安いと思ったら大間違いだったのと怖いこと

毎年チューリップの花が落ちるとやたらに寂しい
大雨で花が落ちてしまうかなと思ったけれどまだ元気に咲いていてくれた。
声をかけてみると花がわらってるように見えたりして
楽譜を注文するんだけどポストの中でびしょ濡れ事件が予想されたので一日遅らせていた。晴れたなーなんて思っていると郵便屋さんが電動バイクに乗ったままこれそうでしょ?ああきたきた・・え?
なんでそんなにちいさいの?
包をあけてみると

なんだこれミニチュア版?
オーケストラのスコアを小さく印刷したミニチュアスコアというのは昔からあってよく買ったけど、今全音のピアノの楽譜にもこんなのがあるんだな。前からあったのか?
みんな楽譜コピーして練習するらしいから拡大すれば・・いやそういう事じゃないだろう。
後で確認してみると

ぱっと見表紙の写真が通常版と同じ大きさで表示されるので気づかなかったけどポケットの文字。
自分の確認が足りないのが悪いんだけど
それよりTwitterにこんなの来たよと上げたらほとんど同時にAmazonから不具合あったのなら連絡くださいという返信が来て
常に監視して自動でみたいなのがあったりするんだろうけど、見てるぞ調子に乗って余計なこと言うなよと言われた気がしてちょっと怖い。

満員電車の中で譜読みする人とかにはいいのかなと思う
これだけたくさんの曲が入ってこの値段なんて話もあったんだけど、まあなんでも一回しくじって覚えていくんだからいいだろう。
この後楽器屋に行って楽譜を探してみたらなくてというか棚自体がかなり小さくなっちゃってる気が。今みんなネットで買っちゃうし自分もそうだね。
ちょうどそこに購入候補に挙がってる電子ピアノが置いてあった。
見た目も音も鍵盤のタッチも電子ピアノではなくアップライトピアノみたいで・・けど高い買い物だからこっちはしくじるわけにいかない。
なんか今時期的に何をやっても失敗しそうで
楽譜は通常のを注文すればいいし初見練習を集中的にやれたからいいか。
初見練習曲集は終わったので2週目をやってみたらどんどん進んでくれて・・覚えちゃってるからというのもあるかもしれないけど
1月ごろにやってた子供のための舞曲集をやってみるとやっぱり少し違う自分なってる気がしたりして

同じ日こんな店に行った。
おばあちゃんが一人でやってて実はコアなファンがついてるんじゃないかと思わないでもない。
何年か前に来たときの印象よりおばあちゃん若く元気に見え、おばちゃんかなと思ったり
私たちのあとからもう一組お客がやってきていろいろ注文したらおばあちゃん混乱しだす。

嫁さんの頼んだものが嫁さんへ届いたのは私がこれを食べ終わってかなりたってからだった。
途中別な客のをここへ持ってきたり、これは持ち帰りでしたっけ?食べるんでしたっけと何度も何度も聞いたり。
でも、なぜだか全然腹がったったりもしなかった。

このタンメンちょっともらったらすごく美味かったし、こういうところが嫌いなはずの嫁さんもなんかそういうことを言わない。また来よう。
トイレを借りたら普通に人の家のなかで仏壇間を横切り・・・だった。
週が明けるとまた具体的にいろいろあり、それだけでもない感じでなんか精神不安定気味だけど何とか乗り切ろう。
世の中何でも解釈次第なんだとは思う。
あれ手痛めたかな?と雑誌と音楽
ピアノ、レッスンの間が3週間いてるのだけど以外に長く前回が2年くらい前だったような気がする。
初見練習曲をいくつかやってからノクターンを通しで弾いてみる。
いろいろあるにせよなんとか弾けるようになったなと思いかけた後半で右手に怪しい痛みが・・やめようかと思ったけれどそのまま最後まで弾き通すと違和感がとれない。いや痛い
まずいなと思い初見練習曲の簡単なのを弾いてみると行けそうなので今日はそのまま初見練習を推し進めようとやってたら今度は左手に。
両手に痛みが来るというのは何だろう椅子の位置?と思って後で確認したけれどおかしくない。
なんだこれ大丈夫かな
京都貴船神社奥宮まで行って

昔聴いた遠くの神社で強くお願いしたらそこの水を飲んで体の中に力をという話が忘れられない。そうは言ってもなに飲むんだということで出来るだけ近くのお店でなんか食べればいい事に私の中でなってる。
ここでもいい店があれば・・

夏の川床って写真で見るとすごいけど片づけちゃうんですね。
寒くて使えないこと以外の仮設でなくちゃならない理由をいろいろ想像しながらはいいけどここへ来る前に変なスイッチが入ってしまい心がどっか行っちゃって、これじゃ一日潰しちゃう立て直さないと思いつつ半分うわの空で歩いてた。
ぜんざいとか目に入ったけどどうも乗れず

結局バスに乗り電車に乗って下ってきてしまう。
前日地図を眺めて叡電の終点出町柳駅前に名曲喫茶というのを見つけたことが頭にあった。京都の街中だし混んでたら嫌だなと思いつつ

入ってみるとどこへ行けばいいかわからず誰もいない。厨房のなかに見かけた人に声をかけると
喫茶のご利用ですか?
なんだかわからないままはいと答えると案内されたところは音楽に興味ない人向けの部屋でいやちがうって
あの音楽を・・
リスニングルームですか?あの注意書きが守れますか?チャージ料が・・

たくさんある注意書き私は全くその通りだと思うけれどそうは思わない人もいるのを知ってる。
クラシックのコンサートでもいるそういう人やネット上でそんなことを書くとどうなるか等嫌な話なので省略
そういうとこなので何人かいた人はみんなちゃんとしてた
筆談による注文で

ウインナーコーヒーはクリームが別で出てきた。珈琲美味しくてクリームいらなかったかな
ホテルオークラのと書いてあったような気がするオペラという名のケーキはフォークを入れるとじゅわっと肉汁じゃないけどなにかが沁み出てくる。
とても美味しくて小さいのに食べ応えがあってさすが感が
奥の紙にも注意書き

初め室内楽がかかっていたけど終わるしばらく間があり、ベートーヴェンの英雄が流れ出した
モノラル、やたらに古くもない50年代か・・最初のオーボエでウイーンフィルなのはわかる。通ぶってるみたいだけどあれ誰にでも聞き分けられるから
ゆったりしたテンポと一音一音に魂を込めたように鳴り響く弦楽器とかトスカニーニじゃないことは間違いない。誰の指揮かな・・
そんな屁理屈もそのうちどっかへ行き、半分冷やかしくらいの気持ちで入ってきたのにそのうち音楽にのめりこんでた
腐りかけの気持ちまた生き返ったりして。やっぱり音楽は
全楽章聞きたい気持ちになったけれどまだ行きたいところがあるのでスケルツォの始まる前に退室

