乗り換えようというわけじゃないけど
田舎のかなり奥の方で晴れてればいい感じだろうなという景色の中に古民家カフェがあった
入ってみればいい感じで

先にビスケットだけが出て来て、もう冷めちゃったあたりで飲み物ホットでしたっけアイスでしたっけ?と聞きに来きて
またかなり待って遅くなって的なコメントもなく飲み物登場
その間ほかのお客さんはもう終わっていて何かに手を取られているようには・・
どうしたらこうなるのかと思わないでもないけれど、でもイライラしたりもしなかった
私はこの日この後楽器のレッスン。自分がこれから「こんなの子供でもできますありえない」みたいなことを言われに行くわけで

文句めいてるけどここまた行って今度はランチを頼んでみたいかなと思ってる。
ビスケットと言えば子供の頃に食った平べったい干からびてるやつのことだと思っていたけれど、映画か何かを見てそうじゃないのかと知ったのはもう何年前か
初めて食べたこういうの。
古民家カフェあんまりなのにここに来た理由はメニューにジンジャーミルクティーというのがあるからだった。
炎症効果と聞いてからジンジャーって書いてあると頼んじゃって。
美味しかったような記憶があるけどそれが最初に出てこないところを見るとやっぱり気持ちに余裕がなかったかな実は
https://www.youtube.com/watch?v=Mhi5uWbRBuI&t=7s
レッスンから帰ったらマーラーの3番が頭の中で流れてた
塞ぎこんでるときに聴く曲じゃなくオーケストラってこんなにでかいことが出来るのかみたいな音楽だけど
レッスン終わって気持ちが解放された?
でも次の日最初のひと吹きでもう元へ戻る。
ブログの拍手の数もダダ下がり
ずっとその数字から自己肯定感を採ってて依存症だから気持ちも下がりかけ・・ないのはなんとなく細々はじめたTwitterがあるから?
昔見た次が見つかると都合よく乗り換えて今まであんなに大事にしてたものを蹴散らしてた人を思い出したけど今関係ない。
ブログ止めるわけじゃないけど別なのがあるって大事というか楽なんだね

楽器もこれしかないなんて言ってないで他に打ち込むことでも探せばという声が聞こえる。
うるせーばか。
もうそろそろ、まあいいやが使いこなせるようにならないと年齢的に危ないかなと今日は思った。
入ってみればいい感じで

先にビスケットだけが出て来て、もう冷めちゃったあたりで飲み物ホットでしたっけアイスでしたっけ?と聞きに来きて
またかなり待って遅くなって的なコメントもなく飲み物登場
その間ほかのお客さんはもう終わっていて何かに手を取られているようには・・
どうしたらこうなるのかと思わないでもないけれど、でもイライラしたりもしなかった
私はこの日この後楽器のレッスン。自分がこれから「こんなの子供でもできますありえない」みたいなことを言われに行くわけで

文句めいてるけどここまた行って今度はランチを頼んでみたいかなと思ってる。
ビスケットと言えば子供の頃に食った平べったい干からびてるやつのことだと思っていたけれど、映画か何かを見てそうじゃないのかと知ったのはもう何年前か
初めて食べたこういうの。
古民家カフェあんまりなのにここに来た理由はメニューにジンジャーミルクティーというのがあるからだった。
炎症効果と聞いてからジンジャーって書いてあると頼んじゃって。
美味しかったような記憶があるけどそれが最初に出てこないところを見るとやっぱり気持ちに余裕がなかったかな実は
https://www.youtube.com/watch?v=Mhi5uWbRBuI&t=7s
レッスンから帰ったらマーラーの3番が頭の中で流れてた
塞ぎこんでるときに聴く曲じゃなくオーケストラってこんなにでかいことが出来るのかみたいな音楽だけど
レッスン終わって気持ちが解放された?
でも次の日最初のひと吹きでもう元へ戻る。
ブログの拍手の数もダダ下がり
ずっとその数字から自己肯定感を採ってて依存症だから気持ちも下がりかけ・・ないのはなんとなく細々はじめたTwitterがあるから?
昔見た次が見つかると都合よく乗り換えて今まであんなに大事にしてたものを蹴散らしてた人を思い出したけど今関係ない。
ブログ止めるわけじゃないけど別なのがあるって大事というか楽なんだね

楽器もこれしかないなんて言ってないで他に打ち込むことでも探せばという声が聞こえる。
うるせーばか。
もうそろそろ、まあいいやが使いこなせるようにならないと年齢的に危ないかなと今日は思った。
各種手続きについて
昨日久しぶりに嫁さんが作ってくれたものを食べ、おいしいからと調子に乗ったつもりもないが腹のいちばんまずい部分に違和感を感じ始めた時はビビった。
正直それはまだ続いているけれど腹自体は正常に機能しているようだし治ってくると入った管を押し出そうとする力とチューブを皮膚に縫い付ける糸の間で‥みたいな話もあったしやたらにビビってもしょうがないか。いやしょうがなくないと思う。ちょっといろいろあって病気については安易に安心なんかしちゃだめだと考えているけど長くなるので別にしようと思う。
朝、2週間前とは全然違う力強い日の光に驚く。

ボンタンも若葉や花芽がぐんぐん伸びてた。
伸び放題の雑草をとってやりたいと思ったけれどかがんだり座るのがいま怖いのでやめた。
医療保険の請求手続きでも始めようかと調べ、電話しろとあるから電話してみると今在宅勤務だし人もいないしなかなか繋がらないかも知れないけどいいにしてくれみたいな自動音声が流れて笑う。
その後どうせつながんねーんだからスマホでやれよという案内に乗って簡単請求アプリとか言うのをダウンロードしログインするところまではやった。
入院中スマホくらいしかないのでスマホをよく触っていたけれど、その時薬の副作用かずっと気持ちが悪かったのでエビアン同様スマホを見ると気持ち悪くなるようになってしまった。
もう一つ県民共済は住所や口座の変更など金を入れる方の手続きはやたらに分かりやすく案内されてるのに請求については見当たらない気がして笑う。
まあいいや。
月謝免除の話をしたいけれど何日たっても担当につながらない楽器店へ電話をし
おたくはどうなってるんですか!
とやってしまう。
最終的には年配の人が名乗りつつ私の責任で必ずと約束してくれその後すぐ連絡が来た。
しかし楽器店のお姉さんでも病院の看護師さんでも久しく見なかったので鎖国状態だったテレビの中の若い人も、第一線で活躍している人たちのその親と同じかもっと上の年齢に俺はなっちまったんだなと思ったりしている。
もう物事の考え方や常識感なんかは私の思ってるのと別なものが支配的になり・・・いや私はもともと世の中の流れにのれずなんだかわかんないところを生きて来てるんだからどうでもいいか
そうこうしているうちになかなか来なかった高額医療費補助制度の認定書が届いた。
それが有効になる支払いのチャンスは連休を挟むため2.5日しかない。
今日行けるかな?
FC2の管理画面が頻繁にログオフされてしまうのは家のパソコンでも同じだった。
私は誰とも付き合いがなく自己肯定感を満たしてくれるブログに依存しているところがあるのだけど、もうそういうのやめてくださいという事かもしれない。
しばらく、体もこんなだし出力20%で運転でもいいかなと思ってる。
だけどほかに何にもないのね。
犬と奥さんがいるじゃないとかそういう事じゃなくて。
やっぱり早く治して楽器の練習しようか。
昨日から、音楽を聴きはしないけれど
マーラーの3番の2楽章当たりのスコアを眺めながら頭の中で鳴らしていた。
https://www.youtube.com/watch?v=tLnf3Qv7jSU
19か20の頃にマーラーの2番3番を毎晩スコアをなめるように眺めながら聞いた。
19か20の頃にくぎ付けになるべきことはそれじゃないと思うがいまさら言っても仕方がないし当時からそんなことはわかっていた。
それはいいとして

この楽章小さくかわいい音楽でありながら凝りに凝った複雑な弦楽分奏が面白すぎで、暗譜ではないにしろここはああなってるあそこはあんなことやってるというのを覚えこんだ頭は後年実演を聞きに行ったときに大いに役立った。
音楽は耳で聞くだけではない、目で見て体で感じて体感体験共感してくるものだとその時思った。
それがどうしたってなもんだろうけど。
正直それはまだ続いているけれど腹自体は正常に機能しているようだし治ってくると入った管を押し出そうとする力とチューブを皮膚に縫い付ける糸の間で‥みたいな話もあったしやたらにビビってもしょうがないか。いやしょうがなくないと思う。ちょっといろいろあって病気については安易に安心なんかしちゃだめだと考えているけど長くなるので別にしようと思う。
朝、2週間前とは全然違う力強い日の光に驚く。

