予想を超えてまずくなってきた
仕事で追いつめられている。
受け身側、籠城して天に任せる側というか
けれど嫁さんを病院に連れて行くため昼で上がる。
明日が一つの山場となると思う
帰り際、今度は私より少し若い人間から声をかけられる。
unagiさん、体調はどうですか?
なんだみんなどうしちゃったのか・・
物静かな彼はお父さんを頑張ってるのも知ってる。
しばらくいろんな話をしてもらいありがたかった。

嫁さんを病院に連れて行く道中、隣で桜が終わってしまったと嘆いてる。
俺は桃を見せに行きたかった。
20年位前に自分も入院したことのある病院でMRIを撮ってもらう。
結果がわかるのは後日らしいけどやばかったら間に合わないんじゃないのかなんて余計なことは言わない。
会社に戻れないこともない時間だったけれどやめて晩飯を買い
家中の窓を開けて換気をし、あとなんかをして
楽器。
結構な時間をああまたダメだなんでだと真っ暗い気持ちであがき
最後の最後にまたあ戻れるかもなと思ったところで止めた。
楽な息をまっすぐ連続して押せばいいだけ。
それが出来ればほんのちょっとチョンとやるだけのタンギングはできてしょうがない。
自分ではそうしていないつもりだけど音符に合わせて息を止めたり出したりしようとしているからめちゃくちゃになってるのかもしれない。
そういう時はタンギングも必要量の何倍も派手に動くので口のいろんな筋肉がつられて動いてしまう。
口を意識してるうちは何かまちがっるのかもしれない。
とにかく、これだというときはどこも意識なんかしていないし何も苦しくないしどこでも止まらないはず。
明日になればまた消えてしまっているかもしれないし
思い出せないのかもしれない。
ここに書いておいたものを読んでも
何もつかめないかもしれないけど。
https://www.youtube.com/watch?v=oXkD6UA3ZKU
正直練習後半は明日の仕事のことが頭を埋めていた。
でも、ちょっといけるかなと思って終われたおかげで少し気持ちは持ち直す。
明日、悲惨な展開が予想される
場合によっては
こうなると腹の病気再発も
なんであれ、
逃げてすむはなしでもない。
嫁さんが、ヨーグルトを食べながら小さく笑ってたのが救い。
逃げるわけにいかないよそりゃ。
受け身側、籠城して天に任せる側というか
けれど嫁さんを病院に連れて行くため昼で上がる。
明日が一つの山場となると思う
帰り際、今度は私より少し若い人間から声をかけられる。
unagiさん、体調はどうですか?
なんだみんなどうしちゃったのか・・
物静かな彼はお父さんを頑張ってるのも知ってる。
しばらくいろんな話をしてもらいありがたかった。

嫁さんを病院に連れて行く道中、隣で桜が終わってしまったと嘆いてる。
俺は桃を見せに行きたかった。
20年位前に自分も入院したことのある病院でMRIを撮ってもらう。
結果がわかるのは後日らしいけどやばかったら間に合わないんじゃないのかなんて余計なことは言わない。
会社に戻れないこともない時間だったけれどやめて晩飯を買い
家中の窓を開けて換気をし、あとなんかをして
楽器。
結構な時間をああまたダメだなんでだと真っ暗い気持ちであがき
最後の最後にまたあ戻れるかもなと思ったところで止めた。
楽な息をまっすぐ連続して押せばいいだけ。
それが出来ればほんのちょっとチョンとやるだけのタンギングはできてしょうがない。
自分ではそうしていないつもりだけど音符に合わせて息を止めたり出したりしようとしているからめちゃくちゃになってるのかもしれない。
そういう時はタンギングも必要量の何倍も派手に動くので口のいろんな筋肉がつられて動いてしまう。
口を意識してるうちは何かまちがっるのかもしれない。
とにかく、これだというときはどこも意識なんかしていないし何も苦しくないしどこでも止まらないはず。
明日になればまた消えてしまっているかもしれないし
思い出せないのかもしれない。
ここに書いておいたものを読んでも
何もつかめないかもしれないけど。
https://www.youtube.com/watch?v=oXkD6UA3ZKU
正直練習後半は明日の仕事のことが頭を埋めていた。
でも、ちょっといけるかなと思って終われたおかげで少し気持ちは持ち直す。
明日、悲惨な展開が予想される
場合によっては
こうなると腹の病気再発も
なんであれ、
逃げてすむはなしでもない。
嫁さんが、ヨーグルトを食べながら小さく笑ってたのが救い。
逃げるわけにいかないよそりゃ。
矛盾ととうふ
ブログなんか書いてる場合じゃない状況は続いているどころかこの先の絶望的な展開が具体的に明示された。
単純に忙しいとか難しいという順方向的な内容ではなく誰かに変わってもらうとか待ってもらうことはできない。もしそうなったらどうなるかを書こうとすると腹が痛み出す。自分一人がどうなるかという問題ではないので。
まともに受け止めすぎると穴が開きっぱなしの内臓を炎症させ絶対にあってはいけないそこからの離脱になってしまうため、気を紛らわそうとブログに文書を書いては消すことを繰り返してもいる。
匿名ブログであっても詳細は書けないのでこんな訳のわかんない馬鹿みたいな書きようにしかならず。
別なことを書いてはみるのだけどどれも自殺とか夜逃げ、精神異常者とかが出てくる人前に出すのはちょっとどうかという内容になってしまい・・
何度か書き直しているうちに、この先もっとひどくなるのに今からつぶれたようなことを書いてどうするんだと思ったりもする。
まあそれもそうだな。

こぎれいな写真を貼る気にはなれないなんて書いてたけど貼ってみる。
けどそこに何か文書を付ける気にはなれなかった。
こういう時に音楽を聴こうとは思えない。
https://www.youtube.com/watch?v=CWJddnQBrS8
と書いてあったけどなんか貼っとこうか。
豆腐を食った。
その柔らかい食感と嫌味がないのに深いような味にいつになく癒されたような気がした。
この前に音楽は人間に作るものだと意識するようになってから音楽は最も大事なものであると同時に最も嫌なものの象徴だみたいなことを書いて、私を癒してくれた豆腐も人の作ったものではないかみたいなネタを書こうとしてた。
くだらないのでやめてください。
今も腹に痛みを感じ、まずいなと思っている。
朝食後、使ったティッシュに赤いものがついているのが目に入る。
血?
ついにきたのか?
あイチゴジャムか
今となりで寝てる犬が走ってる。
夢の中でどこを走ってるんだろう?
そこに俺はいるかな?
単純に忙しいとか難しいという順方向的な内容ではなく誰かに変わってもらうとか待ってもらうことはできない。もしそうなったらどうなるかを書こうとすると腹が痛み出す。自分一人がどうなるかという問題ではないので。
まともに受け止めすぎると穴が開きっぱなしの内臓を炎症させ絶対にあってはいけないそこからの離脱になってしまうため、気を紛らわそうとブログに文書を書いては消すことを繰り返してもいる。
匿名ブログであっても詳細は書けないのでこんな訳のわかんない馬鹿みたいな書きようにしかならず。
別なことを書いてはみるのだけどどれも自殺とか夜逃げ、精神異常者とかが出てくる人前に出すのはちょっとどうかという内容になってしまい・・
何度か書き直しているうちに、この先もっとひどくなるのに今からつぶれたようなことを書いてどうするんだと思ったりもする。
まあそれもそうだな。

こぎれいな写真を貼る気にはなれないなんて書いてたけど貼ってみる。
けどそこに何か文書を付ける気にはなれなかった。
こういう時に音楽を聴こうとは思えない。
https://www.youtube.com/watch?v=CWJddnQBrS8
と書いてあったけどなんか貼っとこうか。
豆腐を食った。
その柔らかい食感と嫌味がないのに深いような味にいつになく癒されたような気がした。
この前に音楽は人間に作るものだと意識するようになってから音楽は最も大事なものであると同時に最も嫌なものの象徴だみたいなことを書いて、私を癒してくれた豆腐も人の作ったものではないかみたいなネタを書こうとしてた。
くだらないのでやめてください。
今も腹に痛みを感じ、まずいなと思っている。
朝食後、使ったティッシュに赤いものがついているのが目に入る。
血?
ついにきたのか?
あイチゴジャムか
今となりで寝てる犬が走ってる。
夢の中でどこを走ってるんだろう?
そこに俺はいるかな?
何でも自分が悪いことにしなくていいの
少し前に偶然見つけた喫茶店に行ってみた。
カフェじゃなく喫茶店、喫煙可?まあいいか。
入って顔を合わせたマスターははじめ愛想がない人かと思っちゃったけど全然違って優しい人だった。
メニューを持ってくるのと同時に何がいい?と聞いてきたお母さんにはえーよと思ったけどそうじゃなくて、教えたくてしょうがないんだね・・

マスターがはい野菜たっぷりとか言いながら持ってきてくれたサラダ。
大根の上にはじゃこも。これだけで腹が満たされそうになる。
そこへ出てきた

これなんかすごいでしょ?
玉ねぎと焼き肉が積み重なって山になってんの。
でバルサミコ酢。
大容量なアイスコーヒーは本物な味。
これサービス、初物です・・とか言って出てきた里芋は地元で名の通った・・
食い始めたところでお母さんが芋の説明をしてくれる。
お母さん結構しゃべる・・

嫁さんの煮込みハンバーグも鍋みたいだ。
食べてる最中から芋の話に始まり、お母さんとマスターといろんな話をした。
昔の話や今の人間模様・・結構話して楽しかった。
気が付けば結構な時間がたっていて・・
おいしかったしとても楽しかったで終わってそのままブログ記事になるはずだったんだけどお母さんが突然・・
細かいことはいいけど、ある人種にありがちな他人の言動から読み取ったものがトリガとなり自分は間違ってた迷惑をかけたみたいな思考が異常暴走しちゃう奴がはじまっちゃった。
調子に乗って喋ってたけど、本当は迷惑だったのか・・時間過ぎちゃってるんだもんな。
ある程度のところで切り上げなくちゃいけなかったのに、俺はいつもそこを間違え・・
歳の倍違う人に向かって生意気なことを言っちまったかもしれない・・
こういうの他人には馬鹿にしか見えないだろうしいらだちを隠さずぶつけてくる人も多い。
当の本人も馬鹿だなと思ってる。
意識の表層ではそんなことはない思い違いだと考えが整理されているのに止まらない。
もう具体的に何があったかとは関係なく気持ちだけがどんどん暴走し・・
病気ね。
最近調子よかったはずなのになんでこうなっちゃったんだろう?
落ち着かないからとりあえず車で走る。

