心を削られる前に埋めておく
ほっとくとよくない事ばかり考えてしまう。
歯医者が終わってどこか普段と違うところへ行きたくなり、
あそこへ行こうかよそうかと何度か行き来した挙句に

あえて一人じゃ入りづらいここへ
場所と時間的に来てみたけどダメだったと思えば今日はもうおしまい。
県外ナンバーがとまってたけど
でもガラス越しに見える店内にはいつもいる若いおしゃれカップルみたいなのはいなくて
静かな女性二人だけ

こんな席に座れましたよ。

椅子に深く座って外を眺めた瞬間心が解けた。
あー
とてもゆったりとした気分になる。
あの真っ黒世界が今ゼロになってるなと思った。

先客は帰っちゃったので自分一人占め状態になる。

メニューに気になる季節ものケーキもあったけど
このブルーチーズのケーキがまた食べたくて。
飲み物はチャイにした。

仕事や楽器から来る真っ暗間とは別に今日一日の工程は失敗だったかというようなつまらない考えもずっと頭にあったんだけど、ここに座ったらそれも消えた。
今日は素晴らしい一日。
こんなに素敵な時間があるのなら、
まだ生きていたいなと思った。
ネタじゃなくて。

日が暮れてきた。
もうすぐ閉店時間だし帰ろうかなと思ったところでレモンの香りのお水を注いでくれた。
今日は猫さんは出てこなかったけど帰り際
ゆっくりできましたか?
できました
素敵です。
ごちゃごちゃと喋んなくてもちゃんと伝わったんじゃないかなと思う私の気持ち。
ありがとう。
https://www.youtube.com/watch?v=lsx8dMG4qzc
お店もこんなおっさん一人に来られて嫌なんじゃないかなんてちょっと思ったりしていたけど、自然な感じ聴こえたまた来てくださいみたいな言葉を素直にうけとっちゃってちょっと救われた。
山を下り、嫁さんに電話をして買い物をして帰る。
昨日レッスンで現実を見せつけられた楽器、今日は休もうかなと一瞬思ったけどもしほんとにここで休んだらおしまいだと思う。
昨日を踏まえてとある練習を繰り返したけど全然だめだ。
息漏れしない口を作って固定することと、ちゃんとした呼吸ができるようにならないと何をどれだけ繰り返しても先へは進まないだろう。
今日は苦しくつらく、時間いっぱいこなしただけのような印象だった。
それはいいのだけど実のある練習法を
まあいいや。
今日はいいや。
この先乗り切るために、自分を自分で大事に思える時間をとらないと
歯医者が終わってどこか普段と違うところへ行きたくなり、
あそこへ行こうかよそうかと何度か行き来した挙句に

あえて一人じゃ入りづらいここへ
場所と時間的に来てみたけどダメだったと思えば今日はもうおしまい。
県外ナンバーがとまってたけど
でもガラス越しに見える店内にはいつもいる若いおしゃれカップルみたいなのはいなくて
静かな女性二人だけ

こんな席に座れましたよ。

椅子に深く座って外を眺めた瞬間心が解けた。
あー
とてもゆったりとした気分になる。
あの真っ黒世界が今ゼロになってるなと思った。

先客は帰っちゃったので自分一人占め状態になる。

メニューに気になる季節ものケーキもあったけど
このブルーチーズのケーキがまた食べたくて。
飲み物はチャイにした。

仕事や楽器から来る真っ暗間とは別に今日一日の工程は失敗だったかというようなつまらない考えもずっと頭にあったんだけど、ここに座ったらそれも消えた。
今日は素晴らしい一日。
こんなに素敵な時間があるのなら、
まだ生きていたいなと思った。
ネタじゃなくて。

日が暮れてきた。
もうすぐ閉店時間だし帰ろうかなと思ったところでレモンの香りのお水を注いでくれた。
今日は猫さんは出てこなかったけど帰り際
ゆっくりできましたか?
できました
素敵です。
ごちゃごちゃと喋んなくてもちゃんと伝わったんじゃないかなと思う私の気持ち。
ありがとう。
https://www.youtube.com/watch?v=lsx8dMG4qzc
お店もこんなおっさん一人に来られて嫌なんじゃないかなんてちょっと思ったりしていたけど、自然な感じ聴こえたまた来てくださいみたいな言葉を素直にうけとっちゃってちょっと救われた。
山を下り、嫁さんに電話をして買い物をして帰る。
昨日レッスンで現実を見せつけられた楽器、今日は休もうかなと一瞬思ったけどもしほんとにここで休んだらおしまいだと思う。
昨日を踏まえてとある練習を繰り返したけど全然だめだ。
息漏れしない口を作って固定することと、ちゃんとした呼吸ができるようにならないと何をどれだけ繰り返しても先へは進まないだろう。
今日は苦しくつらく、時間いっぱいこなしただけのような印象だった。
それはいいのだけど実のある練習法を
まあいいや。
今日はいいや。
この先乗り切るために、自分を自分で大事に思える時間をとらないと
妻が病気に
二日前から嫁さんの具合が悪く、昨日は自分で思う病院へ行ったけれど原因がわからないと言われて帰ってきていた。
今朝、目に見える症状が出てきたので別な病院へ連れて行くことにする。
今日は三回目のワクチン接種の予定日でもあるんだけど、ワクチンなんか行ってる場合じゃないなキャンセルするか・・まあ、ちょっとまって、落ち着いて・・

ついでに出していこうと思ってた生ごみのことは忘れたまま嫁さんを病院へ送る。
ふと富士山を見ると雪崩の跡だろうか、富士山の顔の真ん中に鼻血がぶしゅーっとか出たような跡が。
そっちもなんか大変そうね。
病院で診断がつき、すぐ命に係わるとか入院を要する病気でないことは判った。
判ってちょっと安堵し、自分のワクチンは打ちに行けたこと楽器を多少練習できたことなどを書いてもみた。
けれどしんどそうな嫁さんを見てたらそんな気もなくなってしまい消した。
https://www.youtube.com/watch?v=AzNaL9nQ92s
バルトークのピアノ協奏曲第3番はピアニストであった嫁さんへのプレゼントとして書かれた。
作曲中彼が白血病あでることは医者も家族も本人に伝えず隠されており、本人も回復の可能性を感じているかのようなふるまいを見せたと読んだ気がする。。
でも、療養中家族と聴いた鳥の声が聞こえる2楽章ではこれ以上ない愛情とそれらが奪われてしまう事への怒り。
1回だけ鳴らされる銅鑼は死を象徴していると思う。
嫁さんはこれをコンサートで演奏することは一度もなかったそうだ。
なぜかというのを本人が語った話を読んだことはないけれど、
いろいろ考えてると泣けてくる。

接種会場から出たところ。
先日雨の中で見た桜。
助手席で何度も、今日お花見に行きたかったのに・・
なんか、何度も言ってた。
私嫁さんが元気でいないと全然ダメだった。
こういう時こそ気持ちをしっかり持ってないとというところだろう。
今朝、目に見える症状が出てきたので別な病院へ連れて行くことにする。
今日は三回目のワクチン接種の予定日でもあるんだけど、ワクチンなんか行ってる場合じゃないなキャンセルするか・・まあ、ちょっとまって、落ち着いて・・

ついでに出していこうと思ってた生ごみのことは忘れたまま嫁さんを病院へ送る。
ふと富士山を見ると雪崩の跡だろうか、富士山の顔の真ん中に鼻血がぶしゅーっとか出たような跡が。
そっちもなんか大変そうね。
病院で診断がつき、すぐ命に係わるとか入院を要する病気でないことは判った。
判ってちょっと安堵し、自分のワクチンは打ちに行けたこと楽器を多少練習できたことなどを書いてもみた。
けれどしんどそうな嫁さんを見てたらそんな気もなくなってしまい消した。
https://www.youtube.com/watch?v=AzNaL9nQ92s
バルトークのピアノ協奏曲第3番はピアニストであった嫁さんへのプレゼントとして書かれた。
作曲中彼が白血病あでることは医者も家族も本人に伝えず隠されており、本人も回復の可能性を感じているかのようなふるまいを見せたと読んだ気がする。。
でも、療養中家族と聴いた鳥の声が聞こえる2楽章ではこれ以上ない愛情とそれらが奪われてしまう事への怒り。
1回だけ鳴らされる銅鑼は死を象徴していると思う。
嫁さんはこれをコンサートで演奏することは一度もなかったそうだ。
なぜかというのを本人が語った話を読んだことはないけれど、
いろいろ考えてると泣けてくる。

接種会場から出たところ。
先日雨の中で見た桜。
助手席で何度も、今日お花見に行きたかったのに・・
なんか、何度も言ってた。
私嫁さんが元気でいないと全然ダメだった。
こういう時こそ気持ちをしっかり持ってないとというところだろう。
ずーっと臨戦態勢で

私の中でケーキ禁止なのでその分なんか乗っかったような飲み物を頼んじゃうんだけど。
飲んでみたらあんまり乗っかってなかった。
ここへ嫁さんと最初に来てからもう20年になるのかとか考えながら。
今年、私は仕事上の危機に直面し一時は人生自体までの暗転を本気で考えることもあった。
それが避けられないことが明示されたのがちょうど去年の今頃だったかな。
そんなのと対峙していたからかはわからないけれど体を壊してしまい、そのことがまたピンチを余計にピンチ化したり。
だけど、奇跡が起こってじゃないけれどそれ風の展開を経て最悪のシナリオを回避することができた。
そして体の方も開腹手術を回避出来て・・よしっと始めた楽器でこけたけど、もうマイナスな気分に引きずられて自爆するのはやめようと決意ができ・・
という、その日にモモが旅立ってしまった。

これはその日の朝。今年初めて霜が降りたからくらいの軽い気持ちで撮ったんだけど。
もんちが笑顔で送ってくれるのを見た直後。
今朝、霜で凍り付いたガラスを見ながらふと思った。
もーさんは私が何とかなるのを見届けるまでそばにいようとしてくれたのかなぁ
かなり昔、私がいるから!っていってくれた
そう思うと、この先モモに見せられるように生きてかないと
毎回おんなじことを書いてるけど今そういう気持ちだから。

まだ子供なかなり昔のもーさん。
あそぼーって言ってるみたいだけど、いつごろからか遊んであげるから早くそれとんなさい!っと立場が逆転してたり。
途中反抗期もあったなそういえば。
全然笑わなくなっちゃってあばれた挙句なに言ってんのお前?みたいな顔したり。
https://www.youtube.com/watch?v=lpIlo8tGbSo
先日朝から高速を走りながらラジオを聞いてたらこれが流れてきた。
バルトークだねーっというこれも結構好き。

