こんな休日でした
まずは飯の話でも。
自治体発行のプレミアム付き商品券というので値段的に頼めなかったあれを遠慮なく食ってやろうと市内の店に行った。
テーブルの上にその期間限定特別ヴァージョンの案内があったので

自家製農園で育てたネギスペシャルみたいなトンテキ・・通常品との差額が60円てのが何だかわからなくて逆に印象的。
ジュー!と言いながら出てくるけど音は敷かれたキャベツが発していて肉は焼けすぎないところがいいと言えばいいのかも。
インスタ映えとかそういうのじゃないけど口に入れると歯ごたえも味の深みもいつも食ってんのとは違うなと思ったり。
大根おろしに見えるのは玉ねぎスライスで豚肉とよくあってた。
だけど味のついてない部分を味のないまま食べちゃってあれ?なんて思ったり・・なんでも無頓着かつ不器用に食べちゃってるけどやれる範囲で食べる技術とセンスでも追及しようかな。
しようかななんて書くときは多分やんない時だ。
ここの何よりいいのは静かにゆっくり食べられるところ。
半分のテーブルにあった使用停止みたいな表示はなくなり、そのかわりか入るときに検温があった。
お店も生き残るため能動的にいろいろと手を打っていかないといけないだろうし大変だなと思う。
このあとショパンの自筆譜が見られる展に行くとかしたいところだったけど夫婦ともに不調な為延期。
それよりマーラーの交響曲第9番の自筆譜がネット上で見られるようになっていて感激というか感動した。
昔から本の中で語られたりほんの一部だけ見たのはこれだろう。結構高いけど売られてもいて自分の宝として買おうかなんて思ったまま何年もたち。
見てまず気付くけど一見スコアとして完成していそうなこれはまだ草稿段階であって印刷譜とはかなり差異があるというかかなり足りず、この後に作者による清書稿みたいなものがもう一段階あったんじゃないかと思うんだけどうなのかな?
でもそれだけに、この複雑で魅力的で深刻な作品が生まれてくる過程に遭遇できるということの喜びは計り知れないものが・・

昔本で読んだ1楽章提示部の終わりにあるリピート記号というのをこの目で確認する。
興味のない人には?な話だけどこれはかなり意外なことで、不採用ながら一度はあったこの指示が曲全体のイメージを変えてしまいそうな気もする。
その後展開部の開始を告げる死の宣告みたいなファンファーレが鳴る場面は完成稿とちがう。
フィナーレで生きようとする最後の叫びを切り裂くこの動機を自心臓病で死におびえた作者の不整脈なのと言えばものすごい説得力があるし一時はそう信じてた。けどもう時代は伝説から離れて曲を・・とか始めると延々終わらない。
私はこの曲がどうにも大好きなので、細かいところを見てここはこんな風に書いてあるけど・・というのをやってればそれだけで1年ブログが続きそうではある。
ただ、それだと読む人がいないとすぐ気づいた。
自分がやるまで知らなかったけれどリードは箱から出していきなり使うのではなくて、沢山だして個性の全然違うものを使えるように育てさらにその中からみたいな世界だった。

牧場みたいに大量のリードを置いとく場を作ってあったのだけどちょっと問題が発生したので専用のケースを買った。
問題の詳細はちょっと人さまにお知らせできない。
マホガニーの綺麗な仕上げにいきなり擦り傷みたいなのがあるのがいかにも中国製だなと思ったけれど、拭いたら消えた。
仕事でリアルに中国製や中国人と対峙していると確かにいろいろあるし悩んだり困ったり憤慨したりす・・いまその話はいいや。
私自身は全然似合わないというかとくになにか持ってるわけでもないけどマホガニーのあの感じが好きだ。
マホガニーと言えば思い出すのはサントリーホール。
オルガンの鳴りでびっくり感激したのは芸術劇場のホールだけど座ってうれしいというか特別なものを感じるのはサントリーホールだよなぁ・・
休みの日にじゃなく、仕事の後あそこへ通って音楽を聴くような生活があったら素晴らしいだろうなと思う。
東京生活にあこがれることはないけどそれができるかもしれないところはいいなと思う。

当たり前だけどうちは全然マホガニーじゃない。
家があんなだったら落ち着かないか。
敷居のところがやたらに削れちゃってるのは犬の爪で削れるから。
犬と暮らしてる人はそういうとこどうなんでしょうか?
そしてあの床は今急に根太か何かが劣化して歩くと音が鳴る。
鴬張りみたいに綺麗にはならない。
画面下方に寝そべるけむくじゃらな物体はなんだか昔見た

これみたいだなと思わなくもない。
最近犬はしおらしくなっちゃってどうしたんだろう?
悪い気はしないというか、ちょっとうれしい。
夏の間は

冷たい玄関に寝そべってることが多い。
石の放熱ってすごいのか暑さに弱い犬だけどここにいるとどんなに暑くてもここだとへっちゃらで寝てる。
楽器を吹くと飛んできてそばにいてくれるのが愛おしい。
寝てるだけだけど。
たまに突然吠え出すのが今それまちがってるよ・・とかだったらすごいと思うけど自分が間違ってるか正しいかの判断も怪しいためわからず。

