つけナポリタンと音楽

ちょっと離れた町の商店街にいきました。
日本中どこでもみるような灰色のシャッター街。
駅から伸びたそれはなかなかの規模を持っていてきっとかつては人でにぎわったんだと思う。
行こうと思ったお店はclauseの札・・あれれまただ。
その3件くらい隣に10年以上前に入ったことのある古い喫茶店があったのでそこでいいか。
あの頃は古い喫茶店でしかなかったけれど
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ご当地グルメみたいなのでしょう、つけナポリタン。
昔給食でこんなのあったよな・・
その発祥の店とか言ってるけど前来たときそんなのあったかな?
まあなんだか楽しそうだからいいじゃない。

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カフェじゃない。
喫茶店。

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味は多分この見た目から想像されるそれがそのまま。
これはまじめに美味さを求めてどうこう言うよりも、ネタとして楽しめるかどうかだよね。
つけ麺みたいに煮卵とか鶏肉とかお楽しみみたいな具がたくさん入ってた。
チーズもたくさん・・途中からレモンをかけて・・
ただ食い物だととらえるとちょっと値段が高い正直。
でもお楽しみ体験だと思えば面白かった。
いろんな掲示物やレビューを見るとこのネタでこのあたりの飲食店はそこそこ人を呼んでいるみたいだ。
いいんじゃない。
ナポリタンと言えば

音楽の解説などを読んでいるとナポリ6度なんていうのが出てくることがあります。
ハ短調の音楽に変ニ長調主和音みたいなのが見えたらそれっぽい・・
和音について言っているわけですが、解説を読むとどうでもいいようなことをグダグダ書いてあります。
それ単体に注目してもほとんど意味はなくて、あるわけないような和音が出てくるまでの過程とそれによって何が起こったのか、それでどうなるのかという動きがとても重要。
安定していた世界を急に棚上げされたというか、妙に興奮した緊張状態のように聴こえることが多いんじゃないか・・


ヴァルヒャの演奏。ちょっと速いというかすたすた行きすぎ?・・

バッハの超絶有名傑作曲
パッサカリアとフーガハ短調BWV582のおしまいの方にナポリ6度が出てきます。

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重く充実した曲を聴いてきてその結末の前に訪れるこの中断は痺れますよね。
寡黙に仕事を続けてきたものが感極まって思いつめたように叫ぶ・・祈りのような・・
その後は、納得したようなポジティブな境地になって明るく広い光の中に終わっていく。
純粋な器楽による音楽にとんでもないドラマが発生しているわけですよ。
最後にAdagioなんて書いてあるところがまた泣けるけど、これ作者が書いたのか写譜した人が書いたのか・・
写譜した兄貴が書いたにしてもそういう演奏をバッハがやってるのを聞いたんでしょうね。
そう思いながら聴くとペダルも両足使っていつものバッハより音数も多いこの終結は泣けてくるよねえ。

調べたらつけナポリタンはなんだかテレビ番組の企画みたいなので生まれたみたいです。
何だろうとやったもん勝ち、多分やっている人たちは頑張ってるんだろう。
私が初めてCDを買ったのもここではないけれどこんな商店街の小さな楽器屋でした。
まだ生きていた商店街の末期くらいだったと思う。
みんなが車を持ったところに無料の巨大駐車場を持ったショッピングモールができたらそっちへ行くよねそりゃ。
あんなに存在感のあったCDだってもう若い人は見たことがなかったりするんじゃないのか。
時代の流れから外れたものはどんどん消えていく。

聴き手のためのクラシック音楽というのはなくなってしまうんじゃないかと思う事があります。
クラシックは楽器奏者のテクニック披露の道具として残って行く気がする。
どうなろうが知ったことじゃないけど私は音楽の中身そのものが大好きなので寂しい気もする。
もっと言えば情けない。
でもシャッター街と同じ、大きな流れでそうなっていくのはだれも止められない。

