自筆譜を見て思った


ブラームス交響曲第3番の第2楽章
第1楽章ではすごい勢いで闘ってた人の休息の時というか・・
非常に穏やかな気持ちの・・そこへちらつく正体不明の漠然とした不安・・・
という音楽ですが、再現部に熱く歌っていたのに急に瞑想にふける・・というような部分があります。

自筆譜を見たらティンパニのトレモロを一度は書いて削除した跡がありました。
よくある感じですよね。
ティンパニが鳴っているとここは不安を感じている感じに聴こえるかなぁ・・
この楽章は謎の「漠然とした不安」ほのめかす大事な場面を持っています。
ここはそれとは別な場面なのでここまで不安になっちゃうとあれかなぁ・・
ティンパニを削除したことによって・・瞑想をしている感じですよね。なんだか深いなぁ・・
ここで下から上がってくる十六分音符は主題からとられたものなんですが、なんかこう心の何かを表しているように感じるんですよね。
このあとこれに支えられて

安らぎの旋律みたいなのが歌われます。

終楽章の最後、悟りを開いてすべてを受け入れるような境地になっているところの16分音符もこれと同じものじゃないかと思うんです。
ブラームスがこの曲を書いたのは50歳くらいでしょうか・・・
私はまだ50にはなりませんが、若いころとは違う気持ちでこの曲を聴いてると最近思います。
そうかぁ‥とか思うんですよ。
チャイコフスキーがブラームスと会った時の日記だったか手紙で「才能はあるのかもしれないが嫌なやつだ」みたいなことを書いていた気がします。
グリーグだったかほかにも似たようなことを言ってる作曲家がいたと思う。
ブラームスほどの人だからチャイコフスキーの才能はすぐに理解したと思う。
でも自分と全方向性の違う才能にうまく接することができず、自分を守るような嫌味を言ってしまうんじゃないかと・・
挙句、自分で傷ついたりして・・・
何を勝手に想像しているんだという話ですが・・・
若いころ、疎外感、孤独感を感じながらふらふら歩いていた時にときにこの曲の2楽章が頭の中で勝手に流れていたのを思い出しました。
なんでそういうどうでもいいことほど覚えてるんだそう。
あの頃は曲の意味なんて考えてなかった・・ただ好きだった。
意味なんて分からなくても音楽があってよかった。