リードケースの写真撮ったりしてると犬がやってくる。
犬はかわいい顔で見上げてくれたりするのにカメラを向けると目を背け知らんぷりをする。
ショパンもいいけどマーラーの自筆譜がみられる展があれば足が痛かろうがなにがあろうが見に行くと思うなぁ。
https://www.youtube.com/watch?v=wee3rROeyUs
まだラジオで音楽と言えばFMだというのも知らない頃にAMラジオでラヴェル版の展覧会の絵を録音して聴いた。
歌と言えば3分くらいで終わるものだと思っていたところ何分経っても続くことに困惑し、クラリネットをフルートだと思いフルートをピッコロだと思ったそんなころ。誰の演奏だったかなんてことは思い出すどころか意識もしていなかった。
その後あの曲もとはピアノの曲なんだと知り衝撃をうけ両方の版がカップリングされたCDを買った。
このYoutubeはオケがショルティ指揮のシカゴ教に差し替えられているけど私が買ったのはアシュケナージのピアノ旧録とメータ指揮のロスフィルのラヴェル版がカップリングされたものだった。
メータ・ロスフィルというと当時とても有名なテューバ奏者がいたことが一部人間の間では有名。
その伝説的な奏者はなぜか何年か前まで日本の音大で教えていたらしい。
直接教わったという人と話をしたことがあって・・の先、話も続かない。
私はそれを投げ出しちゃったから。

いまクーラーのある部屋の隅が臨時の練習場所。
うちの接する3方が休耕田と畑なのは大変ありがたいことなんだと思う。
隣に家が建ったら音は出せないだろう。
手前の椅子は前の楽器をやろうと思った当初山中で吹き倒すつもりで買ってきたもの。
実際は椅子のある練習場を借り山の中で使ったのは一度だけで物置で眠っていたけのだけどここに来て日の目を見た。
あれに座ってると膝が痛くなるので実際立って吹いたりもしていたけど、今若干好転の兆しを見せているような気もする。
わたし、楽器練習してるけど間に合うだろうか?
間に合うって、何に対してどう間に合うのかという話だけど。

彩雲を見たから
きっといいことがあるはず。
こんな内容ですが最後まで読んでくださってありがとう。
自治体発行のプレミアム付き商品券というので値段的に頼めなかったあれを遠慮なく食ってやろうと市内の店に行った。
テーブルの上にその期間限定特別ヴァージョンの案内があったので

自家製農園で育てたネギスペシャルみたいなトンテキ・・通常品との差額が60円てのが何だかわからなくて逆に印象的。
ジュー!と言いながら出てくるけど音は敷かれたキャベツが発していて肉は焼けすぎないところがいいと言えばいいのかも。
インスタ映えとかそういうのじゃないけど口に入れると歯ごたえも味の深みもいつも食ってんのとは違うなと思ったり。
大根おろしに見えるのは玉ねぎスライスで豚肉とよくあってた。
だけど味のついてない部分を味のないまま食べちゃってあれ?なんて思ったり・・なんでも無頓着かつ不器用に食べちゃってるけどやれる範囲で食べる技術とセンスでも追及しようかな。
しようかななんて書くときは多分やんない時だ。
ここの何よりいいのは静かにゆっくり食べられるところ。
半分のテーブルにあった使用停止みたいな表示はなくなり、そのかわりか入るときに検温があった。
お店も生き残るため能動的にいろいろと手を打っていかないといけないだろうし大変だなと思う。
このあとショパンの自筆譜が見られる展に行くとかしたいところだったけど夫婦ともに不調な為延期。
それよりマーラーの交響曲第9番の自筆譜がネット上で見られるようになっていて感激というか感動した。
昔から本の中で語られたりほんの一部だけ見たのはこれだろう。結構高いけど売られてもいて自分の宝として買おうかなんて思ったまま何年もたち。
見てまず気付くけど一見スコアとして完成していそうなこれはまだ草稿段階であって印刷譜とはかなり差異があるというかかなり足りず、この後に作者による清書稿みたいなものがもう一段階あったんじゃないかと思うんだけどうなのかな?
でもそれだけに、この複雑で魅力的で深刻な作品が生まれてくる過程に遭遇できるということの喜びは計り知れないものが・・

昔本で読んだ1楽章提示部の終わりにあるリピート記号というのをこの目で確認する。
興味のない人には?な話だけどこれはかなり意外なことで、不採用ながら一度はあったこの指示が曲全体のイメージを変えてしまいそうな気もする。
その後展開部の開始を告げる死の宣告みたいなファンファーレが鳴る場面は完成稿とちがう。
フィナーレで生きようとする最後の叫びを切り裂くこの動機を自心臓病で死におびえた作者の不整脈なのと言えばものすごい説得力があるし一時はそう信じてた。けどもう時代は伝説から離れて曲を・・とか始めると延々終わらない。
私はこの曲がどうにも大好きなので、細かいところを見てここはこんな風に書いてあるけど・・というのをやってればそれだけで1年ブログが続きそうではある。
ただ、それだと読む人がいないとすぐ気づいた。
自分がやるまで知らなかったけれどリードは箱から出していきなり使うのではなくて、沢山だして個性の全然違うものを使えるように育てさらにその中からみたいな世界だった。

