もいない部屋の隅に向かって手を振ったりしていた。
私の時にはこの犬が来てくれると思ってる。
まだ死にたくないし別に死んだわけではなかったので朝になると目が覚めた。
生きていられるなら音楽聴かないと。
https://www.youtube.com/watch?v=M3kmE250i2A
シューマンの交響曲第4番は4番目に書かれたんじゃなく出版が3番より後になったから・・出版社も刷って売れるかどうか命がけで判断していたわけでしょう、売れそうなものから世に出てくから。
ロマン派もいろいろだけどシューマンは超絶ロマンティック作曲家だ。
私はこの曲に一人の青年の姿を感じるのね。
主調がニ短調で、いかにも文学的な暗く重い人生とは運命とは・・みたいな序奏で始まり、なんか一生懸命闘ってますみたいな主部に入る。
だけど展開部に入ると急に明るい日が差してきて悟りを開いたというか

神の啓示でも受けたかのような大騒ぎポジティブが下りて爆発すんのね。
それから明るく軽やかに走り出して頑張りますの再現部は省略されたまま俺はやれるぜ!っと調子よく終わる。
のに、次の楽章は冒頭から

へし折れちゃって腐ってて笑う。
私にはどうしてもこのチェロとオーボエのユニゾンがかび臭い四畳半のちゃぶ台の上に伏せてるように聴こえちゃって。
すかさず冒頭の運命とは人生とはの序奏が出てきてこの男うまくいかなくて腐ってんだなと教えてくれる。
すると今度はせせらぎの音、柔らかな風が小さな花を揺らし明るくやわらかな日差しに包まれるトリオがきて・・

腐ってた人はここでまた息を吹き返す。
でまた頑張るか!ってなスケルツォが始まるとまたあの小川とお花たちが・・でも今度はフルートなんかが濃く乗っかってなんだか花の香りがするのね・・濃い花の香・・この野郎、女ができやがったな。
もちろんシューマンはそんなこと言ってないけれど、音楽を聴くって色々だからね。
スケルツォもH名の香りに包まれて終わるとフィナーレへのブリッジは日本の夜明けぜよみたいな壮大な何かがやってきそうな音楽で・・でもやってくるのは冒頭から調子よく明るく騒いでる感じ。
そのまま走って最後は浮かれて踊っちゃって…そのまま圧倒的な勝利で終結。
この曲、素直に聴けば苦悩を乗り越え明るい勝利へ・・なんだけど、先日聴きながら思ったのは
この男はなんか英雄的な人間というより、ちょっとおちょうし者の勘違い馬鹿というかドンキホーテ的な人じゃないの?
みたいなこと。
若いときにはそういうのが必要なのかもね。
嘘でも間違いでもいいから・・最初から、始まる前からお前には無理だからどいてろを真に受けちゃって何にもしないまま・・毎回そんなこと書かなくていいか。
たださ、年齢とともに己を知るという事も必要でそ・・
いいから。
この記事もともとは全然違う話で他人への攻撃を書き殴る所から始まったものだった。
でもいろいろ書き足してくうちにそんなくだらないものをここに置いときたくなくなり消した。
嫌なものはうまくかわして、できるだけ頑張ってみるしかないだろう。
また来年ここへきてあーいいなーとか思っていられるように。
さくらといえば

犬の散歩の途中、ふと振り返ると春の日差しで見慣れた景色がとてもきれいに見えた。
足元にはタンポポがいっぱい。
台風のあと護岸の下はえぐられ、農業用水路の取水口付近が無数のでっかい岩で埋まっちゃったてた川は重機が入って綺麗になった。もうすぐ田植えだもんね。
美しい世界をみてると今人類が接する危機なんて嘘みたいだけど。
もともと人混みが嫌いで毎年人がいないけど桜のある場所を見つけ行ってたけど今年はそこへ行こうという気にもならないな。

