いちょう

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お堂の銀杏の樹

世間に出れば自慢に威圧に人を見下す目・・・トゲだらけだ。
まぁ、そこを負けずに進んで行かなくちゃいけないんだろうけれど。
堂々たるこの木はいちいち威圧する必要もないし、トゲで刺してきたりもしません。
何も言ってくれない代わりに出て行けとも言わない。
たくさんの葉を通して落ちてくる日の光はとても奇麗でやわらかい。
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見上げるとずっと上のほうまで多層に重なった葉っぱの世界が見えて
ずっと眺めていたくなります。
構えてどこかに出かけていかなくてもこんなにいい時間がその辺にあるんだねー。

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犬はこの時期なぜかあそこから入ってきません・・
お堂の仏さまに遠慮しているからではなくて
銀杏がくさいから?・・・臭いところ好きなはずなのに・・

この感じ、メンデルスゾーンの前奏曲とフーガOp.37の第2番ト長調は牧歌的な前奏曲か・・・

この演奏はいいと思うけど後半のフーガがないのが残念。
欲を言えばもっと歌いこんでほしいと勝手に思ったり・・

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悲しみも苦しみもないし、威張ったり馬鹿にしたりもしない。
ただ心地よい若草色の世界があるだけ。

続くフーガ主題もわかりやすく親しみやすい。
何だか元気になっちゃって歩き出していくみたいだ。
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バッハのオルガン曲なんかは如何にも終わりだなという感じで終わるんですよね。。
聴いてるこっちも納得してああおわったなぁ・・みたいな。
このフーガの終わりの部分、そのまま流れて終わっていく感じがメンデルスゾーンだなと思います。
交響曲第5番の最後にもこんな感じがあります・・
この辺が恵まれた立場の幸せな人・・みたいなイメージとちょっと結びついちゃうんだけど。
いちいち確固つけなくてもいいよそんなところ・・見たいなひとだったのか・・

あちらではオルガンは協会に必ずある身近な楽器で、オルガニストはどの町でも必要な職業だったんでしょう・・
逆に言うと取り合えず音楽で飯を食ってこうと思ったらピアノの教師とオルガニストとかだったのかな・・
有名なロマン派の作曲家も結構学校でオルガン科にいきオルガンの曲を書いてるんですね。
えーこの人にもあるの?というのが結構ある。
でも(私にとって)普通に聴いて楽しめる曲を書いてくれた作曲家は少ない。
バッハを発見して世の中に復活させたメンデルスゾーンですが、自身もオルガンでバッハの作品をいろいろ演奏したみたいです。
メンデルスゾーンのオルガン曲にも親しみやすくいい曲がいくつかあると思う。


フーガ付き。
個人的な好みはもうちょっとじっくり歌ってほしいなぁ・・

この木、何歳なのかな?
誰が植えたんだろう・・
向こうの石碑にはなんとか嘉左ヱ門とか時代劇みたいな名前がいくつか彫ってあります。
ずっとここにいたいけど犬が待ちくたびれているしこの先にもいいことがあるかもしれない。

何人かの方に私の曲を聴いていただけて、コメントとか拍手とかをいただけました。
それがどれほど私にとって素晴らしいことであるかというと・・
大袈裟に聞こえると思いますが生きていてよかったと思うんです。
人間は飯だけ食ってれば生きられるというものではないと思うんですよね。
どうもありがとうございました。

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みかん

ちょっと何だかわからないっぽいけど、
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うちのある木。
何年か前に食べた柑橘類の種を植えてみたら芽が出てみたいな。
もう何を食べたのかもわかりません。
いつか花が咲いて実をつけてくれるのかな?
この木、
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そんなにいらないだろうというぐらい大げさな刺を持っています。
なんでそんなに攻撃的なんだ・・何から身を守ってるんだ・・・
周りの草を取ってやろうとすると私を刺してくる・・・
おい俺を刺してどうすんだよ!
ここには別な木が植わっていたんですが、数年前に弱って枯れてしまいました。
最後の年は狂ったように沢山の花を咲かせて頑張っていた。
種という形で何とか自分を残そうとしているのかと思うと泣けた。
妻や私に災難が降りかかったのも同じころだった気がする。
その穴埋めに植えたこの木、家の鬼門であるこの場所であの刺が家を守ってくれてるんだろうと思ってる。
嫁はこれをみかんと呼ぶ・・
でもみかんじゃないと思う・・

