居場所
今日も楽器やった。けど具体的なことは書きたくないか。
メンタル壊れかけてたけど今これ書こうという程度にはもどる

また食べた魚ランチ
焼き魚はカンパチ、鯛の刺身、カマスのフライ。
みそ汁はあら汁でかぼちゃの煮たのにシラスに・・
ここの看板は洋食屋みたいだけど店主もお客もみんなこの魚ランチにかけてると思う。
特に会話があったりもしないけれど、私を何度か来る人間と好意的に認知してもらえてることは伝わってくる。
これくらいがちょうどいいかな
https://www.youtube.com/watch?v=nXUhWj52TCw
メンタル壊れかけてたけど今これ書こうという程度にはもどる

また食べた魚ランチ
焼き魚はカンパチ、鯛の刺身、カマスのフライ。
みそ汁はあら汁でかぼちゃの煮たのにシラスに・・
ここの看板は洋食屋みたいだけど店主もお客もみんなこの魚ランチにかけてると思う。
特に会話があったりもしないけれど、私を何度か来る人間と好意的に認知してもらえてることは伝わってくる。
これくらいがちょうどいいかな
https://www.youtube.com/watch?v=nXUhWj52TCw
これも腸のせいですか?
日曜日ですが今日も腹痛で出かけられず。
楽器練習して
こうかなという口が最初の10分くらいしか持たず、息漏れしちゃんと鳴らない口へ戻っていった。
それはただの練習不足です。
そうですね。
今日は口の形を意識しすぎて息が全然据えてなかったのかもしれないと終わって今頃思う。
今も首が締まってる。口先で吹こうとしてた・・
それもそうだけどその後必要以上にというか実際以上に気分が落っこちてしまい今も続く。
なんでこんなに?

先日近鉄名古屋駅で
ひのとりという列車が入選したらみんな写真を取り出して笑った。
これ撮り遅れててもっとわらわら人がたかってた。
https://www.youtube.com/watch?v=wXD287qa8Vo
これは火の鳥の懇願
ここから逃がしてくれと言っている
火の鳥はコンサートで組曲版も聴いたけど全曲盤を聴きに行った事があって・・
一瞬、ああコンサート行きたいなもういってもいいかななんて気持ちが来たけど
今度楽器挫折したらもう一生コンサートなんか行けないなコンサートどころか音楽聴くのも危ういかな
Twitterで楽器練習のなにかを吐き出し励みになんて思ってたけど、うまくやらないと勝手に流れてくる文字や動画でダメな自分を再認識しちゃって危ないな
こういうの傍で読んでるとイラつくと思うけどね。
よく弱ってる人向けに
自分を他人と比べてはいけませんなんて書いてあるけど何十年もそうせざるを得なかった人間の今思う事として、
それはその通りだと思う反面、あとですごい代償を払わされることもあると思ってみたりしてますよ。

いつも奈良大阪にいくとその辺にいる人の普通の会話がテレビをみるようででびっくりするんだけど、
でも今回そういうのを一度も聴かなかった。
お店とかで会話がなかったわけじゃないんだけど。
なんでだろう?
みんなコロナでしゃべるのやめちゃった?

明けない夜はない
この数か月で本当にそうだなと思う事もあったし、40年来然開ける気配がないけどと思う事もある。
しかし腹が痛いわまた。
この一年おんなじ事しか書いてないわ
またあした
も毎回書いててうんざりだけど
でもまたあした。
楽器練習して
こうかなという口が最初の10分くらいしか持たず、息漏れしちゃんと鳴らない口へ戻っていった。
それはただの練習不足です。
そうですね。
今日は口の形を意識しすぎて息が全然据えてなかったのかもしれないと終わって今頃思う。
今も首が締まってる。口先で吹こうとしてた・・
それもそうだけどその後必要以上にというか実際以上に気分が落っこちてしまい今も続く。
なんでこんなに?

先日近鉄名古屋駅で
ひのとりという列車が入選したらみんな写真を取り出して笑った。
これ撮り遅れててもっとわらわら人がたかってた。
https://www.youtube.com/watch?v=wXD287qa8Vo
これは火の鳥の懇願
ここから逃がしてくれと言っている
火の鳥はコンサートで組曲版も聴いたけど全曲盤を聴きに行った事があって・・
一瞬、ああコンサート行きたいなもういってもいいかななんて気持ちが来たけど
今度楽器挫折したらもう一生コンサートなんか行けないなコンサートどころか音楽聴くのも危ういかな
Twitterで楽器練習のなにかを吐き出し励みになんて思ってたけど、うまくやらないと勝手に流れてくる文字や動画でダメな自分を再認識しちゃって危ないな
こういうの傍で読んでるとイラつくと思うけどね。
よく弱ってる人向けに
自分を他人と比べてはいけませんなんて書いてあるけど何十年もそうせざるを得なかった人間の今思う事として、
それはその通りだと思う反面、あとですごい代償を払わされることもあると思ってみたりしてますよ。

いつも奈良大阪にいくとその辺にいる人の普通の会話がテレビをみるようででびっくりするんだけど、
でも今回そういうのを一度も聴かなかった。
お店とかで会話がなかったわけじゃないんだけど。
なんでだろう?
みんなコロナでしゃべるのやめちゃった?

明けない夜はない
この数か月で本当にそうだなと思う事もあったし、40年来然開ける気配がないけどと思う事もある。
しかし腹が痛いわまた。
この一年おんなじ事しか書いてないわ
またあした
も毎回書いててうんざりだけど
でもまたあした。
元に戻りたくない
病気は回復途上にあり手術もいらないと言われた日。
鰻でもと浮かんだけどすぐしぼみ、嫁さんにどこに行きたいかを聞ききそこへ。

月替わりメニューで自家製ローストビーフ丼というのがあったので頼んでみた。
カフェご飯って感じがしますよね。
定食屋でこの金額をだせばとてつもない奴が食えるぞとか一瞬頭に浮かぶけど今それを出すのは筋違い。
病気治ってもガクッと落ちた食べる量をこのまま戻さないようにしようと思ってる。
そこを制限した結果回復の方向へ乗ってるわけだし同じに食べれば膝が痛いとかろくでもないものもいろいろ戻ってきちゃうだろう。
だいたいまだ腹の例のところは毎日痛んで警告してくる。
こういうのが足りないと感じるようになったら緩んでるという基準にしよう。
玉ねぎのスープは丸い味でおいしかった。

嫁さんのは、なんだっけ・・チキンミートパイだっけ、なんか喜んでたしよかった。
ブログも暗いことをじめーと書くのが癖になっちゃってて、書くとまた自分でそこに浸っちゃって余計に湿っていくところがあると思うんですよね。
しばらく明るい感じで書けないかと思っているんだけど
腹回復傾向にあるんだったら考えることは楽器。
時間はたっぷりあるなんて思ったけど1月復帰と伝えてあるのを思うともうあと2か月ないのか
音出してみた。楽器は組み立てず発音させるのに最低限必要な部分だけ。
何も期待せずにただ吹いたけれど息も続くし音程もなんとなく合ってるしいいかな?一瞬わーっと明るい気持ちが出てき・・だけどすぐ現実を認識する。
それで何を感じどう思ったかを書いてて気づいた。わずか数行上にそういうの書かないって自分で言ったばかりじゃない。
かなり前だけどテレビで精神改善メソッドみたいなのをやってた。
頭の中に葉っぱが川の流れに流されてゆくところをイメージする。
その葉っぱの上に不安や嫌なことを乗せるとそれがそのまま流れて行き見えなくなる・・するとみたいなの。
NHKのまっとうな番組だったような気がする。
それで私は楽になれましたみたいな人がニコニコ出てきてたけどああいうの成功例ばっかり流すから
まあいいや川の流れと・・イメージしてみて・・
全然流れてかないよ?
いいけど。
今日も世間に出てみれば朝から人間的不愉快に遭遇するわけですが、あれも銀杏だよ踏んじゃうと臭いからほっとけなどと考えてみたり。
先生に治ってきてると言われた腹はいまも腹を立てたり落胆したり不安になったりすると痛むんだよねその場所が。
この先食事制限も大事だけど、精神的安定が何より大事な気がしてる。
https://www.youtube.com/watch?v=caXcMRTndwU
ちょっと前にストラヴィンスキーの火の鳥の中の曲を細切れにここに貼ってたことがあったんだけどこの超絶ハッピーエンドを貼ろうと思える日が全然来なくて。
今あえて貼ってみる。
この人も19世紀からのロマン派の音楽を壊して次の世界を作った巨大舵取り役みたいな人ですが、壊す前にあった世界の集大成がここって感じもしますね。
またそういうのさらっと簡単にやっちゃってる感じが超絶天才という気がする。
実際ものすごく頭のいい人だったらしい。
私は、ゆっくりやればいいから。
鰻でもと浮かんだけどすぐしぼみ、嫁さんにどこに行きたいかを聞ききそこへ。

月替わりメニューで自家製ローストビーフ丼というのがあったので頼んでみた。
カフェご飯って感じがしますよね。
定食屋でこの金額をだせばとてつもない奴が食えるぞとか一瞬頭に浮かぶけど今それを出すのは筋違い。
病気治ってもガクッと落ちた食べる量をこのまま戻さないようにしようと思ってる。
そこを制限した結果回復の方向へ乗ってるわけだし同じに食べれば膝が痛いとかろくでもないものもいろいろ戻ってきちゃうだろう。
だいたいまだ腹の例のところは毎日痛んで警告してくる。
こういうのが足りないと感じるようになったら緩んでるという基準にしよう。
玉ねぎのスープは丸い味でおいしかった。

嫁さんのは、なんだっけ・・チキンミートパイだっけ、なんか喜んでたしよかった。
ブログも暗いことをじめーと書くのが癖になっちゃってて、書くとまた自分でそこに浸っちゃって余計に湿っていくところがあると思うんですよね。
しばらく明るい感じで書けないかと思っているんだけど
腹回復傾向にあるんだったら考えることは楽器。
時間はたっぷりあるなんて思ったけど1月復帰と伝えてあるのを思うともうあと2か月ないのか
音出してみた。楽器は組み立てず発音させるのに最低限必要な部分だけ。
何も期待せずにただ吹いたけれど息も続くし音程もなんとなく合ってるしいいかな?一瞬わーっと明るい気持ちが出てき・・だけどすぐ現実を認識する。
それで何を感じどう思ったかを書いてて気づいた。わずか数行上にそういうの書かないって自分で言ったばかりじゃない。
かなり前だけどテレビで精神改善メソッドみたいなのをやってた。
頭の中に葉っぱが川の流れに流されてゆくところをイメージする。
その葉っぱの上に不安や嫌なことを乗せるとそれがそのまま流れて行き見えなくなる・・するとみたいなの。
NHKのまっとうな番組だったような気がする。
それで私は楽になれましたみたいな人がニコニコ出てきてたけどああいうの成功例ばっかり流すから
まあいいや川の流れと・・イメージしてみて・・
全然流れてかないよ?
いいけど。
今日も世間に出てみれば朝から人間的不愉快に遭遇するわけですが、あれも銀杏だよ踏んじゃうと臭いからほっとけなどと考えてみたり。
先生に治ってきてると言われた腹はいまも腹を立てたり落胆したり不安になったりすると痛むんだよねその場所が。
この先食事制限も大事だけど、精神的安定が何より大事な気がしてる。
https://www.youtube.com/watch?v=caXcMRTndwU
ちょっと前にストラヴィンスキーの火の鳥の中の曲を細切れにここに貼ってたことがあったんだけどこの超絶ハッピーエンドを貼ろうと思える日が全然来なくて。
今あえて貼ってみる。
この人も19世紀からのロマン派の音楽を壊して次の世界を作った巨大舵取り役みたいな人ですが、壊す前にあった世界の集大成がここって感じもしますね。
またそういうのさらっと簡単にやっちゃってる感じが超絶天才という気がする。
実際ものすごく頭のいい人だったらしい。
私は、ゆっくりやればいいから。
逃げる羽もなく、愛でる月もない

この建物は昭和16年の航空写真に写っていて、その後増築され昭和21年の写真では数倍の大きさとなっている。間の写真がないのは戦争中だからだろう。
建物の角になる部分には塔のようなものがついて丸窓が付いたりとかそんな中でも意匠に凝ることをを意識してたのかなとか。
私が子供のころにはほとんどすべてが残っていたこの建物、かなり前にすべて解体されてしまったと思ってたのに

一部の壁だけかもしれないけど保存してくれてあったのを知った。
ここは民間企業だったけれどその横にはかつて海軍工廠というのがあり、その広さはこの比ではなく街全体くらいの巨大さをもっていたらしい。
今でいうレーダーのようなものを開発製造していたらしく、そこで技官をしていたという人と昔話す機会が何度かあった。
・・もうちょっと続けるつもりだったけど
今正直ブログなんて書いてる場合じゃない状況にあります。
ありますがブログしかないので書こうとしたり
でも今起きてることをここに書くわけにはいかず。
https://www.youtube.com/watch?v=wXD287qa8Vo
間違っていなければこの曲は火の鳥の懇願
捕まっちゃった火の鳥が逃がしてくれと言ってるらしい。
ただ逃げるんじゃなくて困ったときにはこれをと羽を一枚置いてゆく・・そしてそれはその後・・
私も逃げたいけれど、代わりに差し出せる羽は持ち合わせない。
夜、犬と外に出るとたくさんの星がすごく明るく瞬いてるのを見た。
何時頃からか私は目が悪いのでほとんど星なんか見た記憶がないんだけど。
あんなにきれいに光ってくれるのなら、もしかするとまだいいことがあったりもするのかな
振り返ると山の向こうがやけに輝いてる。
月か・・
あの月の光を浴びると・・
と書いてはみたけれど
そんな都合のいい話にはならなかった。
あたりまえか。
今日また同じ方角を見上げると雲もないのに真っ暗なのね。
調べると今日は月の出が昨日より40分くらい遅れるらしく・・
でもいつまでたっても出てこないじゃない。
もうでてくれないのかな?
唯一の救いは今まだ腹が暴発していない事。
今までいろんなところにいられなくなり逃げてきた。
羽がないもんだからいつも立つ鳥跡を濁しまくり
今、どんなことになっても絶対に逃げるわけにいかない
ふと窓を見るとカーテンの隙間から変な形の月が見える。
俺だけ見えないわけじゃなかった。
あそこから何か言ってるような気もするけど読み取れない。
今後さらに厳しい状況になる。
まあ、死ぬわけじゃないから。
おかしな展開はやめてください
主治医に精神的ストレスが腹の損傷の原因となりうるかと質問してみたところ懐疑的な返答が返ってきた。
ストレスというのは弱った腸壁を取りすぎた繊維が傷つけるというような物理的なものを指すんだということでそれはそうだな。
今、弱ってるどころかよくこれで炎症を起こさずにいられると先生も驚く状態だけどがんばれ俺の中身。

