レモン


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ファミレスとかの変にこってりしたような食べ物が好き。
正直最近歳くったからかあっさりしたい日も多いけれど。
若いうちなら、こってりとした物をたらふく食べてもへっちゃらというか出てくれば来るだけ食べて幸せな気分になれたと思う。
今は多分途中で胃がもたれてきて悲鳴を上げるかもしれない。

チャイコフスキーの曲というのはファミレスみたいなところがあると思う。
質が低いとか安っぽいとかいう事じゃなくておいしさが絵に描いたようにわかりやすい。
味も色も濃いソースをこってりかけておいしいに決まってるでしょこれ?みたいな感じ。
もちろんそれだけじゃなくて見えてくればわびサビもあるんだろうけど、そんなの別にいいよという人へもわかりやすくアピールするというか・・文句じゃないんですよ。それはそれでいいと思う。
ただたまにやりすぎと思うこともある・・
弦楽セレナーデというとても有名な曲、4楽章構成です。
4品もあったら普通はひと皿がサラダかマリネみたいなものになりそうなんだけど
これは牛ステーキの後にグラタンが出てきてサラダかと思ったらポテトでつないで最後はチキンソテーがみたいな感じ
※ほんとは甘いケーキとパフェ4連続のイメージなんだけど写真の都合で肉。
昔は胃にもたれる気がして少し苦手だったけれど今は結構好き。
でもやっぱりオケみたいな大編成弦楽合奏の重厚な演奏は苦手。
指揮者なしでくらいの少人数でキリっとやってくれる演奏が好き。


そんなこってり料理みたいいな曲でいま言いたいことは第4楽章。
朝焼けの霧のような序奏・・
霧が晴れると主部に入ります。
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第1主題はハ長調で進行します。
チャイコフスキー特有のおいしい音楽。
そこへチェロで入ってくる第2主題は何の前触れもなくいきなり変ホ長調で突っ込んでくる・・
これはすごいぞ!
脂っこい口の中にいきなりレモンのきいたマリネが入ってきたみたいなさわやかさだ・・
なんだこれ・・
いろんな曲を聴いているけどこんなにさわやかな転調はなかなかないと思ってる。
ここが大好き。

上の動画は一部軽すぎるかなとも思うけどノリノリでやってていい感じ。

安くたらふく食いたかったのでサラダバーみたいなのがあるところへよく行きました。
平日に休みが取れるとバイキングが安いぞ!とか・・
でもあれそんなに食えないしよく考えると別に安くもなかったりで最近どうかと思うようになってきた。
とはいえ高いお店なんか行けない。
安くて居心地のいい店を探すたびに出たい。


Tag:チャイコフスキー  Trackback:0 comment:2 

黄金

運転免許証の書き換えに行ってゴールド免許復活。
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交通安全委員会だっけ?反射材でできてるらしいこんなのをくれました。
子供やお年寄りに持たせれば光って守ってくれんのかな?
おっさんが鞄にぶら下げてたら逆に逮捕されそうかな。

ゴールドといえばラインの黄金。

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ベースから始まってホルンによる変ホ長調の生成の動機?が積み重なっていき・・
ラインの川底がだんだん現れてくるみたいだ・・
もっと大げさに何もない無から世界空間が生まれていくみたいでもある。
変ホ長調主和音で始まるわけですが、シューマンの「ライン」もそうですよね。
ライン川って変ホ長調な川なんでしょうかね?
知らないと何だか優雅でメルヘンチックな世界を連想してしまいますが茶色い濁流が怒涛のように流れる川らしいです。



初めて聴いたのは高校生のころでFMでした。
当然舞台の上は見えないしどんな筋で何をやってるのかも知らなかった。

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この世の光がすべてそろったようなこのページの直後、

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何の予告もなくいきなりヴォークリンデが歌う世界へ切り替わった時の驚きを今でも忘れません。
突然その世界の中に自分も引き込まれたと思った。
実際はふにゃーって幕が開いたりするのかな?
下手に舞台が見えていなかったのがかえってよかった。

ラインの黄金を守る3人の乙女が戯れている。
そこにアルベリヒという変なのがちょっかいを出すところからすべてが始まります。
俺はアルベリヒのファンだけどね。

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音楽から、この流れはゆったりとした優雅なものではなくバチャバチャとはねる波を持ったかなり速いものなのがわかる。
低弦のピッチカートは川の深さと豊かな水量・・