釈迦に説法的なお話ですが・・・ドイツ語で音名をならべると
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こうなってるんですね。
理由は検索するとでてきますがドイツではBと書くとB♭のことで、B♮はHと書くんですね。

バッハ(BACH)の名を並べてみると
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こういう半音階的で魅力的な旋律が現れます。
なにかこう、少し怪しく笑みを浮かべているような・・

晩年のバッハが自ら出版し残そうとした「フーガの技法」BWV1080という曲集の最後に3重フーガ(3つの別なフーガが最後には同時進行するという神業的な音楽)があります。
伝説では作者の死によって完成されることがなかったとされている未完のフーガで、未完の楽譜がそのまま演奏される。
バッハの名による第3フーガの後、いよいよ3重フーガが始まり再びバッハの名を聴いたところで突然音楽は途切れる・・
その瞬間聴き手はバッハの命が途切れた事を感じる・・・
なんというドラマチックな話・・
水を差すようだけど最近の研究で実はこれが絶筆ではないらしいことがわかっているんだそうです。
真実を暴いていくことって結構残酷な時がありますよね・・

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途切れ方にも味があるところがまた・・・
下にある注意書きは息子のC・P・Eバッハによるもので
”作曲者はBACHの名による主題を持ち込んだところで絶命した”
息子は多分、これが絶筆でないことを知っていたんじゃないだろうか。
それでもそう書いた息子の心を想像するのも・・



それよりバッハがなぜこれをここで止めたのかが気になります。
難しくなっちゃったからやめちゃったみたいな説もあるらしいけどそれじゃあんまりだ。
未来の人間に向けて自分の名を残すための演出だったら・・と考えたりすると面白いけれど、あの人そんな次元でやらないでしょうと思ったりもする。
すべてを見通す究極の聴衆である神に向けて作曲していたバッハはこれによって何を言おうとしたんだろう?

私もいつか自分の設計したもののどこかに私の名前を潜ませてやろうかと思っている。
もちろん誰にも迷惑をかけず、気づかれないように・・
でもそんなことに成功するとそれで良しとなって死んじゃうのかもしれないからやっぱり当分やめとこう。

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ゆるがない

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建設中のビルのすぐ横を歩いていたら中身というか足元というか

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こんな光景が見えました。
ふっとい鉄骨が整然と並んで・・これらは完成しても存在し続けるんだけど綺麗になっちゃうと意識から消えるというか・・
溶接とモルタルのにおい・・
自分も物を作る仕事にかかわっているけど・・かかわっているからか、
あんなもんよく組んでいくなぁ・・
かっこいいなぁ・・・
実際はもっと地下の深いところまでこの構造が続いているんだろうけど、ビルの足元ですね。

若いブラームスのピアノ協奏曲第1番の2楽章で、Dに固定された深い低音の上でピアノが祈りのコラールをという部分が感動的です。
あの曲は紆余曲折を経て完成していて、始めに書いた2、3楽章はドイツレクイエムに転用されたといわれています。
そのドイツレクイエムの第3楽章。
バリトンがこの世の苦悩みたいなのを歌うんですが、後半は神をたたえる巨大なフーガが演奏されます。


ガーディナーのもよく聴いたけど本当はもっと重い方が好き・・いやでもまた今聴くとこれもいいな・・


そのフーガ、
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始めから終わりまでずっとDに固定された低音の上に乗っています。
他の曲にもあるのかもしれないけれどこれは結構すごいですよ。
ずっとDに縛られているという事は音楽的な展開の自由度を制限されているという事だけど、全くそれを感じさせない豊かで大きなフーガが展開されていく。
ゆるぎない、誰にも侵されない世界が現れる。

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おしまいの部分、ホルンから始まってトランペットが鳴り響き・・
目の前に神の巨大な神殿が現れるのを見るような気になります。
この音楽はオルガンのある場所で実際体感すると圧倒されます。
ここをテンポも落とさずにさらっという感じで終わっちゃう演奏は好きになれません。
結構ありますけど。