牧場みたいに大量のリードを置いとく場を作ってあったのだけどちょっと問題が発生したので専用のケースを買った。
問題の詳細はちょっと人さまにお知らせできない。
マホガニーの綺麗な仕上げにいきなり擦り傷みたいなのがあるのがいかにも中国製だなと思ったけれど、拭いたら消えた。
仕事でリアルに中国製や中国人と対峙していると確かにいろいろあるし悩んだり困ったり憤慨したりす・・いまその話はいいや。
私自身は全然似合わないというかとくになにか持ってるわけでもないけどマホガニーのあの感じが好きだ。
マホガニーと言えば思い出すのはサントリーホール。
オルガンの鳴りでびっくり感激したのは芸術劇場のホールだけど座ってうれしいというか特別なものを感じるのはサントリーホールだよなぁ・・
休みの日にじゃなく、仕事の後あそこへ通って音楽を聴くような生活があったら素晴らしいだろうなと思う。
東京生活にあこがれることはないけどそれができるかもしれないところはいいなと思う。

当たり前だけどうちは全然マホガニーじゃない。
家があんなだったら落ち着かないか。
敷居のところがやたらに削れちゃってるのは犬の爪で削れるから。
犬と暮らしてる人はそういうとこどうなんでしょうか?
そしてあの床は今急に根太か何かが劣化して歩くと音が鳴る。
鴬張りみたいに綺麗にはならない。
画面下方に寝そべるけむくじゃらな物体はなんだか昔見た

これみたいだなと思わなくもない。
最近犬はしおらしくなっちゃってどうしたんだろう?
悪い気はしないというか、ちょっとうれしい。
夏の間は

冷たい玄関に寝そべってることが多い。
石の放熱ってすごいのか暑さに弱い犬だけどここにいるとどんなに暑くてもここだとへっちゃらで寝てる。
楽器を吹くと飛んできてそばにいてくれるのが愛おしい。
寝てるだけだけど。
たまに突然吠え出すのが今それまちがってるよ・・とかだったらすごいと思うけど自分が間違ってるか正しいかの判断も怪しいためわからず。

リードケースの写真撮ったりしてると犬がやってくる。
犬はかわいい顔で見上げてくれたりするのにカメラを向けると目を背け知らんぷりをする。
ショパンもいいけどマーラーの自筆譜がみられる展があれば足が痛かろうがなにがあろうが見に行くと思うなぁ。
https://www.youtube.com/watch?v=wee3rROeyUs
まだラジオで音楽と言えばFMだというのも知らない頃にAMラジオでラヴェル版の展覧会の絵を録音して聴いた。
歌と言えば3分くらいで終わるものだと思っていたところ何分経っても続くことに困惑し、クラリネットをフルートだと思いフルートをピッコロだと思ったそんなころ。誰の演奏だったかなんてことは思い出すどころか意識もしていなかった。
その後あの曲もとはピアノの曲なんだと知り衝撃をうけ両方の版がカップリングされたCDを買った。
このYoutubeはオケがショルティ指揮のシカゴ教に差し替えられているけど私が買ったのはアシュケナージのピアノ旧録とメータ指揮のロスフィルのラヴェル版がカップリングされたものだった。
メータ・ロスフィルというと当時とても有名なテューバ奏者がいたことが一部人間の間では有名。
その伝説的な奏者はなぜか何年か前まで日本の音大で教えていたらしい。
直接教わったという人と話をしたことがあって・・の先、話も続かない。
私はそれを投げ出しちゃったから。

いまクーラーのある部屋の隅が臨時の練習場所。
うちの接する3方が休耕田と畑なのは大変ありがたいことなんだと思う。
隣に家が建ったら音は出せないだろう。
手前の椅子は前の楽器をやろうと思った当初山中で吹き倒すつもりで買ってきたもの。
実際は椅子のある練習場を借り山の中で使ったのは一度だけで物置で眠っていたけのだけどここに来て日の目を見た。
あれに座ってると膝が痛くなるので実際立って吹いたりもしていたけど、今若干好転の兆しを見せているような気もする。
わたし、楽器練習してるけど間に合うだろうか?
間に合うって、何に対してどう間に合うのかという話だけど。

彩雲を見たから
きっといいことがあるはず。
こんな内容ですが最後まで読んでくださってありがとう。
作家のやってるようなカフェ
箱根というのはなんかこうちゃんとした観光地だ。

ちゃんとした人がちゃんとした格好や気持ちで来るところだと思う。
気持ちも恰好もまったくちゃんとしていないけどふらふら来て歩く。
ホテルの裏側の狭い路地を歩いていると小さな看板が見える。
角を曲がると

いい感じ・・と言いたいけれど右側には何か訳ありな廃屋が強烈な印象。
火事?こんなとこにのせてちゃいけないかな。
奥へ行くと箱根写真美術館という看板。
どう見ても古い家屋利用のなんかなのにGoogleマップのレビューを見ると広い庭園の写真が並びなんかすごいところのようなことが・・・?
地図を見るとすぐそばに箱根美術館というのがあり、そこと混同している人がいるのかな。
写真に陶芸、絵画など・・アーティストな人が作品発表の場にカフェを併設しているのをよく見ますね
中をのぞくと、
こんにちは。美術館ですか?カフェですか?
あ、カフェえ・・

好んで聴かない人でもよく知っているクラシックの曲というのがあって、ムスログスキーの展覧会の絵をラヴェルがオーケストレーションしたものもその1曲でしょう。
まだFMを知らないというかラジオといえばAMだと思っていた頃に新聞のラジオ欄をみてこの曲を録音した。
NHKじゃなく民放だった。
ラヴェルが底本にしたのはリムスキーコルサコフが原曲にかなり手を入れた版だったので、あれは2重に編曲されたものを聴いていることになると思う。
ラヴェル自身その問題に気付いていて、何とかして原典版の楽譜を入手できないかと誰かに相談していたようなことを弟子の書いた本で読んだ。
原曲を知るとオケ版は聴けなくなりそのまま。
この組曲の大きな特徴として絵から次の絵へ移動するプロムナードという音楽がいくつか挿入されているけれど、単なる曲間のブリッジにとどまらずそれ自体が様々な表情を持った魅力的な音楽として訴えてくるとこがあると思う。
https://www.youtube.com/watch?v=StH0qZ20_xo
原曲の7曲目手前にあるプロムナードは冒頭のプロムナードに一見そっくりだ。