休日毎回家で飯というわけにはいかないけれど飲食店に行く気にはなれず、低負担な和食という事でまたキノコの幕の内を買って・・はいいけど日差しが強すぎて日陰でなければ飯どころではない。
木々に囲まれ人も来ないある場所が頭に浮かんだけど、そこは行くとその後いろいろひどい目に会う私にとって呪われた場所だった。何かあっちゃ困る今ちょっといけないな。
ということで山の中、道沿いの駐車場というでもないけどそんなところで食べた。
食べ終わって外をほっつき歩いてみると

あれベンチ?
あんなとこに。
なんだあそこで食べればよかった。
この下に滝があるらしいのは知ってたけど確か道が崩れちゃっていけなかったんじゃなかったか

でも道はあったので下ってみる。
どうせ行き止まりの立て札かなんかがあるんだろうけどいいじゃないそれで。
ここもしょっちゅう車で通過するところでそんな特別感もないんだけど下の方からせせらぎの音が聞こえたり、悪くもない。

子供みたいに栗だなとか言いながら
結構下ったその先、
斜面の上からシュー!っとエアが急激に抜けるような音が聞こえてきた。
トラックのエアブレーキかな・・にしてはちょっと変だった?
タイヤ?
そういえば音がした斜面の上はちょうど車を止めたあたり・・
あっ?
いつもならそんなもん気にならないけれど今年は

こういう年だから
すぐに戻って確かめたいような気もしたけれどもしそうなっちゃってるんならもう戻ったってどうにもならない。
そんなこと嫁さんに言えないから嫁さんが気が済むまで歩いて
戻ってみれば特に異常もなく。
見ればそんなのあたりまえだと思うその光景を前にして
まあ、
ほっとさせて。

農協がやってる牛乳工場の直売所はシンプルすぎてほとんど田舎の万事屋状態。
瓶入りのコーヒー牛乳は紙パックのとは違う味がするんだけど以前飲んだので牛乳プリンを買って食った。
あ、これ牛乳だねという味がして開発者の心意気が伝わってきた気がした。
近所のスーパーでも売ってるやつだろうけどおいしかったしいいじゃない。
https://www.youtube.com/watch?v=5TL6NgTQGDc
また火の鳥を聴いたから王女たちのロンド

オーボエのソロはそのまま伸ばしとなってその上にいろんなソロが絡んでくる。
こういうのを聴くとああ2番に継いでるんだろうなどこで?・・なんて思いながら聴くわけだけど

そういう割り振りまで作曲家がスコア上に指示していることも多い。
別に珍しいものじゃないし、中学校の吹奏楽部とかでも継ぎ目がわからないようにつなぐ練習とかするんでしょ?
知らないし知りたくないけど。
嫌ちょっと知ってる。そういう場に行って恥をかい・・はいまいいから
作曲家がそこまで書いてなくても奏者が事前に話し合って一瞬2番が肩代わりしてる間に1番はブレスをして次の大事なところに備える・・とかやってるんですよね。
オーケストラを裏側から聞けるような席に座ると、そういう裏事情みたいなものがよく見えてまた面白かったりして。

1919年版はその継ぐ位置を少し変えてあった。
こういうの書いてると、やれもしないお前が言うなという声が聞こえてくる。
うるせーわと思う反面まあそれもそうだなとも思うため
じゃあやろうかと思ってんだけど

嫁さんがスーパーで買い物をする間付近を歩く。
ここを書いてる今はまだ休日。
昔キューバ危機の時に対応した政府の高官が、明日の夕日を見ることはできないかもしれないと思ったと回想していたのが忘れられない。核戦争になり誰もいなくなる可能性を本気で考えていたということだと思う。
私のはそんなにすごい話じゃないけれど、わずか数日後にどんな状況に置かれどんな心理状態でいられるかはわからない。
いまそういうところ。
気温が下がってやけに寒い。
重ね着をしても寒い。
熱がある?
そんな漫画みたいな展開はやめてくれと思いながらこれを書いてる。
ストレスというのは弱った腸壁を取りすぎた繊維が傷つけるというような物理的なものを指すんだということでそれはそうだな。
今、弱ってるどころかよくこれで炎症を起こさずにいられると先生も驚く状態だけどがんばれ俺の中身。

休日毎回家で飯というわけにはいかないけれど飲食店に行く気にはなれず、低負担な和食という事でまたキノコの幕の内を買って・・はいいけど日差しが強すぎて日陰でなければ飯どころではない。
木々に囲まれ人も来ないある場所が頭に浮かんだけど、そこは行くとその後いろいろひどい目に会う私にとって呪われた場所だった。何かあっちゃ困る今ちょっといけないな。
ということで山の中、道沿いの駐車場というでもないけどそんなところで食べた。
食べ終わって外をほっつき歩いてみると

あれベンチ?
あんなとこに。
なんだあそこで食べればよかった。
この下に滝があるらしいのは知ってたけど確か道が崩れちゃっていけなかったんじゃなかったか

でも道はあったので下ってみる。
どうせ行き止まりの立て札かなんかがあるんだろうけどいいじゃないそれで。
ここもしょっちゅう車で通過するところでそんな特別感もないんだけど下の方からせせらぎの音が聞こえたり、悪くもない。

子供みたいに栗だなとか言いながら
結構下ったその先、
斜面の上からシュー!っとエアが急激に抜けるような音が聞こえてきた。
トラックのエアブレーキかな・・にしてはちょっと変だった?
タイヤ?
そういえば音がした斜面の上はちょうど車を止めたあたり・・
あっ?
いつもならそんなもん気にならないけれど今年は

こういう年だから
すぐに戻って確かめたいような気もしたけれどもしそうなっちゃってるんならもう戻ったってどうにもならない。
そんなこと嫁さんに言えないから嫁さんが気が済むまで歩いて
戻ってみれば特に異常もなく。
見ればそんなのあたりまえだと思うその光景を前にして
まあ、
ほっとさせて。

農協がやってる牛乳工場の直売所はシンプルすぎてほとんど田舎の万事屋状態。
瓶入りのコーヒー牛乳は紙パックのとは違う味がするんだけど以前飲んだので牛乳プリンを買って食った。
あ、これ牛乳だねという味がして開発者の心意気が伝わってきた気がした。
近所のスーパーでも売ってるやつだろうけどおいしかったしいいじゃない。
https://www.youtube.com/watch?v=5TL6NgTQGDc
また火の鳥を聴いたから王女たちのロンド

オーボエのソロはそのまま伸ばしとなってその上にいろんなソロが絡んでくる。
こういうのを聴くとああ2番に継いでるんだろうなどこで?・・なんて思いながら聴くわけだけど

そういう割り振りまで作曲家がスコア上に指示していることも多い。
別に珍しいものじゃないし、中学校の吹奏楽部とかでも継ぎ目がわからないようにつなぐ練習とかするんでしょ?
知らないし知りたくないけど。
嫌ちょっと知ってる。そういう場に行って恥をかい・・はいまいいから
作曲家がそこまで書いてなくても奏者が事前に話し合って一瞬2番が肩代わりしてる間に1番はブレスをして次の大事なところに備える・・とかやってるんですよね。
オーケストラを裏側から聞けるような席に座ると、そういう裏事情みたいなものがよく見えてまた面白かったりして。

1919年版はその継ぐ位置を少し変えてあった。
こういうの書いてると、やれもしないお前が言うなという声が聞こえてくる。
うるせーわと思う反面まあそれもそうだなとも思うため
じゃあやろうかと思ってんだけど

嫁さんがスーパーで買い物をする間付近を歩く。
ここを書いてる今はまだ休日。
昔キューバ危機の時に対応した政府の高官が、明日の夕日を見ることはできないかもしれないと思ったと回想していたのが忘れられない。核戦争になり誰もいなくなる可能性を本気で考えていたということだと思う。
私のはそんなにすごい話じゃないけれど、わずか数日後にどんな状況に置かれどんな心理状態でいられるかはわからない。
いまそういうところ。
気温が下がってやけに寒い。
重ね着をしても寒い。
熱がある?
そんな漫画みたいな展開はやめてくれと思いながらこれを書いてる。
動いても動かなくてもいけない

休日の窓の外、すごい勢いで雲が流れる。
自転車にでも乗って近所の田んぼの中を山の方へちょっと走ってみれば、心惹かれるような景色に出会えるに違いない。
後は合間に楽器の練習を・・
腹の病気再発の前日、それをやってた。
そして、来週は何があっても絶対に休むわけにはいかない仕事上の山場をひかえる。
今、同じことをするわけにはいかない。

何が写ってんだかわからないけど再入院前日、すぐそこでかなり大きな滝が落ちている。
よく見えないし生活排水の匂いがして風光明媚では全然ないんだけど、ものすごく暑いなか自転車で調子よく走ってここまで来て。
この後水分を取るべく水を飲んだところ腹にかなり嫌な痛みを感じ・・
その何日も前から予兆はあったのでそれが原因というわけじゃなくその時もう駄目だったんだろう。
同時にというかその何日か前から楽器がどんどん吹けなくなってゆきしまいには音も鳴らせなくなっていた。
なんなのこの体と頭
昔っから・・
そういわずにとやりだしたのも病気で中断
こんなことを繰り返して何も得られないうちに俺は終わってしまうんだろうか?
なんであれ、今再発するわけにいかない。
病欠で逃げたなんてことになれば治ったってもう戻ってそこにいられない。
そして今、この数日落ち着いていた腹が怪しく違和感を返してくる。
ふざけてんなよ

この休みは静かにしていようなんて思っているけど向かいの新築工事が始まった。
別に気にすることもないその音に過剰に反応する自分にああ俺はあそこに人が来ることが本当に嫌なんだなと思う。じゃないなこれ何かの代償がそこに出ているだけで根源的な原因はもっと別に・・
何もしないでいるとこういうのが始まっちゃうから。
音楽、音の何もない瞬間が何より大事なので回りでがたがた音がしてる時には聞けないの。
聴けたとして今頭が変になっちゃってるからオケものなんか聴くと俺は楽器もできねーとか始まっちゃいそうで。
とか書いてたけど用事を済ませ帰ってきたらまだ5時前だけど業者さん早じまいしたみたいだった。
音楽を聴きたいと久しぶりに思うに至り、犬の世話をしてから・・
火の鳥1910年版だから45分くらいか、聴いてる間に日が暮れて
https://www.youtube.com/watch?v=GnMKSBuEQwA
子守歌の手前ぐらいから鈴虫が鳴き出しちゃったけど何とか最後まで聴けた。
この曲も非常に分かりやすく感動せざるを得ないような終結が用意されているけどそこは素直に乗って。
もともとバレエだからかこの曲もバンダが仕込んであって

ステージから離れたところにそれぞれ離れて配置された3本のトランペットがリレーすると
遠くからステージ上のトランペットまで音がすごい速さで飛んできてまた飛び去ってゆく・・・みたいなの。
実演聴きに行ったときは客席の中にそのトランペットがいて、客席をスパイラル上に巻きながらステージに音が下りるような演出がされてた。
私はそのスパイラルよりさらに外側で聴いてたので音的には面白くないけどでも見ていて面白かった。
せっかくだからな感じでもう何度か出番のあるトランペットのほかに、この曲もう一つワーグナーテューバもステージ外に配置されることになっているのだけれど、

ほんのちょっとしか出番がないほかほとんどステージ上のトロンボーンが重なってていまいちよくわからない。
聴いてるとなんか言ってんだなというのは伝わってくるけれどいまいち外でやってる意味が・・
というのが実際どう聴こえるのかも興味があったけど、あれどこで鳴ってんのかな?とか思ってるうちに終わっちゃったような気がする。もしかするとそもそも省略されてトロンボーンしかやってなかったとかかもしれない。
あの日、オケはこの細密なスコアを完ぺきにこなしていたけどでもなんか全然来なかくてフラストレーションがたまった。
なんでこんなになりが悪いの?席のせいかな・・・なんて思ってたけど後半の別な曲は結構来たのでそういう演奏だったんだろう。
ドイツからきたオケでブラームスを聴いた時も前半の4番は湿ってしなびちゃったような演奏で金返せ位の印象だったのに後半の1番は歌って暴れて爆発して大感動だった。
実演に行くとそういうのに出くわす。
と、こんなの書いても興味をもって読んでくれる人はあんまりいないかな思ってる。
でもいいのこれ書いてる間自分の気がまぎれるから。
朝の7時台から重機唸らされると・・なんて言わない。
なんとなくその後入居してくる人間も迷惑系なんじゃないかという予感がしてる
そんなこと書かなくていいんだろうけど。

犬は歳や足の悪さもあるしなまけ癖みたいなのも乗ってるかもしれない、全然歩かなくなってしまった。
預かり犬が来てからおかしい気もするけど犬に罪はないので文句を言っても仕方がないだろう。
そういう俺も、外へ出てる場合じゃなかった。
俺たちもうだめかな。
なんとなく、スーパーのでいいから寿司が食いたいなというのが頭の中を行ったり来たりして。
これ罠だろ?
生ものを食ったからすぐに炎症を起こすというわけじゃないだろうけど
それで冷凍食品のソーキそばを食った。
意外にうまくてよかった。

これは昔店で食った別なものだけど。
そういえば預かり犬は沖縄の生まれらしい。
どうでもいいかそんなこと。
どうして、妨げられてしまうのか知らないけれど
音楽がしたい。
好きなことも自分でつぶして忘れてた

何年前かこの写真をなんとなく撮ったとき、ああこういうのをブログに載せたらいいのかと思った。
それまで好きな音楽のことを好きなように書いていればそれでよかったし、写真を撮って誰かに見せようとか言う発想もなかった。

ここは私でも名前を知っている芸能人がオーナーなお店。
部屋の飾りつけは細かいところまでオーナーの意向だというのが伝わって来るほかに自作のアート的な物が沢山並んで子供部屋みたいだった。
でもなんかあまり共感できず。
そういう私も今日はこの先自分の好きな話を一方的に並べるので多くの人にははぁ?みたいな内容でしかないかもなと思って。
レジのところにでっかく赤ちゃんの写真があったから子供が生まれたところだったのかもしれない。
働いてる人たちはすごくよくしてくれたけどなにか引っかかってブログに載せなかった。
最近スマホに容量不足で操作不能という表示が頻発するようになり不要なものを削除してもだめ。
5年目だし買い替えか思ったりもしたけど物理的にはどこも壊れていいし実際支障もないからいいか。
もともと私は停波までガラケーを使ってるような人間だけどスマホを持ったのはあの頃複数個所から人に誘われスマホくらい持ってくれと言われたから。
ここから人生が変わるなんて予感に浮かれたけど急に木に竹いだところで育つはずもなく、元へ戻ってもう何もない。
昔のフォルダを見ると買ったスマホで最初に撮ったのは犬の写真だった。
次には私にスマホを買えと言った人間。
次に当時やってた楽器。なかったことにしたいので省略。
次は