ボンタンも若葉や花芽がぐんぐん伸びてた。
伸び放題の雑草をとってやりたいと思ったけれどかがんだり座るのがいま怖いのでやめた。
医療保険の請求手続きでも始めようかと調べ、電話しろとあるから電話してみると今在宅勤務だし人もいないしなかなか繋がらないかも知れないけどいいにしてくれみたいな自動音声が流れて笑う。
その後どうせつながんねーんだからスマホでやれよという案内に乗って簡単請求アプリとか言うのをダウンロードしログインするところまではやった。
入院中スマホくらいしかないのでスマホをよく触っていたけれど、その時薬の副作用かずっと気持ちが悪かったのでエビアン同様スマホを見ると気持ち悪くなるようになってしまった。
もう一つ県民共済は住所や口座の変更など金を入れる方の手続きはやたらに分かりやすく案内されてるのに請求については見当たらない気がして笑う。
まあいいや。
月謝免除の話をしたいけれど何日たっても担当につながらない楽器店へ電話をし
おたくはどうなってるんですか!
とやってしまう。
最終的には年配の人が名乗りつつ私の責任で必ずと約束してくれその後すぐ連絡が来た。
しかし楽器店のお姉さんでも病院の看護師さんでも久しく見なかったので鎖国状態だったテレビの中の若い人も、第一線で活躍している人たちのその親と同じかもっと上の年齢に俺はなっちまったんだなと思ったりしている。
もう物事の考え方や常識感なんかは私の思ってるのと別なものが支配的になり・・・いや私はもともと世の中の流れにのれずなんだかわかんないところを生きて来てるんだからどうでもいいか
そうこうしているうちになかなか来なかった高額医療費補助制度の認定書が届いた。
それが有効になる支払いのチャンスは連休を挟むため2.5日しかない。
今日行けるかな?
FC2の管理画面が頻繁にログオフされてしまうのは家のパソコンでも同じだった。
私は誰とも付き合いがなく自己肯定感を満たしてくれるブログに依存しているところがあるのだけど、もうそういうのやめてくださいという事かもしれない。
しばらく、体もこんなだし出力20%で運転でもいいかなと思ってる。
だけどほかに何にもないのね。
犬と奥さんがいるじゃないとかそういう事じゃなくて。
やっぱり早く治して楽器の練習しようか。
昨日から、音楽を聴きはしないけれど
マーラーの3番の2楽章当たりのスコアを眺めながら頭の中で鳴らしていた。
https://www.youtube.com/watch?v=tLnf3Qv7jSU
19か20の頃にマーラーの2番3番を毎晩スコアをなめるように眺めながら聞いた。
19か20の頃にくぎ付けになるべきことはそれじゃないと思うがいまさら言っても仕方がないし当時からそんなことはわかっていた。
それはいいとして

この楽章小さくかわいい音楽でありながら凝りに凝った複雑な弦楽分奏が面白すぎで、暗譜ではないにしろここはああなってるあそこはあんなことやってるというのを覚えこんだ頭は後年実演を聞きに行ったときに大いに役立った。
音楽は耳で聞くだけではない、目で見て体で感じて体感体験共感してくるものだとその時思った。
それがどうしたってなもんだろうけど。
帰ってはこれた
半分死んでたこのブログへ来てくれたりコメントをくださった方々、
どうもありがとうございました。
忘れないと思います。
昨日、ダメなのかと思ったけど遅い時間に退院の許可を先生からいただけたので帰ってきた。
ちょうど超絶大雨の予報。
腹から管が突き出たような状態で帰るわけだけど嫁さんに運転してもらうと車を家まで近づけることが出来ずどうしても雨の中歩かなければならない。あんまり早い時間だと顰蹙を買うのはわかっていたけれどそうならないのと雨が強まる前のぎりぎりのタイミングで・・
ありがたいことに大雨になる前に帰ってくることが出来た。
私と同じか少し若いのかもしれない先生はには助けてもらったという感謝の気持ちが素直にわいている。まだ全然終わってはいないんだけど。
いろんな看護師さんに対していろんな印象を持ったけれど最後の最後にとてもよくしていただく場面を得てありがたい気持ちで終わることが出来た。
家が近づいてくると庭木に新芽が出て家を出る時とは違う景色になっていることにちょっと驚く。
ついでに草も生え放題じゃないか・。

玄関を開けると犬が飛び出て来てくれたり・・しないことはわかってて予想通り寝床で爆睡してた。
頭をちょっとつつくと見上げるより前にまずにおいをかぐのね。
尻尾を振って迎えてくれて、以降ずっとくっついていてくれる。
私の上に乗っかろうとするのだけど今腹の上に乗られるのは怖いのでダメだと制してることがちょっと納得いかないらしい。
とか書いてたけど結局制圧されちゃった。
久しぶりに触ってわかったのは毛の生え変わる季節に突入しているらしいことと、毎日一緒にいるとわからないけど犬ってやっぱり犬臭いのね。
まあいいのよそういう私47歳、今まで自分に加齢臭を感じたことは一度もなかった。
でも入院中嫌という程自分は加齢臭時代に突入していることを知る。
別にショックでもないけどあの匂いはなんだか死の舞踏みたいでいやだ。
対策は洗いまくるという事?
20代の頃に入院し暫く入浴厳禁だったときは自分が脂ぎっていくのを感じた。
今回はどちらかというとカサカサ化が進行したような気がするのはやっぱり老化?
入院になってしまう頃ちょうど咲き始めていた花がまだ頑張って咲いてるのを窓越しに見てありがとうとか思う。
この数日胃から口にかけて異様な気持ち悪さが充満し食欲がまったくわかないのはどうも服用している抗生剤の副作用らしい。
結構不快だけどまあそういう事ならいいか。いずれ収まるんだろうし。
多量の口内炎も副作用だろうか?もう痛くて話をするのも苦痛になってきた。
昨日追って担当から連絡すると言われた楽器屋からの連絡はまだない。多分こちらからしない限りは連絡も来ないだろうし、してもまた訳の分かんないような問答から再開とかなんじゃないか。
今日は祝日だったので手付金みたいなのしか払えず残りをまた払いに行くのだけれど、高額医療費補助制度みたいなのを使うのには月の締めみたいなのがあるのですぐまた行かないとまずいらしい。
らしいが送られてくるはずの通知書だか何だかがまだ届かない。会社経由で問い合わせてもらったところもうついてていいはずの日に発送したと・・・まあいいかそんなこまけーこと。
今楽器を吹こうとは全く思わないのは仕方ないとして、早く吹けるようになり・・みたいなのも沸いてこないのは大丈夫なのか。
まあいいよそんなのも
いらんことばっかり考え嫌な気持ちになってばっかりいるから腹に穴が開いたりするんだよ。
入院中、はじめのうちは病気本体による激痛で、途中からはのどの痛みによりたびたび目が覚め眠れなくなる長い夜は次第に恐怖の対象になっていった。
最初か次の夜窓越しに外を見た時に流れ出したこの音楽が
https://www.youtube.com/watch?v=mWHMzMhYvdw
私の今回の入院のテーマみたいになってる。
どうもありがとうございました。
忘れないと思います。
昨日、ダメなのかと思ったけど遅い時間に退院の許可を先生からいただけたので帰ってきた。
ちょうど超絶大雨の予報。
腹から管が突き出たような状態で帰るわけだけど嫁さんに運転してもらうと車を家まで近づけることが出来ずどうしても雨の中歩かなければならない。あんまり早い時間だと顰蹙を買うのはわかっていたけれどそうならないのと雨が強まる前のぎりぎりのタイミングで・・
ありがたいことに大雨になる前に帰ってくることが出来た。
私と同じか少し若いのかもしれない先生はには助けてもらったという感謝の気持ちが素直にわいている。まだ全然終わってはいないんだけど。
いろんな看護師さんに対していろんな印象を持ったけれど最後の最後にとてもよくしていただく場面を得てありがたい気持ちで終わることが出来た。
家が近づいてくると庭木に新芽が出て家を出る時とは違う景色になっていることにちょっと驚く。
ついでに草も生え放題じゃないか・。