帰り際にこのノートを発見。リクエストができ盤の持ち込みもできるらしい。
ブルックナーとマーラーは受け付けませんとかロマン派以降の変に長い曲もやめてくれとあったけどわかる気がする。
50年くらい前ですかまだ日本人があんまりマーラーとかブルックナーとか言い出す前まで英雄交響曲なんかは金字塔という感じだったんでしょう?
英雄が金字塔なことは今もずっと変わらないと思うけれどなぜか私は英雄だけずっと聴かなかった。それはこの種の人間的にはかなりの異常事態だと思う。
作者自身もどれが一番優れてると思いますかと聞かれて3番だと言ったという話があったと思うあれをいい曲だなスコアを見てみようかと思うようになったのは実は今。

支払い時に今の英雄は誰の指揮ですかと聞いたらフルトヴェングラーだそうで、あー
次回以降これを出してくれればチャージ料金が割引になりますみたいな紙をもらい、いきなりリスニングルームじゃない方へ案内された理由を知る。
通いたいけどちょっと遠いね。
名曲喫茶で検索すると勝手に柳月堂というのが出てきてきっと有名なんだろうと思う。
心に火が戻って外に出れば

そこには鴨川。
ここは京都なんだと今更思う。
なにも調べず何も知らずにいたけれど

ここ名所らしい。
楽しそうな人の声を聴いても変な病気は出てこなくて
ああいいな、ここにずーっと居たいなと思った。

音楽にハマるまでは鉄道マニアだったけど鴨川沿いの京阪が地下化されたことを専門雑誌で読んだ記憶があって、あれまだ昭和だったね。多分同時くらいに音楽を知ったと思う。
バッハから始まりブラームスを知ってとかのあの頃バブルの真っただ中で、海外オケがたくさん来日して毎晩どこかでマーラーの演奏会世の中に出回ったばかりのCDもやたらに売れて毎月マーラーの新譜が・・
地下鉄に乗り継ぎ終点まで行き

何か違和感を感じ・・あ、エスカレーターでみんな右に並んでるのを見ると大阪だなと思うけど
京都は普通に左なんですね。
登り切れば嵐電の停留所
電車が来るとみんな信号赤なの無視してわらわら道路わったたりして時間的に観光客じゃなく通勤通学客で満員だった。
身動きできなくてこれは降りれねーかもなと思ったけど手前の駅でかなり空いて

またここ来ました。
いろいろ思うことがあるけれど私は私。

真っ暗かなと思った車折神社は明かりがともっていて
むしろちょっと綺麗

参拝に来る人もいたけれど地元の人の通勤ルートみたいにもなってた
かなりまじめに参拝して
すぐそばに蕎麦屋があることを調べてあったのでそこで晩飯を

と思ったら終わってた。
神様のそばで食べる計画またとん挫だけどもういいか。

電車が来たというだけだけど、なんかこう
しばらく住んでみたいなとか

またくればいいから
クラシック系のレコード芸術という雑誌が休刊になるというニュースを見た。
存続を求める署名活動を数人連名でオンライン上で・・ってそのオンラインが雑誌をつぶしたんじゃないのかと思ってみたり
35年前はネットなんてないから雑誌と教育テレビが情報のすべてだった。あとラジオか
レコ芸はなんかなじまなくて1度か2度しか買わなかったと思う。
私より上の世代の人はみんなあれでしょ
昔はネット上に真似して「特選」みたいなのつけた盤の照会文をよく見かけた。
考えてみれば私ももうCDなんて何年も買ってないし本屋にも寄らない。
それで音楽が好きだと言えるの?
言えるみたい。
あの店行ったのも偶然じゃなくてお前あそこ行ってみろと言われたのかなとか
長々書いてるここまで読んでくださった方にお礼を言いたいです。
初見練習曲をいくつかやってからノクターンを通しで弾いてみる。
いろいろあるにせよなんとか弾けるようになったなと思いかけた後半で右手に怪しい痛みが・・やめようかと思ったけれどそのまま最後まで弾き通すと違和感がとれない。いや痛い
まずいなと思い初見練習曲の簡単なのを弾いてみると行けそうなので今日はそのまま初見練習を推し進めようとやってたら今度は左手に。
両手に痛みが来るというのは何だろう椅子の位置?と思って後で確認したけれどおかしくない。
なんだこれ大丈夫かな
京都貴船神社奥宮まで行って

昔聴いた遠くの神社で強くお願いしたらそこの水を飲んで体の中に力をという話が忘れられない。そうは言ってもなに飲むんだということで出来るだけ近くのお店でなんか食べればいい事に私の中でなってる。
ここでもいい店があれば・・

夏の川床って写真で見るとすごいけど片づけちゃうんですね。
寒くて使えないこと以外の仮設でなくちゃならない理由をいろいろ想像しながらはいいけどここへ来る前に変なスイッチが入ってしまい心がどっか行っちゃって、これじゃ一日潰しちゃう立て直さないと思いつつ半分うわの空で歩いてた。
ぜんざいとか目に入ったけどどうも乗れず

結局バスに乗り電車に乗って下ってきてしまう。
前日地図を眺めて叡電の終点出町柳駅前に名曲喫茶というのを見つけたことが頭にあった。京都の街中だし混んでたら嫌だなと思いつつ

入ってみるとどこへ行けばいいかわからず誰もいない。厨房のなかに見かけた人に声をかけると
喫茶のご利用ですか?
なんだかわからないままはいと答えると案内されたところは音楽に興味ない人向けの部屋でいやちがうって
あの音楽を・・
リスニングルームですか?あの注意書きが守れますか?チャージ料が・・

たくさんある注意書き私は全くその通りだと思うけれどそうは思わない人もいるのを知ってる。
クラシックのコンサートでもいるそういう人やネット上でそんなことを書くとどうなるか等嫌な話なので省略
そういうとこなので何人かいた人はみんなちゃんとしてた
筆談による注文で

ウインナーコーヒーはクリームが別で出てきた。珈琲美味しくてクリームいらなかったかな
ホテルオークラのと書いてあったような気がするオペラという名のケーキはフォークを入れるとじゅわっと肉汁じゃないけどなにかが沁み出てくる。
とても美味しくて小さいのに食べ応えがあってさすが感が
奥の紙にも注意書き

初め室内楽がかかっていたけど終わるしばらく間があり、ベートーヴェンの英雄が流れ出した
モノラル、やたらに古くもない50年代か・・最初のオーボエでウイーンフィルなのはわかる。通ぶってるみたいだけどあれ誰にでも聞き分けられるから
ゆったりしたテンポと一音一音に魂を込めたように鳴り響く弦楽器とかトスカニーニじゃないことは間違いない。誰の指揮かな・・
そんな屁理屈もそのうちどっかへ行き、半分冷やかしくらいの気持ちで入ってきたのにそのうち音楽にのめりこんでた
腐りかけの気持ちまた生き返ったりして。やっぱり音楽は
全楽章聞きたい気持ちになったけれどまだ行きたいところがあるのでスケルツォの始まる前に退室