オルガンを聴きに行ってた。
ああいう遠隔コンソールをステージ上に置くとパイプまでの距離がありすぎてキーを押してから音が奏者に届くまでかなりのタイムラグがあるらしい。私が弾くわけじゃないから関係ないんだけど興味あるじゃないそういうの。
パイプオルガンというと見えてるあのパイプが鳴るイメージだけど実際はあの裏に大量のパイプが配置されていて壁の向こうで何か鳴っている感じ。うまくいけばそうじゃなくてこの広い空間全体が鳴っているような気がするはずだけど。
聴いたのはここじゃなくて2階席だったけど音が遠くてここまで来ない残念なんて思った記憶。席によるのかもしれず何度も通っていろんな席で聞いてみたかったけれど。と思ったらこの数週間後にも行ってた。
オルガンを持ったホールに助成金が出るらしく平日の昼休みに無料や500円くらいで開放というこういうのが各所でたくさんあって、自分も平日休みがあったので結構行った。
ここは数あるクラシック系ホールの中でもちょっと別格感が漂うところ。設計時の想定ミスだそうだけど休憩時間トイレ渋滞が起きるのが玉に瑕。
場所柄か周囲で働いてて昼休みに来てたような人が多かった気がする。
たまたま行った時がそうだったというだけだろうけど個人的な記憶として客の態度が最低だった思い出があるのは池袋芸劇。
なにしろ演奏者がかわいそうだった。
客の反応は忘れたけど演奏がよかった記憶があるのは新宿オペラシティー
書き込みだらけの譜面の乗ったコンソールをまじかに見ながらオルガン直下で聴けて楽しめた。
奏者は若い女性だったけどマイクなんて持ちなれないんだろうがちがちに緊張しちゃってなにしゃべってんのかわからなかったり音楽教室の発表会みたいな雰囲気で微笑ましいというか。
同じところへ次に行った時の人は喋りばかり饒舌で演奏は全くこなくシラケた。
演奏もお客も最高で素晴らしいコンサートが成立していたのは所沢ミューズ
演奏者の熱意に打たれたのは横浜何とか・・なんか小さいところ
名前も忘れちゃったけどまたいつか聴ける機会があればと思う。

あの頃コンサートによく通ってたみたいだ。
池袋、ハープ2台とチェレスタだけどティンパニは一対。マーラーの大地の歌かな。
テノールの声が全然聞こえないと思った。一階席ならよかったのかな?
だけど別な曲別な歌手の時は2階で問題なかったし。

月明かりがさしているような部分でステージ上に月の光を見たような気がしたのはこの時だったかな。
演奏がというのもあるけど、ある程度のクオリティーが得られれば必ずそう聞こえるように書いてあるというのがマーラかなとも思ったり。
ここは普段反響板みたいなのがオルガンを隠してるのね。ここでドイツレクイムやサンサーンスの3番を聴いたときオルガンのペダルがこの世の全部が鳴ってるように響いて圧倒された。
鳴りがすごいからという理由じゃなく音楽的にも感動したあの時は。

錦糸町。オルガンの譜面台に明かりがついててステージにはピアノ。
プーランクのコンチェルトとストラヴィンスキーの火の鳥かな?※
通常客が入ったらそんなにガンガンさらわないものみたいだけどこの時ピアノの人がガンガン弾きまくってるのをまじかで見れたのが面白かった。オケが鳴っちゃったらあんな風には聴こえないから。
私が普段よく聴いていたのは最初に書かれたハープが3台出てくるよう巨大編成による原典版だけど、ピアノが出てくるこれは
https://www.youtube.com/watch?v=6wbkKWrUD-A
小さなオーケストラが小さな演奏会で客が飽きちゃわない一品目として演奏できるように、かつ小は大をを兼ねるじゃなくオリジナルには全然ない要素をたくさん入れて、原典版とは別にこれも演やなきゃ聴かなきゃと思わせるように作者が作った組曲1919年版というやつだと思う。

ピアノさらってたのこのあたりかな?
原曲のハープ3台を拾うだけじゃなくて全然違う感じの音楽になってると思う。
あの時ピアノの人は同じ椅子で向きを変えるとチェレスタがあって・・※
と散々書いてきたけど よく見るとチェレスタが写ってないしピアノの前には譜めくりを含め椅子が3つ。
あれ連弾?サンサーンスの3番か。
全然違う日じゃないか・・と独りよがりな文章を書いてもはやだれが読むかも関係なく自分が楽しいだけ。

合唱のひな壇があってオルガンのバルコニーにはバンダの譜面台。マーラーの8番は千人の交響曲というふざけた愛称がついていて作者も嫌がっていたらしいけれどこの時はこの曲コンパクトにやってもいけるんじゃないかみたいな感想を持った。
どうしても聴きたい曲なので席を変えつつ2日連続で聴きに行き満足した記憶。
家で同曲異演を聴き比べると好みから外れたものはなかなか乗れなかったりするものだけど実演に接するときは全然違うものでもすっと入れてああこれもいいなぁと思えることが少なくなかった。
音楽は発生する現場に立ち会わないとダメなんだなとこのころ思ってた。
思ってたんだけど。
毎回思うけどバンダあそこじゃあんまり面白くないけどなぁ。
あれ見てこの指揮者の曲への態度か距離感みたいなものを感じたような気もしたり。

2階の後ろとか、明後日みたいなところから聴こえてきたら泣いてしまうと思う。
実際にはタイミング合わなくて難しいのかな。
でも現場でずっとやってたマーラーだからそんなの百も承知で回りとぴったり合わなくてもいける感じに書いてあったりしないかな・・あでもいきなりオルガンと重なってるな・・
あの超絶初演の時はどこに置いたんだろう?

指揮者にサインをもらおうというところ。
こういう写真もほんとはとっちゃいけないのかもな。
この人はなぜか今民間航空会社でパイロットをしてるというのを何度もここに書いてるけれど、才能の有り余る人がうらやましいというより通常能力も欠落した自分としては・・なんだそりゃ。
コンサート通いは今後も続けるつもりで続くと思ってた。
スコアを俯瞰するように聴ける2階席前列を気に入っていたけれどオケの真横とか裏から聞くような変な席が実は超絶面白いことを知って・・
どれくらいの期間があったのかももう忘れたけれど属していたアマチュア楽団にいられなくなり逃げた。
一人で楽しむような楽器でもなくいったんみんな投げ捨てる。
たまたま知り合った人といろいろ話したはいいけれどいらんことを話しすぎて幻滅してしまい、いやそんなくだらない話にこだわっても仕方がないと解ってはいるのにステージ上にいるのは皆敵だとかいういかれた頭になっちゃってコンサートも全くいかず。
経験のあることだったのでこの先何が来るかを予感した。

こんな写真を貼って私はこれから長いトンネルに入るなんて書いたりして。
思いがけず、暗いトンネルもこんなに短いといいですねとコメントをくださった方がいたんだけどお返事できないままになってしまった。
こんなブログなのにコメントをくださる方がいて、そのコメントで救われたりうれしかったりしたことが何度もありました。
どうもありがとう。
まれにですが人として許せないコメントが来ることもあります。だけどそういうこと書くと関係ない人があれは私のことですねとか言い出しちゃうのね。そう思えるようなあなたがそんな人なはずはありません。

トンネルは出てないどころかさらに暗くなってきた。
下手でもいいから俺も楽器やって音楽してるんだかなんか思えればまたコンサートもいけるんじゃないかと考えている。
はいいけど今病気だとか言って練習もしてない。
してないものは前進するはずもない。
でも出口の全く見えない写真を貼るのもかなしいから。
書いててこの内容じゃ誰も読まないなと思ってるけど書いてる自分は楽しかった。
ここまで読んでくださった方がいらっしゃいましたら、私はうれしいです。
どうもありがとうございました。
枯れるのを承知で放置していたのに、花が咲いたら急に愛でるのは
気持ちがざわつき口内炎が痛いなんて思っているところで突然銀歯が取れた。
歯医者へ行けばいいだけの事なのに何かとんでもない負担を被ったような気になったり頭が負けてる。
明日楽器のレッスンなのにとか全然関係ないしあほか。
正念場が来るのはもう少し先。
梅雨が明ける頃に笑っていられれば大丈夫。
そうでなければそうでない。
庭のチューリップはもう終わり。
毎年そうだけどなにか寂しいような気持になる。
すぐそばでは別な花が鮮やかに咲き始めたけれど、霜に耐えられず枯れてゆくのを見て見ぬふりをしていた私にそれを喜び愛でる資格はあるのか
先日用事で普段いかないあたりを走っていると「←ベトナムレストラン」という看板が目に入った。
またそんなもんがある訳のないところなので逆に興味がわき、嫌だと言うだろうと思いつつ嫁さんに行く?と聞いたら行くという。
じゃあいこうか。
その看板を曲がると

店なんかあるわけがないような風景で。

先日駐車場への案内が見にくいと感じた巨大観光施設よりこの手作り看板はよっぽど視認性に優れてるわ。
で車をとめる場は土場というか、まあそんな感じで

そして現れたこの感じ。
後ろの青いプレハブはお店と関係なく手前が・・
いいねなんか

お客さん誰もいないけど片付けてるのが見えたからさっきまで誰かいたんだろう。
奥には観光地なんかでよくみるキッチントレーラみたいなのが据えられていて

セルフサービスの貼り紙からここに立って注文してここでもらってなシステムかなと理解する。
多分ベトナム出身の?お姉さんはいい感じに答えてくれた。
ベトナム語を理解はできないけどおねえさんが携帯で話してるのはベトナムの言葉なんだろう。
なにも知らないけどこの辺りも大規模工場が点在しているし同じ言葉を話す人たちが結構いるのかもしれない。
ここはそういう人たちも来るんだろうけど基本的には普通に誰でも来てくださいなお店。
トイレが見当たらないのでないのかと思いつつ聴いてみるとすごく丁寧に教えてくれて、外へ出て裏の建物の隙間からその裏へ到達すると更に曲がって進んだその先でまたまがって・・その間ずっと100均のソーラーライトが点々と地面に刺してあり誘導してくれる。
夜には空港の誘導路と滑走路みたいで面白いかもしれない。
トイレのあった場所やこの如何にも手作りな空間などからおねーさんが何でここにいるのかとかこの店は何なのかとかいろいろ察してみる・・そんなこと言ってないで話しかけてみればいいんだろうけど、何も話さず終わっちゃったので勝手な想像でしかないままだ。
暫く待っていると呼ばれるのでお盆で受け取る

フォーボー。
牛肉と、白いのは玉ねぎで
全体的に変に赤っぽく写ってるのは

天井というか屋根が赤いビニールシートだから。
いいねこの感じ。

玉ねぎと肉の下に白いフォーが
鳥の出汁かなとてもおいしく最後まで飲んじゃうスープと
大量のパクチー。
私パクチー大嫌いなんだけどでも食べちゃった。
フォーはそばやラーメンみたいにすすって食っちゃいけないんだそうだけどそんなの知らないし蕎麦みたいに食っちゃったよ。
お店は朝から昼過ぎまでの部と、ちょっと休んで夜遅くまで。
仕込みとかもあるだろうし何時休むんだろうなんて思ったけど大きなお世話だな。

嫁さんのベトナムチャーハンは玉ねぎフライ?みたいなのが乗っててさくさく
ベトナム風ピザはエビが主役でおいしかった。
最後に食器を持っていくとありがとうございましたと終わろうとしてた。
お金払ってないよというそぶりを見せるとあ!みたいな。
話を少ししてみたかったけど。
また来ることもあるかもしれないし。
https://www.youtube.com/watch?v=pTW8lIB3hI8
この日聴いたこの曲は腕に自信のあった有名なピアニストが俺のためにこの世にあるどれよりも難しい曲を書いてくれと頼んだのを受け作曲家が自作の巨大管弦楽曲をもとに・・その話はとても有名でそこら中に書いてあると思ったらそんなの俺が今更書いてもしょうがないと覚めてしまい
じゃあ私が書いてもしょうがなくない話がなにかあるのか
この話どうまとめるんだと思いながら犬とちょっと外へ出て戻ってきたら玄関で咲いていた君子蘭の花が一気にいくつも落ちていた。
さっき見た時は全部・・あのときもう終わりか、長く咲いてくれたねというようなことを思ったのが花に伝わったのかなと思えば寂しいけれど少し救われたような気がしてくる。
来年という物があるのなら、また会えるだろう。
歯医者へ行けばいいだけの事なのに何かとんでもない負担を被ったような気になったり頭が負けてる。
明日楽器のレッスンなのにとか全然関係ないしあほか。
正念場が来るのはもう少し先。
梅雨が明ける頃に笑っていられれば大丈夫。
そうでなければそうでない。
庭のチューリップはもう終わり。
毎年そうだけどなにか寂しいような気持になる。
すぐそばでは別な花が鮮やかに咲き始めたけれど、霜に耐えられず枯れてゆくのを見て見ぬふりをしていた私にそれを喜び愛でる資格はあるのか
先日用事で普段いかないあたりを走っていると「←ベトナムレストラン」という看板が目に入った。
またそんなもんがある訳のないところなので逆に興味がわき、嫌だと言うだろうと思いつつ嫁さんに行く?と聞いたら行くという。
じゃあいこうか。
その看板を曲がると

店なんかあるわけがないような風景で。

先日駐車場への案内が見にくいと感じた巨大観光施設よりこの手作り看板はよっぽど視認性に優れてるわ。
で車をとめる場は土場というか、まあそんな感じで

そして現れたこの感じ。
後ろの青いプレハブはお店と関係なく手前が・・
いいねなんか

お客さん誰もいないけど片付けてるのが見えたからさっきまで誰かいたんだろう。
奥には観光地なんかでよくみるキッチントレーラみたいなのが据えられていて

セルフサービスの貼り紙からここに立って注文してここでもらってなシステムかなと理解する。
多分ベトナム出身の?お姉さんはいい感じに答えてくれた。
ベトナム語を理解はできないけどおねえさんが携帯で話してるのはベトナムの言葉なんだろう。
なにも知らないけどこの辺りも大規模工場が点在しているし同じ言葉を話す人たちが結構いるのかもしれない。
ここはそういう人たちも来るんだろうけど基本的には普通に誰でも来てくださいなお店。
トイレが見当たらないのでないのかと思いつつ聴いてみるとすごく丁寧に教えてくれて、外へ出て裏の建物の隙間からその裏へ到達すると更に曲がって進んだその先でまたまがって・・その間ずっと100均のソーラーライトが点々と地面に刺してあり誘導してくれる。
夜には空港の誘導路と滑走路みたいで面白いかもしれない。
トイレのあった場所やこの如何にも手作りな空間などからおねーさんが何でここにいるのかとかこの店は何なのかとかいろいろ察してみる・・そんなこと言ってないで話しかけてみればいいんだろうけど、何も話さず終わっちゃったので勝手な想像でしかないままだ。
暫く待っていると呼ばれるのでお盆で受け取る