玄関を開けると犬が飛び出て来てくれたり・・しないことはわかってて予想通り寝床で爆睡してた。
頭をちょっとつつくと見上げるより前にまずにおいをかぐのね。
尻尾を振って迎えてくれて、以降ずっとくっついていてくれる。
私の上に乗っかろうとするのだけど今腹の上に乗られるのは怖いのでダメだと制してることがちょっと納得いかないらしい。
とか書いてたけど結局制圧されちゃった。
久しぶりに触ってわかったのは毛の生え変わる季節に突入しているらしいことと、毎日一緒にいるとわからないけど犬ってやっぱり犬臭いのね。
まあいいのよそういう私47歳、今まで自分に加齢臭を感じたことは一度もなかった。
でも入院中嫌という程自分は加齢臭時代に突入していることを知る。
別にショックでもないけどあの匂いはなんだか死の舞踏みたいでいやだ。
対策は洗いまくるという事?
20代の頃に入院し暫く入浴厳禁だったときは自分が脂ぎっていくのを感じた。
今回はどちらかというとカサカサ化が進行したような気がするのはやっぱり老化?
入院になってしまう頃ちょうど咲き始めていた花がまだ頑張って咲いてるのを窓越しに見てありがとうとか思う。
この数日胃から口にかけて異様な気持ち悪さが充満し食欲がまったくわかないのはどうも服用している抗生剤の副作用らしい。
結構不快だけどまあそういう事ならいいか。いずれ収まるんだろうし。
多量の口内炎も副作用だろうか?もう痛くて話をするのも苦痛になってきた。
昨日追って担当から連絡すると言われた楽器屋からの連絡はまだない。多分こちらからしない限りは連絡も来ないだろうし、してもまた訳の分かんないような問答から再開とかなんじゃないか。
今日は祝日だったので手付金みたいなのしか払えず残りをまた払いに行くのだけれど、高額医療費補助制度みたいなのを使うのには月の締めみたいなのがあるのですぐまた行かないとまずいらしい。
らしいが送られてくるはずの通知書だか何だかがまだ届かない。会社経由で問い合わせてもらったところもうついてていいはずの日に発送したと・・・まあいいかそんなこまけーこと。
今楽器を吹こうとは全く思わないのは仕方ないとして、早く吹けるようになり・・みたいなのも沸いてこないのは大丈夫なのか。
まあいいよそんなのも
いらんことばっかり考え嫌な気持ちになってばっかりいるから腹に穴が開いたりするんだよ。
入院中、はじめのうちは病気本体による激痛で、途中からはのどの痛みによりたびたび目が覚め眠れなくなる長い夜は次第に恐怖の対象になっていった。
最初か次の夜窓越しに外を見た時に流れ出したこの音楽が
https://www.youtube.com/watch?v=mWHMzMhYvdw
私の今回の入院のテーマみたいになってる。
はやく美しい世界へいこう

これが病院から見えた訳じゃないけど
最終的には太く安定した基盤に乗った穏やかな心を目指しますが、
大部屋だけど変な人がいなければ個室と同じだななんて思っていた。
けど昨日昭和の古ダンスみたいな家族が入ってきて好きなだけ騒いだあと、残った自称立派な親父は電話し放題は当たり前の無神経非常識
医師が外来でといっているのに並ぶからなーっと強引に入院を自分で決めたり。あれホテルで療養くらいのつもりなんだろうな。
看護士たち人は顔見知りらしく、ルール違反を注意されることもない。
耳につく電子音を再三ならすにでやめるように言おうかと思っていたけどどうも相性が悪いと感じる看護士が親しげに話しかけてるのをみて思った。
これいつものパターンだ。先の展開も見えるな
何処であれうちから出れば敵だらけ。
戦いなのである。
この先にいい事書きたいけど間に合うか
今日は夕方から麻酔をして膿だしだそうです。
入院して2度目の夜、3時くらいに廊下をさまようと窓の向こうに寝静まったような夜景が見えた。
ほんとは熱と痛みでそんなとこに居られないのにいたのは病人特有の理由で下半身に受け入れられない惨事が発生してたから
最低で途方に暮れてたんだけど頭にマーラーの3番4が楽章がながれだした。
歌詞に関係なく音楽が静寂のなかに月明かりをおとし続けてるのね
https://www.youtube.com/watch?v=iSnMcofIL9k
4楽章から開始の指定ができなかった。

楽譜も過去記事から
スマホからやって不自由なのですが先ほどログインできない危機が来たりしていて急に更新止まっても死んでませんのでまたいつか見に来てくださいね
見てくれた方のところ行きたいけどできなくなる恐れも
言葉のある世界。
有休がとれたので日帰りで遠くへ出かけた。
ほんとはちょっと違うけどそんなとこ説明したってしょうがないですもんね。
最近の新幹線は窓下の壁にコンセントがついていることが多くみんなアダプタ刺してなんかやってる。
私のスマホはメールもSNSも電話も何にも来ないので買った当初は何日も充電しなくてもちゃんと動いていたし動いている必要も別になかった。
状況は今も変わらないけれどブログをやるようになってからこれで写真をたくさん撮ったり、ブログを見たりするようになったので電池がすごい速さで減るようにはなった。

乗り換えた私鉄の特急にもコンセントがあるのを見て多少驚く。
目の前にあって使いやすいうえに通路側の席にもあるという点で新幹線を超えてる気がする。
いずれマイクロ波かなんかで非接触の充電サービスも当たり前になるんだろうけど関係ない腕時計が共振、過熱して大やけどとかそういうのの保護が難しそうですよね。

一度も来たことのない路線で見たことのない景色を眺めるともうそれだけで気分が洗われていくような気がする。
いくつかのストレスが漏水みたいにちょろちょろ流れてたまっていたのと、来週以降嫌なことの本陣へ突入していくために自分を立て直す必要もあった。
なんでもいいからどっか行きたかったし、次に行くならあの辺りときまっていた。

分岐してゆく本線。分岐というかクロスしてるんだよね・・
マニアだとこの一文と写真だけでどこのどの駅かわかるんでしょう?
人がたくさんいるであろうあっちへ今はいけないなと思った。

夏の雲。
いいねえ・・
この時、スマホを見ていると自分のブログへいろんな人がコメントを寄せてくださっていた。
ちょっと心がかすれてるところだったので大変ありがたく、泣きはしないけど泣きそうと言いたいくらいうれしかった。
ありがとう。

遠くの、全然知らない街の何でもない路地を歩く。たのしいのう・・
知らないところへ行くと昼めし食いそびれることがよくあるので調べてあったつけ麺屋はまだ開店前。
そっかじゃあそこいこう。
古い私鉄の終着駅が寺院や神社のそばだというのは結構あって鉄道黎明期には参拝客を見込んでというのが投資の理由になったんでしょうね。
前回来たとき駅名から近くにでかい神社があるのかくらいに思っていたけれど、平成の終わりにニュースで天皇陛下が・・というのを見てその何たるかを知る。
すぐにぶつかる森の中へ入っていくと

並の神社じゃありません的な光景。
きちんと一礼してから鳥居をくぐって出てくる人を見て自分もなんかちゃんとしなくちゃとか思ってみたり。

でっかくてなんだか厳粛な感じの場には人がほとんどいないので自分もそれなりの気持ちで参拝してきた。

団体みたいなのが来ると一気に場が緩むのね。
でっかいカメラで写真撮って、携帯で大声ではなして・・
でも、それでいいんでしょうね。
自分がそういうの出来ないからひがんでんのか。
神武天皇なんて言われても特にピンとこない。
交響曲で言うと第1番か、4曲しかないブラームスの1番じゃないな・・ハイドンなら100曲以上あるんだから・・とかくだらないことを考えて歩いてた。

隣の池はいい感じ。
飽きるまでゆっくり眺めていたいけれど、次があるんだから・・他も行かなくちゃ・・と謎の焦りが・・
こういうのも人格形成期から積み重ねてきた歪みでしょうね。
件のつけ麺屋につくと既に満席で外で待ち客がいるような状況だった。
病的な時間がもったいない焦りによって待つと言うのは自動的に却下。もう一軒評判のいい定食屋があるみたいだけどちょっと遠くこちらも・・もういいやとたまたま目の前あったチェーン店にはいる。
入ると丁寧な感じで奥の席を進められ、よくわからないけど適当に注文する。
狭い店内だけど忙しく動きまわり電話の対応もというおばちゃんはいい感じ。

でてきたこれは、素朴でおいしかった。
後ろでごちゃごちゃ言うのが聞こえ・・細かいところは忘れちゃったけど私にとってはテレビの中にあるものだと思っている関西弁で、
すみません相席させてもらってもよろしいですか?
あーいいですよなんて言いながら食ってるとしばらくして、
すいません、年配の方男女二人なんですけどぉ・・
えーいいですよ。
やけに丁寧だなぁ・・いいひとなのかもなぁ。
地元の人なのか年配の夫婦が目の前に座る・・ご主人というかお爺ちゃんはすごい笑顔で
すんまへんねぇ‥
そんなに丁寧にしてくれなくていいのに、こっちまで笑顔になっちゃうよ。
しばらくするとブスッとしていた奥さんがどっかを指さして小声でなんか言う。
するとおじいちゃんは立ち上がってすごく申し訳なさそうな笑顔で、
・・すんまへんあっちが良いていうもんで・・
ほんとにもうしわけない・・せっかく一人で食うてはるのに・・
いいえぇ。
ちょっと困ったニュアンスのまだ片付け澄んでないもんでという声が聞こえると
申し訳なさそうな笑顔が見えるようないえいえすんまへんというお爺ちゃんの声が・・
お爺ちゃんいい人なんだろうなぁ・・
そうやっていろんな人の間に立ってことをうまく収めてきたのかなぁ。
こんどはお店のおばちゃんが登場してものすごく丁寧に
すみませんねぇ・・・せっかくいいていってくれはったのにぃ・・
あー、
なんでみんなそんなに優しいの?
こんなこと何でもないことなんだろうけど、前日人の嫌なところにうんざりして腐ってたところだから・・
ラーメン屋で泣きそうになる。
これも1500年の歴史からくる奈良パワーなのか?
神武天皇の力なのか?
人というのは嫌なものなわけではないのだとまた教わる。
https://www.youtube.com/watch?v=Ext8ifHxzg8
作曲の初期段階でこの壮大な楽章には「愛が私に語ること」という表題がついていた。
外してしまったのは下手に言葉があるとみんなそこにとらわれ限定された聴き方をしてしまうことがくだらないから・・くだらないとか言っちゃいけませんよね・・と言うのもあるんじゃないかと思う。
音楽というのは言葉とは違う、言葉では伝わらないものを伝え感じる世界だと思う。
まいいかそんなこと。
いつものように誰とも話さず、自分の中の妄想自分と会話しながら旅をしていたけれど、ブログのコメントとラーメン屋のおじいさん、おばさんに言葉のすごさを教えられる。