帰り際にこのノートを発見。リクエストができ盤の持ち込みもできるらしい。
ブルックナーとマーラーは受け付けませんとかロマン派以降の変に長い曲もやめてくれとあったけどわかる気がする。
50年くらい前ですかまだ日本人があんまりマーラーとかブルックナーとか言い出す前まで英雄交響曲なんかは金字塔という感じだったんでしょう?
英雄が金字塔なことは今もずっと変わらないと思うけれどなぜか私は英雄だけずっと聴かなかった。それはこの種の人間的にはかなりの異常事態だと思う。
作者自身もどれが一番優れてると思いますかと聞かれて3番だと言ったという話があったと思うあれをいい曲だなスコアを見てみようかと思うようになったのは実は今。

支払い時に今の英雄は誰の指揮ですかと聞いたらフルトヴェングラーだそうで、あー
次回以降これを出してくれればチャージ料金が割引になりますみたいな紙をもらい、いきなりリスニングルームじゃない方へ案内された理由を知る。
通いたいけどちょっと遠いね。
名曲喫茶で検索すると勝手に柳月堂というのが出てきてきっと有名なんだろうと思う。
心に火が戻って外に出れば

そこには鴨川。
ここは京都なんだと今更思う。
なにも調べず何も知らずにいたけれど

ここ名所らしい。
楽しそうな人の声を聴いても変な病気は出てこなくて
ああいいな、ここにずーっと居たいなと思った。

音楽にハマるまでは鉄道マニアだったけど鴨川沿いの京阪が地下化されたことを専門雑誌で読んだ記憶があって、あれまだ昭和だったね。多分同時くらいに音楽を知ったと思う。
バッハから始まりブラームスを知ってとかのあの頃バブルの真っただ中で、海外オケがたくさん来日して毎晩どこかでマーラーの演奏会世の中に出回ったばかりのCDもやたらに売れて毎月マーラーの新譜が・・
地下鉄に乗り継ぎ終点まで行き

何か違和感を感じ・・あ、エスカレーターでみんな右に並んでるのを見ると大阪だなと思うけど
京都は普通に左なんですね。
登り切れば嵐電の停留所
電車が来るとみんな信号赤なの無視してわらわら道路わったたりして時間的に観光客じゃなく通勤通学客で満員だった。
身動きできなくてこれは降りれねーかもなと思ったけど手前の駅でかなり空いて

またここ来ました。
いろいろ思うことがあるけれど私は私。

真っ暗かなと思った車折神社は明かりがともっていて
むしろちょっと綺麗

参拝に来る人もいたけれど地元の人の通勤ルートみたいにもなってた
かなりまじめに参拝して
すぐそばに蕎麦屋があることを調べてあったのでそこで晩飯を

と思ったら終わってた。
神様のそばで食べる計画またとん挫だけどもういいか。

電車が来たというだけだけど、なんかこう
しばらく住んでみたいなとか

またくればいいから
クラシック系のレコード芸術という雑誌が休刊になるというニュースを見た。
存続を求める署名活動を数人連名でオンライン上で・・ってそのオンラインが雑誌をつぶしたんじゃないのかと思ってみたり
35年前はネットなんてないから雑誌と教育テレビが情報のすべてだった。あとラジオか
レコ芸はなんかなじまなくて1度か2度しか買わなかったと思う。
私より上の世代の人はみんなあれでしょ
昔はネット上に真似して「特選」みたいなのつけた盤の照会文をよく見かけた。
考えてみれば私ももうCDなんて何年も買ってないし本屋にも寄らない。
それで音楽が好きだと言えるの?
言えるみたい。
あの店行ったのも偶然じゃなくてお前あそこ行ってみろと言われたのかなとか
長々書いてるここまで読んでくださった方にお礼を言いたいです。
また嫌なものを
また見たくないものを見てしまい、嫌なことを考える
そうではないところをめざしますが、そんな日がいつか来るでしょうか?
見たくないと言えば

先日楽譜もってかないのに譜面台を立てたら黒塗りのそこに見かけない人がピアノ弾いてるのが映ってて
そんなもん俺にみせないでくれと思った。
一昨年、憩室炎で2度入院したけどたった2週間の間にどっと老け込んだのが自分でわかった。
そんなの見なけりゃいいんだしいいけど。
譜面見ないと思ってたけどそんなもんが見えるということは見ようとはしてんのかな?ちがうか
ありがたいことに再び入院するような憩室炎には至っていないけどその後過敏性腸症候群みたいなのが慢性化してきた。
最近医者で処方された整腸剤より納豆のが効くような気がしてる。納豆菌は一部が胃酸を生き延び・・というのを読んだことによる暗示かもしれないけど、そもそも腹痛が精神的負担と直結してることを考えればおまじないか勘違いで十分なんじゃないか。

納豆チーズというオムライスがあったので
オーブンで焼いてあって、あー納豆菌死んじゃったかなとかいらんことを考える。納豆菌も乳酸菌も仮に死んじゃってたって腸に入れば役立つらしいけどそんな話は今どうでもよくて、納豆とチーズでどんな感じ?と期待した味はなんかいろんなとこ塩辛すぎて
何年か前から夜になるとかゆみを伴う発疹が出てくるんだけど最近またひどくて全身にみみず脹れみたいなものが。
時間的にちょうどピアノを弾いてると出てくるのでまるでピアノのせいみたいだけどやるようになる前からだから。
曲のどうしても引っかかる地帯はやたらに繰り返していたら今弾いてるところのすぐ先が塊で頭に浮かぶようになり、そうなると間違えないし腕の力がすっと抜けるので音が全然違うのが自分の耳でも聞こえる。
とはいえ、譜面じゃなく指の配置が浮かぶ覚える式。
見ながら弾けない自分は覚えたものが何もないときいつも出たとこ勝負的に突っ込んでるんだと思う。昔やったのが残ってるらしい曲の前半は指が機械的に覚え何にも考えないのに手が勝手に弾いてしまう部分がある。自分でどの音をどう通ったかわからないのに曲が聴こえて。
でもそれは暗譜じゃない。
今日の初見練習は全然だめだった。
先を読んでるつもりでも実際眺めているだけで読まずに出だとこ勝負なんだなと思う。
初見練習だと思ってやってるのに、自動的に何度もあてずっぽうでやってればそのうち当たりを体が覚えてくるというのをやろうとしてるらしい。
そうじゃなくて見て一発で当ててく人になりたいんでしょと自分で自分にいうんだけど。
かなり昔足を踏み外せば落ちて死ぬようなところで安全帯もなしの仕事をしたことがあるけど、そんなとこなら絶対に出たとこ勝負で適当に歩いたりしなかったはず。そういう人もいたけど私はそんなの出来ないはず。
それでいいやとなめているからそんなことを・・そんなに極端な話をしなくていいんだけど
曲弾いてて楽しいというか幸せな瞬間があったりもする。
明日も読んで弾く練習をしよう。
そうではないところをめざしますが、そんな日がいつか来るでしょうか?
見たくないと言えば