単調であるととらえたからかは知らないけれどリムスキーコルコフはこれをばっさりカットした。
それしか資料のなかったラヴェルのオケ版にも当然出てこない。
昔買ったCDの解説ではラヴェルはここをカットして・・と書いてあったような気がする。いいけど。

一見そっくりなんだけれど、でも違う。
変奏されているとかそういうのじゃなくて、
じゃどこが違うの?
うーんと・・
みたいな間違い探し的な変化がおもしろい。
冒頭にはあったsenza allegrezzaが2度目には書いてないのね。
いろんな絵を見てちょっと嬉しくなっちゃってんのかな?・・・そう思うと音が増強されている部分の説得力が・・とか。
これカットしちゃあかんじゃんか・・
なんて言わない。
リムスキーコルサコフがあれを出版して世に広めてくれなかったらこの曲忘れ去られていたかもしれないんでしょう?
ラヴェルが原典版を入手出来ていたら、ここはどうしただろうか?
この曲中高生くらいの頃によく聴いたし弾けないの承知で楽譜を買ってきたりした。ちょっと聴いてないくらいのつもりが気が付けば何十年もたっちゃってるのね。
ムスログスキーについては中学生の頃にどこかで読んだ理解されず酒におぼれ貧困の中で死んだ・・のイメージで止まっている。
・・作曲家に限らず人の不幸話は語り手に都合のいいようにデフォルメされていることが非常に多い。そんなものをサラッと見聞きしたくらいでなにか知ったような気になるのはほとんど間違いなんだろうと思う。

一人いた先客は外国っぽい衣装の瓶に入ったビールかなんかを飲みながら本を読んでた。
なんかいい過ごし方ですね。
森をイメージしたというハーブティーとオレンジピールのケーキ・・とか言おうとしたのに

結局わかりやすく旨そうな洋ナシとキャラメルソースのパフェを頼んでしまう。
パフェじゃなくてパルフェだっけ?
自分にとってどうでもいいような小さなこだわりが、誰かにとってはとても大事なものかもしれない。
洋ナシは凍らせてありキャラメルは強く主張しない、おいしいパフェだった。
壁にある時間はラジオの電話中継をやっているので相手をできないけど話しかけないでくださいみたいな張り紙があった。
帰り際、
ラジオに出てるんですか?
あれは家内のほう・・
私はテレビにもほぼ毎日出てますよ。
はぁ?
よく知っている芸能人の名前がでてきて・・
すぐ察して・・ああこの人有名な写真家かなんかなんだな・・箱根だもんその拠点がここなのか・・
本が出版されるとかそこにあるものはパリで個展を開いたときに・・
へー。
支払いを終えた瞬間店主は何かを指して説明しようとしたような気もする。
けどすかさずごちそうさまでしたといっちゃったのでそこで終わった。

すぐ裏手にはケーブルカーが走っていて、駅もすぐそこ。
隠したようなところにあると思ったけれど、駅前といえば駅前だ。
もしブラームスがカフェをやっていたら・・・は冗談でもあり得ないなと思うけれど、仮にマーラーが引退するような歳まで生き、道楽でカフェでもやったとして・・
そういうところに行って私は彼にファンなんですとか話しかけることができるだろうか?
差し出したスコアにサインをもらってとか・・
出来ずに黙って帰っちゃうかなぁ・・
そもそもそんな店には近寄れないだろうし、下手に話したりしたら人物も作品も嫌いになっちゃうかもな・・

ちゃんとした人がちゃんとした格好や気持ちで来るところだと思う。
気持ちも恰好もまったくちゃんとしていないけどふらふら来て歩く。
ホテルの裏側の狭い路地を歩いていると小さな看板が見える。
角を曲がると

いい感じ・・と言いたいけれど右側には何か訳ありな廃屋が強烈な印象。
火事?こんなとこにのせてちゃいけないかな。
奥へ行くと箱根写真美術館という看板。
どう見ても古い家屋利用のなんかなのにGoogleマップのレビューを見ると広い庭園の写真が並びなんかすごいところのようなことが・・・?
地図を見るとすぐそばに箱根美術館というのがあり、そこと混同している人がいるのかな。
写真に陶芸、絵画など・・アーティストな人が作品発表の場にカフェを併設しているのをよく見ますね
中をのぞくと、
こんにちは。美術館ですか?カフェですか?
あ、カフェえ・・