ある所へ行き、あるものを眺め考え・・とやっているうちに暴走精神は落ち着いてくれた。
困ったもんだねこの頭。
それ自体は大した問題じゃないけど、昔からずっとこんなことを繰り返して無駄に悪い方へシフトした自分や世界観で生きてきた結果がこれなんだろうなという後味の悪さみたいなのが残った。
この異常に他人の言動から中身を読もうとし病的に自分は責められてるとか自分は間違っているという考えを走らせるこ・・やめましょう。
https://www.youtube.com/watch?v=3_-RSnw8sK4
はじめはこれとは別な暗い曲を貼って暗いことを書こうとしていた。
時間がたち落ち着いてくればやめようと思うし私は病気じゃない。
ちょっと蚊に刺されたようなもんだろう。死にはしない。
たまたま聴いたアルバムに入ってたそんなことどうだっていいのよみたいなこの曲に差し替えたくなった。
確かこの人は虫に刺されたところが化膿してとかで亡くなってしまったんだったと思う。

家に帰った時間は遅くもう音出しできる時間もないけどちょっとだけ楽器を吹く。
・・よかった、調子がいい。
ここでまた変な風になってるとどうなっちゃうかわかんないから。
楽器も最近急にいろいろ見えてきたところがあって、鳴らないダメリードをちょっとでも吹いちゃうと力が入り体は余計息の出ない方向へ動くのね。それを受けてさらに頑張ろうとするから力が余計入り・・一種のパニック的な暴走だろう。
気づいてリードを変えてももう体の締まっちゃってるのは戻らないから爆鳴リードも鳴らなかったりする。
あれ?このリードでも鳴らない?おれはどっかまちがっちゃってるんだろう?と取り返そうとしたりするから全部壊れてめちゃくちゃになっちゃう。
もうちょっとでもおかしいと思ったら全部やめて一切触っちゃいけないみたい。
考えるのもやめる。
明日。
楽に結果の出る道具を使えばできるのは当たり前だ。そんなのは甘え・・という武士道みたいな考えが根底にあったりするけどそれは間違えだった。
そして思うのはそれは楽器だけじゃないということ。
大げさみたいですけどね、
楽器やってると自分の人生まで見直すような発見がある気がするのね。
何にもできずな自分で46になっちゃいましたけどね。
死ぬまでに少しでも一つでも勉強したいと思います。
カフェじゃなく喫茶店、喫煙可?まあいいか。
入って顔を合わせたマスターははじめ愛想がない人かと思っちゃったけど全然違って優しい人だった。
メニューを持ってくるのと同時に何がいい?と聞いてきたお母さんにはえーよと思ったけどそうじゃなくて、教えたくてしょうがないんだね・・

マスターがはい野菜たっぷりとか言いながら持ってきてくれたサラダ。
大根の上にはじゃこも。これだけで腹が満たされそうになる。
そこへ出てきた

これなんかすごいでしょ?
玉ねぎと焼き肉が積み重なって山になってんの。
でバルサミコ酢。
大容量なアイスコーヒーは本物な味。
これサービス、初物です・・とか言って出てきた里芋は地元で名の通った・・
食い始めたところでお母さんが芋の説明をしてくれる。
お母さん結構しゃべる・・

嫁さんの煮込みハンバーグも鍋みたいだ。
食べてる最中から芋の話に始まり、お母さんとマスターといろんな話をした。
昔の話や今の人間模様・・結構話して楽しかった。
気が付けば結構な時間がたっていて・・
おいしかったしとても楽しかったで終わってそのままブログ記事になるはずだったんだけどお母さんが突然・・
細かいことはいいけど、ある人種にありがちな他人の言動から読み取ったものがトリガとなり自分は間違ってた迷惑をかけたみたいな思考が異常暴走しちゃう奴がはじまっちゃった。
調子に乗って喋ってたけど、本当は迷惑だったのか・・時間過ぎちゃってるんだもんな。
ある程度のところで切り上げなくちゃいけなかったのに、俺はいつもそこを間違え・・
歳の倍違う人に向かって生意気なことを言っちまったかもしれない・・
こういうの他人には馬鹿にしか見えないだろうしいらだちを隠さずぶつけてくる人も多い。
当の本人も馬鹿だなと思ってる。
意識の表層ではそんなことはない思い違いだと考えが整理されているのに止まらない。
もう具体的に何があったかとは関係なく気持ちだけがどんどん暴走し・・
病気ね。
最近調子よかったはずなのになんでこうなっちゃったんだろう?
落ち着かないからとりあえず車で走る。

ある所へ行き、あるものを眺め考え・・とやっているうちに暴走精神は落ち着いてくれた。
困ったもんだねこの頭。
それ自体は大した問題じゃないけど、昔からずっとこんなことを繰り返して無駄に悪い方へシフトした自分や世界観で生きてきた結果がこれなんだろうなという後味の悪さみたいなのが残った。
この異常に他人の言動から中身を読もうとし病的に自分は責められてるとか自分は間違っているという考えを走らせるこ・・やめましょう。
https://www.youtube.com/watch?v=3_-RSnw8sK4
はじめはこれとは別な暗い曲を貼って暗いことを書こうとしていた。
時間がたち落ち着いてくればやめようと思うし私は病気じゃない。
ちょっと蚊に刺されたようなもんだろう。死にはしない。
たまたま聴いたアルバムに入ってたそんなことどうだっていいのよみたいなこの曲に差し替えたくなった。
確かこの人は虫に刺されたところが化膿してとかで亡くなってしまったんだったと思う。

家に帰った時間は遅くもう音出しできる時間もないけどちょっとだけ楽器を吹く。
・・よかった、調子がいい。
ここでまた変な風になってるとどうなっちゃうかわかんないから。
楽器も最近急にいろいろ見えてきたところがあって、鳴らないダメリードをちょっとでも吹いちゃうと力が入り体は余計息の出ない方向へ動くのね。それを受けてさらに頑張ろうとするから力が余計入り・・一種のパニック的な暴走だろう。
気づいてリードを変えてももう体の締まっちゃってるのは戻らないから爆鳴リードも鳴らなかったりする。
あれ?このリードでも鳴らない?おれはどっかまちがっちゃってるんだろう?と取り返そうとしたりするから全部壊れてめちゃくちゃになっちゃう。
もうちょっとでもおかしいと思ったら全部やめて一切触っちゃいけないみたい。
考えるのもやめる。
明日。
楽に結果の出る道具を使えばできるのは当たり前だ。そんなのは甘え・・という武士道みたいな考えが根底にあったりするけどそれは間違えだった。
そして思うのはそれは楽器だけじゃないということ。
大げさみたいですけどね、
楽器やってると自分の人生まで見直すような発見がある気がするのね。
何にもできずな自分で46になっちゃいましたけどね。
死ぬまでに少しでも一つでも勉強したいと思います。
レールに乗れた!?
楽器のレッスンだという日は午後になると無意味に緊張してるのに気づき・・じゃなくて仕事しなさいよ。

いつも行く前に必死になってさらったりするからばてるんじゃないかと思いもう音階吹いて良しとするつもりだった。
帰宅し計画通りいくつかの調で音階を吹き・・
よし。ついでにあの曲のあそこも・・
いいね。これも・・いいね。
よしもういいや最後にあれを・・
その最後が引っ掛かってはまり結局いつもと同じくぎりぎりまで必死に・・
おかげで肩や腕にものすごい力が入ってることに気づく。
のどや口も同じで、これじゃちゃんと鳴らないだろうそりゃ。
そうなると気づいてももう解けない。

向かう道中、プロ演奏家がアマチュアの質問に答える中にあった緊張を解く呼吸法を試してみるけど、その呼吸法でさえ読んだものを正しくできてるのか怪しい私。
体は緩む気もするけどまた失敗するみたいな思考は止まらず相変わらずだなと思う。
プロが書いたものの中に、本番直前舞台上で気になるところをさらうはいいけど万が一失敗すると精神的に本番でも失敗リスクを高めてしまう恐れが・・とか書いてあるのを見てあんな人でも・・と思った。
全然違う次元での話だけど。

調子はどうですか?と聞かれて緊張してますなんて答える。
音だしで音階を吹くとうん、いい音が出てますよという声を聞き違う調でも・・
最初はいいんだよなー
・・・・
すぐばてる件、前から言われてたけどやっと自分でもそこがまずいと思うようになった。
今まではまだそれどころじゃなかったから。
なんの曲をやりたいかと聞かれて、あえてはまった曲をうまくできませんと言いながら・・
うん、いいですよ。
あれいいんですか?もう一曲・・
あまりよくないなと思いつつ
いいですよ。すばらしい・・
嬉しいけれどもちろんその頭には
(今までのひどい状態に比べれば)
というのがついているんだと理解する。そして
次の曲でつぶれる。
先生が長く言葉でダメだしをしてくれているのは私の口を回復させる時間を取っているわけでもあるのだけど、くそを垂れ流したような音楽‥みたいな言葉にへこむことはない。
自分のまだこんなところが駄目なのかというところに自分で驚き一瞬落胆する。
だけど、具体的な問題とどうしなくちゃいけないかを明確に指摘されることは実はありがたいというか
それがレッスンだもんね。そのなかで
今あなたはまだスタートへ立ったところです・・・
通常なら2年目でスタートとか言われてるのは辞めちまえくらいな意味かもしれないけれど私にとっては
俺もレールに乗ったってこと?
レールじゃなくて道なき道を行くんだよとかは今いいから。

他と比べどんなに遅くてもみっともなくてもレールに乗って走り出せてるんなら走っている以上はどこかへ向かって進んでいけるかもしれないじゃない。
いままでは進むどころか脱線転覆して大破炎上してたんだから。
時間は大丈夫ですか?あなたが良ければもう一曲・・の後小さい声で
今日はとてもいいですよ・・
生い立ち時からの流れでダメ信号をもらうと自動的に自分全否定感が走っちゃうんだけどそれ違うのね・・

楽器をやってる人ブログみたいに具体的にここがこうとか書けないのは私の自己認識がまだ楽器をやってる人ではなく楽器をやってる人になりたくあがいてる人だから・・
まいいやそんなこと。
他人にどう思われるかはいいから。
自分がいるだけ。
https://www.youtube.com/watch?v=JCqbF96b30A
大きく作風を変えていったというか人間ごと変態教祖化していったスクリャービンの曲はそんなにたくさん聞いてなかった。
これなんかコンセプトから何からショパン命というところで・でもオリジナリティを感じ聴いてて飽きませんね。
大作曲家はまずみんな演奏家であった。
そして演奏家っていうのはみんな生徒をもって教えるものらしい。
収入を得なくちゃ生きてけないというのにとどまらない別な理由があったりするんだろうか?
作曲家の場合ピアノなことが多く、教えてた女性と出来ちゃってみたいな話があっちこっちにある。
で何だという事もないけど。
どんなレッスンだったのかな?
レールも道も見当たらないと思ってた人が微速ながら走り出し・・な感じで貼った写真はみんな10年くらい前の北海道。
ダム湖に沈む橋は崩壊が進みもうすぐ見られなくなってしまうといわれていた。
調べるとまだ健在なようだ。
あの時は行きたければ勝手に行けばいい状態だったけど今は管理された区域内にあり勝手に行けるわけじゃないらしい。
北海道にはまっていたのでヒグマがどんなに危険かは散々読んで知ってるつもりだった。