フォーボー。
牛肉と、白いのは玉ねぎで
全体的に変に赤っぽく写ってるのは

天井というか屋根が赤いビニールシートだから。
いいねこの感じ。

玉ねぎと肉の下に白いフォーが
鳥の出汁かなとてもおいしく最後まで飲んじゃうスープと
大量のパクチー。
私パクチー大嫌いなんだけどでも食べちゃった。
フォーはそばやラーメンみたいにすすって食っちゃいけないんだそうだけどそんなの知らないし蕎麦みたいに食っちゃったよ。
お店は朝から昼過ぎまでの部と、ちょっと休んで夜遅くまで。
仕込みとかもあるだろうし何時休むんだろうなんて思ったけど大きなお世話だな。

嫁さんのベトナムチャーハンは玉ねぎフライ?みたいなのが乗っててさくさく
ベトナム風ピザはエビが主役でおいしかった。
最後に食器を持っていくとありがとうございましたと終わろうとしてた。
お金払ってないよというそぶりを見せるとあ!みたいな。
話を少ししてみたかったけど。
また来ることもあるかもしれないし。
https://www.youtube.com/watch?v=pTW8lIB3hI8
この日聴いたこの曲は腕に自信のあった有名なピアニストが俺のためにこの世にあるどれよりも難しい曲を書いてくれと頼んだのを受け作曲家が自作の巨大管弦楽曲をもとに・・その話はとても有名でそこら中に書いてあると思ったらそんなの俺が今更書いてもしょうがないと覚めてしまい
じゃあ私が書いてもしょうがなくない話がなにかあるのか
この話どうまとめるんだと思いながら犬とちょっと外へ出て戻ってきたら玄関で咲いていた君子蘭の花が一気にいくつも落ちていた。
さっき見た時は全部・・あのときもう終わりか、長く咲いてくれたねというようなことを思ったのが花に伝わったのかなと思えば寂しいけれど少し救われたような気がしてくる。
来年という物があるのなら、また会えるだろう。
疲れた時はほんの少しの非日常を
つかれた・・
首から肩にかけてひどくこって口内炎という症状は風邪の予兆だけど、それとは別に・・
次の日は業務上の都合で平日だけど休みだしゆっくり休もうか。そういえばこんなタイミングでどっか遠出してたな。
朝一の新幹線で大阪とか、聞きなれないけどよく知ってもいる言葉が普通に聞こえエスカレータに並んだ列が見慣れた景色とは逆だみたいな非日常感みたいなのをちょっと入れるだけでだいぶ違うんだけどな
けど、今そんなことできるわけもない。
じゃあ車で・・いや疲れたよ。
湿った感じで遠い町の地図をなんとなく眺めてると妙な名前のラーメン屋が目に留まる。
多数のレビューがついており読んでいくと元フレンチシェフがやってるラーメン屋だそうで。
地域に一軒づつくらいあるよなそういうのと思いつつ悶々としたもののはけ口としてそこを目的とする小さな旅・・でも実際県内とはいえラーメン屋に行くというだけでは遠すぎるし、たくさんのレビューがどれもみんな平日朝から行列がといっているのを見て萎えた。
なんとなくその周辺にあるラーメン屋のレビューも読んでるとどの店もみんな朝7時とか5時からやってることが気になりだす。そういえば最近朝ラーとか言うけど昔から街中でラーメン屋が朝からやってる街があったんじゃなかったか・・ここなのかな?
他の店にも行列の文字。行くわけでもないのにどこか話題先行の行列店じゃなくて地味だけどおいしい店はないのかとさがしてるとあった。行こうかなここ。
しかしラーメンを食いにあんな遠くまで行くというのはどうかというで自分の中で行かない事に決着する。
自分で行かないと言ってんのに夜の寝る間際までみつけたラーメン屋のレビューを読み続けた。
翌日、ゆっくり寝とくつもりが日の光と鳥の声で起こされる。
寝るのにも体力が必要で年を取ると寝てられなくなるとどこかで聴いたけどそれかもしれない。
今日もいつもと同じような休日。犬と散歩に行き楽器を練習して
こんな体調の悪い日にやるとまたりきみ癖がつくかな・・
ふと窓の外を見るとものすごく晴れてる。
昨日の予報じゃ天気悪いっていうから出かけないと自分に言い聞かせたのに・・

犬の散歩を済ませてひとり車で走りだせば海の見えるパーキングエリア。
走ってる間ずっと架空の誰かと会話を続けてることに気づく。
行き詰った頭のガス抜きをするために頭が勝手にそうさせてるのかな?
子供のころずっとこんなだったしあんまりよくない状態かなこれ。
2時間くらい走って現地着。
普通ならあいてない時間だけど朝7時からやってるわけだから
混んでたら嫌だなと思ったけど入ってみるとだれもいなかった。

始めてきたのに見覚えのある券売機。
昨日モニターの中で散々眺めてどのボタンを押すかは決まってた。
カウンターは個人毎に透明ビニールで仕切られ簡易個室状態。ここまでやってるのは初めて見たかも。
誰もいなかったけど後から人が入ってき始める。
張り紙の一つには突発性難聴でよく聞こえないけど許してみたいなことが書いてあった。
店主不愛想みたいなレビューもあったけど、どうぞの声色でそうじゃない気がした。
真剣な目でラーメンを作る店主の一生懸命な感じに好感が持てたりまな板の上でたけのこ切ってんのかと思ったらチャーシューだったり
で

ぱっと見小ぶりにも見えるどんぶりで出てきたねぎチャーシュー麺
ああいいね。
スープを一口飲んでみてああ・・いいね。
普通においしい醤油の出汁ってありそうでなかなか出えないけど最近。

大量のネギとメンマもおいしいけれどその下にはとろけるチャーシューが敷き詰めてありさらにその下にはしゃきっとしたストレートな麺が‥なにレポートしてんだ
どれも単体でもおいしくまたいろんなものが調和して美味しく、最近はやりの奇をてらった変なのとかやたらに濃い味の変なスープとか低温なんとかとかそんなのじゃなく普通のものが普通においしい。
多分すごく難しいと思う普通がおいしいがあった。
ほんとにそう思ったので言ったごちそうさまはちゃんと店主に届いたのがわかった。

旧道みたいなところに面していて来ようと思わなければ絶対来ないようなところ・・なはずだけどこの道は何度か走ったことはある気もする。
食いたいと思ったものが食えて美味しかったのと、ラーオタ?でもないのにラーメン食いに2時間も走ってきた馬鹿さにちょっと満たされたような気になる。
ラーメンを同じ店で2種類頼んで食べたり、ラーメン屋をはしごする人がいるのは知ってるけど自分はそんなの無理というか嫌だと思ってた。
けどこの時気分が変に盛り上がってせっかくここまで来たんだあそこも行ってみようかなんて考え始める。
あのフレンチみたいな名前のお店、多分到着ははちょうどお昼ごろで絶望的に混んでると思う。
行列が見えて嫌になったらやめればいいんだし・・
カーナビに店名か電話番号を入力するためこの辺りだっけ?とスマホの地図を開き検索窓を触るといきなりその店の名前が候補の一番上にでてきた。よほど有名な店なのか?
https://www.youtube.com/watch?v=XFVK238ZhK4
最近聴いたというだけだけど一見メルヘンなようで実はグロテスクだったり悲しかったりするペトルーシュカ。
そういう事よりも巨大編成の超絶オーケストレーションや映像的な場面転換や全く異質なものの同時進行なんかに昔魅了された。
聴いててそこにときめかない自分に気づき、歳食っちゃったのかななんて思ったけど
疲れてただけだよ。
そうだよきっと。
田舎道を走っているとまだ午前中なのにでっかいランドセルの小学生が歩いてる。
ああ始業式かな、そんなのあったな。
君にはこれから素敵な未来がまってるよきっと。
おじさんは素敵なラーメンを食べて今だけ素敵。
案内されるまま走ってると急に景色が開け大井川。でっかいな。
その向こうに牧の原のお茶畑。
見慣れない景色が目に入って頭が刺激される。
きて、よかったな。
次のラーメン屋が混んでたら橋のそばのお茶屋で餅食って帰ろうか・・いやそれ大井川じゃなくて安倍川だから。
さあついた?・・あれ、看板・・
なにいまのまさかの駐車場がら空き状態?
それはいいけど通り過ぎちゃったよもどっていってみようよ。
とまだ続くんだけど長くなっちゃったので次ということで・・

ただ遠くのラーメン屋に行ったというだけだけど何か私の中で別なものがあったような気がした。
私はもともと文書に「・・・」を書き込む癖があってあまりよくないと思っているのだけど、いったん書き終えたこの文章が・・・だらけだったところにああ疲れてるなと思った。
首から肩にかけてひどくこって口内炎という症状は風邪の予兆だけど、それとは別に・・
次の日は業務上の都合で平日だけど休みだしゆっくり休もうか。そういえばこんなタイミングでどっか遠出してたな。
朝一の新幹線で大阪とか、聞きなれないけどよく知ってもいる言葉が普通に聞こえエスカレータに並んだ列が見慣れた景色とは逆だみたいな非日常感みたいなのをちょっと入れるだけでだいぶ違うんだけどな
けど、今そんなことできるわけもない。
じゃあ車で・・いや疲れたよ。
湿った感じで遠い町の地図をなんとなく眺めてると妙な名前のラーメン屋が目に留まる。
多数のレビューがついており読んでいくと元フレンチシェフがやってるラーメン屋だそうで。
地域に一軒づつくらいあるよなそういうのと思いつつ悶々としたもののはけ口としてそこを目的とする小さな旅・・でも実際県内とはいえラーメン屋に行くというだけでは遠すぎるし、たくさんのレビューがどれもみんな平日朝から行列がといっているのを見て萎えた。
なんとなくその周辺にあるラーメン屋のレビューも読んでるとどの店もみんな朝7時とか5時からやってることが気になりだす。そういえば最近朝ラーとか言うけど昔から街中でラーメン屋が朝からやってる街があったんじゃなかったか・・ここなのかな?
他の店にも行列の文字。行くわけでもないのにどこか話題先行の行列店じゃなくて地味だけどおいしい店はないのかとさがしてるとあった。行こうかなここ。
しかしラーメンを食いにあんな遠くまで行くというのはどうかというで自分の中で行かない事に決着する。
自分で行かないと言ってんのに夜の寝る間際までみつけたラーメン屋のレビューを読み続けた。
翌日、ゆっくり寝とくつもりが日の光と鳥の声で起こされる。
寝るのにも体力が必要で年を取ると寝てられなくなるとどこかで聴いたけどそれかもしれない。
今日もいつもと同じような休日。犬と散歩に行き楽器を練習して
こんな体調の悪い日にやるとまたりきみ癖がつくかな・・
ふと窓の外を見るとものすごく晴れてる。
昨日の予報じゃ天気悪いっていうから出かけないと自分に言い聞かせたのに・・

犬の散歩を済ませてひとり車で走りだせば海の見えるパーキングエリア。
走ってる間ずっと架空の誰かと会話を続けてることに気づく。
行き詰った頭のガス抜きをするために頭が勝手にそうさせてるのかな?
子供のころずっとこんなだったしあんまりよくない状態かなこれ。
2時間くらい走って現地着。
普通ならあいてない時間だけど朝7時からやってるわけだから
混んでたら嫌だなと思ったけど入ってみるとだれもいなかった。

始めてきたのに見覚えのある券売機。
昨日モニターの中で散々眺めてどのボタンを押すかは決まってた。
カウンターは個人毎に透明ビニールで仕切られ簡易個室状態。ここまでやってるのは初めて見たかも。
誰もいなかったけど後から人が入ってき始める。
張り紙の一つには突発性難聴でよく聞こえないけど許してみたいなことが書いてあった。
店主不愛想みたいなレビューもあったけど、どうぞの声色でそうじゃない気がした。
真剣な目でラーメンを作る店主の一生懸命な感じに好感が持てたりまな板の上でたけのこ切ってんのかと思ったらチャーシューだったり
で

ぱっと見小ぶりにも見えるどんぶりで出てきたねぎチャーシュー麺
ああいいね。
スープを一口飲んでみてああ・・いいね。
普通においしい醤油の出汁ってありそうでなかなか出えないけど最近。

大量のネギとメンマもおいしいけれどその下にはとろけるチャーシューが敷き詰めてありさらにその下にはしゃきっとしたストレートな麺が‥なにレポートしてんだ
どれも単体でもおいしくまたいろんなものが調和して美味しく、最近はやりの奇をてらった変なのとかやたらに濃い味の変なスープとか低温なんとかとかそんなのじゃなく普通のものが普通においしい。
多分すごく難しいと思う普通がおいしいがあった。
ほんとにそう思ったので言ったごちそうさまはちゃんと店主に届いたのがわかった。

旧道みたいなところに面していて来ようと思わなければ絶対来ないようなところ・・なはずだけどこの道は何度か走ったことはある気もする。
食いたいと思ったものが食えて美味しかったのと、ラーオタ?でもないのにラーメン食いに2時間も走ってきた馬鹿さにちょっと満たされたような気になる。
ラーメンを同じ店で2種類頼んで食べたり、ラーメン屋をはしごする人がいるのは知ってるけど自分はそんなの無理というか嫌だと思ってた。
けどこの時気分が変に盛り上がってせっかくここまで来たんだあそこも行ってみようかなんて考え始める。
あのフレンチみたいな名前のお店、多分到着ははちょうどお昼ごろで絶望的に混んでると思う。
行列が見えて嫌になったらやめればいいんだし・・
カーナビに店名か電話番号を入力するためこの辺りだっけ?とスマホの地図を開き検索窓を触るといきなりその店の名前が候補の一番上にでてきた。よほど有名な店なのか?
https://www.youtube.com/watch?v=XFVK238ZhK4
最近聴いたというだけだけど一見メルヘンなようで実はグロテスクだったり悲しかったりするペトルーシュカ。
そういう事よりも巨大編成の超絶オーケストレーションや映像的な場面転換や全く異質なものの同時進行なんかに昔魅了された。
聴いててそこにときめかない自分に気づき、歳食っちゃったのかななんて思ったけど
疲れてただけだよ。
そうだよきっと。
田舎道を走っているとまだ午前中なのにでっかいランドセルの小学生が歩いてる。
ああ始業式かな、そんなのあったな。
君にはこれから素敵な未来がまってるよきっと。
おじさんは素敵なラーメンを食べて今だけ素敵。
案内されるまま走ってると急に景色が開け大井川。でっかいな。
その向こうに牧の原のお茶畑。
見慣れない景色が目に入って頭が刺激される。
きて、よかったな。
次のラーメン屋が混んでたら橋のそばのお茶屋で餅食って帰ろうか・・いやそれ大井川じゃなくて安倍川だから。
さあついた?・・あれ、看板・・
なにいまのまさかの駐車場がら空き状態?
それはいいけど通り過ぎちゃったよもどっていってみようよ。
とまだ続くんだけど長くなっちゃったので次ということで・・