このフーガは「永遠のD」なんて呼ばれることがあるみたいです。
初演時はここに批判も集まったという。
「転調ができないからこんななんだ」みたいな・・
でもそういうのほんとうかなぁ・・
そんな馬鹿みたいな次元で考えてる人は音楽評論家になんてなれないでしょう・・
いろんなしがらみで文句を言わなければならない立場というのがあって、内容は適当な後付けですよねきっと・・
昔から騒ぎをあおるような内容を書いて新聞を売ろうみたいなのとかあったのかな・・

誰がどんな文句を言おうが、この音楽はびくともしないと思う。


昔、就職活動でこういう現場に行った事があります。
今は自分には適性のかけらもないだろうと思うのだけど、その時は本気でそんな未来を描いてみた。
本当にやろうとしたのはもう少し違うところが現場となる仕事で、感触もよかったんだけど(昔の)SPIで落とされました。
身体的な特性として欠損があり任せると危険だということが客観的に数値化されたわけだ。
採用担当の方が研究室の教授へ連絡をくれて丁寧に説明してくださったのを覚えている。
希望する進路への道を絶たれたんだから喜びはしなかったし一瞬腐ったけれど、
子供のころから自覚もあったためショックというよりはっきり提示してもらえてすがすがしかった。
それじゃどうすればいいのかを考え進んでいくだけ。

今は全然違う世界ですが自分のやりたい仕事をやらせてもらえています。
それは当たり前ではなくて得難いありがたいことなんだと思っています。
私の欠陥的な問題は今の仕事にも悪影響を及ぼしているけれど、好きな仕事をしていられるのはいろんな方のおかげだということを毎日痛感しています。

私はそれとは別にも身体的な問題を抱えていて社会生活に支障をきたすことがあります。
だからと言って私の人間的価値が低いとは少しも思わない。
しかし無理解から来るんだろう、人間性を否定するようなことを言われることもある。
それは「転調できないから」と同じような陳腐で気にする価値もないものだと思うことにしている。



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蕎麦とピアノと作曲

以前から気になっていた蕎麦屋さんに行きました。
山の上の別荘地にちょっと入って・・いまグーグルマップとかで出ちゃうから知る人ぞ知るお店ってもうないですよね。
だから私もいけるんだけど。
入り口には新そばの文字。
休日だし混んでんだろうなーやだなーなんて思いながら行ってみたら誰もいない・・
雰囲気のある店内を独り占めにできて喜ぶ・・
すぐお客さん来ましたけどね・・
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天ぷらなんかつけるから太るんだろうけど・・
歯ごたえものど越しもすごくて・・
窓から見える景色も一枚の絵みたいなお蕎麦屋さんでした。
どうでもいいけど蕎麦茶ってうまいよな。
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お店から出るともう冬の景色。
ありがとう、ご馳走様でした。

いつのどれだったかわからないけれど記憶にあるあの香りと味・・
最近それを求めていろいろなお店に行くんだけどたどり着けてません。
お店じゃなくて個人が打ったものをいただいた時のものかもしれません。
時期なのかとも思ったけど違うのかなぁ・・・
さらにこんなことを書くと馬鹿だと思われるかもしれないけど、数年前に一度だけあの香りに遭遇できたんです。
それがなぜかコンビニで売ってた蕎麦・・・
すげー!最近じゃコンビニの蕎麦もこんななのか!?と喜んだんだけど・・
次に同じものを買ってみると普通のまずい蕎麦に戻ってた・・
あれは何だったんだろう・・
蕎麦のことなんかよくわかんないから・・

まあいいや・・・いろんな蕎麦屋に行ってみるというのも楽しみだもんね。

蕎麦屋さんではクラシックじゃないピアノの曲がずっとかかっていました。
聴きながら俺もまた作曲しようかな・・・なんて考えたりして。
お店を出るときには自分の旋律が頭の中に流れて・・
すぐ弾いてみて固定しないと忘れちゃうんだけど。