まあいいか。
私は私でおいしいもの食っていい音楽を聴きましょう。
それがいい。





おなじのばっかり

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以前書いたスパゲッティ屋さんにまた行きました。
考えてみると食べるのはいつもこれ。
メニューにはおいしそうなものがたくさん並んでいるのに。
それはきっと損してるんでしょうね。
音楽も。
クラシック音楽は作品と演奏家は分離独立したなカヴァーみたいなもので、作品の個性の上に演奏家の個性が乗っかったものをいろいろ聴き比べる楽しみがあります。
コアなクラシックリスナーの家に行くと同じ曲のCDとかレコードがなん十種類もあって、どの盤がどうだとか言っているわけ。そんなとこ行かないけど。
いろんな演奏を聴き比べると同じ曲でも全く異なる世界が発見できて感動することも多い。
いろんな演奏を聴かないとその曲の姿は見えてこないんだともいえるかもしれない。
一つの録音にあんまり固執していないでできるだけいろいろ聴いてみた方がいいと思う。
そう思っていろいろ聴いてみたりもするんだけど私は刷り込まれ気に入った演奏に戻ってそればっかり聞いちゃう傾向が異常に強いんです。
それはちょっと困ったことで、同業者に対しては恥ずかしいことだと思ったりもしています。

コンサートへ行ったときは頭に焼き付いた演奏とは全く関係なく目の前に現れる音楽をそのまま素直に受け入れられるんだけど。
でなきゃ困るのでよかった。

でこの曲はバッハのオルガン協奏曲ト長調BWV592 明るくかわいらしいいい曲でしょう。

18歳で亡くなってしまったという若い天才の書いたヴァイオリン協奏曲をバッハがオルガン用に編曲したもの。
中学生のころラジオで録音して気に入り何度も何度も聞きました。
聴きすぎて細かい装飾音だとか歌いまわし迄刷り込まれてしまい今でも頭で鳴ります。
小さなラジカセのアンテナの前に手をかざすとザーというノイズが入るんだけどわざとそんなことをやって入ってしまったノイズまで頭の中に焼き付いて・・いまでもその部分に差し掛かるとザーッと鳴る。

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ネットにあったこの楽譜・・・2種類の手鍵盤を弾き分けることが文字で指定されています。これはバッハが書いたものだと思う。
しかしこのプルトリラーみたいなものはバッハが書いたものではなくてこの楽譜の校訂の時に誰かの解釈を加筆したんだと思う。
いろんな録音を聴いているとここで何もしない人結構多くいるし、これがない楽譜も存在すると思います。バッハくらいだとそういうのはよくあるので驚くことはない。
さらにバロック音楽は演奏者が即興で入れる装飾音が職人芸的な意味を持っていて楽譜の音符だけを音にすればいいというものではないし、楽譜にない音が聞えるとけしからんという話でもない。
いろんな装飾を伴った演奏が存在していいし、聴き手は聴き手でそのあたりに自分なりの好みを持っていていいと思う。
いろんな演奏を聴いてそのあたりの個性を楽しめばいいはずなんだし実際そうしているんだけれど、この曲中学生の頃にさんざん聴いたあのラジオの録音が頭に強く刷り込まれてしまいここでトリルしない演奏にものすごい抵抗を感じてしまう。
ここはどうしてもトリルしてほしい・・
正直この動画の演奏もアーティキュレーションが自分の思うものと違い一部違うなぁなんて思いながら聴いてたりして・・。
楽譜にあるスタッカートも編者によるものじゃないかと思うんだけど、あれで覚えちゃって。
テンポの揺れ、タメもここはこうでしょみたいなのが・・
自分にとってこれだ!と思える動画は見つけられなかった。
本当はそんなのおかしいのかもしれない。
こういう変なこだわりに縛られていると音楽を聴く人としては少し損なんじゃないかと自分でも思う。


私の好みでは装飾やりすぎだと思うことの多いトン・コープマンの演奏。
2楽章は即興が旋律の美しさを壊してしまっている気がして全然受け入れられない・・まぁ何度か聞くと慣れては来るんだけど・・
でも全体に生き生きしている感じはいいんだよなぁ・・

