頭のおかしい30年
小田急の複々線化工事最後の区間が完成していました。
なにわざわざ見に行ってんだという・・

高校生の頃、小田急に乗って東京へCDを買いに行った覚えがあります。
クラシックも色々聴きだすと田舎のレコード屋じゃ追いつかなかった。
タワレコなんてまだなくて、秋葉原の石丸電気3号館だったと思う。
帰りの電車から線路際の空き地に輸送力増強!という複々線化用地の看板と小田急考え直せみたいな反対の旗を見て完成時の様子を想像し、完成したら見に行こうなんて思った。
あれから30年・・・30年かかったんだねえ・・

見に行こうと思っていたから見に行った。
30年なんていえば人の一生分の仕事みたいですよね。
ずっと携わた人は感慨深いんじゃないかな。
この路線で通勤していた人の中には若い頃に工事が始まって完成前に定年になっちゃったりした人もいるわけでしょう?
これを見ながら自分も人生の大きな時間が終わってしまったのを感じたりして。

翌日うちの近所のとんかつ屋に行きました。
ほんとにすぐそばにあって毎日見るのに一度しか行ったことがなかった。
その一度も30年前。

あの頃、私は強迫性障害を発症し一日に何度も頭をシャンプーで洗ったりしました。髪の油が抜けて死体みたいな恰好で歩いていたと思う。その先は書いてもあれなので端折って・・
世の中のすべての人間は私をさげすみ攻撃する敵だと感じる悪夢のような日々の中で音楽を聴くことだけが救いでした。
そのせいか私の中で音楽は人間というか演奏者からも切り離された奇跡の神秘世界のような位置づけになってしまっているかもしれません。
ずっとそれが当たり前だったので何とも思いませんでした。
本当は音楽とは人間が作る事に意味がある人間のものなんだと思う。
人生がそこで中断してしまっているという意識を正そうと思い、あの頃投げ出した吹奏楽を思って一昨年演奏団体みたいなところへと入ってみました。
私は運動神経みたいなところにも異常があって普通の人が見様見真似でできることを3年かかって覚えたりするところがあります。
高校の時と同じ、まともな音が出るようになるまで3年くらい1人でやってから人のいる場に出るべきなんだと思う。
楽器演奏って実はものすごくスポーツ的なんですね。運動神経とか瞬発力とかそういうの。
私の頭にあるメルヘン世界じゃないの。
芸術性だの心なんて言うのはその先におまけのようにあるか、そもそもそんなものは無いのかもしれない。
そうなのかもしれないけれど、笑顔でそういわれた時には私自身を全否定された気がした。
その同じ人がプロと知り合いだという話を繰り返したため、そのプロというのにも嫌悪感を懐くようになりその人たちがステージ上にいるコンサートというものにも行けなくなってしまった。
どこかのブログで何とか障害みたいな記事を読んでいたら芸術への過度な賛美、傾倒、妄想・・みたいな話が出てきた。
全体的には他人と理解しあうとか協調とかすることができず傲慢で我儘などうしようもない人という事だったと思う。
俺あれなのかな?
ごちゃごちゃ言ってないでまた楽器を練習すればいいんだと思うけど、まだ触る気がしない。
この間練習を再開する夢を見て辞めたほうがいいみたいな話になってた。夢の中で楽器はさびていた。
あのころ、これも聞いた覚えがあります。
マ・メール・ロワの終曲だけれど歌う弦楽器を引きずるように止めてまた動かすこの演奏に強く惹かれた。

魔法じゃないのかと思ったけれど、楽譜を見てもこんな普通の景色があるだけだった。
あれから30年たった今、その同じ演奏を聴いて泣きそうだ。
この曲はもともと子供がピアノで連弾するために書かれたものだったと思うけれど、持っている内容は子供向けをはるかに超えてしまっていると思う。
時々この人生は失敗かと思ったりもするけれど、私は私としてここまで生きてきましたよ。
この曲の最後はお前良かったねと言ってくれているように聴こえます。
演奏者はそんなこと考えていないし、私のことなんか大嫌いかもしれない。作者もそうかも。
でも音になって出てきたものはもう誰にも関係ない。私の中に入れば私のものだから。
そこは誰にも邪魔されない。
何も知らず無邪気に行こうよという妻に嫌がる理由もないので行ってみると、あの時座った席はそのままそこにあった。
当たり前だけどそこに俺は座ってないし何も起こらなかった。
あれから30年か。
ランチだからちっちゃいとんかつだけど、意外に良かったよ。
なにわざわざ見に行ってんだという・・

