うけいれる

とある理由で精神的に拘束されており自由が利かないため、長い休みがあると精神的に下降していきます。
そんなのみんなそうだよ、甘えんな・・ですね。
数年前の夏休みは何も考えたくないので毎日ひたすらCDをリッピングしていました。
リッピングもソフトによって音が変わる!とかいったら普通の人はどう思うんでしょうか・・
でもそういう世界。
休み中に全部は終わらなかったけどそれでも700枚くらいできたのかな・・普通だったら文句を言うところだろうけど笑顔でほっといてくれた嫁さんありがとう。
飯でも食わせに行こうか・混んでるけどなぁ・・
音楽でも聴くかと思ったところで隣の休耕田で草刈りを始めた。
エンジン音で音楽は聴けないけど、一生懸命働いてる人に文句を言ったらいけないですね。
広い田んぼを毎日少しずつ刈っていくので全部終わったころには最初の地点が刈り頃に。
平日毎日来れるのは定年になったからか、健康維持のためとかでやりたくてやってるのかもね・・
そう、隣なのに一度も話したことがない。
大規模に田んぼをやりたい人はいるみたいだから貸すか何かすれば・・と思うけど大きなお世話ですね。

その田んぼにはこんなイチゴがいるんだよ。これが野イチゴ?
久しぶりにピアノでも弾こうか。
既存の曲なんか弾けない。自分で作った曲。
自分が弾けるように作ったから絶対に弾けるという・・
あっ草刈り止まった?・・音楽聴くか・・
今シューマンのライン交響曲が聴きたいんだよな。
マーラーの編曲をかなり生かしているらしい盤・・
止まってなかった。
この時期、なぜかは知らないけど家の中にコオロギがうろうろしていることがよくあります。
子供の頃、一匹のコオロギを飼ったことがありました。
小さな虫かごの中でそこにメスが現れることは絶対ないのに、とてつもなく美しい声で毎晩鳴いた。
死んでかたくなってしまったそのコオロギを埋めるとき、子供心にも悪いことをしたと思った・・
という事を思い出すまでもなく、嫁さんが大騒ぎをして何とか捕まえて外に出してやろうとする。
無事、それが終わるとあぁ良かったなと思う。
一方似たような褐色の虫がこの時期よく家の中をうろうろしていることもある。
しかしこちらは助けるどころか問答無用で成敗しようとする。
新聞紙を丸め、日ごろの鬱憤、生い立ち上の恨みなどをそこにぶつけるため、遺骸は無残な姿となることが多い。
そこに悪いことをした・・みたいな気持ちは一切ない。
笑ったりするかもしれない。
同じ虫であるのに・・
もし、この虫も美しい声で鳴いたりしたらどうなるんだろうか?・・・
家の中で鳴き声が・・・
キャーないてる!
えっ!殺虫剤どこだ!・・
多分余計ひどいことになると思う。
そもそも筋違いなのである。
自分は何なのかを認めて、そこからどうするかしかない。
昔、自分が二人いたことがあったんですよ。あいつならどう思うかとかあいつが好きそうだから買っとこうとか、今のこの受け入れられない自分とは別に汚れていないあるはずの自分がいた。
遠からず出会えると思っていて、それが希望だった。
15年ほど前のあるきっかけで今の自分を認めることができたようで、気が付けば2重状況は解消されていました。
この2年ほど気分が晴れずにいるんですが、また出てきているんだろうか?
今の自分を受け入れろとか言われてもっともだとも思う半面、
悲しい気もする。
ラシーヌ賛歌でも聴きましょうか。
この手の曲はボーイソプラノが最高!みたいな話になるけれど、いろいろ聞いてみてやっぱり大人の巧い合唱団の深みのある演奏のほうが圧倒的に好きです。
確かフォーレが学生の頃に書いたんでしたっけ。
この人浮気ばっかしてたんでしょ?関係ないけど。
どんな歌詞で何を言ってるかは知りませんが、いいですねこれも。