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神々の黄昏に出てくるときはヘ長調で上から降りてきてた。


実際の上演も4晩かかるこの物語、
長い時間といろいろな出来事を経て指輪となった黄金はラインの乙女に手に戻り、神々の城も何もかもライン川に飲み込まれて元サヤに戻るということなんだろうけど・・

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フロスヒルデ(ラインの乙女の1人)は取り戻した指輪を高く掲げ・・



前後違う調なのにここだけラインの黄金の冒頭と同じ変ホ長調なのは元に戻った・・ということを示しているのかなぁ・・
でもこのすぐ後に転調してすべてを飲み込むラインの波は変ニ長調なんですよね。
ここもボーっと聴いていると当たり前のように過ぎていくけど、音楽的には結構強引な転調じゃないですかね。
神々の黄昏だけど、ラインの黄金の最終場面と同じく神や天国の調性である変ニ長調に完結するところが怪しい。
穏やかになったライン川の波の上を乙女たちが指輪をもって泳いでいる・・・
けどその光景を照らしているのは神の光だから変ニ長調なんでしょここ・・
実は黄昏てなくて神々のペースじゃないのか。

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最後に叫ぶのがハーゲンなのも・・
ブリュンヒルデがあんなに高尚で感動的な自己犠牲とかなんとかやってんのを見たところで改心するとかそんなの全然関係ないんだよねこの人。
ラインの乙女は彼の首に腕を回して水中に沈めてしまうみたいなすごいはなしだけど・・
ハーゲンはアルベリヒと人間のあいのこだっけ?
神々は実は黄昏ていないし、人間は死んでも何度でも新しく生まれてくるから。
実際何も終わってなくて、またいろんな思惑を持ったそれぞれが新しい世界でおんなじことを繰り返すよということでしょう?
少しもハッピーエンドじゃない。
救いはバイオリンが歌い続けるあの歌。ジークフリートを身ごもっている事を知ったお母さんの喜びの歌・・
希望もまた生まれてくるんだね。

何をごちゃごちゃこじつけてんだという話ですね。
こういうのをああでもないこうでもないと考えるのも楽しみの一つ。
ただ耳で聴いて終わり以上の内容を持ってるんだから。
ワーグナーだけがやったわけではないけれど、この人は音楽そのものが意味を持って語るということを徹底的にやりました。
短い旋律や和音の動きそのものに意味やキャラクターを持たさせ、さらにそれらの変形や組み合わせが違う意味を生んでいく・・
これは凝りだすと本当にオタク的にいつまででもああでもないこうでもないと言っていられると思う。
音楽の持っているものが非常に大きい為オペラが嫌いな私にも聴いてみたいと思わせる。
しかしドイツ語を聞いて理解でない私には音だけで全曲聴きとおすのはさすがに厳しい。
この壮大な物語をオペラじゃなくて音楽だけで表現する巨大交響曲にまとめてステージに上げてくれたら・・
ロリンマゼールがCD1枚にまとめたやつを持っているけどあれは如何せん小さくまとめすぎでちょっと・・
脚本は全然別なものだけど、それを実現して聴かせてくれるのがグスタフ・マーラーの交響曲だと思う。


免許書き換えで一ネタと思いこんなの書いたら久しぶりに指輪を聴いてみようかなと思うに至りましたので私としては良かった。

Tag:ワーグナー  Trackback:0 comment:0 

がんばる

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最近また袋小路的な思考でネガティブになっていたのがある出来事で止まった。実際は何も変わっていないのですが、考え方ひとつで周りは変わって見えます。
何があったかを書いてみても他人から見れば何でもない普通の出来事でしょう。
でも導かれたと思ったの。
こんなことを書くといよいよ頭がおかしくなったみたいですね。
そんなことを感じながらたまたま聴いた音楽がまたお告げみたいに響いちゃって・・
Youtubeじゃ伝わらないかもしれませんが、こんな感じ。



ブルックナーの交響曲第6番の第2楽章。
春を待つような音楽だと先日書いたばかりですが、3つの主題が出そろうと小さいけれどとても美しいブリッジを挟んでもう一度3つの主題が再現されます。
その再現される第1主題がピークに達する
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このあたり・・・ヴァイオリンの6連符が下降するのが聞こえるとき神の光を見たと思った。
この光のせいかは知らないけれど、影を歌った第3主題はこのあと深く歌わずすぐに暖かい安定のなかに終止する。

