劇的な改訂で国際化してた

いい顔してますね。
チャイコフスキーの幻想序曲ロメオとジュリエット
この曲、気のりしない感じで書き始めたんでしたっけ・・かなりの難産だったみたいですね。
作曲を提案し、相談にも乗った人がいて調性や一部メロディーを提案して・・
でもそんなことされたら余計やりにくいんじゃないかと思っちゃったり・・・そんなことないのか。

最後はなんでしたっけロメオとジュリエットは二人とも死んじゃうんですよね。
曲のおしまいに葬送行進曲があります。
情熱的に愛を歌っていた旋律がここにいるというのがね・・・・
ここでテューバがずっと裸で伸ばしをやっているんですよね・・・結構長いなーと思って
ブレス持つのかな?なんて言うときっと怒られるんでしょうね楽器やってる人には。
ホルンとかバスクラじゃなくてテューバ・・
2度の改訂を経て現在演奏されているのは第3稿になりますが、この葬送行進曲は第2稿で書き加えられたみたいです。
第1稿のこれに相当する部分は

こんな感じ・・やっぱりテューバ伸ばしてる・・・
この先の終結部も現行とは違います。

決定稿、第3稿
愛は永遠に!みたいなのが歌われる部分とチャイコフスキーの真骨頂みたいなリズム終止。

第1稿、
これしか知らなければいいと思えるんでしょうが、現行を知った耳には物足りない。
第1稿(1869)
序奏が決定稿と全く違う長調系の音楽となっています。
主部は変わらないのかな・・
展開部も全然違いますね。決定稿は序奏の音楽を効果的に使って劇的な展開を見せます。
第1稿も序奏の音楽が展開されるんですがのどかで明るい感じが悲劇性と逆行してるんですかね・・
でも聴いてみると悪い曲ではないんですよね。素朴なロシアの作曲家の名曲という感じ。
交響曲第1番を聞いたときのあのチャイコフスキーだなーという。
決定稿はロシアの作曲家・・という殻を出て世界に、歴史に通用する作曲家の作品となっている気がします。
この改訂、鳴りをよくするとか、効果を狙うとかそういうんじゃないですよね。
チャイコフスキー自身がこの曲の持つ意味というかあるべき姿のイメージを変えていった気がする。
どんなものが求められているのか、歴史に残る作品のあるべき姿というか・・
自分の目指すべき音楽方向もここで見えてきたんじゃないかなぁ。
なんでお前がそんなに偉そうなこと言ってんだと言われちゃいそうですが。
また、細かいことを別途書いてみたいと思います。
第3稿
なんにも書いてないけどこれショルティ、シカゴ響だと思うんです。