しらなかった
ロシアがまたサハリンと北海道の間に橋をみたいなことを言ったんですよね?
絶対に実現しないだろうけど、話としては夢が膨らんで面白い。
やるならトンネルですよね。こんなスケールで橋なんてあるわけないじゃんか。
この長さじゃ車を勝手に走らせるんじゃなくて鉄道トンネル方式にしなきゃまずいよね。
技術的にはきっと問題ないんだろう。
でも色々政治的に問題だらけでやれないよねえ。
とりあえず現実的にやれそうなのは直流送電ケーブルを海底に設置して電力融通とかかな?
でもこじれるとすぐに電気止めるぞとか言いだすんでしょう?

稚内に行ってぼーっと北の方をみているとサハリンが見えました。
ロシアって見えるような位置にあるんだよな。
普段住んでいるここでは、全然実感できないので・・
チャイコフスキがーいて見て感じたロシアとは全然違うんだろうけど。
チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番は冒頭の序奏の印象が圧倒的すぎることが良くも悪くも大きな特徴だと思います。
一度聞いたら忘れられないあのffで打ち込まれるピアノの分厚い和音・・
聴いた人間の心を話さず、この曲の人気の不動のものとしている・・
半面、せっかく変ロ短調の主部があるのに序奏の圧倒的な印象がかぶってきちゃて・・・
最初の音楽がまた出てくるのを心待ちにしたまま終わっちゃったという人もいるかもしれない・・

ピアノという楽器も時代とともに大きく進化してきていたと思うんです。
あのffが生かせる鋼鉄フレームのピアノみたいいなのに触れて初めて生まれた発想なんじゃないでしょうか・・
こんだけぶち上げた序奏を回想させないままにしとけるというところがまたすごい人なのかもしれない。
恥ずかしいけど・・
チャイコフスキーの楽譜を見るとよくあるんですが私、休符で始まる音楽を実際のスコアとずれて認識していて

こんな風に聴いちゃっているんですよね。 全員でバン!っていうのを3拍子の1拍目ととらえて・・・
ピアノが出てくるところでスコア通りになるから、途中変拍子なの・・・
!は2拍目なのね・・・
演奏するわけじゃないから、認識がおかしくても音楽は止まらないし、逮捕されるわけでもないんですけどね。
ネットをみていると初稿らしきものがあったのでみてみるとびっくりしました。

あのピアノの分厚い和音がない・・f ひとつでアルペジオ・・・なんだこれ・・
ニコライ・ルービンシュタインにこんなもん弾けるかといわれ、ハンス・フォン・ビューローが初演したときもこの楽譜だったのかな・・
頭の中で思い浮かべてみると・・あぁ、クルミ割り人形とかのあのチャイコフスキーっぽいかなぁ・・
これしか知らなきゃいい曲だなーと感じると思う。
でもあの問答無用の存在感はないかなぁ・・
molto maestosoって書いてありますよね・・・絶対現行の方がいいと思う。
でも作曲家も人間で一発でそこへたどり着けたわけじゃないんだね・・
答えを知ってると・・もっといい解決法があるのに・・にやにや・・なんて言いたくなるけど・・
そういうこと言いたがる人いますよね・・
演奏があった。
一つ目の音はアルペジオじゃないところが耳に残りますよね・・
現行を知っていてあれがすごすぎるから・・でもこれはこれでいいとも思う。
チャイコフスキーがいつどうして改訂を行ったのか等よく知らないけれど、何となく使ってた楽器の音色が発想と強く関わっているような気がします。
現代ピアノでこの盤を弾くのも面白いけど、当時のピアノでというのもきいてみたいかな・・探せばあるのかな・・
これは、知ったら面白かった話ですね。
世の中には知らないほうが良いこともたくさんあると思う。
大切なものを失うこともあるかもしれない。
いらんことは知らないまま楽しく生きられたらいいですかね。
絶対に実現しないだろうけど、話としては夢が膨らんで面白い。
やるならトンネルですよね。こんなスケールで橋なんてあるわけないじゃんか。
この長さじゃ車を勝手に走らせるんじゃなくて鉄道トンネル方式にしなきゃまずいよね。
技術的にはきっと問題ないんだろう。
でも色々政治的に問題だらけでやれないよねえ。
とりあえず現実的にやれそうなのは直流送電ケーブルを海底に設置して電力融通とかかな?
でもこじれるとすぐに電気止めるぞとか言いだすんでしょう?

稚内に行ってぼーっと北の方をみているとサハリンが見えました。
ロシアって見えるような位置にあるんだよな。
普段住んでいるここでは、全然実感できないので・・
チャイコフスキがーいて見て感じたロシアとは全然違うんだろうけど。
チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番は冒頭の序奏の印象が圧倒的すぎることが良くも悪くも大きな特徴だと思います。
一度聞いたら忘れられないあのffで打ち込まれるピアノの分厚い和音・・
聴いた人間の心を話さず、この曲の人気の不動のものとしている・・
半面、せっかく変ロ短調の主部があるのに序奏の圧倒的な印象がかぶってきちゃて・・・
最初の音楽がまた出てくるのを心待ちにしたまま終わっちゃったという人もいるかもしれない・・

ピアノという楽器も時代とともに大きく進化してきていたと思うんです。
あのffが生かせる鋼鉄フレームのピアノみたいいなのに触れて初めて生まれた発想なんじゃないでしょうか・・
こんだけぶち上げた序奏を回想させないままにしとけるというところがまたすごい人なのかもしれない。
恥ずかしいけど・・
チャイコフスキーの楽譜を見るとよくあるんですが私、休符で始まる音楽を実際のスコアとずれて認識していて

こんな風に聴いちゃっているんですよね。 全員でバン!っていうのを3拍子の1拍目ととらえて・・・
ピアノが出てくるところでスコア通りになるから、途中変拍子なの・・・
!は2拍目なのね・・・
演奏するわけじゃないから、認識がおかしくても音楽は止まらないし、逮捕されるわけでもないんですけどね。
ネットをみていると初稿らしきものがあったのでみてみるとびっくりしました。


あのピアノの分厚い和音がない・・f ひとつでアルペジオ・・・なんだこれ・・
ニコライ・ルービンシュタインにこんなもん弾けるかといわれ、ハンス・フォン・ビューローが初演したときもこの楽譜だったのかな・・
頭の中で思い浮かべてみると・・あぁ、クルミ割り人形とかのあのチャイコフスキーっぽいかなぁ・・
これしか知らなきゃいい曲だなーと感じると思う。
でもあの問答無用の存在感はないかなぁ・・
molto maestosoって書いてありますよね・・・絶対現行の方がいいと思う。
でも作曲家も人間で一発でそこへたどり着けたわけじゃないんだね・・
答えを知ってると・・もっといい解決法があるのに・・にやにや・・なんて言いたくなるけど・・
そういうこと言いたがる人いますよね・・
演奏があった。
一つ目の音はアルペジオじゃないところが耳に残りますよね・・
現行を知っていてあれがすごすぎるから・・でもこれはこれでいいとも思う。
チャイコフスキーがいつどうして改訂を行ったのか等よく知らないけれど、何となく使ってた楽器の音色が発想と強く関わっているような気がします。
現代ピアノでこの盤を弾くのも面白いけど、当時のピアノでというのもきいてみたいかな・・探せばあるのかな・・
これは、知ったら面白かった話ですね。
世の中には知らないほうが良いこともたくさんあると思う。
大切なものを失うこともあるかもしれない。
いらんことは知らないまま楽しく生きられたらいいですかね。