車を置いてから場まで結構歩くのだけどヒグマ出没!の表示が緊迫感をもってたくさんあり、一人歩く今遭遇すれば死ぬだけだろうと思うとかなり怖かった。
次の日、十勝平野の端の方ですぐそばの茂みにヒグマの唸り声を聞いた。
姿は見ていないけどあんなにでかくて重い犬なんかいないと思う。
生きていられるという事は、得難くありがたいことである。
投げ出したような気持になることも多けれど、せっかくだから大事にしなければいけないと思う。

いつも行く前に必死になってさらったりするからばてるんじゃないかと思いもう音階吹いて良しとするつもりだった。
帰宅し計画通りいくつかの調で音階を吹き・・
よし。ついでにあの曲のあそこも・・
いいね。これも・・いいね。
よしもういいや最後にあれを・・
その最後が引っ掛かってはまり結局いつもと同じくぎりぎりまで必死に・・
おかげで肩や腕にものすごい力が入ってることに気づく。
のどや口も同じで、これじゃちゃんと鳴らないだろうそりゃ。
そうなると気づいてももう解けない。

向かう道中、プロ演奏家がアマチュアの質問に答える中にあった緊張を解く呼吸法を試してみるけど、その呼吸法でさえ読んだものを正しくできてるのか怪しい私。
体は緩む気もするけどまた失敗するみたいな思考は止まらず相変わらずだなと思う。
プロが書いたものの中に、本番直前舞台上で気になるところをさらうはいいけど万が一失敗すると精神的に本番でも失敗リスクを高めてしまう恐れが・・とか書いてあるのを見てあんな人でも・・と思った。
全然違う次元での話だけど。

調子はどうですか?と聞かれて緊張してますなんて答える。
音だしで音階を吹くとうん、いい音が出てますよという声を聞き違う調でも・・
最初はいいんだよなー
・・・・
すぐばてる件、前から言われてたけどやっと自分でもそこがまずいと思うようになった。
今まではまだそれどころじゃなかったから。
なんの曲をやりたいかと聞かれて、あえてはまった曲をうまくできませんと言いながら・・
うん、いいですよ。
あれいいんですか?もう一曲・・
あまりよくないなと思いつつ
いいですよ。すばらしい・・
嬉しいけれどもちろんその頭には
(今までのひどい状態に比べれば)
というのがついているんだと理解する。そして
次の曲でつぶれる。
先生が長く言葉でダメだしをしてくれているのは私の口を回復させる時間を取っているわけでもあるのだけど、くそを垂れ流したような音楽‥みたいな言葉にへこむことはない。
自分のまだこんなところが駄目なのかというところに自分で驚き一瞬落胆する。
だけど、具体的な問題とどうしなくちゃいけないかを明確に指摘されることは実はありがたいというか
それがレッスンだもんね。そのなかで
今あなたはまだスタートへ立ったところです・・・
通常なら2年目でスタートとか言われてるのは辞めちまえくらいな意味かもしれないけれど私にとっては
俺もレールに乗ったってこと?
レールじゃなくて道なき道を行くんだよとかは今いいから。

他と比べどんなに遅くてもみっともなくてもレールに乗って走り出せてるんなら走っている以上はどこかへ向かって進んでいけるかもしれないじゃない。
いままでは進むどころか脱線転覆して大破炎上してたんだから。
時間は大丈夫ですか?あなたが良ければもう一曲・・の後小さい声で
今日はとてもいいですよ・・
生い立ち時からの流れでダメ信号をもらうと自動的に自分全否定感が走っちゃうんだけどそれ違うのね・・

楽器をやってる人ブログみたいに具体的にここがこうとか書けないのは私の自己認識がまだ楽器をやってる人ではなく楽器をやってる人になりたくあがいてる人だから・・
まいいやそんなこと。
他人にどう思われるかはいいから。
自分がいるだけ。
https://www.youtube.com/watch?v=JCqbF96b30A
大きく作風を変えていったというか人間ごと変態教祖化していったスクリャービンの曲はそんなにたくさん聞いてなかった。
これなんかコンセプトから何からショパン命というところで・でもオリジナリティを感じ聴いてて飽きませんね。
大作曲家はまずみんな演奏家であった。
そして演奏家っていうのはみんな生徒をもって教えるものらしい。
収入を得なくちゃ生きてけないというのにとどまらない別な理由があったりするんだろうか?
作曲家の場合ピアノなことが多く、教えてた女性と出来ちゃってみたいな話があっちこっちにある。
で何だという事もないけど。
どんなレッスンだったのかな?
レールも道も見当たらないと思ってた人が微速ながら走り出し・・な感じで貼った写真はみんな10年くらい前の北海道。
ダム湖に沈む橋は崩壊が進みもうすぐ見られなくなってしまうといわれていた。
調べるとまだ健在なようだ。
あの時は行きたければ勝手に行けばいい状態だったけど今は管理された区域内にあり勝手に行けるわけじゃないらしい。
北海道にはまっていたのでヒグマがどんなに危険かは散々読んで知ってるつもりだった。

車を置いてから場まで結構歩くのだけどヒグマ出没!の表示が緊迫感をもってたくさんあり、一人歩く今遭遇すれば死ぬだけだろうと思うとかなり怖かった。
次の日、十勝平野の端の方ですぐそばの茂みにヒグマの唸り声を聞いた。
姿は見ていないけどあんなにでかくて重い犬なんかいないと思う。
生きていられるという事は、得難くありがたいことである。
投げ出したような気持になることも多けれど、せっかくだから大事にしなければいけないと思う。
昔の話とピアノ

雨が続いていた日、近くの大衆食堂。
一人では何度か来たことがあるけど、こういうとこ敬遠しがちな嫁さんがついて来たというところが画期的であった。
隣の家族はがっつり系定食の他ラーメンを頼んでみんなでつついてる。
お母さん野菜残しちゃだめでしょう。

ごはん大盛り無料なんて聞くとときめいちゃうけどね。
ミックスフライ3種より2種類の方が価格が上なのは妥協のないイカと鯵をお楽しみくださいという話であろうか?
改装されて綺麗になってるけどずっと昔からあるんだろうねここ。
昔、勤め先の創業者が昔話をするのを聞いていたら戦前か戦中の話に定食屋というのが出てきた。
定食屋ってそんな昔からあったんですか?なんて聞いたらなにそんなとこに疑問持ってんだお前みたいな反応が返ってきたりして。
昔と言えば、
小学校も5、6年生になると社会科の授業は担任じゃなく定年間近の頑固爺さんみたいな先生に教わったのだけれど、時々授業と関係ないいろんな話を聞かせてくれたなかに子供のころ満州でという話があった。
ある夜、突然一人の男が訪ねてきた。
知らない男で、ロシア人だ。
何の用だ?
この家にピアノがあるはずです。
わずかな時間でいいので弾かせてもらえないでしょうか?
両親の真似だろういぶかしがるような言い方で
いいけど、終わったら電気消して出ていってよ。
いえ、明かり入りません。
真っ暗なはずの部屋から聞こえてきたのは
驚くような美しいピアノの音色であった・・
というもの。
美しい曲というのが誰の何だったかという話は出なかったと思うし聞いたってわからなかったろう。
そしてそこには誰の曲かなんてわからない人間も圧倒するような音楽があったんだとも思う。
記憶としては若い兵士というイメージで徴兵され長くピアノを弾けないでいた愛好家が昼間ピアノの音を聴きたまらず・・
今思うとその真っ暗なというのはすごく弾ける人というのをこえてやっぱり職業的ピアニストだったのかなぁ・・と思ってみたり。
ロシア・・
その人の先生はスクリャービンから直接教わったようなとんでもない人だったとかもしかするとスクリャービン本人から教わった人だったとか・・と勝手に想像を膨らまして何の意味があるわけでもないけれど。
https://www.youtube.com/watch?v=7ClDFmFmr0k
こんな超絶爆低音とかじゃなかったと思うけど。
この人が弾くと難しい曲もものすごく簡単そうに見えて自分にもできるんじゃないかとおも・
実際そうは思わないけどそんな感じがある反面、やっぱり見せる芸も持ってる人で・・
毎晩七輪で焼いたイワシを食ってる頑固爺という風貌の先生だったけど、あの当時ピアノがあるような家の子だったのか。
ピアニストはその後どうなったんだろう?
再びピアノに触れられる日々に戻れたんだろうか?
満州とロシア人で検索すると思ってるのとは違う方面の話が押し寄せてくる。
聞いた時点で40年くらい前の話だったんだろうか
そこからから35年くらいたった。
無数にあったはずの夜を知る人はどんどんいなくなっていき、消えていく。

仕事で一度だけ行ったこのあたりは昔の満州の南の端あたりじゃないか
延々麦畑が広がっているようなところが驚くような短期間でどんどん都市化してゆく。
多くの人と同じくそれをそんなの張りぼてだとか言って馬鹿にするのは簡単だし、一部そう思う事もある。
仕事でかかわる数人だけだけど話している若い彼らはいちいち日本を馬鹿にしたりしない代わりに間違っても上に見たりはしない。もう終わった国で相手にしていないというところかもしれない。
先日もめた時、私たちは日本のように高い技術や精度を持ちあわせていないので・・
言葉の向こうにこいつらこう言っとけば喜んで黙るだろうと考えているのが透けて見える気がして笑った。
プライド自負自信って、関係ない他人にはなんの価値もなかったりするんだよね。
何が正しいかとかどっちが偉いかとかそんなのなんの役にも立たないし価値もない気がする。
全然行ったことのない私が言うのもおかしいけれど、いろんな国のいろんな人の所へ直接行ってみることは大事だと思う。
飛行機に乗りたくないとかコロナのおかげでどっかいかされなくてすむとか思ってる私は確かにもう終わった人ですね。

どちらかと言えば値上げ傾向だと思う世の中にあって値下げ的な改定か・・
すごいな。どうしちゃったんだろう?