ブルックナーを聴いてると3本のトランペットのうち3番だけが違う事をやってしかも重要・・と言うのが結構出てくるんだけどここも・・
自筆譜、心なしかそのTp3番の音符が力強く書かれているような気が・・・
作者の頭の中で鳴っていた音楽が見えたような気がしてちょっと感動しますね。

ベートーベンの意をくんでというか交響曲というものを特別な音楽と考え自分の表現の中心に据えたドイツ・オーストリアの作曲家にブラームス、ブルックナー、マーラーがいます。
マーラーはブルックナーの講義を受け信頼関係を築いた話も有名ですが音楽的に二人は大きく違うと思う。
ブラームスとマーラー、ベートーベンも・・彼らの音楽はあくまで自分の魂が主役。
自分が感じ、嘆き、苦しみ、闘い、訴える。
でもブルックナーにとっては自分も含めためた人間も神が作った自然の中の一つ。
美しさ、喜び、悲しみ、苦しみ・・すべてを受け入れそのあり様をただ、神に向かって報告する。

今日はブルックナーのそんな音楽が身に染みるというか包み込まれるというか・・
こんなことを他人が言っていたらうざいかもしれませんが自分がそう思うのはいいの。


あんまり関係ないけど。
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睡眠時無呼吸症候群かどうかを調べる記録計。
病院で貸してくれます。
小さな本体みたいなのを腕に固定し、透明なチューブは鼻に、青いのは指先に取り付けて
呼吸と心拍か何かを一晩記録してくれます。
コンパクトなので何とか気にせず眠ることが・・実際はテープで止めたチューブやケーブルに引っ張られる感じがして始めは気になる。
よーしなんて言って記録開始ボタンを押さないまま寝そうになってんの・・気づいてよかった。
解析に時間がかかるとのことなので結果を聞けるのはまだ先。
私自身は何の自覚もなく危機感も全くないのですが、こういう展開になったのも導かれているんだと思う最近。

導かれるというのは牽引されるとか後押ししてもらえるのとは全然違う。
あくまで考えて進むのは自分。
ただ時々、かすかな光をくれる。
気づくのも自分。
問題はその後、自分が動けるか。






Tag:ブルックナー  Trackback:0 comment:0 

蔵と人生

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蔵を改装したカフェはに行きました。
入ってみるとよくある雑誌に出そうな変に艶のあるおしゃれな感じ・・・じゃないのがいい。
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一部2階をぶち抜いて天上の高い空間に・・薪じゃないけどチップみたいなのを燃やすストーブが。
でもその近くの席には先客が。あそこに座りたかったなーとか考えながら・・
店主は背が高い白髪に髭ジーパン・・なんかかっこいいおっさんだ。
年配の先客に嬉しそうに話しかけてた。
帰り際の先客になおも新しい話題をふる店主と一刻も早く逃げ出したいおっさんの対比に笑った。
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素朴なのがいいな。

調子が良かったので自分も話しかけてみる。
この蔵は明治のころに建ったもので海鮮問屋がつかったものだ
近くで切り出した石を詰んだつくり。柱も何もなくて合わせ面に凹凸を入れて容易にずれないようにみたいな工夫があったりするという。関東大震災も持ちこたえたってことだもんね。
手に入れた時に柱や梁の一本一本を店主が水拭きで磨き上げたそうだ。
定年後好きなことをやりだしたという感じかな?
ここをとても大事に思っているみたいだ。
いい人生だなと思った。

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目に付くCDのラック、単なる店内BGM用かと思ったらCD屋さんもやってるんだそうだ。
同級生から譲り受けたという古いスピーカーはタンノイで、50年ものだそうだ。
中学に入って買ってもらったから・・・とか言ってたのが忘れられない。
あんなもん買ってもらえるって・・・
私もひねくれオーディオマニアですから簡単にいい音なんていわないけど、健気に鳴ってましたよ。
驚いたのはカセットテープ。
軽トラに乗って演歌を聴くようなお爺さんたちはCDなんか使えるわけないから今でも新譜をカセットテープで買っていくんだって。
もう20年くらい前には消えてたと思ってたカセットテープ。

