ゆるがない

建設中のビルのすぐ横を歩いていたら中身というか足元というか

こんな光景が見えました。
ふっとい鉄骨が整然と並んで・・これらは完成しても存在し続けるんだけど綺麗になっちゃうと意識から消えるというか・・
溶接とモルタルのにおい・・
自分も物を作る仕事にかかわっているけど・・かかわっているからか、
あんなもんよく組んでいくなぁ・・
かっこいいなぁ・・・
実際はもっと地下の深いところまでこの構造が続いているんだろうけど、ビルの足元ですね。
若いブラームスのピアノ協奏曲第1番の2楽章で、Dに固定された深い低音の上でピアノが祈りのコラールをという部分が感動的です。
あの曲は紆余曲折を経て完成していて、始めに書いた2、3楽章はドイツレクイエムに転用されたといわれています。
そのドイツレクイエムの第3楽章。
バリトンがこの世の苦悩みたいなのを歌うんですが、後半は神をたたえる巨大なフーガが演奏されます。
ガーディナーのもよく聴いたけど本当はもっと重い方が好き・・いやでもまた今聴くとこれもいいな・・
そのフーガ、

始めから終わりまでずっとDに固定された低音の上に乗っています。
他の曲にもあるのかもしれないけれどこれは結構すごいですよ。
ずっとDに縛られているという事は音楽的な展開の自由度を制限されているという事だけど、全くそれを感じさせない豊かで大きなフーガが展開されていく。
ゆるぎない、誰にも侵されない世界が現れる。

おしまいの部分、ホルンから始まってトランペットが鳴り響き・・
目の前に神の巨大な神殿が現れるのを見るような気になります。
この音楽はオルガンのある場所で実際体感すると圧倒されます。
ここをテンポも落とさずにさらっという感じで終わっちゃう演奏は好きになれません。
結構ありますけど。
このフーガは「永遠のD」なんて呼ばれることがあるみたいです。
初演時はここに批判も集まったという。
「転調ができないからこんななんだ」みたいな・・
でもそういうのほんとうかなぁ・・
そんな馬鹿みたいな次元で考えてる人は音楽評論家になんてなれないでしょう・・
いろんなしがらみで文句を言わなければならない立場というのがあって、内容は適当な後付けですよねきっと・・
昔から騒ぎをあおるような内容を書いて新聞を売ろうみたいなのとかあったのかな・・
誰がどんな文句を言おうが、この音楽はびくともしないと思う。
昔、就職活動でこういう現場に行った事があります。
今は自分には適性のかけらもないだろうと思うのだけど、その時は本気でそんな未来を描いてみた。
本当にやろうとしたのはもう少し違うところが現場となる仕事で、感触もよかったんだけど(昔の)SPIで落とされました。
身体的な特性として欠損があり任せると危険だということが客観的に数値化されたわけだ。
採用担当の方が研究室の教授へ連絡をくれて丁寧に説明してくださったのを覚えている。
希望する進路への道を絶たれたんだから喜びはしなかったし一瞬腐ったけれど、
子供のころから自覚もあったためショックというよりはっきり提示してもらえてすがすがしかった。
それじゃどうすればいいのかを考え進んでいくだけ。
今は全然違う世界ですが自分のやりたい仕事をやらせてもらえています。
それは当たり前ではなくて得難いありがたいことなんだと思っています。
私の欠陥的な問題は今の仕事にも悪影響を及ぼしているけれど、好きな仕事をしていられるのはいろんな方のおかげだということを毎日痛感しています。
私はそれとは別にも身体的な問題を抱えていて社会生活に支障をきたすことがあります。
だからと言って私の人間的価値が低いとは少しも思わない。
しかし無理解から来るんだろう、人間性を否定するようなことを言われることもある。
それは「転調できないから」と同じような陳腐で気にする価値もないものだと思うことにしている。