あかり

最近はどこにでもあるけれど、うちの近所に派手なイルミネーションで有名なところがあります。
この時期になると周囲は大渋滞・・そのために周辺の道路が改良されなかったところに橋がかかり道が通ったり・・すごい話だ。
最近、近寄りもし
ないけれど正直あんなだ派手に光っているのより15年ほど前初めてあれをやりだした年のちょっと控えめで幻想的な明かりが一番よかったと思う。
ドビュッシーの「雲」を聴いていると薄暗い中にも少しの月明りが・・みたいな世界が続いていると感じます。
寒くて震えるわけじゃないけれど、暖かいとか気持ちいいなーとかいう感じではない。
間違っても楽しくてウキウキしてる感じではないです。
だからって悲しくもない・・
いちいち感情も高ぶってなくていいでしょ見たいな世界・・

でも後半でトリオというかこんなのが出てきます。
フルートとハープがユニゾンで歌うこの旋律は何だか暖かい。
私の感じるところではちょっと楽しげな気もする。
ここで勝手に連想するものは小さな子供が手を引かれて、露店かなんかの電灯が明るく光る下を歩いている・・
ちょっと明るく楽しい・・ここだけ人の気持ちが入ってるような気がします。
1899年ごろだと日本だって京都で市電が走ったり、そこら中に電力会社が興て電灯線が引かれてたりしていたわけなので
パリのセーヌ川沿いなんて電灯ですごいことになっちゃってたんじゃないかなぁ・・
次に弦楽器のソロが3人くらいでユニゾンで歌ところもやけに実態感があるんだよね。
手をつないだ親子と露店かなんかのにおいや音・・
子供のころのそういう記憶を探してもいいものは見つからない。
数年前までは露店の明かり、楽しそうな声に居期間を感じ近寄るのが苦痛だった。
ずっと昔、
控えめで幻想的なイルミネーションの前で若かった嫁さんと並んで間抜けな顔で立っている私の写真がある。
楽しいことなんか何もなかったように記憶が書き換えられてしまっているのだけど、
私にだっていいことはあった。
記憶や気分を自動制御にしておくと暴走する欠陥があるみたいだ。
時々写真を見て補正しよう。