みかん
ちょっと何だかわからないっぽいけど、

うちのある木。
何年か前に食べた柑橘類の種を植えてみたら芽が出てみたいな。
もう何を食べたのかもわかりません。
いつか花が咲いて実をつけてくれるのかな?
この木、

そんなにいらないだろうというぐらい大げさな刺を持っています。
なんでそんなに攻撃的なんだ・・何から身を守ってるんだ・・・
周りの草を取ってやろうとすると私を刺してくる・・・
おい俺を刺してどうすんだよ!
ここには別な木が植わっていたんですが、数年前に弱って枯れてしまいました。
最後の年は狂ったように沢山の花を咲かせて頑張っていた。
種という形で何とか自分を残そうとしているのかと思うと泣けた。
妻や私に災難が降りかかったのも同じころだった気がする。
その穴埋めに植えたこの木、家の鬼門であるこの場所であの刺が家を守ってくれてるんだろうと思ってる。
嫁はこれをみかんと呼ぶ・・
でもみかんじゃないと思う・・
釈迦に説法的なお話ですが・・・ドイツ語で音名をならべると

こうなってるんですね。
理由は検索するとでてきますがドイツではBと書くとB♭のことで、B♮はHと書くんですね。
バッハ(BACH)の名を並べてみると

こういう半音階的で魅力的な旋律が現れます。
なにかこう、少し怪しく笑みを浮かべているような・・
晩年のバッハが自ら出版し残そうとした「フーガの技法」BWV1080という曲集の最後に3重フーガ(3つの別なフーガが最後には同時進行するという神業的な音楽)があります。
伝説では作者の死によって完成されることがなかったとされている未完のフーガで、未完の楽譜がそのまま演奏される。
バッハの名による第3フーガの後、いよいよ3重フーガが始まり再びバッハの名を聴いたところで突然音楽は途切れる・・
その瞬間聴き手はバッハの命が途切れた事を感じる・・・
なんというドラマチックな話・・
水を差すようだけど最近の研究で実はこれが絶筆ではないらしいことがわかっているんだそうです。
真実を暴いていくことって結構残酷な時がありますよね・・

途切れ方にも味があるところがまた・・・
下にある注意書きは息子のC・P・Eバッハによるもので
”作曲者はBACHの名による主題を持ち込んだところで絶命した”
息子は多分、これが絶筆でないことを知っていたんじゃないだろうか。
それでもそう書いた息子の心を想像するのも・・
それよりバッハがなぜこれをここで止めたのかが気になります。
難しくなっちゃったからやめちゃったみたいな説もあるらしいけどそれじゃあんまりだ。
未来の人間に向けて自分の名を残すための演出だったら・・と考えたりすると面白いけれど、あの人そんな次元でやらないでしょうと思ったりもする。
すべてを見通す究極の聴衆である神に向けて作曲していたバッハはこれによって何を言おうとしたんだろう?
私もいつか自分の設計したもののどこかに私の名前を潜ませてやろうかと思っている。
もちろん誰にも迷惑をかけず、気づかれないように・・
でもそんなことに成功するとそれで良しとなって死んじゃうのかもしれないからやっぱり当分やめとこう。

うちのある木。
何年か前に食べた柑橘類の種を植えてみたら芽が出てみたいな。
もう何を食べたのかもわかりません。
いつか花が咲いて実をつけてくれるのかな?
この木、

そんなにいらないだろうというぐらい大げさな刺を持っています。
なんでそんなに攻撃的なんだ・・何から身を守ってるんだ・・・
周りの草を取ってやろうとすると私を刺してくる・・・
おい俺を刺してどうすんだよ!
ここには別な木が植わっていたんですが、数年前に弱って枯れてしまいました。
最後の年は狂ったように沢山の花を咲かせて頑張っていた。
種という形で何とか自分を残そうとしているのかと思うと泣けた。
妻や私に災難が降りかかったのも同じころだった気がする。
その穴埋めに植えたこの木、家の鬼門であるこの場所であの刺が家を守ってくれてるんだろうと思ってる。
嫁はこれをみかんと呼ぶ・・
でもみかんじゃないと思う・・
釈迦に説法的なお話ですが・・・ドイツ語で音名をならべると

こうなってるんですね。
理由は検索するとでてきますがドイツではBと書くとB♭のことで、B♮はHと書くんですね。
バッハ(BACH)の名を並べてみると

こういう半音階的で魅力的な旋律が現れます。
なにかこう、少し怪しく笑みを浮かべているような・・
晩年のバッハが自ら出版し残そうとした「フーガの技法」BWV1080という曲集の最後に3重フーガ(3つの別なフーガが最後には同時進行するという神業的な音楽)があります。
伝説では作者の死によって完成されることがなかったとされている未完のフーガで、未完の楽譜がそのまま演奏される。
バッハの名による第3フーガの後、いよいよ3重フーガが始まり再びバッハの名を聴いたところで突然音楽は途切れる・・
その瞬間聴き手はバッハの命が途切れた事を感じる・・・
なんというドラマチックな話・・
水を差すようだけど最近の研究で実はこれが絶筆ではないらしいことがわかっているんだそうです。
真実を暴いていくことって結構残酷な時がありますよね・・

途切れ方にも味があるところがまた・・・
下にある注意書きは息子のC・P・Eバッハによるもので
”作曲者はBACHの名による主題を持ち込んだところで絶命した”
息子は多分、これが絶筆でないことを知っていたんじゃないだろうか。
それでもそう書いた息子の心を想像するのも・・
それよりバッハがなぜこれをここで止めたのかが気になります。
難しくなっちゃったからやめちゃったみたいな説もあるらしいけどそれじゃあんまりだ。
未来の人間に向けて自分の名を残すための演出だったら・・と考えたりすると面白いけれど、あの人そんな次元でやらないでしょうと思ったりもする。
すべてを見通す究極の聴衆である神に向けて作曲していたバッハはこれによって何を言おうとしたんだろう?
私もいつか自分の設計したもののどこかに私の名前を潜ませてやろうかと思っている。
もちろん誰にも迷惑をかけず、気づかれないように・・
でもそんなことに成功するとそれで良しとなって死んじゃうのかもしれないからやっぱり当分やめとこう。