ブラームス交響曲第3番への誤解
ブラームの交響曲第3番について、聞き比べネタを書こうと思ったのですが、この曲についての考え自体が変わってしまったのでそれを書かせてください。
大変有名な曲でこの曲を愛する人もたくさんいるでしょう。私のような虫みたいなのが、なんか書いているのを見て不愉快かもしれません。虫の言う事と思って無視してください。
ブラームスの英雄交響曲と呼ばれることのあるこの曲、表題のない絶対音楽でありながら全曲を通して大きな何かが描かれていることは間違いありません。
マーラーが演奏会で指揮した曲のリストを見たことがありますが、その回数から彼もこの曲を気に入っていたんだと思います。ちなみに、4番は内容がないと嫌い、一度も指揮しなかったみたいです。(もちろん内容がないわけないですが)
私はこの曲を高校生くらいで初めて聞き、以来好んで聴いてきました。
本当につい最近、昨日まで、この音楽はある人間が闇との戦いに打ち勝ち、平穏な心境で終わっていくという曲だと思っていました。
でも今、そうではないと思うのです。
この英雄は若く、勢いのある・・という人物ではありません。人生の真昼を過ぎ、自分の死までが視野に入った・・厄年を超えたような。。。
ブラームスは生涯一人でした。でも彼だって、家庭を望んだし、当然自分にもそれができると思っていたと思うんです。ある時までは。
曲知らない人のためにざっと・・説明のために細かいストーリのようなものを書いていますが、本来あまり細かく描写的にとらえて聴く曲ではありません。念のため
第1楽章はこの人間(英雄という言葉はちがうと思う)の姿。強い意志を持ち、ダンディで・・

第1楽章冒頭
ここ知らないと後半の話が分からなくなるので音もつけましょう。
最初の3つの音はモットーとか言われていて、自由にしかし豊かに・・だったっけ・・何度も出てくる重要なものです。
続くヴァイオリンの力強い主題がこの人間の意志というかこの人自身。
極めて重要な第2楽章。
ブラームスらしい木管中心の音楽で始まります。休息の時というか・・すばらしい・・そこへ

練習記号Cから・・なぞのネガティブな音楽が・・・漠然とした不安・・しかしその正体はみえない・・
(本当はわかってるんじゃないのか・・)
3部形式なのでまた冒頭の音楽が変奏され曲を閉じますが、終わりにまた一瞬不安がよぎります。。

寂しさが花になって咲いたような第3楽章を経て
第4楽章、
暗く怪しい世界。また不安主題が現れ、その後の緊張が何に対してであるかを暗示します。・・厳しい態度で突き進む・・素晴らしい音楽。
そして、、

クライマックス。第2楽章でほのめかされた漠然とした不安がついに実体化し、この人間はそれと向かい合います。
トランペット他の3連符+2分音符は不安主題の変形であると同時に間違いなく(ベートーベン交響曲第5番の)運命主題でなのあり、漠然とした不安とは避けられない運命(私の今の考えでは一生孤独だということ)であったことがはっきりと示される。
ここで、私は思い違いをしていました。この戦いの場面で英雄は運命に打ち勝つのだと思っていたのです。
でも違うと思う。この場を押し切るように突き進みますが、すぐ突入する再現部ではさらに厳しい戦いの音楽が続く。
勝利の叫びや安堵の表情は一切聞こえ無いんです。
コーダに入ると急に力を落とし弦楽器のさざ波のような音型にのって一見平穏な音楽となる。

ここで運命主題が鳴っている・・これを私は、回想というか粉砕された不安主題の残像だと思っていました。
でも、残像にしてはしっかりはっきりと存在している。よく見ると光も当たっている気がする。夕日のような・・
温度もある気がする・・・・
思うのです。運命に打ち勝ったのではなく、
受け入れたのだと・・
運命を自分のものとして自分の中に取り入れた。
そして、
第一楽章第1主題が回想されますが、あの力強さはなく、しかも花びらが散るようにその姿は消えていきます。
戦おうとする自分はもういないのです。。これでいいんだ・・・
と、一人でナルシスト的に盛り上がっていますが、私自身が厄年をを超え、この心境がわかる気がするのです。(私は結婚できましたが)
かつてどこかで読んだ、ブラームスのシンフォニーは40歳を超えないと本当のことがわからない・・
みたいなこと・・なんだよそれなんて思っていましたが、いま、そうだなーと。