帰りにはショパンのこれが頭の中でしばらく流れていました。



これ遺作なんだそうです。
若い時に書いたけれど出版しなかった理由は感傷的過ぎるから・・だそうで・・

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このワルツの特徴というか、感じるところはこの半音階進行ですよね。
人間、甘えたり嘆いたりするときに出す声は半音階進行ですもんね。

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最初の旋律も伸ばしの音が半音動いて落ち着く・・みたいな。

書いたの19歳だそうでまだ希望に燃えていた頃でしょうか・・
そんなころにこういうものが出てきたり、もう死ぬしかないのも見えちゃった頃に舟歌を書いたり・・
音楽ってすごいね。
じゃあこれらは作者の精神から乖離して独立したものかというと全然そんなこともないと思うんですよね。


私の若い時に書いた感傷的過ぎる曲
良かったら聞いてね。
自分の音楽を人に好意的に聴いてもらえると、うれしんですよびっくりするくらい・・・
それだけで生きてる理由になるくらい。


うちの奥さんは蕎麦屋に行こうというと嫌がる。
サービスエリアとかのやつのがおいしいとか言い出して・・
駅そばとか、まああれはあれで奥が深い世界があると思うけれど・・
行かないっていうから一人で行ったのに、あそこへ行ってきたとよ言ったら自分も行くという・・

Tag:ショパン  Trackback:0 comment:6 

さんぽ

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犬とお散歩!
空は快晴、日の光も暖かくて気持ちいい・・
最高です。
右下の青い葉っぱはブロッコリー。
そんな絵になるような景色はないけれど、うちの近所を犬と散歩してると癒されます。

これ犬が小した後なんですけどね、
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誰も教えてないのに後ろ足で砂をかけるような動作はするんです。
本能なんでしょうね。
でも正しく教わっていないからかちゃんとしてなくて向きも勢いもめちゃくちゃ・・
ただ暴れてるだけじゃんか・・
趣旨もわからずにやってるんだろうなぁ・・

昨日は東京に出て渋谷をふらふら歩いてみた・・・んだけどもう何もときめかなくなっちゃった・・
何も感じないだけじゃなくて目に入るもの、耳から入ってくる会話がいちいち刺さって神経を逆なでする・・
気分転換のつもりが気分停滞・・
行くんなら池上線沿線とかにすればよかったかなぁ・・
翌朝犬と近所を歩いたら気分爽快・・・・
もう俺は田舎で静かにしているのがいいわ

ブロッコリー、まだ葉っぱばかりで知らないと謎の植物でしかない。
もうすぐあブロッコリーだ見たいなのが見えてくるんだっけ・・
毎年毎年、同じ光景を繰り返し見て・・年月を重ねて・・私は少しも成長しないけど・・

ブロッコリーってブルックナーと似てるから・・

ブルックナーの交響曲第7番は第2楽章がワーグナーの追悼だとかなんとか言ってますが、
ブルックナーの田園交響曲というイメージがあります。
第2楽章に打楽器が入る版と入らない版があるんですが・・どちらが正しいかなんて言ってないで両方聴いときゃいいんでしょう。
ないほうがちょっと好きだけど。



スケルツォのトリオがいい感じでしょう・・

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ティンパニーの優しい響きから始まりますがこれ、

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さっきまでせわしなく動きまわってた主部の動機でもあるんですよね。
田舎の景色を眺めて休みましょう・・みたいな。

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聴き慣れすぎてなんとも思わなくなっちゃってるけどこんな柔和な弦楽合奏の上に裸のトランペットが合の手というのは結構ブルックナーらしい感じかなぁ・・
ワルターコロンビアを聴いていると2度目のトランペット、1回目と同じパターンの楽譜にない音が聞こえる。
そういう版があるのかと思ったけど自筆譜を含め根拠は見つけられなかった。
気持ちはわかるけど・・

ブルーノ・ワルターは、まだ世間がブラームスvsブルックナー論争みたいなので二分されている頃を生で知っている人で自伝にそう書いていた。ワーグナーだったかもしれないけどどっちでもいいや。
「この難題は私には簡単に解決できた。両方好きになればよいのだから」・・・だったかな
そうなんだよね、いろんなものをみんな受け入れられたら幸せ感も倍増するのに。
あれから150年くらいたってるのにいまだ人間は、敵を仕立てて攻撃することで自分のバランスを取ろうとする・・
そんな人たちばかりだ。
そういう自分も今まさにこれがそうか・・・
牧歌的な風景の中で牧歌的な気分でいたい・・