好んで聴かない人でもよく知っているクラシックの曲というのがあって、ムスログスキーの展覧会の絵をラヴェルがオーケストレーションしたものもその1曲でしょう。
まだFMを知らないというかラジオといえばAMだと思っていた頃に新聞のラジオ欄をみてこの曲を録音した。
NHKじゃなく民放だった。
ラヴェルが底本にしたのはリムスキーコルサコフが原曲にかなり手を入れた版だったので、あれは2重に編曲されたものを聴いていることになると思う。
ラヴェル自身その問題に気付いていて、何とかして原典版の楽譜を入手できないかと誰かに相談していたようなことを弟子の書いた本で読んだ。
原曲を知るとオケ版は聴けなくなりそのまま。
この組曲の大きな特徴として絵から次の絵へ移動するプロムナードという音楽がいくつか挿入されているけれど、単なる曲間のブリッジにとどまらずそれ自体が様々な表情を持った魅力的な音楽として訴えてくるとこがあると思う。
https://www.youtube.com/watch?v=StH0qZ20_xo
原曲の7曲目手前にあるプロムナードは冒頭のプロムナードに一見そっくりだ。

単調であるととらえたからかは知らないけれどリムスキーコルコフはこれをばっさりカットした。
それしか資料のなかったラヴェルのオケ版にも当然出てこない。
昔買ったCDの解説ではラヴェルはここをカットして・・と書いてあったような気がする。いいけど。

一見そっくりなんだけれど、でも違う。
変奏されているとかそういうのじゃなくて、
じゃどこが違うの?
うーんと・・
みたいな間違い探し的な変化がおもしろい。
冒頭にはあったsenza allegrezzaが2度目には書いてないのね。
いろんな絵を見てちょっと嬉しくなっちゃってんのかな?・・・そう思うと音が増強されている部分の説得力が・・とか。
これカットしちゃあかんじゃんか・・
なんて言わない。
リムスキーコルサコフがあれを出版して世に広めてくれなかったらこの曲忘れ去られていたかもしれないんでしょう?
ラヴェルが原典版を入手出来ていたら、ここはどうしただろうか?
この曲中高生くらいの頃によく聴いたし弾けないの承知で楽譜を買ってきたりした。ちょっと聴いてないくらいのつもりが気が付けば何十年もたっちゃってるのね。
ムスログスキーについては中学生の頃にどこかで読んだ理解されず酒におぼれ貧困の中で死んだ・・のイメージで止まっている。
・・作曲家に限らず人の不幸話は語り手に都合のいいようにデフォルメされていることが非常に多い。そんなものをサラッと見聞きしたくらいでなにか知ったような気になるのはほとんど間違いなんだろうと思う。

一人いた先客は外国っぽい衣装の瓶に入ったビールかなんかを飲みながら本を読んでた。
なんかいい過ごし方ですね。
森をイメージしたというハーブティーとオレンジピールのケーキ・・とか言おうとしたのに

結局わかりやすく旨そうな洋ナシとキャラメルソースのパフェを頼んでしまう。
パフェじゃなくてパルフェだっけ?
自分にとってどうでもいいような小さなこだわりが、誰かにとってはとても大事なものかもしれない。
洋ナシは凍らせてありキャラメルは強く主張しない、おいしいパフェだった。
壁にある時間はラジオの電話中継をやっているので相手をできないけど話しかけないでくださいみたいな張り紙があった。
帰り際、
ラジオに出てるんですか?
あれは家内のほう・・
私はテレビにもほぼ毎日出てますよ。
はぁ?
よく知っている芸能人の名前がでてきて・・
すぐ察して・・ああこの人有名な写真家かなんかなんだな・・箱根だもんその拠点がここなのか・・
本が出版されるとかそこにあるものはパリで個展を開いたときに・・
へー。
支払いを終えた瞬間店主は何かを指して説明しようとしたような気もする。
けどすかさずごちそうさまでしたといっちゃったのでそこで終わった。

すぐ裏手にはケーブルカーが走っていて、駅もすぐそこ。
隠したようなところにあると思ったけれど、駅前といえば駅前だ。
もしブラームスがカフェをやっていたら・・・は冗談でもあり得ないなと思うけれど、仮にマーラーが引退するような歳まで生き、道楽でカフェでもやったとして・・
そういうところに行って私は彼にファンなんですとか話しかけることができるだろうか?
差し出したスコアにサインをもらってとか・・
出来ずに黙って帰っちゃうかなぁ・・
そもそもそんな店には近寄れないだろうし、下手に話したりしたら人物も作品も嫌いになっちゃうかもな・・
思い出も思い入れも沈まない
行こうと思った遠くの喫茶店に行きそびれ、カフェなんかあるわけのない海沿いの道を延々走ってきて、

やってるように見えたここに入ってみると男性が二人で話し込んでる・・
あれなんか違うな?事務所?しくじった?
どうぞー
あ、いいですか?
男所帯的な乱雑さを感じ一瞬ひるんだけれど丁寧な言葉にここで休んでいくことにする。
このあたりはアニメの聖地らしくどこの店に入ってもそれ系のものがあふれてたりして、ここにも声優さんが来たのかサインが貼ってあったり。一人いたその系お客さんはもうバスの時間がとか言いながら出ていった。
でもこの時の私にそこはあんまり関係なかった。
メニューを見てると営業時間が書いてあり・・
あ、もうラストオーダーの時間もとっくに過ぎてもう閉店の時間かぁ・・
嫌な顔もせず迎えてくれて・・申し訳ない・・ありがとう。