で、最後の第1主題が回想される部分、弦楽器で演奏されますが、ピアノ音楽的な分散和音でできています。
もうその姿ははっきりしていないんです。
すばらしい・・・ただ、ここ、そういいながらも聴き手に主題をはっきりと認知させることが難しいらしく、昔から弦の何本かが主題をそのまま弾くみたいなカンニング的工夫がされてきたそうです。
ということで手持ちの音源から・・
あえて演奏者は伏せます。
Aは多分楽譜通り。いいですね。泣きそうです。
Bは多くのヴァイオリンが旋律をそのまま弾いておりわかりやすいですが、作曲者の考えたコンセプトは台無しです。
屁理屈言ったって聞こえなきゃしょうがないだろ的な現場主義でしょうか。
この盤、ファンも多そうで文句言うと怒られるかな。
その後のティンパニをどうたたくかってのもあるんですが、これはトレモロでなく楽譜の通り数刻んでますね。。
Cは昔から一部で不評らしいですが、私は好きです。。フルートが加勢してますね。全然違う楽器なので弦のやってることはよく聞こえます。ただ、演奏の工夫を超えて勝手な編曲だと批判されても仕方ないのかもしれません。
ティンパニはトレモロだ。。
マーラーはここ、どう演奏したんだろう・・意外にも楽譜通りだったりして・・
今もうひとつ気になっているのは
運命を受け入れたところでずっと鳴っている弦のさざ波は2楽章の安らぎの音楽を支えていた

この波(メロディから派生したもの)と関係あるのかということ。
そんなマーラーみたいに屁理屈いって聴くのはまちがいだ!といわれるかもしれません。
虫の言うことだと思って・・
この後に書かれた交響曲第4番は色気もなくなり、枯れたような悟ったような出家したような音楽ですね。
もうすぐ、4番の心境がよく解ると思う日も来るんでしょう。
大変有名な曲でこの曲を愛する人もたくさんいるでしょう。私のような虫みたいなのが、なんか書いているのを見て不愉快かもしれません。虫の言う事と思って無視してください。
ブラームスの英雄交響曲と呼ばれることのあるこの曲、表題のない絶対音楽でありながら全曲を通して大きな何かが描かれていることは間違いありません。
マーラーが演奏会で指揮した曲のリストを見たことがありますが、その回数から彼もこの曲を気に入っていたんだと思います。ちなみに、4番は内容がないと嫌い、一度も指揮しなかったみたいです。(もちろん内容がないわけないですが)
私はこの曲を高校生くらいで初めて聞き、以来好んで聴いてきました。
本当につい最近、昨日まで、この音楽はある人間が闇との戦いに打ち勝ち、平穏な心境で終わっていくという曲だと思っていました。
でも今、そうではないと思うのです。
この英雄は若く、勢いのある・・という人物ではありません。人生の真昼を過ぎ、自分の死までが視野に入った・・厄年を超えたような。。。
ブラームスは生涯一人でした。でも彼だって、家庭を望んだし、当然自分にもそれができると思っていたと思うんです。ある時までは。
曲知らない人のためにざっと・・説明のために細かいストーリのようなものを書いていますが、本来あまり細かく描写的にとらえて聴く曲ではありません。念のため
第1楽章はこの人間(英雄という言葉はちがうと思う)の姿。強い意志を持ち、ダンディで・・

第1楽章冒頭
ここ知らないと後半の話が分からなくなるので音もつけましょう。
最初の3つの音はモットーとか言われていて、自由にしかし豊かに・・だったっけ・・何度も出てくる重要なものです。
続くヴァイオリンの力強い主題がこの人間の意志というかこの人自身。
極めて重要な第2楽章。