ハンバーグとハラミステーキ
ご飯大盛にできますよ?に普通でと答えるのも当たり前になってきて・・はいいけど、こういうの禁止なはずだったのにいつの間にかまた食べだしてたのね。
兆候は前々からあってこれのせいだということでは全くないけれど、翌日強い腹痛に襲われる。
なのにかかりつけ医で予定されてた定期的な採血検査に行っちゃって。
結果を聴きに行ってみれば先生が開口一番この日なにかありましたか?
炎症を示す数値が異常に上がってた。
検査の趣旨はそこじゃないし熱もないので軽く流され話は進んだのだけど、その間中私の中ではやっべーなぁ・・・
とりあえず手術を回避できたとは言え、手術が必要な状況にならないようにするための戦いはずっと同じレベルで続いていくのか。
負けたんじゃなくて負けない為の警告がでかく来てくれたと考えれば、かえってありがたい。
今年は私にとってこう言う年でしたみたいに閉めると、いやまだあるよとんでもないことが後から来そうな気がするからまだしない。
クリスマスイブは毎年夫婦で飯を食って甘いものを食ってという事になっており、嫁さんも楽しみにしているんだけどちょっとまずいかな。
でどうしようかな・・
プレゼント

メインのパスタかオムライスを選ぶとピザや飲み物、デザートが取り放題な店に行った。
多分女性に照準を絞ったお店で入ると女性だらけ。異様なインパクト。
食べ放題って経営的に成り立たなきゃならないんだから異常なほどお得とか言うのはないはずだけど、よくあるそれ系とは一線を画しているような気がするお店で見せ方がとてもうまいんだと思う。
私はおっさんなのにわくわく感がとまらなかったり

ピザがいろいろ焼きあがってくるしデザートあんなにあってどうすんだよとか盛り上がってるころ。
何度か取りに行って冷静になってくるとそんなにものすごい種類のものがあるわけじゃないことに気づいてくる。
来るけどなんかいっぱいあって幸せみたいな気持ちが続くような量と見せ方が確保され・・とか理屈っぽすぎるな。
バッハの音楽は2本の手10本の指で弾いてるのに無限の旋律が絡み合ってるように聞こえたり、後にピアノな時代に入ると手が3本あるように聞かせたり・・それより食いすぎだわ。

わすれたころにやってきた鴨肉とねぎの生姜醤油
はおいしかったよ。
ちょっと焦がしたような風味と出汁に若干のとんこつ?
なんかわかんないけど箸で食べても合うというか・こんな味のラーメンも食ってみたいかなんか考えながら食べた。

除菌なんてどけて撮ればいいのにと考えながら
近くに保育園があるらしく、窓の外にはそんな子を連れたお母さんが何組も通り過ぎてゆく。
あれ、お父さん・・今どきは無精ひげもおしゃれなのね。
今在宅だからか・育休というやつか?
俺にはそもそもなかったああいうの。
このあたり、近年急に開けたけど長らく田んぼの中に小さな古い集落が点在しという雰囲気だった。
迷路のような細い路地を抜け道とし車を走らせる父親が、昔お前を自転車に載せてこのあたりを走ったのを覚えているか?と聞いてきたのももう遥か昔のこととなった。
覚えてもいなかったし、口もきかないのは単に思春期反抗期の類でもなかったけれどああそんなことがあったのかとなんとか思い出そうとしたような気もする。
ピザ取りに行って帰ってきたら・・

こんな時期に来てくださってありがとうございますという気持ちを込めてお店からプレゼント・・だそうだ。
なんか素直にうれしくなっちゃった自分に自分でちょっと驚いたりして。
別に私たち個人に向けて作られたものじゃなく誰が来たって同じような・・すぐそういうこと言うのはやめろ。
むかし、何を見せてもそんなことしか言わないどころか罵り始めるような人がいた・・堰を切ったように出てきてここに書こうとしてしまうけどダメよそういうの。
私自身、人に何か気持ちをあげたりもらって喜んだりすることが異常に下手というかまともにできないことを自覚してる。
そのせいでずいぶん人に嫌われてきたことも承知している。
思い出さなくていいのにいくつもの記憶がリアルにわいてくる。
人として最も重要な部分が欠落してる。

それはいいけど食いすぎだ。
ほんとはこの間にもう一皿ピザをたくさん乗せてきてた。
https://www.youtube.com/watch?v=AedcSKT3Bcs
医者も家族も隠そうとしたようだけど自分に残された命はもうわずかしかないと悟っていたバルトークはピアニストであった妻への誕生日プレゼントとしてこの協奏曲を密かに作曲していた。これで食っていけるようにというニュアンスもあったようだ。
確か最後のページのオーケストレーションを残したところで亡くなったんだと思う。どうしたいかは伝えられていたため彼が完成させてものとみなされている。
どうしても完成させたいという思いが彼の命を何日か伸ばしたかもしれないと思う。
よく知らないけれど多分優れたピアニストであったんだろう奥さんはこの曲を録音はしたがコンサートでは一度も弾かなかったという話がとても印象的だ。
技術的に弾けなかったとか曲が気に入らなかったというのが理由になるような人ならこうして歴史上に登場したりはしないだろう。
いろんなことを考えてみる。
第2楽章は妻への心情告白でこんな私が聴いても大変感動的だ。

あの花火みたいな照明についてる菊芋の花みたいなのは紙でできてた。
型で抜くのかなぁ・・材料の歩留まり悪そうだなぁとか下らないことを考えながら。
今更うまくやれる人間にはなれないと思うけれど、
嫁さんと犬にはちゃんと心を伝えなくちゃいけないと思う。
とりあえずご飯がうまかったらその旨伝えるとか・・そこから。
水漏れと異常なこだわりと精神異常。
すごく暑かった日、用があって某所。
トイレに行きたくなりコンビニでもないかと捜し歩いている途中

手動ポンプな井戸を発見。
あでもよく見れば井戸じゃなくて直下の水路の水をくみ上げるようになっているだけかな。
もうしぼんじゃってたけど小さな朝顔がほほえましかった。
写真が適当なのは人目を気にしたのと、急がないとやばそうだったから・・
生活に支障をきたすほどではないけれど私は昔から若干頻尿気味かもしれません。
どこから始まったかははっきり覚えていてある中学の授業中に限界寸前で往生したあの時。
あの苦痛は二度とごめんだと思いそれから休憩時間毎に必ずトイレに行くようにした。
あの時はちょっと気をつけようくらいなつもりだったと思うけれど、そこの端を発する以上がその後30年も続くとは思っていなかった。
コンサートなど絶対に抜けられない状況がでは油断ができない。
コンサートにいくときは音楽の芯までしゃぶり尽くしてやるぞと変態的に意気込んでいくのでなんであれ音楽の邪魔が入ることは悲しい。
全曲100分程度のマーラーの3番の時はかなり緊張したけれど問題を感じることなくすごい演奏で大満足に終われた。
同じマーラーの9番の冒頭5分くらいでその予感がした時は泣きそうになった。
さらっと普通に流す演奏会もあるだろうけれどあの曲は演奏者が何か取りつかれたように魂を入れ、そうなることを予想し望んであつまった客たちと合わせ異様に張り詰めた芸術的異空間を作る・・みたいな演奏会になる可能性のある曲だと思う。この時まさにそれだった。
目の前で起こっていることにあこれ普通じゃないなと感じたあたりではすでに予感なんか消えてどっか行っちゃってた。
結局、心が支配してるんだよね。
楽器のレッスン中にそうなってはいけないので事前にトイレに行きたいのだけど・・とかもういいか。
心が体を制御するのは間違いないと思う。
楽器も自分にわかる訳がないなんて思いこんでいるから体もそれ相応の反応をするのかもしれないと思うことはある。
バルトークにミクロコスモスというピアノのための練習曲がピアノを弾くわけではないただ聴くだけの人間にもあってなんか有名です。
本当に初めてピアノの前に座る子に向けたような(ちがうのかもしれないけど)1番から始まってどんどん難易度が上がってゆく・・と言うほど聴いてないけれど。

はじめてのレッスンて感じしますねこれ。
面白いのは最後に20秒とか演奏時間が書いてあるんですね。
この人の楽譜はこれに限らずもっと超絶複雑な作品にもこの楽章は何分何十秒みたいなのが必ず書いてあるんだったと思う。
テンポだけ指定しとけば結果としての経過時間はほっといてもついてくるはずで、書かずにいられないのはちょっと病的ななこだわりのような気もしますね。
こういうのを見るとちょっと頭のいっちゃった人みたいなイメージがわいたりするけれどこの人に限ってはそれも違うと思う。
息子の書いた本を読むとバルトークはものすごく理知的な人であったようだ。
昔読んだ指揮者の岩城の本に誰だか忘れたけれどバルトークと親しかった人から聴いたとこんなことが書いてあった。
彼の愛用したメトロノームはひどく壊れてくるっていた。彼の楽譜に指定された数字を、絶対に信用してはならない・・・
https://www.youtube.com/watch?v=5RMv9I9C5H4
最後の数曲はプロがコンサートで演奏したりもするそうだ・・・の一曲。

8分の4+2+3拍子、なんかハマるというか気持ちいいというか・・
以前窓から見える田んぼの土手から湧水が滝のように流れだした。
窓の外から聞こえる水の音はなんか風流というかいい感じ・・
でも急になんだ?地滑りの前兆か?結局、水道管が破裂して漏水していたいただけだった。

その土手。
急に白いものがあふれた。
あそこにあんなものをみたのは初めてだ。
どうしたんだろう?
何か始まるのかな?

近づけばあたりには甘い香りが立ち込めて。
他に何もないからこの花の香なのかな?
中学のあの頃、私は一日に何度もシャンプーで頭を洗ったりしないと気が済まないという異常行動がすでに始まっていたと思う。
それはその後悪化して、髪の毛から油の抜けきった変態的な容姿で街を歩いた。
その結果どうなったかはもう書かないけれど、今に至るまで影響を受けている。
この頭はおかしいと思う。
上の方で書いたマーラーの9番の演奏会は私にとってかけがえのない体験になった。
その演奏会は収録されCDとなっているので買って聴いてもみた。その内容を悪いという気はしないけれどあそこにあった張り詰めたなにかをそこから感じることはできない。
音楽というのはやっぱり発生した現場に立ち会わないとえられないものというのがあると思う。
私は今、くだらない精神的束縛によってコンサートに行けないみたいなことを言っているあほだ。
人生の大事な時間を無駄にしていると思うけれど、その縛りを解くカギを探して、外してゆく作業を時間をかけて実行しているからいいの。
昨日楽器の練習にいったらちょっと良かったというかつかめたような気がしたというか・・今までもそういうの何度もあってその後ぐしゃぐしゃになったりしているけれど、でもできるどころかやってみる想像もしなかったことをやってるわけだし、ミクロな速さで進んでいるような気はするのね。
頭壊れてても、人生が失敗めいていても、なにか支えを見つけて生きて行ければいいんじゃないかと思ったり。
トイレに行きたくなりコンビニでもないかと捜し歩いている途中