ごゆっくりと言いかけた店主に時間のことを詫びるとすぐに話が始まり、この店への強い思い入れが語られる。
かつてここに古い客船が係留されていて、超高級ホテル、レストランとして使われていました。
知ってますよ・・この近くですよね?
近くじゃなくてここです・・
あ・・そうだっけ。
地元では有名だったその船のことは私も幼い時からなんとなく知ってはいたし時々話題にしたような気もする。
けれど客船で食事とか近寄りがたいイメージもあって行ってみたのは結構な歳になってから、嫁さんとだった。
美しいその船は戦前に作られてお金持ちを乗せ世界中を回った名船、食事のあと船を見て回ると私にも歴史と深みみたいななんかを感じさせてくれたのを覚えてる。
それからすぐ、ニュースになるような不正の影響などで経営母体が傾くと施設は閉鎖。
船はどこかへ売られてえい航中に浸水、いったんは港に入ったものの助からず沖に沈んでしまった。
ニュースで見た記憶では港に沈まれては困るから助からないなら沖へ出せという指示みたいなのがどこか監督機関みたいなところからあったような気がする。
古い船だしそもそも大丈夫なのかみたいな話はあったそうだ‥というかだれでもそう思うような気がするし、なんであんなこと・・とこんな話を店主に向けてみると、さえぎるように店主の一方的な話が返ってきたのでやめた。
もしかすると自分の大切なものに対しお前そんなこと言うなということだったのかな?
この人その船とどういう関係にあったかはわからないけれど、それが忘れられてしまうことを何とかして食い止めたいという強い願いを持っているようだ。
一見、物がごちゃごちゃ置いてあるように見えてしまったのは店主が集めてきた船にかかわる大量の展示物であった。
最近アニメのせいでやたらに人が来るようになり、SNSかなんかでこの場所の知名度が爆発的に高まったそうだ・・
それ自体は嬉しいようなんだけど、
だけど来るのは男の子ばっかりで・・・
そうですか・・・
それじゃだめですか・・
https://www.youtube.com/watch?v=FOT3rZJ4vtw
悲しい伝説の残る古城には今も城を守ろうとする武者の幽霊が・・みたいな話を思い出したりして。
幽霊なんて言っちゃったら店主に失礼だけどその強い思い入れに・・
お礼を言って帰ろうと思うと海辺もみていってくださいという。

なんかこう、寂しげな夕景とともにちょっとシュールな・・
店内に置いてあったアニメの本の表紙はここのこのテーブルだった。
桟橋もなくなっちゃって、ここにあの船がいたとはもう想像もできないな。
嫁さんと初めてか2度目かそれくらいにあった日にもここへ来た。
たくさんの電球できれいに飾られた船が海に浮かぶのを見ながら・・・
私にとっても思い出の船。
写真があったはずと思い探すと、思い切って食事をしに来たときの写真や動画が出てきた。
昨日のことのようで、もうあれから15年か。
確かに、間違いなくそこには若い私と嫁さんがいて、笑ってる。

すべての写真に私か嫁さんか二人がでっかく写っていて、風景や情景みたいな写真は一枚もない。
自分や他人の姿に嫌悪感や敵意をむき出しにして生きていた記憶があるんだけれど、この時こんなだったんだな。
俺の人生も何にもないまま無駄に時間が過ぎ去ってきたわけじゃないんだと教えてもらう。
背後に写る重厚な内装や装飾品を見ながらこれらはもう海の底にあって二度と会えないんだと思うと泣けてくる。
でも私の人生はまだ海に沈んじゃってないから。
ありがとう。

やってるように見えたここに入ってみると男性が二人で話し込んでる・・
あれなんか違うな?事務所?しくじった?
どうぞー
あ、いいですか?
男所帯的な乱雑さを感じ一瞬ひるんだけれど丁寧な言葉にここで休んでいくことにする。
このあたりはアニメの聖地らしくどこの店に入ってもそれ系のものがあふれてたりして、ここにも声優さんが来たのかサインが貼ってあったり。一人いたその系お客さんはもうバスの時間がとか言いながら出ていった。
でもこの時の私にそこはあんまり関係なかった。
メニューを見てると営業時間が書いてあり・・
あ、もうラストオーダーの時間もとっくに過ぎてもう閉店の時間かぁ・・
嫌な顔もせず迎えてくれて・・申し訳ない・・ありがとう。

ごゆっくりと言いかけた店主に時間のことを詫びるとすぐに話が始まり、この店への強い思い入れが語られる。
かつてここに古い客船が係留されていて、超高級ホテル、レストランとして使われていました。
知ってますよ・・この近くですよね?
近くじゃなくてここです・・
あ・・そうだっけ。
地元では有名だったその船のことは私も幼い時からなんとなく知ってはいたし時々話題にしたような気もする。
けれど客船で食事とか近寄りがたいイメージもあって行ってみたのは結構な歳になってから、嫁さんとだった。
美しいその船は戦前に作られてお金持ちを乗せ世界中を回った名船、食事のあと船を見て回ると私にも歴史と深みみたいななんかを感じさせてくれたのを覚えてる。
それからすぐ、ニュースになるような不正の影響などで経営母体が傾くと施設は閉鎖。
船はどこかへ売られてえい航中に浸水、いったんは港に入ったものの助からず沖に沈んでしまった。
ニュースで見た記憶では港に沈まれては困るから助からないなら沖へ出せという指示みたいなのがどこか監督機関みたいなところからあったような気がする。
古い船だしそもそも大丈夫なのかみたいな話はあったそうだ‥というかだれでもそう思うような気がするし、なんであんなこと・・とこんな話を店主に向けてみると、さえぎるように店主の一方的な話が返ってきたのでやめた。
もしかすると自分の大切なものに対しお前そんなこと言うなということだったのかな?
この人その船とどういう関係にあったかはわからないけれど、それが忘れられてしまうことを何とかして食い止めたいという強い願いを持っているようだ。
一見、物がごちゃごちゃ置いてあるように見えてしまったのは店主が集めてきた船にかかわる大量の展示物であった。
最近アニメのせいでやたらに人が来るようになり、SNSかなんかでこの場所の知名度が爆発的に高まったそうだ・・
それ自体は嬉しいようなんだけど、
だけど来るのは男の子ばっかりで・・・
そうですか・・・
それじゃだめですか・・
https://www.youtube.com/watch?v=FOT3rZJ4vtw
悲しい伝説の残る古城には今も城を守ろうとする武者の幽霊が・・みたいな話を思い出したりして。
幽霊なんて言っちゃったら店主に失礼だけどその強い思い入れに・・
お礼を言って帰ろうと思うと海辺もみていってくださいという。