ありがとう。
ほんとはちょっと違うけどそんなとこ説明したってしょうがないですもんね。
最近の新幹線は窓下の壁にコンセントがついていることが多くみんなアダプタ刺してなんかやってる。
私のスマホはメールもSNSも電話も何にも来ないので買った当初は何日も充電しなくてもちゃんと動いていたし動いている必要も別になかった。
状況は今も変わらないけれどブログをやるようになってからこれで写真をたくさん撮ったり、ブログを見たりするようになったので電池がすごい速さで減るようにはなった。

乗り換えた私鉄の特急にもコンセントがあるのを見て多少驚く。
目の前にあって使いやすいうえに通路側の席にもあるという点で新幹線を超えてる気がする。
いずれマイクロ波かなんかで非接触の充電サービスも当たり前になるんだろうけど関係ない腕時計が共振、過熱して大やけどとかそういうのの保護が難しそうですよね。

一度も来たことのない路線で見たことのない景色を眺めるともうそれだけで気分が洗われていくような気がする。
いくつかのストレスが漏水みたいにちょろちょろ流れてたまっていたのと、来週以降嫌なことの本陣へ突入していくために自分を立て直す必要もあった。
なんでもいいからどっか行きたかったし、次に行くならあの辺りときまっていた。

分岐してゆく本線。分岐というかクロスしてるんだよね・・
マニアだとこの一文と写真だけでどこのどの駅かわかるんでしょう?
人がたくさんいるであろうあっちへ今はいけないなと思った。

夏の雲。
いいねえ・・
この時、スマホを見ていると自分のブログへいろんな人がコメントを寄せてくださっていた。
ちょっと心がかすれてるところだったので大変ありがたく、泣きはしないけど泣きそうと言いたいくらいうれしかった。
ありがとう。

遠くの、全然知らない街の何でもない路地を歩く。たのしいのう・・
知らないところへ行くと昼めし食いそびれることがよくあるので調べてあったつけ麺屋はまだ開店前。
そっかじゃあそこいこう。
古い私鉄の終着駅が寺院や神社のそばだというのは結構あって鉄道黎明期には参拝客を見込んでというのが投資の理由になったんでしょうね。
前回来たとき駅名から近くにでかい神社があるのかくらいに思っていたけれど、平成の終わりにニュースで天皇陛下が・・というのを見てその何たるかを知る。
すぐにぶつかる森の中へ入っていくと

並の神社じゃありません的な光景。
きちんと一礼してから鳥居をくぐって出てくる人を見て自分もなんかちゃんとしなくちゃとか思ってみたり。

でっかくてなんだか厳粛な感じの場には人がほとんどいないので自分もそれなりの気持ちで参拝してきた。

団体みたいなのが来ると一気に場が緩むのね。
でっかいカメラで写真撮って、携帯で大声ではなして・・
でも、それでいいんでしょうね。
自分がそういうの出来ないからひがんでんのか。
神武天皇なんて言われても特にピンとこない。
交響曲で言うと第1番か、4曲しかないブラームスの1番じゃないな・・ハイドンなら100曲以上あるんだから・・とかくだらないことを考えて歩いてた。

隣の池はいい感じ。
飽きるまでゆっくり眺めていたいけれど、次があるんだから・・他も行かなくちゃ・・と謎の焦りが・・
こういうのも人格形成期から積み重ねてきた歪みでしょうね。
件のつけ麺屋につくと既に満席で外で待ち客がいるような状況だった。
病的な時間がもったいない焦りによって待つと言うのは自動的に却下。もう一軒評判のいい定食屋があるみたいだけどちょっと遠くこちらも・・もういいやとたまたま目の前あったチェーン店にはいる。
入ると丁寧な感じで奥の席を進められ、よくわからないけど適当に注文する。
狭い店内だけど忙しく動きまわり電話の対応もというおばちゃんはいい感じ。

でてきたこれは、素朴でおいしかった。
後ろでごちゃごちゃ言うのが聞こえ・・細かいところは忘れちゃったけど私にとってはテレビの中にあるものだと思っている関西弁で、
すみません相席させてもらってもよろしいですか?
あーいいですよなんて言いながら食ってるとしばらくして、
すいません、年配の方男女二人なんですけどぉ・・
えーいいですよ。
やけに丁寧だなぁ・・いいひとなのかもなぁ。
地元の人なのか年配の夫婦が目の前に座る・・ご主人というかお爺ちゃんはすごい笑顔で
すんまへんねぇ‥
そんなに丁寧にしてくれなくていいのに、こっちまで笑顔になっちゃうよ。
しばらくするとブスッとしていた奥さんがどっかを指さして小声でなんか言う。
するとおじいちゃんは立ち上がってすごく申し訳なさそうな笑顔で、
・・すんまへんあっちが良いていうもんで・・
ほんとにもうしわけない・・せっかく一人で食うてはるのに・・
いいえぇ。
ちょっと困ったニュアンスのまだ片付け澄んでないもんでという声が聞こえると
申し訳なさそうな笑顔が見えるようないえいえすんまへんというお爺ちゃんの声が・・
お爺ちゃんいい人なんだろうなぁ・・
そうやっていろんな人の間に立ってことをうまく収めてきたのかなぁ。
こんどはお店のおばちゃんが登場してものすごく丁寧に
すみませんねぇ・・・せっかくいいていってくれはったのにぃ・・
あー、
なんでみんなそんなに優しいの?
こんなこと何でもないことなんだろうけど、前日人の嫌なところにうんざりして腐ってたところだから・・
ラーメン屋で泣きそうになる。
これも1500年の歴史からくる奈良パワーなのか?
神武天皇の力なのか?
人というのは嫌なものなわけではないのだとまた教わる。
https://www.youtube.com/watch?v=Ext8ifHxzg8
作曲の初期段階でこの壮大な楽章には「愛が私に語ること」という表題がついていた。
外してしまったのは下手に言葉があるとみんなそこにとらわれ限定された聴き方をしてしまうことがくだらないから・・くだらないとか言っちゃいけませんよね・・と言うのもあるんじゃないかと思う。
音楽というのは言葉とは違う、言葉では伝わらないものを伝え感じる世界だと思う。
まいいかそんなこと。
いつものように誰とも話さず、自分の中の妄想自分と会話しながら旅をしていたけれど、ブログのコメントとラーメン屋のおじいさん、おばさんに言葉のすごさを教えられる。

ありがとう。
親子とこけた人
旅行も行けないので以前の正月に北海道へ行った時の写真を見てた。
今はきっと美瑛なんか正月から人であふれていたりするのかもしれないけれど、このときはなぜか全然誰もいなかった。

あさ一番に向かったここは親子の樹と呼ばれる木が見える場所。
前の晩に雪が降ったらしく目の前にあった世界は夢のようだった・・魅了されてその後ここへはいろんな季節に何度も行った。
考えてみると何に魅かれたんだろう?
親子というのは他人事みたいな気がしていた。
実際他人事になってしまった。

ここはある人たちには有名なV字谷に直接レールが敷かれた場所。
興味ないと何が面白いか全くわからないかもしれませんね。
なにをどう感じるかなんて人によって全然違うんだけどそんなことあまり意識しないでいられる人は幸せ。
そういう違いで悩んだり戸惑ったりする人も幸せ。自分だけの大事なものを持ってるって事でしょう?
ちがうか。
道端の木とか何かの隙間から風がビューっとか吹き抜けてると、シッカロールみたいな雪がそれに乗ってキラキラ光りながら飛んでたりするんですよね。雪スプレーみたいな・・その先に真っ白な吹き溜まり・・
農家の庭先で乳母車じゃなくて歯のついた乳母そりみたいなのを見てワーと思ったり・・
見たことのない世界の中をあっちこっち走り回って
アリスの国に紛れ込んだおっさんみたいでしたよ。