途中見かけた桜を眺める。
鳥が花をつついてるはずだけどどこだかわかんないな。
さくらといえば・・
もう20年かもっとまえか、どこの主催だったかホテルでやるカップリングパーティーみたいなのに誘われていったことがあった。
婚活なんて言葉はまだなかったしあまり人には知られたくない的な意識があったかな・・冷やかしじゃなく本人はまじめ。
行ってみると一応雰囲気は明るくちゃんとしており司会は地元のFMでしゃべってるらしい人で・・
先に書いちゃうと、たくさん来てた女の子たちが終わった後向かいのファミレスにそのままの面子で集まってるのが目撃された。
ほとんど全員動員されたサクラだったわけだどまあ、そりゃあそうか。
それで途中ゲームだか何だか忘れたけど、茶番であれなんであれ場はちゃんと盛り上がって結構な人数での楽しい世界ができてた。
その中にたった一人だけ孤立している人間がいて、書かなくてもわかるだろうけど私である。
でもそこで自分の病的なまずさを意識し、このままじゃ人生失敗すると考え・・の先は書かないけどそのおかげで今があるわけだからまあいいのか。
そういうのには二度と行かなかった。
つい最近、そのホテルが廃業することがニュースとなり静かに騒ぎになった。
シューマンにミサ・サクラと呼ばれる作品があることはクラシック音楽に興味を持った翌週位に聞いたラジオで知った。
けどいつかちゃんと聴こうと思いつつ35年、まだ聴いてないかもしれない。
https://www.youtube.com/watch?v=dRzFoqtIEvg
これはシューマンのピアノ協奏曲。
髭の濃そうなおっさんなのに無垢な超絶ロマンティック音楽を作ったりするシューマンのとこはオシドリ夫婦でも有名。
超絶ロマンティック夫婦か。
そこへまれにみる才能を持った美少年作曲家が現れちゃって・・・というドラマみたいな話に引っ張られがちな嫁さんのクララは間違いのない美人だったことが写真で実際に確認できる。
でもこの人歴史上の芸術的舞台の上で脇役だったのではなく、ショパンやリストに驚きをもって認められたピアニストでありまた作曲家でもあった。
ショパンやリストののこした言葉をちょっと読むとピアニストとして技術的に卓越しているとか芸的に巧いという話だけじゃなく、芸術家として世界に何人もいないようなというところまで言ってるんだろう・・のちにはあのブラームスからの創作上の相談に耐えうるというか・・もういいか。
そんな人を捕まえたシューマンってすごいのね。
嫁さんへのプレゼントとして書かれたんだった気がするこの曲は赤いバラみたいな曲でシューマンしか書けないだろうという気もする。
初めて買ったCDはこれでなんども聴いてはみたけれど中学生の私はこの曲の良さがどうしてもわからずしばらく敬遠してた。
ああいいなーと思うようになったのは40超えたころか、最近。
音楽を聴くって人生をかけて的に時間がかかったりして。
これを弾いてるピアニストはバルトークの弟子だったことでも有名な人だ。
クララ・シューマンやブラームスに直接教わったピアニストが年代的にはステレオ録音に間に合う時期まで生きていたらしいことを知りちょっと驚いたけど録音があるかは不明。

きもちいいねー。
人生って、すごく大雑把に言えば気持ちの持ちようなのね。
ずっと気持ちの持ちようを間違ってたかもしれないけど
これからもうちょっとうまくやれないかな。
この記事というか枠、結構前に書き始め元は飯食いに行った話だったんだけど、

写真が暗くなっちゃったせいか何を何回書き直しても自虐を書いてからめちゃうから
ボツにしようかと思ってたんですよね。
結局自虐じゃないかという話もあるだろうけどいいじゃない。
豚三枚肉のロースト、きれいだし肉はいい香りがついていたりして美味しかった。

あの色の濃いソースがイチゴを煮詰めて濃くしたやつだったら素敵と期待したけど実際はチョコレート。
この日は嫁さんの誕生日だった。
だからボツにしたくなかったの。
こんな日があるなら、いまがいいなら、なんだっていいじゃない。

勤務先に咲いてた桜。
今年は咲くのが遅かった。
赤い夕日を受けて。
お菓子の樹、夢の国
ある日嫁さんがぶどう狩りに行きたいと言う。
行くなら晴れの日が・・とか言ってるうちにシーズン終わっちゃいそうだから行ってみた。