ただ遠くのラーメン屋に行ったというだけだけど何か私の中で別なものがあったような気がした。
私はもともと文書に「・・・」を書き込む癖があってあまりよくないと思っているのだけど、いったん書き終えたこの文章が・・・だらけだったところにああ疲れてるなと思った。
食べる草鳴る草

箸で食べられるフレンチという店に行こうとしていたけど微妙な時間になってしまう。ほかにないかと調べたらみつかった近くのタイ料理店。
無理のない価格で統一されたセットからせっかくだから思い切りそれらしいのをと思ったけど、辛すぎだったり異国的すぎて食えない味だったら困ると思い無難な

とかやってると真っ赤なスープが登場。
恥ずかしながらこれがあの有名なトムヤンクンだという事は後で確認して知った。
一口飲んでみると・・わっ、タイな味。行ったことないけど。
チキンスープにレモングラスがすごく効いていて・・あと色々あるんだけど分かんねーや。そしてやっぱり辛い・・けど口が慣れてくると、
これおいしいね。
エビが一つ入ってた。

豚肉のニンニク炒めはなんかそれらしい名前がついていたけど、定食屋でよく出てくるような普通な感じで無理なくおいしい。ご飯はちゃんとタイ米。食ってみると見た目よりボリュームがあって。
ナンプラーがついてきた。
ちょっと癖があってあー魚醤だなという感じだけどこれにハマればハマるんでしょうね。
辛いの苦手な嫁さんのトムヤンクンが回ってきたのでたくさんいただけてはいいけど、熱いうちなら口に入れてもなんとかなったレモングラスが冷めると何だこっりゃ的な草・・
レモングラスって蚊を寄せ付けませんとか言って園芸屋で売ってますけど見た目がほんとに草ですよね。
草と言えば、木管楽器に使われるリードという物は葦から作られ・・葦なら近所にも生えてるけど竹くらいの太さがないとこの形で切り出せないよな。
今はクラリネットのリードも複数のメーカーからいろんな銘柄が出てるようだけど昔からとりあえずこれと言われてきた銘柄があって、
私も最初にリードがいるんだなと思い30年以上前に見かけた気がする青い箱をさがすとそのままのが今も売られてて。

これ書いてて思ったけれど記憶って何十年も前の何でもないものがものすごく鮮やかに出てきたりするけど、でもそこで思い出しちゃうとそれっきり消えてなくなっちゃうのね。
残ってた飴も舐めればおしまいみたいな・・
でそのリードは南フランスの専用の畑で育てたケーンを使いって高級食材みたいだけど世界中でものすごい数が消費されるのにそれで賄いきれるのかな?
工業製品系の仕事をしていると日本製を歌うあらゆる製品がその実部品レベルでは中国製、タイ製だったりすることが頭に思い浮かぶ。
リードも今どきそうなんじゃないの?と思うけど公式にはフランスの葦をフランスで加工したものを封印という事になってるようだ。
物が植物なので100個買えば100個みんな鳴りが違うし、箱から出していきなり吹いても鳴らないうえにすぐにダメになっちゃうので育てる工程が・・まあいいか。
いろんな人が言ってるけど歩留まりの悪さという問題があってはずれると10本入りの箱を開けて使えるリードは2本とか。
最近開けた箱はそれが一本もなかったのでちょっと驚きそんなはずがあるわけはない、おかしいのは自分の方で・・と無理に吹いてせいかそれでまた自分の口の形が壊れたかも。
次に開けた箱のリードが育ってきた結果やっぱりバズレ箱だっただけでそんなとこに時間かけて頑張るのは間違いをまたやっちまったのか。

象があるかないかだと思うけど、あれがあるだけでタイな感じですね。
ランチ終了にかかる感じでお客さん来てたけどなんだてめー感は全然なかった。
あ、そうだあの小さな謎のデザートはココナッツなんとかなのかもしれないけどよくわからない。
食べてみると軽羹をもっとしっとりさせてお皿の上に固定したような・・辛い物を食った口にとってもおいしかった。
https://www.youtube.com/watch?v=nXUhWj52TCw
ストラヴィンスキーの室内楽作品集みたいなのをなんとなく聴いてたら無伴奏クラリネットのための3つの小品というのが出てきた。
正直こういうの、この楽器をやってなければ聴き飛ばすか流しても聴いてないか・・
聞き専的クラシック愛好家がほとんど無視しているような曲や作曲家が楽器をやる人たちの間では非常に重要で有名だったりするんですよね。
クラリネットな人がリサイタルとかをやるとこういうのが演奏され・・多分客層もクラシック愛好家じゃなく楽器をやる人で埋まってるんでしょうね。
いい悪いとかどちらの方がという話がしたいんじゃなくて、何かやってみると全く知らなかった世界を知ることになるんだなと思って。
この動画の演奏は2曲目は春際の作者だなぁ・・3曲目はほかのどっかの・・とにかくストラヴィンスキーの曲だなぁ・・という感じ。
私の持ってるCDのひとはそういう事よりもっと俺のこの技巧を聞けよ!どうだ!みたいな感じ。
同じ楽譜なのに全然違って聞こえるのね。
私なんかが言うのもあれだけど、速ければすごいかというとそうじゃなく、テンポが若干落ちても余裕をもってやってるなーって感じる方にすっげーなぁ・・こんな風になれたらなぁ・・とか思ったりした。
いままでの聴き専的鑑賞だとそう思わなかったかもしれない。

11月も半ばだけど朝顔はまだ頑張ってる。
頑張ろう。
久しぶりの店で
すぐ近くにあるのになんでか久しぶりになっちゃったお店。

ただの水が絵になるような気にさせたりして。
前に来たときはすぐ近くにこんな店があったのかと若干驚いた。
それをここに書こうとしたはいいけど、ちょうど楽器を習うはいいけど一番初めのきっかけがいつまでたってもつかめず頑張ろうにもどうしていいかもわかないことを嘆くようなことを書いた気がする。
気がするじゃなくてよく覚えてるけど。暗い曲を貼ったらまた暗く湿った感じになっちゃって・・
この書きようじゃ今じゃ立派になったみたいだけど実際大して変わらない。
とはいえあんな真っ暗闇で冷めきってますみたいな世界じゃないから今いるとこは。

和な感じのでっかい器は日曜美術館みたいだなと思いつつ、ちょっとしか入ってねーなとか貧乏くさいことを考える。
小さなビーカーに砂糖ってやっぱりここ元病院系コンセプトかなとかいちいち理屈臭いか・・あれどっかでも同じの見たっけ?
音楽の聴き方も人それぞれだけど理屈を重ねて工学的に聴く聴き方もあるのね。書いてるほうもそのつもりで書いてるから誰かがそこ聴いてないと
そういえばむかし習ったデシリットルなんてどこでも一度もみないけど、単位という概念入門ということだったのかな。
ミリだと先生がはい全部入れると・・とか見せるのにビーカーを千個用意しなくちゃなんないもんね。
習字の朱を水で溶いたやつがオレンジジュースに見えておいしそうだった・・

ゆずのジャムが入った冷たい紅茶。
これおいしいんだよ。
高いのにほとんど氷とか一瞬よぎるけど実際ゆっくり飲むと飲みでがあって足りないとか少ないとは思わなかった。
なんかきれいだしねこれ。
https://www.youtube.com/watch?v=FYYYfz6E4cU
ストラヴィンスキーの兵士の物語は・・まいいか。
これの原曲は少人数でやれる音楽付き舞台作品みたいなの。
舞台として見たことはないけれど、たしか兵士がヴァイオリンを弾いて喜びを感じると悪魔は倒れて息も絶え絶えに・・逆に兵士が精神的にまいると悪魔は息を吹き返すみたいなシーンがなかったっけ?
うる覚えで勘違いかもしれないけど、今そんなことが私の頭に浮かんだことが重要なわけで。
ヴァイオリンはあきらめたけれど最近私も楽器を手にして同時に最近遠くで見ているかもしれない悪魔もの存在も昔より大きく感じつつ、簡単には得えられないことを知りつつ喜びを探してがんばろうかという。
喜びを得るためにやりたいことがあることが喜びだというような・・

もともと選ぶほどないメニューは今出せないとか変に高いとかで・・残ったチーズケーキは2つ頼んだら1つしかないとのこと。
1つ頼んで嫁さんが食えばいいやと思ってたらフォークを2つ置いてくれた。
これはこれでいいね。
すごく濃厚でおいしいから半分の量でちょうどよかった。

日が暮れてくるといい感じね。
どこのお店もみじかいこの時が一番いい時間じゃないかな。
お店の人もそう思ってていろんなとこでそんな話を聞いた。

こんな昭和30年頃の小さな診療所?みたいなコンセプトのお店をあと2つ知ってる。
一つはお店の人と自分でもびっくりするくらい長く楽しく話が出来た店。
もう一つは店主の宇宙人的なぶっきらぼう不愛想感がキャラクター化していて腹が立つより面白かった。
そしてここは・・はいいか。

この日、空が変なくらいに赤かった。
日が暮れてもずっと赤くて
これは先週だから一週間も経つと太陽の動きも結構違ってるんでしょうね。
昨日は昼食終わったらもう日が傾いた印象でなんかこう、おわっちゃうよ・・もう終わっちゃうよ早くしないとおわっちゃうよーって日の光がずっと言ってきたのね。
最近なんだかやけに寂しいような気持と謎の罪悪感と焦りみたいな気持ちがまとわりついて困ってたけどこれのせいかな?
お前の人生終わっちゃうよ・・
うるせーよまだ終わんないよ。
悪魔が勢いづかないようにすればいいんでしょ?

ただの水が絵になるような気にさせたりして。
前に来たときはすぐ近くにこんな店があったのかと若干驚いた。
それをここに書こうとしたはいいけど、ちょうど楽器を習うはいいけど一番初めのきっかけがいつまでたってもつかめず頑張ろうにもどうしていいかもわかないことを嘆くようなことを書いた気がする。
気がするじゃなくてよく覚えてるけど。暗い曲を貼ったらまた暗く湿った感じになっちゃって・・
この書きようじゃ今じゃ立派になったみたいだけど実際大して変わらない。
とはいえあんな真っ暗闇で冷めきってますみたいな世界じゃないから今いるとこは。

和な感じのでっかい器は日曜美術館みたいだなと思いつつ、ちょっとしか入ってねーなとか貧乏くさいことを考える。
小さなビーカーに砂糖ってやっぱりここ元病院系コンセプトかなとかいちいち理屈臭いか・・あれどっかでも同じの見たっけ?
音楽の聴き方も人それぞれだけど理屈を重ねて工学的に聴く聴き方もあるのね。書いてるほうもそのつもりで書いてるから誰かがそこ聴いてないと
そういえばむかし習ったデシリットルなんてどこでも一度もみないけど、単位という概念入門ということだったのかな。
ミリだと先生がはい全部入れると・・とか見せるのにビーカーを千個用意しなくちゃなんないもんね。
習字の朱を水で溶いたやつがオレンジジュースに見えておいしそうだった・・

ゆずのジャムが入った冷たい紅茶。
これおいしいんだよ。
高いのにほとんど氷とか一瞬よぎるけど実際ゆっくり飲むと飲みでがあって足りないとか少ないとは思わなかった。
なんかきれいだしねこれ。
https://www.youtube.com/watch?v=FYYYfz6E4cU
ストラヴィンスキーの兵士の物語は・・まいいか。
これの原曲は少人数でやれる音楽付き舞台作品みたいなの。
舞台として見たことはないけれど、たしか兵士がヴァイオリンを弾いて喜びを感じると悪魔は倒れて息も絶え絶えに・・逆に兵士が精神的にまいると悪魔は息を吹き返すみたいなシーンがなかったっけ?
うる覚えで勘違いかもしれないけど、今そんなことが私の頭に浮かんだことが重要なわけで。
ヴァイオリンはあきらめたけれど最近私も楽器を手にして同時に最近遠くで見ているかもしれない悪魔もの存在も昔より大きく感じつつ、簡単には得えられないことを知りつつ喜びを探してがんばろうかという。
喜びを得るためにやりたいことがあることが喜びだというような・・

もともと選ぶほどないメニューは今出せないとか変に高いとかで・・残ったチーズケーキは2つ頼んだら1つしかないとのこと。
1つ頼んで嫁さんが食えばいいやと思ってたらフォークを2つ置いてくれた。
これはこれでいいね。
すごく濃厚でおいしいから半分の量でちょうどよかった。

日が暮れてくるといい感じね。
どこのお店もみじかいこの時が一番いい時間じゃないかな。
お店の人もそう思ってていろんなとこでそんな話を聞いた。

こんな昭和30年頃の小さな診療所?みたいなコンセプトのお店をあと2つ知ってる。
一つはお店の人と自分でもびっくりするくらい長く楽しく話が出来た店。
もう一つは店主の宇宙人的なぶっきらぼう不愛想感がキャラクター化していて腹が立つより面白かった。
そしてここは・・はいいか。

この日、空が変なくらいに赤かった。
日が暮れてもずっと赤くて
これは先週だから一週間も経つと太陽の動きも結構違ってるんでしょうね。
昨日は昼食終わったらもう日が傾いた印象でなんかこう、おわっちゃうよ・・もう終わっちゃうよ早くしないとおわっちゃうよーって日の光がずっと言ってきたのね。
最近なんだかやけに寂しいような気持と謎の罪悪感と焦りみたいな気持ちがまとわりついて困ってたけどこれのせいかな?
お前の人生終わっちゃうよ・・
うるせーよまだ終わんないよ。
悪魔が勢いづかないようにすればいいんでしょ?
Pastorale

天気もいいし柿の色が緑に映えてきれいだった。写ってないけど。
犬がまた長い散歩コースをニコニコ歩いてくれたし。
あそこではなくて家の向かいの畑はずっと腰の曲がったおばあちゃんが一人で仕切ってた。
風の強い日に大量の葉っぱを燃やして火の消えてないまま帰っちゃったりするからいつか家燃やされちゃうんじゃないかというのもあったけど、犬に挨拶をしてくれたりああ今日も来てるな・・
その畑に別な人が来てることに気付いたのはいつ頃だったか、一度も話さないけどあの人は多分娘さんとその旦那さんだろう。

このお店嫁さんが気にいっていたのに最近は変な魚が出てくるとか言い出していかなかった。
あれのことだなってのはわかるけど変な魚ではないとおもう。
最初に来た時は玄米ご飯お替りできるからね。お替り持ってくるから・・ちょっとなんていわずに食べなさいよ!みたいなおばさんがいたけれど最近見かけないしお替り自由ですよとも言われなくなった。
お替り禁止中なのでいいけど。

この席に案内されたのは初めてかな。
にぎやかな集団からちょっと離れて静かなここもいいね。
多分高校性のころから50年来のみたいな女子会がデザートを待っているところ。誰かの携帯が鳴って今お友達と会ってるところだから・・このままだと俺には友達も知人も一人もいねーみたいなことを書いちゃいそうだけどそういうの蹴散らせる元気があるうちはねとかないと。