演歌といえばマーラーで演歌を感じるところがあります。


交響曲第5番は1、2楽章が組になっていて1楽章で散々ネチネチグダグダになってあるので2楽章は大暴れしたり俯いたりもするんだけど意外にサバっとしてもいる・・みたいな。
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ソナタ形式の第2楽章で再現部に入って第1主題が載ってくるはずの伴奏がすごい推進力に押されて盛り上る・・さあ!っというところで乗ってくるのは第2主題!?という遊びというか実験をやっています。
ショスタコの4番にもこんなのありますね。
2組ユニゾンのヴァイオリンが低い音で朗々を歌うこれは演歌だと思うんですよね。
リヒャルト・シュトラウスのスコアを見ていると2つのヴァイオリンパートが同じものを弾くというのを結構見かけます。
でもマーラーの場合はありそうであまりないというか、あったらあっこれ特別歌いこみたい場面だなという特別感を感じます。
マーラーオケを自負しているようなとこのコンサートに行ったらここはオケ全体が演歌歌手みたいにうねって歌ってた。
チェロとコントラバスは最初の音が譜店のリズムになっててうねるようにやれと書いてある。演歌ですよね。
重ねるファゴットは普通に書いてあるのが面白い。
実際には第1主題も絡んでいてこの場面はどちらでもあると言える。
執拗に鳴り続ける運命主題と、人魂みたいな第1主題の導入というか破片。
困難な運命の中で浪花節的に頑張る人間の姿・・と言うところでしょう。
芝居がかってはいれるけれど引き込まれ自分も身をよじりながら聴きたくなるような場面。


お店のBGMはよくわかんないけど70年代の洋楽みたいなのがかかっていたと思う。
ギターとかもって歌いそうな店主はこういうのが好きなんだろう。。
子供の頃、人は若いころロックを聞いて歳をとると演歌かクラシックを聞き時代劇を見るように変わって行くんだと思っていた。
けど、違いますよね。
クラシックも演歌もこの先どうなってしまうんだろう?
それより私はこの先どうなってしまうんだろう?
マーラーがこの交響曲第5番を完成させたのが42歳で今の私と同じくらい・・・えらい違いだな。
彼は若い嫁さんをもらって仕事も私生活も絶好調だった。
この時自分の残り時間について考えたりしただろうか?
その後演奏家としてのキャリアを引退し残りの人生を全面的に作曲家活動につぎ込もうと計画した矢先、感染症によって突然命を奪われてしまいました。
無念であったろう。

私はまだ死にたくはない。
妻が睡眠時無呼吸症候群の疑いを指摘するので今日病院へ行って簡易測定器を借りてきました。
医者によると、もしその病気だった場合の対策はまず痩せることだそうだ。
それ以外のいろんな問題もみんな痩せれば解決するらしい・・
痩せろというから自転車通勤をしたりしているんだけど、かえって飯がうまくなっちゃって
こんな毎週ケーキ食ってるとか怒られるだろうなぁ・・・

Tag:マーラー交響曲第5番  Trackback:0 comment:4 

別れない曲

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日の出のころが一番気温が下がるから・・
夕日だと思うと物悲しい気分になるけれど、朝日だと思えば希望が湧いてきたり・・・
よし頑張ろう。

と書くとこれ朝日みたい?でも夕日かもしれませんよね。
予備知識入ると引っ張られてそれが正しいと思っちゃいますよね的なことが言いたい。
音楽もそう、ちらついている話に引っ張られすぎるのはどうかと思うことがあります。
みんながみんなコピーみたいに同じような感想や考えを並べている曲がある。
模範解答があって、それをなぞらなきゃいけないことになってる。

それとはまた別な曲ですが、ショパンの「別れの曲」というのが超絶有名ですよね。
中学生のころにやたらに聴きました。
本当になん十年かぶりにふと聴きたくなりました。
実際には曲集聴いてると出てくるので聴いてはいたんだろうけどまあいいじゃん。



有名な話ですが「別れの曲」という愛称はずっと後の人が映画と合わせて流したとか何とかでショパンがつけたものではありません。聴けば確かにそんなイメージもあるので特に文句もありませんけどね。
でも作者自体は特に標題的なことは言ってなくて練習曲作品10の3でしかない。
この曲はテクニック的な練習曲でもあるんだろうけど、楽譜からどんなものを読み取って解釈し表現するかみたいな事の練習曲でもあるんでしょう。
ショパンが弟子にこの曲を教えているとき「わが祖国よ!」と叫んだというエピソードが有名です。
あの人ポーランドを離れて帰らなかったから・・でもそれはその時ショパンの中でそういう気持ちが爆発したというだけで、この曲を説明するすべてでは決してないと思う。
もし、君はどう考えるのか?と聞かれた弟子が「祖国を思い・・」なんていったらショパンはすごく怒るんじゃないかと思う。
それは私が言ったことで君の考えではない!
実際どうだったかは知らないし、そんな程度の人は弟子になんかなんないのかもね。