いーねー日の光と青い空と・・
どこでもなんでもでっかいチェーン店が席巻して小さな個人商店は淘汰されてしまったけど、いろんな理由が絡み合いそれが合理的だからそうなるんだろうし文句を言う気はない。
この辺りに来ると小さな個人の果樹園がたくさん並んで頑張ってるのがとても印象的というかちょっと衝撃的だった。
観光バスなんかこないようなちいさなブドウ園に行きたい。
色々調べてもみんなよさそうで何だかわからない。
最近トイレを建て直したというところがありなんとなくそこだと思い行ってみることにした。

ぶどう狩りがしたいとへらへらしてみると、
何か答えるよりも前に笑顔でまあ座ってこれ食べてみてくださいと

これを持って来てくれて。
一口食ったら怖い人が出てきて100万円ですとかそういうのでは全然なさそうだ。
あたりまえか。すごく親しみやすい感じで和む。
わたしは昔から虐げられてる嫌がられてるみたいなコンプレックスが強すぎるから普通に好意的に対応してもらうとそれだけで感動するのね。
これがシャインマスカットで・・と聞いたらまずそれ食わなくちゃ。
初めて食ったそれはとても美味かった。
なんとなくぶどう狩りというと取り放題食べ放題で籠がいっぱい・・みたいな夢のような状況を思い浮かべていた。
けど、そんなわけないのか。
グラム売りだそうだからよく選んだのを一つか二つ・・
なんとなく観光施設的なイメージがあったけれどそれよりも農家にお邪魔したらご家族が庭にあるぶどうの樹の下へ案内してくれるみたいな感じ。

蚊が、結構いるのね。
もうほとんど残ってないけどというシャインマスカットの樹。
一見いいけど虫食いなのを避け・・
あー、これいいじゃない。

嫁さんがはさみを入れて・・
皮も剥かずに食えてタネもなく甘くておいしいって、もうおとぎ話のお菓子のなる樹みたいだよね。

いろんなぶどうの名前を教えてもらったけれど、
シャインマスカットしか覚えられなかった。
どれのことかわかんないけどベリーエかと思ったらベリーAというのがあった。
なんか交響曲イ短調みたいな形式的な名前だな。

これ名前なんだっけ・・これ試食してないでしょとまた食べさせてくれた。
皮ごと食べられてシャインマスカットに似てるけど歯ごたえがシャキシャキしてるのね。
これが欲しかったけど、嫁さんはもっと違うのがいいらしく・・

ちょっと食べてきたいなと言うと切り取って洗ってくれて・・
すごい金額になると勝手に思っていたけど予想よりはるかに安かった。
種なしのブドウを食べちゃうと、タネが口の中に転がるとなんだこれ邪魔だななんて思うようになる。
種よりも気になるのは皮だ。
皮ごと食べられるお菓子みたいなぶどうを知ってしまうと、いちいち皮をむくのがとても億劫に感じられてくる。
我儘と甘えである。
分厚い皮のほうがまだよく、一歩間違えば食えるんじゃないか的に薄い皮が逆に剥きにくい。
半分くらい剥いたらもう皮ごと食っちゃったりして。
食いながら店主に話しかけるといろいろ教えてくれた。
種なしぶどうってほっといてもタネができないのかと思ってたけどそうじゃなくて、ものすごい手間をかけて花の段階でなんとかホルモンにつけるとか処理をするんだそうですね。
私にも避妊を意識した記憶がある。
なにもわかっちゃいなかった。

結構入れ替わるお客さんはもしかするとみんな常連さんなのかも。
狩りはいいからプロがとった美味しいぶどうを買って帰るだけな人も多いみたいだ。
狩りの人も静かに楽しそう。
予想した子供をつれた家族がわいわい・・みたいなのは見かけなかった。
もう時期が遅いからかな。
ぶどう狩りなんて一生行かないだろうと思ったけれど
来てみれば楽しく素敵なひと時だった。
https://www.youtube.com/watch?v=QCOizW7iUvY
この小さな思い出は、一人じゃ得られなかった。
自分一人だったらこんなとこ絶対に来ないから。
私にとってこれは、夢のなかにいるような話。
行くなら晴れの日が・・とか言ってるうちにシーズン終わっちゃいそうだから行ってみた。