たしか3時ごろからもう日が暮れ始めるんですよね。
えー?もうおわり?みたいな。

日が暮れると車運転のリスクが一気に高まるんだっけ?
本州でスキーに行ったくらいの経験なんか糞みたいなもんだぞみたいな知識は入れていった。
日没に合わせて親子の樹に向かった写真が残っているから、夕日が当たればすごいことになると思っていたのかも。
でもこの日は不発。
この時は人がいっぱいいてみんな三脚にでっかいカメラ・・私だけちっちゃいコンデジ・・

子供の木がまたね・・って手を振ってるみたいだよね。
私には背の低い左が親父に見える。
よく知らないけれど最近美瑛の名のある木が伐採されているんですか?
元々観光用じゃないんだから全く文句はないし、一部はアホな観光客のせいだったりするんでしょう?
またいつか行ける日が来るまで元気でいてくれるだろうか?
この日は旭川の駅前に泊まり、翌朝始発の普通列車で札幌へ行ってみた。

新幹線はあの山をぶち抜いてやってくるんでしょう?
どこに駅作るかでもめてなかった?
私は完成したその新幹線に乗ることができるだろうか?
札幌といえば少し前、指揮者のダニエル・ハーディングが滑って転んで骨折したとニュースになっていた。
世界をまたにかける超絶有名指揮者も街をほっつき歩いたりするんだね。
50代だとまだ新進気鋭の若手というイメージの指揮者界にあって10代で世界デビューした彼は神童みたいなイメージだったけれどもうそれも昔か。
なぜか日本のあるオーケストラの看板指揮者みたいな役をやってくれていたおかげで、何度か彼の演奏を聴きに行く機会があった。得にインパクトもなくて忘れちゃった演奏会もあるけれど、刺すような緊張感に包まれたマーラーの2番なんかは忘れられない。
コンサート行ってない。くだらない事に縛られていると人生終わっちゃうよな。
今年はコンサートに行こうと思うところまで行けるかな?
https://www.youtube.com/watch?v=iSnMcofIL9k
ハーディングでは聞いてないけれどマーラーの3番。
多分読んでくださる方の中にマーラーを聴くという人は2%もいないんじゃないかと感じています。
タンバリンが出てきたりして興味ない人には子供の学芸会みたいにしか聞こえないかもしれませんね。でも一方的に自分の好きな話を書かせて下さい。
この曲、季節があるとすれば夏なんですね。でも日本のセミが鳴いてるような夏を描いたとかそんなのじゃないから今聴いても大丈夫。
この曲こそは現場に行って観て感じて包まれて震えて・・そういう音楽だと思う。
体感型巨大エンターテイメントみたいなこの曲は一方で歌劇場指揮者、監督として経験を積んできたマーラーのあふれる才能、アイディア、技術がたくさん試された実験場のような側面も持っていると思う。
スコアをさんざん舐めるように読んでここはああなってるここにこんな仕掛けがある・・言いたいことはこういう事なんだろう・・とやってから行くべき・・他人には大きなお世話でしょうけれど。
もともとこのブログはそういう重箱の隅をつついたような話を書いて喜ぶつもりで始めたんですね。いろんな人に読んでもらうためにはそれだけじゃダメな事にも気づいて・・最近は飯を食ってきた話ばかりになっちゃってるか。
先程これを聴いていた時、とても幸せな気分になったんですね。
私は音楽が好き。
出来損ないだの死ねだの言われて生きてきましたが音楽があってよかった。
このブログは読んでくれる方によっていろんな受け止め方があるらしいことに書いてる私が驚いたりしていますが、
自分としてはブログのテーマは音楽が好きということ。
誰も読まないかもしれなくても、また重箱の隅ネタも書くから。
ハーディング氏は車椅子で指揮をして演奏会を断行したそうだ。
痛いんじゃないのかなぁ・・がんばるなぁ・・
まだ若いし、きっとちゃんと治るし大丈夫なんでしょう。
長く活動を続け素晴らしい仕事をのこして伝説の指揮者にならくちゃいけないんだし。
彼は私より一つ年下のはずだ。
結婚したのかな?子供はいるのかな?
きっと子供も超絶優秀だったりするんだろう。
そんなことすこしも知りたくないけど。
こっちは一年余計に生きているのに、こんなでごめんなさい。
今はきっと美瑛なんか正月から人であふれていたりするのかもしれないけれど、このときはなぜか全然誰もいなかった。

あさ一番に向かったここは親子の樹と呼ばれる木が見える場所。
前の晩に雪が降ったらしく目の前にあった世界は夢のようだった・・魅了されてその後ここへはいろんな季節に何度も行った。
考えてみると何に魅かれたんだろう?
親子というのは他人事みたいな気がしていた。
実際他人事になってしまった。

ここはある人たちには有名なV字谷に直接レールが敷かれた場所。
興味ないと何が面白いか全くわからないかもしれませんね。
なにをどう感じるかなんて人によって全然違うんだけどそんなことあまり意識しないでいられる人は幸せ。
そういう違いで悩んだり戸惑ったりする人も幸せ。自分だけの大事なものを持ってるって事でしょう?
ちがうか。
道端の木とか何かの隙間から風がビューっとか吹き抜けてると、シッカロールみたいな雪がそれに乗ってキラキラ光りながら飛んでたりするんですよね。雪スプレーみたいな・・その先に真っ白な吹き溜まり・・
農家の庭先で乳母車じゃなくて歯のついた乳母そりみたいなのを見てワーと思ったり・・
見たことのない世界の中をあっちこっち走り回って
アリスの国に紛れ込んだおっさんみたいでしたよ。

たしか3時ごろからもう日が暮れ始めるんですよね。
えー?もうおわり?みたいな。

日が暮れると車運転のリスクが一気に高まるんだっけ?
本州でスキーに行ったくらいの経験なんか糞みたいなもんだぞみたいな知識は入れていった。
日没に合わせて親子の樹に向かった写真が残っているから、夕日が当たればすごいことになると思っていたのかも。
でもこの日は不発。
この時は人がいっぱいいてみんな三脚にでっかいカメラ・・私だけちっちゃいコンデジ・・

子供の木がまたね・・って手を振ってるみたいだよね。
私には背の低い左が親父に見える。
よく知らないけれど最近美瑛の名のある木が伐採されているんですか?
元々観光用じゃないんだから全く文句はないし、一部はアホな観光客のせいだったりするんでしょう?
またいつか行ける日が来るまで元気でいてくれるだろうか?
この日は旭川の駅前に泊まり、翌朝始発の普通列車で札幌へ行ってみた。

新幹線はあの山をぶち抜いてやってくるんでしょう?
どこに駅作るかでもめてなかった?
私は完成したその新幹線に乗ることができるだろうか?
札幌といえば少し前、指揮者のダニエル・ハーディングが滑って転んで骨折したとニュースになっていた。
世界をまたにかける超絶有名指揮者も街をほっつき歩いたりするんだね。
50代だとまだ新進気鋭の若手というイメージの指揮者界にあって10代で世界デビューした彼は神童みたいなイメージだったけれどもうそれも昔か。
なぜか日本のあるオーケストラの看板指揮者みたいな役をやってくれていたおかげで、何度か彼の演奏を聴きに行く機会があった。得にインパクトもなくて忘れちゃった演奏会もあるけれど、刺すような緊張感に包まれたマーラーの2番なんかは忘れられない。
コンサート行ってない。くだらない事に縛られていると人生終わっちゃうよな。
今年はコンサートに行こうと思うところまで行けるかな?
https://www.youtube.com/watch?v=iSnMcofIL9k
ハーディングでは聞いてないけれどマーラーの3番。
多分読んでくださる方の中にマーラーを聴くという人は2%もいないんじゃないかと感じています。
タンバリンが出てきたりして興味ない人には子供の学芸会みたいにしか聞こえないかもしれませんね。でも一方的に自分の好きな話を書かせて下さい。
この曲、季節があるとすれば夏なんですね。でも日本のセミが鳴いてるような夏を描いたとかそんなのじゃないから今聴いても大丈夫。
この曲こそは現場に行って観て感じて包まれて震えて・・そういう音楽だと思う。
体感型巨大エンターテイメントみたいなこの曲は一方で歌劇場指揮者、監督として経験を積んできたマーラーのあふれる才能、アイディア、技術がたくさん試された実験場のような側面も持っていると思う。
スコアをさんざん舐めるように読んでここはああなってるここにこんな仕掛けがある・・言いたいことはこういう事なんだろう・・とやってから行くべき・・他人には大きなお世話でしょうけれど。
もともとこのブログはそういう重箱の隅をつついたような話を書いて喜ぶつもりで始めたんですね。いろんな人に読んでもらうためにはそれだけじゃダメな事にも気づいて・・最近は飯を食ってきた話ばかりになっちゃってるか。
先程これを聴いていた時、とても幸せな気分になったんですね。
私は音楽が好き。
出来損ないだの死ねだの言われて生きてきましたが音楽があってよかった。
このブログは読んでくれる方によっていろんな受け止め方があるらしいことに書いてる私が驚いたりしていますが、
自分としてはブログのテーマは音楽が好きということ。
誰も読まないかもしれなくても、また重箱の隅ネタも書くから。
ハーディング氏は車椅子で指揮をして演奏会を断行したそうだ。
痛いんじゃないのかなぁ・・がんばるなぁ・・
まだ若いし、きっとちゃんと治るし大丈夫なんでしょう。
長く活動を続け素晴らしい仕事をのこして伝説の指揮者にならくちゃいけないんだし。
彼は私より一つ年下のはずだ。
結婚したのかな?子供はいるのかな?
きっと子供も超絶優秀だったりするんだろう。
そんなことすこしも知りたくないけど。
こっちは一年余計に生きているのに、こんなでごめんなさい。
計画変更
前半はここへきて読んでくださる方のほとんどが?かもしれません。
でもこれ一度書いてみたかった。
送電線や送電線鉄塔の構造に興味を持つ人間が世の中に入るんです。