話がずれるけれど同じ曲をバッハ自身がチェンバロ用に編曲したらしいBWV592a

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単純に移植しただけではなくて楽器の特性に合わせて旋律そのほかを色々変えてあるのが興味深い。
その変え方もかなり思い切ってるんだよなぁ・・
左手に出てくる6連符は私の苦手なトン・コープマンをちょっと思い出したりして。
そしてこの楽譜には装飾記号みたいなものは全く見当たらない。
自筆譜が残っているのか写譜が残っているのか知らないけれど、元資料にも何にも書いてないんだろう。
でも実際演奏するときは色々と装飾を加えて弾いていたんだろうと思う。


バッハが弾いてるところを聞いてみたかったなぁ・・
バッハ自身の演奏が私のにがてなコープマンみたいなのだったらどうしよう・・
どうもしないけど。


狭い世界だけを見てすべてを知ったようなことを言っているのをみると稚拙でみっともないと感じる・・とはいえ多くの人と話し、見分を広げ・・みたいなのは私の最も逃げたい世界。
とりあえずかわったスパゲティ食ってみるか。
納豆おろしスパゲティーとかあったなぁ・・今度食ってみようかなぁ。

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お店の窓の外はこんな感じ。
ちょっとだけ富士山。

富士山とバッハ

この記事は数日前に書いたのですが、昨日噴火による被害が発生してしまいました。
亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。

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朝、家を出るのがいつもより10分ほど遅かったので桃色富士山は見られなかった。
でも雪が積もってアイスクリームみたいになった富士山だけが光っていました。

御岳山や今回の噴火は、誰もそう思わない山がたった今噴火してもおかしくないという事を示しているのだと思います。ということは富士山だって・・
今から35年くらい前、富士山大噴火みたいな本が出て世間が騒いだことがありました。小学生だったけど周期的にもう噴火していいはずの時期をとっくに過ぎていると知り結構怖かった。
前回の噴火は連鎖的に起こる超巨大地震の数日後に始まったようなことを読んだ気がします。
東南海地震とかああいうのでしょう?
そこに噴火も来ちゃったりしたらどうなっちゃうのかな・・


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中央には宝永火口。
次の噴火もあそこからというわけではないみたいだけど、明後日みたいなとんでもないところから火を噴くんだよと教えてくれているわけでしょう?

この宝永火口や宝永山を作った宝永の噴火は1707年。
この時は溶岩流は流れずに爆発的な噴火による噴煙と大量の降灰が特徴的だったという。
近所の古い家の方から焼けた石で家屋敷はみんなやけたという話が伝わっているみたいだ。

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これは近くにある溶岩。
落ち葉がのっかっちゃってわかりにくいですが、粘性の高いものが流れたときにできるような波紋がそのまま残って固まっています。
これこの辺りに飛んできた後もまだ固まっていなくてぶにょーみたいな感じだったと思う。
この辺りの用水路が噴火の前の1600年代から整備されているらしいことを別な話で知った。この用水路は多分宝永噴火の前からあったかもしれません。
でもこのでっかい溶岩が宝永噴火のときに飛んできた焼けた石なのか、もっと何千年も前の噴火のときのものが出てきて転がっているのかは私にはわからない。どうも話的には後者っぽい気もする。

宝永噴火の1707年、ドイツではJ・S・バッハが22歳。
小フーガト短調BWV578を作曲したのがこの年位・・・ちがうんじゃない?みたいな説もあるようだけど。



この曲が愛される理由は美しい主題と非常にフーガが透けて見えるようにわかりやすいことにあるのかなと思います。
でもバッハは遊びもやっていて4つの声部が出そろった後、最初の主題は第3声部に現れます・・
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と思たらねじれて第1声部が歌いだすんですよね。
あっそうなの?とかいってペダルが絡んでくるのも面白い。

むかし、何度も何度も聞いたんですよねこれ。
自分で弾いても見ました。
人として心も体も成長するために表へ出て色々やらなくちゃいけない時期だったはずだけど、家に引き籠っていたような記憶がないでもない。
音楽なんて選ばれた優等生みたいなのが弾いたり聞いたりするものだと思い込んでいたんだけど、自分も聞きたいと思えば聞けるし、弾きたいと思えば弾ける(気がしただけだけど)ということに驚いてひとりで喜んでいた。


若いバッハについて読むと、あちこちでもめたとか投獄されたとか血の気の多いことになっていて興味深い。
決闘したというのもあったと思う。
そんな人がこんな曲を作曲していることがまた面白い。
富士山も普段はあんなに優美な姿でいるのに暴れだすと血の気の多いことになるわけだ・・私が生きている間は静かで美しいままでいてほしいけど・・