選べる本日の魚は鰤の西京焼きでおいしかった。
手前には生ガキ・・何度か来ると多彩な季節のお皿もいくつかは毎回同じなことに気付いてくる。
なんだっていいのよおいしけりゃ。
畑の人、おばあちゃんがちょっと出られない間や野菜の世話を代行という感じだったけどどうも本格的な様相になってきた。
旦那さんは会社を定年になっているようにも見え、新しい人たちは恒久的に畑を守っていこうとしているように見える。
私には関係のないことだけど人間が嫌いすぎで家が建っちゃってそりの合わない人間がとか考えるよりのどかな畑が続いてくれた方が・・なんて書くと反感食らうかなと考えたり。

新しく明るくきれいで広いカフェというのはたくさんあるけど、妙に落ち着き気分のいい所とそうでない所があるのは何が違うのかなと今考えてみるけど正直よくわからない。
結構好きなここは土足厳禁。床はヒノキ?
スリッパとかはおいてなくて靴下で上がっていくところに思想が感じられるというか、日本人の心的な。
上がると書いたけど玄関的な段差はなくて戸を開ける前からずっと同じレベルで進むところが新鮮というか不思議というか・・
敷かれたマットがここまで靴を履いて入れるという区切を示してはくれる。
でもその後上がる感覚がないまま裸足で進んで行くところに当初若干の違和感のほか抵抗もあった。
もう慣れたけどあの段差こそが日本人の中の何かなんだとも思う。
とはいえ、自分もひざを痛めたりしますとバリアフリーの意味を一気に実感的に理解したりもして。
欧米人に限らず、うちの中でも靴を履きっぱなしな方がむしろ世界では当たり前らしいのはいいとして、フランス人は靴下を下着のようにとらえていて人前では絶対に見せず見えちゃったら下着が見えちゃってるのと同じくらいの抵抗を感じるという話をどこかで読んで印象に残った。
たまたま読んだそれが唯一の正解というわけでもないのはなんにでも共通で分かったうえで。
いまみんな気取った気分で飯食ったりしてますがこれ、フランス人が見るればみんなパンツ丸出しで飯食ってんのかなと思うとちょっと笑いそうになる。
https://www.youtube.com/watch?v=ca8H-u4nnxw
ストラヴィンスキーはロシアの人だけどあそこにとどまってるような人ではなく、フランスにいたこともあったと思う。
音大じゃなく法学部みたいなとこを出たんだったと思うけど5か国語だったかもっとだったかを読み書きし、ラヴェルによればフランス語の発音は完璧、フランスの法律にも精通し・・だったかな。
他の誰にも生み出せないような複雑な音楽をぽっと生み出したりしたこの人が同じころこんなにシンプルで牧歌的な曲を書いていたというところが面白いわけで・・これだけ聞いてこれがこの人ですよというんじゃない所が音楽出し人間だし・・
でまたこんなことを書きかけていた日帰宅すると玄関にゆずが・・
見た瞬間に向かいの畑の人がくれたものと分かった。
その際嫁さんが色々と話をしたしたようだ。
おばあちゃんのこと、ゆずも野菜もできたそばからとって行っちゃう泥棒がいること。
現場の一番近くに住んでるのは私だけど気が付かなかったな。
いろんなポケットに野菜を一杯詰め込んで不自然に歩く人、ギャーギャー言いながら人の畑の柿を盗ってく人たち、人の花を根こそぎ引っこ抜こうとしている人、いろいろ見たことがある。
前の二つは小学生くらいの子供がいて善良な家庭をもってまっとうに仕事をしている人間だと自分で信じ切っておりお前は泥棒だなんていわれれば真顔で怒りだしそうな人だった。
私もいずれ土いじり的な何かをやりたくなったりするんだろうか?
庭という程でもないわずかな空間は昔からある木が最近急にでかくなり場所を占有してしまっている。
これがある限り自分たちの好きな物を植えてというのはできないまま一生が終わっちゃうじゃないか・・なんて思ったりもするけれど、じゃあ今生きて実をつけたりする木、私を見てる気がする木を切っちまえるかというとできないな・・
大阪とアーケードとスコア
昔のことを思い出すとついでにいろいろでてきて・・
最初の就職先は新たな事業を立ち上げるためエンジニアが必要とだという話に私の専攻が合致し・・
4年生の今頃だったかお前どうせもう授業なんかないんだろうアルバイトに来いと呼ばれ、間に受け行ってみるとやるはずだった事業は頓挫というかなかったこととなっており全然畑違いな現場に人工として投入される。
だまされたと思ったけれどすぐに心理的拘束状態に置かれ・・そういうのは実際どこにでもよくあることで文句を言たってしょうがないだろう。
それで3年目くらいだったのか、

通天閣は新今宮とか動物園前という駅で降りて北へ行くんだと思うけれど、10日間くらいだたろうか同じ駅の南側付近に仕事でいったことがあった。よく聞くあいりん地区ではなくてそのすぐ東側になるのか・・記憶としては飛田新地のすぐ横。
店名だけ書かれた表札みたいな電光看板が並んでいるようす、少しだけ残った高い塀の話・・
朝現場に向かう途中吉野家で朝飯を食っているとおっさんが入ってきて、
つけものと・・ライス。
は?
ライス・・
牛丼じゃなくてライスを注文。
店員が合計金額を言うと
あ・・・
味噌汁も漬物も辞めてライスだけ。
予想を超える衝撃を受けた記憶があるからライス辞退で漬物とみそ汁だったかもしれない。
馬鹿にして笑おうという話じゃなく、いろんなリアルがあることを知った。
あの時冬だったと思う、現場につくと救急車が静かにとまっていることがよくあった。
道に寝てるおっさんがいるだろ、朝になって動かないと…と誰かが
すぐそばにあって何度も歩いたアーケードには居酒屋みたいなのがたくさんあっておっさんたちが昼間っから飲んでた。
日雇いに行って金が入るとなくなるまで飲んで、金がなくなるとまた今日の日雇い募集みたいな列に並んで・・
100円台からあるような立ち食いのうどん屋に入って食った覚えもある。
Googleストリートビューは人のいない早朝に撮られたみたいで歩き回ってみてもうどん屋のほか焼き付いた記憶の絵は見つけられなかった。
もう20年以上になるし大きく変わっちゃったのか。この際行ってみよかなぁ・・
なんか活気はあって人であふれていた気がする。
人込みの中でおっさんが立って焼きそば食ってたり・・
正直仕事としてはどうということもなかったのだけれど、ちょっと特殊な内容に対し全国から集まった色んな人のいる場で良くしてもらいいろんな話から世界の広さを教えてもらった。
今思い出せる思い出が残ったとはいえるか。
その10年後くらいの正月休みに思い付きでまだ嫁さんじゃない嫁さんと大阪にいったことがあった。

通天閣も串揚げ屋もあんまり興味がなく、あの時のアーケードを探したけれど多分見当違いな場所を歩き嫁さんを連れまわせる感じでもなかったのでたどり着かなかった。
歩道のアスファルトの上に直接奇麗な羽毛布団を敷いて寝ているおっさん。
自転車の上に家庭用のおもちゃみたいなタコ焼き器を置いて100円とか書いてるおっさん。
夜逃げしてなんて書いたけれど私もあそこへ行ったかもしれないし、あそこにすらいられずもうどこにもいなかったかもしれない。
休日なしで働き続けたけれど土曜の晩から逃げて大阪にいった記憶がもう一つあった。
少し頭がおかしくなっているので観光とかいう発想はでてこない。
普段音楽を聴けてもいなかったけれど・・都会に来ればスコアが、珍しいスコアがあると思った。
今はネット上で珍しい曲のスコアも見放題だけれど当時そんなものは田舎の楽器屋なんかに置いてあるわけもなく、私にとって複雑な音楽のスコアは遥か西方にあるという幻のありがたいお経みたいな存在であった。
ネットも使えずどうやって調べたのか・・車を駅近くの立体駐車場にとめて近鉄にひと区間だけ乗ったという記憶。

行きたい楽器屋を目指していると見覚えのあるあのグリコが突然出てきてああここ?と思ったけれど頭おかしいのでそれ以上の興味をそこに置かなかった。
心斎橋筋だっけアーケードの中にあったYAMAHAの直営店で春の祭典のスコアをみつけて買って帰った。
今ならDoverのスコアなんていろんなとこで安く売ってるよなんて言わなくもないけどその時はそうじゃないから。
だけど、手に入れた奇跡の碑文を実際眺められたのは会社を辞めた後だったと思う。
あれはもう末期のころだったのかな。
https://www.youtube.com/watch?v=K-cHhYwQWmQ
第二部 生贄の儀式。
音はなく静まり返っているはずなのに、超自然的なものすごい騒がしさが辺りを包んで・・
そういえば大阪行きの際、名阪国道を降り奈良の山の中のホテルに泊まったら部屋の中で一晩中バチバチバチと空気が破裂するような音が鳴ってた。

夜の闇に精霊たちの声を聞き光を見る。
コントラバスの怪しいフラジオレットも面白いけどそれよりフルートにフラジオレットの指示があるのを見て萌えた。
こういうの、どうやってそれが作られているかの秘密は聞いてるだけじゃわかんないから・・

演奏するわけでなくても変拍子地帯はそれが実際どうなってるのか知ってそのつもりで聴くとノリがまた違ったりする。
で細かく見てみると・・上昇する木管にはフラッターの、ホルンにはベルアップの指示・・
一番いいのは現場で目で聴くことだけど、録音聴いてるだけだとベルアップの効果なんてそうそうわかんないでしょう?
他にもここでこんなことやってんの!?みたいな発見がこの曲の場合ほぼ全ページに見つかると思う。

嫁さんと行ったときの写真の中にYAMAHAの看板があった。
その時もあれが思い出だとか思ってたんだろう。
楽譜と一緒に袋の中に大人の音楽教室みたいなものについて手書きでいっしょにやりませんか?みたいなチラシが入っていて、やれるわけないだろと思いながらそれをしばらくどっかにしまっていた記憶がある。
色々しまった開かずの引き出しの中にまだあるかもしれない。

同じ最初の会社の仕事でフェリーに乗るため大阪南港にも何度も行ったけれど本当に通過するだけだった。
毎回渡った赤く巨大な南港大橋が強い印象となっており・・
写真をみるとこの時海遊館や大阪城ほか適当に思いつく名所数か所にもいってた。
梅田スカイビルの空中庭園だっけ普通の親父と娘の会話が新喜劇みたいだったのも忘れ難いけれど、一番覚えてるのはあの羽毛布団のおっさん。

大阪の海が悲しい色なのかはちょっとよくわからなかった。
10年後に行ったときに安い駐車場をみつけて車をとめたここは南港じゃないけどそっちの方だったと思う。
何でもそうだけど数年前のつもりのこれももう12年前だった。
12年て子供が学校終わっちゃう年月だよなぁ。
大阪また行ってみたいなと思ってる。
最初の就職先は新たな事業を立ち上げるためエンジニアが必要とだという話に私の専攻が合致し・・
4年生の今頃だったかお前どうせもう授業なんかないんだろうアルバイトに来いと呼ばれ、間に受け行ってみるとやるはずだった事業は頓挫というかなかったこととなっており全然畑違いな現場に人工として投入される。
だまされたと思ったけれどすぐに心理的拘束状態に置かれ・・そういうのは実際どこにでもよくあることで文句を言たってしょうがないだろう。
それで3年目くらいだったのか、

通天閣は新今宮とか動物園前という駅で降りて北へ行くんだと思うけれど、10日間くらいだたろうか同じ駅の南側付近に仕事でいったことがあった。よく聞くあいりん地区ではなくてそのすぐ東側になるのか・・記憶としては飛田新地のすぐ横。
店名だけ書かれた表札みたいな電光看板が並んでいるようす、少しだけ残った高い塀の話・・
朝現場に向かう途中吉野家で朝飯を食っているとおっさんが入ってきて、
つけものと・・ライス。
は?
ライス・・
牛丼じゃなくてライスを注文。
店員が合計金額を言うと
あ・・・
味噌汁も漬物も辞めてライスだけ。
予想を超える衝撃を受けた記憶があるからライス辞退で漬物とみそ汁だったかもしれない。
馬鹿にして笑おうという話じゃなく、いろんなリアルがあることを知った。
あの時冬だったと思う、現場につくと救急車が静かにとまっていることがよくあった。
道に寝てるおっさんがいるだろ、朝になって動かないと…と誰かが
すぐそばにあって何度も歩いたアーケードには居酒屋みたいなのがたくさんあっておっさんたちが昼間っから飲んでた。
日雇いに行って金が入るとなくなるまで飲んで、金がなくなるとまた今日の日雇い募集みたいな列に並んで・・
100円台からあるような立ち食いのうどん屋に入って食った覚えもある。
Googleストリートビューは人のいない早朝に撮られたみたいで歩き回ってみてもうどん屋のほか焼き付いた記憶の絵は見つけられなかった。
もう20年以上になるし大きく変わっちゃったのか。この際行ってみよかなぁ・・
なんか活気はあって人であふれていた気がする。
人込みの中でおっさんが立って焼きそば食ってたり・・
正直仕事としてはどうということもなかったのだけれど、ちょっと特殊な内容に対し全国から集まった色んな人のいる場で良くしてもらいいろんな話から世界の広さを教えてもらった。
今思い出せる思い出が残ったとはいえるか。
その10年後くらいの正月休みに思い付きでまだ嫁さんじゃない嫁さんと大阪にいったことがあった。

通天閣も串揚げ屋もあんまり興味がなく、あの時のアーケードを探したけれど多分見当違いな場所を歩き嫁さんを連れまわせる感じでもなかったのでたどり着かなかった。
歩道のアスファルトの上に直接奇麗な羽毛布団を敷いて寝ているおっさん。
自転車の上に家庭用のおもちゃみたいなタコ焼き器を置いて100円とか書いてるおっさん。
夜逃げしてなんて書いたけれど私もあそこへ行ったかもしれないし、あそこにすらいられずもうどこにもいなかったかもしれない。
休日なしで働き続けたけれど土曜の晩から逃げて大阪にいった記憶がもう一つあった。
少し頭がおかしくなっているので観光とかいう発想はでてこない。
普段音楽を聴けてもいなかったけれど・・都会に来ればスコアが、珍しいスコアがあると思った。
今はネット上で珍しい曲のスコアも見放題だけれど当時そんなものは田舎の楽器屋なんかに置いてあるわけもなく、私にとって複雑な音楽のスコアは遥か西方にあるという幻のありがたいお経みたいな存在であった。
ネットも使えずどうやって調べたのか・・車を駅近くの立体駐車場にとめて近鉄にひと区間だけ乗ったという記憶。