先日楽譜もってかないのに譜面台を立てたら黒塗りのそこに見かけない人がピアノ弾いてるのが映ってて
そんなもん俺にみせないでくれと思った。
一昨年、憩室炎で2度入院したけどたった2週間の間にどっと老け込んだのが自分でわかった。
そんなの見なけりゃいいんだしいいけど。
譜面見ないと思ってたけどそんなもんが見えるということは見ようとはしてんのかな?ちがうか
ありがたいことに再び入院するような憩室炎には至っていないけどその後過敏性腸症候群みたいなのが慢性化してきた。
最近医者で処方された整腸剤より納豆のが効くような気がしてる。納豆菌は一部が胃酸を生き延び・・というのを読んだことによる暗示かもしれないけど、そもそも腹痛が精神的負担と直結してることを考えればおまじないか勘違いで十分なんじゃないか。

納豆チーズというオムライスがあったので
オーブンで焼いてあって、あー納豆菌死んじゃったかなとかいらんことを考える。納豆菌も乳酸菌も仮に死んじゃってたって腸に入れば役立つらしいけどそんな話は今どうでもよくて、納豆とチーズでどんな感じ?と期待した味はなんかいろんなとこ塩辛すぎて
何年か前から夜になるとかゆみを伴う発疹が出てくるんだけど最近またひどくて全身にみみず脹れみたいなものが。
時間的にちょうどピアノを弾いてると出てくるのでまるでピアノのせいみたいだけどやるようになる前からだから。
曲のどうしても引っかかる地帯はやたらに繰り返していたら今弾いてるところのすぐ先が塊で頭に浮かぶようになり、そうなると間違えないし腕の力がすっと抜けるので音が全然違うのが自分の耳でも聞こえる。
とはいえ、譜面じゃなく指の配置が浮かぶ覚える式。
見ながら弾けない自分は覚えたものが何もないときいつも出たとこ勝負的に突っ込んでるんだと思う。昔やったのが残ってるらしい曲の前半は指が機械的に覚え何にも考えないのに手が勝手に弾いてしまう部分がある。自分でどの音をどう通ったかわからないのに曲が聴こえて。
でもそれは暗譜じゃない。
今日の初見練習は全然だめだった。
先を読んでるつもりでも実際眺めているだけで読まずに出だとこ勝負なんだなと思う。
初見練習だと思ってやってるのに、自動的に何度もあてずっぽうでやってればそのうち当たりを体が覚えてくるというのをやろうとしてるらしい。
そうじゃなくて見て一発で当ててく人になりたいんでしょと自分で自分にいうんだけど。
かなり昔足を踏み外せば落ちて死ぬようなところで安全帯もなしの仕事をしたことがあるけど、そんなとこなら絶対に出たとこ勝負で適当に歩いたりしなかったはず。そういう人もいたけど私はそんなの出来ないはず。
それでいいやとなめているからそんなことを・・そんなに極端な話をしなくていいんだけど
曲弾いてて楽しいというか幸せな瞬間があったりもする。
明日も読んで弾く練習をしよう。
大丈夫なるようになるだけ。思うとおりにすればい。
素直に何があってどこへ行ったかを書きかけたけど
ある理由で仕事を休み一日某所に詰めていた。
本を持ち込み読むには読むんだけどあまり集中できず
今その後だけど事が終わらず心は落ち着かない。
論理的に私が不安を感じ重ねたところで事態が好転するのかと言えば違うのはわかるのだけど、また自分の持病が反応しはじめちゃって

詰めてる間、なにかイベントがあるとすれば飯くらいなので早めな時間に立ち食い蕎麦屋みたいなところへ
揚げ物控えてるのにかき揚げうどんを頼んだ。揚げ玉使ってくださいとか言われて調子に乗りかけまくったので何の写真かわからない。
変に高尚な店もいいけどこういうとこで素朴にうまいねとか言ってる方のがいいかな。
この日は予定より早く帰宅してよいという事になったため

またこの店
今日はマスターの時間
始めは誰かの木管5重奏か8重奏が流れていて、盤をかけ替えるとアルビノーニのアダージョが流れだした。
実はアルビノーニなんか全然関係なく発見したと主張するおっさんが自分で書いた曲だとバレているのにみんな好んで聴き続けてる。映画音楽っぽくバロックじゃないけど聴いてて悪くない。後半の光がさしたような部分とか結構感動的で
20年位前、大発見を連発する発掘系考古学者が実は自分で埋めたものを掘ってたのがばれて新聞沙汰になってた。
目が見えない作曲家のふりをしている人の作品にゴーストライターがいたみたいな話もあった
あれらと同じくらいの話かもしれず人として地に落ち曲も忘れ去られ・・・ては全然いないところがどうにも面白い。

また頼んだカプチーノ。
今度はマスターが飲み方を教えてくれる。
マスター、声とか喋り方がいかにも昭和の営業用というか‥あれも一種の芸だよね。いい意味の。

持って行った本
ピアノテクニックの方は芸術的表現以前にまず人間が体を動かすんだから解剖学的見地から考えようよみたいな本らしく俺はそんなの読むレベルの人とじゃないけどと思いながら
さらっと流し読み程度で終わってしまったけど主張する本人は亡くなってしまいその嫁さん?か誰かが遺稿を世に出してあげたくてみたいな本だと理解した・・印象に残ってるのは間違えを何度も繰り返して脳に焼き付けてはいけないみたいな一文。ああ俺だと思って
非科学的で迷信みたいな練習法を妄信、強要する人がいるみたいなのをたびたび見かけたような
人間がピアノの鍵盤に対してできるコントロールは打鍵の加速度と押している時間の長さだけだという話もあらためて・・
みんないろいろやったり言ったりしてるけどつまるところはそこなんだよね
弟子から見たショパンも一部しか読めてないけど、はばかりながら練習したい人になってた自分の立場で印象に残ったのは弟子が一日6時間練習していると言ったらものすごく怒って3時間以上練習するなと言ったという話。
他にも弟子の令嬢にそんなに練習ばっかりしてないで本を楽しく読んだり散歩でもしなさいと言ったとか
どの指も均一に扱えるようにという練習を特に嫌いむしろ指の個性を生かそうとしていた話
同時代ピアノはパワーだまず鍛えろ繰り返し練習だという方が主流だったんだと思うし、日本のクラシックピアノ世界はその弟子の弟子の弟子の・・の流れですよね?
どれが正しいとかじゃなく、ピアノ演奏にも全然ちがうタイプがあるという事で
暗譜なんかしてこないで楽譜を見て弾けと言ってるのになんだおまえみたいに怒られたらしい人の話・・もちろん私のとは別次元でだろうけど・・でもどうも似たような次元感があって、ショパンのレッスンを受けられる人って一定水準以上だろうと思ってたのでその話はちょっと衝撃的で
曲を十分に取得して暗譜できたら部屋を真っ暗にして弾いてみると良いそこで始めて自分の音が聴けるはずと言ったという話
これはいつかできるようになったら・・
聞き手として印象に残るのは
クララ・シューマンの言う、彼は病弱でフォルテが弾けないのです・・一時期ショパンに対してそういう解釈が蔓延していたけれどそれは違うだろうという事になっていまがあるという話しを音楽聴きはじめの頃にどこかで読むか聞くかして
それはクララの能力が低かったとかいう話では全然ないのはわかる。一級の演奏家が自分と違うタイプを受け入れられずみたいな話は他にも山のようにあるし。
旦那シューマンが君はそういうけど違うんだみたいなことを言ったりしてるのも読んだ。
ショパンがベートーヴェンを弾いたのを聴いていやベートーヴェンはもっと男性的な音楽なはずでそんなじゃないだろうと思った人の話も興味深いけれど、さらにその人がショパン本人にそれをそのまま言ってみたという話も面白い。
舟歌でfかffで書いてあるところをpで弾き誰にもできない魅力を引き出したみたいな話とか
ショパン本人の演奏を仮に今聴けたとしたら、ショパンってこうでしょと思い込んでるのとはあまりにも違うためまずえ?みたいなショックが来るかもなと思う。
そしてそのまま拒絶してしまうかもしれないし、開眼すれば虜になるかもしれない。
聴いて感じるだろうその話は練習法に対する考えの違いとも直結してると思う。