手動ポンプな井戸を発見。
あでもよく見れば井戸じゃなくて直下の水路の水をくみ上げるようになっているだけかな。
もうしぼんじゃってたけど小さな朝顔がほほえましかった。
写真が適当なのは人目を気にしたのと、急がないとやばそうだったから・・
生活に支障をきたすほどではないけれど私は昔から若干頻尿気味かもしれません。
どこから始まったかははっきり覚えていてある中学の授業中に限界寸前で往生したあの時。
あの苦痛は二度とごめんだと思いそれから休憩時間毎に必ずトイレに行くようにした。
あの時はちょっと気をつけようくらいなつもりだったと思うけれど、そこの端を発する以上がその後30年も続くとは思っていなかった。
コンサートなど絶対に抜けられない状況がでは油断ができない。
コンサートにいくときは音楽の芯までしゃぶり尽くしてやるぞと変態的に意気込んでいくのでなんであれ音楽の邪魔が入ることは悲しい。
全曲100分程度のマーラーの3番の時はかなり緊張したけれど問題を感じることなくすごい演奏で大満足に終われた。
同じマーラーの9番の冒頭5分くらいでその予感がした時は泣きそうになった。
さらっと普通に流す演奏会もあるだろうけれどあの曲は演奏者が何か取りつかれたように魂を入れ、そうなることを予想し望んであつまった客たちと合わせ異様に張り詰めた芸術的異空間を作る・・みたいな演奏会になる可能性のある曲だと思う。この時まさにそれだった。
目の前で起こっていることにあこれ普通じゃないなと感じたあたりではすでに予感なんか消えてどっか行っちゃってた。
結局、心が支配してるんだよね。
楽器のレッスン中にそうなってはいけないので事前にトイレに行きたいのだけど・・とかもういいか。
心が体を制御するのは間違いないと思う。
楽器も自分にわかる訳がないなんて思いこんでいるから体もそれ相応の反応をするのかもしれないと思うことはある。
バルトークにミクロコスモスというピアノのための練習曲がピアノを弾くわけではないただ聴くだけの人間にもあってなんか有名です。
本当に初めてピアノの前に座る子に向けたような(ちがうのかもしれないけど)1番から始まってどんどん難易度が上がってゆく・・と言うほど聴いてないけれど。

はじめてのレッスンて感じしますねこれ。
面白いのは最後に20秒とか演奏時間が書いてあるんですね。
この人の楽譜はこれに限らずもっと超絶複雑な作品にもこの楽章は何分何十秒みたいなのが必ず書いてあるんだったと思う。
テンポだけ指定しとけば結果としての経過時間はほっといてもついてくるはずで、書かずにいられないのはちょっと病的ななこだわりのような気もしますね。
こういうのを見るとちょっと頭のいっちゃった人みたいなイメージがわいたりするけれどこの人に限ってはそれも違うと思う。
息子の書いた本を読むとバルトークはものすごく理知的な人であったようだ。
昔読んだ指揮者の岩城の本に誰だか忘れたけれどバルトークと親しかった人から聴いたとこんなことが書いてあった。
彼の愛用したメトロノームはひどく壊れてくるっていた。彼の楽譜に指定された数字を、絶対に信用してはならない・・・
https://www.youtube.com/watch?v=5RMv9I9C5H4
最後の数曲はプロがコンサートで演奏したりもするそうだ・・・の一曲。

8分の4+2+3拍子、なんかハマるというか気持ちいいというか・・
以前窓から見える田んぼの土手から湧水が滝のように流れだした。
窓の外から聞こえる水の音はなんか風流というかいい感じ・・
でも急になんだ?地滑りの前兆か?結局、水道管が破裂して漏水していたいただけだった。

その土手。
急に白いものがあふれた。
あそこにあんなものをみたのは初めてだ。
どうしたんだろう?
何か始まるのかな?

近づけばあたりには甘い香りが立ち込めて。
他に何もないからこの花の香なのかな?
中学のあの頃、私は一日に何度もシャンプーで頭を洗ったりしないと気が済まないという異常行動がすでに始まっていたと思う。
それはその後悪化して、髪の毛から油の抜けきった変態的な容姿で街を歩いた。
その結果どうなったかはもう書かないけれど、今に至るまで影響を受けている。
この頭はおかしいと思う。
上の方で書いたマーラーの9番の演奏会は私にとってかけがえのない体験になった。
その演奏会は収録されCDとなっているので買って聴いてもみた。その内容を悪いという気はしないけれどあそこにあった張り詰めたなにかをそこから感じることはできない。
音楽というのはやっぱり発生した現場に立ち会わないとえられないものというのがあると思う。
私は今、くだらない精神的束縛によってコンサートに行けないみたいなことを言っているあほだ。
人生の大事な時間を無駄にしていると思うけれど、その縛りを解くカギを探して、外してゆく作業を時間をかけて実行しているからいいの。
昨日楽器の練習にいったらちょっと良かったというかつかめたような気がしたというか・・今までもそういうの何度もあってその後ぐしゃぐしゃになったりしているけれど、でもできるどころかやってみる想像もしなかったことをやってるわけだし、ミクロな速さで進んでいるような気はするのね。
頭壊れてても、人生が失敗めいていても、なにか支えを見つけて生きて行ければいいんじゃないかと思ったり。
澄んだ水と溜まった水

すれ違い不可能な道を進んできて結構山奥。
車を降りて参道を歩く。
あそこを超えると別な世界につながってたりして・・

水は命だから、それ自体が信仰の対象になるのね。
ここには竜が住むのだという。
雨が続くから今は結構な水量が。
世の中嫌なことばかりだ。みんな水に流してしまえば・・・
いやこんな清らかな流れに嫌なもん流しちゃいけないだろう迷惑だ。
でもあんまりずっと持ってると自分が腐ってくるし・・
拾わなけりゃいいんだけど不器用すぎるから泥はねみたいに飛んでくるのをよけきれない。
嫌なことの沼みたいなのに腰までつからないと進めないようなところもあるし。
なにか普通とは違う張り詰めたような雰囲気に包まれていた。
天気も悪いし誰もいないだろうと思ってたら人がいて、家族連れの笑顔みたいなのが見えると場の緊張みたいなものが少し緩和される。

この山、外から見てると一面杉やヒノキの人工林みたいに見えるけれどそんなことはない深い森を持っているのね。
御幣があったり小さな社がいくつもあったりして神社みたいだけれど、

お線香を立てるわけだから・・
こんな山奥だけれど意外に立派な社務所とか、御幣も綺麗でしょっちゅう人の手が入っていると思う。
火は消されているけれどドラム缶の中からまだ煙が立ちのぼっていて、ついさっきまで関係者がいたことを教えてくれる。
地元の人たちが作った地元の人たちのための場や神様仏様だから、祈ったって俺は相手にされないんじゃないかと思ってた。
でも、そうじゃないんだよっていうのを感じたの。
どうやって感じたかは内緒。
世の中、思っているほど悪いものじゃないはず。
https://www.youtube.com/watch?v=VSi4HBFSGV8
またバルトーク。

拍子木みたいなシロフォンとかグリッサンドするティンパニとか、日本の神社みたいだ。
ハンガリーの人は日本人みたいに名字が名前の前にくるらしく、文化的な共通点が・・なんて思ったけれど地図を見るとオーストリアの隣でウィーンもすぐそこなのね。
すぐそこじゃないんだろうけど。
一度行ってみれば音楽を聴いて感じるものもガラッと変わったりするんだろう。
多分死ぬまで行かないと思うけれど。
今、小さな旅行も行けなくなってしまった。
理由を書くと頭のおかしい人の話になってくると思う。

澄んだお水。
飲んで行けばよかったか。
私の中の腐ったものを洗い流してくれたりして。
自分まで溶けて流れちゃったりして。
参道を歩き車へ戻ると不思議なことに結構な量の雨が降っている。
あそこにいる間は一滴の雨も感じなかったのに・・
そう言うとすかさず聞こえてくる
そんなこといくらでもあるだろ!
みたいなのもどっかへ流しちゃいたい。
別な道を車で下ってゆくと・・

こんなのあったっけ?
嫌なことや悲しいことを水に流すと、ああいうところにたまってすごいことになったりして。
昔そんな歌あったな。
嫌なことがあるのも生きていればこそ・・そんな無責任なきれいごとを並べてられるうちは幸せだから。
いない・・
どこか遠くへ行きたかったけれど嫁さんは調子が悪く遠出はいやらしい。
近場でといったって天気も悪いし行くところも思いつかない。
海でも見るか・・

見えないし・・
防波堤に座ると、風が気持ちいい。
天気が悪いなりの幻想的な景色・・なんかなかった。
すぐそこに大きな川の河口。
水きたないなーとかは言わなくていいのか。
眼下の浜辺には歓声を上げて遊ぶ幼い兄弟。
1人はもうすぐ大人の世界が覗けるようになる頃。
でも見てるとまだまだ子供なのね。
皆あんなところを通ってくるんだなぁ・・
あそこで釣りしてるのが親父さんか?
隣で嫁さんが落ち着かないのはわかっているけれどかける言葉も思いつかない。
しばらくすると立ち上がって、
どっかいっちゃった。
なにがそうさせたかはわかっている。
いろいろ思うところやいいたいこともあるけれど、二人の問題で他人様の前に出してはいけないと思う。
そもそも二人の間でもちゃんと話ができ意思の確認ができているかといえば違うかもしれない。
もっと言えば、当人だって自分の気持ちをちゃんと把握、理解できていないと思う。
人生を無駄にしないために考えなければならないこともあるけれど、逆にもう考えちゃいけないこともあるかもしれないと思った。

一瞬日がさしたりするときれいじゃない。
あの人あのまま外国まで歩いていっちまえば面白いのにな。
風が気持ちいいし、
もう少しいたいけれど・・
嫁さんどこいっちゃった?
https://www.youtube.com/watch?v=AzNaL9nQ92s
嫁さんへの誕生プレゼントだったバルトークのピアノ協奏曲第3番。
分奏の弦楽器で始まる第2楽章は祷りのようでもあるけれど、何かとても繊維でとても大切なもののようだ。

Adagioの次のreligiosoは敬虔なとか宗教的なみたいな意味のようだけど祈るように・・・か。
天使の見え隠れする雲みたいだけれどいきなり対位法的なカノンみたいになっているところがこの人らしいというか‥ただなんとなく雰囲気でみたいな話は嫌いで何にでも論理的な裏付けがされていないと気が済まない人というか・・
しかし聴いていると優しさと愛情に満ち溢れているような気がする。
それだけじゃない、なんだかすこし悲しい。
息子の本を読んでいたら、バルトークが窓の外で歌っている鳥の鳴き声を愛で、ひとつ残らず採譜して楽しんでいるところが出てきた。とても素晴らしい時間。
遠くにいる息子への手紙の中にもその譜例がありそれらは

この楽章中間部的なざわめきの中にそのまま出てくる。
この音楽はバルトークが仕事をしくつろぎ、そばには家族がいた大切な世界への思いなんじゃないか。
誕生プレゼントとして書かれたこのスコアを嫁さんが見たのは作者の死後であったと思う。
きっと他にも二人にしかわからない、でも言葉なしで通じるなにかがちりばめられていたりするんでしょうね。