この写真、赤白鉄塔は左右に伸びる回線を上部に154kVを2回線、下部に66kVを2回線持っています。
その下部66KVが分岐して手前の銀色鉄塔へ
手前銀色鉄塔の上部回線は赤白鉄塔を介し向こう側へ抜けていきます。
それがどうしたという感じですがここ子供のころから気になることがあって、
よく見ると赤白鉄塔の上部2回線はなぜか左右段違いになっています。
また手前の銀色鉄塔は下の方に未使用の腕金を2回線分持っています。
さらにこの銀色鉄塔の上部2回線はいかにも154kVな形状となっていますが実は66kVなんですね。
で私の勝手な想像としてこの部分はもともと、
赤白鉄塔の154kVが分岐して銀色の最上部へつながれる。
向こうからこちらへ抜けてくる66kVは銀色の中段(現在下段として使用中)につながれる。
最下段の腕金には赤白鉄塔の66kV回線が分岐して繋がれる・・
という計画(もしくは将来的にそのように拡張できるような計画)で設計、設置されたのではないかと思うんです。
この6回線になるはずだった銀色鉄塔の系統は数キロ進んで終わりますが、なんで当初の計画がとん挫したのかはわかりません。変電所の用地が確保できなかったとかかなぁ?
今は山の中に全然別な154kV回線が引かれてそれがその役目を代用しているのではないかと思います。
ホントに一部の人にしか面白くないだろうというお話でした・・
マーラーという人がある交響曲を計画しました。内容的にはこの世のすべてを見て回るというような・・
終曲にはすでに完成していた歌曲「天上の生活」を据える計画だった。
彼は巨大な作品の随所に同じ音楽をある時はわかりやすく、ある時はほのめかすように取り入れて全曲を統一しようとします。
聴き手は曲の頭から聴いていきますが、作曲順は曲の終わりの方からとなったため終曲の音楽が手前の各楽章へ展開されていった・・
作曲を進めていくと、当初の計画では曲が大きくなりすぎるに気付きました。
このため終曲にするはずだった歌曲は外し、新たに作曲した曲をまとめて一つの交響曲を誕生させます。これが交響曲第3番です。
はずした歌曲のために新たに3つの楽章を作曲し新しい交響曲もできあがった。これが交響曲第4番。
・・と本に書いてあって自分も鵜呑みにしていますが、実際は事実と若干違っていたりもするんだろう・・
計画の変更を経て生まれた2つの交響曲は分家しましたが各楽章は同じ親を持つ兄弟とか従兄みたいな感じなんですね。
顔も似てるし仕草や話し方もそっくりだったり・・
誰が聴いても目立ってよくわかる箇所としては例えば・・
交響曲第4番の終曲「天上の生活」のこのあたり
は
交響曲第3番の第5楽章にもあらわれます。
似てるというよりそっくり同じ。
4番のは聴き手も天国に行って天使のガイドで天国を見物して回っているイメージ。
3番のはまだ地上にいて空から聞こえる天使の話を聞いているイメージ・・
「天使の合唱は高いところに置くこと」みたいな指示が楽譜にあったと思います。
実際上から聞こえるかが問題なんじゃなくて視覚的な演出ですよね。
マーラーって現場に行くと「聴く」だけじゃなくて「体感する」みたいな世界なんですよね。
視覚的にあっちでやってるこっちでやってるというのが音楽と関連した強い意味を持っていて結構効果あるんですよ。
このYouTubeはそんなことしてないみたい・・

私はドイツ語なんて分からないので歌詞の意味を探ろうと検索してみるのですが・・同じ曲の訳でも本当にいろいろありますね。
訳って難しんだな・・ニュアンス全然変わって伝わっちゃったりするんですね・・
そんなあからさまじゃないけど気づけばハッとするこういうのも・・
4番「天上の生活」で食い物取り放題みたいなことを歌っていて
魚の方から泳いで寄ってくる!とかいっているあたり、
ホルンとちょこちょこ動き回るヴァイオリンが印象的ですが・・

交響曲第3番では第2楽章に現れます。
蝶々や蜂が遊ぶ花園の音楽ですが
いろんな虫が飛んでるんだけどぱっと場面が変わって蝶々かなんかがせかせかと・・・

曲を超えた変奏みたいになってるんですねこれ。
ホルンなんかおと同じでしょ・・細かく動き回るヴァイオリンなんか同じでわかりやすいといえばわかりやすいか・・
こういうの他にもたくさんあるんですけど、あれ?どっかで聴いたような?・・あっあそこね!・・みたいなのを感じて気づいていく
これがまた楽しいんですよ。
マーラーの交響曲って、これに限らずどれも相互に関連しあっていて全部が一つの巨大な世界を構成していたりもするんですね・・なん十年聴き続けても発見があって飽きません。
就職活動で、こういう送電線を建設する会社に行ったことがあります。
「入社したらまずやってもらうのは高さ100mくらいの鉄塔に上る練習だ」と聞いて
あ高所恐怖症だった・・と思い止めた。
でもこれ一度書いてみたかった。
送電線や送電線鉄塔の構造に興味を持つ人間が世の中に入るんです。

この写真、赤白鉄塔は左右に伸びる回線を上部に154kVを2回線、下部に66kVを2回線持っています。
その下部66KVが分岐して手前の銀色鉄塔へ
手前銀色鉄塔の上部回線は赤白鉄塔を介し向こう側へ抜けていきます。
それがどうしたという感じですがここ子供のころから気になることがあって、
よく見ると赤白鉄塔の上部2回線はなぜか左右段違いになっています。
また手前の銀色鉄塔は下の方に未使用の腕金を2回線分持っています。
さらにこの銀色鉄塔の上部2回線はいかにも154kVな形状となっていますが実は66kVなんですね。
で私の勝手な想像としてこの部分はもともと、
赤白鉄塔の154kVが分岐して銀色の最上部へつながれる。
向こうからこちらへ抜けてくる66kVは銀色の中段(現在下段として使用中)につながれる。
最下段の腕金には赤白鉄塔の66kV回線が分岐して繋がれる・・
という計画(もしくは将来的にそのように拡張できるような計画)で設計、設置されたのではないかと思うんです。
この6回線になるはずだった銀色鉄塔の系統は数キロ進んで終わりますが、なんで当初の計画がとん挫したのかはわかりません。変電所の用地が確保できなかったとかかなぁ?
今は山の中に全然別な154kV回線が引かれてそれがその役目を代用しているのではないかと思います。
ホントに一部の人にしか面白くないだろうというお話でした・・
マーラーという人がある交響曲を計画しました。内容的にはこの世のすべてを見て回るというような・・
終曲にはすでに完成していた歌曲「天上の生活」を据える計画だった。
彼は巨大な作品の随所に同じ音楽をある時はわかりやすく、ある時はほのめかすように取り入れて全曲を統一しようとします。
聴き手は曲の頭から聴いていきますが、作曲順は曲の終わりの方からとなったため終曲の音楽が手前の各楽章へ展開されていった・・
作曲を進めていくと、当初の計画では曲が大きくなりすぎるに気付きました。
このため終曲にするはずだった歌曲は外し、新たに作曲した曲をまとめて一つの交響曲を誕生させます。これが交響曲第3番です。
はずした歌曲のために新たに3つの楽章を作曲し新しい交響曲もできあがった。これが交響曲第4番。
・・と本に書いてあって自分も鵜呑みにしていますが、実際は事実と若干違っていたりもするんだろう・・
計画の変更を経て生まれた2つの交響曲は分家しましたが各楽章は同じ親を持つ兄弟とか従兄みたいな感じなんですね。
顔も似てるし仕草や話し方もそっくりだったり・・
誰が聴いても目立ってよくわかる箇所としては例えば・・
交響曲第4番の終曲「天上の生活」のこのあたり
は
交響曲第3番の第5楽章にもあらわれます。
似てるというよりそっくり同じ。
4番のは聴き手も天国に行って天使のガイドで天国を見物して回っているイメージ。
3番のはまだ地上にいて空から聞こえる天使の話を聞いているイメージ・・
「天使の合唱は高いところに置くこと」みたいな指示が楽譜にあったと思います。
実際上から聞こえるかが問題なんじゃなくて視覚的な演出ですよね。
マーラーって現場に行くと「聴く」だけじゃなくて「体感する」みたいな世界なんですよね。
視覚的にあっちでやってるこっちでやってるというのが音楽と関連した強い意味を持っていて結構効果あるんですよ。
このYouTubeはそんなことしてないみたい・・