何にも言ってないのに私の方のご飯が嫁さんの1.5倍くらいで持ってきてくれるところがいいですよね。
大盛なんて言えば嫁さんに怒られるんだけど、嫁さんは自分のが多いとこっちへよこしてくるので結局大盛になる。
いくつか聞いた昔の話を思い出せば、
腹いっぱい飯が食えるって、当たり前のようで大変ありがたいわけですよね。
たりない

飯でも食べに行くのが楽しみだけれど、前日から行きたい店のイメージがわかない・・
この日も今日はダメパターンかもなと最初から思ってた。
以前行ったら閉まってた店も連休なら・・
あ-close。
今日は多分このままこのパターンだなぁ。

でもまたしても景色もきれいだし空気も気持ちがいい。
久しぶりにあの店へいってみようと言ってみれば、中にお客さんはいて食器の音も聞こえるしまだすごくはやい時間なのにcloseの札。
風で裏返っちゃっただけじゃないかと思ってしばらく見てみるけど風に揺られるその札は裏返ってくれない。
まあいいやと車を走らせ時間も時間だしここでいいやと飛び込んだお店で

真鴨のローストは美味しかったけれどもう2品くらい頼まないと形にならないところかな。
形はいいとして量的に足りない・・
だけど金額的にちょっとできない感じなのがまただめね。
自分で選んどいていうのは間抜けだけどちょっと失敗しちゃったかなぁ。
食べながら嫁さんにこの後どこへ行きたいかを聞く。
無邪気に出てきた案は連休で人だらけなことが予想され流行りの話に関係なく人込みは嫌いなので消滅。
そのうち出てきたクレープ・・
ああそうね、あれ食いに行こう。
以前嫁さんが精神的トリガで過呼吸かなんかになった時、偶然見つけたクレープ屋でまた笑ってくれた。

牧場というか個人の農家がやってるこのお店、
いい意味でのバラック感も楽しい。
市街地っぽい光景の中にあるもがちょっと意外というか。
連休的な長蛇の行列みたいなのはなかった。

風よけにビニールを貼ったテラスからは富士山が見える。
どこかから隙間風が入って寒いけどそこはまあいいじゃない。
絶景じゃなくて普通の近所っぽい富士山なのがまたいいじゃない。
前回はバイトなのか高校生みたいな子が一人でやってた気がするけど今日はすごく勢いのあるおかみさん的な人と若手が二人?
多分一人は今日初めてくらいなんだろう、でっかい声でおかみさんがいろいろ教え込む声が聞こえる。
かなりきつく聞こえるのでいびり系かとも思ったけど言ってる内容は筋が通っており、やっぱり教えているというところか。

次の日だったか別な店でレジを打ってくれるのは若いというよりあどけないくらいの女性だった。
でも芯があるというかはきはきしていてなかなかいいななんて思っているとあることでレジ打ちが中断。
私を待たせたと思ったんだろう
申し訳ない
え?
聞き流しているともう一度中断が入り
もうしわけない・・
君はおっさんか
客に向かって社長みたいな彼女もどこかで聞いた言葉をそのままおいてしまうんだろう。
誰か教えてあげてなんて思わないでもないけど今、教えたりするとパワハラだなんて言われる時代の影響はあるだろうか?
あんまりそんなことばっかりやっているといずれこの国はなくなっちゃうんじゃないかと思ったり・・は、
歳くったんだろうなぁ俺が。

私が頼んだサラダスペシャルというのは甘くない系のいろんなメニュー全部乗せみたいなやつだ。
とりあえず見えているチーズの先には大量のツナとかソーセージとかコーンとかハムとか・・がマヨネーズにまみれて出現する。
https://www.youtube.com/watch?v=3_-RSnw8sK4
カロリー過多っぽいけどさっきの昼めしが足りなかったしいいでしょ。

美味しかったし。
家族連れみたいなお客さんが車でやってくる。
でもみんな食べてかないで車に戻っちゃうのね。
遠方からの観光客というよりみんな地元の人のようにも見えた。

あれ麦かな。
クレープってのも嫁さんがいなかったら食わなかっただろうなぁ。
美味しかったし空腹も満たされました。
ありがとう。
そうなっちゃう人の旅

これを書きだした日はすごく寒かった。
なんとなく始まってた重い首コリは予感の通り舌にできる口内炎を呼ぶ前奏曲みたいなもので、昨年から見え隠れするようになった足の湿疹も久しぶりに出てきていることに気付く。
この数日諸刃の上を歩き落ちればその先は堕落して死みたいな思考が充満していることも関係してるかなと感じる。
湿疹ですんでいるうちはいいけれど、そのうち癌細胞なんかが出てくるようになるのかもしれないと思ったりして。
死にたくない理由を見つけたのでそんなもん出てこないでください。

結構前、冬も終わる遠くのある場所。
テレビがまだアナログだ。
アナログが停波する瞬間を見てたけど、にぎやかな人の声がいきなり無機質なノイズに変わっちゃったのを見て取り残されたような寂しさを感じたりして。
滅亡に向かうこの星から出る最後の船には5人しか乗れない。
ここにいるのは6人、誰か一人が残らなければならない・・
戸が閉まって飛び立ってゆく宇宙船を一人見ているのは
自分。
窓から私を見下ろす顔・・えっ?・・笑ってる?
何度も書いてる気がするけど弱って腐ると人間界はこんな世界感だったりして。
多分笑ってんのは一番親身になってくれて心で話せるとか思ってたような人。
同時にお前は出ろと締め出された防空壕を爆弾が直撃するのを見たという実談も思い出す。そのまた逆もあったかもしれない。
言っても私を支配してるのは表面的な恥辱感かなんか程度なのであってほんとに何があるべき姿なのかはまた別なのか。

鳥もつラーメンというのが名物だったような。
飾って見せることもなく素朴だけど美味かった。
向かいに味噌屋か納豆屋さんがあって納豆汁の元かなにかを買ったような記憶が。
世間話じゃなくどれを買うかちょっと相談したくらいだけどどこでも誰とも全く話さないのでいちいち覚えてる。

また一人電車に乗る。
どこへ何かの目的でという事もない。
昔ネット上で何をみていた時だったかある人がある人へ「一日中電車に乗ってるだけの癖に!」という言葉を浴びせていた。
最大級の軽蔑の意を示していると思われるそれは同じように見た「楽器もできないくせに」と同様に気にする必要はないはず。
なのにいつまでも引っかかっているのは誰に何を言われたかに関係なく、自分で勝手にかかえたコンプレックスの束を励磁させられるからでしょうね。

もう春が見えていたけど峠にはたくさんの雪が残っていた。
全然関係ない昔の写真を並べ何書けるかなとこれを書きだした日のあたり、
ある出来事で俺は心底人から逃げたいんだなと思った。
情けなく間違ったそれはもう変えられない気もする。
そうなりたくなかったとかなぜそうなったかとかは置いといて私は物心がついたあたりから常に一人でいた私は、40になった時今からでも遅くない変えるんだと人のいる世界へ入っていこうとした。
書けば馬鹿にされるだけであるけど、羽根のないのが鳥をまねて飛び込めば落ちる。
どれも挫折して逃げたわけだけど、その後も心のどこかにいずれまたみたいな気持ちがあった。
正直に言えば楽器に挑戦にも音楽がしたいという純粋な気持ちの他にいずれ人のいるところへみたいな気持ちもあったかもしれない。
でも、お前ちがうよと思うようになった。
峠を降りると

平野を進み・・・
何が言いたいかというと今はもうそれを嘆こうとか直そうとか言う気はなくて
それで何ができるかを考えやらないともう時間もないと思っているということかなぁ。

横手で焼きそば。
強く推してくるんじゃなくて求めればそこにあるみたいな優しい味。
2回くらい行ったんだったか、どのお店のもおいしかった。

高効率化でラッセル車っていうのもなくなってるんじゃなかったっけ。
雪なんか降らないところに住んでるとああいうのを見るのは珍しい仏像かなんかを見るのと同じインパクトがあって。
手前のポイントの融雪設備とかも。
見聞を広めるってのは関わり聞き話しということであって、無言で眺めて回るのというのはちがうだろうけど。

これなんだろう?
偶然できた景色?
https://www.youtube.com/watch?v=sS5f_f7_7xs
冷たく孤独な‥旅。
最後にたどり着いたところではなにか鐘がなってる。
これでいいんだというところへたどり着けたんだろうか?
ホロヴィッツの演奏はドラマみたいなのを乗せて聴かせてくれるから・・
ネットを見てたらそこを馬鹿にしてるような人を見つけた。
3行程度か読んだその主張からいかにも「楽器もできないくせに」なんて言いそうな人だなと‥
昔ある人から聞いた「人を嫌いにならない方がいい」は重い言葉だと思う。その人のことをすでに嫌いになっちゃってたけど。

私には素敵な車窓、素敵な旅。
でも一日中列車に乗っているだけ。
誰とも一言も話さないし、なにもしない。
11年前だからこの頃・・気が付けば私も一つ歳をとって46である。
誰とも接することなく何にもしないので極度の世間知らずであると思う。
思春期くらいに知るようなことを知って衝撃を受けたのがつい最近だったりする。

この駅には温泉があり、寄っていった。
財布を入れたコインロッカーの施錠を忘れたまま風呂に入っていたことに気付いたのは出てきてからだった。
鍵が差しっぱなしで半開きな扉を開けると思い切り見えている財布以下手つかずで無事だった。
世の中捨てたもんじゃない・・違うよそれは偶然そうだっただけ。
神様ありがとう。
次の列車までかなり時間があったので駅の周りを歩いてみたけれど人の一人にも出会わず車の走ってるのもみなかった。
川は下流にダムがあるのか湖のようになっており、水面にはかなり前にダンプか何かから捨てられたんだろう雪の塊がそのままの形で止まってしまっていた。
なんか身も心も寒く、寂しくむなしかった。
温泉場には人がいたんだから誰かに話しかけてみるとか・・そんなオプション全くなかった。

仙台で牛タン。
どっか駅ビルの安価な店だったと思うけれど私にはこれで十分。
これで帰らず次の日はまた別なところへ向かったけれどもういいか。

これと冒頭の富士山の写真をパソコンに送る際ケーブルを差すのも面倒なのでメールで送っ・・
届いてないので確認するともう二度とお会いすることのない人のところへ御送信していた。
ほんとに誰とも付き合いがないのでずっと以前に送った送信履歴が出てきて押しちゃってんの。
間違いを詫びるメールを送るのもどうか・・
まあいいか。
で結局何が言いたいのかというと、
今の自分が嫌じゃないし微弱ながらこの先に希望みたいなものがあって今日も生きてます。
いきててよかった
休講の影響で2週連続して楽器のレッスンに行った。
最初の音出しで先生が
うん!
その後曲を演奏して楽器のレッスンらしいレッスンが続く
こんなの誰にも通じないだろうけど、溺れながら遠くに見ていた絶対に届かない岸にたどり着けて乗れた。
実際はここからやっと歩き始めるというところだろうけど
私には歩く資格がなく沈んでしまえとどこかから言われているのかと思ってた。
生きてきてよかった。