Tag:ブルックナー  Trackback:0 comment:2 

時間

最近休みのたびにカフェでケーキを食べたりしているせいか太ってきた。
ちょっとまずい。
何で嫁は太らないんだろう?
その嫁が行きたいというのでまた行ってしまった。

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ソイラテというのがあったので・・
飲んでみると豆乳の違和感は感じない代わりにあまーい!
ものすごい量の砂糖が入っているうえに生クリームとチョコレート・・自分が頼んだんだけど。。。
これはまたダメだな・・・
いっぱい入っているように見えるけれど容積の半分以上は氷・・でもいいよそれで
大量に飲んじゃったらやばいでしょう・・

今日のここは都会の雑居ビルの地下・・
待ち合わせや買い物帰りの学生やサラリーマン・・
普段からボーっとしている私が休むためにはさらにゆっくりとした時間が流れている場所でなければならないわけで、都会仕様の時間が流れているここは心の鬱陶しいものを忘れさせてはくれなかった。
このあととあるところに電話をし、最悪な結果になってしまい自滅・・
相手がまともでないので辛い。
まあいいやもう忘れよう・・・

ついでにまた胃が気持ち悪い・・
ストレスもあるのかな・・
マクドナルドに行くと胃がやられるようになってしまった・・・
まいいや死ぬ訳じゃない・・・

久しぶりにチャイコフスキーのくるみ割り人形を聴きました。
組曲じゃなくてバレエの全曲。
時間がないので第1幕のみ。
この曲、いつでも聴けるししょっちゅう聴いてるようなイメージがあったんだけどよく考えると前回聞いたのはもう10年以上前かもしれない。
ずっと聴こうと思わなかったんじゃなくて、最近の時間は流れが速すぎて10年があっという間すぎるだけだ・・

第1幕の終曲、雪のワルツ・・
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澄んだ声で歌うのは雪の精かな?
なんというか真っ白に浄化されていく・・




胃も心も浄化されて・・
私の住んでいるここはほとんど雪が降ることはありません。
雪の積もった情景には特別なものを感じます。
聴いている間は嫌なことも忘れる・・

Tag:チャイコフスキー  Trackback:0 comment:0 

雨が上がったので犬と散歩をしていました。
雨はやんでも辺りは暗い雲に覆われたどんより世界。
気持ちも湿ってどんより・・
めげずに歩いていると東の方から青空が・・
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ちょうど私の真上、どんより世界と健康的な日差しの青い世界の境目・・・
振り向くと相変わらずの気分低迷どんより世界。
一方前方には思わず行ってみたくなるような明るい木々の光が・・・

心の世界も、こんなのありますよね。
出口のないどんより気分の中、メール一つで超絶快晴になっちゃったりとか・・
でもそういう明かりってはかないんだよね。
いつの間にか陰ってしまう。
いっつも明るい光が集まって照らしてくれるような人もいるんでしょうけど私はそうじゃない。
そんなもんに依存しているといつかひどい目に合う。
自分で自分を明るく照らせるといいいんだろうけどな・・どうすんだかわかんねーけど。

ベートーベンの9番の3楽章、終わりの方で2度ファンファーレが鳴ります。
1度目はファンファーレの後、笛吹けど踊らずじゃないけど、しらっとした冷静な雰囲気の中また歌が始まってゆく。
その歌が盛り上がって2度目のファンファーレ・・その後にあるものは

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まさかの変ニ長調・・
突然ものすごく青い空が広がる・・

ここ、これだけ聞いてもあまり驚かないよね。
手前で一度ファンファーレが鳴っても何も起こらない・・
を聴いているから、ここでこうなったときの驚きや喜びが力をもって迫ってくる・・・