私はドイツ語なんて分からないので歌詞の意味を探ろうと検索してみるのですが・・同じ曲の訳でも本当にいろいろありますね。
訳って難しんだな・・ニュアンス全然変わって伝わっちゃったりするんですね・・
そんなあからさまじゃないけど気づけばハッとするこういうのも・・
4番「天上の生活」で食い物取り放題みたいなことを歌っていて
魚の方から泳いで寄ってくる!とかいっているあたり、
ホルンとちょこちょこ動き回るヴァイオリンが印象的ですが・・

交響曲第3番では第2楽章に現れます。
蝶々や蜂が遊ぶ花園の音楽ですが
いろんな虫が飛んでるんだけどぱっと場面が変わって蝶々かなんかがせかせかと・・・

曲を超えた変奏みたいになってるんですねこれ。
ホルンなんかおと同じでしょ・・細かく動き回るヴァイオリンなんか同じでわかりやすいといえばわかりやすいか・・
こういうの他にもたくさんあるんですけど、あれ?どっかで聴いたような?・・あっあそこね!・・みたいなのを感じて気づいていく
これがまた楽しいんですよ。
マーラーの交響曲って、これに限らずどれも相互に関連しあっていて全部が一つの巨大な世界を構成していたりもするんですね・・なん十年聴き続けても発見があって飽きません。
就職活動で、こういう送電線を建設する会社に行ったことがあります。
「入社したらまずやってもらうのは高さ100mくらいの鉄塔に上る練習だ」と聞いて
あ高所恐怖症だった・・と思い止めた。
5とか7

なんとなく7連符とか考えていて・・
マーラーの交響曲第3番第4楽章です。
構想時の副題は「夜が私に語ること」
ニーチェのツァラトゥストラはかく語りから「ツァラトゥストラの真夜中の歌」が歌われますが、何しろ夜です。
曲中のいろんな動機が第1楽章で提示されていて強い関連を感じさせますが・・
ホルンの2重奏が歌って・・ノクターンでもありますね。
実演を聴きに行ったときこのホルンの2重奏が月の光に見えた。
ほるの旋律に月に光が当たっているように聴こえたんです・・よかったあの時。
低弦のDとAの伸ばしは闇を描いています・・ニ長調だから・・でしょうけど、自然というか宇宙の真理みたいなことを言ってるんだと思うんです。巨人の冒頭の霧もAの伸ばしですね。
チューニングもAですが、Aは自然の象徴かなんかなんだろうと思います・・私は絶対音感もなく屁理屈で聴くだけですが、感じる人は感じるんですか?自然感みたいなの。高いだ低いだってそういう話じゃなくて・・

フラジオレットの弦とハープがスーッ!と走る光を描いて・・・マーラーマジックみたいになっていますが、よく見るとピッコロが変に低い音域で吹いていてまた何か企んでる感じがいいですよね。
そしてこの7連符・・

間奏を挟んだここは7連符と5連符がいっぱい・・
こういうの普通の感覚だと6連符とか8分音符だとかになると思うんですが、7とか5とか割り切れない数字をここに充てているのは明らかに狙ってやっていますよね。
なんでしょうかこう・・・人の手の及ばない・・自然の摂理・・みたいなことかなぁ・・
実際ここは聴いていてああ、7連符だなとか5連符7連符がさっこうしているんだななんて感じることはできません。
でもなにかウニョウニョウニョと変な波が発生しているのは感じる・・とても面白い部分だと思います。
よく見るといろんな楽器が歌う主要旋律も7や5に支配されています。
天才的聞き取り力を持った特殊な人以外は気付かない様な仕掛けを、楽譜の中に込めるのはバッハとか昔からありますよね。
こういうの書いてて楽しいでしょうね。
ニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」は読まなくちゃいけない気がして昔買ってきましたが2ページ目くらいでどっかいっちゃってそれっきりです。
リヒャルト・シュトラウスの超絶有名曲、交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」そのおしまいのほうには鐘が12回ガンガン鳴らされる部分があるんです。マーラーのこの曲はあの鐘の鳴るところと同じ場面なんですよね。
だけどリヒャルトのそこはものすごい大騒ぎなんですよ。
この曲の世界に浸っているとき、リヒャルトのあれを思い出すと笑いそうになる・・
あちらは最も遠いロ長調(人間)とハ長調(自然)が同時進行して、絶対に相いれないものだみたいなことを言ってるらしくまた面白いことになっちゃているわけですが・・
こちらのこの5と7も何だか深い意味があるんじゃないかなぁ・・
リヒャルトと違って「おお人よ、よく聞け!」という言葉を受ける人間が音楽の中に描かれていない気がしますが、呼びかけられている人というのはほかならぬ聴き手自身なんじゃないかなぁ・・
聞け!って言ってますから聞かなきゃならないですよ我々。
そういえばこの曲もニ長調なのにAで終わって永久に完全終始しないんですよね。
この永遠というのも意味があるんでしょう?ニーチェ的に・・ちゃんと読んでいなくて何だか知らないけど。

ビオラがゆっくり振動し始めてトリルに移行していく・・
イングリッシュホルンに被って、またピッコロが低域で・・
音だけほしいならこれはフルートでやればいいんだしこれも何か狙っているネタですよね・・

旋律も7に支配されてる。
詩の意味が音楽にどう反映されているかを知るとまた面白くなりこの曲がいとおしくなってきます。
またそのうち書いて見ようと思っています。
そうだ・・
死の床にあるマーラーへ宛てた、リヒャルト・シュトラウスからの手紙が残っているみたいです。
リヒャルトはマーラーがあと数日の命だと知っていたようだ。
そこには「今、君の第3交響曲を演奏すべく準備を進めているところだよ。もちろん僕が指揮をするつもりだが、君が望むなら君のこの素晴らしい作品を君自身の指揮でも聴くことができるととてもうれしいのだけど・・きみの手を煩わせないよう、僕がしっかり稽古をつけておくから・・」ということが書かれているそうです。
妻によるとそれを読んだマーラーはとても喜んだという・・
(;_;)
やっぱりやってた 2重テンポ マラ3

一つの曲の中で2つのテンポの音楽が同時進行してしまう2重テンポ状況。
いろいろあると思うんですが、この人もやっています。・・
マーラーの交響曲第3番にははっきりとそれとわかる2重テンポ状況が発生しています。
展開部の最後は嵐になっていますが、

嵐がフェードアウトする前から舞台裏の小太鼓が乱入
ごちゃごちゃと文字が書いてあり、小太鼓には「チェロとコントラバスに構わず冒頭のマーチテンポで入れ」
チェロとコントラバスには「マーチのテンポで入ってくる小太鼓にかまわず、嵐のテンポを維持しろ」みたいなことが書いてあります。(多分)
実演を聴きに行ったとき、指揮者はチェロとコントラバスに向かって指揮をしていました。
舞台裏の小太鼓にはノータッチで、チェロとかが終わっちゃうともう何もしない・・・次のホルンに向けて・・・
明らかに異常な状況が目の前に展開します。
楽譜的には小節線が縦に通っていて全パートが同一時間軸に乗っているように見えるけど、実際は演奏が進むと時間的な位置もずれていくわけで楽譜的には理屈が崩壊しているわけですね・・
多重テンポの音楽というと後の時代で挑戦的にやっているようなイメージもありますがやっぱりこの人やってますよね。
街に出たとき、あちこちからいろんな音楽や音が聞こえてきて交じりあり、耐えられないような騒音状態となているのを聴いてマーラーは「これこそポリフォニーだ!」とか言って喜んだそうです。
そういう人が、伝統から外れたことをやると酷評されてつぶされる音楽界に切り込んでいこうという・・
聴いていると短い間ですが、マーラーの喜んだ不思議な感覚が味わえます。
やる方はやりにくくないのかな・・
小太鼓が舞台裏なのもミソなんですかね・・遠くから夏の行進がやってくる的な・・

第3楽章スケルツォでトリオに入っていくところ。
音楽はテンポを落としていくんですが、ここで鳥が鳴いています。
普通のルールでいけば鳥の鳴きようも音楽に合わせてゆっくり鳴くようにになっていく・・
ここで鳥の鳴き声はいつも同じはずでしょ的に主部と同じ鳴き方で・・という演奏があります。
これも部分的に2重テンポと言えるんじゃないでしょうか・・ちょっと違うけど・・聞いたときのインパクトは結構あります。
楽譜にそうしろという指示は見つけられないのですが、マーラーだとそういうことをやっても説得力が出てきますよね。
実際どうしてたんでしょうね・・どっちかに決めちゃわないでその時々いろいろやったんじゃないかと勝手に想像しています。
ピッコロ4本