いーねー日の光と青い空と・・
どこでもなんでもでっかいチェーン店が席巻して小さな個人商店は淘汰されてしまったけど、いろんな理由が絡み合いそれが合理的だからそうなるんだろうし文句を言う気はない。
この辺りに来ると小さな個人の果樹園がたくさん並んで頑張ってるのがとても印象的というかちょっと衝撃的だった。
観光バスなんかこないようなちいさなブドウ園に行きたい。
色々調べてもみんなよさそうで何だかわからない。
最近トイレを建て直したというところがありなんとなくそこだと思い行ってみることにした。

ぶどう狩りがしたいとへらへらしてみると、
何か答えるよりも前に笑顔でまあ座ってこれ食べてみてくださいと

これを持って来てくれて。
一口食ったら怖い人が出てきて100万円ですとかそういうのでは全然なさそうだ。
あたりまえか。すごく親しみやすい感じで和む。
わたしは昔から虐げられてる嫌がられてるみたいなコンプレックスが強すぎるから普通に好意的に対応してもらうとそれだけで感動するのね。
これがシャインマスカットで・・と聞いたらまずそれ食わなくちゃ。
初めて食ったそれはとても美味かった。
なんとなくぶどう狩りというと取り放題食べ放題で籠がいっぱい・・みたいな夢のような状況を思い浮かべていた。
けど、そんなわけないのか。
グラム売りだそうだからよく選んだのを一つか二つ・・
なんとなく観光施設的なイメージがあったけれどそれよりも農家にお邪魔したらご家族が庭にあるぶどうの樹の下へ案内してくれるみたいな感じ。

蚊が、結構いるのね。
もうほとんど残ってないけどというシャインマスカットの樹。
一見いいけど虫食いなのを避け・・
あー、これいいじゃない。

嫁さんがはさみを入れて・・
皮も剥かずに食えてタネもなく甘くておいしいって、もうおとぎ話のお菓子のなる樹みたいだよね。

いろんなぶどうの名前を教えてもらったけれど、
シャインマスカットしか覚えられなかった。
どれのことかわかんないけどベリーエかと思ったらベリーAというのがあった。
なんか交響曲イ短調みたいな形式的な名前だな。

これ名前なんだっけ・・これ試食してないでしょとまた食べさせてくれた。
皮ごと食べられてシャインマスカットに似てるけど歯ごたえがシャキシャキしてるのね。
これが欲しかったけど、嫁さんはもっと違うのがいいらしく・・

ちょっと食べてきたいなと言うと切り取って洗ってくれて・・
すごい金額になると勝手に思っていたけど予想よりはるかに安かった。
種なしのブドウを食べちゃうと、タネが口の中に転がるとなんだこれ邪魔だななんて思うようになる。
種よりも気になるのは皮だ。
皮ごと食べられるお菓子みたいなぶどうを知ってしまうと、いちいち皮をむくのがとても億劫に感じられてくる。
我儘と甘えである。
分厚い皮のほうがまだよく、一歩間違えば食えるんじゃないか的に薄い皮が逆に剥きにくい。
半分くらい剥いたらもう皮ごと食っちゃったりして。
食いながら店主に話しかけるといろいろ教えてくれた。
種なしぶどうってほっといてもタネができないのかと思ってたけどそうじゃなくて、ものすごい手間をかけて花の段階でなんとかホルモンにつけるとか処理をするんだそうですね。
私にも避妊を意識した記憶がある。
なにもわかっちゃいなかった。

結構入れ替わるお客さんはもしかするとみんな常連さんなのかも。
狩りはいいからプロがとった美味しいぶどうを買って帰るだけな人も多いみたいだ。
狩りの人も静かに楽しそう。
予想した子供をつれた家族がわいわい・・みたいなのは見かけなかった。
もう時期が遅いからかな。
ぶどう狩りなんて一生行かないだろうと思ったけれど
来てみれば楽しく素敵なひと時だった。
https://www.youtube.com/watch?v=QCOizW7iUvY
この小さな思い出は、一人じゃ得られなかった。
自分一人だったらこんなとこ絶対に来ないから。
私にとってこれは、夢のなかにいるような話。