嫁さんと行った店でお汁粉を食った。
嫁さんはお汁粉が大好きらしい。
お店の人にこれなんですかと聞くと付け合わせみたいなのはしその実の塩漬けだそうだ。食べると塩気だけじゃなくてしその香りがして素敵。
甘いお汁粉をゆっくり食べてホッとする。
お汁粉なんて、嫁さんがいなければ一生食わなかっただろうなぁ。

晴れた摩周湖を見ると結婚できないだっけ?
何度も見たけど結婚はできた。いろいろ間違ってるとこもあるけれど、私という人間を知っている私からすれば唯一の奇跡みたいなもので・・・
のろけを書きたいんじゃなくて、またいつものように自虐を書こうとしていたところそういうのやめろという声が聞こえてきたから。
凍結した摩周湖を見てみたかったけれどかなわなかった。
代わりにじゃないけど、

凍ったサロマ湖は見ることができた。
凍った湖を見れば乗ってみたくなりちょっと歩いてみる。
一見厚くびくともしないように見える氷は雪が積もってよくわからないけれど
ほんとにそうなのかはわからない。
落ちれば死ぬだろう。
死ぬだけじゃなく誰にもずっと気づかれないかもしれない。
それは困るし嫌だと思ってた。
死にたくないと思えることはとりあえず生きてくことの基本だ。

凍ってしまった海も見た。
雪も振らないようなところに住んでいると海が凍ってるというのは衝撃的な光景であり・・波の静かな湾の中だからかもしれないけど。
ここでも落ちたら死ぬなとか思いながら氷の上を歩いた。
会社員生活もいいときはいいけど毎日綱渡りな上に突然罠が出てきたり・・
落ちたら終わり・・・とこのあたりを書いてる日はそんな気分だった。

凍った河も見た。
海にそそぐところ。
夏に来た時、水鏡になっててとても綺麗だった。
そして今も綺麗。
誰もいないはずなのになんか背後から音が聞こえてくるので
えっヒグマ?とか思いながら。
熊って冬はどっかに潜って寝てるんだっけ?いつ頃出てくんだろう?
あのころカフェなんて言ってなかったし、来た以上できるだけいろんなところに行って景色を見てかなくちゃ時間がない茶なんか飲んでる場合じゃない・・とかそんなだった。
日本離れした景色を窓の外に遠く眺めながらお茶を・・とかもいいかもしれない。
でもあんなとこにそんな店なんかあったのかな。

いつか、こんな景色を窓の外に眺めながらお茶を飲み
一日ぼーっとしてみたい。
https://www.youtube.com/watch?v=CWJddnQBrS8
こんなの聴きながら。
こんなの弾きながらだったら素晴らしいけれど。
スクリャービンもロシアの人だしこんな景色を見ながら育ったのかな?
最後はリアル変態になっちゃったけど。
事情を抱えた貴族の育ちでとかで自然なんか目に入んなかったかな。
彼のいろんな曲をちゃんと聴いていればこんなことは書かないはず。
今までスクリャービンなんかほとんど聴いてなかった。
変態化する前の曲を聴いてみると結構いいと思うし、変態化後にも!?と思える曲があるような気がする。
気が向いたときに聴いて一つでも深く知る曲が増えればいけばいいと思う。

ずーっと見てるこういう時何を考えてるのかな?
まぬけそうなやつだなとか思ってんのかな。
最初の音出しで先生が
うん!
その後曲を演奏して楽器のレッスンらしいレッスンが続く
こんなの誰にも通じないだろうけど、溺れながら遠くに見ていた絶対に届かない岸にたどり着けて乗れた。
実際はここからやっと歩き始めるというところだろうけど
私には歩く資格がなく沈んでしまえとどこかから言われているのかと思ってた。
生きてきてよかった。

嫁さんと行った店でお汁粉を食った。
嫁さんはお汁粉が大好きらしい。
お店の人にこれなんですかと聞くと付け合わせみたいなのはしその実の塩漬けだそうだ。食べると塩気だけじゃなくてしその香りがして素敵。
甘いお汁粉をゆっくり食べてホッとする。
お汁粉なんて、嫁さんがいなければ一生食わなかっただろうなぁ。

晴れた摩周湖を見ると結婚できないだっけ?
何度も見たけど結婚はできた。いろいろ間違ってるとこもあるけれど、私という人間を知っている私からすれば唯一の奇跡みたいなもので・・・
のろけを書きたいんじゃなくて、またいつものように自虐を書こうとしていたところそういうのやめろという声が聞こえてきたから。
凍結した摩周湖を見てみたかったけれどかなわなかった。
代わりにじゃないけど、

凍ったサロマ湖は見ることができた。
凍った湖を見れば乗ってみたくなりちょっと歩いてみる。
一見厚くびくともしないように見える氷は雪が積もってよくわからないけれど
ほんとにそうなのかはわからない。
落ちれば死ぬだろう。
死ぬだけじゃなく誰にもずっと気づかれないかもしれない。
それは困るし嫌だと思ってた。
死にたくないと思えることはとりあえず生きてくことの基本だ。

凍ってしまった海も見た。
雪も振らないようなところに住んでいると海が凍ってるというのは衝撃的な光景であり・・波の静かな湾の中だからかもしれないけど。
ここでも落ちたら死ぬなとか思いながら氷の上を歩いた。
会社員生活もいいときはいいけど毎日綱渡りな上に突然罠が出てきたり・・
落ちたら終わり・・・とこのあたりを書いてる日はそんな気分だった。

凍った河も見た。
海にそそぐところ。
夏に来た時、水鏡になっててとても綺麗だった。
そして今も綺麗。
誰もいないはずなのになんか背後から音が聞こえてくるので
えっヒグマ?とか思いながら。
熊って冬はどっかに潜って寝てるんだっけ?いつ頃出てくんだろう?
あのころカフェなんて言ってなかったし、来た以上できるだけいろんなところに行って景色を見てかなくちゃ時間がない茶なんか飲んでる場合じゃない・・とかそんなだった。
日本離れした景色を窓の外に遠く眺めながらお茶を・・とかもいいかもしれない。
でもあんなとこにそんな店なんかあったのかな。

いつか、こんな景色を窓の外に眺めながらお茶を飲み
一日ぼーっとしてみたい。
https://www.youtube.com/watch?v=CWJddnQBrS8
こんなの聴きながら。
こんなの弾きながらだったら素晴らしいけれど。
スクリャービンもロシアの人だしこんな景色を見ながら育ったのかな?
最後はリアル変態になっちゃったけど。
事情を抱えた貴族の育ちでとかで自然なんか目に入んなかったかな。
彼のいろんな曲をちゃんと聴いていればこんなことは書かないはず。
今までスクリャービンなんかほとんど聴いてなかった。
変態化する前の曲を聴いてみると結構いいと思うし、変態化後にも!?と思える曲があるような気がする。
気が向いたときに聴いて一つでも深く知る曲が増えればいけばいいと思う。

ずーっと見てるこういう時何を考えてるのかな?
まぬけそうなやつだなとか思ってんのかな。
白檀
なにしろ嫁さんへの配慮を怠ったらいけないと思う。
ちゃんと説明をして承諾を得たので楽器の体験レッスンみたいなのを申し込みたい旨連絡した。
今やり取りしているのは多分営業みたいな立場の人だろうから非常に丁寧な返事が返ってきて。商売だもんね。
でもその先はもうそんな話じゃないよな。
またしくじるとみっともないからブログには書かないようにしようと思ってた。
だけどみっともないところを隠すとほとんど何にもなくなっちまうんだからさ。
これは先週。
息子さんが相撲取りで・・・大盛ですごいみたいなお店に行ってみた。
以前なら何も考えずにとんかつ定食を頼むところだけれど、揚げ物はやめといたほうがいいなとか考えるおっさんになってしまった。

焼肉定食は、あー確かに量多いかな。
でも勢いに乗って無理なく食っちゃえる量ではありますよね。
炭水化物を控えろと言われている私にとってはご飯じゃなくておかずが多いところに好感が持てた。
しかし、嫁さんが食べきれなかった分が回ってくるとさすがになかなかの手ごたえとなった。

ご飯残すなとか書いてあるし。
それはそうですよね。
大盛がうたい文句のお店に来といて残しちゃいけない。
お金払ってるでしょとかそういう問題じゃないよね。
ここの特徴は底抜けに明るい店主ご夫婦なんでしょうね。
何とか御膳みたいなのじゃなくどんぶり飯とみそ汁と・・みたいな定食屋が好きなんだけど気が付けばあんまりなくなっちゃいましたね。
ドラッグストアに行ったら

白檀の香りと言うトイレットペーパーがあった。
一つ手にとって匂いを嗅いでみると、吉野山の金峯山寺のあの世界に呼び戻されたような気になった。
あの時、立ち込めたお香の香りでトリップとまではいわないけれど不思議な気分になっていた。
あれがリアル白檀の香りなのかな?
嫁さんに買う?と言ったら怒られた。
正倉院にあって信長他時の権力者が切り取って焚いたとかいう香木はなんだっけ?
千年以上たった今でも焚けば香りがするんだろうか?
もうなんか抜けちゃってただの木だったりするのかな?
あれはどこかに流れ着いたとかいう話なんだっけ・・
なんでそんなもんが流れてきたんだろう。
積んだ船が沈んでとかだったのかな・・

海でも見ましょうか。

香木流れ着いてないか?
青いねー
お香といえば
ロシアにスクリャービンという作曲家がいました。
この人もすぐれたピアニストだったけれどテクニックの追及をしすぎて手を痛めたんだったっけ?
途中から変な神秘主義とかいうのに傾倒しリアル変態みたいになっていったらしく、作品もそういう変化をしていきます。
晩年の交響曲なんかでは演奏会場をお香の香りで満たすとかなんとかやったらしい・・宗教的行事に見立ててるんでしょう・・
法悦の時とかプロメテとかいう大規模オーケストラとピアノの曲が有名ですが私には全然理解できません。
でもこの
https://www.youtube.com/watch?v=WlqGkVc29Gw
「焔に向かって」という曲はよくわからないけれどシンプルな何かがすごみを伴って一直線に突き進んでゆく・・
訳の分からなさがかえって分かりやすさにつながっている・・なにいってんだ。
この曲はとりあえず聴けるなあ・・なんて思っているといつしか聴き入っていて、突然終わっていく・・
焔というのは世界の終焉を示しているという解釈もあるようですが、なんかこう自分というものは最後究極的には物質的なものを離れ光に昇華していく・・みたいにも聴こえる。
私はまだ光になんかなりたくなくて人間として生きていたい。
海の近くのカフェ。
先日は駐車場いっぱいで入れなかったけれど今日はたまたま一台空いている。
すぐ後から来た一台は中からえ?何停めてんのみたいな顔で。