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右手の建物は写真館です。
二回の壁一面が窓になっているところはスタジオなんでしょうか・・
何だかいいですよね。
正面の丸窓もいいなぁ・・
こういう、日本的な三角屋根の建物に正面だけ四角いビル的なものが付いた建物、子供の頃はよく見た気がするんですがだいぶなくなりましたよね。


バッハの前奏曲とフーガハ長調BWV545という曲があって好きなんですが、その初稿と思われるBWV545aという楽譜も見ることができます。
それを見ると前奏曲はもともと
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ここから始まることになっていたんですね。へー
今というか決定稿はその前に3小節の顔が付け足されています。

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これは決定稿。
わずか3小節ですがこの顔はかなりインパクトがあってこの曲の顔になってますね。
写真館の正面ファザードみたい。
その後歌いだす音楽はもともとあったものとほぼ同じでしょうか。
でもこれにとって同じ音楽でも印象と意味が大きく変わります。
元々顔だったものが今度は、実働的な手足のような印象になっている。

前奏曲の終結部もこれに対応して
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ここで終わっていたのが
3小節の終結部を追加され、

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こうなった。

計6小節追加されただけですが、元のものに比べずいぶん立派でしっかしとした建物みたいな印象になっていますよね。

続くフーガも明るくわかりやすく、なんだかいい曲ですね。

楽器ちゃんと弾けない私が言うのはおかしいですが、
ハ長調って一番弾きにくいですよね?
黒鍵がある程度あったほうが弾きやすい・・
変ニ長調が一番手の形にあってる気がする・・
お前が言うなって怒られちゃいますよね・・

クリスマス

今日はクリスマスイブですね。
犬にもなんかごちそうあげなくちゃ。

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初めて買って来たCDはバッハのオルガン音楽集でしたが
コラール前奏曲「甘き喜びのうちに」BWV608という曲が入っていました。
これはオルゲルビュヒラインという曲集の1曲で教会のミサかなんかで使う実用音楽集です。
教会歴とかいうのに基づいて運用されるんでしょう?
で確かこの曲はクリスマス用だったような。


弾いてるとこがよく見えるのはこれだけど、ちょっとあれかなぁ・・
聴くなら

こっちかな。
この人変な即興がいつも耳につくんだけどけれはいいですよね。

バッハがそう思ったかは知らないけれど、3連符が鐘の音のように聴こえなくもない。
コラール+鐘の音がカノンになっている4声の音楽ですね。

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バッハの自筆譜
コラールの下側声部にはバッハによるペダルの指示・・
当たり前なんだろうけど、ペダルって一番低い音なわけじゃないんだ・・
ここ音色も重要で、鐘の音にこの旋律が埋もれちゃってよくわからない演奏がいっぱいあるんですよね。
ちゃんと何やってんだかしっかり聞かせてほしいなぁ・・
ペダルを持たないオルガンでやらなきゃならないオルガニストは自分で手鍵盤だけで弾けるようにアレンジして弾く能力も必要だみたいな世界があるんでしょう?
知らないけど。

出版譜いろいろ
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三段譜に実音で書いてある・・
ペダルにしては高く見える?

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ペダルをオクターブ下げて記譜してある。
4’て書いてあるのはオクターブ高い音が出るパイプというかストップでという意味でしょう?
弾きやすい実用的楽譜という事?

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拍子やリズムを変えた楽譜もあった・こうすると弾きやすそうだし聴きやすいけどこれなに?
昔聴きまくって耳に焼き付いてる演奏はこの楽譜です・・

あの頃、その買ったCDを毎日毎晩繰り返し聴いたんですね。
トラック8に入っていたこの曲だけちょっと何だかよくわからなかった。
今その30年後ですが、今やっとああこれもいい曲だなと思えているんですよ。
いきててよかった。