このあたりなんか泣きそうだ・・
後半、この愛と優しさに満ちれつつどこか悲しくもある世界を脅かすかのような楽想が出てくる。
皆隠したというけれど、本当は自分の死が迫っていることを知っていたのかなと思ったり。
お別れと感謝の意を感じるのは知っているエピソードに流されすぎているからかもしれないけれど・・
完成の直前で死が訪れたことが有名なこの曲、もしかすると間に合わなかったんじゃなくて神様がそこまで待ってくれたということなのかもな。
すごく離れたところに立って意思表示をしている嫁さんのところへ行くと、
スカートが薄いのでとげがお尻にささったから・・
なんだそれ?
そうじゃないのもわかっているけれどまあいいか。
今あることを大事にして死ぬまで生きてくしかないじゃない。
甘いもの食べに行こうと思ったけど腹も減らない。
もう今日は帰ろうよ。
近場でといったって天気も悪いし行くところも思いつかない。
海でも見るか・・

見えないし・・
防波堤に座ると、風が気持ちいい。
天気が悪いなりの幻想的な景色・・なんかなかった。
すぐそこに大きな川の河口。
水きたないなーとかは言わなくていいのか。
眼下の浜辺には歓声を上げて遊ぶ幼い兄弟。
1人はもうすぐ大人の世界が覗けるようになる頃。
でも見てるとまだまだ子供なのね。
皆あんなところを通ってくるんだなぁ・・
あそこで釣りしてるのが親父さんか?
隣で嫁さんが落ち着かないのはわかっているけれどかける言葉も思いつかない。
しばらくすると立ち上がって、
どっかいっちゃった。
なにがそうさせたかはわかっている。
いろいろ思うところやいいたいこともあるけれど、二人の問題で他人様の前に出してはいけないと思う。
そもそも二人の間でもちゃんと話ができ意思の確認ができているかといえば違うかもしれない。
もっと言えば、当人だって自分の気持ちをちゃんと把握、理解できていないと思う。
人生を無駄にしないために考えなければならないこともあるけれど、逆にもう考えちゃいけないこともあるかもしれないと思った。

一瞬日がさしたりするときれいじゃない。
あの人あのまま外国まで歩いていっちまえば面白いのにな。
風が気持ちいいし、
もう少しいたいけれど・・
嫁さんどこいっちゃった?
https://www.youtube.com/watch?v=AzNaL9nQ92s
嫁さんへの誕生プレゼントだったバルトークのピアノ協奏曲第3番。
分奏の弦楽器で始まる第2楽章は祷りのようでもあるけれど、何かとても繊維でとても大切なもののようだ。

Adagioの次のreligiosoは敬虔なとか宗教的なみたいな意味のようだけど祈るように・・・か。
天使の見え隠れする雲みたいだけれどいきなり対位法的なカノンみたいになっているところがこの人らしいというか‥ただなんとなく雰囲気でみたいな話は嫌いで何にでも論理的な裏付けがされていないと気が済まない人というか・・
しかし聴いていると優しさと愛情に満ち溢れているような気がする。
それだけじゃない、なんだかすこし悲しい。
息子の本を読んでいたら、バルトークが窓の外で歌っている鳥の鳴き声を愛で、ひとつ残らず採譜して楽しんでいるところが出てきた。とても素晴らしい時間。
遠くにいる息子への手紙の中にもその譜例がありそれらは

この楽章中間部的なざわめきの中にそのまま出てくる。
この音楽はバルトークが仕事をしくつろぎ、そばには家族がいた大切な世界への思いなんじゃないか。
誕生プレゼントとして書かれたこのスコアを嫁さんが見たのは作者の死後であったと思う。
きっと他にも二人にしかわからない、でも言葉なしで通じるなにかがちりばめられていたりするんでしょうね。

このあたりなんか泣きそうだ・・
後半、この愛と優しさに満ちれつつどこか悲しくもある世界を脅かすかのような楽想が出てくる。
皆隠したというけれど、本当は自分の死が迫っていることを知っていたのかなと思ったり。
お別れと感謝の意を感じるのは知っているエピソードに流されすぎているからかもしれないけれど・・
完成の直前で死が訪れたことが有名なこの曲、もしかすると間に合わなかったんじゃなくて神様がそこまで待ってくれたということなのかもな。
すごく離れたところに立って意思表示をしている嫁さんのところへ行くと、
スカートが薄いのでとげがお尻にささったから・・
なんだそれ?
そうじゃないのもわかっているけれどまあいいか。
今あることを大事にして死ぬまで生きてくしかないじゃない。
甘いもの食べに行こうと思ったけど腹も減らない。
もう今日は帰ろうよ。
家族について

山小屋に明かりが灯ってた。
晩飯がそうめんだった夜、嫁さんがみかんのせる?とか聞いてきた。
みかん?
い、いらない。
嫁さんのそうめんの上には缶詰のみかんが・・
昔見たことがあるような気もするその景色は私にはちょっと受け入れがたいのだけれど、嫁さんは何だか楽しそうだ。
それでいじゃない。
楽器のレッスンを受けている私はめちゃくちゃで先生に心理的負担をおかけしていると思う。
先日のレッスンで急に
そろそろ奥さんが文句を言いはじめていないですか?
え?
ああ、そこが気になるんだ・・
前にもどうにもならない人がいたらしく先生は感情が高ぶるとその人のことを批判して見せるのだけれど、どうもその人の奥さんが先生にこれだけ通っているのにいつまでたっても上達しないのはどういうことなのかと詰め寄ったようだ。
それは筋違いとかいうのは他人のことでどうでもいいから置いておくとして、
うちの嫁さんは私に対してもそういう愚痴や嫌味みたいなことは間違っても口に出さないし、そもそも考えないと思う。
考えてみればその一点だけでも私は幸せだと思った。
合奏したいとか言いながら電子ピアノを弾いてみせたりして・・
本気なのか冗談なのか知らないけれど、いつか本気で合奏がで来たら・・
https://www.youtube.com/watch?v=lsx8dMG4qzc
バルトークのピアノ協奏曲第3番は、明るく優しく健全・・彼の他の曲に聞こえる原始、野生、グロテスクみたいな音楽とは全然違う。
窓から差し込む光、テーブルの上の花瓶には花・・なんかそんなものを感じながら・・

バルトークの子供うち音楽の専門家にはならなかったらしい人?が作曲家としてのバルトークじゃなく自分の知る親父を書きましたという本を持っている。
ちょっと読んでそのままになっていたものを引っ張り出してきて開いてみると、偶然この曲について書かれた部分に当たった。
最後の夏、仕事場に積まれた楽譜の中からこの曲をスコアみせてもらった。
「母さんへの誕生日プレゼントだから、母さんには内緒だ」
医者も家族もそれを伏せていたけれど、この時作曲者は死の病にかかっていた。
オーケストレーションももうすぐ完成、スコアの最後の17小節を埋めるだけというところで医者から入院の指示を受け救急車で運ばれ、その後も肉体の自由は奪われて最後の小節を自分で埋めることは永久にかなわなかった。
それでも何とかしようとした親父の指示をうけ残り17小節の小節線をこの息子さんが引く。
さらにその後ろに全曲の終止であることを示す終止線を親父が引き・・・本当に完成はもう目前だった。
当時もう生命維持装置の類があったらしく、本人は延命処置に対して不満と抗議の意思を示していたという。
頭の中で完成していただろういくつもの曲をこの世に置いていけないことを悔しがってもいたようだ。
スケッチや略記による指示によってこの曲はほぼ完成していたといえ、ずっと手伝っていた人の補筆によって問題なく演奏される。
最後にどうしてもやりたかったことは嫁さんへのプレゼントを完成させることだった・・
単純に芸術家としての愛情表現というだけでなく、すでに有名となり作品の演奏機会や依頼が増えていた自分の作品を演奏することでの嫁さんの具体的な経済的支援みたいなことを考えていたらしいところにこの人らしさがあるとも思う。
思うけれどそういうことよりこの曲自体が嫁さんへのメッセージなんでしょうね。
感動的な話と音楽で頭が満たされた次の日、
仕事で私より少し若く明るく快活な人と長時間同行。
一生懸命雑談のネタを持ち出して場を作ろうとしてくれるのに答えていきたいんだけれど、私は普段から情報遮断しすぎているから何言ってんだかわからなくて会話をつづけられない。
流れてくるテレビの音声にイライラしてることを面に出したらいけないとか思ったりもしながら・・
昔から分っていることで今更驚かないし、もうしょうがないんだけれどダメね俺は。
多分この先人の輪に入ってみんなと楽しくというのは死ぬまで来ないと思う。
そんな私にも奇跡のように嫁さんがいて、犬がいる。
犬は隣で雨音に向かって吠えた後、今はひっくり返っていびきをかいてる。
私にはこの世に置いてゆくものは何にもないけれど、
その時までは少しでも有意義にというか適当に楽しく生きたいと思う。
有意義には標準的正解に近づくということではないというところを間違えないようにしないといけないと思う。
なかなかうまくはいかないし、邪魔もたくさん襲ってくるけれど。

散歩は3人が楽しいね。
時間トンネル
雨の合間、峠のトンネルへ向かう国道をそれて旧道に入る。
雨に濡れた森は鮮やかとは違うけど
奇麗といえば奇麗。

窓を開ければ沢の音が聞こえる。
雨に濡れた木々と天気のせいだろう鬱蒼としているともいえ、1人で歩いてとかだったら結構怖いかも。
先日はこの先路面の状況も悪く工事をしてるようだったので引き返した。
そこはしっかり治っているようで今日はどんどん進める。
でももう雨水が未舗装の路面を削って結構な溝を作っていた。
未舗装だとすぐこうなるのね・・水ってすごいな。
ハマると嫌だなとか思いそこを注視しながら・・
水は低いところに集まって砂を削る。
削られて低くなったところにはさらに水が集まって大きく砂を削ってゆく。
削られ谷となったところには・・
人はみんな一緒なはずとかいうけれど嘘だ。
弱いものは集中して削り取られ、そうでないものを守る役目を負っていると思う。
いまさら強くなったり高くなるのは難しいけれどいらんことに対して図々し・・
あれ、今向こうから歩いてきてた人は?
は?
突然嫁さん何言ってんの?
人が歩いてきてたよね?