行きたい楽器屋を目指していると見覚えのあるあのグリコが突然出てきてああここ?と思ったけれど頭おかしいのでそれ以上の興味をそこに置かなかった。
心斎橋筋だっけアーケードの中にあったYAMAHAの直営店で春の祭典のスコアをみつけて買って帰った。
今ならDoverのスコアなんていろんなとこで安く売ってるよなんて言わなくもないけどその時はそうじゃないから。
だけど、手に入れた奇跡の碑文を実際眺められたのは会社を辞めた後だったと思う。
あれはもう末期のころだったのかな。
https://www.youtube.com/watch?v=K-cHhYwQWmQ
第二部 生贄の儀式。
音はなく静まり返っているはずなのに、超自然的なものすごい騒がしさが辺りを包んで・・
そういえば大阪行きの際、名阪国道を降り奈良の山の中のホテルに泊まったら部屋の中で一晩中バチバチバチと空気が破裂するような音が鳴ってた。

夜の闇に精霊たちの声を聞き光を見る。
コントラバスの怪しいフラジオレットも面白いけどそれよりフルートにフラジオレットの指示があるのを見て萌えた。
こういうの、どうやってそれが作られているかの秘密は聞いてるだけじゃわかんないから・・

演奏するわけでなくても変拍子地帯はそれが実際どうなってるのか知ってそのつもりで聴くとノリがまた違ったりする。
で細かく見てみると・・上昇する木管にはフラッターの、ホルンにはベルアップの指示・・
一番いいのは現場で目で聴くことだけど、録音聴いてるだけだとベルアップの効果なんてそうそうわかんないでしょう?
他にもここでこんなことやってんの!?みたいな発見がこの曲の場合ほぼ全ページに見つかると思う。

嫁さんと行ったときの写真の中にYAMAHAの看板があった。
その時もあれが思い出だとか思ってたんだろう。
楽譜と一緒に袋の中に大人の音楽教室みたいなものについて手書きでいっしょにやりませんか?みたいなチラシが入っていて、やれるわけないだろと思いながらそれをしばらくどっかにしまっていた記憶がある。
色々しまった開かずの引き出しの中にまだあるかもしれない。

同じ最初の会社の仕事でフェリーに乗るため大阪南港にも何度も行ったけれど本当に通過するだけだった。
毎回渡った赤く巨大な南港大橋が強い印象となっており・・
写真をみるとこの時海遊館や大阪城ほか適当に思いつく名所数か所にもいってた。
梅田スカイビルの空中庭園だっけ普通の親父と娘の会話が新喜劇みたいだったのも忘れ難いけれど、一番覚えてるのはあの羽毛布団のおっさん。

大阪の海が悲しい色なのかはちょっとよくわからなかった。
10年後に行ったときに安い駐車場をみつけて車をとめたここは南港じゃないけどそっちの方だったと思う。
何でもそうだけど数年前のつもりのこれももう12年前だった。
12年て子供が学校終わっちゃう年月だよなぁ。
大阪また行ってみたいなと思ってる。
夜逃げした
阪神大震災のことを思い出していたら、子供の頃祖父が関東大震災の実体験を話してくれたことを思い出した。
体一つで逃げればいいのにみんな衣類を担いだり家財道具を乗せた大八車を引いて逃げた。
そのうち背中の荷に火が付き生きたまま焼けていくという話。
逃げるときはとにかく逃げなくちゃいけないのか。

この時じゃないけれどある日、北海道十勝平野の端のほうで朝日に輝く風景をながめてた。
右手にはちょっとした茂み・・その下は深いところに山からの川が流れて・・
グルォオオオ・・っという犬が威嚇するときのような唸り声が聞こえる。
ようなじゃなくて間違いなく威嚇をしておりお前の身の安全は保障しないというような意志が伝わってくる。
その声の低さ、太さから体の大きさも感じ犬なんかでは絶対にないこともよくわかる。
ヒグマ・・・
もし熊に遭遇したら絶対に背を向けることなく静かに後ずさりし・・
その時もそれは頭に浮かんでいたけれど、実際私は車めがけて一目散に走ってしまった。
やたらに逃げてもいけないんだろうけどでも今まだ生きてる。
取引先とか地域で有名だった飲食店の経営者が実は夜逃げしたのだという話をいくつか聞いてきた。
逃げるたってその先でどうするの?なんて思うけれど、ほかならぬ自分も夜逃げをしたことがある。
詳細を書いてもしょうがないけど身も心も拘束され続けるような状態が長く続いていると一種の洗脳状態のようになり通常の手続きを踏んで会社を辞めるという一般的思考ができなくなる。もう一つ理由があって自分の名を捨てどこかで生きていくしかないとう思考へ追い詰められた。
トリガとなったのは携帯にかかってきた一本の電話。
理不尽・・いや・・これに絶え乗りえてどうなるんだろう?
ふと、ここにいても人生が無駄になるだけなんじゃないのか?という思いがよぎった。
その時そばにいた後輩もまた訳ありで他とは少し違うところにいた。その男に冗談めかして
俺逃げるわ。
俺もそのほうがいいと思う・・あんた気づくの遅いよなに今頃言ってんの・・
全部わかってますよみたいな静かな笑顔に、ありがとうじゃないけれど。
縦列駐車状態で自由に出入りできなかった寮の駐車場はその日たまたま自分の車が素直に出られる状態であることを頭の中で確認する。誰にも気づかれないよう夜まですごし・・。
そう思った瞬間からなぜか笑いが止まらなくなってしまい、きつい現場なのに午後はずっと笑ってた。
他の人間がお前何なんだ?とつられて笑っていたのを覚えている。
よく、あんなに楽しそうだったのにそんなことするわけ・・みたいな話があるけれど表面に見えてるもので分かったような気になるのは間違いなんだろうなと思う。
逃げ出すところの記憶はなぜかなく、深夜吉野家で釣りをもらってないというと今渡しただろと切れている顔を見てここでトラブルになっている場合じゃないと思ったところから記憶が始まる。
エンジン付けっぱなしでコンビニの駐車場で仮眠中ふと目が覚めると向かいの家のベランダから寝間着姿でこちらを見下ろす人影が家へ入っていくところだった。まずい文句を言おうとしていると車を急発進してまた逃げる。
たまたま目覚めた瞬間が自分にとって都合がよすぎるということをしばらく考えていた。
ジャンヌダルクが神の声を聞いたみたいな話の超絶劣化版である。
地元付近を通過する際実家に近寄る気はなかったけれど、一度だけ相手にしてくれた旧友のアパートを探しうろうろした記憶がある。見つけたところで会えるわけでもないのに。
深夜走行する巨大トレーラーの後ろについて箱根を超え、平塚の手前くらいでもう明るくなっていた4車線道路では逆走するおばさんとすれ違った。
なにやってんだ!と思ったけれど、自分も何やってんだ。
三浦半島を横断すると造船所へ出勤していく人の列。
いつも通りの問題ない景色なんだろうそれを見てああ俺逃げてるんだったと思った。
どこから乗ったのか渋滞する首都高でラジオから流れた流行歌がダメでもいいからやってみろと歌ってた。
・・・長いしもういいか。
名前を変え、職を探して生きていこうとか思っていた。
持ってきたのは衣類数点、カバンじゃなくゴミ袋に投げ入れただけ。
とりあえずの拠点としてウィークリーマンションを借りて一晩過ごし、翌日アパートを探そうと入った不動産屋で保証人もなしで借りられる話なんか一つもないと一喝されふっと我に返った。
正気になってみれば逃げなければならない理由もなく・・
今なら保証人も何もなしで生きていく方法というのも簡単に見つけられるのかもしれないけれどそんなものを見つけられずあそこで立ち往生してよかった。
すぐに頓挫して当然の稚拙な話じゃないかというところでしょうけれど頭がおかしくなっていると表向きまともな顔をして変なことを強行してしまうということなわけで。
ずっとあのまま行ってたら・・そもそも逃げずにずっと頑張ちゃってたら・・
人というのは怖いから、いけると踏むと助ける育てるという体で相手の人格を踏みにじり死ぬまで利用しようとするしそのことに本人が気づいていなかったりもする。
https://www.youtube.com/watch?v=MOoqqDVYzx8
いけにえの踊り。
生贄って究極の人権侵害である気もするけれどやっぱりシャーマンみたいなのによる一種の洗脳状態にあって自らそうなろうと思うわけでしょうかね・・
大事なのは自分だと思えば気付いて逃げないと。
複雑な変拍子や不協和音で難曲といわれるけれど、

でも聴く分にはむしろ極めて自然でわかりやすく、音楽を知り始めた中学生の私は一聴して魅せられた。
これ面白いのは単一のパートで見ると意外にきれいな協和音なのね。
それらが重なってああなるというのもなんかちゃんと論理的説明がつくんでしょう?
https://www.youtube.com/watch?v=_PAZjKvl-CQ
これデュトワが初めてN響を振ったときのじゃないかな?
私が音楽に興味を持ち始めてラジオで聴いたのはこれだったんじゃないだろうか?
もう35年かもっと前だろうか映っている面々が若く懐かしい。
このころからすこし後とくらいまでの面子が、テレビの中から私に音楽やオーケストラや・・を教えてくれた。
もうこの世にいない人がいるのも知ってる。
あの頃まさか自分が夜逃げするとは思わないし、この指揮者がセクハラで失脚するとも思ってなかった。
最近また密かに復活しているらしいけど。
演奏は嫌いじゃないので実演に行ってみたと思うけれど今人からもコンサートからも逃げてるし指揮者の年齢的に無理かな。
なんであれ、命があってこそ。
体一つで逃げればいいのにみんな衣類を担いだり家財道具を乗せた大八車を引いて逃げた。
そのうち背中の荷に火が付き生きたまま焼けていくという話。
逃げるときはとにかく逃げなくちゃいけないのか。

この時じゃないけれどある日、北海道十勝平野の端のほうで朝日に輝く風景をながめてた。
右手にはちょっとした茂み・・その下は深いところに山からの川が流れて・・
グルォオオオ・・っという犬が威嚇するときのような唸り声が聞こえる。
ようなじゃなくて間違いなく威嚇をしておりお前の身の安全は保障しないというような意志が伝わってくる。
その声の低さ、太さから体の大きさも感じ犬なんかでは絶対にないこともよくわかる。
ヒグマ・・・
もし熊に遭遇したら絶対に背を向けることなく静かに後ずさりし・・
その時もそれは頭に浮かんでいたけれど、実際私は車めがけて一目散に走ってしまった。
やたらに逃げてもいけないんだろうけどでも今まだ生きてる。
取引先とか地域で有名だった飲食店の経営者が実は夜逃げしたのだという話をいくつか聞いてきた。
逃げるたってその先でどうするの?なんて思うけれど、ほかならぬ自分も夜逃げをしたことがある。
詳細を書いてもしょうがないけど身も心も拘束され続けるような状態が長く続いていると一種の洗脳状態のようになり通常の手続きを踏んで会社を辞めるという一般的思考ができなくなる。もう一つ理由があって自分の名を捨てどこかで生きていくしかないとう思考へ追い詰められた。
トリガとなったのは携帯にかかってきた一本の電話。
理不尽・・いや・・これに絶え乗りえてどうなるんだろう?
ふと、ここにいても人生が無駄になるだけなんじゃないのか?という思いがよぎった。
その時そばにいた後輩もまた訳ありで他とは少し違うところにいた。その男に冗談めかして
俺逃げるわ。
俺もそのほうがいいと思う・・あんた気づくの遅いよなに今頃言ってんの・・
全部わかってますよみたいな静かな笑顔に、ありがとうじゃないけれど。
縦列駐車状態で自由に出入りできなかった寮の駐車場はその日たまたま自分の車が素直に出られる状態であることを頭の中で確認する。誰にも気づかれないよう夜まですごし・・。
そう思った瞬間からなぜか笑いが止まらなくなってしまい、きつい現場なのに午後はずっと笑ってた。
他の人間がお前何なんだ?とつられて笑っていたのを覚えている。
よく、あんなに楽しそうだったのにそんなことするわけ・・みたいな話があるけれど表面に見えてるもので分かったような気になるのは間違いなんだろうなと思う。
逃げ出すところの記憶はなぜかなく、深夜吉野家で釣りをもらってないというと今渡しただろと切れている顔を見てここでトラブルになっている場合じゃないと思ったところから記憶が始まる。
エンジン付けっぱなしでコンビニの駐車場で仮眠中ふと目が覚めると向かいの家のベランダから寝間着姿でこちらを見下ろす人影が家へ入っていくところだった。まずい文句を言おうとしていると車を急発進してまた逃げる。
たまたま目覚めた瞬間が自分にとって都合がよすぎるということをしばらく考えていた。
ジャンヌダルクが神の声を聞いたみたいな話の超絶劣化版である。
地元付近を通過する際実家に近寄る気はなかったけれど、一度だけ相手にしてくれた旧友のアパートを探しうろうろした記憶がある。見つけたところで会えるわけでもないのに。
深夜走行する巨大トレーラーの後ろについて箱根を超え、平塚の手前くらいでもう明るくなっていた4車線道路では逆走するおばさんとすれ違った。
なにやってんだ!と思ったけれど、自分も何やってんだ。
三浦半島を横断すると造船所へ出勤していく人の列。
いつも通りの問題ない景色なんだろうそれを見てああ俺逃げてるんだったと思った。
どこから乗ったのか渋滞する首都高でラジオから流れた流行歌がダメでもいいからやってみろと歌ってた。
・・・長いしもういいか。
名前を変え、職を探して生きていこうとか思っていた。
持ってきたのは衣類数点、カバンじゃなくゴミ袋に投げ入れただけ。
とりあえずの拠点としてウィークリーマンションを借りて一晩過ごし、翌日アパートを探そうと入った不動産屋で保証人もなしで借りられる話なんか一つもないと一喝されふっと我に返った。
正気になってみれば逃げなければならない理由もなく・・
今なら保証人も何もなしで生きていく方法というのも簡単に見つけられるのかもしれないけれどそんなものを見つけられずあそこで立ち往生してよかった。
すぐに頓挫して当然の稚拙な話じゃないかというところでしょうけれど頭がおかしくなっていると表向きまともな顔をして変なことを強行してしまうということなわけで。
ずっとあのまま行ってたら・・そもそも逃げずにずっと頑張ちゃってたら・・
人というのは怖いから、いけると踏むと助ける育てるという体で相手の人格を踏みにじり死ぬまで利用しようとするしそのことに本人が気づいていなかったりもする。
https://www.youtube.com/watch?v=MOoqqDVYzx8
いけにえの踊り。
生贄って究極の人権侵害である気もするけれどやっぱりシャーマンみたいなのによる一種の洗脳状態にあって自らそうなろうと思うわけでしょうかね・・
大事なのは自分だと思えば気付いて逃げないと。
複雑な変拍子や不協和音で難曲といわれるけれど、