輝くか・・

この時期、営業は得意先へ挨拶回り。カレンダーとか手帳とか配って歩くんでしょう。
私は出ては行かないけれど来てくれた人と話す機会があります。
以前からいろいろお世話になっている営業は相手の好きな物、得意と思っているものを聞きだし、おだてて丸め込んじゃおうみたいな昔からの手法で盛り上がろうとする。でも私はそういうのはあまり・・
趣味の話なんかを聞かれるのが苦痛。仕事だし、私一人の場じゃないから笑顔で対応するけれど。
つまらん奴だ・・でしょ。うるせーよ。
楽器を買って演奏団体に・・なんて言わなくてよかった。
辞めちまったなんて事恥ずかしくて言えないわ。
先日来てまたちょっと・・・
まぁ、あのひと頑張るなぁ・・

人込みは苦手・・なんだけど夜の江の島に行ってきた。
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夕日がきれいでした。
有料エスカレータには乗らず階段を上る。
歩きたいんだよ。
人がいっぱい。
入園料取るの?いいか200円なら・・
せっかくここまで登ってきて引き返すこともないお金を払ってちょっと見てきた。
妻が私の異変を指摘し、自分が変になっていることに気付く。
人がたくさんいる・・は多分問題ない。
私の頭の奇形は楽しそうな笑顔、歓声を感じると不安定になること
大丈夫。今日は大丈夫。
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奇麗でしたよ。
変に派手すぎない感じもよかった。
しかしなんで俺はこんななんだろうと少し思った。
最後に練習場に行ったあの日も、すぐそばに楽しそうな顔と歓声があった。
それが主原因じゃないし、もっと背景まで書かないとただの基地外みたいですけどね。
周りは背景なんていちいち気にしないんだから基地外にしかみえないだろう。
最近、そういうのは一定数いて生まれ持った特性だからそのままでいいんですみたいな話しが出てきて本になったりしています。
いくら本の中で肯定されたって世間から理解なんか得られないんだから変わらない。

アマチュア演奏団体に属しているとコンサートというのがあります。
私はほとんど碌に演奏してないんだけど妻が
「輝いてたよ」と言ってくれた。
そのときはあんまり気にしなかったけど、もう二度とないのかと思う今頃
それがうれしくなってきた。


あまた変なこと書いちゃった。
今日は大丈夫。
昼間行ってみた店の刺身もうまかったし。
あそこまた行ってみよう。遠すぎるけど。


もっと違う感じの演奏がいいと思ったんだけど見つけられなかった。
バッハの幻想曲ト長調BWV572
中学生の時ラジオをで知りました。
不思議な曲でしょう。バロック時代の音楽って自由なものはものすごく奔放なんだよね?
最初の跳ね回るような音楽が上へ向かって登っていくと賛美歌のようなソステヌートな音楽となる・・
突然中断すると・・
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また降りてくるんだよね。
初めて聴いた時ここにひかれた・・どこまで落っこちんのこれ?
でも暗いところへ落ちていくんじゃなくて、最初にいたあるべき安定した地表に降りてきてハッピーエンドな感じ。

電気系な仕事なので光りたいなんて書くと抵抗を感じる。
感電はやばいよー。
服のせいかこの時期静電気もやばい。
ものすごく光ることがあるよね。そして痛い。
一瞬だからいいけどあれが連続したら断末魔ですよ。
電気関係の取り扱いには注意しましょう。

今はとりあえずブログが楽しみ。
クラシック音楽を聴かれる方のコアなコメントはもちろんうれしいですが、
クラシックなんか大嫌いな人に
こいつ何だか知らないけど楽しそうだなと思ってもらえたらそれだけでとてもうれしいです。

味付け

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michaelさんがG線上じゃないアリア・・という記事を書いておられて・・
音楽に目覚めたばかりのころ、中学校の音楽の先生が教材のCDを借してくれた記憶があります。
物に隠れるように生きてたはずなのにどうして音楽好きなの伝わったんだっけ?
「バロック音楽の楽しみ」というパッヘルベルのカノンやアルビノーニのアダージョなんかと並んでバッハのこれが入ったアルバムでした。
入っていたのは単純にバッハの管弦楽組曲第3番の2曲目というのではなく、低弦をピッチカートで弾かせロマン派風の味付けで歌う演奏。アンコールやファミリーコンサートみたいなのであるようなサロンミュージック的な・・
こういうのを「G線上のアリア」と呼んだりしますよね。本来間違いなはずですが誤用も一般化すれば正しいことになっちゃうのが世の中だから。
※もとは何とかという人がメロディーを低い音域でハ長調に移調しソロヴァイオリンのG線一本で弾くネタみたいな曲を指すはず。昔聞いてあまりのつまらなさに・・