帰ったら注文したばかりのこれがもう届いてて
こういうのは頭に自分はできると思い込ませる訓練だと思うから、4小節単位の練習曲がかなり簡単な内容から始まり次々と進んでいけるこれはいいね。
と思ってどんどんやってるとやっぱり途中で間違えだす。
当たり前なんだろうけど、今弾いてる箇所の次の小節を丸ごと読んで頭で歌ってないと間に合わない。
指は考えるんじゃなく正しくそこにあると信じて勝手に動く感じでないと間に合わない。
後私は続けてやってるとそのうちなんとなく予測で弾いてしまい、そういうやつもいるだろうと思ってかそうじゃないように書いてあるところをそのまま間違える。
というとこだけどこれ毎日やろう。
絶対初見弾きができるようになりたい
なってどうすんのみたいな話もあるかもしれない
なにやったって結局一人やってるだけでしょというのもあるけど
もう思うようにやればそれでいいと思う
ある理由で仕事を休み一日某所に詰めていた。
本を持ち込み読むには読むんだけどあまり集中できず
今その後だけど事が終わらず心は落ち着かない。
論理的に私が不安を感じ重ねたところで事態が好転するのかと言えば違うのはわかるのだけど、また自分の持病が反応しはじめちゃって

詰めてる間、なにかイベントがあるとすれば飯くらいなので早めな時間に立ち食い蕎麦屋みたいなところへ
揚げ物控えてるのにかき揚げうどんを頼んだ。揚げ玉使ってくださいとか言われて調子に乗りかけまくったので何の写真かわからない。
変に高尚な店もいいけどこういうとこで素朴にうまいねとか言ってる方のがいいかな。
この日は予定より早く帰宅してよいという事になったため

またこの店
今日はマスターの時間
始めは誰かの木管5重奏か8重奏が流れていて、盤をかけ替えるとアルビノーニのアダージョが流れだした。
実はアルビノーニなんか全然関係なく発見したと主張するおっさんが自分で書いた曲だとバレているのにみんな好んで聴き続けてる。映画音楽っぽくバロックじゃないけど聴いてて悪くない。後半の光がさしたような部分とか結構感動的で
20年位前、大発見を連発する発掘系考古学者が実は自分で埋めたものを掘ってたのがばれて新聞沙汰になってた。
目が見えない作曲家のふりをしている人の作品にゴーストライターがいたみたいな話もあった
あれらと同じくらいの話かもしれず人として地に落ち曲も忘れ去られ・・・ては全然いないところがどうにも面白い。

また頼んだカプチーノ。
今度はマスターが飲み方を教えてくれる。
マスター、声とか喋り方がいかにも昭和の営業用というか‥あれも一種の芸だよね。いい意味の。

持って行った本
ピアノテクニックの方は芸術的表現以前にまず人間が体を動かすんだから解剖学的見地から考えようよみたいな本らしく俺はそんなの読むレベルの人とじゃないけどと思いながら
さらっと流し読み程度で終わってしまったけど主張する本人は亡くなってしまいその嫁さん?か誰かが遺稿を世に出してあげたくてみたいな本だと理解した・・印象に残ってるのは間違えを何度も繰り返して脳に焼き付けてはいけないみたいな一文。ああ俺だと思って
非科学的で迷信みたいな練習法を妄信、強要する人がいるみたいなのをたびたび見かけたような
人間がピアノの鍵盤に対してできるコントロールは打鍵の加速度と押している時間の長さだけだという話もあらためて・・
みんないろいろやったり言ったりしてるけどつまるところはそこなんだよね
弟子から見たショパンも一部しか読めてないけど、はばかりながら練習したい人になってた自分の立場で印象に残ったのは弟子が一日6時間練習していると言ったらものすごく怒って3時間以上練習するなと言ったという話。
他にも弟子の令嬢にそんなに練習ばっかりしてないで本を楽しく読んだり散歩でもしなさいと言ったとか
どの指も均一に扱えるようにという練習を特に嫌いむしろ指の個性を生かそうとしていた話
同時代ピアノはパワーだまず鍛えろ繰り返し練習だという方が主流だったんだと思うし、日本のクラシックピアノ世界はその弟子の弟子の弟子の・・の流れですよね?
どれが正しいとかじゃなく、ピアノ演奏にも全然ちがうタイプがあるという事で
暗譜なんかしてこないで楽譜を見て弾けと言ってるのになんだおまえみたいに怒られたらしい人の話・・もちろん私のとは別次元でだろうけど・・でもどうも似たような次元感があって、ショパンのレッスンを受けられる人って一定水準以上だろうと思ってたのでその話はちょっと衝撃的で
曲を十分に取得して暗譜できたら部屋を真っ暗にして弾いてみると良いそこで始めて自分の音が聴けるはずと言ったという話
これはいつかできるようになったら・・
聞き手として印象に残るのは
クララ・シューマンの言う、彼は病弱でフォルテが弾けないのです・・一時期ショパンに対してそういう解釈が蔓延していたけれどそれは違うだろうという事になっていまがあるという話しを音楽聴きはじめの頃にどこかで読むか聞くかして
それはクララの能力が低かったとかいう話では全然ないのはわかる。一級の演奏家が自分と違うタイプを受け入れられずみたいな話は他にも山のようにあるし。
旦那シューマンが君はそういうけど違うんだみたいなことを言ったりしてるのも読んだ。
ショパンがベートーヴェンを弾いたのを聴いていやベートーヴェンはもっと男性的な音楽なはずでそんなじゃないだろうと思った人の話も興味深いけれど、さらにその人がショパン本人にそれをそのまま言ってみたという話も面白い。
舟歌でfかffで書いてあるところをpで弾き誰にもできない魅力を引き出したみたいな話とか
ショパン本人の演奏を仮に今聴けたとしたら、ショパンってこうでしょと思い込んでるのとはあまりにも違うためまずえ?みたいなショックが来るかもなと思う。
そしてそのまま拒絶してしまうかもしれないし、開眼すれば虜になるかもしれない。
聴いて感じるだろうその話は練習法に対する考えの違いとも直結してると思う。