今世の中全般的になにか感じる内容まで模範解答があって外れると不合格みたいに思ってるとこがないでしょうか。
私はひねくれすぎてそう見ちゃうのかもしれないですけどね。
また模範解答通りに感じられる私はすごいし正しい!みたいなのが叫んで回ってたりとかするわけだ。HMVのレビューとか・・


名前からどうしても別れの曲だと思って聴いてしまうけれど、
この曲は別に「別れの曲」なんかじゃないので聴いた人が勝手に感じればいいと思う。
崩れ落ち荒れ狂う中間部を含めて・・確かにどう考えても順風満帆おめでたい!みたいな世界じゃないわけですが、
わかれた恋人を思ってみたいなのは今感じられない。
この微笑みつつ思い出す物悲しいものはなんだろう・・
今の私には、
ちょうどこれを聴きまくっていた13歳くらいの私、あの日から今日までの失われて二度と戻らない日々だなぁ・・
誰でもそうらしいですけど、この人生うまくいったとは少しも思えない。
考えたって仕方ないんだけどもう少しやれたんじゃないかと思ってみたり・・
実は奇跡が起こってやりなおすチャンスを得ました・・けど同じ事なぞっちゃってんのね。
神様も苦笑。
あなんだこれ、まぁいいじゃないそういうの音楽に託したって・・
楽しい思い出が全くないわけじゃないけどそれを思い出しても同じような楽しい気持ちにはもうなれないなぁ。

手持ちの音源の中にこの曲は結構いろいろあって、どのピアニストもこの曲に対しての考えを持っていてそれぞれ全然違う歌を聴かせてくれた。
歌いこむはいいけどいちいち旋律が止まって進まないようなのはあんまり好みじゃない。
別れじゃなくて、飲んでかっこつけてる感じの演奏もあった。
それはそれでへーと思う。今日は乗らないけどこれがしみる日もあるだろう。
普通は荒れ狂う中間部もあれないでそのまま沈んで行っちゃうようなちょっと怖い演奏もあった。
いろいろ面白い。今の私にしっくりくるのはどれかというのはあるけれど、どれが正解なんて言わなくていいんでしょう。
音楽、芸術はそれ単体に意味や価値があるのではなくて、それを見たり聴いたりした人間の頭の中にくる反応というか出来上がる世界みたいなものに価値があると思う。
その反応は人それぞれだし、好みもそれぞれ。
模範回答なんか気にしなくていいから自分の中に自分の世界を喜んでればいいんでしょう?

ピアノなんか弾けない私の頭の中にもこの曲こうなってほしいという私演奏が存在します。
ピアノが弾けないことが悲しいのはこういう時だ・・一生聴けないんだからそれは。

で写真はサロマ湖に沈む夕日です。
誰一人いなくて、凍った湖の上に立ちながら・・
落ちたら死ぬな。春まで見つからないんだろうなと思ってた。
死にたくないと思った。
楽器もできないし、出会ったそばから別れの曲みたいな人生だけど全然死にたくない。





Tag:ショパン  Trackback:0 comment:4 

4月からは自治会の役が回ってきます。その顔合わせに公民館へ。
途中月がいい感じ・・
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スマホじゃ写んないね。
もっとおとぎ話みたいな幻想的な絵がそこにあったんだけど。

月を愛でる音楽はきっとやまのようにたくさんあるんでしょうね。
マーラーの大地の歌。
終楽章は夕暮れから始まって夜中を通り夜明けまでの世界です。
始まってすぐに月が登って来るのを見て銀色の小舟とかなんとか歌っているのですが
その光景がどれほど美しいものかは歌詞を気にするまでもなく音楽がみせてくれます。