そのCDで「G線上のアリア」には聞いた瞬間やられました・・・何だかわからないけれど懐かしい響きだと思いながらヘッドホンをして何度も何度も聴いたのを覚えています。懐かしいたって13年くらいしか生きていなかったわけだけど。
後日バッハの管弦楽組曲第3番を聴いてみると聞きなれたあれと違う・・ピッチカートじゃない・・歌もなんか違う・・
それが本家なんだけど・・

ということで

そのよくある低弦はピッチカートで色濃く歌う演奏のルーツは実はマーラーじゃないのかみたいなお話で。
マーラーがバッハの2組の組曲から抜き取った曲を再編成し色濃く味付けしたマーラーのバッハ組曲というものがあり出版もされています。
この組曲、オルガンと専用に調律してチェンバロ風の音を出す変なピアノのパートが追加されていたりします。
手紙の中でバッハピアノ?を弾きながら指揮をした昨日の演奏会は楽しかった・・とかなんとか言ってたと思う。
聴くと分厚い響きにくどい歌いようでわっ!なんだれ?みたいな印象もあります。今の時代から見ると逆にそこが面白いと思って楽しんどけばいいんでしょう。
100年前のバッハに対する聴衆の感覚もこんな感じだったのかなぁ。

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ペザンテなんて書いてあったり、オルガン(下の3段)もクレッシェンドしていたり・・現代のバロック音楽感からすると面白すぎ・・

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変なピアノ、通奏低音の域を超えて自由に振舞っちゃて・・
またペザンテとか・・
ティンパニはニ長調のD-Aで調律されているんだけど、楽譜は移調楽器みたいにドとソで書いてある・・・
こういうのは初めて見た・・・と思ったら自筆に始まり原曲の出版譜もそういう記譜法だった。
中学生の時、初めて買ったスコアはこの曲だった・・
散々眺めたはずだけど…なんにもわかんなかったもんなぁ・・

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バッハ組曲第3曲Airの楽譜。
さすがにここは変なピアノは休み。
低弦にピッチカートの指示。
ダイナミクスが細かく設定されている。原曲にはこれらの指示はありません。
初めて聴いた時印象的だったあの和音が静かにクレッシェンドしていく様子がここに・・・
旋律の歌い終わり、原曲は二分音符が置いてあるところに休符を記して・・・


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バッハの自筆譜も面白い・・
紙を倹約するため序曲が終わった余白にアリアの前半を押し込めてある・・
五線は熊手みたいな道具にインクをつけて自分で引いたんだと昔本で読んだ。

その借りたCDは今でも売られているかもしれない。
15年くらい前には懐かしくなって探したらあったので買った。
アルビノーニのアダージョは実はアルビノーニのものではなくて、発見したとか言い張る現代のおっさんが作ったものらしいことを知ったのはずっと後のことだ・・・
なんだそれ!?
言われてみれば全然バロックらしくなく、映画音楽みたいな感じ・・・でも結構聞ける曲なところが笑う。
またそれが「バロック音楽の楽しみ」というアルバムに堂々と入っているところが面白い。
世の中なんてそんなもんか。
そもそも自分はしばらくの間アルビノーニをアルビニーノだと思っていた。



正しく読み取れているか

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恥ずかしいですが、今日は朝から憂鬱。

心の中には同時進行的にあったいろんな事実がワイヤーみたいなものに括り付けられて保存されている。
今そのうちの一つだけがなぜか知らないが浮き上がってきて光輝き強烈に主張している。
さらにその光は新たな架空の札を付けた線を勝手に作ろうとしてもいる。
それは私には辛く苦しい内容でしかない。
奥に沈んでしまっている別な線を引っ張り上げて聴いてみれば今光っているのを否定する全く別な情報がきちんとした事実として浮かび上がってくる。
それを見れば今光っているのが私の本心ではないこともわかる。
なのに、それらは手を放すとみんな下のほうへ落ちていき暗闇に沈む。
変に光っている奴はますます光ってくる。