帰ったら注文したばかりのこれがもう届いてて
こういうのは頭に自分はできると思い込ませる訓練だと思うから、4小節単位の練習曲がかなり簡単な内容から始まり次々と進んでいけるこれはいいね。
と思ってどんどんやってるとやっぱり途中で間違えだす。
当たり前なんだろうけど、今弾いてる箇所の次の小節を丸ごと読んで頭で歌ってないと間に合わない。
指は考えるんじゃなく正しくそこにあると信じて勝手に動く感じでないと間に合わない。
後私は続けてやってるとそのうちなんとなく予測で弾いてしまい、そういうやつもいるだろうと思ってかそうじゃないように書いてあるところをそのまま間違える。
というとこだけどこれ毎日やろう。
絶対初見弾きができるようになりたい
なってどうすんのみたいな話もあるかもしれない
なにやったって結局一人やってるだけでしょというのもあるけど
もう思うようにやればそれでいいと思う
1320円で夢のような時
流れ的に後半が食べた話です
平日休み。メンタル維持のため遠くへ行きたいけれど訳があって出来ず、ピアノを弾きに行こうと思った。
開店と同時に電話するとさすが平日いきなりあいてた。さっさと出かければいいのに家の電子ピアノを弾き始めたらとまらなくなり間に合わなくなりかける。

木目仕上げのピアノが目に入ってなんかすげーのだったらどうしようと思ったけどそんな訳なかった。
音を出した瞬間まず音量にびっくりする。
ずっとペダルなしだったレッスンでもショパンになって踏んでみたらものすごい響きに驚いたけど、あっちは横に先生がいてゆっくり驚いてる場合じゃない。やっと今日ちゃんと驚けたというところか。
防音とは言え店員さんのいるとことの間は薄いドア一枚で音丸聞こえ。向こうは仕事だし恥ずかしいとか関係ないはずだけど聴かれるのが嫌だと思わずソフトペダルを踏んだり。でもそれ消音ペダルじゃないから。
電子ピアノとは全然別物だということ、音量下げてる電子ピアノで練習してると手もペダルも加減でもそれなりに聞こえてしまってることなどを一瞬で思い知らされる。
これで練習したいしなきゃだめだと思う反面こんなデカい音が出るものは絶対家には入れられないと思った。
最後まで背後を意識することをやめられなかったけどそれでもやってれば1時間はあっという間、2時間取っておいてよかった。

この際だからピアノの構造も眺めながらペダルを深く踏んだり緩めたり・・・響きの量が変わるだけかと思ってたけど深く踏めば全部の弦が共鳴しごうごう鳴る感じ。浅く踏むと筐体内の反響音が目立って聴こえるという印象。今やってる曲はそんなに踏みこまなくていいのかなとかよくわかんないなりにいろいろと
音が上から聴こえるんだよな。電子ピアノも変に高いのはアップライトピアノみたいな形をしててなんでかなと思ったけどこの感じでやれんのかな?
1時間半くらいで昼飯のことを考え始め・・じゃなくて椅子の位置について考える。
レッスンに行くと椅子の位置がもうできてて、あれこんなに遠いのかと毎回思う。
逆に言うと私は椅子が近すぎ深く座ってしまう癖があると思う。ここは仕舞ってあった椅子を自分で出したので我流の位置と座り方になってた。
椅子を下げて浅く座る・・・あっ何かが変わってよくなったような気がするけどよくある都合のいい勘違いかもしれない
2時間やっても手は全く痛くならななかったけれど帰って家のを弾いたらすぐ違和感が来た。
家のはスタンドもイレクターで組んだ自作だし椅子もその辺から持ってきたようなのだしペダルも変な位置にあるのを踏んでるし
いよいよ考え始めるものがあるけど置いといて

エレクトーンもあった。
私最初に興味を持ったのはパイプオルガンで、妹が習うためにあった古い中古のエレクトーンで弾き真似をするところから始まった。
いや違う始まらなかったんだよやっと始められたのは35年後の今。
昔別な楽器で毎日練習場を借りていた関係で何も言われてないけど終了時間五分前には片付けをはじめ外へ出る。
肝心なことを言わなくちゃならないけどグランドピアノが弾けてうれしかった。
それで昼飯。

最近移転したこの店、40年前の私が子供の頃も昼には売り切れだとかなんとか言ってた気がするけれど何年か前からテレビに出たとかで平日の朝から馬鹿みたいな行列ができるようになり、レビューを見ても朝から行列だとか昼前には暖簾がしまわれてとか書いてあるのでもう行けないんだと思ってた。
けど、なぜか並ばずに入れて空席もあった。
久しぶりだね中と普通ライス。
焼いてパリパリの餃子とは違うふっくらふわっとした餃子。
仕事で一度行っただけだけど中国で食べた餃子はこんな感じだったかも。
あっちのは中身とかつけタレがもっと派手だったけど。
毎回おんなじことを言っててあれだけど何年か前に足りないなと思った8個の中じゃなくて俺はもう6個の小でもいいなと思った。
先客がテレビをみてきましたというようなことを言ってるらしいのが聴こえてくるのはどうでもよく、お店の人は多分意識的にものすごくお客さんを大事にするような接客をしてた。
港の方で有名になって腐った店も知ってるけどここはきっとずっと大丈夫。
いけないと思った店に行けて満足。
そのあと店主が私を覚えてて話しかけてきてくれるとっておきのカフェに行ったら駐車場満車。
店主もそんなに人でいっぱいにならなくていいのとか言ってたのを思い出しながら行くのをやめて

こんな高台の店で

こんなのおっさんが頼むものじゃないけどチョコバナナモカクランチ
私性別や年齢や見た目はおっさんだけど、一般に言うおっさんが好むものに興味もなく話も合わせることが出来ない自分はおっさんにもなれなかった人だと思っている。
子供の頃から子供にもなれてないと思っていて、多分何にもなれずなんでもない
もうそれでいいからピアノを弾きたい。
ノクターン14番の中間部はゆっくり弾いたら弾けない、いいかげんな耳コピになっちゃってることが判明したので超低速でメトロノームを鳴らしながらちゃんとやることにした。
それだけ。
平日休み。メンタル維持のため遠くへ行きたいけれど訳があって出来ず、ピアノを弾きに行こうと思った。
開店と同時に電話するとさすが平日いきなりあいてた。さっさと出かければいいのに家の電子ピアノを弾き始めたらとまらなくなり間に合わなくなりかける。

