20年たった

これじゃまるでのぞきの写真で犯罪的ですが、この時ここは空き部屋でした。
学生時代に住んでいたアパートに10年ぶりに行ってみたときのもの。
雨どいにかかっているのは有線放送のケーブルで私が契約して引いたもの。
アパートを引き払うときに撤去作業に来た業者の人に「このケーブルどうしますか?」と聞かれ、え?
あ、じゃあここ丸めて置いときますねーみたいなの。
今考えると電柱の分配器かなんかまではその業者が撤去しなきゃいけないんじゃないのかなぁ?
あれから10年たってるのにそのまま残ってるんだなーなんて思って思わず写真を撮った。
でももうそれからまた10年以上たっちゃて・・まだあるのかなあれ。
・・あのころ、マーラーの2番3番4番6番9番辺りを毎日のように聴いていました。
始めは9番が理解できず、2番のスコアを見ながら毎晩聴いていたのを思い出します。
卒業前には9番を食い入るように毎日聴いていた。
あんなアパートで・・・
時間は決めて夜は音を出さないようにしていたけど、周りは騒音で迷惑だっただろう。
夜中にギター弾いてるやつとか、お互い様というか無法地帯みたいだった。
マーラーが交響曲第9番を作曲したのはもうすぐ50歳になるというころ。
30代の初めに作曲した交響曲第2番と並べてみると同じ人間の作品でもこんなに違うんだなと驚きます。聴いても全然違うし、楽譜の景色も違う。
常に進化、深化して誰のものでもない独自の世界を切り開いていったことがわかる。
そして間違いなくどちらもマーラーだとも思う。
その間20年・・
あのアパートでマーラーを聴いていたのはまだ二十歳くらいで20年という年月がどんなものなのかは想像してみるしかなかった。
今あれから20年たって・・20年てとても長い時間であると同時にあっという間ですよね。
9番の第1楽章には若き日の交響曲第1番がはっきりと引用されていろいろなものを感じ取って聴くわけなんですが、第2楽章を聴いていると2番のスケルツォのエコーを感じることがあります。
1番の引用みたいに強い意味を持たせて・・というわけじゃないけれど・・
交響曲第9番第2楽章のtempo.IIで区分される音楽、例えばこの辺り・・

このトロンボーンと、木管の装飾音は
2番のスケルツォ、この辺りで聞こえていました。

私は、これはたまたま似てしまったという域を超えて意識的にやっている物だと感じています。
だからと言ってこれは若き日のを回想している・・とかいちいち言わなくていいとも思う。
今ちょっと並べただけでも、9番の後に聞くと意欲作の2番がシンプルでノーマルな感じに聴こえる。
2番を作曲中は自分の創作的才能が間違いないものだと確信していたころでしょう。
でもそれを世に出し名を遺すのには才能だけでは足りないこともよく知っていたと思う。
この人はものすごいやり手。政治的根回しみたいなことも含めて自分で成功をもぎ取り出世していった。
一般的にウィーンでのポストはおろされたみたいなネガティブイメージで語られるけれど、通常の任期よりずっと長い期間を務めており、やめた後ももう一度やってくれないかみたいな話もあったという。
よく言われている苦悩する悲劇の芸術家みたいなマーラー像はゆがめられた虚像だ。
マーラーは現役当時作曲家としては不遇だったみたいなことも言われているけれど、事実としては全然そうではなくて早い時期から作品を演奏したい的な話が具体的にあったようだ。
9番を作曲している頃はもう歌劇場指揮者、権力者としてのキャリアで頂点を極めたあとで、作曲家としての名声も得ていたと思う。
演奏家活動を引退して作曲に専念することも頭をよぎっていたと思う。
その後そのための住居を得るための契約か何かをしているらしい。
芸術家として成功しさらなる高みへ登っていこうというマーラーが若い自分の作品をここで振り返っている。
この時、どんなこと考えてたんだろう。
別に何にもないかもしれないけどね、たまたま同じようなメロディが出てきただけかもしれない。
でもいいじゃない。
クラシック聴き放題だと思って引いた有線だったけど、流れている物と自分が聴きたい音楽のイメージが一致するとは限らずあまり聴かなかった。
有名なUSENという会社とは違うローカルな会社だったけど、ネットでデータを買ったりただで音楽が聴ける時代、有線って商売になるのかな?と思い調べてみたら今もあった。
でももう一般向けのサービスはやめてしまったようで店舗へのBGM供給に特化して生き残りをかけているみたいだった。
やっぱり20年もたつと世の中すっかり変わっちゃうよね。
で私は20年でどうなったのかな・・
どうもなってねーな・・