なんかこう、寂しげな夕景とともにちょっとシュールな・・
店内に置いてあったアニメの本の表紙はここのこのテーブルだった。
桟橋もなくなっちゃって、ここにあの船がいたとはもう想像もできないな。
嫁さんと初めてか2度目かそれくらいにあった日にもここへ来た。
たくさんの電球できれいに飾られた船が海に浮かぶのを見ながら・・・
私にとっても思い出の船。
写真があったはずと思い探すと、思い切って食事をしに来たときの写真や動画が出てきた。
昨日のことのようで、もうあれから15年か。
確かに、間違いなくそこには若い私と嫁さんがいて、笑ってる。

すべての写真に私か嫁さんか二人がでっかく写っていて、風景や情景みたいな写真は一枚もない。
自分や他人の姿に嫌悪感や敵意をむき出しにして生きていた記憶があるんだけれど、この時こんなだったんだな。
俺の人生も何にもないまま無駄に時間が過ぎ去ってきたわけじゃないんだと教えてもらう。
背後に写る重厚な内装や装飾品を見ながらこれらはもう海の底にあって二度と会えないんだと思うと泣けてくる。
でも私の人生はまだ海に沈んじゃってないから。
ありがとう。
オリジナルのが良かった
自分はクラシック音楽が好きなのかもしれないと思ったのは中学生の頃でしたが、きっかけは同時多発的に複数箇所から来ました。どれかを落としても他が生きるシステムだったんじゃないかと思う。
初めて聴いたのはまだクラシックなんて知らない頃にラジオで偶然聴いたべートーべンの月光ソナタでした。
コンクールとか何とか言っていたと思う。同じ物が何度か流れたという記憶があるから課題曲だったのか・・興味がなければ何度も流れたのを覚えてはいないと思うので、自分がクラシック音楽を聴いた記憶の最初は多分それ。
当時第3楽章を理解できたとは思えないけど1楽章だけ流れてたのかな・・それじゃ発表会みたいだよな・・・

初めて自分から能動的に聴いてみようと思った時もラジオでした。音楽番組ならFMという事すら知らず、AMの番組表を探してしまった。そしてまたなぜかAMでクラシックが流れていたのだった。
それがラヴェル編曲の「展覧会の絵」でした。
おっさんが何か解説していていたような記憶がかすかにあるけど聞いて理解できるはずもなかったと思う。
テープに録音しようとしたんだけど何も知らない私には曲が長すぎ、5曲目くらいで止めてしまった。
指揮者やオケがどこだったかなんて気にするどころかそんな要素があることも知らなかったと思う。
ノイズリダクションなんてあるわけのない玩具みたいなラジカセでAMだったために音質は戦前のSPかというようなものだったと思う。
何も知らな過ぎてクラリネットの旋律をフルートだと思い、フルートの音をピッコロだと思っていたのをあとで知った。
そんな程度だったけど何度か聞いた気もする。
「卵の殻を付けたひなの踊り」・・の名前を思い出すのは気に入って曲名を調べたりしたからだと思う。
だいぶたってCDを買えるようになったとき、2度目に買ったのがこの曲だったかもしれない・・
という事はこの曲が好きだったんだな・・・なんで忘れたようなことを言ってんだというとこですが・・

メータ・ロスフィルのラヴェルにアシュケナージのピアノでムスログスキーのピアノ版がカップリングされた盤でした。
この盤で原曲の存在を知った。
有名な話ですが、ラヴェルが編曲に使ったのはムスログスキーの原典版ではなく、リムスキーコルサコフの手が入ったリムスキーコルサコフ版みたいなピアノ譜だったため音楽的にラヴェル版=原曲ではありません。

第4曲ビドロ
子牛が荷馬車で売られていく・・みたいな絵なんだと思うんですが
ラヴェル版はppで始まってfとなり再びppで終わります・・
遠くから荷馬車が近づいていてきて目の前を通りすぎ、去ってゆく・・・