木目仕上げのピアノが目に入ってなんかすげーのだったらどうしようと思ったけどそんな訳なかった。
音を出した瞬間まず音量にびっくりする。
ずっとペダルなしだったレッスンでもショパンになって踏んでみたらものすごい響きに驚いたけど、あっちは横に先生がいてゆっくり驚いてる場合じゃない。やっと今日ちゃんと驚けたというところか。
防音とは言え店員さんのいるとことの間は薄いドア一枚で音丸聞こえ。向こうは仕事だし恥ずかしいとか関係ないはずだけど聴かれるのが嫌だと思わずソフトペダルを踏んだり。でもそれ消音ペダルじゃないから。
電子ピアノとは全然別物だということ、音量下げてる電子ピアノで練習してると手もペダルも加減でもそれなりに聞こえてしまってることなどを一瞬で思い知らされる。
これで練習したいしなきゃだめだと思う反面こんなデカい音が出るものは絶対家には入れられないと思った。
最後まで背後を意識することをやめられなかったけどそれでもやってれば1時間はあっという間、2時間取っておいてよかった。

この際だからピアノの構造も眺めながらペダルを深く踏んだり緩めたり・・・響きの量が変わるだけかと思ってたけど深く踏めば全部の弦が共鳴しごうごう鳴る感じ。浅く踏むと筐体内の反響音が目立って聴こえるという印象。今やってる曲はそんなに踏みこまなくていいのかなとかよくわかんないなりにいろいろと
音が上から聴こえるんだよな。電子ピアノも変に高いのはアップライトピアノみたいな形をしててなんでかなと思ったけどこの感じでやれんのかな?
1時間半くらいで昼飯のことを考え始め・・じゃなくて椅子の位置について考える。
レッスンに行くと椅子の位置がもうできてて、あれこんなに遠いのかと毎回思う。
逆に言うと私は椅子が近すぎ深く座ってしまう癖があると思う。ここは仕舞ってあった椅子を自分で出したので我流の位置と座り方になってた。
椅子を下げて浅く座る・・・あっ何かが変わってよくなったような気がするけどよくある都合のいい勘違いかもしれない
2時間やっても手は全く痛くならななかったけれど帰って家のを弾いたらすぐ違和感が来た。
家のはスタンドもイレクターで組んだ自作だし椅子もその辺から持ってきたようなのだしペダルも変な位置にあるのを踏んでるし
いよいよ考え始めるものがあるけど置いといて

エレクトーンもあった。
私最初に興味を持ったのはパイプオルガンで、妹が習うためにあった古い中古のエレクトーンで弾き真似をするところから始まった。
いや違う始まらなかったんだよやっと始められたのは35年後の今。
昔別な楽器で毎日練習場を借りていた関係で何も言われてないけど終了時間五分前には片付けをはじめ外へ出る。
肝心なことを言わなくちゃならないけどグランドピアノが弾けてうれしかった。
それで昼飯。

最近移転したこの店、40年前の私が子供の頃も昼には売り切れだとかなんとか言ってた気がするけれど何年か前からテレビに出たとかで平日の朝から馬鹿みたいな行列ができるようになり、レビューを見ても朝から行列だとか昼前には暖簾がしまわれてとか書いてあるのでもう行けないんだと思ってた。
けど、なぜか並ばずに入れて空席もあった。
久しぶりだね中と普通ライス。
焼いてパリパリの餃子とは違うふっくらふわっとした餃子。
仕事で一度行っただけだけど中国で食べた餃子はこんな感じだったかも。
あっちのは中身とかつけタレがもっと派手だったけど。
毎回おんなじことを言っててあれだけど何年か前に足りないなと思った8個の中じゃなくて俺はもう6個の小でもいいなと思った。
先客がテレビをみてきましたというようなことを言ってるらしいのが聴こえてくるのはどうでもよく、お店の人は多分意識的にものすごくお客さんを大事にするような接客をしてた。
港の方で有名になって腐った店も知ってるけどここはきっとずっと大丈夫。
いけないと思った店に行けて満足。
そのあと店主が私を覚えてて話しかけてきてくれるとっておきのカフェに行ったら駐車場満車。
店主もそんなに人でいっぱいにならなくていいのとか言ってたのを思い出しながら行くのをやめて

こんな高台の店で

こんなのおっさんが頼むものじゃないけどチョコバナナモカクランチ
私性別や年齢や見た目はおっさんだけど、一般に言うおっさんが好むものに興味もなく話も合わせることが出来ない自分はおっさんにもなれなかった人だと思っている。
子供の頃から子供にもなれてないと思っていて、多分何にもなれずなんでもない
もうそれでいいからピアノを弾きたい。
ノクターン14番の中間部はゆっくり弾いたら弾けない、いいかげんな耳コピになっちゃってることが判明したので超低速でメトロノームを鳴らしながらちゃんとやることにした。
それだけ。
comodo

この写真を撮った時、すぐそばに外国人の若い女性が2人いて
フランス語のジュとかジャって独特の響きがあるじゃない?あれが聴こえてわー本物が生で聞けたなんて思ったけどそこまで喜ぶこともないか。
コンサート、オルガンならいいかと思い芸劇かサントリーホールに聴きに行こうかと思った件はコロナ感染状況を見てやむなく諦めました。
人様に説明することでもけど会社員やってて裏事情というか訳のわかんないいろいろがあって。まずこの先も食ってく事を考えるよね。
1月中旬がピークじゃないかというのをどこかで読んだので、その先もうすぐ春かなという頃には行けるようになるかもしれませんね。
私12月から月2回ピアノのレッスンが始まるので、その頃どうなってるかな?
どうもなってないか。
変なことにさえなってなければそれでいい
どうかおねがい。

昨日も今日も帰ってピアノ練習しました。
言われた曲以外にもいくつか弾けるようになってきて次のページへ進んだり
だけどいったん楽に弾けるようになった曲でも気を抜くというか油断して間違えるのね。そこに自分を見るような気がする。
中学の頃、何でだったかは忘れたけど先生に怒られ
お前は弁当を忘れたことがあるのか?
確かに忘れたことは一度もないわけで、何か忘れたり間違えたりしてるのは自分の中にそれはどうでもいいという緩んだ気持ちがあるからなんだなと思った・・あれから35年くらいたつけれどいまだにものすごい説得力をもってそれは迫ってくる。
相変わらず間違いだらけだけど。その先に別な曲があると弾いてみたくなり
狙ってるのかは知らないけど初見で楽に弾けてく曲とえ?みたいなのが交互に出てくるように配置されてる気がしなくもない。
全体的にはどれもすごく初歩的なものなんだと思うけれどでも当事者になってみるとね。
今日やってて思ったけれど複雑だと思ってるのは音符を読もうとして無駄に複雑な印象を持っちゃってるだけで、旋律を感じるとか、分解して基本的にはこんなパターンが積み重なってるだけだと理解するとかですーっと楽に・・そんなのあたりまえなんだと思うし音楽に限らずなんでもそうだけど当事者になると