このシフォンケーキ、見た目は食パンみたいだけどすごくおいしいんだよ。
シフォンケーキってこういうものなのか!っと私に教えてくれた。
これに比べるとよくその辺で出てくる奴はみんなスポンジケーキ。

あの一台はおもいきり路駐してた。
やったもん勝ちだもんね。
俺はそんなに勝ちな人にならなくていいよ。
今日は何にもないまま終わっちゃうなぁ‥
いや、違うよ。
多分なくなってみれば痛感するんだと思う、こんなのが一番大事な時間。
今、大きな不安材料が目の前にあるため何を考えても重しが乗ったような気持ちになりがち。
負けてるじゃねーか。
こんな気分でいつづけるのは嫌なので早く体当たりしてつぶしてしまいたいけれど自分が仕切れる話じゃない。
まあしょうがない。
楽器というか音楽、やりたいなぁ・・・ひとの100分の1くらいの速度でもいいから・・
ちゃんと説明をして承諾を得たので楽器の体験レッスンみたいなのを申し込みたい旨連絡した。
今やり取りしているのは多分営業みたいな立場の人だろうから非常に丁寧な返事が返ってきて。商売だもんね。
でもその先はもうそんな話じゃないよな。
またしくじるとみっともないからブログには書かないようにしようと思ってた。
だけどみっともないところを隠すとほとんど何にもなくなっちまうんだからさ。
これは先週。
息子さんが相撲取りで・・・大盛ですごいみたいなお店に行ってみた。
以前なら何も考えずにとんかつ定食を頼むところだけれど、揚げ物はやめといたほうがいいなとか考えるおっさんになってしまった。

焼肉定食は、あー確かに量多いかな。
でも勢いに乗って無理なく食っちゃえる量ではありますよね。
炭水化物を控えろと言われている私にとってはご飯じゃなくておかずが多いところに好感が持てた。
しかし、嫁さんが食べきれなかった分が回ってくるとさすがになかなかの手ごたえとなった。

ご飯残すなとか書いてあるし。
それはそうですよね。
大盛がうたい文句のお店に来といて残しちゃいけない。
お金払ってるでしょとかそういう問題じゃないよね。
ここの特徴は底抜けに明るい店主ご夫婦なんでしょうね。
何とか御膳みたいなのじゃなくどんぶり飯とみそ汁と・・みたいな定食屋が好きなんだけど気が付けばあんまりなくなっちゃいましたね。
ドラッグストアに行ったら

白檀の香りと言うトイレットペーパーがあった。
一つ手にとって匂いを嗅いでみると、吉野山の金峯山寺のあの世界に呼び戻されたような気になった。
あの時、立ち込めたお香の香りでトリップとまではいわないけれど不思議な気分になっていた。
あれがリアル白檀の香りなのかな?
嫁さんに買う?と言ったら怒られた。
正倉院にあって信長他時の権力者が切り取って焚いたとかいう香木はなんだっけ?
千年以上たった今でも焚けば香りがするんだろうか?
もうなんか抜けちゃってただの木だったりするのかな?
あれはどこかに流れ着いたとかいう話なんだっけ・・
なんでそんなもんが流れてきたんだろう。
積んだ船が沈んでとかだったのかな・・

海でも見ましょうか。

香木流れ着いてないか?
青いねー
お香といえば
ロシアにスクリャービンという作曲家がいました。
この人もすぐれたピアニストだったけれどテクニックの追及をしすぎて手を痛めたんだったっけ?
途中から変な神秘主義とかいうのに傾倒しリアル変態みたいになっていったらしく、作品もそういう変化をしていきます。
晩年の交響曲なんかでは演奏会場をお香の香りで満たすとかなんとかやったらしい・・宗教的行事に見立ててるんでしょう・・
法悦の時とかプロメテとかいう大規模オーケストラとピアノの曲が有名ですが私には全然理解できません。
でもこの
https://www.youtube.com/watch?v=WlqGkVc29Gw
「焔に向かって」という曲はよくわからないけれどシンプルな何かがすごみを伴って一直線に突き進んでゆく・・
訳の分からなさがかえって分かりやすさにつながっている・・なにいってんだ。
この曲はとりあえず聴けるなあ・・なんて思っているといつしか聴き入っていて、突然終わっていく・・
焔というのは世界の終焉を示しているという解釈もあるようですが、なんかこう自分というものは最後究極的には物質的なものを離れ光に昇華していく・・みたいにも聴こえる。
私はまだ光になんかなりたくなくて人間として生きていたい。
海の近くのカフェ。
先日は駐車場いっぱいで入れなかったけれど今日はたまたま一台空いている。
すぐ後から来た一台は中からえ?何停めてんのみたいな顔で。

このシフォンケーキ、見た目は食パンみたいだけどすごくおいしいんだよ。
シフォンケーキってこういうものなのか!っと私に教えてくれた。
これに比べるとよくその辺で出てくる奴はみんなスポンジケーキ。

あの一台はおもいきり路駐してた。
やったもん勝ちだもんね。
俺はそんなに勝ちな人にならなくていいよ。
今日は何にもないまま終わっちゃうなぁ‥
いや、違うよ。
多分なくなってみれば痛感するんだと思う、こんなのが一番大事な時間。
今、大きな不安材料が目の前にあるため何を考えても重しが乗ったような気持ちになりがち。
負けてるじゃねーか。
こんな気分でいつづけるのは嫌なので早く体当たりしてつぶしてしまいたいけれど自分が仕切れる話じゃない。
まあしょうがない。
楽器というか音楽、やりたいなぁ・・・ひとの100分の1くらいの速度でもいいから・・
山間で
アートなカフェはおいしかった。
油レスな感じなので胃もかるい・・調子に乗ってもう一軒いこうスイッチが入ってしまった。
近くの大きな川に沿って山の方へさかのぼっていく。
途中で脇道に入りさらに登る。

いい景色になってきた。
日の光が透けてお茶の新芽がきれい。
こんなのを見ると幸せな気持ちになってきますね。

藤の花。
石垣、詰んだの100年以上前でしょう?
もっと前だったりして・・
何だかいい感じになってきた。
ちょっと行くと集落の入り口みたいなところに大きな地図看板が。
この集落を上げて人を呼ぼうみたいな意気込みが・・
カフェはそのすぐ先に。
注射後上は別なお店と共用・・多分誰かの土地。
これから行くカフェに集落を挙げての観光化の象徴みたいな感じかなこれ。

大きな農家の
その庭にある建物が

カフェになってる。
このあたりの農家はみんなお茶をひくためのお茶工場みたいなものを自分の庭先に持っていたんだそうです。
そういわれてみるとかなりくたびれていたりするけど周りのどの家にも同じような小屋が残ってる。
入ってみると店員さんの人当たりの良さというか人を大事にしてくれる感がすごくて驚く。
おしゃれカフェはいっぱいあるけど、最近ないよこういうの。
スクリャービンのエチュード
昨日のソナタとは全然違いますね。まだ変態化していません。
なんかそのへんに置いときたいようないい曲でしょう?
私は4月限定タケノコのピザ・・が良かったんだけど嫁さんの意向も聞いて

リンゴとシナモンの・・
おいしかったよ。
敷いてある紙にはこのあたりのことがかわいらしいイラストとともに描かれてあった。
地域愛と誇りと・・こういうのどこか違うとこでも見たけどいいよね。

コーヒーも。
このコーヒーし苦みを感じながらでもおいしかったよすごく。
私はミルクと砂糖入れて飲んじゃうような人だけど、なんとなく味が違うと思う事も時もあります。

ボーっとゆっくりしてたらお水持ってきてくれて・・
レモンが入ってるんだね・・

窓の外はお茶畑の緑。
帰り際にお店の人が嫁さんにピザの石窯焼き体験とかイベントやってるんですよと説明してくれて。
Facebookかインスタ見てくださいねみたいな。
ああいうのってリアル自分出してやってるんでしょう?
私にとってはものすごい壁がある気がする。
私の名を知る人に私のことを少しも知ってほしくない。
私の知っている人のことを少しも知りたくない。
この際エチュードをもう一曲・・・この曲は左手の動きを見ながら聴く曲だと思う。

私は弾けないんだから見たってしょうがないんだろうけどこの左手のあっち行ったりこっちいたりしている楽譜の景色は見て楽しい。
曲想は楽しい曲じゃないけど。
弾ける人に言わせればこんなの何でもないですよとかいうんだろうけど関係ない。
私が面白いと思ったらもうそれでいいの。
そういう楽しみ方ばかりではすぐ飽きるけれど。
このお茶の谷をさかのぼる道はまだしばらく続いていそうだった。
でも地図を見るとその先で山に阻まれて行き止まりのようだ。
人生は戻ることのない一筆書き。
ここにいる間は幸せなひと時でした。
私はそういうのがすぐになかったことになっちゃうので、こうしてブログに書いて自分で読むことにします。
私は幸せです。

隣。
あの家は実はカレー屋さんらしい。
いつか食べにこよう。
ここも良いところだった。
油レスな感じなので胃もかるい・・調子に乗ってもう一軒いこうスイッチが入ってしまった。
近くの大きな川に沿って山の方へさかのぼっていく。
途中で脇道に入りさらに登る。

いい景色になってきた。
日の光が透けてお茶の新芽がきれい。
こんなのを見ると幸せな気持ちになってきますね。

藤の花。
石垣、詰んだの100年以上前でしょう?
もっと前だったりして・・
何だかいい感じになってきた。
ちょっと行くと集落の入り口みたいなところに大きな地図看板が。
この集落を上げて人を呼ぼうみたいな意気込みが・・
カフェはそのすぐ先に。
注射後上は別なお店と共用・・多分誰かの土地。
これから行くカフェに集落を挙げての観光化の象徴みたいな感じかなこれ。

大きな農家の
その庭にある建物が

カフェになってる。
このあたりの農家はみんなお茶をひくためのお茶工場みたいなものを自分の庭先に持っていたんだそうです。
そういわれてみるとかなりくたびれていたりするけど周りのどの家にも同じような小屋が残ってる。
入ってみると店員さんの人当たりの良さというか人を大事にしてくれる感がすごくて驚く。
おしゃれカフェはいっぱいあるけど、最近ないよこういうの。
スクリャービンのエチュード
昨日のソナタとは全然違いますね。まだ変態化していません。
なんかそのへんに置いときたいようないい曲でしょう?
私は4月限定タケノコのピザ・・が良かったんだけど嫁さんの意向も聞いて