誰も来ねーよこんな天気のこんな所。
歩いてたよねえ?
・・・・・?・・下の駐車場に車はなかったし、バスで・・こんな天気で‥いやその前に人影なんてなかったから・・
帽子かぶってた人が・・
・・・・・
変なことを考えちゃいけない。
気を奮い立たせてしっかり前を向いて・・
ねえ歩いてたよねぇ!
もいいから・・
もうちょっと行くと目的地に到着。
かなり山深い。

明治38年開通の天城トンネ・・
あの工事看板もうちょっと外したとこに置けばいいのに・・
まいいか。
晴れていればきっと気落ちのいい場所なんだろうここも。

今はちょっと薄気味悪いというか、一人できたら確かに誰かを見ちゃいそうな気がする。
昔きいた行商の帰りに日の暮れたここをバイクで走ると森の中でなんか色のついた光が燃えていてるのをみたとかいう話を思い出したりして。
そりゃあ、こんなとこじゃそんなもんも出そうだな。
https://www.youtube.com/watch?v=qPVVnv1j4JM
なんか音量低すぎだけど・・
静まり返った自然、でも精霊たちは・・みたいな。
トーンクラスターみたいなのが出てくる中間部も面白いけれど美しくも不気味な主部、

主役はピアノのほかに、この人の曲にはいつも出てくるグリッサンドするペダルティンパニのドロドロ世界でしょう。

前来たときも照明あったっけ?
なかなかきれいじゃない。
バルトークは超絶技巧系な優れたピアニストでもあった。
若いころコンクールで1位を逃したが、その時の1位がバックハウス(2つ前の記事でベートヴェンを弾いている人)で・・という話が有名。それがちょうど1905年、明治38年だった。
自作自演の録音が残る作曲家と老いていたとはいえステレオ録音に間に合ったピアニスト、近代的、現代的な音楽とこの古めかしい石積みのトンネルポータル。
どうも音楽史上の出来事と日本の歴史には時差を感じるというか・・50年くらいずれているような印象があるというか・・

振り向けば過去。
風が吹き抜けていた。
地下水の漏水で結構水滴が降ってくる。
トンネルの中まで雨が降ったみたいに。
二人しかいないのに足音が三人分聞こえたりとかそういうの来たらどうしようか・・

始め妙な雰囲気に緊張していたことも忘れるくらいの距離感で結構歩いてきた。
入り口付近に誰か車で来たようで、トンネル自体が拡声器みたいになり些細な音や何だかぶつぶつ言ってる声がここまでよく聞こえてくる。
結構歩いて抜け出た先は別に何か面白いところなわけでもなかった。
そんな言い方ないか。
また長いトンネルを歩いて戻る。
声を出すと反響するのが面白く、馬鹿みたいにでっかい声を伸ばしてみたりして。
何年やっても私には腹式呼吸というのが実感的に理解できない。
理解しようとしていないのかもしれない。
偶然そうなったときに楽器の音が部屋に反響する具合うが全然違うと思った事はある。
あるけれどコントロールすることは・・いいかそれは今は。
この長いトンネルを抜けると、そういうことも含めて今までと違う私に代わっているんじゃないか・・
と思ったけれどそんな訳もなかった。

ここへ来たのはもしかするともう15年ぶりくらい。
嫁さんになる前の嫁さんと一緒に。
明るく晴れた日で、休日だから人も結構いたような・・・
あれから自分が成長したとかいう実感もない。
でも思い出す価値のある思い出をくれてありがとう。
次に来るのはまた15年後かな?
時間の価値がどんどん変化しているから次の15年はあっという間に来るだろう。
生きて来られるだろうか?なんて書くとほんとに病気を呼んだりするからそろそろ言葉も気を付けないとね。
今とは違う、何かを持った私でここに来れますように。
雨に濡れた森は鮮やかとは違うけど
奇麗といえば奇麗。

窓を開ければ沢の音が聞こえる。
雨に濡れた木々と天気のせいだろう鬱蒼としているともいえ、1人で歩いてとかだったら結構怖いかも。
先日はこの先路面の状況も悪く工事をしてるようだったので引き返した。
そこはしっかり治っているようで今日はどんどん進める。
でももう雨水が未舗装の路面を削って結構な溝を作っていた。
未舗装だとすぐこうなるのね・・水ってすごいな。
ハマると嫌だなとか思いそこを注視しながら・・
水は低いところに集まって砂を削る。
削られて低くなったところにはさらに水が集まって大きく砂を削ってゆく。
削られ谷となったところには・・
人はみんな一緒なはずとかいうけれど嘘だ。
弱いものは集中して削り取られ、そうでないものを守る役目を負っていると思う。
いまさら強くなったり高くなるのは難しいけれどいらんことに対して図々し・・
あれ、今向こうから歩いてきてた人は?
は?
突然嫁さん何言ってんの?
人が歩いてきてたよね?

誰も来ねーよこんな天気のこんな所。
歩いてたよねえ?
・・・・・?・・下の駐車場に車はなかったし、バスで・・こんな天気で‥いやその前に人影なんてなかったから・・
帽子かぶってた人が・・
・・・・・
変なことを考えちゃいけない。
気を奮い立たせてしっかり前を向いて・・
ねえ歩いてたよねぇ!
もいいから・・
もうちょっと行くと目的地に到着。
かなり山深い。

明治38年開通の天城トンネ・・
あの工事看板もうちょっと外したとこに置けばいいのに・・
まいいか。
晴れていればきっと気落ちのいい場所なんだろうここも。

今はちょっと薄気味悪いというか、一人できたら確かに誰かを見ちゃいそうな気がする。
昔きいた行商の帰りに日の暮れたここをバイクで走ると森の中でなんか色のついた光が燃えていてるのをみたとかいう話を思い出したりして。
そりゃあ、こんなとこじゃそんなもんも出そうだな。
https://www.youtube.com/watch?v=qPVVnv1j4JM
なんか音量低すぎだけど・・
静まり返った自然、でも精霊たちは・・みたいな。
トーンクラスターみたいなのが出てくる中間部も面白いけれど美しくも不気味な主部、

主役はピアノのほかに、この人の曲にはいつも出てくるグリッサンドするペダルティンパニのドロドロ世界でしょう。

前来たときも照明あったっけ?
なかなかきれいじゃない。
バルトークは超絶技巧系な優れたピアニストでもあった。
若いころコンクールで1位を逃したが、その時の1位がバックハウス(2つ前の記事でベートヴェンを弾いている人)で・・という話が有名。それがちょうど1905年、明治38年だった。
自作自演の録音が残る作曲家と老いていたとはいえステレオ録音に間に合ったピアニスト、近代的、現代的な音楽とこの古めかしい石積みのトンネルポータル。
どうも音楽史上の出来事と日本の歴史には時差を感じるというか・・50年くらいずれているような印象があるというか・・

振り向けば過去。
風が吹き抜けていた。
地下水の漏水で結構水滴が降ってくる。
トンネルの中まで雨が降ったみたいに。
二人しかいないのに足音が三人分聞こえたりとかそういうの来たらどうしようか・・

始め妙な雰囲気に緊張していたことも忘れるくらいの距離感で結構歩いてきた。
入り口付近に誰か車で来たようで、トンネル自体が拡声器みたいになり些細な音や何だかぶつぶつ言ってる声がここまでよく聞こえてくる。
結構歩いて抜け出た先は別に何か面白いところなわけでもなかった。
そんな言い方ないか。
また長いトンネルを歩いて戻る。
声を出すと反響するのが面白く、馬鹿みたいにでっかい声を伸ばしてみたりして。
何年やっても私には腹式呼吸というのが実感的に理解できない。
理解しようとしていないのかもしれない。
偶然そうなったときに楽器の音が部屋に反響する具合うが全然違うと思った事はある。
あるけれどコントロールすることは・・いいかそれは今は。
この長いトンネルを抜けると、そういうことも含めて今までと違う私に代わっているんじゃないか・・
と思ったけれどそんな訳もなかった。

ここへ来たのはもしかするともう15年ぶりくらい。
嫁さんになる前の嫁さんと一緒に。
明るく晴れた日で、休日だから人も結構いたような・・・
あれから自分が成長したとかいう実感もない。
でも思い出す価値のある思い出をくれてありがとう。
次に来るのはまた15年後かな?
時間の価値がどんどん変化しているから次の15年はあっという間に来るだろう。
生きて来られるだろうか?なんて書くとほんとに病気を呼んだりするからそろそろ言葉も気を付けないとね。
今とは違う、何かを持った私でここに来れますように。
お地蔵様と音楽
春節で長い休みだった中国も動き出したみたいで電話をしたら
あけましておめでとうございますーとか言って明るかった。
あけましたかぁ・・
こちらも小さく連休だった。
休み中には久しぶりに音楽専用部屋でじっくり音楽を聴きました。
昔は音楽を聴いて涙とかあほかなんて思っていたけれど、目頭が熱くなるくらいのことは起こるようになってきた。これも歳のせいかなぁ・・音楽っていいよねぇ。
ちゃんと音楽を聴くことは1月以上なかったと思う。
風邪で調子が悪いというのもあったけれど、楽器の練習に時間と気をとられていたから。
毎日会社帰りに1時間、スタジオの個人練習室を借りて練習をするひとり部活。
まだ基礎もなってないんだと思うけれどそれでもレッスンに行くたび教則本のページは進んでいく。
曲をやるなんてずっと先の話ですよ・・は当然のことだと思っていて何の疑いもないけれど、教則本の1.とか2.とかいうやつだって5線上に音符がのっているんだから私にとって曲だ。
とにかくロングトーンだけを繰り返すところから始まってそれは今後も続くんだけれど、初めて音符を目で追いながら曲らしきものを吹き、いいでしょうという声を聴いたときは嬉しかった。

だるま山高原レストハウスから、夕日を受けて若干赤い富士山。
あと少し待てば桃色富士山が見られるかもしれない・・でも寒い。
寒すぎる・・次いこ。

峠を超えて少し下るとお地蔵さまがいる。
悲しい由来のあるこのお地蔵さまは、今は芸事の上達を願う人たちが訪れる場所でもあるという。
何か月か前、また楽器を始めようかという頃にここへきてお祈りしてみると
お地蔵さまがお前なんか知らねーよとそっぽを向いているように見え・・こっちも情けない自分を何だこりゃなんて思っていたからまあそりゃそうですよねーなんて自棄になったりして。
あの時、そっぽ向いていると思ったお地蔵さまが笑ってくれてる。
ちょっと嬉しい。
もう一体はとても微妙な表情・・いや、見るたびに表情が変わる。
・・・探るようなつもりで見ているときには厳しいお顔に見えるお地蔵様、
ふと思いついてまず自分が笑ってみる。
顔だけじゃなく心も笑顔にして・・・
そしたら、穏やかに笑ってくれたような気がした。
何馬鹿なこと書いてんだと思うでしょう。いいの。
きっとこういうのって自分の心を映す鏡みたいなものなんでしょうね。
何でも感じたりやったりするのはほかならぬ自分なんだから、自分というものを教えてくれているんだと思う。
一見、大した景色は見えないようにも思えるこの場所だけど、
脇にある細道を降りていくと