こういう一瞬で世界が変わる転調の魅力は西洋音楽の楽しみの一つですが、そこにまた特別な意味を感じていちいち振り回されてたいです・・

急に不自然なくらい青い空を見たけれど、音楽はそのまま調子に乗っちゃったりしない。
またすぐに冷静になって、しっかり地に着いた自分の足で自分のペースで歩きます・・みたいなことで終わっていく・・


あんまりためすぎると逆効果かなと思ったり・・
でもこのおやじもここがとても大事と思ってることは伝わってくるよね。

でもやっぱり、立ち込めた分厚い雲を吹き飛ばし心を照らしてくれるのは自分が欲した人かもしれません。
そんなのなしで生きていこうかなんて思うけど、そうするとこの先真っ暗闇が広がっているようなイメージが浮かぶ。

音楽は素晴らしいけれど心を明るく照らすと言っても20Wの蛍光灯くらいだよな・・・
ナツメ球くらいかもしれない。
でも真っ暗闇は恐ろしいので、小さくてもあってくれてありがたい。
本当のありがたさがわかるのはなくなる時だろう。
なんかまた変なこと書いてんな。

ベートーベンは音楽家としては光や手足を奪われるのと同じ、聴力障害という暗闇に入っていった。
でも死ぬまで作曲を続けられたのはあの人自身が光る太陽みたいなエネルギー発生源だったからだろう。
ちょっときれいごとくせーな。
耳が聞こえないのに頑張ったからベートーベンは偉大・・みたいな単純な論調は陳腐で大嫌いだけれど。

最近はブログ依存症でコメントをいただたり拍手をもらったりすると青空みたいな気持ちになることがあります。
ほんとありがとう。

今日も暗雲発生源を意識しながら・・それでも明るい場所を目指してめげずにがんばります。


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あさがお


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もう11月になろうという頃に間違えて芽を出してしまったあさがお
本葉を出して頑張っていたけど霜も降りて、いじけてしまっているようにも見える。


昔、寒くなる頃に目が出た朝顔の芽がかわいそうに思えて、鉢に入れて部屋の中で育てたことがあります。
昼間だけ窓際の日の当たるところにおいてあげて・・・
弱々しいながらもなんとか弦を伸ばし、12月に入ったころにいくつかの花を咲かせてくれました。
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厳しい状況の中、健気に花を咲かせてくれたときはうれしかった。
5つ目くらいのつぼみはもう開く力もなく、静かに色をなくしていった。

みんなと同じような一生を送ることができないとき、その一生を間違えだと考えるのはあんまりだ。
霜に震えている朝顔を助けてあげたい気もするけれど、もうそれはしない。
奇跡が起きて花を咲かせてくれたらと思うけれどそれはないだろう。
なんで助けてくれないの?と思っているかな?
うるせー黙って見てろみたいな心意気で頑張ってるのかな?
俺も誰にも助けてもらえないとわかって絶望したことがあるよ。
その時はつぶれる寸前でその原因が静まってくれた。
今も再びその時が訪れることに怯えてしばられてるんだよ。
ここに生まれた訳をどれほど考えても何もわからないし何も変わらない。
いまここで、何ができるかだけ。
お互いできるだけ頑張ろう。

メンデルスゾーンの無言歌集、Op.67-5は「羊替えの訴え」という曲。
多分タイトルは作者によるものじゃないと思う。
如何にもという気もするけれど、羊飼いってそんなに絶望的な境遇ににいた人たちなのか・・


でも聴くと確かに羊飼いの訴えだ・・・
中間部で一瞬希望のようなものが見えかかるけどすぐに悲しいつぶやきに代わってしまう。
後半の嘆きは音量だけじゃなく音数も増えて重く悲痛な叫びとなる。

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雨だれが聞こえている気もする。
何を嘆き、祈っているんだろう?

メンデルスゾーンは裕福なユダヤ人の銀行家の家に生まれ、早熟な才能を発揮させるための環境にも恵まれ・・みたいな絵にかいたような恵まれた立場を生きたように見える。
大好きな曲もいくつかありますが、どこか他人ごと的な優等生感を感じなくもない。
でも、ユダヤ人迫害の動きというのは当時からあったみたいだ。
作品からそれを一切感じさせないのは彼なりの意地だったなんてことはないのかな?
味わった苦渋がそのまま音楽として残ている曲がひそかにあったりはしないのかな?
ブログとはいえちょっと感傷的過ぎかな?