死によって実演の機会を奪われたマーラーに代わりこの曲を初演したブルーノ・ワルター。
この録音はステレオですがコロンビア響じゃなくてニューヨークフィルとの録音。

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この音楽、リアルな場面も目に浮かぶと同時に絵巻物的でもあると感じています。
クリムトの絵なんかを見てると周りを唐草模様みたいなのが埋め尽くしたりしています。世紀末の表現様式でユーゲント・シュティールですか、この楽章も木管が何パターンかの定型モチーフを執拗に繰り返すんだけどそれは唐草模様に相当するものでもあると思う。
クラリネットとチェロがハモって立体感と光が生まれて・・
弧を描いて登っていくクラリネットを追うようにハープとチェロが上昇していくのを聴くと月が夜空の海を進んでていくのが見える気がします。
そのすぐ後にくるオーボエの優しい響きは・・どこにも書いてないけどうさぎとか宝船に乗った七福神の笑顔がすすきの向こうに登っていくようなイメージが私の頭の中に浮かんでいます・・

と書いたはいいけれど、
夕暮れ時に見える三日月は必ず西の空の低い位置に見えてこれから沈んでいくんですね。
今この音楽で私の感じてるイメージとはちょっと違う。
登っていく三日月は夜明け前にでるそうなんだけど今この場面はまだ夜が始まったところだ・・

まぁ、いいじゃないそんなことは。
こういうの天体とか好きな人からすると耐え難い間違いだったりするのかもしれませんね。
でもここにあるのは幻想的ポエム世界だから。

初期や中期の作品みたいな変わった仕掛け的オーケストレーションはもうみあたらない。
ないけど、こんな驚きの絶景をみせてくれる・・
なんでも長年やって歳くってくるといらんハッタリかけなくても魅力みたいなものが普通に出てくるようになっていくんですかね。
私は歳くったけどなんにも出てこないけど。
何にもやんないからな。

写真にはちゃんと写ってないけど細い消えちゃいそうな三日月が好き。
誰だっけ、昔の中国の詩人が見た月や100年前にマーラーが見たのと同じ月を見てるのかなぁ・・
役員的な話は予想通りめんどくさい役をやらさ・・まぁやりますよ。

Tag:マーラー 大地の歌  Trackback:0 comment:0 

雑踏

昔々、道路に車なんていない時代は道端に小さな鉄道が敷かれていていました。
今じゃ信じられないけど京王だって道路の真ん中を走って新宿駅に入ってたんですよ。
そんな田舎鉄道は昭和30年代くらいにほとんどはがされてしまいましたが、江ノ電が一部道路上を走ったりしているのはその名残だと思う。

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この時、電車は停車していて警笛鳴らしまくり。
左の白い車は電車をよけているつもりなんだけど電車の車両限界内に少しはいっちゃってるんでしょうね。
電車の運転士が車に向かって何か言ってる。
そこいるとあたっちゃうから!・・かな?
ということで車は電車のわきを通って前へ進んで行った。

この車のひとは多分悪気も何にもないんだろうけど、
世の中なんで俺がよけるんだお前がよけろよみたいな人がいっぱいいるでしょう。
でも電車はレールに乗っかって走るという構造上よけるというのは絶対できないんだから、車がよけるしかないよねぇ。
文句言おうがあばれようが電車はよけることができません。
わかりやすくていいよね。


バルトークの中国の不思議な役人という舞台音楽があるんですが、全曲版が派手で面白い。
クラシック音楽だけど、田舎の自然とかそういうのとは無縁。
冒頭、都会の雑踏。
行きかう車。クラクションが鳴らされ、人を気遣う優しさとか温かさとかそんなものは一切ない世界。
金管が散々吠えてるのはクラクションでしょう。
複雑にいろんな音が重なるように書かれていて、演奏によってどこをどう浮き立たせるかがことあるためいろんな演奏を聴き比べてると楽しいです。
楽しいけど殺伐としすぎ。
バルトークて感じがしますよね。

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弦楽器がやっていたうねりみたいなものが木管に受け渡されるところなんかもう街がひっくり返って何かとんでもないものが吹き荒れちゃってる見たいでしょう・・どうなちゃってんのみたいな・・・
さらにその先

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ここでオルガンのペダルが乱入。
ここは演奏によっていオルガンのがそもそもないものとか出てもさっと引いちゃうものとかいろいろだけど、デュトワMSO盤はオルガンを思い切り強調しています。
もう巨大武装電車みたいなのがみんななぎ倒してるみたいな・・
舞台の内容からするとちょっとおかしいけどね。

しかしこのパントマイム中国の不思議な役人はめちゃくちゃというかものすごい内容を持っています。
売春とか強盗、殺人、めった刺しとかそういうのですよ。
挙句に殺されてるのになかなか死なず青白く光りだすとか・・
作者はこの筋書きを大変気に入っていたらしく、バルトークって不幸な人だったのかななんて思っていた。