木製の小さな展望台があり、

素敵な景色が眺められる。
天橋立のちっちゃいようなのが見える場所は戸田。
向こうには三保なんかも見えてるけど写真だとわかんないか。

南アルプスとかでしょう?
バルトークというと、聴衆への分かりやすさにも配慮したらしい有名な数曲を除いてどれも難解で暗い音楽というイメージがあったりもする。
息子の書いた本を読んでいたら超絶技巧ピアニストでもあった彼がベートーベンのソナタを大事に丁寧に練習しているようなシーンが出てきた時にはちょっと意外というか驚いた。
そのバルトークの有名な作品の中にミクロコスモスというピアノのための曲集がある。
それが何なのかも知らないまま、CDで3枚組くらいの全集を昔買って来た。
聴き始めればすぐにわかるけれど、この曲集は初心者というかピアノを始めた子供から包括する教則本みたいなものなのであるようだ。進むにつれて難易度が上がってゆく。
おしまいの2巻に収められた曲はコンサートで弾かれることもあるというところが、ピアノを習っている人がよく口にするあの‥なんだっけ・・なんだか知らない練習曲と違うところなんでしょうか。
全然聞いていなかったけれどいま6巻を聞いてみるとなかなか面白い。
https://www.youtube.com/watch?v=kPRxjd2ETSo
そして1巻の始めはこんな感じ。
ほんとに一番最初の基礎からというところなんだろうけど、でもすでに私には難しいというかちゃんとできないと思います。
歴史に名を遺したような人について書かれたものを読んでいると、まだ言葉も話せないような頃に大人が目を離すといきなり耳コピで曲を弾き始めてた・・みたいなのありますよね。
そうじゃない普通のすごく弾ける人はやっぱりみんなこんなところから始めるもんなんでしょうか。

日が暮れていく。
いつも夕陽を見ながら何かすごいことが起きるんじゃないかと期待している。
でも起きないねそんなの。

暮れた後しばらくたってからが神秘の時間・・もうちょっと後かな。
それより寒いよ。

お地蔵様ありがとうございます。
がんばります。
あけましておめでとうございますーとか言って明るかった。
あけましたかぁ・・
こちらも小さく連休だった。
休み中には久しぶりに音楽専用部屋でじっくり音楽を聴きました。
昔は音楽を聴いて涙とかあほかなんて思っていたけれど、目頭が熱くなるくらいのことは起こるようになってきた。これも歳のせいかなぁ・・音楽っていいよねぇ。
ちゃんと音楽を聴くことは1月以上なかったと思う。
風邪で調子が悪いというのもあったけれど、楽器の練習に時間と気をとられていたから。
毎日会社帰りに1時間、スタジオの個人練習室を借りて練習をするひとり部活。
まだ基礎もなってないんだと思うけれどそれでもレッスンに行くたび教則本のページは進んでいく。
曲をやるなんてずっと先の話ですよ・・は当然のことだと思っていて何の疑いもないけれど、教則本の1.とか2.とかいうやつだって5線上に音符がのっているんだから私にとって曲だ。
とにかくロングトーンだけを繰り返すところから始まってそれは今後も続くんだけれど、初めて音符を目で追いながら曲らしきものを吹き、いいでしょうという声を聴いたときは嬉しかった。

だるま山高原レストハウスから、夕日を受けて若干赤い富士山。
あと少し待てば桃色富士山が見られるかもしれない・・でも寒い。
寒すぎる・・次いこ。

峠を超えて少し下るとお地蔵さまがいる。
悲しい由来のあるこのお地蔵さまは、今は芸事の上達を願う人たちが訪れる場所でもあるという。
何か月か前、また楽器を始めようかという頃にここへきてお祈りしてみると
お地蔵さまがお前なんか知らねーよとそっぽを向いているように見え・・こっちも情けない自分を何だこりゃなんて思っていたからまあそりゃそうですよねーなんて自棄になったりして。
あの時、そっぽ向いていると思ったお地蔵さまが笑ってくれてる。
ちょっと嬉しい。
もう一体はとても微妙な表情・・いや、見るたびに表情が変わる。
・・・探るようなつもりで見ているときには厳しいお顔に見えるお地蔵様、
ふと思いついてまず自分が笑ってみる。
顔だけじゃなく心も笑顔にして・・・
そしたら、穏やかに笑ってくれたような気がした。
何馬鹿なこと書いてんだと思うでしょう。いいの。
きっとこういうのって自分の心を映す鏡みたいなものなんでしょうね。
何でも感じたりやったりするのはほかならぬ自分なんだから、自分というものを教えてくれているんだと思う。
一見、大した景色は見えないようにも思えるこの場所だけど、
脇にある細道を降りていくと

木製の小さな展望台があり、

素敵な景色が眺められる。
天橋立のちっちゃいようなのが見える場所は戸田。
向こうには三保なんかも見えてるけど写真だとわかんないか。

南アルプスとかでしょう?
バルトークというと、聴衆への分かりやすさにも配慮したらしい有名な数曲を除いてどれも難解で暗い音楽というイメージがあったりもする。
息子の書いた本を読んでいたら超絶技巧ピアニストでもあった彼がベートーベンのソナタを大事に丁寧に練習しているようなシーンが出てきた時にはちょっと意外というか驚いた。
そのバルトークの有名な作品の中にミクロコスモスというピアノのための曲集がある。
それが何なのかも知らないまま、CDで3枚組くらいの全集を昔買って来た。
聴き始めればすぐにわかるけれど、この曲集は初心者というかピアノを始めた子供から包括する教則本みたいなものなのであるようだ。進むにつれて難易度が上がってゆく。
おしまいの2巻に収められた曲はコンサートで弾かれることもあるというところが、ピアノを習っている人がよく口にするあの‥なんだっけ・・なんだか知らない練習曲と違うところなんでしょうか。
全然聞いていなかったけれどいま6巻を聞いてみるとなかなか面白い。
https://www.youtube.com/watch?v=kPRxjd2ETSo
そして1巻の始めはこんな感じ。
ほんとに一番最初の基礎からというところなんだろうけど、でもすでに私には難しいというかちゃんとできないと思います。
歴史に名を遺したような人について書かれたものを読んでいると、まだ言葉も話せないような頃に大人が目を離すといきなり耳コピで曲を弾き始めてた・・みたいなのありますよね。
そうじゃない普通のすごく弾ける人はやっぱりみんなこんなところから始めるもんなんでしょうか。

日が暮れていく。
いつも夕陽を見ながら何かすごいことが起きるんじゃないかと期待している。
でも起きないねそんなの。

暮れた後しばらくたってからが神秘の時間・・もうちょっと後かな。
それより寒いよ。

お地蔵様ありがとうございます。
がんばります。
暗い日の箱根
幼いころ、父親の勤務先の保養所が箱根にあり家族で泊まりに行った。
父親の友人一家と一緒だった事もあった気がする。私から最も遠く出来れば見たくないと感じる光景が、今思えば私の家にもあった。
何度かあったかもしれないそれには最低な記憶となっているものもあり今はその訳もわかるのだけれど、始めのうちは楽しみだったしハワイに行くくらいのインパクトがあったと思う。

15年くらい前か、休日の夜になると花火の音が盛大に聞えるようになった。
すぐ近くのようなのに見渡してみても何も見えないし、どう調べても近隣のどこにも花火大会を行っているところはない。
ずっと不思議だったのだけどある時わかった。
前の晩にみた箱根芦ノ湖上での花火の段取りと全く同じ内容で音がしている・・・
芦ノ湖上の花火の音がカルデラ内で反響し外輪山の淵にある私のうちまで届いていたのだった。まるですぐその辺でやっているかのような鮮明な音で。
ハワイかと思った遠い箱根は実は空間的にはすぐ近くなのだった。
先週の三連休の最終日、昼食のレストランで嫌な思いをし気分が下がる。もともとさがってたまま出かけるからそういうお店にしか出会えないのかもしれない。
曇った天気みたいな気分で行先も思いつかないまま適当に走っていると箱根。
連休の箱根なんて笑顔あふれる人間だらけだ。人間拒否症をこじらせているので近づきたくない。
人なんか来ないようなところでも眺めるか。

ここは大涌谷の裏側というか何でもないようなところ。
硫黄のにおいが立ち込め、立ち入り禁止の囲い・・
記憶が定かではないけれど、あの大地震以降ただの林だったところに蒸気が出るようになった気がする。
その分、この先で出ていた蒸気は止まってしまった。
木は歩いて逃げるという事ができないから、地熱とガスでやられて枯れてしまった。
今はみんな倒れているけれどまだみんな立ったまま煙の中で悲鳴も上げずにじっとしている光景は印象的だった。
逃げることは間違いとか弱いとかいうけれど、逃げられるって得難く素晴らしいことですよね。
そこから少し下ると

大涌谷の下流。上にぶら下がっているのはロープウェイ。
一昨年だったか箱根が噴火したという時にはこのあたり一体にとてつもない轟音が響いていた。
始めのうちは皆車を停めてみていたりしたけれど、ほどなく危険なため車を止められないようにする処置がされた。
私も面白がってへらへら見ていたけれど、突然何が起こるかわからないのが山の噴火である。何もなく終わったのは偶然にすぎず、ここを通過している車を巻き込む大惨事が起こっていてもおかしくなかったのかもしれない。実際、最近もそんな例がたくさん起きていると思う。
電柱に取りつけられた金具は硫黄ガスで腐食している。ガードレールも腐食ですごいことになってどのあたりまでどんな風にガスが流れたのかを教えてくれる。
この周囲の木々もすべて枯れて死の谷の様相。

ここを流れるあの水というかお湯?
箱根の最高のお湯が流れてるんだからあれも溜めればいい風呂になるのかな?
https://www.youtube.com/watch?v=aoyhh0ZaWM0
これはバルトークの弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽・・の第1楽章。
弦チェレとかいったりします。
中学生の時、ラジオで初めて聴いた。
曲名にチェレスタとあるからきっときらきらとした素敵な音楽だろうと・・・
でも流れだしたのはこんななめくじの葬式みたいな・・
なんかショックを受けたような記憶が。

今ではこの曲かなり好きで第1楽章も嫌いじゃない。
死人の声みたいに始まるけれど実はフーガかよという音楽。
箱根のロープウェイみたいに峠に向かって登ってゆき、そこを超えると主題の音高が上下反転した転回形で降りてくる。
チェレスタが鳴っているあたりはあの世への入り口が開いているみたいじゃない?彼岸花がいっぱい咲いてそうな・・
最後は1点に収束して消える。
一見、この日の私の気分みたい・・・どこまで行っても満たされないのだ・・みたいな。
でもこの楽章数学的に設計されてたりもするらしい。
おっさんのナメクジみたいな心とは次元が違うんだ。
しかしこの動画を作った人も何を考えてこんな映像をあてたんだろうか?
もうちょっと下ると

早雲山駅というケーブルカーとロープウェイの乗換駅。
ロープウエイは設備更新で建物も新しくなったみたいだけどケーブルカーを含むあの駅舎は昭和すぎ。タイルの装飾・・
昭和なトイレ健在。
よくわかんないけど石原裕次郎とかの白黒映画の頃みたいな印象。

この鏡に手書きの広告もなんか懐かしいような・・
乗り換えの人がたくさん。
あんまり見ないようにしたりして。
ケーブルカーというと麓駅と山領駅みたいなのが多いけれどここは中間にも駅を持っている。

