嘘も方便とオーディオ原理主義
また海に行きました。
先週とはまた全然別なところ。

不定形な波を見てると飽きない。
波の音っていうのもいまたいいですよねぇ。

すごくいい砂浜で、広くて、きれいで、雲に遮られながらの微妙な日の光もいい感じ。
これはスマホで適当に撮っただけだから何だかわからないけど、
いい写真や絵は波の音、風の冷たさ・・潮のにおいまで感じたりするものがありますよね。
匂いまで・・
とてもいいところだったけど近くに汚水処理場があるらしく、海がものすごく下水くさいの。
波が砕けて飛び散るから辺り一面の空気も汚水の臭いに染まっちゃって・・
よかった臭いまで撮れなくて。
何でも全部伝わればいいってもんじゃないですよね。
昨日のデュトワ/モントリオール響のサンサーンス交響曲第3番のCDについて・・
・・この先はクラシック音楽系オーディオ趣味をやってる人でないと?な感じかもしれません・・
この録音が行われたのが1982年。レコード会社はこれから民生品もデジタル化することを踏まえた録音をラインナップしようとしていた。
装置の性能が上がることに対応するわけだけれど、その主眼はただリアルを追求することではなくいかに聴き手がよりよく音楽を聞けるようにするかという昔からあった考えが貫かれていたと思う。
一部オーディオ原理教の経典”原音再生”とはちょっと違うと思う。
この録音30年前からずっとジャケ写は

これだと思う。
トランペット管も持つ巨大ファザード・・
教会の壁一面を埋め尽くし・・
数千のストップを持つ5段鍵盤・・
64フィート管・・
みたいな超巨大ロマンティックオルガンを思い浮かべます。
実際聴いてみてもアダージョはオルガンの分厚い低音とビロードみたいな和音があたりをすべて埋める。
有名なマエストーソの冒頭は、オケの乗ったステージの後方上部から巨大オルガンの圧倒的、重厚、荘厳、華麗な和音が炸裂。
みたいな(当時の)オーディオマニア御用達な音作りとなっています。
こういうCDはみんなただの記録じゃなくて誇りをもって制作された録音作品なんですね。
ジャケットには作曲者演奏者だけでなく録音年月日の他プロデューサーやエンジニアの名前、録音会場などがしっかりと明記されています。
この録音はモントリオールの聖ユスターシュ教会で録られている。
しらべてみるとこんな写真を見ることができた。

シンプルな2段鍵盤のコンソールと

飾りっ気のない実用的なオルガンが

協会背面の3階席みたいなところにこじんまりと・・・・
ジャケ写全然違うじゃねーかよ。
・・・いや、別にいいんですよそんなの。
商売だもん売れないようなそっけない写真じゃ勝負できないもんね。
そもそも協会なのでステージなんかない。
録音時は椅子をどけてそこにオケを展開するので想定される客席というのもない。
CDの中にあるあの世界は作られたものなのであって、実際には存在しないのだ。
実際、オケとオルガンは同時に録らずにオケの演奏をヘッドフォンっで聴きながらオルガン奏者が別に演奏する・・
とかやって後でミキシングしたものだと思う。
オルガンはオーディオマニアが期待するような超低音が出るような巨大管も持ってない。
マイクの配置とミキシングでどんな風にも聴かせることができるんですね。
芸劇なんかで聴いたあの大地の底から振動しているような超低音が聞こえないのは自分の装置のせいかと思ったりもしていましたが、そもそもそんなもんが出るオルガンじゃないんだろうしあれでいいのかも。
同曲の別な有名盤はたしかオケはアメリカで、オルガンはヨーロッパで録ったのもをミキシングしてみたいな内容で発売されていたと思う。
原音再生を唱えるオーディオ原理主義者から見ると犯罪的な内容なんじゃないかと思うけれど、寧ろそれを宣伝文句にして売ったんじゃないかなぁ・・
CDを買ったのは中学生くらいか・・そこそこのオーディオ装置を持てたのはもっとずっと後、さらにこの曲を実演で何度か聴き、CDみたいには聞こえないんだと知ったのはもっとずっと後。
この曲のLIVE版なんかだとオルガンをうまくとらえきれていないものもある。実演を思い出して好ましく感じる反面、細部を聴きとろうとするとストレスを感じたりもする。
で何が言いたいかというと、別になにもなくて。
いろんな考えや手法があっていろんなものがあることを知り、
それぞれを楽しめばいいんでしょう。
でもね、これがなかなか難しい。
今日も寒い。
先週とはまた全然別なところ。

