かえるのうた

毎年、隣の田んぼに水が入ると蛙が鳴いて、夕方以降その圧倒的大音響の前では音楽鑑賞どころではなくなる・・・
はずだったのに今年はなぜか聴けてる・・
休耕田だからかぁ・・でも去年は鳴いてたけどなぁ・・卵がかえる場がないんだもんな。世代が尽きていなくなっちゃったのかな・・
昨年気付いたんですが、バロック音楽・・とりあえずバッハの音楽はバックで蛙の声が大音響が鳴り響いていても関係なく聞けるというか楽しめることが判かったんですよね。
絶えず音で埋まっているから?・・
なんでなのかを分析しようにも・・蛙いなくなっちゃた・・
よしこれからはこの時期はバッハを聴いてやる・・なんて思っていたんだけど・・
いなくなってみると寂しかったりして・・もうもどらないんだよね。
こういう事ってあるよね。
バッハについてなにか・・
ブランデンブルグ協奏曲第3番ト長調 BWV1048
小学校で給食の後、片づけを即す音楽が放送で流れていたんですがそれがこの曲の第1楽章でした。
初めて買ったCDが何もわからずに選んだカラヤン・ベルリンフィルのものだったんですが、まさにその演奏だった。
何も知らずに買ってきたCDを聴いていたら給食の音楽が鳴りだして偉くびっくりしたあの日のことを今でも覚えています。

弦楽合奏と通奏低音によるこの曲は2つの楽章がたった1小節のAdagioを挟んでつながっています。
この小節には2つの和音が書かれていますが、チェンバロを弾きながら指揮をしたバッハがここで即興を入れたんだろうと言われているようです。
弦楽器が主役の曲だからということで、ヴァイオリンがソロをとる演奏も多いみたいだ。
最初に買ったカラヤンのは弦楽器が神秘的に奏する和音の上でチェンバロがアルペジオを弾いてトリルでしめるみたいな感じ・・
ずっとそれを聴いていたのでそういうもんだと思っていたけど、ここだけロマン派みたいになっちゃってる気もしないでもない。
適当にYouTubeを聞き流すと
やけに凝った即興演奏を長々とやって最後の最後に弦の2つの和音を伴い終止する。
二つの音を長めに伸ばしてそのうえでチェンバロが軽く歌う。
普通に二つの和音を弾くだけ・・チェンバロもただのアルペジオ。
等・・いくつかのパターンがありますね。
実際はどんな演奏をしていたんでしょうね。
即興の名手だ的に長くやるのはいいけどそれなら初耳にも訴えるキャッチーな何かを聴かせてもらいたいなぁ・・
前後のあの生き生きとした音楽の間に、地味な魚のほしたのみたいな演奏を聴くのは違和感があるんだけどなぁ・・・
お前の耳が鈍いだけだろという話かもしれませんが、私の好みなのでどう感じようが勝手でよね。
しかしさらっと和音だけってのもないだろう・・なんだよそれ・・バッハがそんな音楽を頭に浮かべたりしたかなぁ?
(私の勝手な考えです。すみません)
自分の勝手な好みは、あんまり重くて長いようなソロより、弦の和音の上に載って単旋律がさらっと走り回るみたいな・・
みんな前半の音でいろいろやるけど、最初の音符にはフェルマータついてないから後半でセンス良くいろいろ語るっていうのはどうですか・・
どうですかじゃねーよという話ですが。
隣の休耕田が今後どうなるかが気になります。
しばらくは草も伸び放題で荒れていました。
最近は時々草刈りをしに来てくれるけど、疲れちゃうと帰っちゃうみたいなので虎刈りみたいになってる・・
「水を川から入れるんじゃなくて湧水を直接引いているんだからいい田んぼだよ」と人は言う。
田んぼを借りてでもやりたいという人もいるそうだ。
でももう貸して田んぼにする気はなさそうかな・・
家が建っちゃったらもううるさいとか言われて音楽きけなくなっちゃうのかな・・
市街化調整区域とかいうのはどうにでもなっちゃうもんらしい・・
そうなるともう何を楽しみに生きてけばいいんだろうか・・
色々書かせていただいてるんですが空間的音楽情報鑑賞に萌えているのでヘッドホンで音楽は悲しいです。
聴けないよりはいいでしょうけど・・
お金をかけて防音室化するか・・そんなお金ないか・・
家族怒るかな?
バッハが一時期仕え、ブランデンブルグ協奏曲を書くきっかけになったらしいケーテン侯という人は大変な音楽通だったという。
なのに嫁さんが音楽嫌いで音楽熱が冷めたと書いてあった・・・
そんな王様みたいな人でもかーちゃんに怒られて大好きな趣味を諦めちゃたりすんのかと思ったら笑えてきて泣けてきた。
うちはクラシック好きではないけど音楽嫌いではないのでほんとによかった。
いやほんとに。
ありがとう。