でも聴く分にはむしろ極めて自然でわかりやすく、音楽を知り始めた中学生の私は一聴して魅せられた。
これ面白いのは単一のパートで見ると意外にきれいな協和音なのね。
それらが重なってああなるというのもなんかちゃんと論理的説明がつくんでしょう?
https://www.youtube.com/watch?v=_PAZjKvl-CQ
これデュトワが初めてN響を振ったときのじゃないかな?
私が音楽に興味を持ち始めてラジオで聴いたのはこれだったんじゃないだろうか?
もう35年かもっと前だろうか映っている面々が若く懐かしい。
このころからすこし後とくらいまでの面子が、テレビの中から私に音楽やオーケストラや・・を教えてくれた。
もうこの世にいない人がいるのも知ってる。
あの頃まさか自分が夜逃げするとは思わないし、この指揮者がセクハラで失脚するとも思ってなかった。
最近また密かに復活しているらしいけど。
演奏は嫌いじゃないので実演に行ってみたと思うけれど今人からもコンサートからも逃げてるし指揮者の年齢的に無理かな。
なんであれ、命があってこそ。
土一揆と余計な考え
地図を見てるとすごい名前のカフェを発見。ここに飯食いに行こう。
高速に一区間だけ乗ると意外な速さでそのあたりに着いた。近くはないが驚くほど遠くもない。

道路に面した店の前に駐車場。とめようかと思うと駐車場はこの下みたいな表示があるのでつられてはいっていく。
ぶつけるかぶつけられそうな第2駐車場はやめて第3駐車場へ。
なんか工場みたいなのや畑と道も駐車場も共用みたいだ。
元々大きく土地をもっていろいろやっている人のお店なのかなまなんでもいいけど。

後で考えると店の前に止めてよかったみたいだけれどでもこっちへ降りてきてよかった。
あそこがあお店か。
あの階段を登り、テラス席があるのを見ながらお店へ入ると最も良いと一目でわかる席にはもう人がいてお食事中。
お好きな席へ・・の声を聞きながら探すとここでもいいかという席があった。
見上げれば

昭和というか80年代的な内装のような気がする。
今風じゃないけど明るいし古臭くない。
それよりここの特徴は窓からの景色だろう・・

あれあんまり伝わらないかな・・
またしても雲をかぶっているけれど左に富士山。

右には愛鷹山や新東名、富士宮の街。
東に見えるあの山はここでは小さく見えているけれど私の住む町の西の擁壁みたいな存在だ。
幼いころはその向こうに星が寝ていると思った。
もう少し歳が行けばあの山の向こうにも街があって人が生活しているのかもしれないと思うようになった。ただそれは遠くて自分は行くことが許されないみたいな訳ん分かんないイメージ。
いまやっと、私はその街を見にこれたのか
なんて思いながら。
壁に貼られた手書きの、でも奇麗な案内には「11がつ」とあるんだから毎月発行してるんでしょうね。
時々音楽イベントをやるお店はよくあるけれど案内を見ていると今度のは結構有名らしい芸能人を呼ぶみたいだ。
何が悪かったのか私は思春期くらいから頭のある部分がいかれたためテレビとか芸能人の名前とか言われてもよくわからない。
それはいいとして何だか面白そうだ。
勘違いじゃなければヴァイオリンを弾きながら歌うし劇みたいになってんのかな?
https://www.youtube.com/watch?v=DXSiMPFTUjg
こういうのじゃ全然ないと思うけど。
これはストラヴィンスキーの兵士の物語という曲。
言葉がわからないしさほど入れ込んでいないので筋にはこだわらずなんとなく音楽を聴くくらい。
どこかで読んだ筋書きは表面だけ読んでもいいけれど、裏にあるものを人それぞれが感じて見つけ出してゆくというものでもあるんだろう。
今の私にも当てはまるというかお前も答えを探せよといわれているような。
それでそのイベント、なんかこう素晴らしいなぁと思った。
本気で思った。
でも私はこういう演ずる人と目の合いそうな世界というのが苦手。
きっと一生来れないだろう。
なんでこんな人間になっちゃったのか。
なんでかはわかっているし、今更変えようもないのもいいんだけど。
先日、やったことのない楽器を習いたいと思い体験レッスンという講師との顔合わせみたいな場にいった。
先生のお名前を伺うと差し出された名刺には地元じゃ名の通った楽団。
なんとなく講師ってのはアマチュア団体に属したりなんかしない人たちだと思っていたけどそれは根拠のない勝手な思い込みだという事はすぐに理解できた。
反射的にすごいですね!みたいなジェスチャーをとる自分に調子いいなと思ったり。先生からはちょっと誇りを感じたような気もする。
正直私は聴き手として吹奏楽は苦手で楽団の名前に興味もないのだけど、以前団体に所属していた時に色々聞いていた話が役に立ったというか。
近々コンサートがあるというお話なのでいかなくちゃ!と口に出してしまう。それはだってそういうものでしょう?
ふと頭をよぎる。
この世界、ものすごく狭い。
私は逃げた楽団の責任者に顔向けできないという思いがあるのだけど、多分先生とは知り合いどころの騒ぎじゃないだろう。
コンサートに行けばその責任者をはじめ顔を合わせたくない人間がその場にいる可能性はかなり高い。
元々相手にされていないだろうし、こちらも何も感じなくていいはず・・
しかし嫌だという気持ちが走ってしまい何か理由をつけて行けないようなことを言うことになるかもしれない。
まだ一度もレッスンを受けていないうちからこんな訳の分かんないことを考えている。
ダメ人間ぽいね。
先生の口から「私も体験レッスンで音が出ないままお終わっちゃったらどうしようかと思いました・・」
何の悪意もないと思うけれど読みかえればお前みたいなやつは他にいねーぞってことでしょう?
かまわないし驚かないよ。そんなの他の誰よりもよく知っていることだから。
向いてないから考えたほうがいいのでは?なんて言われなくてよかった。
打たれ弱さも人一倍だから。
前途は困難を極めることが予想される。
そこをなんとか頑張ってみたい。
周りとか標準とか一切気にしないで。
この店を大事にしてるお客とオーナーといい世界ができてるんだろうなここ。
あそうか夜来れば超絶夜景だよねきっと。

煮込みハンバーグ
はチーズをのせてトマトソースで煮込んだ・・いい意味で喫茶店の味。
サラダのドレッシングは多分手作りじゃないかなおいしかったよ。
鉄板ナポリタンみたいなのもおいしそうだったな。

富士山がちょっとだけ顔を出す。
寒いかな?と思ってやめたテラス席にも人が来ていた。
犬を連れていて・・場に緊張しているみたいだけどおとなしくしていてお利口な犬だ。
うちのは暴れちゃってダメだろうな。

セットは飲み物もついてカフェラテ。
接客もとてもいい感じ。
馬鹿丁寧とかそういうんじゃない。
普通に、本当に普通に丁寧に対応してくれるだけ。
でもそれが一番。
コンプレックス満載な人間には特にね。

いつの間にか満席になっていたテラスから。
富士山見えた。
興味のない人には理解できないと思うけれど送電線鉄塔にもマニアがいます。
あの三相22KVみたいな鉄塔はその手の人にはかなり面白いんじゃないかな?
多分企業の私設発電所間をつないでいるものだと思う。

この辺りは周波数50Hzのエリアだけどあの遠くに見える紅白鉄塔は77KV60Hzが併架されてるやつじゃないかな?
用途はわかる人にはわかるでしょう・・
とか書いて興味のある人がこれを読んでくださった人の中に一人くらいいりかな?
誰かにとっては取るに足らないくだらない話や世界も、誰かにとっては大事なものだったりすると思う。
人はみんな違う。
どれが正しいか、優れているか尊いか、価値がないかを感じ考えることも人の自由だし必要なことかもしれない。
それを他人に押し付けないと気が済まない人間もいるだろう。
それが嫌で逃げ続けている人間もいるだろう。
なんでもいいよ。
私は自分が大きな欠陥を持った失敗気味な人間だと思っているけれど、私にとって私の人生ほど尊いものはない。
それをこのまま腐らせて終わりたくない。
何をどうすればいいかわからないけれど、なんとなく何かを探していく。
高速に一区間だけ乗ると意外な速さでそのあたりに着いた。近くはないが驚くほど遠くもない。

道路に面した店の前に駐車場。とめようかと思うと駐車場はこの下みたいな表示があるのでつられてはいっていく。
ぶつけるかぶつけられそうな第2駐車場はやめて第3駐車場へ。
なんか工場みたいなのや畑と道も駐車場も共用みたいだ。
元々大きく土地をもっていろいろやっている人のお店なのかなまなんでもいいけど。

後で考えると店の前に止めてよかったみたいだけれどでもこっちへ降りてきてよかった。
あそこがあお店か。
あの階段を登り、テラス席があるのを見ながらお店へ入ると最も良いと一目でわかる席にはもう人がいてお食事中。
お好きな席へ・・の声を聞きながら探すとここでもいいかという席があった。
見上げれば

昭和というか80年代的な内装のような気がする。
今風じゃないけど明るいし古臭くない。
それよりここの特徴は窓からの景色だろう・・

あれあんまり伝わらないかな・・
またしても雲をかぶっているけれど左に富士山。

右には愛鷹山や新東名、富士宮の街。
東に見えるあの山はここでは小さく見えているけれど私の住む町の西の擁壁みたいな存在だ。
幼いころはその向こうに星が寝ていると思った。
もう少し歳が行けばあの山の向こうにも街があって人が生活しているのかもしれないと思うようになった。ただそれは遠くて自分は行くことが許されないみたいな訳ん分かんないイメージ。
いまやっと、私はその街を見にこれたのか
なんて思いながら。
壁に貼られた手書きの、でも奇麗な案内には「11がつ」とあるんだから毎月発行してるんでしょうね。
時々音楽イベントをやるお店はよくあるけれど案内を見ていると今度のは結構有名らしい芸能人を呼ぶみたいだ。
何が悪かったのか私は思春期くらいから頭のある部分がいかれたためテレビとか芸能人の名前とか言われてもよくわからない。
それはいいとして何だか面白そうだ。
勘違いじゃなければヴァイオリンを弾きながら歌うし劇みたいになってんのかな?
https://www.youtube.com/watch?v=DXSiMPFTUjg
こういうのじゃ全然ないと思うけど。
これはストラヴィンスキーの兵士の物語という曲。
言葉がわからないしさほど入れ込んでいないので筋にはこだわらずなんとなく音楽を聴くくらい。
どこかで読んだ筋書きは表面だけ読んでもいいけれど、裏にあるものを人それぞれが感じて見つけ出してゆくというものでもあるんだろう。
今の私にも当てはまるというかお前も答えを探せよといわれているような。
それでそのイベント、なんかこう素晴らしいなぁと思った。
本気で思った。
でも私はこういう演ずる人と目の合いそうな世界というのが苦手。
きっと一生来れないだろう。
なんでこんな人間になっちゃったのか。
なんでかはわかっているし、今更変えようもないのもいいんだけど。
先日、やったことのない楽器を習いたいと思い体験レッスンという講師との顔合わせみたいな場にいった。
先生のお名前を伺うと差し出された名刺には地元じゃ名の通った楽団。
なんとなく講師ってのはアマチュア団体に属したりなんかしない人たちだと思っていたけどそれは根拠のない勝手な思い込みだという事はすぐに理解できた。
反射的にすごいですね!みたいなジェスチャーをとる自分に調子いいなと思ったり。先生からはちょっと誇りを感じたような気もする。
正直私は聴き手として吹奏楽は苦手で楽団の名前に興味もないのだけど、以前団体に所属していた時に色々聞いていた話が役に立ったというか。
近々コンサートがあるというお話なのでいかなくちゃ!と口に出してしまう。それはだってそういうものでしょう?
ふと頭をよぎる。
この世界、ものすごく狭い。
私は逃げた楽団の責任者に顔向けできないという思いがあるのだけど、多分先生とは知り合いどころの騒ぎじゃないだろう。
コンサートに行けばその責任者をはじめ顔を合わせたくない人間がその場にいる可能性はかなり高い。
元々相手にされていないだろうし、こちらも何も感じなくていいはず・・
しかし嫌だという気持ちが走ってしまい何か理由をつけて行けないようなことを言うことになるかもしれない。
まだ一度もレッスンを受けていないうちからこんな訳の分かんないことを考えている。
ダメ人間ぽいね。
先生の口から「私も体験レッスンで音が出ないままお終わっちゃったらどうしようかと思いました・・」
何の悪意もないと思うけれど読みかえればお前みたいなやつは他にいねーぞってことでしょう?
かまわないし驚かないよ。そんなの他の誰よりもよく知っていることだから。
向いてないから考えたほうがいいのでは?なんて言われなくてよかった。
打たれ弱さも人一倍だから。
前途は困難を極めることが予想される。
そこをなんとか頑張ってみたい。
周りとか標準とか一切気にしないで。
この店を大事にしてるお客とオーナーといい世界ができてるんだろうなここ。
あそうか夜来れば超絶夜景だよねきっと。

煮込みハンバーグ
はチーズをのせてトマトソースで煮込んだ・・いい意味で喫茶店の味。
サラダのドレッシングは多分手作りじゃないかなおいしかったよ。
鉄板ナポリタンみたいなのもおいしそうだったな。

富士山がちょっとだけ顔を出す。
寒いかな?と思ってやめたテラス席にも人が来ていた。
犬を連れていて・・場に緊張しているみたいだけどおとなしくしていてお利口な犬だ。
うちのは暴れちゃってダメだろうな。

セットは飲み物もついてカフェラテ。
接客もとてもいい感じ。
馬鹿丁寧とかそういうんじゃない。
普通に、本当に普通に丁寧に対応してくれるだけ。
でもそれが一番。
コンプレックス満載な人間には特にね。

いつの間にか満席になっていたテラスから。
富士山見えた。
興味のない人には理解できないと思うけれど送電線鉄塔にもマニアがいます。
あの三相22KVみたいな鉄塔はその手の人にはかなり面白いんじゃないかな?
多分企業の私設発電所間をつないでいるものだと思う。

この辺りは周波数50Hzのエリアだけどあの遠くに見える紅白鉄塔は77KV60Hzが併架されてるやつじゃないかな?
用途はわかる人にはわかるでしょう・・
とか書いて興味のある人がこれを読んでくださった人の中に一人くらいいりかな?
誰かにとっては取るに足らないくだらない話や世界も、誰かにとっては大事なものだったりすると思う。
人はみんな違う。
どれが正しいか、優れているか尊いか、価値がないかを感じ考えることも人の自由だし必要なことかもしれない。
それを他人に押し付けないと気が済まない人間もいるだろう。
それが嫌で逃げ続けている人間もいるだろう。
なんでもいいよ。
私は自分が大きな欠陥を持った失敗気味な人間だと思っているけれど、私にとって私の人生ほど尊いものはない。
それをこのまま腐らせて終わりたくない。
何をどうすればいいかわからないけれど、なんとなく何かを探していく。