不定形な波を見てると飽きない。
波の音っていうのもいまたいいですよねぇ。

すごくいい砂浜で、広くて、きれいで、雲に遮られながらの微妙な日の光もいい感じ。
これはスマホで適当に撮っただけだから何だかわからないけど、
いい写真や絵は波の音、風の冷たさ・・潮のにおいまで感じたりするものがありますよね。
匂いまで・・
とてもいいところだったけど近くに汚水処理場があるらしく、海がものすごく下水くさいの。
波が砕けて飛び散るから辺り一面の空気も汚水の臭いに染まっちゃって・・
よかった臭いまで撮れなくて。
何でも全部伝わればいいってもんじゃないですよね。
昨日のデュトワ/モントリオール響のサンサーンス交響曲第3番のCDについて・・
・・この先はクラシック音楽系オーディオ趣味をやってる人でないと?な感じかもしれません・・
この録音が行われたのが1982年。レコード会社はこれから民生品もデジタル化することを踏まえた録音をラインナップしようとしていた。
装置の性能が上がることに対応するわけだけれど、その主眼はただリアルを追求することではなくいかに聴き手がよりよく音楽を聞けるようにするかという昔からあった考えが貫かれていたと思う。
一部オーディオ原理教の経典”原音再生”とはちょっと違うと思う。
この録音30年前からずっとジャケ写は

これだと思う。
トランペット管も持つ巨大ファザード・・
教会の壁一面を埋め尽くし・・
数千のストップを持つ5段鍵盤・・
64フィート管・・
みたいな超巨大ロマンティックオルガンを思い浮かべます。
実際聴いてみてもアダージョはオルガンの分厚い低音とビロードみたいな和音があたりをすべて埋める。
有名なマエストーソの冒頭は、オケの乗ったステージの後方上部から巨大オルガンの圧倒的、重厚、荘厳、華麗な和音が炸裂。
みたいな(当時の)オーディオマニア御用達な音作りとなっています。
こういうCDはみんなただの記録じゃなくて誇りをもって制作された録音作品なんですね。
ジャケットには作曲者演奏者だけでなく録音年月日の他プロデューサーやエンジニアの名前、録音会場などがしっかりと明記されています。
この録音はモントリオールの聖ユスターシュ教会で録られている。
しらべてみるとこんな写真を見ることができた。

シンプルな2段鍵盤のコンソールと

飾りっ気のない実用的なオルガンが

協会背面の3階席みたいなところにこじんまりと・・・・
ジャケ写全然違うじゃねーかよ。
・・・いや、別にいいんですよそんなの。
商売だもん売れないようなそっけない写真じゃ勝負できないもんね。
そもそも協会なのでステージなんかない。
録音時は椅子をどけてそこにオケを展開するので想定される客席というのもない。
CDの中にあるあの世界は作られたものなのであって、実際には存在しないのだ。
実際、オケとオルガンは同時に録らずにオケの演奏をヘッドフォンっで聴きながらオルガン奏者が別に演奏する・・
とかやって後でミキシングしたものだと思う。
オルガンはオーディオマニアが期待するような超低音が出るような巨大管も持ってない。
マイクの配置とミキシングでどんな風にも聴かせることができるんですね。
芸劇なんかで聴いたあの大地の底から振動しているような超低音が聞こえないのは自分の装置のせいかと思ったりもしていましたが、そもそもそんなもんが出るオルガンじゃないんだろうしあれでいいのかも。
同曲の別な有名盤はたしかオケはアメリカで、オルガンはヨーロッパで録ったのもをミキシングしてみたいな内容で発売されていたと思う。
原音再生を唱えるオーディオ原理主義者から見ると犯罪的な内容なんじゃないかと思うけれど、寧ろそれを宣伝文句にして売ったんじゃないかなぁ・・
CDを買ったのは中学生くらいか・・そこそこのオーディオ装置を持てたのはもっとずっと後、さらにこの曲を実演で何度か聴き、CDみたいには聞こえないんだと知ったのはもっとずっと後。
この曲のLIVE版なんかだとオルガンをうまくとらえきれていないものもある。実演を思い出して好ましく感じる反面、細部を聴きとろうとするとストレスを感じたりもする。
で何が言いたいかというと、別になにもなくて。
いろんな考えや手法があっていろんなものがあることを知り、
それぞれを楽しめばいいんでしょう。
でもね、これがなかなか難しい。
今日も寒い。