ブラームスらしい木管中心の音楽で始まります。休息の時というか・・すばらしい・・そこへ

練習記号Cから・・なぞのネガティブな音楽が・・・漠然とした不安・・しかしその正体はみえない・・
(本当はわかってるんじゃないのか・・)
3部形式なのでまた冒頭の音楽が変奏され曲を閉じますが、終わりにまた一瞬不安がよぎります。。

寂しさが花になって咲いたような第3楽章を経て
第4楽章、

暗く怪しい世界。また不安主題が現れ、その後の緊張が何に対してであるかを暗示します。・・厳しい態度で突き進む・・素晴らしい音楽。
そして、、

クライマックス。第2楽章でほのめかされた漠然とした不安がついに実体化し、この人間はそれと向かい合います。
トランペット他の3連符+2分音符は不安主題の変形であると同時に間違いなく(ベートーベン交響曲第5番の)運命主題でなのあり、漠然とした不安とは避けられない運命(私の今の考えでは一生孤独だということ)であったことがはっきりと示される。
ここで、私は思い違いをしていました。この戦いの場面で英雄は運命に打ち勝つのだと思っていたのです。
でも違うと思う。この場を押し切るように突き進みますが、すぐ突入する再現部ではさらに厳しい戦いの音楽が続く。
勝利の叫びや安堵の表情は一切聞こえ無いんです。
コーダに入ると急に力を落とし弦楽器のさざ波のような音型にのって一見平穏な音楽となる。

ここで運命主題が鳴っている・・これを私は、回想というか粉砕された不安主題の残像だと思っていました。
でも、残像にしてはしっかりはっきりと存在している。よく見ると光も当たっている気がする。夕日のような・・
温度もある気がする・・・・
思うのです。運命に打ち勝ったのではなく、
受け入れたのだと・・
運命を自分のものとして自分の中に取り入れた。
そして、

第一楽章第1主題が回想されますが、あの力強さはなく、しかも花びらが散るようにその姿は消えていきます。
戦おうとする自分はもういないのです。。これでいいんだ・・・
と、一人でナルシスト的に盛り上がっていますが、私自身が厄年をを超え、この心境がわかる気がするのです。(私は結婚できましたが)
かつてどこかで読んだ、ブラームスのシンフォニーは40歳を超えないと本当のことがわからない・・
みたいなこと・・なんだよそれなんて思っていましたが、いま、そうだなーと。

で、最後の第1主題が回想される部分、弦楽器で演奏されますが、ピアノ音楽的な分散和音でできています。
もうその姿ははっきりしていないんです。
すばらしい・・・ただ、ここ、そういいながらも聴き手に主題をはっきりと認知させることが難しいらしく、昔から弦の何本かが主題をそのまま弾くみたいなカンニング的工夫がされてきたそうです。
ということで手持ちの音源から・・
あえて演奏者は伏せます。
Aは多分楽譜通り。いいですね。泣きそうです。
Bは多くのヴァイオリンが旋律をそのまま弾いておりわかりやすいですが、作曲者の考えたコンセプトは台無しです。
屁理屈言ったって聞こえなきゃしょうがないだろ的な現場主義でしょうか。
この盤、ファンも多そうで文句言うと怒られるかな。
その後のティンパニをどうたたくかってのもあるんですが、これはトレモロでなく楽譜の通り数刻んでますね。。
Cは昔から一部で不評らしいですが、私は好きです。。フルートが加勢してますね。全然違う楽器なので弦のやってることはよく聞こえます。ただ、演奏の工夫を超えて勝手な編曲だと批判されても仕方ないのかもしれません。
ティンパニはトレモロだ。。
マーラーはここ、どう演奏したんだろう・・意外にも楽譜通りだったりして・・
今もうひとつ気になっているのは
運命を受け入れたところでずっと鳴っている弦のさざ波は2楽章の安らぎの音楽を支えていた

この波(メロディから派生したもの)と関係あるのかということ。
そんなマーラーみたいに屁理屈いって聴くのはまちがいだ!といわれるかもしれません。
虫の言うことだと思って・・
この後に書かれた交響曲第4番は色気もなくなり、枯れたような悟ったような出家したような音楽ですね。
もうすぐ、4番の心境がよく解ると思う日も来るんでしょう。