エリアフ・インバル 東京都交響楽団 マーラー交響曲第9番 つづき2

エリアフ・インバル 東京都交響楽団 マーラー交響曲第9番 のつづき2です。
この曲の本当の山場は最後の部分かもしれません。
人が死んでいく・・でも終わるのではなくて音楽があの世に入っていく・・・こちらからは見えなくなってしまうだけで永遠に続いている・・というイメージがあります。

自分が行ったのは横浜みなとみらいでした・・
この日の客席は多分みなこの音楽とこの演奏者たちが大好きだったに違いないと思っています。
客席にも異様な緊張感が満ちていて、お客さんも場を作っていたと思う。
2楽章が終わった時、指揮者が一度引っ込んだ・・高齢で体に負担がかかったからだろうか?分らないけれど・・かなり長い時間戻ってこなかった・・コンサートマスターの指示でチューニングが行われるが終わってもまだ戻らない・・
その間も客席の張り詰めた緊張感はずっと維持されていました・・
そういう演奏会での最終和音・・消えていく・・どんどん音が小さくなっていきますが、指揮者は音楽を止めるそぶりを見せません・・
弦楽器の弓が耐え切れず止まってしまう・・奏者は尋常でない表情で指揮者にくぎ付けになっている・・客席も・・指揮者は音を要求し続けている・・・・
このとき、指揮者は音楽とあちらの世界に行ってしまったように感じました・・演奏し続けているんだとオーケストラも、客席も、音楽もみんなそれを感じていたと思う・・長い長い静寂ののち・・耐え切れずパラパラと拍手が起こり始める・・指揮者は動かない・・・さらに長い時間の後、指揮者がようやく棒を下す。終わった・・・・でも向こうを向いたまま、脱力というか放心状態のままだ・・・拍手の数は増えてくるが・・まだだろうと思っている人も多い・・・さらに時間がたってようやくこちらに向きを変えた指揮者の表情は・・
彫の深い顔・・・忘れられない・・・私は、マーラーだ!と思った。
その瞬間堰を切ったような拍手とブラボー。
こんなことを書くとその場の雰囲気に酔っただけだろ・・と思われるかもしれません。
そうかもしれないですが、それでいいじゃないですか・・素晴らしい体験で忘れられません。
残念ながらCDからは感じられないですあんなの・・・・
感じられないじゃ記事として締まらないので・・

第1ヴァイオリンのAsと第2ヴァイオリン以下が対話しながら消えていきます。
人が死んでいく場面ですので弦楽器は弱音器をつけ・・・と思うとAsを象徴的に鳴らす第1ヴァイオリンにはまさかの”弱音器を付けない”の指示。
その分強弱記号が1段階落ちてます。
この音は他とは違う少し澄んだ音になるはずですね。
CDでもこの音色の違いを十分に感じ取ることができます。
むしろこういうのは録音のが得意なのか・・・
マーラーの生きている間に高度な録音再生技術があったら関心を示しただろうか?
自分の思う最高で完璧なものを形に残そうとしただろうか?
音楽を固定してしまうなんて無意味だと突っぱねそうな気もする。
でもピアノロールはとったんだよな。
そんなこと考えるのもおかしいか・・