そんな小駅に移動してみてると結構利用者もいるみたいだ。
いい歳をしたおっさんがケーブルカーを見物して喜ぶ。
幼いころこのあたりへ来た記憶が。
当時は踏切があって線路を渡れたと思う。
踏板の間をケーブルがゴーっとかいって走っていて・・

今はあんなの危険すぎてゆるされないだろう。引っかかって持ってかれちゃった人とかいなかったのかな?
鉄道好き少年だったから強烈に印象付けられたこの場所の記憶は忘れない。
この後強羅の駅前に降りると人だらけだ。
嬉しそうな若い人の笑顔・・そういうのが平気というか楽しいと思うときもあった気がするんだけど。でもこの日はダメな日。
カフェらしきものも見つけたけれどぼったくり臭やがっかり予感がすごいのでやめる。
もう一度山を登り

峠を越えてロープウェイが芦ノ湖へ降りる終着駅。
ここからさらに峠を越え山を下りて富士山までの延長計画みたいなものがあったことを何かの本で昔読んだ。
実現していたとして、存続していたかどうか・・
ここも幼い時に来た記憶があり目に焼き付いていた。
初めて自分の車を持ち、地元付近に帰って来た時その光景を目にしてちょっと泣きそうになった。
最近設備更新で建物も建て替えられ、もう年月もたちすぎて長年焼き付いていたという記憶があるだけになってきたけど。
そして嫁さんと初めて会った日に走ってきたのもここだ。
考えてみれば思い出の場所だ。
駅の中の土産物屋をふらついていると

なつかしい、万華鏡だ・・・
40年近く前、この同じ場所で祖母が妹にと万華鏡を買ってあげたんじゃなかったか・・しばらくうちの中に転がっていた。
その妹とももめてはいないがうまくいっているとは全く言えない。何を見ても嫌な話に直結する。
箱の中にいる万華鏡を覗く女の子の写真は多分その当時から変わらないんじゃないか?
彼女は今どこでどうしているだろうか?幸せになっているかな?
孫がいたりするのかな?

幼い子を含む家族が記念撮影したりしていた。
嫁が下がってくのを見れば私も下がるし・・お互いだろう。
しかし今日はあっちを見てもこっちを見ても・・・
この日はカフェも何も諦めて帰宅。
犬と散歩していると近所の子供に子供ができたらしいことを知る。
しばらく嫁と犬の散歩に行く時このルートさけなくちゃ。
世界はバルトークの音楽とこの日の天気みたいに鉛色だ。
書いててこの記事何の内容も救いもないじゃないかなんて思っていたら
またコメントで彼岸花の別名についていろいろ教えていただきました。
どうもネガティブ傾向な・・でも神秘的な名前がたくさんあるんですね。
不思議な花。
人が苦手だけど人恋しいなんて言ってる私はコメントをいただけると
うれしいです。
ありがとう。
父親の友人一家と一緒だった事もあった気がする。私から最も遠く出来れば見たくないと感じる光景が、今思えば私の家にもあった。
何度かあったかもしれないそれには最低な記憶となっているものもあり今はその訳もわかるのだけれど、始めのうちは楽しみだったしハワイに行くくらいのインパクトがあったと思う。

15年くらい前か、休日の夜になると花火の音が盛大に聞えるようになった。
すぐ近くのようなのに見渡してみても何も見えないし、どう調べても近隣のどこにも花火大会を行っているところはない。
ずっと不思議だったのだけどある時わかった。
前の晩にみた箱根芦ノ湖上での花火の段取りと全く同じ内容で音がしている・・・
芦ノ湖上の花火の音がカルデラ内で反響し外輪山の淵にある私のうちまで届いていたのだった。まるですぐその辺でやっているかのような鮮明な音で。
ハワイかと思った遠い箱根は実は空間的にはすぐ近くなのだった。
先週の三連休の最終日、昼食のレストランで嫌な思いをし気分が下がる。もともとさがってたまま出かけるからそういうお店にしか出会えないのかもしれない。
曇った天気みたいな気分で行先も思いつかないまま適当に走っていると箱根。
連休の箱根なんて笑顔あふれる人間だらけだ。人間拒否症をこじらせているので近づきたくない。
人なんか来ないようなところでも眺めるか。

ここは大涌谷の裏側というか何でもないようなところ。
硫黄のにおいが立ち込め、立ち入り禁止の囲い・・
記憶が定かではないけれど、あの大地震以降ただの林だったところに蒸気が出るようになった気がする。
その分、この先で出ていた蒸気は止まってしまった。
木は歩いて逃げるという事ができないから、地熱とガスでやられて枯れてしまった。
今はみんな倒れているけれどまだみんな立ったまま煙の中で悲鳴も上げずにじっとしている光景は印象的だった。
逃げることは間違いとか弱いとかいうけれど、逃げられるって得難く素晴らしいことですよね。
そこから少し下ると

大涌谷の下流。上にぶら下がっているのはロープウェイ。
一昨年だったか箱根が噴火したという時にはこのあたり一体にとてつもない轟音が響いていた。
始めのうちは皆車を停めてみていたりしたけれど、ほどなく危険なため車を止められないようにする処置がされた。
私も面白がってへらへら見ていたけれど、突然何が起こるかわからないのが山の噴火である。何もなく終わったのは偶然にすぎず、ここを通過している車を巻き込む大惨事が起こっていてもおかしくなかったのかもしれない。実際、最近もそんな例がたくさん起きていると思う。
電柱に取りつけられた金具は硫黄ガスで腐食している。ガードレールも腐食ですごいことになってどのあたりまでどんな風にガスが流れたのかを教えてくれる。
この周囲の木々もすべて枯れて死の谷の様相。

ここを流れるあの水というかお湯?
箱根の最高のお湯が流れてるんだからあれも溜めればいい風呂になるのかな?
https://www.youtube.com/watch?v=aoyhh0ZaWM0
これはバルトークの弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽・・の第1楽章。
弦チェレとかいったりします。
中学生の時、ラジオで初めて聴いた。
曲名にチェレスタとあるからきっときらきらとした素敵な音楽だろうと・・・
でも流れだしたのはこんななめくじの葬式みたいな・・
なんかショックを受けたような記憶が。

今ではこの曲かなり好きで第1楽章も嫌いじゃない。
死人の声みたいに始まるけれど実はフーガかよという音楽。
箱根のロープウェイみたいに峠に向かって登ってゆき、そこを超えると主題の音高が上下反転した転回形で降りてくる。
チェレスタが鳴っているあたりはあの世への入り口が開いているみたいじゃない?彼岸花がいっぱい咲いてそうな・・
最後は1点に収束して消える。
一見、この日の私の気分みたい・・・どこまで行っても満たされないのだ・・みたいな。
でもこの楽章数学的に設計されてたりもするらしい。
おっさんのナメクジみたいな心とは次元が違うんだ。
しかしこの動画を作った人も何を考えてこんな映像をあてたんだろうか?
もうちょっと下ると

早雲山駅というケーブルカーとロープウェイの乗換駅。
ロープウエイは設備更新で建物も新しくなったみたいだけどケーブルカーを含むあの駅舎は昭和すぎ。タイルの装飾・・
昭和なトイレ健在。
よくわかんないけど石原裕次郎とかの白黒映画の頃みたいな印象。

この鏡に手書きの広告もなんか懐かしいような・・
乗り換えの人がたくさん。
あんまり見ないようにしたりして。
ケーブルカーというと麓駅と山領駅みたいなのが多いけれどここは中間にも駅を持っている。

そんな小駅に移動してみてると結構利用者もいるみたいだ。
いい歳をしたおっさんがケーブルカーを見物して喜ぶ。
幼いころこのあたりへ来た記憶が。
当時は踏切があって線路を渡れたと思う。
踏板の間をケーブルがゴーっとかいって走っていて・・

今はあんなの危険すぎてゆるされないだろう。引っかかって持ってかれちゃった人とかいなかったのかな?
鉄道好き少年だったから強烈に印象付けられたこの場所の記憶は忘れない。
この後強羅の駅前に降りると人だらけだ。
嬉しそうな若い人の笑顔・・そういうのが平気というか楽しいと思うときもあった気がするんだけど。でもこの日はダメな日。
カフェらしきものも見つけたけれどぼったくり臭やがっかり予感がすごいのでやめる。
もう一度山を登り

峠を越えてロープウェイが芦ノ湖へ降りる終着駅。
ここからさらに峠を越え山を下りて富士山までの延長計画みたいなものがあったことを何かの本で昔読んだ。
実現していたとして、存続していたかどうか・・
ここも幼い時に来た記憶があり目に焼き付いていた。
初めて自分の車を持ち、地元付近に帰って来た時その光景を目にしてちょっと泣きそうになった。
最近設備更新で建物も建て替えられ、もう年月もたちすぎて長年焼き付いていたという記憶があるだけになってきたけど。
そして嫁さんと初めて会った日に走ってきたのもここだ。
考えてみれば思い出の場所だ。
駅の中の土産物屋をふらついていると

なつかしい、万華鏡だ・・・
40年近く前、この同じ場所で祖母が妹にと万華鏡を買ってあげたんじゃなかったか・・しばらくうちの中に転がっていた。
その妹とももめてはいないがうまくいっているとは全く言えない。何を見ても嫌な話に直結する。
箱の中にいる万華鏡を覗く女の子の写真は多分その当時から変わらないんじゃないか?
彼女は今どこでどうしているだろうか?幸せになっているかな?
孫がいたりするのかな?

幼い子を含む家族が記念撮影したりしていた。
嫁が下がってくのを見れば私も下がるし・・お互いだろう。
しかし今日はあっちを見てもこっちを見ても・・・
この日はカフェも何も諦めて帰宅。
犬と散歩していると近所の子供に子供ができたらしいことを知る。
しばらく嫁と犬の散歩に行く時このルートさけなくちゃ。
世界はバルトークの音楽とこの日の天気みたいに鉛色だ。
書いててこの記事何の内容も救いもないじゃないかなんて思っていたら
またコメントで彼岸花の別名についていろいろ教えていただきました。
どうもネガティブ傾向な・・でも神秘的な名前がたくさんあるんですね。
不思議な花。
人が苦手だけど人恋しいなんて言ってる私はコメントをいただけると
うれしいです。
ありがとう。
雑踏
昔々、道路に車なんていない時代は道端に小さな鉄道が敷かれていていました。
今じゃ信じられないけど京王だって道路の真ん中を走って新宿駅に入ってたんですよ。
そんな田舎鉄道は昭和30年代くらいにほとんどはがされてしまいましたが、江ノ電が一部道路上を走ったりしているのはその名残だと思う。