馬鹿のポエムみたいですが、今こんな感じ。
マンホールを開けると地中送電線路みたいなものがあってそれが私の心。
一本だけ外に出てきちゃって派手に光ってる。
まだ拾えていない事実があるはず、それを拾えばこの日勝ってるのが正しいとわかる・・
みたいなことを光は言い出した。
そんなこと今更できるか。
ふたを閉めてしまいたいのに、今日は朝から蓋が見つからない。



バッハのトッカータとフーガドリア調BWV538という曲が大好きなわけですが、この重くて大きなフーガ、途中から主題が単純に出てくるんじゃなくて別な声部とカノンをやってたりするんですね。

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ここは第1声部をペダルが追ってる・・
ここはヘ長調に転調して明るく力強く動き出す感動的な場面ですよね・・

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ここは第2声部を第3声部が追ってる・・


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ここはペダルが先で第2声部が追う・・

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最後の主題も・・第1をペダルが・・

始めのヘ長調で出てくるあたりはわかりやすいけれど、その後のものはボーっと聴いていると結構聞き逃したりする。
聴き取ろうとすれば聞こえるし、全体を弾いて眺めれば埋没したりもする。
どちらが正解かというと両方正解でいいと思う。
全部を正確に聴きとれていなくて離れた時に感じた印象、それもこの曲の姿なんだと思います。


時間がたつと忘れていくこともあるけれど、時間がたつと妄想が巨大化していく場合もある。
今ちょっとうまく処理できてないなぁ・・

私の近くに昔から心を病み極端な被害妄想世界の中に住んで常軌を逸した言動を見せる人がいる。
その最大の特徴というか問題点は自分はいたって正常であり、少しもおかしくないと信じて疑わないことにあると思う。
私も自分は正常であると信じて疑わない。普段は・・
最近時々自分も同じかもしれないと思う事がある。
10代の頃に見た地獄はHSPでは説明できない。
この数か月、私が私に起きたと思っていることは、もしかしたら全然事実と違うのかもしれない。



大丈夫。
すこし落ち着いてきた。
いつもなら削除する内容だけど、今日はこのままにさせてください。
明日になれば、また違う考えも浮かぶかもしれない。
大丈夫、バッハのフーガはちゃんと聞きとれているから。
最終和音が明るく輝いたとき、救われた気がする。
しった顔でピカデリー終止なんていちいち言わなくていいから。
私の人生がこのままグダグダで終わったとしても、素晴らしい音楽をいくつか知ることができたんだからこの世に出てきた甲斐はあったと思う。

パストラーレ

用事があって遠出はできない、でもちょっとどこかへ行きたい。
そういう日のために見つけて取っておいたカフェに行った。
家から小一時間。
この場所の前を月に何度か通るのにその存在に全く気付いていませんでした。
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元農家でしょう、古民家改装系。
でも個人じゃなくてどこかの何かの組織がやっているみたいだ。
周囲の広い土地で烏骨鶏の放し飼いとか馬がいるとか羊を飼っているとか・・
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囲炉裏に火が入っていれば最高だったけど・・
でもここはちゃんとストーブに火が入っていました。
正直おっさんにはカフェのカレーじゃ足りない。

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このラムドックのラムはここで育てた羊のものだと言ってた。
さらにこのジュースは酵素ジュースという名前で、果物のほか野菜や穀物が入ってるとのことでした。
漬物をデザート化したような不思議な味だった。(まずいんじゃない不思議なの)
カレーもラムドックもおいしかった。
店内にはささやかなクリスマスの飾りとクリスマス音楽・・


バッハのオルガン音楽でパストラーレ ヘ長調 BWV590
パストラーレと聞いてまず浮かぶのはベートーベンの交響曲第6番で田園という意味かと思っちゃいますよね。
でもバッハのこれはそうではなくて
クリスマスの時にバグパイプみたいなので演奏される音楽のことをそういうんだそうです。
4部構成のこの曲の第1部は確かにそんな音楽です。
この演奏はストップもそれ風で・・

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この低音の極端に長く続く持続音がバグパイプみたいですよね・・・

