押さえつけられて咲いた花

庭のこの木と実、スダチだと思っていたんですけど・・
はずかしいですが実はなんなのかよくわからないんです。
先日某所で実のついたスダチの木が売られているのを見たんだけどなんかこれと違った・・
でもカボスとも違った・・
間違いなく柚子じゃない。デコポンであるわけがない・・
植えたのは父親ですが、生前ほとんどまともな会話がなかったので・・

Wikipediaでセザール・フランクについて読んでみたら、
いわゆる過干渉で毒親みたいな親父に支配されることに耐え続けたが、結婚を反対されたことを機に決別した。
みたいな話が印象に残りました。
なんかこう、この人の音楽ってそういう人の曲だなーという気がする。
親父から解放された後も作られちゃったあるべき自分の中で頑張ってたんじゃないのかなぁ・・
まじめで控え目な人格者だったらしいことをどこかで読みました。
酔っぱらえばただのエロじじいだった・・とかないのかな・・
髭かもみあげかしらないけど羊の神さまみたいですよね。
歴史的な人物の伝承って、書き手の都合に良い方向にバイアスがかかっている事が多く鵜呑みのしてはいけないと思うんですが、この人のその後の出来事を読んだら泣きそうになった。
なんでそんな風でいられたの?
押さえつけられた生い立ちの影響みたいなものを勝手に想像してみたりして・・
中学生の頃、
日曜日の朝、NHKホールのオルガンを活用した「オルガンの調べ」という番組があって毎週聞いていたのですが、そこでテープに録音した中にフランクのコラール第3番ニ短調がありました。
まだ訳の分からなかったような(今だってわからないけど)ころからこの曲聴いていたんですね。
バッハとかブクステフーデとかバロック音楽に慣れ親しんできた頃だったのでこの曲を聞いたときにはびっくりした。
旋律とか和声とかもそうですが、まず音量が変化したのに驚いた。
バロックのオルガンはそんな音量変化なんてさせない。それしか知らないのでそういうものだと思っていた。
驚くというか受け入れられなくて気持ち悪い・・なんて思ったのを覚えています。
でも中間部のあのメロディが刷り込まれてしまいいつも頭の中で鳴っていました。
この曲とても有名みたいでコンサートでよく取り上げられるみたいですね。
私も複数回実演で聴きました。
魅力的な旋律と(わかれば)わかりやすくておいしい構造をもっていますかね・・
この曲もなんかこう、抑圧されてますよね。
笑うにしてもまじめな顔してこうしなきゃいけないだろうという自分が、こうしなきゃいけないだろうという風に笑うというか・・
でもその押さえつけられた枠の中で精いっぱい花を咲かせてるんだよみたいな。
中間部のクライマックス

主題が足鍵盤にオクターブで現れます。
これ、知ってると実演ではやってるところを見たくなりますよね・・両手両足開いて重々しく弾いている見た目もクライマックスというか・・・
ここをあっさり通り過ぎられるとちょっとあららと思ったりして・・
もっと注目したいのはその先で、左足で低いEを押したまま右足をクレッシェンドペダルにかけて音量をすーっと落とす・・・
ここがなんとなくちいさくなったのかな?くらいな印象だとつまらないんですよね・・
落ちた感がはっきり感じられるかどうかに勝手に注目して聞いていますという・・
あれ?、これ演奏も音もいいけどリアルオルガンじゃないのかな?
ただのシンセサイザーのすごい奴かな?
ラジオ番組のオルガンの調べというので本当にいろんな曲を教えてもらいました。
弾いていたのはいつも日本人のプロのオルガニストか音大の教授か言っていた気がする。
TVでN響の演奏をさんざん見たからNHKホールも自分の記憶の聖地みたいなところはあります。
でもなぜかまだ1度も行ったことがない。
あのあさってみたいなところについているオルガンを聴いてみたいかなぁ・・
オリンピックが終わったころに建て替えるんでしたっけ?
聴けずじまいかな・・
親父とは、余命がいくらもないと悟ってからできるだけ会話をしようとしました。
短い時間だった。