この時、電車は停車していて警笛鳴らしまくり。
左の白い車は電車をよけているつもりなんだけど電車の車両限界内に少しはいっちゃってるんでしょうね。
電車の運転士が車に向かって何か言ってる。
そこいるとあたっちゃうから!・・かな?
ということで車は電車のわきを通って前へ進んで行った。
この車のひとは多分悪気も何にもないんだろうけど、
世の中なんで俺がよけるんだお前がよけろよみたいな人がいっぱいいるでしょう。
でも電車はレールに乗っかって走るという構造上よけるというのは絶対できないんだから、車がよけるしかないよねぇ。
文句言おうがあばれようが電車はよけることができません。
わかりやすくていいよね。
バルトークの中国の不思議な役人という舞台音楽があるんですが、全曲版が派手で面白い。
クラシック音楽だけど、田舎の自然とかそういうのとは無縁。
冒頭、都会の雑踏。
行きかう車。クラクションが鳴らされ、人を気遣う優しさとか温かさとかそんなものは一切ない世界。
金管が散々吠えてるのはクラクションでしょう。
複雑にいろんな音が重なるように書かれていて、演奏によってどこをどう浮き立たせるかがことあるためいろんな演奏を聴き比べてると楽しいです。
楽しいけど殺伐としすぎ。
バルトークて感じがしますよね。

弦楽器がやっていたうねりみたいなものが木管に受け渡されるところなんかもう街がひっくり返って何かとんでもないものが吹き荒れちゃってる見たいでしょう・・どうなちゃってんのみたいな・・・
さらにその先

ここでオルガンのペダルが乱入。
ここは演奏によっていオルガンのがそもそもないものとか出てもさっと引いちゃうものとかいろいろだけど、デュトワMSO盤はオルガンを思い切り強調しています。
もう巨大武装電車みたいなのがみんななぎ倒してるみたいな・・
舞台の内容からするとちょっとおかしいけどね。
しかしこのパントマイム中国の不思議な役人はめちゃくちゃというかものすごい内容を持っています。
売春とか強盗、殺人、めった刺しとかそういうのですよ。
挙句に殺されてるのになかなか死なず青白く光りだすとか・・
作者はこの筋書きを大変気に入っていたらしく、バルトークって不幸な人だったのかななんて思っていた。
でも息子の一人が書いた本を読んでいたら普通の勤勉でやさしいお父さんの姿が描かれてあった。
そうかぁ・・
よかった。
今じゃ信じられないけど京王だって道路の真ん中を走って新宿駅に入ってたんですよ。
そんな田舎鉄道は昭和30年代くらいにほとんどはがされてしまいましたが、江ノ電が一部道路上を走ったりしているのはその名残だと思う。

この時、電車は停車していて警笛鳴らしまくり。
左の白い車は電車をよけているつもりなんだけど電車の車両限界内に少しはいっちゃってるんでしょうね。
電車の運転士が車に向かって何か言ってる。
そこいるとあたっちゃうから!・・かな?
ということで車は電車のわきを通って前へ進んで行った。
この車のひとは多分悪気も何にもないんだろうけど、
世の中なんで俺がよけるんだお前がよけろよみたいな人がいっぱいいるでしょう。
でも電車はレールに乗っかって走るという構造上よけるというのは絶対できないんだから、車がよけるしかないよねぇ。
文句言おうがあばれようが電車はよけることができません。
わかりやすくていいよね。
バルトークの中国の不思議な役人という舞台音楽があるんですが、全曲版が派手で面白い。
クラシック音楽だけど、田舎の自然とかそういうのとは無縁。
冒頭、都会の雑踏。
行きかう車。クラクションが鳴らされ、人を気遣う優しさとか温かさとかそんなものは一切ない世界。
金管が散々吠えてるのはクラクションでしょう。
複雑にいろんな音が重なるように書かれていて、演奏によってどこをどう浮き立たせるかがことあるためいろんな演奏を聴き比べてると楽しいです。
楽しいけど殺伐としすぎ。
バルトークて感じがしますよね。

弦楽器がやっていたうねりみたいなものが木管に受け渡されるところなんかもう街がひっくり返って何かとんでもないものが吹き荒れちゃってる見たいでしょう・・どうなちゃってんのみたいな・・・
さらにその先

ここでオルガンのペダルが乱入。
ここは演奏によっていオルガンのがそもそもないものとか出てもさっと引いちゃうものとかいろいろだけど、デュトワMSO盤はオルガンを思い切り強調しています。
もう巨大武装電車みたいなのがみんななぎ倒してるみたいな・・
舞台の内容からするとちょっとおかしいけどね。
しかしこのパントマイム中国の不思議な役人はめちゃくちゃというかものすごい内容を持っています。
売春とか強盗、殺人、めった刺しとかそういうのですよ。
挙句に殺されてるのになかなか死なず青白く光りだすとか・・
作者はこの筋書きを大変気に入っていたらしく、バルトークって不幸な人だったのかななんて思っていた。
でも息子の一人が書いた本を読んでいたら普通の勤勉でやさしいお父さんの姿が描かれてあった。
そうかぁ・・
よかった。
バルトークの自演を聴いて思った

バルトークのピアノ協奏曲第2番、自作自演があったので聴いてみた。
SPですね。そりゃそうだ1938年の録音みたいです。初演から5年後。
昭和13年ですか・・
このころの録音技術がどんなものだったのかはよく知らないのですが、音的にはピアノだけを狙っていてオケはおまけ的に聴こえればラッキーみたいな感じ。
純粋な観賞用としてはあれなんでしょうが、逆にピアノだけ浮き出て聞こえるのが面白い。
ピアノが好きな人に言わせればいろいろあるんでしょうけれど、私の素直な感想は、すげー巧い・・・
自作自演にありがちなぶっきらぼうでクールすぎみたいなのもない。
こんなもの残してくれてありがとう。

第2主題が歌ってる。

ここもすごい・・
なんかこう・・疑似古代ギリシャ・・みたいな感じの音楽だと思ってるんだけど、その色を強く感じる。
終楽章のコーダみたいなところ・・ものすごく速い・・

いつもは聞き逃してしまうけどこのあたりのピアノのうねりの中に第1楽章第1主題が隠されていることがはっきりわかる・・
色々面白いね・・
もう一つ思ったのはSPの盤が終わると一回音楽が途切れてしまう・・5分くらいなのかな・・
戦前のワルターとかCDも聴いたけど、うまく編集でつなげてあるのであまり意識したことがなかった。
SPってこんな感じで盤を変えて聴いていたんですね。
ワルターとか昔の指揮者が録音で全然リピートをしないのがなんとなく納得できたような・・
全然話が飛びます・・私は音楽再生で音の立体再生みたいなものに強い興味があります。
マーラーという作曲家(に限らず多かれ少なかれみんなか)の作品は何がどの位置で鳴るかということまで音楽の重要です。それを再生して感じたい・・
ということでモノラル時代にも素晴らしい演奏があるらしいことは知っているのですが、所有している音源の大半はステレオ録音です。
どのレーベルもだいたい1957年くらいからですか・・ストコフスキーのが1954年でしたっけ?
調べてみたら電気的なステレオ再生の技術についてはについては19世紀には発見されていたみたいですね。録音よりずっと前から電話みたいなのはあったんですよね・・
1881年電気博覧会の会場でオペラを中継する企画があり偶然に?そこでバイノーラルの原理が構成されていて聞いた人々を脅かせたなんて言う記述が見つかりました。
すごいよねーかなりびっくりしました。
ただ、それを記録し再生させる技術と商業化みたいなのには半世紀以上かかってしまったのか・・
モノラルでも、
歴史に名を遺す大作曲家の自作自演がいろいろ残っていて興味深いですよね。
自作自演っていうのは意外によくないもんだという話があります。
ラフマニノフが自分の曲だとどうしても控えめな演奏になる(ちょっと違うかも)みたいなことを言ったというのをどこかで読んだ気もします。
でもとりあえず面白いですよね。プロコフィエフとか動く映像も残ってて・・
蝋管によるブラームスの肉声とピアノ演奏っていうのも有名ですが、実際ほとんど聞こえないんですよね・・聴いてみたかった・・
一番聞いてみたいのはマーラー。
円盤式レコードの発明が1887年で蓄音機製造販売会社「グラモフォン」の設立が1895年だそうですから、時期的にはマーラーも間に合ったのかなぁ‥
まだ電気録音ではなくてラッパ録音だしまだオーケストラの録音なんて言うのは無理だったんだろうなぁ・・
ピアノロールも聞いたけどどやっぱりオケだよなぁ・・
きっと聴けないで憧れているからいいんでしょうね。
超絶技巧もいろいろだ

普段は音楽部屋でスピーカー間に浮かび上がるオーケストラをを凝視しながら音楽を聴いています。
ヴィルトゥオーソ系ピアノ協奏曲なんかは映像で弾いてるのを見てるのも楽しいですよね。
実演だと意外に見えないし・・見た目だけならこっちのがおもしろかったりして・・
ユジャ・ワンが弾くバルトークのピアノ協奏曲第2番・・自分で譜めくりしながらガンガン叩いてくのが面白くて・・
楽譜、見てどうにかなる情報量じゃないと思うんだけど・・どんなふうに見えていて何見てるんだろう?
一瞬空いた片手で楽譜めくってくのが面白い・・そんなのおもしろがる所じゃないでしょうけど。

ピアノが黄色い声を出すと管楽器が答えるみたいな場面で
みてたらトランペットがミュートを片手に吹いてるのが写っていて、ミュートつけたり離したり・・
ポップスとかジャズみたいなのだとこんなの日常茶飯事なんでしょう?
クラシックだとどうなんですか?
自分は面白いと思っちゃって・・
この曲もいいですよね。
バルトークも作曲家であると同時に優れたピアニストでした。
バックハウスにコンクールで負けたんだっけ・・
この曲は自分のために書いたんですよね。
最初とっつきにくい感じがしていたんだけど、ラフマニノフみたいな可憐でわかりやすいものすごさとは違う方向にすごい曲で病みつきになる。
この人も人生暗いイメージがありますけど・・音楽家にはならなかった息子が書いた本を読んでいるといいお父さんだったみたいですね・・

第1楽章第2主題
下降アルペジオなんて昔からありそうだけどあんまり見ないですよね?
そういえばなんで無いんだろう?

ここみたいなピアノは打楽器だ!っていうのとこが好き。

ピアノが主題の反行形を弾き始めて・・管楽器がなんだかすごいカノンになっていて・・
楽譜の風景が面白いところですよね。
ハ長調っぽい楽譜だけどこんな中身詰まったのをパワフルに高速で弾いてすごいことなんでしょ?

第2楽章
ティンパニのグリッサンドもバルトークの音楽の特徴ですがやってますね・・
もっとやってる印象があるんですが楽譜を見ると意外にもここだけ・・

2楽章
これ黒鍵と白鍵と掌でたたくみたいな・・・
所有しているアシュケナージ ショルティ指揮 ロンドン・フィルハーモニーのCDはなんでか知りませんが、第2楽章のトリオに入るところでトラック3に入ります。
第2楽章が終わって第3楽章に入るところには何もなし・・

なんでだろう?
ミスですよね?深い理由があったり・・はしないよね。
このCDでこの曲を初めて聴いたので最初混乱しました・・
3楽章で2楽章が回想されるのかな?とか訳のわかんないことを考えたりして・・
ショルティーはもともとピアニストで、バルトークのレッスンを受けたこともあるんだって・・