臨死体験

ブルックナーの最後の交響曲、9番。
その第3楽章は冒頭から尋常でない雰囲気につつまれています・・
ベートーベンの音楽に感動し、オーストリアの自然や信仰を音楽化した作曲家という枠を遙かに越えたところへこの人はいってしまったんだという気がします・・
新しい表現をねらってとかじゃなくて・・
この人自体がいっちゃったんだどっかそういうところへ・・

始まってすぐに音楽は盛り上がっていくと弦のトレモロに乗ってトランペットとホルンが叫ぶ部分がやってきます。

異様な光に包まれているこの場所はもう地上の光ではなくて神々の世界の光を見ているんじゃないかと思う。
臨死体験みたいだ。
時間は結構残されていたらしいのに、その死によって完成されることがなかったフィナーレ。
残された資料から補筆演奏される試みが行われています。
私は、
ブルックナーは本当のあるべき4楽章の霊感を受けるまで待っていたのだ・・
書いていたものは4楽章となるべきものではなく、元々破棄される運命にあった時間つぶしののようなものなのだ・・
という誰かの唱えていた説が感動的で大好きです。
3楽章で臨死体験が来ちゃってるんだとしたらフィナーレは天国の音楽以外にないんじゃないか・・・
でもまだ天国にいってみたことのないブルックナーにはそれがかけなかったのではないか・・・
やっとその天国へいくことができて・・・
あの世ではもう満足して続きを書いたりはしていないでしょう。
ベートーベンが交響曲第279番を作曲していたり、バッハの最新作がBWV32768だったり・・
めんどくさい世界があるんだろうか?

この絵時々見ますよね。
作者のブルックナーへの愛情が感じられますが、
個性と主張の強い作曲家たちがこんなに一堂に会しちゃったら、喧嘩になるんじゃないだろうか?
人が死ぬときに迎えが来ると言いますよね。
私の近親者も何かやってましたよ空中と・・
マーラーの最後の言葉がモーツアルトル!だったというのは有名な話ですね。
普通に考えると大好きな作曲家の名前を叫んだだけ・・ということでしょうけど、
迎えに来たんじゃないかな?