そのうち曲もやってきますと言われていて、アンナマグダレーナバッハの音楽帳と言ったらダメとは言われずその中からやってみたい曲を探してみてというようなことをそういえば言われてるんだった。
https://www.youtube.com/watch?v=jAxP5JOA_jc
そういうのがあるというのは知っていたけど全然聞いたことのなかったそれらを今なんとなく聴いてるわけだけど
バッハの曲もあるけどそうじゃない人の曲がたくさん集まったバッハの嫁さんと子供たちのための音楽帳。
あのものすごい存在感のバッハの音楽のすぐそばにこういうのがあったんだなぁ・・って
音楽界に超絶君臨するあの親父が、こういうのを弾いてる家族をニコニコしながら眺めてたりしたのかな・・意外というか

わさびマヨとグレービーソースのハンバーグセット
月謝袋とこれから

この直後から始まったんじゃないかと思うけれど月食の夜、
私はピアノ教室へ体験レッスンに行ってきました。
向かう途中見たことのない欠け方の月が目に入りよく見たかったけど事故るか遅刻しそうなのであまり見れず。
一旦山の尾根へ出るので、夜景がきれいだったりして。
事前情報通りグランドピアノが2台並んでいた。
先生と並びほんの少し弾いて、結構長い時間話をして
その間先生は私がどんなかを調べ把握されたのかなと思う。
私は最初に音符をいくつか弾いたところで今の自分がどんなでどうしていきたいのかがよくわかった。
弾けない1曲をむりやり弾けたことにするとかじゃなくて超絶基礎から積み重ねて行きいろんなことがちゃんとできるようになりた・・まあ、始まってみればいろいろあるだろうし今どう思ったってそれはやらずに吠えてるだけだから。
ちゃんとやれるかな。ちゃんとやりたいな。
結論的にはレッスンお願いして通う事にしてきました。曜日と時間、一番都合のいい枠が開いててよかった。
でバイエルを・・・あんまり書くと嫌なコメントが来るかなと止まってしまうこれも克服できるように。
楽譜を一冊買うんだけ来るまでにということで一枚もらってきた。
明日から練習できるじゃない。
体験レッスンほんとはもっと先の日程だったんだけど月曜の夜に電話がかかってきて急遽前倒しになった。
じゃあ明日でお願いしますなんて言った瞬間これが頭の中にながれてて
https://www.youtube.com/watch?v=nqEk73LvnzQ
むかし、非常に魅力的な主部に比べ中間部が単調な繰り返しのように感じられあんまり好きになれなかった。
でもある時そこによる自分の部屋で夢を一人何度も何度も語る人というのを感じたんですよね

それがわーっと盛り上がってふと現実に戻る。
外は冷たい雨
自分の考えは流れるだけでなく固まって行き

最後のここは、夢に向かって進む強い決意した瞬間なんだと
勝手に思ってる。
これを今弾きたいなんて間違っても言いませんしいうつもりもなかったけれど、好きな曲は?と聞かれて素直に答えたこれらを今のあなたにはこんなものは無理ですよみたいな否定的な言い方を慎重に避けながら・・かは知らないけどそんなことを勝手に感じさせながら今あるべきところへもっていこうとしてくれる
でも、そういうので単純にやさしい人と解釈をするのは大間違いなことはいい加減この歳になれば
そういえば月謝袋というのを久々に見ました。
前のレッスンは銀行振り込みだったし他に習い事をしたことはないのでそんなものに縁がないはずだけどなんか覚えがあって。
幼稚園かな・・幼稚園児にお金なんか持たせるかなぁ・・など脳裏に浮かんでくる古い映像をみながら
ピアノ習いに行きたくて

もうブログ素直にやろうと思います。
これは3日の西湖。
これからピアノを練習してレッスンを受けに行くと決めました。
私はやり直しとかじゃなく0から。
25年くらい前に休みのないような会社で働いていた時にふっと沸いた休日、ピアノを今弾きたいと思って衝動買いした電子ピアノはまだ家にあって先ほど弾いてみたらちゃんと鳴ってくれた。
ごめんねほったらかして。
6年前暴走的に社会人楽団に入っちゃったりしたけどその直前にピアノでも練習しようかなんて思って少しやってたことがあって、その時持ってきた楽譜がまだそのまま置きっぱなし。
だけど我流だと変なことをやってても誰にも怒られないし進歩もしないし何の反応もないしでつづかなく
そういえばあの時もやってるともんちがとことことやってきてそばに寝そべっててくれた。
でももうそういうの全部なしでまっさらなところから・・
住宅地でピアノ教室みたいな看板が出てるところがそこら中にあって、ものすごい密度でそういうのあるんだろうなと前から思ってはいましたが、調べてみるとおっさんお断りなんですね
同じ市内にそうは書いてない先生がいたので問い合わせみたいなボタンを押してなんか書いたけれど今のところ返事はありません。そんなにすぐ来るものじゃないだろうと思うし・・落ち着いてきていろいろ眺めてると、私クラシックが大好きだからクラシックが嫌いな先生じゃ困るんだけど短い照会文からそういうの透けて見えてたりするんですよね。
とか思っていると市境を超えるけどもっと近いところに成人男性可という教室を見つけた。
グランドピアノが2台あるらしいことのほかちょこっと書かれた文字を眺めているうちにああこちらに一度行ってみたい・・
電話番号伏せてるところも多いけれど載っていて、昨日コロナワクチン打って副反応で調子悪いんだけど思い切って電話をかけてみた。
いきなり困ったような声色を感じたので今募集してませんとか言う落ちかと思ったけどそうじゃなく今レッスン中なので・・
あそうですよね。言われた時間にかけなおして少し話をさせていただき、体験レッスンに行く日程が決まった。
ほんの少し話すだけでもいろんなことが伝わってきたりするけれど、でもまだ何も決まっていないしわからない。
どうか私に
私にも音楽をさせてください。
それはいいけど今日はワクチンの副反応がなかなかひかずつらい。
ひどくなってきてるような。
いいけど。

喫茶店のナポリタンでどこでも同じなようでみんな違う。ケチャップすっぱすぎだよとか。
素直においしかったこれ。

最初に座った席は西日が暑くてしょうがないので変わらせてもらった

ガス窯で35分かけて焼きますけどいいですか?なピザも美味しかった。

周りは大渋滞の大行列だったけどここだけ静かで。