リンゴとシナモンの・・
おいしかったよ。
敷いてある紙にはこのあたりのことがかわいらしいイラストとともに描かれてあった。
地域愛と誇りと・・こういうのどこか違うとこでも見たけどいいよね。

コーヒーも。
このコーヒーし苦みを感じながらでもおいしかったよすごく。
私はミルクと砂糖入れて飲んじゃうような人だけど、なんとなく味が違うと思う事も時もあります。

ボーっとゆっくりしてたらお水持ってきてくれて・・
レモンが入ってるんだね・・

窓の外はお茶畑の緑。
帰り際にお店の人が嫁さんにピザの石窯焼き体験とかイベントやってるんですよと説明してくれて。
Facebookかインスタ見てくださいねみたいな。
ああいうのってリアル自分出してやってるんでしょう?
私にとってはものすごい壁がある気がする。
私の名を知る人に私のことを少しも知ってほしくない。
私の知っている人のことを少しも知りたくない。
この際エチュードをもう一曲・・・この曲は左手の動きを見ながら聴く曲だと思う。

私は弾けないんだから見たってしょうがないんだろうけどこの左手のあっち行ったりこっちいたりしている楽譜の景色は見て楽しい。
曲想は楽しい曲じゃないけど。
弾ける人に言わせればこんなの何でもないですよとかいうんだろうけど関係ない。
私が面白いと思ったらもうそれでいいの。
そういう楽しみ方ばかりではすぐ飽きるけれど。
このお茶の谷をさかのぼる道はまだしばらく続いていそうだった。
でも地図を見るとその先で山に阻まれて行き止まりのようだ。
人生は戻ることのない一筆書き。
ここにいる間は幸せなひと時でした。
私はそういうのがすぐになかったことになっちゃうので、こうしてブログに書いて自分で読むことにします。
私は幸せです。

隣。
あの家は実はカレー屋さんらしい。
いつか食べにこよう。
ここも良いところだった。
アートな古民家
訳のわかんない心配で暗くなってるくらいなら楽しく飯でも食いに行った方がいい。
近いと思ってたら高速代が予想以上でへこみながら・・

こういうの大丈夫だと思ってると下の方でガガガ!とかいったりしますね。
あの先を曲がると

古民家って築200年の茅葺で・・とかだと思っていたけど最近はちょっと古けりゃ古民家なんですよね。
どっかのおばあちゃんの家みたいな古民家。
狭いところで切り返して車の向きを変えてたら中の人が出てきてそこでいいですよ・・
あっいい人そうだ・・

外に電気釜があったり・・
陶芸家のアトリエのようです。
カフェもやってますという感じなのかな・・
主人作(夫婦でかな?)の陶芸作品がたくさん展示してある。
素人にも受け入れやすいものもたくさんあってなかなか良かった。
この日は主人がほれ込んだ?らしい現代美術作家の個展をやっているとのことで前衛的な作品が建物の中を埋め尽くしていました。値札もついていて気に入った人は買えるんでしょう。
前衛もいろいろですが正直私にはその良さがわからない感じ。
見返すとあえて避けたようにその写真が一枚もないのが私の素直な感想だと思う。
音楽にも現代音楽みたいな世界があって私には意味不明なことがほとんどです。
しかしこれまで訳の分からないと思っていた音楽の中身が急に見えたりしたことがあります。
そして今はかけがえのない大切な音楽だったりする。
だから目の前にあるものが意味不明であったとしてもそれに意味や価値がないと決めつけてはいけないと思っている。
自身優れたピアニストでもあったらしいスクリャービンというロシアの作曲家がいます。
ラフマニノフと同期かなんかだったと思う。
初めのころの作品は非常にロマンチックでみんな大好きな感じの曲を書いていましたが、ある時期から神秘主義みたいな妙な思想に傾倒したりして作品や音楽家としての活動も変態化していきました。
最後のほうの交響曲かなんかが有名ですがいまのところ私には理解不能です。
ta
ピアノソナタ第10番。
たまたま持っているホロビッツのスクリャービン集に入っているのでなんとなく。
この曲について検索すると作者が言ったという言葉が出てきますが
「私の第10ソナタは昆虫のソナタである。 虫たちは太陽から生まれる。 彼らは太陽の接吻なのである。」
だそうです。
こういうのはちゃんと共感できればいいけれど、訳のわかんないままうなずいたりしたら負けだ。
序奏からいっちゃってる感じがする・・・

序奏の最後出てくるこの怪しく輝く和音とトリルは如何にも後期のスクリャービンだなという気がしますね。
この世に生きる者どもよ聞け!みたいな・・
ここからテンポアップするのでここまで序奏、ここからソナタ形式の提示部に入るよというところなんでしょう。
訳の分かんないい感じのお第一主題の後音楽はトリルにあるれている。
いかれていると思った序奏の大可上げで主部が解りやすく聞けていることに気付いたりもする。
えっこれが第2主題かな?とか思っていると序奏がかえって来てここから展開部だよと分かりやすく教えてくれる。
ぶっ飛んでいる音楽のようで実はベートーベン的なルールをしっかり守っており、ただのいかれたナルシスト芸術家じゃないと感じたりして。
このソナタはトリルソナタと呼ばれているようですがそのトリルはどんどんエスカレートして最後は七色の光が爆発したような世界を見せます。
この世の自然も命も太陽の光も、時間も・・すべての存在はエネルギーなのだ・・それは光だ・・
みたいなことを言ってるんじゃないかと思うんですよね。
音楽って自然や人の恋や生き死にを表すものだけれど、その究極は宇宙を描くことだ。
芸術家が作品を通して描こうとする宇宙と、理論物理学者が数式で表現する宇宙が最終的に一致したらすごいですよね。
俺も調子に乗って何言ってんだ。
玉虫色に輝く神秘トリルがさく裂しクライマックスに達すると

突然あのお告げトリルが登場。
この世の全てのものよ聞け!
そしてまたAllegroに・・
実は聴き手へ解りやすく伝えるための配慮が考されているような気もする。
クラシック音楽をいろいろ聴いていますが、いきなりいいなぁと思える曲ばかりじゃありません。
むしろそんなことはあんまりない。
最初は聴いても訳が分からないものなんですよね。
それは多分クラシックを聴かないか大嫌いな人がクラシックを聞いたときに感じる訳の分からない騒音・・みたいなのほぼ同じです。
私も生まれたときからクラシックが好きだったわけじゃないからそう感じていたことがあります。
でもそこを無理やり聞いていると訳の分からない真っ暗闇の中にぽっと灯台というか目印みたいなものが光って見えることがあるんですね。
そうするとそのあたりは照らされて様子が見えるのでそこだけでも聞こうという気がしてくる。
そんなこととをやっているとそのうちその明かりの間にあった訳の分からない闇に何があるのかが見えてくる・・・
という感じで曲の内容が見えてきて好きになっていったりするんですけどね・・
この曲に関してはまだその途中。
あっもう一回聴いてみようかなと思ったら脈があるかな。
ピアノを弾く人は楽譜を読んでこの音楽はこういうことを言ってるんだというのを感じてそれを表現しよう・・とやるんでしょう。
今じゃ有名曲だけど何のヒントもないときにこれを見て感銘を受け演奏しようとした演奏家たちがいたんですよね・・
すごいよな。
私は知っている曲なら楽譜を眺めて喜べるけど、知らない曲をで眺めても音はならない。
弾けないながらに何か鳴らしてみればこういう曲かな?というのは出てくるけどまず弾けない。
自分が弾けなくても誰かが弾いてくれたのを聞けばいいんだからいいけれど、
自分で感じて弾いてみるというのをやってみたかった。

明り取りの窓っていいな。
天上がないのは昔からかな?
わざと天井を外して演出してる感じの古民家カフェもたくさん見ますよね。
ここはそういうのには関心がなさそうか・・
土壁と・・

どこでも好きな席にといわれたので奥の部屋へ・・
窓の外は竹藪?

お任せランチというのを頼んだら今日はわかめとタケノコのご飯。
うらの裏が竹やぶになっておりましてぇ・・すぐ湯がいたので・・。
これシンプルだけどおいしかった。

豆腐にゴマがかかったのとホタテの吸い物と・・
こういうものばっかり食べてたら心はともかく体は浄化されそうですね。
どうしても肉とか砂糖食っちゃうけど。
帰り際、主人夫婦と少し話す。
車のナンバーでちょっと遠くからなのがわかったらしく
SNSで?と聞かれる。
SNSなんか苦手で全然できないと答えるのも変なのでそうですとか言って・・
どこもかしこもSNSだ。別にSNSが悪いものだなんで少しも思わないけど私は人間とうまくやれないことを突きつけられるのが怖くてやれない。
私には多分SNSもいろんな人と楽しくやるということも一生できないかもしれない。
でも今理解できないスクリャービンの変態曲のいくつかは好きになるかもしれない。
今日も別な作曲家のもやがかかったように思えていたある曲のスコアをみたらパーッと霧が晴れたような気がした。
少しいいこともあるから。
雰囲気的に多分、こちらがその気になればずっと話ができた気もする。
でもちょっと私が逃げ気味で・・
苦労もあるのかもしれないけれど自分のやりたいことをやれる人生は羨ましい。
人を羨んでばかりいると自分は暗くなるのでいけないいけれど。
タケノコおいしかったと言ったら二人ともすごく喜んでくれたのが忘れられない。
やっぱり最高のごちそうは人とのやり取りなんだろうね。
私は苦手だけれど。
近いと思ってたら高速代が予想以上でへこみながら・・

こういうの大丈夫だと思ってると下の方でガガガ!とかいったりしますね。
あの先を曲がると

古民家って築200年の茅葺で・・とかだと思っていたけど最近はちょっと古けりゃ古民家なんですよね。
どっかのおばあちゃんの家みたいな古民家。
狭いところで切り返して車の向きを変えてたら中の人が出てきてそこでいいですよ・・
あっいい人そうだ・・

