おわかれ

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梅の花が舞って道路を飾っていました。
お別れのしるしですね。

しばらく前ですが、ある方のブログを毎日読んでいました。
コメントを送るでもなくひそかに。
頑張ってた。
ある日突然その方から短い拍手コメントをいただいた。
何か返信したかったけれどブログを探してみつけられない。
あれ?まぁ、また・・
その後ふと気が付けばあれから何日もたっている。
本気で探したけれどブログがない。
どうも、ブログは削除されてしまったようだった。多分あのコメントと同時くらいなのか。
そうではないと願いたいけれど、その方はもうこの世にいないのかもしれないと思った。
あのメッセージはその後も含めてのものだったのかもと。
そう思ったらとても寂しくなって来た。
私の勘違いだといいと思う。
ここにこう書いたらどこかで読んでもらえるかな?

作曲家も人間だから人生を歩みます。
若いころの作品でも死を扱ったりするんだけれど、自分のリアルな死を意識して書かれたらしい曲には別格のすごみがあったりします。

ショスタコーヴィッチの最後の交響曲第15番は自分自身をテーマにしていると思うんですが、そのラストがきわめて印象深く感動的です。

本当はここだけ聞いても意味がないんですけどね。
これを初めて聴いたのは中学生くらいだったのかな・・N響アワーにまだ若かったなかにし礼が出てた頃だから・・・
よくわからないなりに聴いてきて、この神秘的なラストシーンには衝撃を受けました。
わかるわからないを超えて、これは作者が何かを伝えようとしているんだと思った。
これを感動というんだろうなとも思った。
今でもそれは変わりません。

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弦楽器のAとEにのって打楽器のアンサンブルがガチャガチャ行っていますが、これは作者自身を表していると思う。
具体的に何か言うとかではないと思う。いろんなものがそぎ落とされて魂本体が露出していくというか・・
この元ネタは交響曲第4番にありますがそこにこだわりすぎると肝心なものを見失うと思う。
長いお別れの言葉、口数が減って行きふっと途切れる弦の伸ばしが浮き彫りになるところでゾクっとする・・永遠を見るというか・・
そしてこの曲で鍵の役目をはたしてきたチェレスタとグロッケンがCis(C♯)を鳴らしてイ長調和音となり消えていく・・
どこかとてつもなく遠いところで静かに微笑み、ありがとうと言っていると思う。
同時にこれはベートベンから続いてきた特別な音楽としての交響曲、その最終和音でもあると感じます。
それらすべての結論としてこの場面があるんじゃないか。
この肯定感が何よりの救いというか感動させられるところなのかなぁ・・
その後もいろんな人が交響曲を書いてますよみたいな余計なことは今言わなくていいんです。

こんな消えていく系の最終音は全音符にフェルマータが乗っているイメージが強いんだけれど、これは音符を伸ばしきったところで止めてくださいみたいに書いてありますね。
弦にはmorendoと書いてあって鐘と一緒に減衰しろということなんでしょうけど、でもこの最終の和音は永遠に溶け込んで行くんじゃなくてきちんと発せられる一つのメッセージ的な音なんだよと作者が言ってるわけなんでしょうかね。
その後の休符の部分も音楽が続いているわけで、ここで拍手をしたりしたら・・というかこの曲想でそんなことをする人は何も聞いていないのと同じなんだけど、でもそういう人がいるんだよね。
でまたこういう最後の休符なところで指揮者がしっかり拍を振ってるのも見たことがあるけどあれもなんか萎えた。
なに文句ばっかり書いてるんだという感じだけど今心の調子が悪いからどうしてもこうなっちゃてごめんなさい。

作者にはこれを書いた後もしばらく時間はあったようです。
周りは新作が当然生まれるだろうと期待したようだけど、誰も16番を耳にすることはできなかった。
この15番を遺言と決めていたからじゃないだろうか。

最後が近づいたとき、なにか言い残したいと思える人がいたら幸せですよね。
身近にいなければブログだっていいと思う。

Tag:ショスタコーヴィチ  Trackback:0 comment:2 

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結構さみしいけど結構楽しいよ。
クラシック音楽が好きです。

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