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つなぐもの


先日江ノ電沿いを散歩しました。

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この写真マニアじゃなきゃ何が言いたいかわからないと思うんですが、2つの車両がその間に置かれた一つの台車を共有しているんですね。
こういうのを連接台車といって小田急のロマンスカーとかフランスのTGVとか・・
そこそこ珍しいものなので撮った写真をぼーっと見ていて思いだした音楽がこちら・・・

マーラーの未完成に終わった交響曲第10番
完成はできませんでしたが無視できないほどの資料が残っていて、補筆されたものが演奏されることもあります。
補筆も色々で可能な限り第三者の解釈が入ってしまうことを避け、ステージにのせるために不可欠な最小限の補強を行なったクック版。
そのほか個人の主観でやりたい放題なものがいろいろあるみたいですが、クック版が好きというかこれしか聞いたことがありません。
どうせなら俺版が聴きたいけど、実現性がないだろう・・・
いろいろ不完全ではあるけれど聴けばこれが傑作になったのは間違いないと確信できるし、また聴かざるを得ない魅力を持っている。
マーラーの最終的な本意ではないなんてことは百も承知で聴くのであって・・もういいか。

嫁さんが浮気をしていることを題材にした交響曲ですが、音楽はそこから出発して普遍的な高みへ登ってしまっています。
いつまでも細かい実話的なものを意識しなくても音楽の本質を聴ける気がする最近は。

悪魔よ、俺にもっと狂気を見せろ!すべてを忘れさせろ!みたいなスケルツォの第4楽章と
いろんな苦しみと葛藤を経て、愛はすべてを超えて許し受け入れる・・みたいなフィナーレの第5楽章。


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4楽章の最後
ドイツ語なんか読めないですがちっちゃい文字は多分「完全にミュートされた大太鼓」
最後の音符に向けて書かれている。
悪魔との狂気のダンス・・悪魔の音楽が遠ざかっていくと心臓を一突きにするような重い衝撃音が・・

でっかい字の走り書きは「この意味を知っているのはお前だけだ!あぁ!あぁ!あぁ!」みたいな有名なもの。
この意味とは何をさしているのかというと曲の最後に打ち込まれるミュートしたバスドラ(大太鼓)のこと・・
お前とは・・もちろん嫁さんでしょう。
殉職した消防士の葬儀で追悼の空砲が鳴るのを2人で聴いた・・という話があるんです。
その話を公にしたのはまた嫁さんらしいけど。
でもそれはこの音色のアイディアをどこから得たかという話で今言ってるのはそのことじゃない。
私の心臓を突き刺すこの衝撃の意味をお前はわかっているだろう・・
(歳の差に悩みながらお前を愛してきた・・恐れた通り、若いのと・・)
みたいな意味でしょう。

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続くフィナーレの冒頭も同じバスドラの衝撃で始まるように書かれています。
この先この衝撃を何度も聴くことになる・・・

で問題となるのは、
楽譜の通り4楽章の最後に1発鳴らし、またすぐ5楽章初めで1発鳴らして音楽が始まっていくのか、
第4楽章の最後の一撃と第5楽章の最初の一撃は同じ一発が兼ねるのか・・
という問題。
残された資料を整理、補強してとりあえず演奏できるようにしたクック版のスコアは2つの音符があったと思う。
あの版は解釈というものを入れず書いてあるものをステージ上に提示するという資料だからそうなるのであって、クック氏が2回鳴らすべきだと考えていたかというとそれはまた別問題なんでしょう。
愛聴盤のシャイーとウイーン響のものは楽譜通り2回鳴ります。
普通に考えるとこれは共用で1発のほうが自然にも思える・・
クック版もその後の改訂で2度ではなく一度にした可能性に言及していたと思う。
共用1回という録音も沢山あると思う。

私は音楽的にここは一回の衝撃が両者を共用するのが自然だと感じます。
でも2回鳴ったからけしからん、なんていちいち思わない。
そんなんじゃないでしょうこれを聴くというのは・・