リムスキーコルサコフの手が入ったピアノ譜もそうなっている・・
でも原曲は、

いきなりffで開始。
その絵が目に入ってきたときの衝撃が爆発的に表現されている。
手前でかわいらしい絵を見てニコニコしてたのに突然・・
この音楽の言わんとするのはまさにこういうとこなわけでしょう!
絵の描写じゃなくて見た人間の心だから描かれてるのは・・
これ弱まっちゃったら全然・・・
次のプロムナードが打ちひしがれちゃったみたいになってるのもつながってるよね・・
リムスキーコルサコフを批判してもしょうがないと思う。
彼ほどの人間なら原曲のすごさと魅力はよくわかっていたはず。
同時に当時の一般聴衆には衝撃的過ぎて受け入れがたいこともよくわかっていたはず。
まず楽譜を売ろうと思ったらそこを曲げてでも受け入れやすい内容にしてやる必要があると考えたんでしょう。知らないけど。
そのおかげで、その後があるんだから・・
その後、ピアノ版ばかり聞くようになっていきました。
さらにラヴェルのほかの作品を知るようになるとこの編曲に対して魅力を感じなくなってしまった。
ラヴェルの魔法がない、いつものラヴェルじゃない。
マニュエルロザンタールの本に同じ思いが書いてあって・・喜ぶ内容じゃないけど・・
去年訳があってアマオケで聴いたけどそれまでほんとに二十数年くらい聞いてなかった。
この編曲を否定しようというんじゃありません。これが大好きという人も多いし、私をクラシック音楽の世界に案内してくれた中にこの編曲があったことは間違いないんだし。
YouTubeでたまたまあったピアノを聴いていたらビドロをppで始めているピアニストがいた。
原典版じゃないの演奏なのかな?何であれ私的には悲しい。そこで聴くのをやめた。
これはff。
これでしょ。
初めて聴いたのはまだクラシックなんて知らない頃にラジオで偶然聴いたべートーべンの月光ソナタでした。
コンクールとか何とか言っていたと思う。同じ物が何度か流れたという記憶があるから課題曲だったのか・・興味がなければ何度も流れたのを覚えてはいないと思うので、自分がクラシック音楽を聴いた記憶の最初は多分それ。
当時第3楽章を理解できたとは思えないけど1楽章だけ流れてたのかな・・それじゃ発表会みたいだよな・・・

初めて自分から能動的に聴いてみようと思った時もラジオでした。音楽番組ならFMという事すら知らず、AMの番組表を探してしまった。そしてまたなぜかAMでクラシックが流れていたのだった。
それがラヴェル編曲の「展覧会の絵」でした。
おっさんが何か解説していていたような記憶がかすかにあるけど聞いて理解できるはずもなかったと思う。
テープに録音しようとしたんだけど何も知らない私には曲が長すぎ、5曲目くらいで止めてしまった。
指揮者やオケがどこだったかなんて気にするどころかそんな要素があることも知らなかったと思う。
ノイズリダクションなんてあるわけのない玩具みたいなラジカセでAMだったために音質は戦前のSPかというようなものだったと思う。
何も知らな過ぎてクラリネットの旋律をフルートだと思い、フルートの音をピッコロだと思っていたのをあとで知った。
そんな程度だったけど何度か聞いた気もする。
「卵の殻を付けたひなの踊り」・・の名前を思い出すのは気に入って曲名を調べたりしたからだと思う。
だいぶたってCDを買えるようになったとき、2度目に買ったのがこの曲だったかもしれない・・
という事はこの曲が好きだったんだな・・・なんで忘れたようなことを言ってんだというとこですが・・

メータ・ロスフィルのラヴェルにアシュケナージのピアノでムスログスキーのピアノ版がカップリングされた盤でした。
この盤で原曲の存在を知った。
有名な話ですが、ラヴェルが編曲に使ったのはムスログスキーの原典版ではなく、リムスキーコルサコフの手が入ったリムスキーコルサコフ版みたいなピアノ譜だったため音楽的にラヴェル版=原曲ではありません。

第4曲ビドロ
子牛が荷馬車で売られていく・・みたいな絵なんだと思うんですが
ラヴェル版はppで始まってfとなり再びppで終わります・・
遠くから荷馬車が近づいていてきて目の前を通りすぎ、去ってゆく・・・

リムスキーコルサコフの手が入ったピアノ譜もそうなっている・・
でも原曲は、

いきなりffで開始。
その絵が目に入ってきたときの衝撃が爆発的に表現されている。
手前でかわいらしい絵を見てニコニコしてたのに突然・・
この音楽の言わんとするのはまさにこういうとこなわけでしょう!
絵の描写じゃなくて見た人間の心だから描かれてるのは・・
これ弱まっちゃったら全然・・・
次のプロムナードが打ちひしがれちゃったみたいになってるのもつながってるよね・・
リムスキーコルサコフを批判してもしょうがないと思う。
彼ほどの人間なら原曲のすごさと魅力はよくわかっていたはず。
同時に当時の一般聴衆には衝撃的過ぎて受け入れがたいこともよくわかっていたはず。
まず楽譜を売ろうと思ったらそこを曲げてでも受け入れやすい内容にしてやる必要があると考えたんでしょう。知らないけど。
そのおかげで、その後があるんだから・・
その後、ピアノ版ばかり聞くようになっていきました。
さらにラヴェルのほかの作品を知るようになるとこの編曲に対して魅力を感じなくなってしまった。
ラヴェルの魔法がない、いつものラヴェルじゃない。
マニュエルロザンタールの本に同じ思いが書いてあって・・喜ぶ内容じゃないけど・・
去年訳があってアマオケで聴いたけどそれまでほんとに二十数年くらい聞いてなかった。
この編曲を否定しようというんじゃありません。これが大好きという人も多いし、私をクラシック音楽の世界に案内してくれた中にこの編曲があったことは間違いないんだし。
YouTubeでたまたまあったピアノを聴いていたらビドロをppで始めているピアニストがいた。
原典版じゃないの演奏なのかな?何であれ私的には悲しい。そこで聴くのをやめた。
これはff。
これでしょ。