この曲続く3つの部分は手鍵盤だけとなります。
別々に作ったものをつなげたんじゃないかと言われているそうですが、もうどうでもいいですよねそんなことは。
とてもいい曲で自分で弾けたらいいなと思います。
この曲名で検索すると3つ目の部分が昔アニメ映画で流れてたという話がたくさん出てきます。
私も見ましたが、もう音楽に目覚めていたので大聖堂のシーンなのに聴こえてくるのがチープなエレクトーンみたいな音で萎えました。こんなこと書くと怒る人もいっぱいでしょうか・・


広い前庭にポニーみたいなのがいたので眺めてたら猫店員が登場。
いらっしゃーい。
撫でてー。
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その後看板の後ろから顔だけ出して看板猫をやったりしてた。
猫ってなんであんな面白いんだろ。
山の上だから田園ではないな・・なんて言うんだこういうの‥まあいいやいいとこでした。
午後3時で閉店しちゃうからなかなか来にくいけどまたいつか・・

みかん

ちょっと何だかわからないっぽいけど、
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うちのある木。
何年か前に食べた柑橘類の種を植えてみたら芽が出てみたいな。
もう何を食べたのかもわかりません。
いつか花が咲いて実をつけてくれるのかな?
この木、
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そんなにいらないだろうというぐらい大げさな刺を持っています。
なんでそんなに攻撃的なんだ・・何から身を守ってるんだ・・・
周りの草を取ってやろうとすると私を刺してくる・・・
おい俺を刺してどうすんだよ!
ここには別な木が植わっていたんですが、数年前に弱って枯れてしまいました。
最後の年は狂ったように沢山の花を咲かせて頑張っていた。
種という形で何とか自分を残そうとしているのかと思うと泣けた。
妻や私に災難が降りかかったのも同じころだった気がする。
その穴埋めに植えたこの木、家の鬼門であるこの場所であの刺が家を守ってくれてるんだろうと思ってる。
嫁はこれをみかんと呼ぶ・・
でもみかんじゃないと思う・・

釈迦に説法的なお話ですが・・・ドイツ語で音名をならべると
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こうなってるんですね。
理由は検索するとでてきますがドイツではBと書くとB♭のことで、B♮はHと書くんですね。

バッハ(BACH)の名を並べてみると
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こういう半音階的で魅力的な旋律が現れます。
なにかこう、少し怪しく笑みを浮かべているような・・

晩年のバッハが自ら出版し残そうとした「フーガの技法」BWV1080という曲集の最後に3重フーガ(3つの別なフーガが最後には同時進行するという神業的な音楽)があります。
伝説では作者の死によって完成されることがなかったとされている未完のフーガで、未完の楽譜がそのまま演奏される。
バッハの名による第3フーガの後、いよいよ3重フーガが始まり再びバッハの名を聴いたところで突然音楽は途切れる・・
その瞬間聴き手はバッハの命が途切れた事を感じる・・・
なんというドラマチックな話・・
水を差すようだけど最近の研究で実はこれが絶筆ではないらしいことがわかっているんだそうです。
真実を暴いていくことって結構残酷な時がありますよね・・

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途切れ方にも味があるところがまた・・・
下にある注意書きは息子のC・P・Eバッハによるもので
”作曲者はBACHの名による主題を持ち込んだところで絶命した”
息子は多分、これが絶筆でないことを知っていたんじゃないだろうか。
それでもそう書いた息子の心を想像するのも・・



それよりバッハがなぜこれをここで止めたのかが気になります。
難しくなっちゃったからやめちゃったみたいな説もあるらしいけどそれじゃあんまりだ。
未来の人間に向けて自分の名を残すための演出だったら・・と考えたりすると面白いけれど、あの人そんな次元でやらないでしょうと思ったりもする。
すべてを見通す究極の聴衆である神に向けて作曲していたバッハはこれによって何を言おうとしたんだろう?

私もいつか自分の設計したもののどこかに私の名前を潜ませてやろうかと思っている。
もちろん誰にも迷惑をかけず、気づかれないように・・
でもそんなことに成功するとそれで良しとなって死んじゃうのかもしれないからやっぱり当分やめとこう。