録音の中にはこのミュート大太鼓をとんでもない巨大音量で演奏している物があります。
まぁ、すべての発端となる耐え難い衝撃だからね・・積極的な解釈でいいと思う。
でも個人的には6番ででっかいハンマーを振り回して喜んでるのと同じく、過剰な演出無しでも十分な音楽なのに・・とかちょっと思ったりして。
楽譜、f ひとつだよね。そりゃffffよりも大きなfも当然あるけどね。
交響曲第1番のフィナーレで失恋砲をドカドカ打ち込んでいた若いマーラーとは違う、大人の愛の交響曲なんだからさこれ。

こういうと真っ赤になって「お前はなにもわかっていない!」みたいな親父はまだいっぱいいるんでしょうか。

ついでに、
クック版を聴いていると、この手前打楽器だけのワルツとなりティンパニが旋律を担当してとても面白い部分です。
スケッチにもPk(?)と書いてあってちゃんと作者がスケッチの段階からティンパニを想定していたことがわかる。



音源はあったけれどこの曲に関してはスマホとYoutubeじゃ聴けないとのではないかと思ったりしてます・・。

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この焼豚屋さん、道路沿いではなくて線路沿いにあります。
「今電車来るから店の中で待ってて・・」みたいな・・
今回も行こうかと思ったけど嫁がいい顔しないのでやめた。
世間の誰が何をどう考えていようがどうでもいいけれど、
嫁の意向は大事にしないと・・



Tag:マーラー交響曲第10番  Trackback:0 comment:0 

夢だったのか?


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これは昔通った中学校への階段。この時点で結構登ってきていて息切れなしには登れません。
あのころはこんなにきつくなかったと思う。思い出して浮かんでくる光景は昨日のようです。
中学校はなんとなく楽しかった。

高校1年生の後半くらいから卒業まで私の記憶は、どこまで書いていいのか・・
強迫性障害を発症して、みたいなのから始まるんですが真っ暗闇です。
自分に何が起きているかわからず、誰にも相談できなかった。
なんとか学校へは通い続け、進学で誰も知る人のいない遠隔地へ移住したことをきっかけに最悪な状況からは脱することができました。

あの時、自然に今の自分は仮の自分で本当の自分じゃないという意識が出来上がっていたと思う。
そのせいか自分の人生はそこで中断していて、空洞のままだというような意識がどこかにずっとある。
最近、あることでその空洞を少しだけうめられたような気がしました。
見たかったその先は少しもいいものではなかったし結局途切れてしまった。
でも考えてみればいかにも自分らしいし、これが本当だなと妙に納得している。
あの時何があったのか、ほんの少しだけ知ることができた気もする。
本当は少しだけいいこともあった。

メンデルスゾーンの「夏の世の夢」という音楽があります。
結構行進曲が超絶有名で最初の部分を聴いたことのない人はいないかもしれません。



この音楽、序曲は作者が17歳の時に完成しています。
姉と弾いて楽しむために書いたものをオーケストレーションしたとか・・
天才っていうんでしょうこういうの。
その後に続く劇音楽みたいなのは40歳になって書いたものなんですね。
17歳の続きを40になって・・それでちゃんとつながっちゃうんだからまた天才ですね。

序曲の第1主題は弱音で動きまわるヴァイオリンは飛び回る妖精の姿だ・・
すごく速い動きが連続しているところに
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ポンと月明りが入る。
楽譜の景色が妖精と上空の月明りに照らされた雲・・みたいに見えたりして・・
クリアな光を得るため、オーボエは休んでいるところが・・
音楽的にもここでいったん連続したいたパターンに変化が入ることが何だかものすごく印象的で効果的です。
それが、曲の最後の方でまた出てきた・・
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と思うと月明りが固定したまま妖精はもう出てこない・・
ここはいつも急に時間を止められたようなすごい感覚になります・・
こういうの他にもあるといえばあるけど、
へーと思って聴いたのは私が17歳くらいの頃だった。
あのころ、音楽だけが支えで楽しみでした。聴くだけですけどね。
40過ぎた今も同じ。

変なこと書いてもいけないんでもう笑って終わります。

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こんな感じの気分で。

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