高校生の頃、小田急に乗って東京へCDを買いに行った覚えがあります。
クラシックも色々聴きだすと田舎のレコード屋じゃ追いつかなかった。
タワレコなんてまだなくて、秋葉原の石丸電気3号館だったと思う。
帰りの電車から線路際の空き地に輸送力増強!という複々線化用地の看板と小田急考え直せみたいな反対の旗を見て完成時の様子を想像し、完成したら見に行こうなんて思った。
あれから30年・・・30年かかったんだねえ・・

見に行こうと思っていたから見に行った。
30年なんていえば人の一生分の仕事みたいですよね。
ずっと携わた人は感慨深いんじゃないかな。
この路線で通勤していた人の中には若い頃に工事が始まって完成前に定年になっちゃったりした人もいるわけでしょう?
これを見ながら自分も人生の大きな時間が終わってしまったのを感じたりして。

翌日うちの近所のとんかつ屋に行きました。
ほんとにすぐそばにあって毎日見るのに一度しか行ったことがなかった。
その一度も30年前。

あの頃、私は強迫性障害を発症し一日に何度も頭をシャンプーで洗ったりしました。髪の油が抜けて死体みたいな恰好で歩いていたと思う。その先は書いてもあれなので端折って・・
世の中のすべての人間は私をさげすみ攻撃する敵だと感じる悪夢のような日々の中で音楽を聴くことだけが救いでした。
そのせいか私の中で音楽は人間というか演奏者からも切り離された奇跡の神秘世界のような位置づけになってしまっているかもしれません。
ずっとそれが当たり前だったので何とも思いませんでした。
本当は音楽とは人間が作る事に意味がある人間のものなんだと思う。
人生がそこで中断してしまっているという意識を正そうと思い、あの頃投げ出した吹奏楽を思って一昨年演奏団体みたいなところへと入ってみました。
私は運動神経みたいなところにも異常があって普通の人が見様見真似でできることを3年かかって覚えたりするところがあります。
高校の時と同じ、まともな音が出るようになるまで3年くらい1人でやってから人のいる場に出るべきなんだと思う。
楽器演奏って実はものすごくスポーツ的なんですね。運動神経とか瞬発力とかそういうの。
私の頭にあるメルヘン世界じゃないの。
芸術性だの心なんて言うのはその先におまけのようにあるか、そもそもそんなものは無いのかもしれない。
そうなのかもしれないけれど、笑顔でそういわれた時には私自身を全否定された気がした。
その同じ人がプロと知り合いだという話を繰り返したため、そのプロというのにも嫌悪感を懐くようになりその人たちがステージ上にいるコンサートというものにも行けなくなってしまった。
どこかのブログで何とか障害みたいな記事を読んでいたら芸術への過度な賛美、傾倒、妄想・・みたいな話が出てきた。
全体的には他人と理解しあうとか協調とかすることができず傲慢で我儘などうしようもない人という事だったと思う。
俺あれなのかな?
ごちゃごちゃ言ってないでまた楽器を練習すればいいんだと思うけど、まだ触る気がしない。
この間練習を再開する夢を見て辞めたほうがいいみたいな話になってた。夢の中で楽器はさびていた。
あのころ、これも聞いた覚えがあります。
マ・メール・ロワの終曲だけれど歌う弦楽器を引きずるように止めてまた動かすこの演奏に強く惹かれた。

魔法じゃないのかと思ったけれど、楽譜を見てもこんな普通の景色があるだけだった。
あれから30年たった今、その同じ演奏を聴いて泣きそうだ。
この曲はもともと子供がピアノで連弾するために書かれたものだったと思うけれど、持っている内容は子供向けをはるかに超えてしまっていると思う。
時々この人生は失敗かと思ったりもするけれど、私は私としてここまで生きてきましたよ。
この曲の最後はお前良かったねと言ってくれているように聴こえます。
演奏者はそんなこと考えていないし、私のことなんか大嫌いかもしれない。作者もそうかも。
でも音になって出てきたものはもう誰にも関係ない。私の中に入れば私のものだから。
そこは誰にも邪魔されない。
何も知らず無邪気に行こうよという妻に嫌がる理由もないので行ってみると、あの時座った席はそのままそこにあった。
当たり前だけどそこに俺は座ってないし何も起こらなかった。
あれから30年か。
ランチだからちっちゃいとんかつだけど、意外に良かったよ。