外に電気釜があったり・・
陶芸家のアトリエのようです。
カフェもやってますという感じなのかな・・
主人作(夫婦でかな?)の陶芸作品がたくさん展示してある。
素人にも受け入れやすいものもたくさんあってなかなか良かった。
この日は主人がほれ込んだ?らしい現代美術作家の個展をやっているとのことで前衛的な作品が建物の中を埋め尽くしていました。値札もついていて気に入った人は買えるんでしょう。
前衛もいろいろですが正直私にはその良さがわからない感じ。
見返すとあえて避けたようにその写真が一枚もないのが私の素直な感想だと思う。
音楽にも現代音楽みたいな世界があって私には意味不明なことがほとんどです。
しかしこれまで訳の分からないと思っていた音楽の中身が急に見えたりしたことがあります。
そして今はかけがえのない大切な音楽だったりする。
だから目の前にあるものが意味不明であったとしてもそれに意味や価値がないと決めつけてはいけないと思っている。
自身優れたピアニストでもあったらしいスクリャービンというロシアの作曲家がいます。
ラフマニノフと同期かなんかだったと思う。
初めのころの作品は非常にロマンチックでみんな大好きな感じの曲を書いていましたが、ある時期から神秘主義みたいな妙な思想に傾倒したりして作品や音楽家としての活動も変態化していきました。
最後のほうの交響曲かなんかが有名ですがいまのところ私には理解不能です。
ta
ピアノソナタ第10番。
たまたま持っているホロビッツのスクリャービン集に入っているのでなんとなく。
この曲について検索すると作者が言ったという言葉が出てきますが
「私の第10ソナタは昆虫のソナタである。 虫たちは太陽から生まれる。 彼らは太陽の接吻なのである。」
だそうです。
こういうのはちゃんと共感できればいいけれど、訳のわかんないままうなずいたりしたら負けだ。
序奏からいっちゃってる感じがする・・・

序奏の最後出てくるこの怪しく輝く和音とトリルは如何にも後期のスクリャービンだなという気がしますね。
この世に生きる者どもよ聞け!みたいな・・
ここからテンポアップするのでここまで序奏、ここからソナタ形式の提示部に入るよというところなんでしょう。
訳の分かんないい感じのお第一主題の後音楽はトリルにあるれている。
いかれていると思った序奏の大可上げで主部が解りやすく聞けていることに気付いたりもする。
えっこれが第2主題かな?とか思っていると序奏がかえって来てここから展開部だよと分かりやすく教えてくれる。
ぶっ飛んでいる音楽のようで実はベートーベン的なルールをしっかり守っており、ただのいかれたナルシスト芸術家じゃないと感じたりして。
このソナタはトリルソナタと呼ばれているようですがそのトリルはどんどんエスカレートして最後は七色の光が爆発したような世界を見せます。
この世の自然も命も太陽の光も、時間も・・すべての存在はエネルギーなのだ・・それは光だ・・
みたいなことを言ってるんじゃないかと思うんですよね。
音楽って自然や人の恋や生き死にを表すものだけれど、その究極は宇宙を描くことだ。
芸術家が作品を通して描こうとする宇宙と、理論物理学者が数式で表現する宇宙が最終的に一致したらすごいですよね。
俺も調子に乗って何言ってんだ。
玉虫色に輝く神秘トリルがさく裂しクライマックスに達すると

突然あのお告げトリルが登場。
この世の全てのものよ聞け!
そしてまたAllegroに・・
実は聴き手へ解りやすく伝えるための配慮が考されているような気もする。
クラシック音楽をいろいろ聴いていますが、いきなりいいなぁと思える曲ばかりじゃありません。
むしろそんなことはあんまりない。
最初は聴いても訳が分からないものなんですよね。
それは多分クラシックを聴かないか大嫌いな人がクラシックを聞いたときに感じる訳の分からない騒音・・みたいなのほぼ同じです。
私も生まれたときからクラシックが好きだったわけじゃないからそう感じていたことがあります。
でもそこを無理やり聞いていると訳の分からない真っ暗闇の中にぽっと灯台というか目印みたいなものが光って見えることがあるんですね。
そうするとそのあたりは照らされて様子が見えるのでそこだけでも聞こうという気がしてくる。
そんなこととをやっているとそのうちその明かりの間にあった訳の分からない闇に何があるのかが見えてくる・・・
という感じで曲の内容が見えてきて好きになっていったりするんですけどね・・
この曲に関してはまだその途中。
あっもう一回聴いてみようかなと思ったら脈があるかな。
ピアノを弾く人は楽譜を読んでこの音楽はこういうことを言ってるんだというのを感じてそれを表現しよう・・とやるんでしょう。
今じゃ有名曲だけど何のヒントもないときにこれを見て感銘を受け演奏しようとした演奏家たちがいたんですよね・・
すごいよな。
私は知っている曲なら楽譜を眺めて喜べるけど、知らない曲をで眺めても音はならない。
弾けないながらに何か鳴らしてみればこういう曲かな?というのは出てくるけどまず弾けない。
自分が弾けなくても誰かが弾いてくれたのを聞けばいいんだからいいけれど、
自分で感じて弾いてみるというのをやってみたかった。

明り取りの窓っていいな。
天上がないのは昔からかな?
わざと天井を外して演出してる感じの古民家カフェもたくさん見ますよね。
ここはそういうのには関心がなさそうか・・
土壁と・・

どこでも好きな席にといわれたので奥の部屋へ・・
窓の外は竹藪?

お任せランチというのを頼んだら今日はわかめとタケノコのご飯。
うらの裏が竹やぶになっておりましてぇ・・すぐ湯がいたので・・。
これシンプルだけどおいしかった。

豆腐にゴマがかかったのとホタテの吸い物と・・
こういうものばっかり食べてたら心はともかく体は浄化されそうですね。
どうしても肉とか砂糖食っちゃうけど。
帰り際、主人夫婦と少し話す。
車のナンバーでちょっと遠くからなのがわかったらしく
SNSで?と聞かれる。
SNSなんか苦手で全然できないと答えるのも変なのでそうですとか言って・・
どこもかしこもSNSだ。別にSNSが悪いものだなんで少しも思わないけど私は人間とうまくやれないことを突きつけられるのが怖くてやれない。
私には多分SNSもいろんな人と楽しくやるということも一生できないかもしれない。
でも今理解できないスクリャービンの変態曲のいくつかは好きになるかもしれない。
今日も別な作曲家のもやがかかったように思えていたある曲のスコアをみたらパーッと霧が晴れたような気がした。
少しいいこともあるから。
雰囲気的に多分、こちらがその気になればずっと話ができた気もする。
でもちょっと私が逃げ気味で・・
苦労もあるのかもしれないけれど自分のやりたいことをやれる人生は羨ましい。
人を羨んでばかりいると自分は暗くなるのでいけないいけれど。
タケノコおいしかったと言ったら二人ともすごく喜んでくれたのが忘れられない。
やっぱり最高のごちそうは人とのやり取りなんだろうね。
私は苦手だけれど。
まだやってる

日本中どこでもそうかと思いますが、うちの近所の山も山頂付近まで人の手が入って杉か檜が植林されています。
でもずっと手入れもされていないので中は結構悲惨?
はずれの日の当たるところにある木はかなりの太さになっているのに、中は私が子供だった35年前から変わっていないようにも見えます。
色々あって仕方ないんだろうなぁ・・
昨日、音楽を聴く部屋をヒノキの香りで満たしたいなんて書きまして・・・
私はアロマ何とかみたいなおしゃれ世界からは最も遠いところで生きています。
ですが、性懲りもなく精油とかいうものについて調べてみたりして・・
あんな加湿器みたいなのは嫌だと思っていたら
その精油というのだけ噴霧するような機械が売られているんですね。
静音と言いながら若干音がするとか、案外すぐ瓶の中身がなくなっちゃいそうだとか、掃除しないとつまるとか読んでいたらちょっと冷めちゃった・・
芳香剤みたいなただ置いとけばいいやつがいいなー
この製油っていうのを鼻の下につけといたらどうなんだろう?
そういう馬鹿なことを言っちゃいけないのか・・
そんな機械を見ていたらSONYの製品が出てきた。
久しぶりだなSONY。
かつてオーディオだけじゃなくていろんな分野をけん引して輝いていたSONY・・
周りに合わせた汎用規格なんて絶対に採用せず、意地になって独自の規格を打ち立てて走ろうとしていたSONY・・

この機械の説明を読んでみたら笑った。
※本製品のご使用には、別売の香りカートリッジ「AROMASTICカートリッジ」が必要です。

またやってるその路線・・
汎用のオイルを使えるようにすりゃいいのに、においの元みたいなものまで規格を作ってそこで儲けようみたいな手法でやってた・・
なんか貫いてるなぁ・・
使い手は毎回変に高いカードカートリッジを買うんでしょう?
自分の好きな香りってのは問答無用的に使えないんでしょう?
変な枠つくちゃってるせいで使いにくくて売れないと思うんだけどなぁ・・
初めて買ったCDプレーヤーはSONYのものでした・・2代目も・・3代目も・・
CDのフォーマットを決めたのはSONYとPhilipsですもんね。
すごい会社なんですよね。
SACDもリッピングできないとか変な制約をつけなければもう少し展開したかもしれないんじゃないのかなぁ?
Philipsももうオーディオなんか全面撤退で医療機器しか作らないんでしたっけ・・
先日、シャープペンの芯のケースにSONYって書いてあって、最近はこんなもん作ってんのかぁ・・と思ったらそれUSBメモリだった・・
合成のインチキ香りでもいいからスーパーで売ってるトイレの芳香剤みたいなのでひのきの香りというのは・・
あるかと思って探したら全然ないんですね。
ひのきの端材はすぐに乾いちゃって匂いがしなくなるのを経験済みなので・・
まぁ結局なんにもかわないなこりゃ・・
いつ頃からか我慢ばかりする癖がついて何かを手に入れて心が潤う・・みたいなところが干されちゃってるんだよね。
車買っても盛り上がらないんだもん。ちょっとまずいかな。
香りと言えばスクリャービン。
優れたピアニストでもあったこの作曲家、はじめは技巧的でロマンティックな作品を書いていたのに途中から神秘主義だか何だか言い出して変態化していきました。

なんかやばそうですよね?
変態化してしまってからの交響曲第5番では鍵盤を押すと音に応じた光を放つとかいうピアノを使うことを指定しています。
当時の技術じゃ故障だらけで実際使えなかったらしいですが・・
音楽に視覚的要素を取り入れようとした。
そういうことが簡単にいくらでもできる現在、それをやったらかなりチープな結果になると思う。
この変態作曲家の頭の中で炸裂してたのはそんな物じゃないんじゃないかなぁ・・
その交響曲第5番をブーレーズが指揮したCDを先ほどを聴いてみましたが、今のところ私には全然理解できません。
この作曲家はさらにその先、お香かなんかで嗅覚にも訴える作品を考えていたみたいです。
昔、クラシックのコンサートも照明やドライアイスを使って積極的に演出すべき!
と力説している人がいました。
いろんな考えがあって、実際行われてもいいんだと思います。
でも俺はそんなことやりやがったら二度と行かねーぞそんなもん。
このエチュードは大好きです。
神様が出てきて、「一曲だけ弾けるようにしてやる。どれがいいか?」
と言われたらこの曲でお願いしたい。
ホロヴィッツの演奏がまた・・・
第2主題のこのきざな歌いようはなんだ・・