でも息子の一人が書いた本を読んでいたら普通の勤勉でやさしいお父さんの姿が描かれてあった。
そうかぁ・・
よかった。

Tag:バルトーク  Trackback:0 comment:2 

リンゴのタルト

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大井川の河口、その向こうに伊豆半島の南端。
川がでかすぎちゃって何のことだかわかんないですよね。
風がものすごくて寒かった・・
遠くの河と海の境付近にでっかい波が逆巻いていて、あそこに行ったら死ぬんだろうなぁと思った。
あそこにいなくていいんだから俺は幸せだ。寒いけど。
いい感じのこのバカでかい公園は、普段は人がたくさんいたりするのかもしれない。
でも風が強すぎてもの好きな人が数人いただけだった。
風がなければもう少しゆっくりしたかったここで。

ちょっといったところでカフェにでもと調べると
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本当にすぐそばにこんなお店があった。
ドアを開けるとあれケーキ屋さん?まちがえた?・・
でも奥へどうぞと案内された廊下の奥には落ち着いた客室があった。
さらに元テラスだったところに壁と屋根を建て増ししたようなスペースがあってそこが妙に良い雰囲気だったので座る。

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窓の外には小さく夕日に染まった富士山
結構遠いけどこんなに見えるんだね富士山て。
反対側の窓には夕日が沈んでいく・・        

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ケーキがリンゴのタルトしかないとかいうので笑顔でじゃあそれで・・
俺はタルトって何なのかも知らないけど。
持ってきながら今日はこの2個でちょうど終わりでしたぁ・・・
わぁーよかったぁ!なんてまぁそういう茶番も気分がいいと気持ちよくできるというか。
ちっちゃいけれど価格が妙に良心的でおいしい。コーヒーもおいしい。

最近いろんなカフェに行くしブログだからすごくよかったみたいに書いたりするけれど、
落ち着かないどころかかえって気分が落ちて帰るような店が結構あるんだよね。
でもここは心が休めた。よかった。こういうのなかなかないんだよ。
飾りなんか何にもないそし、お店の人と話すとかなんかも何もないんだけど、
大拙なのはきっとそんなとこじゃないんだよね。

プーランクの2台のピアノのための協奏曲 ニ短調

の第2楽章がいいなぁ・・
モーツアルトがエスプリな感じで出てくる最初の主題もとてもいいけれど、

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突然出てくるこれ何だよ・・・
心の奥底の、触ったらひりひり痛いような部分をさらけ出しちゃってんだよいきなり・・
これ多分作者はそんなに悩んだりしないでフィーリングでさって書いちゃったと思うな。
鍵盤の上に手を転がすとこういうのがいつでも湧き出てくる・・そういう人なんだよ。
この後中間部はおしゃれなおてんば娘みたいだ。
こんな音楽があるんよね。

他にお客はいないと思っていたけどおばちゃんがやってきた。
いつもこのパターンだな・・喫茶店てそういうところだから当たり前なのか。
しかしおばちゃんのLINEのピンポンみたいなのがやたらに鳴るのは耳についてしかたない。
ああいうのはこういうとこじゃ鳴なんないようにしとくもんじゃないのか?
違うのかもな。
そういう俺はもうピンポンも一生ならないかもしれない変態だけどね。
一時いろんな人から誘ってもらったけどみんな終わちゃった。
そんなこと考えながら食べるリンゴのタルトがおいしかった。

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店から出たらこんな景色。
いいとこだった。

Tag:プーランク  Trackback:0 comment:2 

つけナポリタンと音楽

ちょっと離れた町の商店街にいきました。
日本中どこでもみるような灰色のシャッター街。
駅から伸びたそれはなかなかの規模を持っていてきっとかつては人でにぎわったんだと思う。
行こうと思ったお店はclauseの札・・あれれまただ。
その3件くらい隣に10年以上前に入ったことのある古い喫茶店があったのでそこでいいか。
あの頃は古い喫茶店でしかなかったけれど
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ご当地グルメみたいなのでしょう、つけナポリタン。
昔給食でこんなのあったよな・・
その発祥の店とか言ってるけど前来たときそんなのあったかな?
まあなんだか楽しそうだからいいじゃない。

