冬の歌

犬と散歩していてふと見上げると、お堂の銀杏に赤く光っていました。
この次の瞬間、日が沈んでいつもの暗い景色に・・
私はAの音に赤のイメージがあります。
ちなみにDは深い青。ニ短調と聞くと深い紫のイメージが。
絶対音感はないのでAという音名にそういうイメージがあるというだけ。
インチキと言われればそれまで。
ルーヴィンシュタインが10歳になるまではブラームスは生きている同時代の作曲家だったんだ・・
1番と3番が超絶人気なブラームスのヴァイオリンソナタ。
正直2番はちゃんと聞いていないのであれなんですが、豊かな歌にあふれた1番とは第3番の間には大きな隔たりを感じます。
3番は脂が落ち、枯れた深い世界。
金目鯛で言うと1番は寿司や刺身、煮つけ。
3番は干物。
ちょっと違う気もする。
交響曲第3番よりも後、交響曲第4番のあの世界。
私はなんとなく交響曲第3番を書いたところで彼は自分の家族というものを諦め、死ぬまで一人という運命を受け入れた気がしています。ブログ始めたころに書いたりして・・。
そのヴァイオリンソナタ第3番ニ短調第1楽章展開部。
低音はずっと同じAに固定されピアノとヴァイオリンがカノンみたいなので絡んでいくんですが・・
赤いイメージじゃないですね。もっと暗いイメージ。

ソナタ形式の展開部ですしここは自由にいろいろ動きまわり言いたいことを言う場面です。闘ったり、苦悩したり、喜んだり、悩んだりボヤいたり叫んだり歌ったり踊ったり・・
でもここには喜びも苦悩も叫びも躍動もない。
sotto voce sempre ですもんね。一人寡黙な男の姿がある気がする。
あの誇りをもって美しくのびやかに歌う第2主題も歌って見せてはくれません。
ただ暗く沈んでいるんじゃないんですよね、なにか焦っているようにも思える。
ほんの一瞬明るい歌を見せるのかと思うとそのまま沈んでいってしまう。
まだ、本当に孤独に沈んでいるわけではないと思う。
しかし孤独の予感が彼を支配している気がする。
良くしてくれる人はたくさんいたと思うけれどこの人生涯家族を持ちませんでした。
葉を落とし寒さに耐える銀杏は寂しいように見えます。
でもこれ春になれば若葉が出てくるんですよね。
人生の冬は一方通行でその先がないから。

同じものが回想されるコーダでは低音がニ短調のDに降りていて少し落ち着いたようにも聞こえる。
いったん受け入れようとしたというか・・
フィナーレまで聴くと、やっぱり受け入れられなかったんだろうなと思う。
この二つの場面で解放弦とその同じ音の隣の弦を行ったり来たりさせる場面が3つ出てきます。ニ短調はちょうどバイオリンという楽器にはまる調なんですね。コンチェルトはニ長調だらけだ。
人の心のうちなんて誰にも分らない。
わからないけれど、死後100年以上たった今も彼の心がここにあると思うんです。