おとぎの国

今日は休みだ。
朝起きてみると涼しく気持ちがいい・・
車が雨でぬれているのでそのまま適当に洗車をして・・
音楽聴くか!・・と思っていると隣へ軽トラが・・・
草刈りやんのか・・
畔というか道路に面したところの草が道へはみ出しているのには一切手を付けないで、誰にも影響のないようなところを延々刈り続けるというのが現代風だと思う。
興味のない人から見るとあほ見たいかもしれませんが、
小さな専用の部屋にこもり、
目の前に視覚的に浮かんだオーケストラを見ながら、作曲家の作った世界へ入り込む・・みたいな変態的な趣味なので、草刈り機のエンジン音が聞こえるうちは音楽は聴けないんです。
グダグダ言ってないで、どっかでかけろよというとこか・・
先日、YouTubeでシャルル・デュトワ指揮、モントリオール響の実演みたいなものがあったので聴いてみると・・あれ・・・?
中学生のころからこのコンビのCDをいろいろ買って愛聴してきました。
洗練された完全無欠なあの魔法みたいな世界にずっと浸ってきた。
当たり前だけど、毎回CDみたいな超絶名演をしていたわけではないのはわかります。・・いやそういう超絶オケもあるんだろうけど・・
デュトワがN響を振っているのをTVで何度も聴いたけど、わすれられない素晴らしい演奏の時もあればヘロヘロダメダメなのがそのまま流れちゃってることもあった。
演奏会を記録したLIVE録音ではなくて、録音するつもりで録ったレコードには、
できるだけ自然な形で演奏を記録しようとたものと
演奏、音響あらゆる面で細部まで理想的な姿になることを目指し、徹底的に作りこんだもの
があると思う。
デュトワ・MSOのは後者だと思う。
だからと言ってそれがインチキな虚像だという事ではないです。
演奏会とは違う、録音というステージ上だからできる究極的な作品完成の場というのがあるんだと思う。

聖ユスターシュ教会でデュトワMSOでしょう?
ハープとかチェレスタはこんなあさってみたいなところに隔離して録るんだ・・
聴くと弦の後ろにハープがいるように聴こえるけど、実際こうなのね・・
実演でオケが強奏している時ハープやチェレスタの細かい音を全部聴きたいと思ったら近くに座るしかないと思う。
だけど録音はどこに置いてあろうとスコア上の大事な場面で大事な楽器がちゃんと聞こえるように調整してくれてある・・
たまにやりすぎで不自然な印象になってるのもあるけれど・・・
音のバランスなんかはマイクほかこういう配置とかコンソールのスライダーで自由に作られちゃうわけなんでしょうね。
元々実演だって、同じホールでも座る席によって聞えるバランスなんてまちまちで、これが標準のただしい音というのはだれにも決められない。
リアリティを求めるとこのやり方には不満もあるけれど、スコアを全部聴き取りたいと思うとこのやり方に感謝したい・・
デュトワ、MSOの盤はラヴェルとか初期の録音はハープが右側にいます。
ハープが左にいるようになると演奏にも深みが出るなんて勝手に感じています。

昔のデュトワって刑事コロンボに似てましたよね・・
左の人はプロデュサーかな。
何が言いたいのか自分でもわからないけど、世の中いろいろだってことでしょう。
何が正しいなんて言うこともない。
ただいろいろあることと、それらはどんなものなのかを知っていないと見当違いな受け取り方をして損だという気はする。
それはレコードだけじゃないのかも。

ちょっと出かけました。
直行で2時間くらいのところか。
この見えてる緑が、全部桃の花で桃色に染まったのを見たことがあります。
近場にもいいところいっぱいあるんだよな・・
同じ景色も気の持ちようでつまらなく見えたり絶景にみえたり・・