マーラーの交響曲第3番ですが、はじめのうち「夏の交響曲」みたいな副題がちらついてたんでしたっけ・・
行ったことがないけど日本の夏を想像してもしょうがないんですよね?
どんな感じなのかな?6月ごろにサロベツにいった時は感激したなぁ・・あんな感じかなぁ・・
また行きたいなぁ・・と思って何度も言ったのに毎回雨だったんだよな・・
マーラーの交響曲第3番でさわやかな初夏の世界・・から夏の行進・・みたいなのへ場面転換していくところ・・
トロンボーンと、低弦が掛け合いみたいなのをやっているんですが、

トロンボーンが本数は減らしながらダイナミクスは上がるという・・
だから何だってなもんでしょうか・・
その行進的場面で

ピッコロが4本・・
4番のフルート4本ユニゾンというのが天使の笛みたいで有名ですが、ここはピッコロ。
オーボエが4本ユニゾン(結構ある気もする)でも別に驚かないんですが、ここはピッコロ。
ピッコロって1本でもホール中に突き刺すような音を充満させられるスーパー楽器だと思っているんですが(えっちがう?)それが4本。
なんというかここは音色がほしいとかそういう事じゃなくて、これ自体がもうネタなんじゃないかと思うんですよね・・・
指をさしてあっ!ピッコロが4本もいるー!って叫ぶ(もちろん心の中で)場所なんじゃないでしょうか・・
実演を聴きに行った時もすごいことになっていました。
今度聴きに行ったら(心の中で)やってるやってるとか言って笑いましょうね。
よく見るとオーボエとクラリネットがたがいに出たり入ったりしてるんですね・・なんか技術上の理由があるのかな?音色変化を楽しめばいいのかな・・あんまり気付いてなかった・・
フルートって柔らかくて上品なイメージもありますが、こんないつもてっぺんで目立ちまくている楽器をやろうという人はやっぱり私が!!っていうような人なんでしょ?
楽器をやろうという人はみんなそうなんでしょうけど。
降り注ぐ天使の声 マーラー交響曲第3番

マーラー 交響曲第3番 第5楽章
3人の天使が美しい歌をうたい、その声は幸福に満ちて天上に響き渡り・・
だそうで児童合唱は高いところにおくというような指示があります。
高いところから声が降り注ぐ的な・・

面白いのはスコア上でも4つの鐘と天使の合唱がフルートより上、スコア最上段に置かれていることですね。
通常なら児童合唱は打楽器と弦楽器の間に置かれるはずで、入りきらなかったけど女性合唱はそこにあります。
楽譜の中でも天使の声は空の上から降り注いでいるんです。
この楽章はヴァイオリンが休んでいてよくあるレクイエムの1曲目なんかみたいですね。
きっとこれ宗教音楽(のパロディ?)のフォーマットなんですよねこれ・・
こういう、音楽の内容がスコア上に絵的に表れているシーンは面白いですね。
この交響曲は演奏時間が100分越えだったりしてとても長いうえに、この楽章の次に弦楽器主体の第6楽章が来きます。
その為にここでヴァイオリンを休ませる狙いというか設計なのかななんて考えたりもしますが、どうなんでしょうか?
オペラなんかだともっと長時間弾きっぱなしですか?ヴィオラはいいのかよとなっちゃいますか・・
ユーリ・テミルカーノフ指揮、読響を聴きに行ったときも児童合唱は最上段で歌っていました。
2階席だったので、上の方から聞こえる感はありませんでしたけど、意図みたいなものは伝わってきた・・
天使はほとんどずっと鐘の音を模してビン!バン!とか言っているんですが、最後の方で歌詞をもって高らかに歌う部分があります。ドイツ語なんて解らないだろう女の子(もちろん私も解りません)がけなげに歌っているのを見たとき突然涙がに出てしまった。
自分でびっくりして、歳食ったのかなーと思いながら聴きました。
感動ってどっからやってくるかわかんないもんだなぁ・・・
鐘はどこでたたいてたっけ?・・忘れちゃった・・・
よかったなーあの日・・
マラ3 この世はこんなに美しい!!のとこ

マーラーの交響曲第3番も旧版のスコアを見ることができますね。いろいろあると思うんですけど、、

第1楽章提示部の終わりと、再現部の終わりに「この世はこんなに美しい!!」みたいな部分がありますよね。
実演を聴きに行ったときの、ホール全体に音が充満しているような・・あの感じが忘れられない。
あれは耳で聴くというより全身で体感という音楽だと思う・・
この部分、第6楽章で再現されますね。

暖かい愛の楽章ですが、この部分は嘆きというか叫びのように聴こえます。「この世はこんなに美しいのに!」という感じでしょうか。
第1楽章はいろんな楽章への付箋が貼ってある感じになってますが、
この曲実は第1楽章は最後に完成しているので後からそれを拾う形で第1楽章を書いているんですね。
・・そんな単純でもないかな・・7楽章になるはずだった4番の4楽章の冒頭旋律も拾ってますね・・

初稿を見てびっくりしたのはこの小節、トランペット1番2番にあるはずの上昇音型がないんですよね・・
ここ、現行はトランペットが全体を主導してトランペットの3番4番他が答える・・みたいな音楽ですが、
当初は最初のみトランペットが引っ張り上げてあとは終楽章と同じく3,4番の旋律が主体の音楽だったんですね・・
オーケストレーションの変更だけでなく、曲自体を変更している例ですね。
作曲の過程をのぞいてしまったようでうれしいような申し訳ないような・・
木のところで弾け マーラー交響曲第3番

マーラー交響曲第3番 第3楽章の終わり付近
チェロとヴィオラに弓の(馬の毛のとこじゃなくて)木の部分で弾けという指示があります。木の部分でたたくコル・レーニョという奏法は一般的でよく出てきますが木のとこで金属の弦を弾いちゃったら弓も痛むし、奏者もいやがるだろう・・
実演を聴きに行ったときこの部分で迷わずチェロを見てた。
たしかに弾いてた。オーバーアクション的に シャッ!という感じで・・勘違いかもしれないけど微妙な笑顔でやってやってたような・・
でも自分はよくわかってないけど、そういうのがほしかったら4分音符で書くんじゃないかなぁ・・・
二分音符とffで書いてあるところを見ると変態的にギー!ってニスもはがす勢いで擦ってほしいんじゃないかと思ったり・・・
やってもらえないですよね・・そんなの。
残念ながら音は聞き取れなかったけれど明らかに普通と違う景色が目に入ってきて忘れられない。
マーラーなのでそれで狙い通りなのかも。
マーラー 交響曲第3番のヴァイオリン分割
もう飽きちゃいましたでしょうか。
今度はマーラー交響曲第3番です。
この曲では弦楽器を細かく分割し、片方やって片方休み、今度はこっち、今度は両方・・とスイッチングみたいなデジタルな変化を狙うことが第2、第3楽章で徹底的に追及されています。

実演を聴きに行くと音的な効果もありますが、プルトの片側だけ弓が動いてる、あっ今度はこっちか・・みたいな目で聴く効果が大変面白い音楽です。
でそれを見えないオーディオでもといういつもの話ですが、、人数の変化による音色の変化は結構聞きとれます。
第1、第2ヴァイオリン的な話ではなく、プルトのあっちとこっちみたいなのを音像定位感で表現しようって、これは結構難しくないでしょうか?
でもだから余計に萌えるという・・

ここ、分割された第1ヴァイオリン内で同じ音のトリルが受け渡されますが、音も移動するかな?

このちょこっと乗っかるとこ、大好きなんです。
今度はマーラー交響曲第3番です。
この曲では弦楽器を細かく分割し、片方やって片方休み、今度はこっち、今度は両方・・とスイッチングみたいなデジタルな変化を狙うことが第2、第3楽章で徹底的に追及されています。

実演を聴きに行くと音的な効果もありますが、プルトの片側だけ弓が動いてる、あっ今度はこっちか・・みたいな目で聴く効果が大変面白い音楽です。
でそれを見えないオーディオでもといういつもの話ですが、、人数の変化による音色の変化は結構聞きとれます。
第1、第2ヴァイオリン的な話ではなく、プルトのあっちとこっちみたいなのを音像定位感で表現しようって、これは結構難しくないでしょうか?
でもだから余計に萌えるという・・

ここ、分割された第1ヴァイオリン内で同じ音のトリルが受け渡されますが、音も移動するかな?

このちょこっと乗っかるとこ、大好きなんです。
マーラー交響曲第3 番のコントラバス

マーラー交響曲第3 番第6 楽章
愛の楽章ですが何度か悲しみの底へ落ちます。
落ちたところ、コントラバスとヴァイオリンが同じ音を弾いてる。
ここはとても効果的。苦しい、しぼりだすような叫び!
実演に行って驚いたのは、このコントラバス、高い音のせいか奏者が前のめりいなって指を抑えていた
それが視覚にはいることでこの叫びが強調されて聞こえます。