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カフェじゃない。
喫茶店。

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味は多分この見た目から想像されるそれがそのまま。
これはまじめに美味さを求めてどうこう言うよりも、ネタとして楽しめるかどうかだよね。
つけ麺みたいに煮卵とか鶏肉とかお楽しみみたいな具がたくさん入ってた。
チーズもたくさん・・途中からレモンをかけて・・
ただ食い物だととらえるとちょっと値段が高い正直。
でもお楽しみ体験だと思えば面白かった。
いろんな掲示物やレビューを見るとこのネタでこのあたりの飲食店はそこそこ人を呼んでいるみたいだ。
いいんじゃない。
ナポリタンと言えば

音楽の解説などを読んでいるとナポリ6度なんていうのが出てくることがあります。
ハ短調の音楽に変ニ長調主和音みたいなのが見えたらそれっぽい・・
和音について言っているわけですが、解説を読むとどうでもいいようなことをグダグダ書いてあります。
それ単体に注目してもほとんど意味はなくて、あるわけないような和音が出てくるまでの過程とそれによって何が起こったのか、それでどうなるのかという動きがとても重要。
安定していた世界を急に棚上げされたというか、妙に興奮した緊張状態のように聴こえることが多いんじゃないか・・


ヴァルヒャの演奏。ちょっと速いというかすたすた行きすぎ?・・

バッハの超絶有名傑作曲
パッサカリアとフーガハ短調BWV582のおしまいの方にナポリ6度が出てきます。

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重く充実した曲を聴いてきてその結末の前に訪れるこの中断は痺れますよね。
寡黙に仕事を続けてきたものが感極まって思いつめたように叫ぶ・・祈りのような・・
その後は、納得したようなポジティブな境地になって明るく広い光の中に終わっていく。
純粋な器楽による音楽にとんでもないドラマが発生しているわけですよ。
最後にAdagioなんて書いてあるところがまた泣けるけど、これ作者が書いたのか写譜した人が書いたのか・・
写譜した兄貴が書いたにしてもそういう演奏をバッハがやってるのを聞いたんでしょうね。
そう思いながら聴くとペダルも両足使っていつものバッハより音数も多いこの終結は泣けてくるよねえ。

調べたらつけナポリタンはなんだかテレビ番組の企画みたいなので生まれたみたいです。
何だろうとやったもん勝ち、多分やっている人たちは頑張ってるんだろう。
私が初めてCDを買ったのもここではないけれどこんな商店街の小さな楽器屋でした。
まだ生きていた商店街の末期くらいだったと思う。
みんなが車を持ったところに無料の巨大駐車場を持ったショッピングモールができたらそっちへ行くよねそりゃ。
あんなに存在感のあったCDだってもう若い人は見たことがなかったりするんじゃないのか。
時代の流れから外れたものはどんどん消えていく。

聴き手のためのクラシック音楽というのはなくなってしまうんじゃないかと思う事があります。
クラシックは楽器奏者のテクニック披露の道具として残って行く気がする。
どうなろうが知ったことじゃないけど私は音楽の中身そのものが大好きなので寂しい気もする。
もっと言えば情けない。
でもシャッター街と同じ、大きな流れでそうなっていくのはだれも止められない。

まあいいか。
私は私でおいしいもの食っていい音楽を聴きましょう。
それがいい。





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サンチョ・パンサ

本文ほとんどを削除したのでほとんど意味不明なまま公開。
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セルバンテスのドン・キホーテという小説が超絶有名ですよね。

リヒャルト・シュトラウスがこれを音楽化した交響詩「ドン・キホーテ」という曲があります。
光景が目のまえに見えるようなびっくりオーケストレーションが目白押し・・
ものすごく写実的な交響詩でありながらチェロ協奏曲としての要素も持っている。
しかも全体を変奏曲に仕立てやがった・・
聴いてもそうですがスコアなんか眺めているとものすごい書き込みようで天才作曲家の絶好調感も伝わってくる作品です。
初めて聞いたときは面白い曲だなぁ!と盛り上がりました。

でも今何故かこの曲あんまり好きになれないんですね。
凝りすぎてて流れないからかなぁ・・

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この曲、小説と同じく独奏チェロのドン・キホーテが主役でヴィオラソロのサンチョ・パンサを従えています。

3161.png
サンチョ・パンサ、あなたこそが真の偉大な英雄です。
その点でこの曲は私にとって間違ったものだ。
サンチョ・パンサ、お疲れさまでした。


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